第14話 2-C】地球脱出計画

〔 地球:2076/06/21 〕


 またもや会議だ。

 井坂技官はうんざりしていた。やるべき事が山積みなのに、この政治屋どもと来たら朝から晩まで会議を開いてそこで井坂たち宇宙技官に怒鳴るだけなのだ。まるで大きな声で怒鳴れば彼らの責任が果たされるとでも考えているかのように。

 幸い宇宙科学技術研究機関はどの国も属さない国際的な機関だ。あらゆる宇宙技術を一手に握る縁の下の力持ちのような存在であった。また宇宙航行に関する支援なども行っている。邪神軍の脅威が始まって以来その権限は大きく伸びていて、多少の無理は通せるようになってはいる。

 だがそれでも解決を求めて群がって来る政治家たちをすべて無視することはできなかった。


 今行われているのは地球脱出船の会議だ。

 土星会戦での敗退の後に地球各地で起きた脱出船建造の要求は今や大きなうねりとなっていて、これを将来の展望に取り入れることが各国の政治の争点となっていた。

 それと双璧を成していたのが降伏論であったが、こちらは各国が抜け駆けを狙って仕立てた使節船のすべてが捕獲され、例の残虐放送で搭乗員の骸の悲惨な姿が流されるに及んで消え去った。

 それに代わって台頭して来たのが、ほぼ諦めに近い論調の徹底抗戦論だった。井坂技官は論理的な帰結により徹底抗戦派であった。


 何よりも残虐放送の影響は大きかった。衛星アンテナを持った家庭ならば誰でも受信できるのだから秘匿しようがない。いくら取り締まってもネット上にその映像のコピーが流れるのだ。

 絶望の余りに自殺する人間が各地で激増した。暴動と反乱も頻発した。犯罪は凶悪化し、各国の統治機関は限界にまで圧力を受けていた。

 つまるところ、地球全体が迫りくる邪神軍に対して悲鳴を上げていたのだ。



 ようやく政治家同士でのマウンティング合戦が終わり、発言権を奪い取ったアメリカ大統領マクシミリアン・バーモットが立ち上がった。

 興奮に紅潮した顔を左右に振りながら、自説を喚き散らす。

「・・というわけで我々は脱出船の建造を要求する」

「どのぐらいの規模ですか? つまり何人ぐらいを脱出させるのです?」

 うんざりしたという口調で井坂技官が訊いた。どうしてこういう厄介な会議に毎回名指しで呼び出されるのかわからない。おまけに今日は何くれとなく助けてくれるレイチェルもいない。

「まずは一億人」マクシミリアン大統領がどうだという顔で言い放つ。

「不可能です」井坂技官は即答した。

「そんなことはないだろう」

 どこかで聞いたセリフがマクシミリアン大統領の口から出た。馬鹿は遷るのだなと井坂は心中秘かに思った。

 リスト・コムを操作し、植民に必要な物資のリストをスクリーンに映し出す。賢い振りをしたがる人間の口を塞ぐには、まず方程式、続いてずらりと数字が並ぶ表が有効であることを井坂技官は学習していた。

 かって異星への植民計画が持ち上がったときに作成されたリストがスクリーンに延々と流れ始める。それはまさに膨大なリストであった。策定の段階で計画が潰れた一番大きな理由は単純にそれに掛かる費用である。

「宇宙での植民一人につきどれだけの物資が必要か理解していますか?

