第27話 4-B】逃走:襲撃

 〔 地球:2080/04/05 〕


 ひどい疲労感に襲われて井坂は自動タクシーのシートに体を埋めた。その横ではデュラスが同じようにしている。

「なんて馬鹿なんだ。あいつらは」井坂がつぶやいた。

 あいつらとはつい先ほどまで開かれていた新統合連合政府のお歴々だ。

「最初から最後まで降伏ばかり叫んでいる。邪神軍とはただの一度もコミュニケーションが成立していないのに」デュラスが続けた。

「ボールボール」ライズが前席で合いの手を入れた。

 今のは賛成の意だろうかと井坂は思った。ライズとの言語でのコミュニケーションも成立が難しい。邪神軍ほどではないが。

「せっかく地球に戻って来たのにゆっくりとはできないのね」

 珍しくレイチェルも不満を漏らす。


 今日の会議は降伏要求で全会一致していた。地球側の全軍事力が邪神船イタカ一隻に壊滅させられたのだから無理もない。

 だが邪神軍は残虐放送をするばかりで、地球側からの一切の通信を無視している。井坂たち宇宙技官は邪神軍との対話は不可能と考えていたが、各国政府の高官たちはその意見を無視した。

 認めたくないのだ。自分たちの未来が閉ざされたことを。

 結局、特使船を一隻仕立てることになった。その船を邪神軍に送り付けて対話を要求することになったのだ。

 最初その特使船の用意は宇宙科学技術局に押し付けられそうになったが、井坂始め全技官が反対し、結局は米国宇宙軍が一隻用意することになった。

 その船の乗組員たち全員が政府高官の愚かさの犠牲になるのかと思うと、井坂の心は重くなった。だがパニックに近い状況で下された政治的な判断をひっくり返す術はない。地球政府は緩い連合体でできていて、無数の立場と意見が煮えたぎった釜のようなものなのだ。正論がそのまま正論として通ることはない。


 木星ステーションを壊滅させた後に邪神軍は火星に向けて進軍を開始した。途中に小惑星帯を挟んで、到達までに五年と計算されていた。

 部分的に破壊された邪神船イタカは一度邪神母船アザトースの中に吸い込まれた。そして数週間後に再び出現したときには、完全に元の姿を取り戻していた。

 これで邪神母船アザトースの役割の一つが邪神子船の補修機能であることが確定した。人類軍があれほどの被害を出して与えた被害はあっさりと無かったことにされたのだ。


 前方で通行止めが行われていたので、自動運転AIがコースを変える。

 遠くのビルに火事の炎が上がっている。

 またか、と井坂はゲンナリとした。

 あの木星会戦の敗戦は、人類文化圏のすべてに衝撃を与えた。末世思想が蔓延したと言ってもよい。

 テロが頻発し、刹那的な生き方を求めての犯罪が多発した。来世での蘇りを説くカルト集団が勢力を増し、戦争までには至らなかったものの各国の軍事関係は緊張の極みにある。


 脱出船に乗り込む人々の選出はかなり難しいものとなった。よほど特殊な技術がある者や知識がある者以外へは厳しい年齢制限があった。植民を第一の目的としているのだから、年齢という要素はかなり大きくなる。

 その混乱の中での宇宙科学技術局による脱出船の抽選方式の発表は騒ぎの抑制に効果があった。

 わずかだが抽選席というものを用意したのだ。年齢職業に関わりなく抽選で脱出船の席を得ることができる。ただし、新たに犯罪を行ったものは抽選の権利を失うというものだ。

 この発表以来、暴動の類は一気に収まった。誰もがブラック・データベースに乗ることを恐れたのだ。


 政治的な圧力も凄まじいものとなった。

 政治家枠を少数に制限したことがその根底にある。百万人しか乗れない脱出船の中の統治にそれだけの数の政治家は要らないのは明白だった。

 そのため政治家たちの席の奪い合いも熾烈なものとなった。さらにはありとあらゆる手段を使って自分たちと係累のある者たちを植民者としてねじ込んで来た。

 結局最後にはそのすべてが井坂たち技官に対するあからさまな脅迫へと転じたが、井坂たちは折れなかった。

 それを断るだけでも技官たちの疲労はピークに達していた。最後には技官全員のコムを外部から切り離すことになった。結果として家族との会話も最低限に制限する羽目になってしまった。


