第10話 2】初戦(5)

 ランデブーポイントに向かっていたブルマン准尉が通信に割り込んだ。

「駆逐艦アドラ。こちらの回収は必要ない。ただちに動け。その代わりに補給ポッドをいくつか放出しておいてくれ」

 もう一つ通信が入った。同じくマザー・ファッカー部隊のバーンズ少尉だ。

「こちらも回収不要。そちらの撤退を援護する。それと俺にも飯をくれ」

 言うなり、怪物の死体に打ち込んでいたフックを外した。

 二人同時に叫んだ。

「俺たちはここで死ぬ。そのために来たんだ」

 ランデブーポイントDで待機していた駆逐艦アドラ、そしてそこに近づきつつあった駆逐艦フォートノックスは躊躇わなかった。お涙頂戴の言い争いをしている余裕はない。戦場では司令の命令は絶対なのだ。二隻の後尾から眼も眩むばかりの噴射炎が噴き出す。

 同時に周囲にイカスミ煙幕を吐き出す。それは反射率ゼロの微粒子で光学観測を無効にする。もっともそれはイカスミを使った自艦も同じで諸刃の剣とも言える防御兵器だ。つまるところ、負けが確定したときに逃走用に使うものなのだ。

 邪神船イタカから伸びた長距離砲撃がその煙幕を貫いたが、そのときにはすでに駆逐艦は移動していた。邪神船イタカの帆膜がまた新たな熱で輝く。

 ハチとワイバーンが駆逐艦に向けての追撃に入った。

 駆逐艦はそれでも強引に加速を続ける。敵である両者の間隙はじりじりと縮まっていく。

「ヒューイ?」ウーイック司令が訊いた。

「大丈夫です。今までの情報を統合すると、じきにハチたちは最高速度に達します。速度制限は遊弋航法の欠点です。それに比してうちの船はまだまだ加速します」

 それを裏付けるかのように、今度は駆逐艦がハチたちを引き離し始めた。

「これでもう大丈夫。上限速度を持つ奴等は追いつけない」

 そんなゲンの説明を基地管理AIが遮った。

「新しい種類の生体艇を確認」

 その言葉とともにスクリーンに拡大図が出る。

「イカだ」司令室の三人が同時に呟いた。

 それはどう見ても地球のイカそっくりだった。ただし、大きさは二十から四十メートル。ハチの倍以上ある大きさだ。地球のイカそっくりのそれは何かを大きく吸い込んで体を膨らませるとそれを吐き出した。軟体動物そのものの体が噴射と共に一気に加速する。

「真空を吸って、真空を吐いています」混乱した口調で基地管理AIのお袋さんが説明する。「凄まじい加速性能です。想定する軌道はこのようになります」

 スクリーンに計算結果が出た。イカの軌道は何度かの加速を繰り返した後に、逃げている二隻の駆逐艦の軌道と交差している。その総数百体。

「ヤバイ」ゲンが叫ぶと、制御板を叩いた。

 レーザー砲が以前にも増して咆哮を上げる。何度か外した後にイカの一匹を捕らえるとその腹に大穴を開ける。

「残り九十九匹!」ゲンが叫ぶ。「撃て撃て撃て撃て」

 ゲンが火器管制AIに向けて怒鳴り散らす。もちろん相手がAIの場合は怒鳴ることに意味はない。

 今や過熱で赤く輝いているレーザー砲が、それでも必死の砲撃を繰り返す。すでに砲身は自壊レベルに達している。

 ちらりとAIが出した軌道予想図を見てウーイック司令は決断を下した。

「駆逐艦両艦に告ぐ。エンジンを最大噴射せよ。リミッターは手動解除しろ。焼き付くまでエンジンをふかせ。噴射剤が空になっても構わん。地球側で受け止めてくれると信じろ」

