第16話 3ーb】木星会戦:戦域の裏で

悪だくみ)


「この作戦は『タヌキ作戦』と呼ぼう」

 観測艇イシュタールの船上でいきなり井坂技官が言った。

「タヌキって?」とレイチェル。

「私の故郷の日本の固有動物なんだ。この動物は人を騙すと伝説では言われている」

 レイチェルは軽くリスト・コムを叩いてタヌキの映像を呼び出す。

「あら可愛い。この可愛さで人を騙してガラクタでも買わせるの?」

「いや、お酒だと言って馬の小便を飲ませたり、お饅頭だと言って馬糞を食べさせるんだ」

「結構エグいのね」レイチェルは眉を顰めた。

「だろ? さあ我らはタヌキだ。見事にアホウ大将を騙してみせよう」

「思いっきり強烈にね」レイチェルは凄い笑みを浮かべた。



タヌキ登場)


 柔らかな電子音がアーダイン艦長の注意を惹いた。

 ここはビヒモス級戦艦ベーダの艦橋である。この艦は全長612m重量980キロトン。人類軍最大の戦艦である。

 アーダイン艦長は見ていたスクリーンから顔も上げずに言った。

「フロライン。何の用だい?」

 この船での管理AIの愛称は『フロライン』だ。どの現場でも管理AIには独自の名称を当てている。中にはただ無機質な識別番号をつけている船もあるが、むしろそれは例外に近い。

「艦長。高速連絡艇が近づいています。搭乗要請が来ています」

「聞いていないぞ。この忙しい時にいったい誰だ?」

 いつも穏やかなアーダイン艦長だが、それでも少しだけ声が厳しくなってしまう。

「フェルディナント将軍です」

 アーダイン艦長は自分の顔を手で覆った。

「アホウ大将か。ああ、最悪だ」

「どういたします?」

「断れるのか?」

「無理です。最高レベル要求コードが付随しています」

「ゲートで出迎える。できるだけ時間を稼いでくれ」

 色々な事態がアーダイン艦長の頭を巡る。そのどれもろくでもない予測へとつながっていた。



 エア・ゲートを抜けて入って来たフェルディナント将軍は非常に機嫌が悪かった。

 宇宙軍には大将が三人いる。そして地球の命運がかかったこの会戦に将軍クラスが参加しないということはあり得なかった。

 三バカ大将の一人、アンドリュー大将は素早く病気になって見せた。ラグランジェポイント3にある高度医療用コロニーに入院し、一切の連絡を断っている。

 三バカ大将のもう一人、ホーブ大将は戦線の補給経路の効率化のためという理由で会戦位置とは太陽を挟んで反対の位置にある小惑星帯工場の視察へ出かけていた。往復には三か月はかかる位置だ。彼の視察は長い間秘匿にされていたため、いざ問い合わせてみると彼がどうやっても会戦に間に合わないことが改めて判った。

 迂闊にも逃げられなかったアホウ大将のフェルディナントが最前線に来ることになってしまったのだ。

 もしや高速連絡艇が開戦に間に合わないかもと期待したが、船長は勝手に惑星間航行ブースターを使い、地球からここ木星までわずか二週間で行程をこなしてしまった。

 これが彼の機嫌が怖ろしく悪い理由である。


「アーダイン艦長。私の部屋はどこだ?」

 艦長の顔を見るなりアホウ大将はいきなり言った。アーダインの最悪の予想が現実となった瞬間だった。

「は?」わけが分からないという顔をして見せる。アーダインの精一杯の抵抗だ。

「これよりこの戦艦ベーダを我が人類軍の旗艦とする。光栄に思いたまえ」

「はあ」

「この船が我が軍の中で一番重装甲だというのは本当かね?」

「その通りですが」

「よし。話は終わりだ。部屋に案内してくれたまえ」

 フロラインに命じて彼をエアロックに誘導して真空の船外に投棄したらさぞかし素晴らしいだろうなとアーダイン艦長は思ったが、賢明にも実行はしなかった。もっともその寸前までは行ったが。


 船管理AIが侍従ロボットにデータを送る。同時にアーダイン艦長のリスト・コムにも情報が送られてくる。フェルディナント将軍には他の乗員の部屋から一番遠い部屋が割り当ててある。彼に自由な交流を許していたら、明日の晩にはこの船から乗組員が一人も居なくなる恐れがあるからだ。