 これが井坂たちがタクシーの座席にもたれかかっている理由である。

 車は大きく遠回りして郊外にある公営の住居に向かう。

「ベルター達の大移動も問題だ。彼らは重力下での生活はほぼ無理になっているから、火星軌道ステーションか地球のラグランジェ・ステーションで受け持つことになった」デュラスが説明する。

「それでも数が多いから住居の割り当てはもの凄く大変だったよ」

「少なくともベルターは全員が技術者だし、それに多少癖はあるものの自己抑制が強い。ステーション側も文句は言わないだろう。特にこの人手不足のときは」

 そう言って井坂はデュラスを慰めた。

「凄いよな。ベルトからここまで宇宙服一枚で真空と向き合ったままでラフトで一年も二年もかけて飛んでくるんだぜ。俺なら気が狂う」

「ボールボール」ライズ技官が賛成する。レイチェルもその横で頷く。

「しかし小惑星帯は比較的に邪神軍の手が届かないんだろ。なにせ広いし。地球が壊滅したら彼らだけが生き残るかもしれないな。向こうに残るという選択肢もあっただろうに」

「それは無い」と井坂が言った。

「ベルトには金属精錬工場はあるが、高度なナノマシンの生産工場はない。ベルトの技術力ではあの特殊宇宙服を完全には作れない。どうしても中核部分には地球産の部品が必要になる。それは彼らが住居で使っているマイクロ水耕バブルも同じだ。ベルトでは手に入らない微量元素や肥料もそうだし、何よりバイオ制御器が作れない。

 つまり地球が壊滅すればどれだけ努力しようが彼らも補給品のストックが尽きる十年後には死に絶える」

「そううまくはいかんか」デュラスが嘆息した。

「反物質の製造は目途がついたのかい?」目を瞑って椅子に沈み込んだまま井坂が言った。

「まったく駄目ね。木星の大核融合炉プラント群がないとなると、後は月の上の生成プラントだけだし。全然量が足りないわ」

 眉間に皺を寄せてレイチェルが答える。

「次の戦いは切り札なしか。ますます厳しいな」デュラスが感想を述べる。


 街の灯りが減り、周囲に木々が目立つようになる。道の半ばまで来た所で、自動操縦装置が警告と共にブレーキを作動させた。

「なんだ?」デュラスが前方を睨んだ。

「ガウガウ」ライズが言うと、胸のホルスターから大男に相応しい大きな銃を抜き出した。ライアットガンと呼ばれた先祖の銃の進化系、暴徒鎮圧用の散弾拳銃だ。

 周囲の暗闇からいくつもの人影が涌き出した。黒いローブに包まれた連中だ。顔もフードを被って隠している。

「なんだ?」再びデュラスが言った。

「雲行きが怪しいぞ」井坂は手首のコムを叩いた。

『現在、電波状態が悪くて通信が遮断されています』音声モードでコムが報告した。

 井坂とデュラスも銃を抜く。

 レイチェルが取り出したのは骨董品のコルトパイソン357マグナムだ。

 そのあまりにも無骨な外見の銃に全員の視線が注がれる。

「上のお兄ちゃんがお守り代わりに持っておけって。我が家の家宝よ」

「さすが軍人一家の家系だ」井坂がため息をついた。


 以前に井坂はその一番上のお兄ちゃんとやらに絡まれたことがある。可愛い妹の彼氏がこんなか細い男であることが気に入らなかったようなのだ。

 結局その最初の出会いは最期には殴り合いに終わり、井坂は一週間寝込み、相手も三日間寝こむ結果となった。それ以来二人の仲に文句を言うお兄ちゃんたちはいなくなった。井坂は彼氏として十分であると認められたのだ。


 自動タクシーは動かない。ハッキングされているなと井坂は判断した。これが軍用車両なら手動に切り替えて邪魔な人影を撥ねながら突進できるのだが、と井坂は残念に思った。

 人影の一人がスピーカーを使った。

「そこの宇宙技官ども。我々は邪神教徒。君たちは逃げられない。武器を捨てて降伏しろ」

 車のドアを開けて四人はその影に隠れた。

「邪神教徒だと!」と井坂。まずいことになったと顔をしかめる。


 邪神教徒は前回の敗戦以来、地球で勢力を増してきた最悪のカルト教団だ。邪神軍を召喚したのは自分たちだと主張し、彼らに生贄を差し出すことで邪神たちの信徒になることを要求している凄まじくいかれた連中だ。

