第3話 1-A】対極
〔 地球 ワシントン宇宙科学技術局本部:2072/3/10 〕
宇宙科学技術局二等技術士官の井坂裕司は疲れた顔でリストコムを叩いて資料を配信した。
大会議室に並べられた椅子の上には中央に国際的機関である統合連合の代表者たちが座っていて、その左右には地球各国政府のお歴々がずらりと並んでいる。彼らの背後には椅子に座れなかった者たちが立錐の余地もなく立ち並んでいる。護衛や秘書のための椅子は用意できなかったので、彼らはすでに一時間に渡って立ちっぱなしである。
大会議室のエアコンは稼働しているがこの大人数では焼け石に水だ。護衛たちは彼らのボスが口に運ぶ水のボトルに羨ましそうな目を向けている。
その背後の壁に無数に投射されているリモート会議室の風景の中はもう少しマシだ。どれも世界中の政府施設や研究機関であり、通信は相互に行われているので、換言すれば今この会議室は世界中のブレーンの総てと直接に繋がっているとも言える。
凄いメンバーね。井坂技官の隣の席で、同じく技術仕官のレイチェル・J・フェンは顔は動かさずに目だけで会議場を見渡した。傍から見ていても彼女がその金髪の下で何を考えているのかは分からないほどの完璧なポーカーフェイスだ。厳格な兄が多い家庭で育った女の子は、弾けた性格になるかあるいはレイチェルのような策士になるのかで二極化する。
地球の頭脳って言うけど、ここの全員の知能指数を計ったら多分人類の平均を大きく下回るのよね、と絶対に口に出せないことをレイチェルは考える。コムを叩いて全員の表情を記録し後に備える。表情認識ソフトを使って彼らの内なる感情をデータベースに取り込むのだ。ついでに彼らのコムに秘かにハッキングを仕掛けているのは井坂技官にも内緒だ。ほとんどのコムのガードは堅牢だが、中にはマトモに鍵さえ掛かっていないものもある。
惑星規模の政治は決して綺麗ごとでは済まされない。こういった情報は非常に貴重だ。井坂技官はこの方面には詳しくないので、これは自分の仕事とレイチェルは心得ている。
井坂技官の合図で、レイチェルが手首のコムを操作する。会議室の大スクリーンに次から次へと図表が出るが、実際には誰も見ていない。誰もがただこの焦熱地獄となった会議室の苦痛から早く解放して欲しいと願うばかりだ。
「以上が当部署による解析結果です」
井坂技官が締めくくった。目の下の隈が凄い。実のところ、異星船が現れてからというもの技術局では局員全員で連日の徹夜が続いている。井坂技官に取っては同じく徹夜を続けているレイチェルの顔に疲れが見えないのが最大の謎であった。
井坂技官が最初にファーストコンタクトの報告を受けたときには、驚きと共に未来への期待に胸がはちきれんばかりだった。ついに新宇宙時代の幕が開けるのだとの確信があった。
だがたった四時間後にその期待は粉々に打ち砕かれた。送られて来た情報、特に駐在員が惨殺される映像には恐怖した。そこにあったのは悪夢の光景。長い間地球のSF作家たちが思い描いてきた恐怖、すなわち悪意を持った遥かに進んだ文明からの接触というシナリオが現実のものとなったのだ。
その後は宇宙科学技術局の技官全員が眠らずに情報の解析作業を続けた。
「何か質問はありますか?」井坂技官が言った。
「よくわからん」
制服の前にたくさんの勲章をつけた小太りの宇宙軍大将が立ち上がると言った。
井坂技官の手元のコムにAI秘書により相手の情報が素早く表示される。
宇宙軍大将フェルディナント・J・アクタス。その下に井坂自身のメモが提示される。
『アホウ大将』
宇宙軍トップ三大将は技官の間では秘かに三バカ大将と呼ばれている。
宇宙軍の仕事は大まかに言って三つに分類される。海賊の討伐、密輸の取り締まり、そして各惑星や基地の補給救援作業だ。つまり本格的な戦争行動は無く、その結果として実績ではなくあくまでも政治的な駆け引きの結果としてトップに上がるという悪習がある。