「ありがとう。フロライン」アーダイン艦長は船管理AIに礼を述べた。

「同情いたします」とフロライン。

 AIもこのクラスになると人間とほぼ相異ない反応を見せる。それが真の知性の表れなのかどうかについては今に至るも結論は出ていない。

「困ったことになった」

「艦長。一つ提案があります」静かな声で船管理AIフロラインが言う。

「なんだい? どんなアイデアでも良い。教えてくれ」

「今この宙域にはステルス観測艇イシュタールが来ています」

「おう。井坂たちの船だな」

「イシュタールには、井坂技官の他に、レイチェル技官が搭乗しています。彼女ならこの事態も何とかできるのではないでしょうか?」

 朗報だった。レイチェルは策士だ。彼女に任せればたいていのことは片が付く。

 レイチェルの家は数世代に渡る軍人の家系で、アーダイン艦長もレイチェルの名は聞き及んでいる。あの肉体言語を至上とする家系の中では、レイチェルは珍しく頭脳派だ。それも実行力を伴った頭脳派と言ってもよい。

 アーダイン艦長はさっそくイシュータルに連絡を入れた。

 船管理AIに密かにレイチェルから提案があったのだとは想像もしなかった。



タヌキ罠を仕掛ける)


 ステルス観測艇イシュタールの中で、井坂技官とレイチェル技官は戦略表示スクリーンを見つめていた。

 観測艇は高度なステルス性能を備えた戦況視察専用の特殊艇だ。船体自体はそれほど大きくなく定員は十人ほど。それに加えて無数の通信観測装備を持っている。

 イシュタールはそれに加えて極めて高度な計算機能と大量の支援プログラムを装備している。観測艇が戦場の目ならば、イシュタールは戦場の頭脳とも言えた。


「レイチェル様宛てに通信が入りました」船管理AI通称アイが報告した。

「秘匿通信?」とレイチェル。

「秘匿通信回線ですが閲覧制限はついていません」

 ということは通信は暗号化されているがイシュタール内の搭乗員は自由に通信に参加できるということだ。送信元は戦艦ベーダだろう。つまりレイチェルの仕掛けが功を奏したということになる。

 レイチェルが目配せすると井坂技官は隣に座った。

「アイ。通信にはオフレコ処理を。それと、私の姿は透明にしておいてくれ」

「了解しました」

 レイチェルが椅子に座るのを待って、アイは通信を繋げる。

 スクリーンに映ったのは戦艦ベーダのアーダイン艦長だ。

「アーダインだ。レイチェル技官だね。以前にお目にかかったことがあると思うが」

「存じております。アーダイン艦長。ご用は何でしょうか?」

「実は困ったことになってな」

 アーダイン艦長は事の次第を説明した。

 すべて話終えると、レイチェルの横で声がして、井坂技官の姿が現れた。

「アーダイン艦長。井坂です」

「おう、井坂技官。久しぶりだな」

「火星会戦ぶりですね。ところでアーダイン艦長。そちらがお困りの問題はこれですか?」

 井坂技官が操作すると、通信スクリーンに艦船配置図が投影された。

「たった今、大将級認証で書き換えられたものです」

 スクリーンの中では戦艦がずらりと横に並び、その周囲を巡洋艦駆逐艦が取り巻いている。そして遥か後方に一隻だけ戦艦がポツンと位置している。その上に『旗艦ベーダ』と表示がある。

 それを見てアーダイン艦長が目を剥いた。

「何だこれは。私は知らないぞ」

「私たちもです。つい今しがた更新された情報です」とレイチェル技官。

「何だこの配置は。全軍で突撃でもするつもりなのか」アーダイン艦長はそこまで言ってから小さく呟いた。「あのバカめ」

 すべての人類軍を横に並べて突撃する。戦況スクリーン上では勇ましく見えるがこれを実映像にすればそれがいかに無謀であるかが分かる。全長10キロはある巨大邪神船イタカにせいぜい全長が600メートルしかない船が何十隻かまとまって突進するのだ。

