第15話 3-a】木星会戦:嵐の前

 〔 木星採集ステーション(ガンマ):2078/10/05 〕



艦橋にて)


 人類軍最大の軍艦はビヒモス級戦艦である。

 全長612m重量980キロトン。基本武装はミサイル・ハイブ。中心軸にレールガンが四本配備されている。

 これが標準の装備でありさらに様々なオプションがつく。各戦艦群の中でも一番重装甲のものが戦艦ベーダである。高度にAI化されていて乗員はわずかに四百人である。

 艦長のアーダインはそのブリッジの真ん中に立ち、周囲を見渡していた。周りに並ぶ無数の電子機器の表示に鋭い視線を投じてブリッジ・クルーの間に緊張を産み出していたが、その実は自分の頭の中しか見てはいなかった。

 そこに広がるのはこれから始まる戦いの作戦図だ。

 静かで力強いエンジンの軽い振動を体で感じながら、艦が向かっている先を考える。

 そこに立ちはだかるのは超巨大邪神母船アザトース。子船でありながらもそれ自体が巨船であるイタカとヨグ=ソトホート。

 同じ技術レベルならば航宙艦の戦力はそのトン数で決まる。人類軍の全トン数を加えても、イタカ一隻に遠く及ばない。

 どう見ても状況は絶望的であった。


 だが、自分の心の内を決して部下に知られてはならない。

 アーダイン艦長は手を上げると艦長帽の向きを整えた。



 土星での邪神軍による一方的な戦いから二年と少しが経過していた。

 人類はすべての戦力を邪神軍の次の目的地である木星に集めていた。土星に比べると地球から木星までは半分の時間で辿りつくことができる。前回集められなかった人類軍の戦力まですべて集中すれば何とかなるかもしれない。愚か者はそう考えていた。

 アーダイン艦長は愚かではなかったから、これだけの戦力を持ってしても勝利は遥かに遠いと分かっていた。

 戦艦は二十隻を集めることができた。その中には急遽建造したものも含まれている。事ここに至ってもまだ木星軌道上で艤装を行っている船まである。

 巡洋艦は全部で二十八隻。十三隻はシーサーペント級。十五隻は新造のヒドラ級。これだけのものを作る段階で、地球の海洋鉱床のほぼすべてが掘り尽くされた。

 駆逐艦はグリフォン級三隻にヒポグリフ級が十八隻来ている。本来駆逐艦は巡洋艦の三倍の数が必要だが、こちらの製造は後回しにされた。

 前回の会戦での邪神船イタカの砲撃が原因である。それを食らえば防備の薄い駆逐艦では一撃で沈む。


 人類軍からは大勢の兵士が逃げ出した。だがそれ以上の数の志願兵が集まった。このことにアーダイン艦長は人間もまだ捨てたものではないとの密かな誇りを抱いた。

 邪神軍が流す残虐映像は人類をパニックに陥れたが、この危難の時代にあって本来なら戦いを好まぬはずであった者たちを奮い立たせもしたのだ。

 その感情の中心は怒りである。

 腹の底からの怒り。

 辱められた戦士の骸を見過ごすことのできなかった者たちの怒りである。

 一際エンジンの音が大きくなり、わずかに見せかけの重力が増大する。この先に人類の決戦場となる木星ステーション・ガンマがあるのだ。



木星採掘ステーション)


 木星採集ステーションは木星の衛星軌道上に構築された大規模ガス収集ステーションであり、木星の大気から水素とヘリウムを回収している。またそれらを使って軌道上で大規模な核融合を行い、各種エネルギーブロックを輸出している。

 ステーションはアルファから始まりデルタまでの四つで構成され、それぞれが独立にガス採掘船を運用している。中でもこのステーション・ガンマは最大のものであり、今回の木星会戦のための基地として使用されることになった。

 採掘船はステーションから投下され、木星上層部のガスをスクープした後にまたステーションの軌道まで上がってくる。そうしてステーションの周囲に並ぶ球状の大型核融合炉に燃料を供給するとすぐにまた木星へ潜るのである。ガンマでは都合十隻の採掘船を運用していた。