その結果が三バカ大将の誕生であり、それぞれアホウ大将、間抜け大将、馬鹿大将と陰で呼ばれていた。その中でもこのアホウ大将は一番ひどい。この将軍はひどく愚かなのだが、それに輪をかけているのが自分がとても賢いと思っていることなのだ。だから彼との会話では井坂技官はいつも殺意を覚えるまでに苛つかされる。
ここまで長い間説明しての第一声がわからんの一言かと、井坂技官はうんざりとした。分からないなら黙っていればよいのに。どのみちこの男は井坂技官の説明の間ずっと目を瞑っていた。たまに大きなイビキをかいていたので居眠りしていたのは明らかだ。
フェルディナント大将は人の発言を根に持つタイプであり、彼の怒りに触れて消えていった技術技官は多い。彼は自分より賢いと思った相手を徹底して追い込む悪い癖がある。だから将軍の周囲にいる人間はみな将軍より賢いことを必死で隠している。
「ヤツラは何者だ?」アホウ将軍は質問した。
分かるわけが無いだろう。井坂技官はウンザリした。こちらが持っている相手の情報なんて天王星ステーションから送られてきた映像だけなのだ。推測しようにも材料がほとんどない。
「不明です」仕方なしに井坂技官は答えた。
「不明とはどういうことだ」アホウ将軍が返す。
「言葉通りです。天王星観測ステーションからの情報だけでは何も分かりません」
「そんなことはないだろう」いつものセリフをアホウ将軍は口にする。
自分に都合の悪そうなことには常にこのセリフだ。議論もなし。報告も聞かず。ただ一言だけこの言葉を返す。ソンナコトハナイダロウ。後は一切話を聞かない。これで相手を論破したつもりでいるのが呆れた所だった。
「フェルディナント将軍閣下」井坂技官は疲れた声で言った。「将軍閣下はここにある以外の情報をお持ちですか? もしお持ちならご提供くださると有難いのですが」
「私がいつ他の情報を持っていると言った?」
「ではここにある情報から彼らの正体を推測する術をお持ちなのですか」
「私はそうは言っていない。それを何とかするのが君たちの仕事だろうと言っているのだ。つまり自分たちは役立たずだと君はそう主張しているのかね?」
まるで鬼の首でも取ったかのような将軍の物言いに内心激怒しながらも顔には出さずに井坂技官は答えた。
「その通りです。すべて私たちの責任です」
「よろしい」将軍は満足そうに答えた。
こんな所でもマウント取りか。極め付きの馬鹿が。この会議には人類の未来がかかっているのだぞ。
井坂技官は思わず舌打ちしそうになってしまった。だが集音マイクは敏感だ。舌打ちの音ははっきり捉えられる。だから絶対にやってはならない。
レイチェル助手の手が偶然井坂技官の手に触れたような振りをして、その実そっと井坂技官を慰める。
井坂技官のコムに割込み通信が入ると、レイチェルからの秘匿メッセージが出る。
『エアコンの動作を半分に抑えています。だから会議はすぐに終わります』
そうかそれでこんなに部屋が暑いのか。井坂技官が目を丸くした。アホウ将軍の方が太っているし年上だ。この状況にどこまで耐えられるか。
その後すぐコムに会議場の見取り図が表示された。その見取り図の中でアホウ将軍のいる場所への送風がわざと弱めてあるのが見て取れた。
俺にはレイチェルという強い味方がいる。井坂技官は気力を奮い起こした。
「この怪物たちは強いのか?」次の質問だ。
アホウ将軍は井坂技官が何か言ったらすぐに揚げ足を取ろうと待ち構えている。それが自分の知性の高さではなく、単に権力を笠に着た虐待だということに自分でも気づいているのかどうか。その顔に浮かぶ大粒の汗を見て、井坂技官は少しだけ溜飲を下げた。
「誤解されやすいですが彼らは怪物ではありません。高度な科学力を持った異星人です」
「そうは見えんな」
見た目で判断するな、この馬鹿、とまたもや危うく口に出しそうになる。
