第23話 3】木星会戦:総力戦:決着

14)


 共有通信周波帯は悲鳴にも似た怒号で満ち溢れていた。その内容はどれも同じ。『撃ちまくれ』だ。

 もうここまでくれば戦術も何もない。どちらも最後の奥の手まで使い尽くした。後はどちらかが潰れるまで正面きって殴り合うだけ。


 邪神船イタカが水蒸気を噴き上げながらビームを狂ったように乱射する。

 近寄らせたら負けなのだ。たった今、コア部に開いた大穴にミサイルでもレールガンでも撃ち込まれたら大爆発もあり得る。そこには大量の反物質を使ったエネルギー炉があるのだ。


 人類軍も負けてはいない。

 戦艦が防御を完全に無視してレールガン砲弾をここぞとばかりに浴びせかける。レールガン砲身の振動は決して止まない。命中精度の低下をイタカに肉薄することで代わりに補う。ミサイル残弾数は後わずかだ。

 主兵装がレールガンである巡洋艦はもっと強烈だ。船体から対空レーザーをハリネズミの針のように撃ちながらハチの群れに飛び込む。レールガンの過熱も気にしない。冷却用の水蒸気が船の機動バーニアから噴き出す。反動で強烈な横滑りをした直後にイタカのビームがたった今まで巡洋艦がいた位置を薙ぎ払う。

 すべてのミサイルが一切の戦術を捨てて突進を開始する。それに応じてイタカも手持ちのすべての生体艇を放出する。その中には今まで見たことがない形の化け物も含まれていた。

 イタカが搭載する全生体艇の総数は五万匹。その内一万匹はすでに撃破されている。

 突進していた戦艦の一隻の回避が間に合わず、まともにビームを受ける。反転して無事な側の装甲を向ける隙さえ与えずに、次のビームが開いた破孔から飛び込みその内殻をこんがりと焼き上げる。後に残るのは赤く輝く金属の殻だけだ。

 一方、イタカの砲門の内の一つは動きを止めている。長い砲身の中央が熔けて裂け、青白い輝きがそこから漏れている。観測機器はその内部が数十万度に及ぶことを確認する。

 生き残っていた駆逐艦の一隻に突進したムカデが巻き付き丸ごと爆発する。

 駆逐艦の大部分は反物質弾を撃つ機会が無いままに破壊されている。中に一隻だけダメで元々と射撃を行った艦もあったが、その砲弾はハチの群れに衝突してこれを四散させ、自分も軌道がずれてそのまま虚空に消え去った。



 スクリーン上では勝率50%の数値が踊っていた。

 戦況は五分と五分。どちらも隠していた手札は出し尽くした。

 人類軍は切り札の反物質砲弾をすべて使い尽くした。大型レールガンも照準を行うサポート・シップが無ければ宝の持ち腐れだ。

 さらには唯一の利点であったステルス被膜ももうない。残った艦船はイカスミに隠れてイタカの照準をごまかしながら動いてはいるが、回避機動のたびにイカスミは霧散して意味を失う。

 一方のイタカも過熱で焼け死ぬ寸前だ。砲身の一本は機能を失い、エネルギー炉の真上には大きな穴が開いている。放熱用の帆膜も尽き、後は僅かに残る冷却水に頼るだけだ。これが尽きたら自爆に近い末路だけが待っている。

 すべての生体艇は放出し終わった。これ以上はない。遥かに後方に控えているヨグ=ソトホートたちからの救援は時間的に間に合わない。


 こうなると後はどちらがよりタフかで勝敗は決する。


 生き残った人類艦から無数のレールガン砲弾が降り注ぐ。

 砲弾の一発でも破壊された穴を突破してエネルギー炉に命中すれば、そこにある大量の反物質が大爆発を引き起こす。そうなればさしものイタカも息の根が止まる。

 生体艇がイタカの破壊された船体の穴の上に自分たちの体で肉壁を作る。生体艇にはほとんど装甲はないが、それでも飛んでくるレールガン砲弾の軌道を逸らすぐらいのことはできる。