 大きく息を吸い込んだ。

「全力で逃げろ!」

 駆逐艦から伸びるイオン化した炎がさらに長くなった。姿勢制御用のスラスターまでもこれに加わり、反動推進剤をまき散らしながら船体を揺らす。

 反動推進剤の容量限界を越えての加速は宇宙船乗りにとっての悪夢だ。速度が上がったまま推進剤が尽きれば、運が悪ければそのまま回収もされずに太陽系の果てへと至る長周期軌道へと入りかねない。だがこれ以外の選択肢は無かった。

 追撃するイカもそれに合わせて加速を強めた。

 大型レーザー砲が遠距離砲撃を繰り返すが、元々が対艦用なので、イカの速度と距離も災いしてその命中率は上がらない。蓄積した熱でレーザー砲は煌々と輝いている。いつ爆発してもおかしくない状態だ。


 ブルマン准尉の機体がくるりと回転すると前方に噴射を開始した。うまく相対速度を殺すと前方に浮かぶ補給ポッドに牽引ワイヤを撃ち込む。機体下部のメカ・アームが手繰り寄せた補給ポッドを掴むと自機に補給を始める。

 反動推進剤と弾薬の残数カウンターが戻り始める。バーンズ機が隣に来るとこちらも補給を開始する。それに少し遅れて随伴ドローン機が一機飛んでくるとこれも補給を開始した。


 じりじりと戦場のタイマーが進む。その間もイカの群れが軌道上を突進する。

 駆逐艦二隻は邪神船イタカから単純に逃げているのではない。その速度と位置から算出される軌道が将来的に地球が来る位置に一致しないといけないのだ。そうでなければ誰にも回収されないまま宇宙を漂うことになってしまう。

 そしてイカの群れも、駆逐艦と自分たちの速度を勘案して将来における会敵位置目指して突進する。お互いの速度と距離が複雑に絡み合い、微妙な駆け引きの下に相互の加速度を変化させる。ここまで来るともはや人間の計算能力では追いつけず、航行AIの独断場となる。

 駆逐艦二隻から五機の中型ミサイルが次々に発射された。この種のミサイルは全長100メートル近い。駆逐艦に載せられるミサイルの中では最大のものだ。

 与えられた戦略に従いミサイルはそれぞれ独自に軌道を変える。

「全弾だな?」とウーイック司令。手に汗を握りながらスクリーンを見つめる。

「全弾です」とゲン。

 レーザー砲がイカをもう一匹捉える。レーザー光を受けたイカの体が熱で弾けて分解する。

 そうこうする内に先頭を進むミサイルの一発がイカの群れに到達した。

 二十メガトンの核の閃光がスクリーンを埋めた。宇宙空間での核爆発は爆風の効果は期待できない。高レベルのガンマ線の放射がその攻撃のすべてだ。

 爆発の傍らにいたイカ数体の体に無数の水泡が生じた。その動きが狂い、しばらくデタラメな動きをした後に、動きを止めて宙を漂い始めた。一見何の影響も受けていないかに見えたイカの一部も動きがおかしくなり、やがて死んだ。

 基地管理AIが残りのイカの数を素早く数えた。

「残り八十八体です」

「次のミサイルが来るぞ」

 今度は二機のミサイルが同時にイカの群れに飛び込むと破裂した。その内部から無数の小型ミサイルが放出されると、それぞれ相手とするイカを見つけて追跡を開始した。

 無数の爆発がイカを襲った。使っているのは強力無比なIECM爆薬だ。イカの体が次々に吹き飛び、引き裂かれる。

「いいぞ。残り五十体。これなら行ける」

 最後の二機のミサイルはイカの群れの前方に回り込んでいた。まだ距離があるうちに二機とも破裂した。放出された無数の小型ミサイルが宙を満たし、巨大な傘を形成してイカを迎え討つ。

