第22話 3】木星会戦:総力戦:反撃

11)


 邪神船イタカはひたすらその時を待ち続けていた。

 待っているのは観測脳からの報告だ。

 軽い痛みの信号となって待望のその報告がやってきた。

 あの厄介な基地大型レールガン。その照準をつけているのがステルスに隠れた何らかの艦船であることは分かっていた。

 厄介なことにそのステルスは他のものよりも念入りであり、先ほど行った電子ビーム攻撃でもそのステルスを暴くことはできなかった。

 恐らく分厚い無反射性の煙幕の雲の中に隠れているのだろう。広域放射の電子ビーム程度ではその分厚い煙幕を撃ち抜くことができない。というよりは撃ち抜いてもすぐに周囲の煙幕により穴が塞がってしまう。

 宇宙空間に散布された煙幕は絶えず霧散してしまうので長時間これを続けるには最初から煙幕剤の莫大なストックが必要になる。だが機動操作自体を最初からまったく行わなければそういった損耗を最小限に抑えることができる。

 イカスミはまさにこの種の任務にはうってつけのステルス技術なのだ。


 スリング・サポート。大きなケーブルの輪を作ってそれに電力を供給して磁場を作る。その中を通るレールガン砲弾の軌道をそれで精密に調整し正しくイタカに照準する。これが無いと、誘導装置の無いレールガン砲弾は命中精度が極端に落ちる。

 ステルス化してある輪は見えないが砲弾の軌道を変えているのだから、次々に変わるレールガン砲弾を演算で追跡すればその巨大な輪がどこに形成されているのかがわかる。そして自ずからそれを操作している艦船の位置も判明することになる。隠れているだいたいの場所の見当さえつけば、そこを集中して超高解像度スキャンをかければステルス艦と言えども見つけることはできる。

 このためにイタカは長い時間をただ耐えてきたのだ。


 邪神船イタカは命令を下した。四門の荷電粒子砲が輝き、隠れている艦船のもっとも存在確率が高い位置を中心に螺旋状に最大強度のビームを放射した。荷電粒子砲の温度を示す数値が危険域に一気に跳ね上がったがそれは無視した。

 今が勝利への分岐点なのだ。

 放射されたビームはイカスミの膜を貫き、戦艦ベーダを撃ち抜いた。ビームは途切れることなく弧を描いて戦艦の装甲をまるで紙であるかのように切り裂き通り過ぎる。続いて次のビームがやや大きな弧となってその横を通りすぎ、さらに次のビームが続いた。

 全長620メートルのビヒモス級戦艦が無数のパーツに分断され、砕けちった。どの部分もビームの周辺に形成される二次輻射を受けて赤く輝いている。もしここに酸素があれば大爆発していたレベルだ。