 ビームが飛ぶ。砲弾が飛ぶ。尽き欠けているミサイルが飛ぶ。

 無数の爆発が漆黒の虚空を彩るかのように咲く。核爆発の白に染まったオレンジ、IECM爆発の紫がかった青の閃光。

 その中をより激しく輝く青のビームが飛ぶ。

 今しも巡洋艦の一隻がそれに貫かれて死んだ。前半分を丸ごと削られて残りは漂流を始める。艦内警報が鳴り、救命艇の射出が始まる。

 ハチやワイバーンの群れが螺旋状に延び、戦艦を迎えうつ。群れにたかられて身もだえする戦艦にピタリと追従し、あらゆる開口部にレーザーと粒子ビームを浴びせて傷口を広げていく。対空砲火がハチの多くを叩き落すがそれを上回る数の増援が後から後から湧いてくる。

 群れにわずかに混ざったトンボが開いた傷口に邪神兵を投げ込み、戦域は船外の対空戦闘から船内の白兵戦へと移行する。やがて戦艦のエネルギー炉が沈黙し、金属の巨獣は沈黙した。


 観測艇イシュタールの船上でイサカ技官が叫ぶ。

「くそっ! くそっ! くそっ!」

 人類軍の艦船が沈黙するたびに勝率カウンターの数値がじりじりと下がっていく。

 邪神軍も損耗しているがそれでも人類軍の損耗の方が影響が大きい。もともとの戦力差が桁違いなのだ。



15)


 観測艇イシュタールの中では技官四人が戦況スクリーンを睨んでいた。

「消耗戦だ」デュラス技官が感想を漏らした。

「消耗戦ね」とレイチェル技官。

「消耗戦はまずい。こちらには余裕はない」井坂技官が唇を噛んだ。

「トレル・タキ・イズル・エル」ライズ技官が呟く。

「何て言っているの? というよりどこの言葉?」レイチェルが聞いた。

「古代ゴート語だ。相手を呪うための言葉だ」とデュラス技官が解説する。


 井坂技官は無言で戦況分析AIを調整している。

 赤く輝くのはこれまでの戦況データから割り出したこれから先の勝率だ。両者がこのまま消耗していった後に、どちらが生き残るかを示している。

 その数値はすでに10%を割っていた。元々から大きい数字では無かったが、邪神船イタカが新しい能力を見せるたびに大きく減っていった。こちらの反物質砲弾が命中したときは一気に勝率が上がったが、その後に続いた人類軍の戦艦や巡洋艦の撃沈のたびにその数字は減っていった。

「くそっ! 脱出船なんか作らずに戦闘艦を作っていれば」井坂技官が吐き捨てた。

「でもそうしていたら、私たち全員免職にされていたでしょうね」レイチェル技官が慰めた。「そしてもっと物が分かっていない連中がこの場を仕切っていたことになった」

 デュラス技官が唇を噛んだ。

「人類は愚かだ。戦うべきときに敵に背中を見せる」


 ついに戦艦群のミサイルが尽きた。巡洋艦も似たようなものだ。レールガンの半数は過熱で砲身が熔けている。

 生体艇の壁に穴を開ける手段が潰える。

 半壊した巡洋艦が独り居残った艦長により突撃を開始した。対空レーザーを乱射しながら生体艇の壁の中に飛び込む。最後にそこで大きな爆発が起き、すぐに集まって来た生体艇がそのすべてを覆い隠した。



 わずかに生き残った戦闘機群は補給のすべてを使い尽くし、ランデブーポイントへの撤退を始めた。

 弾薬が無いのでは彼らにもどうにもできない。

 すでに無傷の戦艦は残っていなかった。無事な片舷をイタカに向けながら、それでもミサイルを撃ち続ける。

 巡洋艦は最初から防御は諦めている。無防備な艦首を邪神船イタカに向けてレールガンを撃ち続ける。機動噴射だけでイタカのビームを避けているがそれにも限界がある。

 イタカの持つ戦術脳が人類軍の艦船のパラメータを分析し、その限界を明らかにし始めたからだ。それらは半分サイボーグ化された脳髄だが、人類軍のAIよりも高度な能力を持っている。時間が経てば経つほど命中精度は上がる。