 邪神軍が土星からここへ侵攻するまでの二年間に、人類はこのステーション・ガンマに全ての力を注ぎ込んで要塞化した。

 あらゆる資源と資金が注がれ、可能な限りの戦闘機械が製造され配置された。

 人類と邪神軍の総力戦である。

 大型レールガンが設置され、無数のミサイルや戦闘機の簡易式発進プラットフォームが増設されている。


 自分はここでは場違いだなと思いながら政治家のバーン・リチャードソンは木星採掘ステーションの司令室の椅子に座っていた。この時代にも関わらず、眼鏡をかけている変わり者である。太り気味の体を椅子の中で居心地悪そうにしている。

 地球ではいつもリラクゼーション機能のついた自動椅子に座っているが、ここにはそんな贅沢なものはない。土星ほど遠くはないにしても、ここまでの距離の大きさゆえに重量はそのまま輸送費に跳ね返る。贅沢品は輸送できないのだ。

 彼は司令室に居並ぶステーション勤務の面々をちらと眺めた後に、どこを見るでもない目をして呟いた。

「私のことは気にしないでください。あくまでも地球政府の命令でここに同席しているだけです。恐らく私が言葉を放つことはこれ以降は無いと考えています」

 政治家には珍しく裏表無い口調で説明を続けた。

「私がここに送り込まれた理由はただ一つ。もしこの戦で邪神軍に一矢報いたとき、その機会をとらえて彼らとの休戦交渉もしくはこちらの降伏を申し込むことです。そのための政治的な要因として私はここに来たのです」

「本部はそのようなお考えなのですか?」

 木星採掘ステーションのリューダイ司令は手の中のお茶のカップをいじり回しながら訊いた。

 ふうっと深いため息を一つついてからリチャードソンは答えた。

「実際には政府は絶望しています。支持者の手前、このような希望を口にしていますが、その実、人類が邪神軍に勝てるなどとは信じていません。特に彼らの巨艦の力を知って以来は」


 リューダイ司令は黙り込んだ。政治家の中に現状を正しく理解している人間はいまいと思っていたが、実際にはそうではなかったのだ。彼らはよくわかっている。こと生き残ることについては彼らはそこまでは愚かではなかったということか。


「それもすべてあのイタカを撃破することができればの話だと考えています。リューダイ司令。正直にお答えください。我々に勝ち目はありますか?」

 少しだけリューダイ司令は逡巡してから答えた。

「勝ち目はないと思います」

 正直な感想だ。

「そうでしょう。私もそう感じています。だから私はもう何も言わないのです。私がここにいるのはあくまでも政治的な要請によるものであり、そして他の政治家たちのようにいち早く逃げることができなかったためなのです」

 リチャードソンは背を丸めると、カップの中のお茶に集中した。


 それ以上の会話を求めていないと知り、リューダイ司令は手元のスクリーンに目を落とした。そこには木星のエウロパ採掘基地のデータが並んでいる。

 航宙船の推進剤の一つには細かく砕いた氷が使用されている。氷の砕片を融着しないように周囲を薬剤で薄くコーティングしてさらに圧縮したものだ。その水の供給源が木星衛星のエウロパである。