 この恐るべき四連撃のために、戦艦ベーダの乗組員は一瞬で全滅した。後に残るのは元は戦艦だった赤熱するデブリの山だ。


 射撃の効果を観測して、邪神船イタカは満足した。一番厄介な敵が片付き、これで反撃に入ることができる。


 次のモードに入るべきときだ。



「戦艦ベーダ。通信が途絶えました」観測艇イシュタールの艦載AIが報告した。

 井坂技官はテーブルに拳を叩きつけた。

 通信が途絶えるというのは各艦船が最後まで発信し続ける生存情報も消えたということだ。つまり戦艦ベーダは完全消滅したということになる。

「アーダイン艦長の魂に安らぎあれ」

 歯を食いしばりながら井坂技官がそういうと全員が黙祷した。

 スクリーン上では勝率カウンターが20%あたりで固定されている。やはり大型レールガンが役立たずになったのは痛い。

「イタカに動きがあります」場の雰囲気を無視して艦載AIのアイが続けた。

 スクリーンに邪神船イタカの映像が出る。

「これは!」全員が絶句した。


 今まで平行だったイタカの砲身の配置が崩れている。一本の砲身を前に向けたまま、残り三本の砲身がイタカの後半部の球を中心に位置を変えている。

 その意味に気づいた井坂技官が叫んだ。

「いかん! これは全方向攻撃モードだ。じきにイタカに死角はなくなる」

 仮想キーを叩き込み、命令を各艦に伝える。

「巡洋艦隊、回避行動を取れ。戦艦隊、巡洋艦を援護しろ」

 その間も砲身は動き続け、それは最終的にテトラポッドの配置へと変化した。四本の砲身が全方位を睨んでいる。

 四本の砲身から同時にビームが放たれた。それを受けて二隻の巡洋艦が爆散する。

 これではどの位置にいても最低2つの砲から射撃されてしまう。ビーム屈折による威力の低減を射撃本数で補う形だ。

「だがそろそろイタカの過熱も限界のはずだぞ」とデュラス技官。

「ブーンブーン」とライズ技官。意味はもちろんフラグを立てるなだ。

 その言葉に応じるかのようにいきなり真っ白な煙がイタカの周囲を埋める。それはぐんぐん宇宙空間に広がると最後には微かな煌めきだけを残して消えた。煙は後から後からイタカから噴き出してくる。

「爆発!?」レイチェル技官が問うた。

 それに答えたのはデュラス技官だ。スペクトル解析映像をチェックしている。

「いや、雲の解析結果は水蒸気だ。おそらくイタカの緊急冷却システムだ。見ろ、船体温度も砲身温度も急速に下がっている。うちのアイスを使った冷却方式と同じだ。だが水を使った冷却システムだとすれば手持ちの水には限界がある」

 デュラス技官は管理AIに命じて推定量を計算させる。

「問題は、それがどのぐらいあるかだな」

 井坂技官はそう呟くと、全艦通話につなぎ通達した。

「全軍、撃ち続けろ。ここからは我慢比べだ」


 後はただ祈ることしかできない。井坂技官は椅子に背を預けて目を閉じた。

 自分が立てた作戦に従って、これまでにどれだけの人が死んだだろう?

 そしてこれからどれだけの人が死ぬのだろう?

 だが今はそんな感傷に浸っている場合ではない。

 それに、そろそろ切り札が届くころだ。


 ただその時をひたすら待っていると、観測艇イシュタールに通信が入った。

「観測艇イシュタール。そちらに届け物がある」

 それだけ言うと通信は切れた。

「何だ?」と井坂技官。

「さあね」デュラス技官は肩をすくめた。

 ステルス連絡艇が近づいてきた。ステルス状態を破らないようにマイクロレーザーバーストで認証を行う。

 ドッキングした。

 後の操作を船管理AIに任せて後部貨物ハッチに向かう。そこには密封コンテナと並んで一人の宇宙服姿の男が立っていた。男は二人の技官を見ると敬礼した。

「クラフト少尉であります。サー。贈り物を届けに参りました」

 密封コンテナは恐ろしく頑丈に作られたコンテナで船が事故にあった場合でも荷物だけは生き残る目的で作られている。

「中身は何だ?」井坂技官が訊いた。

「捕らえたての捕虜であります。生きているかどうかは不明ですが生きが良いことは保証します」

 素早く密閉コンテナ内部の状態を測定する。核物質の存在を示す放射線は検出されない。さすがに邪神軍でも歩兵に核爆弾は仕込まないようだ。

 すぐに管理AIが操るロボットによるコンテナの固定が始まった。

「では私はまた戦線に戻ります」

 そう言って立ち去ろうとしたクラフト少尉を井坂技官は押しとどめる。コンテナにつけられた情報タグを示す。

「このまま本艇に乗船したまま地球に帰還せよとの命令がある。命令元はアルマン中尉だ」

「しかしあそこには戦友がいます」クラフト少尉は抗議した。

「君はパイロットだ。戦闘機がなければ何もできん。議論の暇が惜しい。こちらに来なさい」

 井坂技官は厳しく言うと後ろも見ずに司令室に戻った。

 今の戦況は一瞬たりとも目を離すわけには行かないのだ。

「機嫌が悪そうに見えるが元からああいうやつなんだ。悪く思うな」デュラス技官はクラフト少尉にウィンクした。



12)


 切り札の駆逐艦群はステルスモードで加速していた。低温ガスによる静かな加速だ。

 低推力だけに、駆逐艦の軽い船体でも速度が蓄積するまでには時間がかかる。

 最初はステルスモードで邪神船イタカをやり過ごした。その後は低推力でイタカをずっと追っている。

 遊弋航法を使うイタカの最大速度には限界がある。一方で反動推進を使う人類軍の最大速度は推進剤がある限り限界はない。

 最初はイタカとの距離が離れるばかりだったが、やがて速度は順調に上がり、今度はじりじりとイタカと駆逐艦群の距離は縮まり始めた。特に帆膜への人類軍の集中攻撃が始まってからはイタカの速度の低下は著しい。イタカの帆膜は放熱用でもあるが何か真空の宇宙を渡る謎の風を受けての推進システムでもあるからだ。