 長期の宇宙での航行のための物資。生存に適した惑星を見つけてそれを開発するための物資。植民地が一人立ちできるまでの間の食料に燃料、ひょっとしたら水も。どれも膨大な量です。それに加えて植民船を作る資材も必要です。このリストはそれらをぎりぎりにまで抑えた計算ですが、それでも天文学的な金額となっています」

「一億人」マクシミリアン大統領は譲らない。

 彼には知性がない。これまでも同じセリフを執拗に繰り返すことで政治を行ってきたという評判が流れている。つまり彼は決して相手の言うことを聞かないのである。

 彼が耳を傾ける相手は彼の背後に居る複数の支持母体だけである。


「物理的に無理です。現時点で人類が使えるすべての資材を使ってもそれだけの植民船は作れません。

 それに脱出に反対するいくつかの理由があります」

「何があるというのかね?」

 ふんぞり返りながらマクシミリアン大統領が訊ねた。喋りながらも議場を撮影しているカメラのレンズに向けて、計算し尽くした笑顔で白い歯をちらりと見せる。

 おや、この馬鹿者、俺の言い訳を聞く気だぞ。井坂技官は少しばかり驚いた。

「邪神軍の母船アザトースはこの星系に来た時点で光速の二十パーセントで航行していました。我々の建造できるどんな船でもその速度は出せません。つまりどう逃げても宇宙空間で追いつかれるということです」

「邪神軍は追いかけてこないかも知れないじゃないか」

「今までの邪神軍の行動パターンを解析した結果では間違いなく追跡されます」

 これで納得してくれればいいがと井坂技官は願った。一隻でも多くの軍艦が欲しいのに、無駄と分かっているもののために大切な資源を取られてたまるかとの思いがある。井坂技官は現実主義者で、物事を甘く考えることだけはしない。

「それに加えてある問題があります」

「まだあるのか」マクシミリアン大統領が額に皺を寄せた。

「単純に心理学の問題です。ここに百万人に一人だけ当たる宝クジがあったとします。そのクジが当たらなかったからといって暴力に走る人間はいません。もともとの確率が大変に低いためです」

「それがどうしたというのだ?」

「分かりませんか? では百人に九十九人当たるクジではどうです。外れた一人はどうするでしょう? 場合によっては他人を殺してその席を奪おうとするでしょう」

「そうかもしれんな」議論の着地点は見えないがマクシミリアン大統領が相槌を打つ。

「この百万人に一人と百人に九十九人の比率の間のどこかに、暴動になるかならないか境界線が存在するということです。

 一億人乗れる脱出船は八十人に一人当たる宝クジだと思ってください。相当無理をすれば乗れることもあるだろうという確率です。少なくとも抽選に選ばれた人間を殺して抽選をやり直す価値は十分にあるのではないかと思えます」

「多すぎるというのか」

「ひどい話ですが、そうです。誰がその席に座るかで人類は百にも千にも分裂するでしょう。団結して敵に立ち向かうべきその時にです」


 しばらく沈黙が落ちた。背後に詰め掛けていた他の政治家たちがざわざわとし始める。さすがに政治家は人間関係に関してはプロであり、この問題が解決不能であることが理解されたのだ。あらゆる個人間で、あらゆるグループ間で、あらゆる国家間で、少ない、だが諦めるほどではない生き残りの席を巡って争いが起きる。

 そしてそれを止める方法はない。


「わかった。では一千万人」マクシミリアン大統領は提案した。

「多すぎます。それだけの資材があれば戦艦が四百隻は作れます」

「そんなことはないだろう」どうやらこのセリフは癖になるらしい。

「そんなことは有るのです。戦艦よりは植民船の方が大量の資材が必要なのです。戦艦は一回の作戦で長くてもせいぜい一年間しか活動しません。それに比べて植民船は一度飛べば数百年単位となります。つまりかかるコストは桁が二つ三つどころかそれ以上に違うのです」

「百万人。これ以下では話にならない」

 マクシミリアン大統領が食い下がる。自分の一言一句に支持率が直結しているから必死だ。

 移民船百万人分、それでも最大級の戦艦四十隻分に相当する。これは途轍もない資材だ。今は邪神軍との戦いに一隻でも多くの船が必要なのに。


 だが政治家連中も引かなかった。

 最後は各国の軍を動員しての反乱の脅しまで出て、ついに井坂技官ば折れた。

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