 今はその採掘基地からは人員が引き上げられ、かろうじて自動システムが細々とした生産を続けている。

 邪神船襲来時点にはエウロパは木星の反対側に位置する予定なので、今回の戦闘には最初から関わらない。


 リチャードソンはカップをテーブルに置くと立ち上がった。

「では私は自室に籠りたいと思います。持参した書類の最終チェックを行いたいと思いますので」

 書類はここに来るまでにもう何度もチェックしたし、その書類、つまり降伏宣言書が実際に使われることはないと思っていることは口にしない。

「美味しいお茶にご招待してくださってありがとうございます」

 司令室を出ていく老政治家を見ながら、リューダイ司令はため息をついた。

 今の地球にこそ、こういう人が必要なのではないかと思ったからだ。人類社会では真面目に生きる人こそ真っ先に地獄に放り込まれることをリューダイ司令は理解していた。


 政治家が司令室を出て行くと、待機していた残りの面々から目に見えて緊張が解けた。

 武器制御コンソール、通称ファイヤ・オルガンの担当はアーム・ナイジャル。目が鋭い男である。

 情報解析担当は背が高いモットー・ブラウン。

 宇宙科学技官のアリソン・パート。赤毛の大男。椅子が窮屈そうだ。

 木星採掘ステーションの三銃士だ。


「よし、みんないいか」

 リューダイ司令官は口を開いた。

「邪神軍先陣のイタカが到着するまで七十二時間。最後のブリーフィングをする」

 テーブルの上に三次元映像が浮かんだ。人類艦隊の姿だ。もちろんAIによるエンハンス映像で、実際に宇宙空間でこれほど綺麗に目視できるわけではない。

「まず武器のおさらいをする」

 画像の一部を拡大する。

「ビヒモス級新造戦艦が二十隻。戦艦アリストテリアおよび戦艦ベーダ他だ。どれも全長612m、重量980キロトン」

 航宙戦闘艦の基本形である円錐形の巨艦が映し出された。とは言っても邪神船アザトースに比べればノミのような大きさだったが。

「武装はミサイルを中心としている。レールガンは四本搭載。ただしこいつはあくまでも防御偏重だ。邪神船イタカの荷電粒子砲に対抗するための新機軸の帯電装甲で固めてある」

「報告は読みましたが完全なものではありません」兵器担当官のナイジャルが補足した。

「分かっている。この戦艦はあくまでも時間稼ぎのためのものだ。それとダミー戦艦が八十隻追加されている」

 ダミー戦艦とは形だけそれらしく作られた金属風船である。少しとは言えミサイル発射装置などは設置されているので外からはそう簡単には見抜けない。


 次の映像が出た。今度は巡洋艦だ。

「全部で二十八隻。十三隻はシーサーペント級。十五隻は新造のヒドラ級。シーサーペント級は全長512m、重量712キロトン。主武装はレールガン八本。質量攻撃中心だ」

「ロマンの塊だな」またナイジャルが口を挟んだ。

 それを聞いて情報解析担当のブラウンが目を剥いた。

「口径の小さなレールガンを多数並べるとしたら接近戦になるぞ。イタカの砲撃はこちらの巡洋艦を一撃で撃ち抜くからまずいのではないか」

「巡洋艦は攻撃偏重だから仕方がない。この船の主防御は煙幕だ。煙幕の中に潜みながらレールガンを速射するのがコンセプトだ。通常の運用では照準は周囲に展開した駆逐艦か観測ドローンが行う」

「危ういな」ブラウンが感想を漏らした。

「うむ。だがお陰で総攻撃力は巡洋艦隊の方が大きい」


 また映像が変わった。戦艦と同じく円錐形だがかなり細い。船は高速になればなるほど円錐形が鋭くなる。航宙艦の真の敵は航行中にぶつかるデブリだからだ。

「駆逐艦グリフォン級三隻、ヒポグリフ級全長320m、重量400キロトン、これが十八隻」

 細長い艦船のホログラムが空中で回転した。

「前回の会戦で駆逐艦がだいぶ潰されたので新造のヒポグリフ級が大半になったな。こいつは対空特化だ。対空レーザー、対空ミニレールガン。先端には中型レールガンが装備されていて散弾を発射できる。つまり敵戦闘機に対する地雷原生成が本来の仕事だな」

「前回はイタカだけで生体艇を四百機は出したな。これで足りるのか?」ナイジャルが指摘する。

「確かにきついな」ブラウンが眉根を寄せる。


 今度表示されたのはお馴染みの戦闘機であった。その外形は戦闘機というよりは戦車に近いものがある。これも宇宙デブリとの衝突が設計に入っている。

「戦闘機は内容に大した変更はない。一部が新造のマーク4になったぐらいだ。ただし対空ミサイルは増設ポットで増やしている。総勢二千機が用意された。地球が出せるほぼ全戦闘機勢力だ」

 パートが顎を掻いた。

「技術局は苦労したみたいだな。空母を作る余裕が無かったから艦載機だけを作らせたそうだ。カーボンケーブルで数珠繋ぎにして駆逐艦で運ばせたんだ」

 スクリーンに戦闘機の詳細が出る。

「有人機が1につき、ドローン機が4の比率だ。武装は対空レーザーとスマート弾機関砲が主だ。それと外付け支援ポッドに山ほどの対空ミサイルを積ませた。こいつらの仕事はあくまでもハチ対策だ」