 大きな象に小さなアリたちが突進して踏みつぶされる様が目に浮かんだ。

 少し考えてから井坂技官は言った。

「艦長。あなたの船からアレを降ろして、できれば前線で戦いたい。それがあなたの望みですね」

「果たしてそんな方法があるだろうか」アーダイン艦長は暗にそれを認めた。

 それに答えたのはレイチェル技官だった。

「たぶん、できると思います。手段は任せて貰えますね?」

 アーダイン艦長はびっくりした顔をした。

「できるのか。ならば是非とも頼む。このままでは上官殺しをしてしまいそうだ。

 すまん。今の発言は忘れてくれ」

「私たちは何も聞いていませんよ。それと、こちらからもお願いがあります」と井坂技官。

「取引だな。魂以外なら何でも差し出すよ。分かった。言ってくれ」

「実は戦艦ベーダにはスリング・サポートを担当して欲しいのです」

 それを聞いてアーダイン艦長は渋い顔をした。

「私は最前線で戦いたいんだが」

「戦艦ベーダは我が艦隊の中では一番防御力が高い艦船です。そして恐らく、今回のスリング・サポートをやる船は真っ先に邪神船イタカに狙われると見ています」

「そうなのか?」

「彼らは大型レールガンだけは警戒しています。恐らくはそれが彼らを撃ち抜く可能性を持つ唯一の兵器だと認識しているのでしょう。前回もスリング・サポートが真っ先に狙われました。恐らく今回も徹底的に狙われます。だからこそ重装甲が必要なのです。荷電粒子ビームを恐れることなくできるだけ長く最も危険な位置に留まる必要があるのです」

 井坂技官はスクリーンを操作して、スリング・サポート船の位置を出した。それはイタカの進軍するすぐ前方にあった。

「戦艦はイカスミを使って奴らの探知をごまかします。それでもイタカが接近すればするほど探知される可能性が増します。スリング・サポートの船はイタカの砲身のすぐ前に位置することになりますので、砲撃を受ければ大変な被害を受けることになります」

 それを聞いてアーダイン艦長の目が光った。

「分かった。やろう」

「大変に危険ですよ」井坂技官が火に油を注いだ。

「だからだよ。有難う。井坂君。レイチェル君。皆から離れて戦場の後ろに閉じこもっているなんて冗談じゃない。イタカの眼前で思いっきり殴り合ってやる」

 戦艦の艦長とはこのようなものなのだとそこにいた誰もが思った。

「ではさっそく仕掛けをします」レイチェル技官がほほ笑んだ。

「それと最後に一つ。我々は何も話さなかったということをご理解いただきたい。この通信ログはどこにも残らないように処置がされています」

「おっと。私は歳を取ってから独り言をする癖がついてね。またその癖が出たようだ。誰もいない通信回線に向けてお喋りをしてしまったようだ」

 アーダイン艦長はそう言うと小さく手を振って通信を切った。



タヌキは罠へ)


 艦隊すべてとの通信リンクで仮想会議室は埋まっていた。宙に並んだスクリーンを占めるのは各艦の艦長たちだ。戦闘空域程度の距離ではタイムラグは目立たない。

 中央のテーブルでアホウ大将フェルディナント・J・アクタスが熱弁をふるっている。

「見よ。我が叡智のすべてを注ぎこんだこの作戦を」

 大げさな身振りで背後の大スクリーンに映った艦隊配置図を示す。

 そこには戦艦を中心に各艦船が横一列で並んでいる。これらの向かう先に邪神船イタカが浮かんでいる。それとは対称の位置にあるのが木星採掘ステーション・ガンマだ。


「これぞ我が艦隊の最強の布陣だ。人類艦隊のすべての兵力を並べて邪神船イタカへと進撃するのだ。敵はわずかに一隻。対するこちらは百隻近くある。こうして相手を威圧しながら進めばさしもの邪神船も踵を返して逃げ出すだろう。そこを我が艦隊の全火力を持って追撃し、その勢いをもって背後で待機しているヨグ=ソトホート。そしてアザトースを撃破するのだ」

 フェルディナント将軍は胸を逸らせてみせた。

「どうだ。見事な作戦だろう。怒涛のフェルディナント作戦と名付けた」

 真面目な顔で話を聞いていた艦長たちすべての顔に絶望の表情が浮かんだ。仮にも将軍と名のつく人物がここまで馬鹿だとは誰も思わなかったのだ。

 艦長の一人が手を挙げた。

「あの、すみません。わが軍の総トン数は43、800キロトンです。対するイタカは推計400万キロトン。我が方は敵の百分の一にしか満たないのです。我々が迫って来たからと言ってイタカが逃げ出すとは思えません」

「君は、ああ、戦艦ブラッケンのリトリア艦長だな。よし、私の大将権限で君を艦長の職務から解任する。戦意が無いものに艦長を任せておくわけにはいかない。速やかに次順位の者にその地位を譲りたまえ」