 イカの群れも黙って突進するだけではなかった。一際大きなイカが前方に突出すると、小型ミサイルの傘の真ん中で大爆発を起こした。

「!」ゲンが絶句した。

「自爆だ。それも特大級の。イカは爆撃機の役割をするようだ」ヒューイが冷静な声で解説する。

 大きく穴が開いた傘の中央をイカの群れが駆け抜ける。相対速度5キロでのすれ違いは一瞬だ。周辺の小型ミサイルが横をすり抜けて行くイカを何とか捕らえようと必死の機動を行ったが、わずかに二匹を捕らえるに終わった。

「残り四十八。中型ミサイルはこれで終わりです」ゲンが憎々し気に言った。


 戦いは次のフェーズに入った。

 駆逐艦二隻から今度は小型ミサイルが放出された。前を行く駆逐艦アドラから出た小型ミサイルは後から来るフォートノックスの周りに集まった。

 それらを引き連れたまま駆逐艦フォートノックスが回頭を始めた。当然加速はできなくなるのでフォートノックスが明確に遅れ始める。

 一瞬だけフォートノックス艦長の顔がスクリーンに映る。

「こちらフォートノックス。駆逐艦アドラへ。援護する。そのまま止まらず進め」

 返事を待たずに通信は切れた。

 回頭が済んだフォートノックスが船首のレールガンをイカの群れに向ける。

 撃った。撃った。撃った。フォートノックスは砲身が焼け付くまで撃ち、それからレールガンは停止した。

 相対速度20キロの死の弾丸。レールガン砲弾はイカの群れの中を通過し、一匹を爆散させた。

 スクリーン上で速度の落ちた駆逐艦フォートノックスにイカの群れが迫る。

 フォートノックスの周囲で待機していた小型ミサイルが噴射を開始し、近づいたイカに襲いかかる。イカも触手の先についた武器を使い迎撃に入る。

 すでにレールガンは散弾に切り替えられている。砲身は当の昔に過熱し爆発の危険域に突入していたが、リミッターを手動で外して撃ち続けていた。散弾を受けて穴だらけになったイカが周囲をすり抜けていく。

 駆逐艦の対空レーザー砲塔がそれらに止めを刺して行く。

 イカの一匹が防衛網を突破し、駆逐艦の船体に迫る。

 背後からスマート弾の嵐がイカに撃ち込まれ、その命を絶つ。

「騎兵隊参上!」ブルマン准尉が叫んだ。

 三機の宙航戦闘機がミサイルとレーザーと機関砲を乱射しながら突入する。

 二人は縦横無尽に撃ちまくった。無数のイカの体が引きちぎれ、炎に包まれる。たちまちの内にイカの多くがひき肉に変わる。

「くらえ、この野郎」

 入れっぱなしの通信機からブルマン准尉の叫び声が響く。

 スマート弾薬がイカの胴体にめり込む。イカも負けじとばかりに触手をくねらせる。その先端に埋め込まれた武器が閃光を発する。

「バーンズ少尉。イカは三発では死なない。一連射入れろ」ブルマン准尉が怒鳴る。

「了解。ブルマン、後ろ!」

 ブルマン機の背後に迫ったイカが銃撃を加える。それを受けてブルマン機の左翼が吹き飛んだ。

 次の瞬間、ドローン機が割って入り、イカの体にスマート弾丸を撃ち込む。

「残り七匹」ゲンが実況中継する。

 次の一匹はバーンズ少尉が仕留めた。後ろから前へスマート弾丸の一連射を撃ち込む。

 イカは応戦を止めて、前へ進むことだけに注力し始めた。一層素早く何かを吸い込み吐き出す。イカのすぐ後ろを飛んでいたブルマン准尉の機はそれをまとも浴びているはずなのだが、何も変わったことは起こらない。まさにイカは真空を吸い込み真空を吐き出していた。

 そのまま戦闘AIのサポートで照準をつけ、引き金を引く。スマート弾丸がイカの体に命中しそこで致命的なトンネルを掘り進む。

「残り六匹」

「こいつは俺が殺る」

 バーンズ少尉が宣言すると射撃する。スマート弾を受けたイカの体が傾き、横に逸れる。

「残り五匹」とゲン。

「くそっ。もう弾が無い」

「こちらもだ」

 宙航機の二人が悪態をつく。それからアフターバーナーを吹かした。宙航戦闘機が弾かれたように前に飛び出し、駆逐艦フォートノックスに追いつきそうになっているイカを目指す。