 ブラウンがその説明の後を継いだ。

「他にこのステーションに大型レールガンを二十本用意しました。レーザー砲は対空のみです。それとステルスAIミサイルが大型が五十八本、中型が百二十本用意しています」

「足りんな」ここまで黙って聞いていたパートが口を挟んだ。「アザトースは全長四百二十キロだぞ。そのミサイルを全部叩き込んだとしてもどれほど効くものか」

「それも承知の上だ。だが今の人類にできるのはここまでだ。宇宙軍などと言うが元は海賊退治のための軍だからな。数も質も足りない。そこで我々の戦略はこのすべてを一気に邪神船イタカにぶつけて、イタカをもし撃破できたらそこで交渉を開始するという頼りないものだ」

「撃滅できなかったら?」パートは尋ねた。

「そのときは」リューダイ司令は言った。「我々は滅ぶことになる」



ブリーフィングルーム)


 駆逐艦が胴体中央に溶接された支持ロッドからテザーをなびかせて入港してくる。テザーの先には戦闘機が数珠つなぎになっている。パイロットは駆逐艦に移乗して一緒にやってきている。

 本来は空母で運ぶべきものだが、この緊急事態に際してこの無茶な運搬方法が採用されている。閉鎖隔壁に入れて運搬する空母と比べて剥き出しで運搬するのはデブリとの衝突による損傷がバカにならない。そのため木星ステーションに到着次第すぐに整備に回され修繕が行われる。

 整備班はAIボットの支援の下、ろくに睡眠もとらずに作業を続けていた。その結果、すでに大きな事故が数件起きている。


 問題は山積みだ。


 巡洋艦アルバマバードのパイロット仕官専用の執務室でアルマン中尉が現状を嘆いていると、緊張した表情の下士官が入って来て敬礼をした。アルマン中尉も軽く答礼を返す。

「アルマン部隊長殿。トラブルであります」

「報告しろ」

「ブリーフィングルームに軍服を着た見知らぬ老人が来て騒ぎを起こしています」

「どんな騒ぎだ?」

「来る邪神軍との戦闘戦術で盛り上がっていたところ、その老人が乱入して来たのであります。驚くべきことに准尉の階級章をつけていまして、我々の戦術論を鼻で笑ったのであります」


 話が見えて来たぞ。アルマン中尉は鼻をひくつかせた。きっとあの爺さんだ。後送になると聞いていたが、ようやく追いついてきたというわけだ。

 爺さんを出し渋る軍部のお偉方と大喧嘩をしていると聞いたが、結局爺さんの勝ちだったということか。

 無理もない。軍のお偉方の大半がその昔爺さんにケツを蹴られてきた連中なのだ。


「それで血の気の多いバヌート少尉が切れてしまって。喧嘩になりそうなのであります。このままではあの老人が危ないかと」

「ついて来い」

 アルマン中尉は執務室を飛び出した。思ったより時間がない。早くしないと決戦前に貴重なパイロットが一人減ってしまう。いや、下手をすればもっとだ。

「作戦前に怪我人を出すのはまずい」思わず呟いてしまった。

「老人を怪我させるのは目覚めが悪いですからね」

 すぐ背後についてきていた士官が答える。アルマン中尉は一瞬だけ足を止めた。

「馬鹿もの。危ないのはバヌートの馬鹿野郎だ。あいつは喧嘩を売ってよい相手かどうかも分からんのか」

「しかし相手は老人ですよ」

「ああ、確かに老人だ。それも今年で百歳だ。おまけにあれは今まで見て来た中で最大の怪物だ」


 士官はわけも分からず、アルマン中尉の後についてブリーフィングルームに飛び込んだ。

 そこでは大男のバヌート少尉が床に倒れていて、その背中に軍服を着た老人の足が載せられている。背骨の一部、そこに体重をかけられれば激痛でどんな大男でも動くことはできない。