「な!」リトリア艦長が絶句する。周囲の艦長たちからざわめきが起きる。

 リトリア艦長は火星・木星戦役で勇猛果敢で名を成した艦長なのだ。このような扱いを受ける理由などどこにもない。

「他には? 何か意見のある者はいるか」

 フェルディナント将軍はじろりと周囲の面々を睨みつける。

 航宙艦、それも戦艦クラスの艦長の中には事なかれ主義はいない。全員の顔に怒りが浮かんだ。

 ここにいる艦長たち、それも戦艦・巡洋艦クラスの艦長たちはいずれも火星や木星そして小惑星帯で宇宙海賊たちと血で血を洗う戦いを繰り広げて出世してきた叩き上げたちだ。

 そして上下の階級よりは戦友の方を大事にするのが叩き上げの連中というもの。

 会議室に一瞬で殺気が渦巻く。

 各艦の管理AIがこの状況を見てパニックになった。艦長たちの心理モニター結果が危険域に達したのだ。

 フェルディナント将軍は会議開始からわずかに数分で艦隊ほぼ全員を反乱寸前にまで追い込んだと言える。もしここで反乱が起きれば、管理AIは優先コードを持つ大将側に味方せざるを得ない。

 管理AIたちは艦長室に軽い精神安定剤をそっと噴霧した。もしこれで効かねば故障を理由に通信を断つことにする。実際の反乱に至るよりも後で艦長に怒られる方がずっと良い。

 望んだような反応が得られずフェルディナント将軍は怯んだ。自分の素早い決断を皆が賞賛すると思っていたのだ。

「ん、よし。私は一度部屋に戻る。その間に諸君はこの作戦の意味をもう一度深く考えてもらいたい」

 通信が切れた。仮想会議室の中からフェルディナント将軍の姿が消える。

 もう数秒遅れれば、邪神軍との決戦を前に人類軍の中での反乱騒ぎに至るところだった。


 観測艇イシュタールの艦上で井坂技官は呆れた顔でこの光景を見ていた。イシュタール側の映像は仮想会議室の中には投射していないので、フェルディナント将軍は彼らの存在に気づいていない。

「信じられん。あのアホウ。一瞬で全員のやる気を削いだぞ」井坂技官が吐き捨てた。

 デュラス技官が舌打ちをしてから答えた。各艦からの生体モニター結果を示す。

「それどころか反乱寸前にまで追い込んだぞ」


 その背後でレイチェル技官は別のスクリーンに向かっている。通信相手にはレイチェルの姿しか見えないように管理AIが制限をかけている。

 彼女が話している相手は駆逐艦アドラの艦長であるアイリーン女史だ。レイチェルとは古なじみである。

「アイリーン。ここだけの話、あなた、前線には出たくないって言っていたわよね?」

 アイリーン艦長は少しだけ躊躇った。戦闘に消極的なのは艦長の評判としては致命傷になる。

「レイチェルだから正直に言うけど。そうなの。あの残虐放送を見て以来、私、怖いの。前回はかろうじて逃げることができたけど、きっと次はないわ。でもキャリアを失いたくはないし。でも死んだらキャリアなんて意味無いし」

 レイチェル技官は微笑んだ。

「あたしと取引をしましょう」

 アイリーン艦長の額に皺が寄った。レイチェルが何をするか、何ができるかについては古なじみだけに良く知っている。

「悪魔との取引?」

「そうではなく天の助けよ。今から送るコードをそちらの艦で走らせてほしいの」

「違法なことはしないわよ」アイリーン艦長は警戒した。

「もちろん違法よ。このコードはそちらの船を完全に乗っ取るの。でもあなたが罪に問われることはないと約束する。そしてその結果、貴女の船は戦場から一番遠い場所に配置される。何かあったら真っ先に逃げられる場所に」