 また一隻、巡洋艦がビームで半身を削られる。生き残りは救命艇で脱出を始めたが、それでも数名だけ残って艦を操り続けた。


 一発。

 ただの一発で良いのだ。

 分厚い生体艇の群れの隙間を縫って飛ぶ、奇跡の一発が戦況をひっくり返せるのだ。

 だが運命の女神は微笑まなかった。

 反物質砲弾を持つ駆逐艦はすでに壊滅状態だった。邪神船イタカが駆逐艦を優先目標に定めたせいだ。早い内に一発だけの反物質砲弾を撃ち、機動戦闘に移った駆逐艦だけがわずかに数隻生き残っている。残りの駆逐艦は突撃射撃体勢に入ったまま正面から飛んでくるビームの餌食になってしまった。


 勝率を現す数値は下がり続ける。邪神船イタカも相当な被害を受けているはずのなのに、それは想像を超えてタフだった。

 その数値はついに2になり、1になり、そして0になった。

 井坂技官は決断した。ぎりぎりと歯ぎしりをする。どんなに悔しかろうが、ここで躊躇う時間の一秒一秒で兵が次々に死ぬ。

「全艦隊に告ぐ。全軍撤退。それぞれに送信された退避軌道に従って離脱を開始しろ」

 井坂はそれを最後にがっくりと椅子に座り込んだ。



 椅子から立ち上がる気力が無かったので、リューダイ司令は背後を振り向くだけにした。

「全員ただちに退避しろ。ポイントDで駆逐艦アドラが待っている」

 ブラウンたち三人は顔を見合わせた。

「司令は? まさか残るというのでは?」

「ああ、その通りだ。スリング・サポートの戦艦ベーダは落ちたが、まだレールガン自体は生きている。サポート無しでは命中精度は低いがまだマグレ当たりがある」

「これ以上は良いでしょう。後はAIに任せて司令も引き上げましょう」

「それはできない。最後の最後でまた何か変化があるかもしれない。AI任せでは対処できん」

「では我々も残ります」ナイジャルが言った。「兵器の制御は私の担当です」

「総員退去だ。これは私の命令だ」

 リューダイ司令は少し間を置いて、続けた。

「頼むよ。少しはワシに恰好をつけさせてくれ」

「でも」とナイジャルは食い下がる。

「行け」

 それを最後にリューダイ司令は観測窓の方を向いて押し黙ってしまった。

 三人は少し待ったが、司令の背中の圧力に負けて、やがて出て行った。

 しばらく経ってから、政治家のリチャードソンが両手に空のグラスを二つ持って入って来た。両脇にはワインの瓶を二本挟んでいる。

 リューダイ司令が慌てた。

「リチャードソンさん。どうして。すぐにエアロックに走って。まだ追いつけるかもしれない」

 リチャードソンは司令の向かいの席に座る。そっと顔の眼鏡を外し、実直そうな顔を晒す。

「いいのですよ。地球を立つときに覚悟はしてきました。実はいまさら地球に戻ってもやることが無いのですよ」

「そんな、あなたは地球に帰るべきだ」

「貴方と同じですよ。私にも恰好をつけさせてください」

 持って来たグラスにこれも持参してきたワインを注ぐ。

「安物ですがよい酒ですよ。地球では毎日飲んでいた。もう勤務時間外ですから飲んでも良いですよね」

「ご相伴に預かります」

 二人で乾杯した。

「地球の勝利を祈って」

 しばらく二人で戦況スクリーンを眺めながら過ごす。

 邪神船イタカの周りから生き残った人類軍の艦船が離れていく。ハチの群れがそれを追い、激烈な対空戦闘が繰り広げられている。

 もはやイタカはビームを撃っていない。過熱のせいもあるが、勝負が決着したので撃墜よりも人間の捕獲の方に重点を置いているのだろう。

「我々にできることはレールガンでイタカを撃ち続けるだけです。この基地のレールガンは大きすぎて対空には向かないので」

「スリング・サポート無しで当たりますか?」とリチャードソン。専門は政治なので兵器についてはからっきしだ。

「遠距離では当たりません。イタカが近づいてくればそれに連れて命中率は上がります。ただし、十分に命中率が上がる前に向こうのビームの有効射程内にこちらが入ってしまいます」