「止めてください。ブルマン准尉」

 部隊長であるアルマン中尉を認めてその場にいたパイロットたちが全員直立不動になって敬礼をした。

 その中でブルマン准尉だけがにやりと笑うだけで敬礼はしない。

「おう、アルマンか。元気だったか?」

「どうして私の執務室に先に顔を出してくれないのですか」アルマン中尉が抗議する。

「いやな、この部屋の前を通りかかったらひよっこどもがバカなことを言っていたものでな。つい、だ」

 パイロットたちの視線が疑問を込めてアルマン中尉に注がれる。

「ああ、みんな。知らなかったのか。この方は有名なブルマン准尉だ」

 視線の中に籠もる疑問がさらに深まった。

「知らんのか? おい、バヌート少尉。去年の太陽系パイロット大会の準優勝は俺だが、優勝者は誰か覚えているか?」

「ミノタウロスという名前の奴です」

 ブルマン准尉の足の下で息も絶え絶えなバヌート少尉が言う。ブルマン准尉は足にかけた体重をちっとも緩めない。

「ブルマン准尉は太陽系の軍パイロットの中で最も高齢なので、本名を公開するのはまずいと宇宙軍が判断したのだ。この年齢での軍役は軍人OBの会がクレームをつけるからだ。そこで匿名で大会に出た。ブル=マン。つまりは牛=男。そこからつけた名前がミノタウロスだ」

 ブルマン准尉が足をどけた。ようやく息ができるようになったバヌート少尉がよろよろと立ち上がった。

「つまりこのお方は年齢百歳にして太陽系パイロットの頂点に立っているお人だ」

 パイロットたちがざわめいた。

「いくら細胞ブースター剤を使っているにしても百歳でパイロットは信じられません」

 別のパイロットが疑問を述べた。

「使っておらん」とブルマン准尉が答える。

「は?」

「俺は若返り薬などには頼らん。それと言っておくがまだ朝勃ちをするぞ」断言した。

 そのあり得なさに対して、アルマン中尉も含めて全員が絶句した。目の前にいるのはパイロットとしても怪物だが、別の意味でも怪物であった。

「さて、では講義を続けていいかな?」ブルマン准尉が訊ねた。

 アルマン中尉自ら椅子を引き、最前列に座った。

「ブルマン准尉。お願いします。皆聞け。名前は公開されてはいないが、ブルマン准尉は土星会戦でパレード小隊を率いて駆逐艦アドラを最後まで護衛したお方だ。邪神軍と直に戦い生き残った人だ」

 そこまで言ってからじろりと後ろを見回す。中尉に睨まれて慌てたパイロットたちが全員椅子を持って来て周囲に座った。バヌート少尉も姿勢を正して先頭に座る。全員神妙な顔付きだ。私語一つしない。

 ブルマン准尉は静かになった部屋を見渡し、満足そうな表情を浮かべた。

「まず一つ。邪神軍の生体艇は遊弋航法を使う。推進剤を使わない飛び方だ。だから絶対に敵の機動に合わせてはいけない。そんなことをすればこちらの推進剤がすぐに尽きてしまう。敵は群れを成し無数にいる。一匹撃ったらそれ以上追撃せずに次のターゲットを狙え」

 会議室は静かだ。

「分かったか?」

 全員が一斉に答えた。

「イエス・サー」

「スマート弾は無駄使いするな。ハチには三発だけ。それ以外は一連射。撃ち込んだら後は無視しろ。奴らはスマート弾に対する対抗措置を持っていない。

 対空ミサイルはワイバーン以上にだけ使え。敵の防御力は無いに等しい。その代わりに数だけは無数にいる」

「イエス・サー」

「イカは自爆する。近づくな。敵のレーザーは集中攻撃されなければ被害は少ない。そしてたいがいの機動は本能に従ったパターンで行われる。これからそれに対抗するための回避用機動について説明する」

「イエス・サー」

 とにかく老人は話が長い。いつまでもブリーフィングは続いた。



観測艇イシュタール)


 漆黒の宇宙の中にステルス観測艇イシュタールは静かに浮かんでいた。

 木星採掘ステーションからも待機中の艦隊からも遠く離れている。実質上この艇が木星会戦における中枢部であった。

 宇宙の戦場を観測するための艇なので最も高度なステルス技術に守られて、あらゆる探知から免れている。通信はすべて指向性レーザー通信とステルス通信中継器により行われる。

 その内部に詰め込まれている高性能のコンピュータは戦艦クラスに匹敵するもので、それが発する熱は零下167度の冷却材により完全に中和されるようになっている。赤外線ひとつ漏らさないためだ。

 すべての情報はここに集められ、分析され、命令となって送り返される。


 観測艇の中にいるのは井坂技官を始めとする宇宙技術局の面々である。

 井坂技官はレイチェル技官と一緒に自室から出てくると、司令室へと足を踏み入れた。ここはこの艇の中で一番大きな部屋だ。

 デュラス技官とライズ技官も続けて入って来た。

 井坂技官とレイチェル技官については周知の仲なので二人は何も言わない。さすがに独身男二人には刺激が強すぎるので、井坂技官たちは二人の前ではあくまでもビジネスライクな姿勢を崩さない。