 アイリーン艦長は返事をする前にしばし躊躇った。

 レイチェルは法を気にしない人間だ。法を利用はするが、それに従うべきだとは考えない性格だ。だが彼女が仕掛ける策は強烈で一度それにかかると逃げられない。

 何より大事なことに彼女は約束を破ったことが一度もないということだ。

 アイリーンは真っすぐにレイチェルの目を見返した。

「その取引、乗った」

「決まりね」

 相手の気が変わらない内に用意しておいた秘密のコードを送る。井坂技官が管理AIのアイと一緒に徹夜して作ったコードだ。

「それを艦長権限で実行して」

「こう?」アイリン艦長が操作を行う。

「何も起きないわよ」

「信用して。詳しい説明はそちらの管理AIに聞いて。これで通信を終わるわ。オーバー」

 画面が消えた。

「レイチェル。大丈夫か?」と心配そうな井坂技官。

「もう一つやることがあるのよね」

 レイチェルは髪をすばやく結い上げると船管理AIのアイに命じた。

「アイ。私の顔に細工をして。おしゃれ用の伊達眼鏡をかけて、色を少し浅黒く。アフリカ系の顔立ちに偽装して。それに美人パッケージを適用するの」

 スクリーンに出たその顔を見て、レイチェルは口笛を吹いた。

「いいわね。これ、本当にこれに整形しようかしら」

「ご冗談を」と井坂技官。「今のままの君が好みなんだ」

 レイチェルは口に指を当てて井坂に黙るように合図する。

「アイ。旗艦ベーダのフェルディナント将軍につないで。身分は全地球放送ネットの従軍記者にして。コンタクト目的は会戦前のインタビュー」

「軍高官に対する身元詐称は重罪ですよ」アイが指摘する。

「お願い」

 あっさりとアイは通信回線を開く。もちろんこの船の管理AIはある程度の違法行為は見逃すように井坂たちにより改造されている。

 人工知性技術はまだまだ不完全であり、AIを厳密に法に沿って運用するとデッドロックに陥ることがあると証明されている。そのため宇宙技術局はAIの一部にバックドアを設置している。あくまでも緊急事態に対処するためのものだ。

 そして今の状況がそれだ。

 なにせ愚か者一人のために人類軍が壊滅の危機に瀕しているのだから。


 しばらくして通信回線がつながり、正面にフェルディナント将軍の姿が投影された。髪を綺麗に撫でつけている。

「この戦争の英雄にインタビューかね。もちろん良いとも」

 まだ始まってもいない戦争の英雄をアホウ大将が名乗ることに、吹き出しそうになる自分をレイチェルは必死で堪える。

 レイチェルは無理に微笑んだ。兄ばかりの軍人一家の末娘なのだ。表情を作るのには慣れている。向こう側に送られている映像の中の美女も微笑んでいるはずだ。

「フェルディナント将軍。内密のお話があるのですが、人払いをお願いいたします」

 レイチェルは意味ありげに小首を傾げてみせる。綺麗な首筋が露わになる。勘違いしたフェルディナント将軍が何かを指図し、スクリーンの下にプライベート回線のシグナルが出る。相手側が一人でしかも通信が暗号化されているという意味だ。

「突然のことで驚かれると思いますが」レイチェルは続けた。

「うんうん、何でも言いたまえ」とフェルディナント将軍。顔ににやけた笑みが浮かんでいる。

「私は実は全地球放送ネットの従軍記者ではありません」

「なに!」

「実は宇宙科学技術局の一員です。でも今はその役職で動いているわけではありません。私の本当の雇い主はケレス工業の副CEOのモントール氏です」

「なんと」

 ケレス工業はレーザー砲のビッグメーカーだ。フェルディナント将軍のバックについている企業でもある。

「モントール氏はフェルディナント様の身を案じております。それで秘密で私を雇ってコンタクトを取らせたのです。時間がないので手短に言います。このままではフェルディナント様はこの会戦で死ぬことになります」

「お前は何を言っているんだ」将軍の顔が紅潮した。

「嘘ではありません。この会戦の結果は宇宙技術局の予測では98%の確率で人類軍は負けます。それも壊滅レベルです」

 将軍の顔が青くなった。報告は上がっていたはずだが、こういった情報には一切目を通していなかったのだ。

「フェルディナント様は重装甲だという理由で戦艦ベーダに搭乗しましたが、実際にはベーダの装甲でも邪神船イタカのビームを防ぐことはできません。計算では三発の被弾で戦艦は撃沈します」

「そんなことはないだろう」

「すでに前回の会戦ではイタカはビームを使って巡洋艦を一撃で轟沈させています」

 それを聞いてフェルディナント将軍は言葉に詰まった。

「そして戦艦の加速力では邪神船イタカの生体艇の追撃から逃げることはできません。向こうの方が明らかに優速なのです」

「いったいどうすれば」

 フェルディナント将軍がうろたえる。その後に続く言葉は生き残ることができるのか、だ。大勢の部下が見ている前では決して吐いてはいけない言葉なのだが、そこまで考えが及んでいない。