「最後は自爆ですな?」

「残虐放送に出演したくなければそうです。この司令室の床下にはIECM爆薬が敷き詰めてあります。肉片一つもやつらには渡しません」

「私たちがここで撃ち続ける限り、少しはイタカの気も惹けるでしょうね」

「確かに。もしイタカの腹に開いた穴にでもマグレ当たりすればイタカを轟沈させることもできるでしょう」

「ならば無駄死にではないということです」

 リチャードソンは椅子の上で身を乗り出した。

「実はその、司令にお願いがあるのですが」

「はい、何でしょう」

「私にもレールガンをやらを撃たせてもらえないでしょうか?」

「いいですね。では交互に撃つといのはどうです。見事に命中させた方が人類の救世主ということです」

「その話、乗りましょう。ではお互いにワインを一杯飲みほしてから撃つということにしましょう。酔っていれば砲弾もマグレ当たりしやすくなるかもしれません」

 お互いに馬鹿を言っているのは分かっていたが、今はこれも良い。

 リューダイ司令はAIに命じて、二人のテーブルの前にホログラムの赤いボタンを投射させた。

「レールガン冷却完了。次弾装填完了。自動照準完了」基地管理AIが報告する。「現在の命中確率2%。ただし敵生体艇による妨害は計算に入れていません」

「その妨害を計算に入れた場合は?」

「およそ一億分の一程度です」

「一億回ボタンを押せば一回は当たるということか」とリチャードソン。

「実際にはもっと少ない回数で当たりが出ますよ」とリューダイ司令が補足してから、目のまえの赤いボタンを指さした。

「では、リチャードソンさん。最初に救世主になる権利をあなたにお譲りします」

「ありがとう」

 リチャードソンはグラスの中のワインを一息に飲み干すと、目の前の赤いボタンをそっと押した。

 基地の周辺のレールガン群が震え、二十発の砲弾が発射される。

 リチャードソンはリューダイ司令のグラスにワインを注ぐと、二人して次の発射準備の合図を待った。



16)


「かくして我々の勇猛なる進軍により邪神軍は恐れをなし降伏を宣言するに違いない!」

 アホウ大将ことフェルディナント将軍は仮想会議室の中で居並ぶ艦長相手に気持ちよく大演説を続けていた。

 そう言えば喉が渇いたなと思い、飲み物を持ってくるように船のAIに命じた。

 もう長い間こうしているような気がする。ちらりと時計を見たが戦闘開始予定時間までまだ間がある。

 今日はいつもより時間が流れるのが遅いなと感じた。きっとこうして熱弁を揮っているからだろうと勝手に思った。


 そのときチャイムが鳴り、仮想会議室の映像が消えてフェルディナント将軍は現実に引き戻された。

「何だ。何が起きた」

 柔らかな音声がそれに応える。

「こちら現実シミュレートアプリのタヌキです。予め設定された条件に達したためシミュレーションを中止します。毎度のご利用有難うございました」

 時計の映像が揺れた。時間が一気に進み本物の時刻を表示する。

「何だ。何が起きた」

 フェルディナント将軍は同じ言葉を繰り返す。頭が悪い人間の特徴通りに、将軍はボギャブラリが多い方ではない。

 ドアが開くと艦長のアイリーンが飛び込んで来た。

「ああ、よかった。フェルディナント将軍。ご無事でしたか」

「何だ。何が起きた」

 またもや同じセリフだ。

「当艦は出所不明のプログラムに通信系統を奪取されていたのです。つい先ほどまで将軍の部屋もロックされていて開けられなかったんです」

「どういうことだ?」

「つまり船がハイジャックされていたんです。通信もできないし、扉も開かない状態だったんです」

「馬鹿な。一体どうして」

「将軍。少し前に外部からの通信を受けていませんか。秘匿回線で。そのときに秘匿回線にコードブロックを入れ忘れていませんか。それでハッキングされたんです」

「なに!?」

 フェルディナント将軍は愕然とした。コードブロックとは何だ。今まで一度もそんな操作をしたことはないぞ。

「ご存じなかったんですか? 各艦毎に初期登録者はコードブロックは自分で設定するのが慣習なのですよ」

「知らん。知らんぞ。ワシは」

 アイリーン艦長は姿勢を正した。実はすべてを知っていたことは口が裂けても言えない。

「済んだことを責めるつもりはありません。フェルディナント将軍、何がありました?」

「いや、ワシは艦長会議を」


 そういえば艦長会議にはアイリーン艦長も出ていた。

 ではあの会議はいったい?


