第2話 1】邂逅

〔 天王星観測ステーション:2072/3/06 〕


 天王星観測ステーションは地球から一番遠い位置にある有人ステーションである。ここは天王星の軌道上に作られた太陽系最辺縁宇宙ステーションで巨大な光学望遠鏡と分散型電波望遠鏡により構成されている。それに申し訳程度に付けられている居住モジュールがステーションの総てである。

 設置されている観測機器は高額だが、あまりにも遠い場所なので海賊すら襲おうとは思わない。そんな場所だ。

 エネルギー源は小型の核分裂パイルを使っていて、常時生成される電力を瞬間電力蓄積装置バタシターに蓄積して使用している。

 主たる観測対象は天王星ということになっているが、実際には時間の半分は外宇宙の観測に使用されている。将来の太陽系外への進出を睨んでの最前線をになうのがこの基地のもう一つの顔である。

 外宇宙観測基地は他にも太陽系各所に設置されているが、ここのものが一番大規模であった。


 太陽系中心部から離れれば離れるほど望遠鏡の視界はクリアになる。可視光領域でも赤外線領域でも電波領域でもそれは同じだ。極論してしまえば何もない宇宙空間に観測ステーションを設置するのが一番理に叶っているのだが、虚空に浮かぶ小さなデブリのような観測ステーションに勤務したがる人間が皆無だったというオチがつく。最終的には人間のメンタルはこういう状況に耐えられないと心理学会からの報告が挙がる結果に終わった。

 そういうわけで全部で十五ある星系外観測ステーションはすべてAIが管理する自動観測拠点となっている。しかしAIによる自動化は想定外の事象に弱く、やはり有人のメリットが大きいという理由で作られたのがこの天王星観測ステーションだ。


 地球からの距離があるだけに天王星ステーションの保守は大変だ。高エネルギーレーザーを使った通信でも地球からの片道指令ですら三時間を要するし、人員の移動とくれば高速船でも何か月もかかる。それもあって一度このステーションに赴任すれば三年は帰ることはできない。保守観測要員は三人で構成され、一年に一度の補給船で一人が入れ替わるシステムになっている。


 この時も天王星観測ステーションの巨大望遠鏡は外宇宙を向いていた。前回の地球からの通信により異常物体発見の報告があったためだ。天体観測というものは太陽系各部の望遠鏡が星空を継続的に走査し、変化があった部分を集中的に精密走査するという作業の繰り返しとなる。大型望遠鏡でも見えるのは星空のごく一部で、それぐらい宇宙というものは広く果てがない。

 天王星そのものは地球の四倍ほどの大きさである。その軌道上で巨大望遠鏡は主軸の微調整を繰り返していた。誤差を修正し、その修正の誤差を修正し、その修正の誤差をさらに修正する。望遠倍率が大きくなるほどこの作業は大変なものになる。

 望遠鏡が目的の方角を中心として螺旋状に捜索範囲を広げていく。そこに見つかった光点はデータベースと比較照合され、新天体かどうかを専門のAIが判断する。

 気が遠くなるほどの地道な作業である。


「いたか?」

 仮想キーボードを叩きながらボブ・アンドレイ一等技師が聞く。ボブはこの観測ステーションの責任者だ。

「まだ見つからんぞ。オリオン座ガンマの方向でいいんだよな?」

 後ろで別の操作を行っていたフィリップ・マンダークが答える。彼は科学協会のメンバーで博士号を持つれっきとした天文学者である。一種の科学オブザーバーとしてここに来ている。

「本当に何かいるのか」

 不満を漏らしたのは皮肉屋のアニソン・イーヒスだ。この基地の雑用を一手に引き受けている作業員だ。溶接から電気工事まであらゆる作業を卒なくこなす男である。

「また誤報じゃないのか」

「だとしても無視するわけにはいかんだろ。俺たちはこれで飯を食っているのだからな。それに今回は他の観測所でも確認されている。何かが爆発的に輝きながら減速行動を行ったらしい。明らかに高度な知性の産物だ。地球では今その噂で持ち切りらしい」

 言いながらもボブはスクリーンから目を離さない。

「ええと」フィリップが通信文を再現した。その中のある項目に目をやると思わず口笛を吹いた。

「推定放出エネルギーが9×10の32乗ジュールだって? 信じられん」

「馬鹿にも分かるように話してくれ」とアニソンが皮肉を言う。

「ええと、ちょっと待ってな。だいだい俺たち人類が使う最大の核爆弾が百メガトンだ。これは分かるな?」

「うん、ものすごくでっかい爆弾だな」

「こいつが放出したエネルギーはそれが二千兆個分に相当する」

「冗談だろ!?」アニソンが目を剥いた。

「冗談だったらいいな」

 フィリップはため息をついた。

「下手すりゃ、そんな連中相手にファーストコンタクトか? 余りにも荷が重いぜ」

 フィリップはそう続けると、操作していた監視AI群に命令を出した。

 うなりを上げて巨大望遠鏡の焦点が再度変化する。監視ステーションの基本は電波観測だが、光学望遠鏡も併設されている。周囲に広く展開されている電波望遠鏡群が協調して主観測を行い、その結果を受けて高精度光学望遠鏡を動かすのがいつものやり方だ。