 大勢の人間が彼らに誘拐されて無残な姿で見つかっている。それは邪神軍の残虐放送の模倣であり、またそれを全国ネットで放送したりして新しいパニックを引き起こすのだからさらに質が悪い。


「要求は何だ?」井坂は怒鳴った。

 黒いローブの男は両手を広げて前に出て来た。

「ああ、理解しているかどうか分からないが、君たちこそはこの戦争を終わらせるカギなのだよ。君たちを生贄として儀式を行い、それを邪神様に送ればきっとお怒りは解ける。地球は救われるのだ」

「キチガイめ。いったいどんな根拠があってそんなことを言っているんだ!」

 井坂は怒鳴り返す。

 黒ローブは笑いながら答えた。

「根拠も何も邪神様を召喚したのは我々だ。我らの悲痛な願いに応えて邪神様たちは降臨なされたのだ」

 この隙にデュラスは手首のコムを必死で操作している。

「駄目だ。通信途絶のままだ。これきっと軍用のジャミングシステムを使っているぞ」

 黒ローブはさらに続けた。

「聞け! 技官ども。お前たちの逃げ場はないぞ。大人しく降伏しろ。そうすれば」

「そうすれば?」と井坂が聞き返す。

 今は時間を稼ぐ必要がある。じきに誰かが通信障害に気づくはずだ。

「・・そうすれば苦しまずに殺してやる」

「そいつは嬉しいな。涙が出る」

 黒ローブの男は両手を天に向けて掲げた。完全に自分に酔っている。

「お前たちの魂が確実に邪神様に届くようにきちんと儀式を行わなくてはならないからな。それまでは大事に扱ってやる。最後の晩餐も豪華なメニューを用意しようじゃないか。なんならワインもつけるぞ」