 そして今ようやく、レールガンの射程距離に入ったのだ。

 宇宙空間ではレールガン砲弾が届く距離には限界はない。だが離れれば離れるほど無誘導のレールガン砲弾は命中率が激減する。つまりは確実に当たる距離が射程距離ということになる。

 特に切り札が各駆逐艦につきたった一発しかない場合は外したらやり直しがきかない。


 邪神船イタカの注意が戦艦や巡洋艦に向いている今しか接近のチャンスはない。

 そしてイタカと駆逐艦の射線を邪魔しているのは生体艇の群れだけだ。


 ついに突撃命令が発令された。

「全駆逐艦。散弾モードでレールガン射撃せよ」

 命令と共に駆逐艦のレールガンから直径5ミリの金属球がみっちりと詰まったポッドが発射される。それは射出直後に爆発すると無数の散弾となって駆逐艦前方の空域を満たした。

 近くにいたハチたちが穴だらけになって分解する。それより先にいたハチには効果が薄いが、それでも数発のマッハ20の散弾を食らって、体のかなりの部分を失って痛みに宙を転げまわるハチも出る。

 撃つ。撃つ。撃つ。

 前方の空間をどれだけの散弾で満たせるかがカギだ。

 無数のハチが弾け飛び駆逐艦の前方で待ち構えるハチの群れのど真ん中に穴が開く。

 艦隊通信機から命令が轟く。

「射撃可能になり次第、個々の判断で切り札を撃て」



 駆逐艦颯(ハヤテ)は突進していた。各艦の名称はそれぞれの出資国が決めている。この艦はもちろん日本連合出資の船であった。乗組員も日本人で固めてある。

 駆逐艦颯はわずかに変針して前方のハチの群れを避ける。それからまた再変針して邪神船イタカに狙いを定めた。レールガン散弾を撃ちながら突進すれば楽なのだろうが、冷却システムが脆弱な駆逐艦のレールガンはそれほど連射できない。肝心なときに過熱して切り札を撃てないのでは本末転倒だ。

 襲い来るハチの群れに対しては周囲に放出しておいた小型ミサイルだけが頼りだ。それを突破したものは対空レーザーが穴だらけにする。

 時たまレールガン散弾がハチの群れに穴を開けるがその穴はすぐに埋まってしまう。

 だがそれでもイタカの注意は駆逐艦には向いていない。その攻撃は戦艦と巡洋艦に向けられている。攻撃力が低い駆逐艦など眼中に無いのだ。

 それでもイタカに近づけないのは単純に湧き出てくる生体艇の数が多すぎるからだ。敵生体艇は邪神船イタカの装甲の下から無尽蔵に出てくるように見えた。


「焦らずに待つんだ」

 駆逐艦颯の山本艦長は自分に言い聞かせるように呟いた。

 その間にも巡洋艦がさらに二隻破壊された。今まで回避一辺倒だった戦艦たちが恐れることなく前進し、持てるすべての攻撃力を投射する。どちらもイタカの注意を駆逐艦へ向けないための囮に徹している。

 邪神船イタカの全体に装甲に弾かれたレールガン砲弾の最後を示す無数の火花が散る。運動エネルギーは熱へと変わり、砲弾それ自体を蒸発させる。だがイタカの上にはこれといった被害は見えない。

 なんという頑丈さだ。イタカの装甲は。

 山本艦長は舌打ちした。

 その一瞬、駆逐艦颯の前方に奇跡のように生体艇の隙間が開けた。複雑な生体艇同士の衝突の末のちょっとした計算ミス。疲れたイタカの戦術脳のほんの少しの意識の途切れ。

 それこそは千載一遇のチャンス。

 山本艦長が叫ぶ前に、あらかじめ出された命令に従い、艦載AIが切り札の射撃命令を出した。

 一発のレールガン砲弾が邪神船イタカに向けて飛ぶ。

 それは戦況スクリーンの上で輝点となって突き進んだ。ブリッジにいる全員が見つめる中でその砲弾を現す輝点はイタカを示す光点へとするすると近づいていった。


 反物質砲弾。地球側がその総力を挙げてほんのわずかだけ生産できたものだ。このために木星ステーションの全核融合炉が暴走寸前まで酷使され、急遽建造された粒子加速器が日夜を問わず生成して集めたもの。