 バーンズ少尉がレーザーを乱射してイカの触手を半分吹き飛ばす。だが遅すぎた。イカは残った触手でフォートノックスの船体に巻き付いた。

「まずい!」全員が同じことを思った。

 一瞬の間の後に、イカが大爆発を起こした。

 光輝く爆発雲が広がり薄まり消え去ると、横腹を大きくえぐられた駆逐艦フォートノックスの姿が現れた。

 駆逐艦のエンジンが止まり、元の速度を保ったまま漂流を始める。

「くそっ。なんて威力だ。核兵器並みの威力があるぞ」ヒューイが指摘した。

「まずい。この宙域で漂流なんかしたら邪神軍に捕まるぞ」ゲンが呻く。

 少し間を置いてフォートノックスの後部から光が沸き起こり、爆発が始まった。


「これで少なくとも捕まる恐れはない。あの爆発はIECM爆薬特有の高輝度発光だ。弾薬庫に引火したんだ」スクリーンを見つめていたウーイック司令が苦々し気に言った。

「残り四匹」ゲンがカウントを続けた。そのときレーザー砲撃がイカに命中した。「もとい、残り三匹」

 ドローン機のエンジンが止まり、後に置いていかれる。推進剤切れだ。遠ざかりつつあるイカ目掛けて、ドローン機はわずかな期待を込めた弾丸を撃ちだしたが、命中はしなかった。

「逃がすものか!」ブルマン准尉が叫んだ。

 ブルマン准尉とバーンズ少尉の二機がイカの一匹に追いすがる。アフターバーナーの噴射炎は白熱し、機内では警告音がけたたましく鳴っていたが二人とも無視した。すでに両機とも推進剤の残りは僅かだ。

 イカの両側からレーザーを撃ち込む。イカの表皮がレーザーパルスが引き起こす小規模な爆発で弾け、やがて内臓が飛び出した。絶命したイカの体が傾くと駆逐艦アドラから離れていく。

「次だ」

 バーンズ機が次のイカに近づいたとき、そのイカの体がいきなり膨らんだ。強烈な爆発の閃光がバーンズ機を包み、それが消えた後には何も残っていなかった。

「バーンズ! 畜生。俺もすぐに行くぞ」

 ブルマン准尉の声が響く。

 残り一匹のイカが今や生き残った最後の駆逐艦アドラに迫る。

「させるかあ」

 ブルマン准尉の機体が突進した。照準をつけて引き金を引く。

「!」

 レーザーは発射されない。過熱による故障警報が制御盤の上に赤く光る。

「マザー・ファッカー!」

 ブルマン准尉は一声だけ叫ぶとアフターバーナーのリミッターを外した。

 警報音がさらに音を強めたが素早くスイッチを切った。コックピット内が一気に静かになる。背後で爆発的な反応をしているエンジンの振動だけが、ダンパーを通じて感じ取れる。

 凄まじい加速度が機体を、そしてブルマンを揺さぶった。ブルマンは食いしばった唇の間から、欠けた歯を無理に押し出す。

 マーク4宙航戦闘機は爆発的な輝きに乗って宙を駆け、イカの体に突き刺さり、その体を真っ二つに引き裂いた。そして宙航戦闘機の先端が砕け、機体がまるで紙細工かのようにバラバラに分解する。衝撃で操縦ポッドの支持ロッドが折れて、コックピットが丸ごと宙に放り出される。

 ブルマン准尉の通信が切れノイズ画面になる。通信途絶のテロップがひらめく。

「ブルマン! ぶるまん! 返事をしろ。この野郎!」

 ウーイック司令が怒鳴ったが返事がない。

 ゲンとヒューイが天井に向かって静かに敬礼をした。

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