 ほどなく監視AIが柔らかい警報音を鳴らした。

「見つけたぞ。想定よりもこちらに近づいているから映像情報が分散したんだ。今すぐスクリーンに出す」フィリップが言った。

 巨大望遠鏡が微調整されると共に、眼前の大スクリーンに映像が出る。

 それを見て三人とも絶句した。

 スクリーン中央に浮かんでいるのは紡錘形の何か。どう見てもその表面はぶよぶよと脈動している。さらには眼としか思えない突起がいくつも突き出し周囲をぎょろぎょろと睨んでいる。弱い太陽光の下では色は判別し難いが、何かの奇妙な文様が全体に刻まれている。見守る内にそれは蠕動し、表面にヒビが走った。目の焦点がようやく合い、それがヒビではなく全体を覆う不定形の鱗の隙間だと気づく。その隙間からは赤い光が噴き出し蠢いている。

 その周囲にはさらに二つの物体が随伴している。一つは球状、もう一つは棒状で周囲に膜が展開されている。


 それらは生物にも人工物にも見えた。だが共通して言えることは見る者の心に言い知れぬ不安を生じせしめるものであった。

「何だこれは」

 答えの出ない問いを誰かが発した。

「生物なのか。これは」フィリップが感想を漏らした。「機械だとすれば設計思想が狂っている」

「それも醜い」思わずもアニソンが呟いた。「食事時でなくてよかった」

「ドップラー計測続けています・・計測結果が出ました」AI音声が告げた。「画像中央の物体は全長四百二十キロ、幅高さ共に六十キロあります。全体は紡錘形。重量は不明。これを物体Aと呼称します」

 さらにAIは続けた。

「太陽系平面上側に位置する物体を物体Bと呼称します。物体Bは直径十キロメートルの球形です」

 太陽系平面上側とは太陽を中心とした太陽系円盤上で右回転した場合の上軸を意味している。

「太陽系平面下側に位置する物体を物体Cと呼称します。物体Cは全長十キロメートルの棒状ただし周囲に薄い膜のようなものを展開しています」

 次々と解析情報が提示された。質量はいずれも不明。赤外線放射は最低。ただし時々強烈な放射を行う。基本的に電磁放射の痕跡は無し。

 推進方法は不明。そして一番大事なことは、この天王星監視ステーションに真っすぐに向かっていることだ。


「確かにどうみても生物だな」ようやくボブが感想を漏らした。

「ありえない。そう見えるだけだ。星間空間で生きられる生物など存在しない」とアニソン。

 もっとも自分でも自分の言葉を信じてはいなかった。

「どちらにしろこれはファーストコンタクトだ」ボブは結論を述べた。

 そう言いながらデータベースから星間協議体の発行したファーストコンタクトの手順書を引き出す。これまでただの一度も使われたことのないものだ。

 地球への通信はAIがすでに送信しているが、返事が返って来るのは最短でも六時間も後だ。

「物体Cから小型物体が放出されました」

 AIが報告した。

「四時間後にこちらに接触すると予測します」


 三人は良く働いた。観測基地にあるありったけの記録装置をフル活動させ、貴重な原子力電池の電力を最大限まで使用する許可を与え、通信路を最大帯域で動作させた。迫りくる三つの異星の物体を克明に記録し、邂逅に備えた。

 武器になるものを探したが天王星監視ステーションに武器の類は置いていない。この場所では装備の重量はそのまま高額な輸送費に置き換えられてしまうためだ。不要と考えられたものは一切配備されていない。

 その代わりにアニソンが修理用の溶接トーチを引っ張りだしてきた。



 四時間後、連絡艇と思われる小型物体が観測ステーションの前にある降着プラットフォームに到着した。

 緊張に顔を強張らせたボブとフィリップが宇宙服を着て出迎える。

 相手の連絡艇は奇妙なほど巨大なトンボに似ていた。大気のない宇宙空間の中でそれはまるで風を受けているかのように羽を震わせ、しなり、唸った。外部大気圧は相変わらずゼロを示したままなのに、宇宙服のヘルメットが何故か振動した。まるでその巨大トンボが風を起こしているかのようにだ。

 二人の目の前で連絡艇が割れた。

 そこまで来て初めて、トンボがその足の間に何かを抱えていて、それが解放されたのだと理解した。

 悪夢の塊。

 その存在はそう表現するしかなかった。


 それはどう見てもトゲの生えた触手の塊であった。触手の繋がる中央に三つの目が光っている。その下に牙の生えた口が開き、中からずるずると長い舌が伸びた。その舌から何かの粘液が飛び散り、周囲に浮遊する。