 貴重な人類軍最強兵器。


 撃ちだされた反物質砲弾は邪神船の装甲にぶつかった。

 砲弾の特殊粘着外殻が砕け、邪神装甲に張り付く。同時に内部のシールが破けて、今までその中に真空隔離封鎖されていた20キログラムの反物質が邪神装甲に接触した。

 解放されたエネルギーは約1ギガトンに及ぶ。

 虚空を輝かせるには十分であった。




 装甲表面を直撃したこの反物質の爆発にはさしものイタカもその船体を震わせた。

 何よりも装甲に食い込んだ状態で飛び散った反物質が装甲を構成する原子構造を侵食したのが問題であった。邪神技術で強化してある装甲の大部分がただの原子のチリに分解し、船殻のかなり奥まで熱と衝撃が浸透したのだ。

 全長10キロメートルのイタカ全体が振動した。

 全身を巡る疑似神経が叫びを上げ、直撃を受けた装甲面が剥離する。

 邪神装甲第一層が砕け霧散して、その下の邪神装甲第二層が露出する。

 イタカはこれほどの被害を受けたのは数千年ぶりであった。

 だがそれでも人類軍の戦艦ならば丸ごと蒸発させるだけのこの爆発もイタカを機能不全にするには及ばなかった。

 解析脳の報告からイタカは自分に何が起きたのかを知った。背後からいきなり出現した小型艦が放った一撃が大容量の反物質砲弾だったのだ。

 人類軍の一番小さくて軽い船が最強の武器を搭載していたのだ。イタカは完全に虚をつかれてしまった。慌てて脅威優先度を切り替えた。

 たった今まで何の脅威にもならなかった船が今は最大の脅威だ。一撃でイタカの三重邪神装甲を抜く力はないが、同じ場所に続けて攻撃を食らうとすれば話は別だ。そして敵は当然ながらそうして来る。


『迫ってくる小型艦船をすべて破壊せよ』


 イタカは狂った。

 すべての砲門の照準が駆逐艦につけられ、すべての生体艇の狙いがこの針のように細い駆逐艦に切り替えられた。

 たった一発の反物質砲弾を使いきった駆逐艦颯は持てるすべてのミサイルをばら撒きながらイタカの脇をすり抜けて逃げた。



13)


 ブルマン准尉は眉を上げた。

 イタカ表面で反物質の強烈な光輝が沸き上がった後に、急に周囲のハチの動きが変化したのだ。すべての生体艇がブルマンたちの戦闘機を無視してイタカ後方へと向きを変えたのだ。レーザー砲を撃ち込んでも回避もしないし反撃もしない。一糸乱れぬ動きで背後から迫る駆逐艦部隊へと殺到し始める。

 邪神船イタカは反物質レールガン砲弾を撃って来る駆逐艦が一番の脅威だと理解したのだ。それに比べれば戦闘機群は何の脅威にもならない。

 戦闘機が持つどんな武器も邪神船イタカに被害を与えることはないからだ。


 そこが狙い目だ。ブルマン准尉はにやりとした。ようやく自分の出番が来たのだ。

 キーを叩き従属ドローンの制御をバーンズ機に譲渡する。これであと腐れはない。

 今や障害物の無くなった宇宙をブルマン機は驀進し始めた。アフターバーナーを最大に吹かし、恐るべき加速で弾かれたかのように進む。

 狙いはテトラポッドの中心部、エネルギー炉があると思しき部分だ。水蒸気を噴き出すということはその下に冷やさないといけないものがある。そう判断した。

 できれば先ほどの爆発の痕に叩き込むのがよいが、角度的に無理とみて一番単純な方策を取った。つまり最短距離で突っ込むのだ。


「バーンズ少尉。俺はこのまま行く。お前はここで引き返せ!」

 バーンズ少尉は答えない。どのみち何を言っても命令違反になりそうだ。ただ無言でブルマン機を追尾する。ドローンたちも無駄な戦闘は止め、ただ二人を追尾してくる。もはや彼らを撃って来る生体艇はいない。