「彼らは全長四百二十キロの大きさの巨大船を星間空間を越えて飛ばしてきました。我々がそういうことができるようになるまでに最低でもあと五百年はかかります。つまり彼らの科学力は現時点でも我々より五百年は先行していると考えてください。見た目に騙されてはいけません」
「だが銃を使うわけでもなく、でかいトンボに乗ってやってきて、武器も持たない民間人を食い散らかしただけだぞ」
「あれはトンボではありません。トンボは宇宙空間を飛べません」
「いや、あれはトンボだ」アホウ将軍はしつこい。
「トンボではありません」
ため息をつきたい気分を押し殺して井坂技官はスクリーンを制御した。
天王星観測ステーションのメンバーがバラバラに引き裂かれる映像が映し出され、続けてその映像の一部が拡大された。その酷い光景に会議場がざわめく。彼らももう何度もこの光景を見ているはずだが、それでも衝撃的な光景だった。
「ここを見てください。これはこちらの宇宙服の各部についている制御板の一部です。そしてそれが彼らの触手のトゲにより切断されたものです。制御板は決して壊れてはいけないために、非常に丈夫な合金で作られています。
そうです、その金属は我々の最新戦車の装甲に使用されているものと同じです。つまり彼らの触手はこちらの戦車を寸断する能力があるということです。もちろん自然界ではあり得ない現象です。
このトゲは超がつく硬度の合金を高周波振動ブレードに仕上げたものと考えられます。
我われ技術局の推論では彼らは高度に戦闘サイボーグ化された存在ではないかと睨んでいます」
井坂技官がコムを叩くと次の映像が映し出された。将軍がトンボと表現した彼らの小型艇だ。
「飛行方法は不明です。分析しましたが、ここに見える羽は空気を叩いて飛ぶ地球の昆虫のトンボと同じ動きをしています。ただし真空中で作動しています」
「いったいどうやって?」
「不明です」
「それじゃ、全然駄目じゃないか」アホウ将軍が畳み込んだ。
「すみません」
こいつは常に相手を侮辱しないと話ができないのか。そう思いながら井坂技官は答える。レイチェルがまた井坂技官の腕を優しく叩く。
コムにまた見取り図が出た。今やアホウ大将がいる席には熱風が吹きつけている。
ありがとうレイチェル。井坂技官は思った。君がいなければ俺はとうの昔に銃を抜いてこのアホウ将軍を撃ち殺していたことだろう。もっとも会議室に銃の持ち込みは禁止されているが。
次の映像が出る。今度は棒状の宇宙船だ。後ろ側に何かの膜が張られている。
異形の船。全体が暗色の奇妙な色の鱗に隙間なく覆われている。目立つ位置から何本か飛び出した眼柄の先端に丸い目がついている。
「後方に展開されているのは帆です。つまりこれはまさに帆船なのです。真空中には風などないのにこの帆は風をはらんでいるように見えます。さらに拡大して調べたところ、この帆は実際に何かの風をはらんでいると結論が出ました。帆の動きに合わせてわずかに船の軌道が変化することが分かっています」
「いったいどうやって」
「知るか」思わず小さく声が出てしまった。
「何だと!」アホウ将軍が怒鳴った。こういうところだけは地獄耳だ。
「方法は不明です。我々技術班の力不足です」井坂技官は言いつくろった。
「よろしい」
将軍の満足そうな声と顔。侮辱には異常にまで敏感で、そのくせ常に相手を侮辱して馬鹿扱いしないと収まらない。将軍の歪んだ性格に井坂技官は吐き気がした。
本来はこの説明会はデュラス技官の役目だったのだが、アホウ大将が出席すると知って井坂技官にこの辛い仕事を押し付けて逃げたのだ。
気を取り直して井坂技官技官は次の映像を出した。今度は昆虫の蜂のアップ映像だ。
「地球の蜂は羽ばたきにより秒速九メートルで飛ぶことができます。この異星の小型船は同様の羽ばたきで秒速十キロメートル程度まで加速することができます」
「どういうことだ?」