「すべて仮想で作られた会議でしょう。AIによるシミュレーションだとはお気づきにならなかったのですか?」

 敏感な人間なら当然気づくという含みが含まれているのだが、フェルディナント将軍は気づかなかった。

「待て。だとするともう戦闘は始まっているのか?」

「分かりません。当艦は今まで通信封鎖状態にありましたから。ママさん。外部の戦況を出して」

 その言葉に応じて船のAIが戦況ディスプレイを出す。

 全艦撤退中のテロップが点滅する。

 しばらく戦況をチェックしてからアイリーン艦長は深いため息をついた。予想通りだ。

「我が軍は壊滅状態です。邪神軍の追撃が来ます。すぐにでも」

 逃げ切れるだろうか、とアイリーン艦長は思った。前回は勇敢な戦闘機パイロットの犠牲によりかろうじて逃げ切れた。今回はどうだろう。

 現地点はポイントD。自陣の中でも一番後方の地点だ。そしてこの駆逐艦アドラは新型エンジンのお陰で全駆逐艦の中では一番高速だ。

 逃げ切れるかもしれない。

 事態を飲み込むにつれフェルディナント将軍の頭に血が上った。

「馬鹿な。どうして。ワシの作戦に従えば今頃は人類軍の大勝利は間違いなかったのに」

 それを聞いて、この馬鹿はいったいどこまで愚かなのだろうとアイリーン艦長はうんざりした。ここまでの戦況はこっそりと眺めていた。どちらもあらん限りのトリックをかけての騙し合いだ。これがもしアホウ大将の指揮の下だったら、最初の数分で人類軍は全滅していた。


 フェルディナント将軍はしばらく歯を食いしばって俯いていたいたが、やがて顔を上げた。

 戦況ディスプレイ中では無数の救命艇がランデブーポイントD目掛けて突進している。その背後からハチの群れが一群れ追いかけている。さらにそれを巡洋艦の一隻が間に割り込もうとして対空戦闘を繰り広げている。ハチと小型ミサイルがお互いを食い合って見る見るうちに両者の数を減らす。

 だがそれでもハチの群れは無数に残っている。

「発進だ!」フェルディナント将軍が吠えた。

「は?」一瞬、フェルディナント将軍が何を言っているのか分からなくなりアイリーン艦長の目が宙を泳いだ。

「ただちにアドラを発進させろ。邪神軍が来る前に」

「当艦の使命はここポイントDで救命艇を回収することです。発進はその後になります」

「それでは間に合わん。見ろ、戦況ディスプレイを! 奴らが迫って来るぞ。すぐに発進するのだ」

 パニックになったフェルディナント将軍は壁を叩いた。人に何かを命じるときには何かを叩くのが効果的だと体で覚えている。

「できません」アイリーン艦長は首を横に振った。

「わかっていなようだな。アイリーン艦長。これはお願いではない。命令だ」

 うわ、この言葉を本気で使う馬鹿が本当にいたんだ。アイリーンは呆れた。

「では、フェルディナント将軍。私より上位の指揮権を持つ将軍閣下がじきじきに駆逐艦アドラに緊急発進命令を出すということで間違いはありませんか?」

「そうだ。すぐにやれ」

「分かりました。命令を拝領し、実行します。フェルディナント将軍」

 AI音声に似せた声でアイリーン艦長は答えた。この皮肉が少しでも通じてくれれば良いのにと願いながら。


 踵を返して部屋を出ていきながら、後に残していく救命艇の人々に対する罪悪感がアイリーン艦長の胸の中を責めさいなんだ。だがそれでも少なくとも迫りくる邪神軍からは逃げることができそうだ。

 そう安堵する自分をアイリーン艦長は恥ずかしく思った。

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