 フィズ少尉が済まなそうな声で報告した。

「当機はガス不足で引き返します。残りのドローン機の制御をそちらに譲ります。神の恩寵があらんことを。以上通信終わり」

 ドローン機の切り替えの表示がつくと、フィズ機が変針した。予め決めてある退避ポイントに向かう。

 譲られたドローン機を編隊に組み込むと、ブルマン機はさらに加速した。


 宇宙戦闘機マーク4は秒速4キロ。マッハ11の速さ。地球で例えるならば地面に立っている人間が見える地平線ぎりぎりまでの距離を1秒で動く速さだ。

 この速度では敵の動きは人間の目では追えない。搭乗員の指示に従いAIが動きを判断するだけだ。人間は簡単な指示を出すだけだが、それでも相当な反射神経がないと機体をうまく制御はできない。

 まだグズグズ居残って前方に展開したままのハチの中を抜けざまに、残った機関砲と対空ミサイルを惜しげも無くばら撒く。

 最終突入コースに入った。ブルマン准尉はちらりとバーンズ機の位置を確認した。すぐ後ろだ。こいつはまったく人の言うことを聞かないヤツだ。ブルマン准尉は舌打ちしながらもニヤリとした。

 パイロットはそうでなくちゃいけない。上からの命令に従うだけのパイロットなんてクソ食らえだ。

 これから自分がやることにバーンズを巻き込みたくはなかったが仕方がない。

 井坂技官に用意して貰った二連反物質爆弾。それが今俺の足下に眠っている。邪神船イタカ、たっぷりとこれを食らうがいいさ。

「あばよ。みんな。今行くぞ。お前たち」

 土星で一足先に死んでいったパレード部隊の同僚たちを思い出しながらブルマン准尉は呟いた。齢百歳。長いパイロット生活の最後にふさわしい仕事だ。

 スコープの中でブルマン機の機動バーニアが止まるのをバーンズ少尉は確認した。一切の変針無しの直線軌道。自爆特攻シーケンス最終段階を示す特徴。

 今だ!

 バーンズ少尉は井坂技官に用意して貰ったボタンを叩きこんだ。緊急信号を受け、ブルマン機からコックピット部分が分離されて射出される。予め設定しておいた通りにAI操作でバーンズ機からネットが撃ちだされ、ブルマン准尉が入ったままのコックピットを捉えた。ブルマン准尉が何かを喚いていたがそれどころではないので無視した。


 最大変針、アフターバーナー全開、リミット解除。

 今までに感じたことのない凄まじい加速がバーンズ少尉を座席に押し付けた。それはネットの中のブルマン准尉も同じはずだ。

 コックピット内に投影される周辺映像の中で、足下に見えていたイタカの表面が恐ろしい速度で画面から流れ落ちる。永遠とも思える一秒の中で、ついに真っ暗な虚空が目の前を埋める。イタカからの離脱コースに乗ったのだ。

 追跡画像の中で、邪神船イタカのコアのど真ん中にブルマン機が衝突するのが分かった。


 すぐには爆発しません。そう話す井坂技官との会話が頭の中に蘇った。

「この爆弾は二つの反物質爆弾を組み合わせてあります。まず後部にある反物質爆弾が爆発し、その衝撃で前部の反物質をプラズマ化してさらに前へと撃ちだします。つまり爆発起点を中心とした反物質のシャワーを作り出すのです。これは前方にある物質の奥深くに浸透し、そこで対消滅を開始するようになっています。ただしその最初の爆発を浴びてもすぐには反応は始まりません。ライデンフロスト現象のためしばらくは相互の物質反物質は乖離した共存状態で存在するからです。でもじきに反応が始まり、その後は爆発的に連鎖することになります」

「それにはどのぐらい」

「予想では爆発から約3秒です」


 1秒。恐るべき加速でシートに押し付けられながらも背後に邪神船イタカを感じる。距離が2倍になれば爆発の余波は8分の1に、距離が3倍になれば余波は27分の1になる。少しでも邪神船イタカとの距離を取るのだ。


 2秒。追走していたドローン機が機動バーニアを爆発的に輝かせながら、バーンズ機の背後に集まり始める。有人機にはできない機動だ。もしそれに人が乗っていたら全身の骨が砕けて肉が引き千切れているほどの加速度だ。

 だがこれほどの加速の中でもイタカとの距離はなかなか開かない。


 3秒。一列に連なって邪神船イタカから離れる戦闘機群。加速度で骨がミシミシと音を立てる。地球重力下で腕立て伏せを五千回平気でこなせるバーンズでさえ、腕を上げることもできはしない。

 全身が痛みに悲鳴を上げる。

 鎖骨はもう折れたか?