 ひぃとフィリップが小さな悲鳴を上げた。

「落ち着け」ボブが無線で窘めた。「見た目が何であれ、高度な科学力を持った宇宙人だ」

「そうだな」フィリップが威厳を取り戻した。「でも吐きそうだ」

「凄いな。宇宙服を着ているように思えない」

「あれが着れる宇宙服なんか、この世には存在しない」とフィリップが返した。

「表面を濡らしている粘液が宇宙服の代わりをしているのかもしれない。我々が知らない科学という可能性はある」

 タコを思わせる姿から生えた触手が二人に迫って来る。真空中に剥き出しになったそれはまるで何かに濡れているかのようにも見えた。

「友好の握手をしようとしているんだよな」震える声でフィリップがつぶやいた。

「それ以外の何がある」

 ボブはそう言うと一歩前にでて、迫って来る相手に向けてゆっくりと開いた右手を差し出した。このゼスチャーが通用すればいいなと思いながら。触感付きの高級宇宙服でなくてよかったと秘かに感謝した。あの触手の感触など知りたくもない。

 相手はボブの手前でいったん立ち止まると、自らもトゲの生えた触手を差し出し、ボブの右手を巻き込んだ。優しく、それでいて強い抱擁。ボブは抑えていた息を吐いた。

 トゲが蠕動しボブの宇宙服を引き裂くと剥き出しになった腕をひき肉に変えた。残りの触手が逃げ出そうとしたフィリップを捕らえて引き寄せた。二人の悲鳴が無線周波帯いっぱいに満ち溢れた。


 その後の映像はひどいものだった。

 続けて到着した連絡艇から他の怪物が現れると、この饗宴に加わった。

 蜘蛛を思わせる何か。

 いくつも首を持った蛇を思わせる何か。

 無数の目の塊にしか見えない何か。

 その姿はさまざまだったがどれも悪夢から湧き出て来た怪物という点では同じだった。

 牙、粘液、爪、そして悲鳴。丈夫なはずの宇宙服は紙のように引き裂かれ、空気と共に中身が宙に噴き出した。体からとめどなく噴き出す血の塊が宙を漂い、たちまちにして沸騰して凍りつく。

 真空中なので音はしなかった。ただ投光器の光の中でおぞましい光景が繰り広げられる。切断された足が宇宙服の残骸から引き抜かれ、開いた口の中に消える。太い骨も気にせずにその怪物は噛み砕いた。

 咀嚼は長く続いた。正体はまだ不明だったが、奴らが食事を楽しんでいることは明らかだった。


 たった一人、観測ステーションに残っていたアニソンは青い顔で溶接トーチを握っていた。震えながらも宇宙服を着こみヘルメットの繋目を閉める。作業用の二本の補助腕がついた宇宙服だ。各腕を制御するAIに命じてパワーアシストのリミッターを外す。作業用のハンマーとカッターをそれぞれに持たせる。

 彼は泣き言を言わなかった。地球から光の速さで飛んできてもここまで三時間はかかる。救援など求めるべくもない。どう楽観的に考えても自分が生き延びることができるとは思わなかった。皮肉屋のアニソンはまた現実主義者でもあった。

「AI。命令だ」彼は言った。「電力が続く限りすべてを記録し、地球に送信しろ」

 それからごくりとツバを飲み込むと続けた。

「俺が死んだ後もだ」

「了解しました」無個性に基地管理AIが答える。

 扉が叩かれ出した。監視カメラの映像の中で、彼ら、もしくは、それらは自身の連絡艇から何かを持ち出し、観測ステーションの壁に向けている。



 アニソンは勇敢に戦ったと言えるだろう。破壊された壁から雪崩れ込んで来る怪物に溶接トーチの炎を向けながら、最後まで戦った。

 触手の幾つが焼け、飛び出した無数の目玉が宇宙服の足で踏みつぶされた。

 補助腕のハンマーが巨大蜘蛛の頭を叩き潰す。酸の粘液がついた補助椀が根本から溶け落ちるまでもう二体を殺した。

 何本もの長い爪に貫かれながらも、アニソンは抵抗を止めなかった。食いちぎられた左腕の切株から噴き出す血と空気にも一顧だに顧みなかった。宇宙服が自閉モードに滑り込み裂けた腕を締め付ける激痛にも見事に耐えてみせた。

 ついに溶接トーチの燃料が尽き炎の噴出が止まったとき、彼の命も尽きた。

 その最後の言葉は『止めろ。この野郎。そいつを食うな』だった。


 最後の報告は基地管理AIが行った。ビッグデータ学習型AIは予想外の現象にはひどい混乱を見せるという原則がまた露わになった。


 AIが送った通信文は以下の通り。


 『彼ら、深淵より来たれり』

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