「御免だな。こちらにも銃はあるぞ」井坂が怒鳴る。その証拠に黒ローブの横の木に向けてレーザーを放つ。

 木の幹に火がついた。そのまま炎は上に向けて駆け上がり、木が派手に燃え始める。

 どこかで誰かがこの火に気づいてくれればと井坂は思ったが、今はあちらこちらで放火が行われている状況なので望みは薄かった。

「ならば仕方がないな。儀式はここで執り行う」

 黒ローブが合図すると、左右からさらに別の黒ローブが前に出て来た。

 全員が両手を上げて呪文を唱え始める。

「ふるんぐるいど・むうるぐなうふう・くとうるふ・ふたぐん」

 周囲の森の中からもそれに合わせて唱和する声が上がる。

 十人以上いるな。そう考えながらも井坂は叫んだ。

「そいつはクトウルフ賛歌だ。邪神の中にはクトウルフはいないぞ」

 それを聞いて邪神教徒のリーダーが慌てた。

「ああ、ええと。そう。い・あ・んぐ・んがああ・よぐそとほーと」

 今度はヨグソトホート賛歌か。井坂は呆れた。やっぱりこいつらはどこかおかしい。自分たちの妄想の中に完全に酔っている。

 怖いのだ。そう理解した。怖いがゆえに、自分たちが邪神軍の側だと信じたいのだ。

「お前たち、のんびりと歌を歌っているようだが、いいのか? 武装警察がここに向かっているぞ」

 黒ローブは一瞬怯んだように見えたが、すぐに自信を取り戻した。

「この辺り一切の通信は封鎖している。軍用ジャミング装置だ。何者も通信はできない」

「俺たち技術局は政府の機関だ。政府用の秘密の周波数を使っている。ジャミング不可のやつだ。すでにお前たちのことは通報済みだ」

 そう井坂は叫ぶ。

「そうなのか!?」と小声でデュラス。「初耳だ」

「もちろん嘘だ」井坂が小さく答える。


 井坂は手で三人に合図をした。時間稼ぎもここまでだ。

 最初に撃ったのはライズ技官だった。手にした散弾拳銃のストックを伸ばすと肩に当てて撃った。

 発射された無数の散弾が面の圧力となって黒ローブの一人を吹き飛ばす。

 井坂とデュラスもそれに続いた。二人が持っているのはレーザー銃だ。それで左右の森を薙ぎ払う。たちまちにして炎が上がり森の中から悲鳴が上がる。

 レイチェルはコルトパイソンマグナムだ。太い発砲炎が閃き、真ん中の黒ローブの顔に火花が散ったと見えると背後にもんどり倒れる。

 倒れた黒ローブたちはよろよろと立ち上がると森に逃げ込む。

「くそっ。ボディアーマーか。それも相当いいヤツだ」とデュラス。

「せっかく顔に命中させたのに。フルフェイスの防弾ヘルメットね。もう少しで首の骨を折れたのに」レイチェルが悔しがる。

「よくそんな銃を撃てるな」井坂が関心する。

「お父さんに鍛えられたからね」レイチェルが笑う。「でも弾は残り四発。あくまでもお守りだから予備弾は持っていないのよ」


 そのまま銃撃戦が始まった。

 レーザーを撃つが相手にはあまり効かない。相手は黒ローブの下に対レーザー用の鏡面服を着ているのだ。命中すればローブは燃え上がるがその下の鏡面服を突破できない。レーザー銃程度では連続で命中させない限り歯が立たないのだ。

 ライズとレイチェルのは質量弾だがこれも軍用ボディアーマーを抜くことができない。

 こうなると井坂たちには分が悪い。

 たちまちにして車のドアは穴だらけになる。そのまま追い込めるとみて襲撃者たちが森から姿を現す。できる事なら捕獲しろとの命令が出ているのだろう。でなければ四人は当の昔に死んでいる。

 ついにライズとレイチェルの手持ちの弾が尽きた。井坂とデュラスのレーザー銃も空警報が出る。

 とうとう四人は追い込まれた。

「てこずらせやがって」

 邪神教徒の一人が森から姿を現した。

「ガウガウ」言うなりライズが役立たずになった散弾拳銃を投げた。

 それは邪神教徒の頭にぶつかった。地面に気を失ったそいつが転がる。

「ナイス。ライズ」デュラスがやけくそで誉める。

 四人は無数の銃に囲まれた。万事休すだ。

「お前たち、自分たちが邪神軍を召喚したと言っているが一体どうやったんだ?」と井坂。

 これに黒ローブは食いついた。自慢がしたくて溜まらなかったらしい。

「心からの儀式と聖なる生贄でだ。素晴らしい努力だったよ。我らの呼び声に答えてあの邪神たちが現れたときの喜びときたら言葉にすらできないものだった」

「偶然だよ」井坂技官は指摘した。「あれほどの巨大な存在が君の呼び声に耳を傾けるとは思えない。アザトースは全長四百キロあるんだぞ。それに比べて君はせいぜい2メートルだ」

「体の大きさは関係ない。神はその信者の真摯な祈りに答えたのだ」

「世界を滅ぼしてくれとでも願ったのか?」

「この腐りきった世界を清浄となし、新しい王が君臨するのだ」

「その王が自分だとでも?」

「それの何が悪い?」

「お前には無理だ」

「無理かどうかはやってみないと分からんよ。現に邪神様を呼び出すことができた」

 リーダーの黒ローブは手を振った。人間を捕獲するためのネットガンを持った者が出てくる。

「手こずらせてくれた礼に最後の晩餐は無しだ。次は儀式の間で会おう」

 黒ローブは合図した。

「撃て!」

 次の瞬間は静寂が支配した。

 異変を感じて黒ローブのリーダーが部下に向きなおる。背後では最後の一人が崩れ落ちるところだった。

「いったい何が!?」

 そう言いながら黒ローブのリーダーも崩れ落ちる。


 一つの黒い影が四人の前に立っていた。

 背後で燃え上がる森が投げかける明かりの中で、そいつは全身漆黒に塗られたマネキン人形のように見えた。

 それは右手を井坂に向けて伸ばすと言った。

「敵は全員眠らせました。

 井坂技官ですね?

 あなたに話があります。

 とても大事なお話です」

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