 それともまだか?

 設定通りにドローン機が手持ちのイカスミを全部噴出する。背後に星の光を通さない黒い雲が広がる。このためにいつもより余分にイカスミを積んできたのだ。


 次の瞬間。背後が光で埋まった。すべての電磁波を遮るイカスミを通してさえそれは見えた。煌々と輝く光の地獄の出現だ。

 周囲が高エネルギー電磁波のシャワーで真っ白になる。致命的な量のガンマ線の放射だ。それを生体がまともに浴びれば一瞬で全身のDNAは分解する。まだ周囲に残っていたハチたちが光に砕かれ燃え尽きる。イカの表面がこんがりと焼け、そして爆発する。トンボの羽だけが吹き飛び、体は半分黒焦げになったまま元の軌道を直進する。

 遮蔽雲を形作っていたイカスミの大部分がガンマ線を吸収し、バラバラの原子のプラズマになってガンマ線自体の光圧で吹き飛ばされる。

 バーンズ機の背後ではドローン機たちが遮蔽物となって光を遮っていた。機体を横向きに変えて最大の影を作るようにして、主人であるバーンズ機を庇う。対レーザー用の特殊鏡面処理された装甲が、わずかに残ったイカスミを通して降り注ぐガンマ線を反射する。だがそれをもモノとせず透過した一部の電磁波が熱へと変じ機体表面に蓄積される。

 最後尾の一機の温度が急上昇を開始し、やがて限界を突破した鏡面装甲が焼け落ちる。そうなるとガンマ線をまともに受けるようになり、たちまちにして機体が溶融すると爆発した。続いて遮蔽物が無くなった次のドローン機の温度が上がり始める。


「対消滅反応はしばらく続きます」井坂技官の言葉が頭の中で再生された。

「どのぐらい」尋ねているのは自分だ。

「わかりません。邪神船の素材が不明なためです」


 また一機ドローンが爆発した。残るは三機。

 各機の機体温度をモニタしながらAI操作でひたすらバーンズ機は進む。

 これ以上リミッターを無視すればエンジンが爆発してしまう。そう判断したAIにより、リミッターが自動で戻りバーンズはようやく体を動かせるようになった。

「バーンズ! 貴様何をやった!」

 通信機からブルマン准尉の怒号が轟いた。

 この人は何てタフなんだ。バーンズ少尉は呆れた。今の加速度でもへばっていないのか。齢百歳でできる芸当ではない。

「自分はおやっさんを助けた。ただそれだけです」バーンズはそういうと一言付け加えた。「謝りませんよ」

 通信機の向こうでぶつぶつと何かを言う声がした。

 次のドローン機が爆発した。

 ネットの中の分離されたコックピットだけではブルマン准尉は十分な情報を得ることはできない。バーンズ少尉は状況を説明した。

「それにまだ助かったかどうかは分かりません。周囲は光の洪水です。盾になっているドローンは後一機、それももう持ちそうにありません」

 表示ディスプレイの中で最後のドローン機の温度がぐんぐんと上がる。その機体の陰になってかろうじてバーンズ機は生きている。

「イタカはどうなった?」

「それもまだ分かりません。対消滅光のお陰で計器のほとんどが死んでいます」

 そのとき初めて、輝きが薄れ始めた。対消滅反応が尽きたのだ。

 高熱で電子機器が焼かれた背後のドローンがふらふらと揺れ、コースをはずれて行く。

「ご苦労さん」バーンズ少尉は思わず呟いてしまった。

「終わりました。今観測映像をそちらに回します」

 回収ポイントに機首を向けながら、戦闘AIの報告を待つ。


 コア中央に大穴が開いた邪神船イタカを見たときには二人は大声で笑いだしてしまった。

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