 それを見越してレイチェルは言葉を続けた。

「一つだけ生き残る方法があります」

 フェルディナント将軍はそのエサに食いついた。黙ってレイチェルの次の言葉を待った。

「それは高速駆逐艦アドラです。あの船の足の速さならばイタカから逃げられることは前回の会戦で証明されています。すぐにあの船に搭乗してください。一度作戦配置につけば簡単には移乗できなくなります」

「だが、将軍ともあろうものが駆逐艦に乗るとは」フェルディナント将軍は口ごもった。

「問題ありません。旗艦が戦艦でないといけないという軍律はありません。それに旗艦に将軍が乗るのではありません。将軍が乗る船が旗艦なのです」

 それを聞いてフェルディナント将軍の表情がぱあっと明るくなった。

「そうか。確かにそうだ。それにあの船の艦長は私の子飼いだ」

 そうでしょうね、とレイチェルは心の中で相槌を打った。アイリーンはこの将軍を嫌っているけど。

「ありがとう。ええと?」

「ジェーンです。ジェーン・カーライルです」

 横で井坂技官が小さくカラミティ・ジェーンと呟いて、レイチェルの肘で脇腹を突かれて呻く。もちろん船管理AIがその映像も音も通信には入れないように削る。

「ありがとうジェーン。君もアドラに搭乗するのかね?」

「もちろんです」

「よし、では向こうで会おう。楽しみだな。次に会ったらモントール君にも礼を言っておかねば」

「分かりました。秘密回線なのでこれ以上はつないでいられません。では幸運を」

「幸運を」

 通信が切れた。

「うまく行くかな?」隣で見ていた井坂技官が言った。

「どうでしょうね」とレイチェル。ふふっと笑う。自分の成功を確信している者の笑みだ。

 それから二人でコーヒーを入れて待った。

 スクリーンの上の表示が変化した。旗艦ベーダの文字が消え、旗艦アドラに変わる。相も変わらずその位置は最もステーションに近い位置だ。



罠の口が閉じる)


 アホウ大将フェルディナントは駆逐艦アドラの一番居心地の良い部屋の中で、用意された椅子に深く腰を下ろした。

 まずはこれで一安心。この宙域に来て以来、心の周りに取り憑いていた不安からやっと逃れることができて、フェルディナントは満足だった。

 忠告をくれたあの美しい女性には感謝してもし足りない。こちらの艦に移乗してきたらさっそくお礼を口実に声を掛けてみよう。木星会戦の英雄に近づくチャンスなど滅多にないことだ。彼女も拒むまい。

 このエゴの塊はそう考えた。


 手首のコムを操作し、艦長会議に通信を入れる。仮想会議室が自室内に再現される。

 期待に目を輝かせた艦長たちが将軍の登場に一斉に顔を上げた。

「フェルディナント将軍。我ら一同、将軍のお帰りをお待ちしていました」

「我々は将軍の作戦を徹底的に検討しました。そして将軍の立てた作戦の素晴らしさに感銘を受けていたところです」

 それを聞いてフェルディナント将軍の胸に熱いものがこみあげてきた。ついに自分の天才的な軍事の才能が認められる瞬間がやってきたのだ。

 艦長たちは口々に賛辞を伝えだした。

「上官のご指示に従います。この作戦の成功のために、私たちは最善を尽くします」

「将軍のお考えに同意します。この作戦の実行に必要な準備を整えます」

「将軍のご判断に従い、作戦の成功のために我々は最善を尽くします」

「フェルディナント閣下のお考えを尊重し、最善を尽くしてこの作戦を遂行します」

「私たちは将軍の判断に従い、最善を尽くしてこの作戦を成功に導くために準備します」


 フェルディナント将軍の横で駆逐艦アドラのアイリーン艦長はわずかに眉をひそめた。

 このアホウ大将はこの茶番劇に気づかないのかしらと思った。きっとこの愚鈍は今までも他の艦長のことなど欠片も見ていなかったのだと理解した。だから人間とAI画像との区別もつかないのだ。人間ならばよほどのゴマ磨りでもない限りこんな紋切型のセリフを臆面もなく言えるものではない。

 後で自分が騙されたと知ったときにこの間抜けがどれほど怒り狂うかを想像してアイリーン艦長は密かに身震いした。

 ああ、レイチェル。貴女、大変なことをしてしまったのよ。

 だがアイリーン艦長は賢明であったから、すべてを気づかないことにした。

 一人熱弁を揮うフェルディナント将軍を自室に残して、そっと部屋を出た。

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