別に自分に向けての報告ではないのにアホウ将軍は食い下がる。その顔は真っ赤で、汗が筋を引いている。それでも頑なに軍服の襟を緩めない。
「彼らの推進法についてはまったくの不明です。我われの科学の域を越えているためです。しかし彼らは真空中を羽ばたきで飛ぶことができることは事実です。もしかしたら羽ばたきはただの偽装で、重力波推進などを行っている可能性もあります。この謎の飛行方法を我々技術局は遊弋航法と呼ぶことにしました」
そこで井坂技官は一区切りおいた。
「これらはみな、恐ろしいほどの高度な科学力の産物なのです」
「ということは?」またもやアホウ将軍が尋ねた。完全に自分が議長のつもりだ。
「この戦い、我々に勝ち目はありません」井坂技官技官は断言した。
「そんなことはあるまい。我われには核兵器がある」
「核兵器などは彼らにとっては玩具です」
「嘘を吐くな!」将軍は怒鳴った。
「嘘ではありません」井坂技官は冷たい声で答える。
「敵はせいぜい宇宙船が三隻だぞ」
「数ではありません。彼らの一番小さい船でも、我々が持つ全艦隊の総トン数を遥かに越えています」
「そんなことはないだろう」
ここで事実を否定していったい何が解決するんだこのアホウ。井坂技官は口の中でそう呟いた。いつの日か、抑えが効かなくなって大声でこのアホウ大将を怒鳴りつけることになるのだろうなとの予感があった。
げっそりした顔で井坂技官は手首のコムを操作した。空中に数式が投影される。馬鹿を黙らせるには方程式を見せるのが一番よいと、今までの経験で分かっていた。彼らは数式にアレルギーがあるのだ。
「母船が0.2光速から減速したときに放射したエネルギーの推定値です。TNT換算で表現するなら223ゼタトン、つまり我々の持つ最大の核兵器の二千兆倍のエネルギーに相当します。彼らはそれだけのエネルギーを自由に扱えるということです」
「分からん」案の定、数式を見て将軍は大人しくなった。
「想像してください。向こうはその気になれば最大級の核爆弾を二千兆個ほどこちらに撃ち込めるということです」
ようやく理解したのかアホウ将軍の顔色が土気色に変わり押し黙った。すると別の一人が口を開いた。統合連合の事務局長だ。かなりの隠然たる勢力の代表なのだが、実態はただの風見鶏だと井坂技官は見抜いていた。巨大で複雑な組織である統合連合には黒幕と目される組織が十は存在する。そのどれもがこの人物一人を手先として扱っているという噂だ。
「一つ聞きたい」事務局長は口を開いた。
「はい」井坂技官は顔を上げた。
「我々は戦うべきだと思うかね?
彼らの目的は?
最初の出会いこそ最悪だったが、これらはすべて何かの誤解であるという可能性は?」
「どれも不明です」
結局、質問は一つでは済まないのだなと井坂技官技官はため息をついた。
「あらゆる電波、放射線、可視光レーザー、紫外線、赤外線による通信は失敗しました。彼らとは一切のコントクトが成立していません。たった一つのコンタクトとでも言えるものはこの天王星観測ステーションでの惨劇だけです。そしてコンタクトから分かる彼らの敵意は明らかです。誤解の余地はありません」
騒めいた会議室の中で次の一人が手を挙げた。
「それで彼らは今どうしているのですか?」
「それだけははっきりしています」井坂技官技官は映像を出した。
巨大母船が宇宙に浮かんでいる映像。その横にいくつもの数字が浮かんでいる。
「二隻の子船を内部に収納した後にこの巨大母船は秒速十キロメートルという低速で太陽系の中心に向けて進み始めました。
軌道を計算した所、四年後に彼らは我々もよく知っている場所と交差することになります」
「どこなんだ?」と事務局長。
「土星観測ステーションです。彼らは太陽系を外側から順々に攻めるつもりなのです」
会議場がざわめいた。
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