「戦場域通信網形成完了しました」

 メンバーが揃ったとみて、船の管理AI通称アイが報告した。

「現在の艦艇配備状況を見せてくれ」井坂技官が言った。

 司令室中央のホログラムテーブルの上に戦況図が浮かび上がる。採掘ステーションを下側に配置し、上側から邪神船のマークが近づいて来る。

「邪神船の動きに一切のブレは無く、木星採掘ステーション・ガンマとの会敵予想時刻まで残り四十二時間ほどです」

「驚くほど正確な動きだ。というよりは一切の回避機動を行う様子がない」とデュラス技官。

「なぜここまで頑ななんだ?」井坂技官が当然の疑問を口にする。

「舐め切っているんだろ」とデュラス技官が返す。

「ブーンブーン」とライズが相槌を打つ。


 ライズは黒人の大男だ。天才的な頭脳との引き換えに一種のコミュニケーション障害があり、言葉の代わりにどこかから拾ってきた名詞やセリフしか話せない。


「ほら、ライズも賛成している」とデュラス技官が勝ち誇ったように言う。

「それは確かにそうね。邪神船イタカ一隻だけでもこちらとの戦力差は明白だもの」

 そう言ったのはテーブルの横でホログラムキーボードを操作していたレイチェル技官だ。

「それよりも気になるのはこの新しく来たこちらの高速連絡艇ね。高官シグナルが出ているわ」

 全員がスクリーン上でレイチェルの示したマークを確認し、一斉に顔を顰めた。

「あいつだ」と井坂技官。

「あいつだな」デュラス技官が同意する。

「でもどうして」

「そりゃ人類の未来がかかっているこの作戦に将軍クラスが参加しないわけにはいかないからな」デュラス技官が指摘する。

「誰が来るかと思っていたがよりによってあいつか」

 少し間を置いて井坂技官が口を開いた。

「アイ」

「イエス・マスター」電子音声が答える。

「私のファイル番号666を開いてくれ。それに次ぎの改造を加えてくれ」

 その命令は実に長く続いた。



邪神船イタカ)


 邪神船イタカ内部のほとんどの空間は戦闘用機器で埋め尽くされている。機械に限りなく近いが、それでもイタカは本質的には生体艇と同じサイボーグに過ぎない。

 つまり、全長10キロメートルの巨艦イタカにはそれ自身の自意識がある。

 母船アザトースから受けた命令は絶対で、それに沿った行動しかできないが、それでもかなりの自由意思を持っている。


 いまは決められた航路を決められた速度で進行している最中だ。遥か前方ではこの星系の現住種族が迎撃の準備をしている。

 こちら側の陣容はやはり自分一隻の先行だ。同僚艦のヨグ=ソトホートと母船アザトースは今回も遥か後方に構えている。

 待ち伏せを警戒して進路を変えることは容易だが、それでは駄目なのだ。万全の準備を整えて待ち構える敵陣にまっすぐ飛び込んでいって撃ち潰す。それが重要なのだ。

 敵種族の総力を挙げてもこちらの子船一隻に敵わないことを証明して見せること。そしてそれによりこの種族を心底から絶望させること。

 それが命令の第一義として提示されたものだ。

 敵種族の艦隊全体の質量に比して、こちらの船体の質量は遥かに大きい。そして戦闘密度自体が技術格差によりこちらの方が遥かに大きい。

 負ける要素はない。


 だがそれでも未知の種族は未知の技術を持つことがある。科学技術は均等な発展をするわけではないからだ。

 一つ前の敵種族もそうだった。いつものように圧倒的に戦局は推移したが、未知の技術がそれをひっくり返した。

 今回の敵はそれよりも遥かに科学技術は低いがそれでも油断はできない。


 自分は突撃砲艦だ。イタカにはその自負があった。恐れることなく敵陣のど真ん中に飛び込み、荷電粒子砲で殴り合う。

 それが仕事であった。

 不安はある。だが恐れはない。


 真空の宇宙に、これから嵐が吹き荒れる。

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