4日目:夜

「痛つつ…そこまで怒らなくてもいいのに。」


帰った頃には夕方と夜の丁度間ぐらいの時間だった。仁王立ちして待ち構えているセリナさんを見つけてドキッとする時間もなく目が合い、思い切りゲンコツが落ちた。その上ご飯は要らないなんて言うものだから大変だった。実際お腹いっぱいだし…


「まあ、あんな事言った後だったしなぁ…」


素直になったと思えばこの仕打ち。目先の楽しさに追われてしまったというかなんというか…

そして今は怒られた挙句2階に逃げてきた所だ。

…足音がする。


「ルカ、いる…?」

「…ん、どしたの?」

「遅くに帰ってきたのは良くないと思うけど、いつもより怒られてたから…食欲も無いなら心配かな…って。」

「ああうん。大丈夫。食欲はあるよ。ちょっとアルカのデザート食べ歩きに付き合ってたら思ったより多くてさ。」

「そっか。アルカちゃん食いしん坊だもんね。」

「どっちかというと吸い込みに近かったよ…アルカ、無事に帰れたのかな…」

「きっと大丈夫。ルカも気を付けてね?心配して待ってる人もいるんだから。」

「うん、気をつける。わざわざありがとね。」

「ううん。セリナさんには私から反省してたよって伝えておくね。」


とっとっ…と足音が遠ざかる。本当にニアは気遣いが上手だ。わざわざ扉越しに様子を窺ってフォローまでしてくれる。


「僕にはもったいないね…さて。」


怒られはしたが、くよくよしてる暇は無い。元からしてないけど。

ニアみたいに人間が出来てないなら、出来た人間の力ぐらいにはならないと。今の僕ができる事があるとすれば、今まで通り…ニアを守らなきゃ。

窓まで歩き、屋根へとよじ登る。やはり数分もしない内に通信が入る。


「…もしもし。」

「やあ。今日は綺麗な星空だね。」

「……!?」


慌てて後ろを振り返る。そこには少し含みのあるような微笑みを浮かべた青年が音もなく立っていた。


「……あ、あ…っ」


外観は間違いなく人そのものだ。表情もなんらおかしくない。はずなのに。ひしひしと感じる気圧されるような威圧感はなんなんだ。


「そんなに怯えないでよ。こうして顔を合わせるのは2回目だね?ルカ。」

「ま……おう…」


昨日も話していた相手。僕に敵意が無いのは分かってる。だが目の前の青年こそ数多くの勇者をなぶり屠った男。体が言うことを聞かず後ろへと下がる。


「…ぇ?」


屋根の上で後ろに下がるなど、自殺行為にも等しい。バランスを崩した体はもう抗えず、体が浮遊感に包まれる。


「おっと。大丈夫かい?ちょっと悪いけど、空の旅に付き合ってね。」

「――――」


体が弛緩したのを感じた。本能が生きるのを辞めたらしい。


――――


「ルカ、ルカ。」

「……!」


反射的に目の前の人間を突っぱね、そして嘔吐する。なんだ、この不快感……?そうだ、思い出した…ここはどこだ。少なくとも地上ではあるが…


「ごめん……ごめん……うぐっ」

「びっくりした。大丈夫さ。君がそうなるのも仕方ない。」


大きくかぶりを振ってへらへらと笑う魔王。胃の中がひっくり返ったような不快感が止まらない。


「……どうして、ここに…?」

「君らが休暇なのに僕らだけ働く訳にもいかない。ルカが居ないならダンジョン内の管理なんてしなくてもいいしね。今頃ダンジョン内は溢れ返ってると思うよ。」

「嫌な話をありがとう。……気持ち悪い、止まりそうにない…」

「どういたしまして。ちゃんと管理人が戻る頃にはすっかり元通りさ。僕が帰るからね。」

「…そう。」

「どうしたの?元気ないね。…冗談さ冗談。まあここまで拒絶されるとは思ってなかったけどね。」

「…言ったろ?次見たら死んじゃうかもしれない…って。」


心臓がうるさい。五体不満足だが、かろうじて会話は出来そうだ。さっさと済ませてご退場願おう。


「直接話したかったのもあるけど、アドバイスをしにきたんだよ。」

「アドバイス…?」

「そう。今日主任に剣術を習うお願いをしていたね?」

「…見てたの?」

「まあね。調子乗ってる他の人間見るとムッとしてくる。気分転換になりゃしないからね。」

「はあ…それで、それがどうしたの?」

「強くなりたいって気持ちが僕にも伝わってね。応援したくなって。だから剣を習うならアドバイスをしようと思って。」


魔王からのアドバイス…そりゃ、真剣を1番身近に感じている1人かもしれない。けどそんなチート級の剣使いと持った事すらない僕とじゃまるで別物のはずだ。


「それは直接じゃないと駄目なの?」

「うん。初歩も初歩だ。寧ろこれだけ知っておけばいいと思う。」

「…聞かせて。」

「うん。」


そう言うと魔王は僕を見た。体が動かない。


「え、やめっ…!?」

「こんな細い腕で短剣が振れるとでも?それに、魔物に距離を詰めなくちゃいけない。だから魔物への恐怖心が強い君は弓を取ってるのじゃ無いのかい?」


やんわりと掴んでいるのがわかる。分かるのに、抜け出せない。非力なのは分かっている。だけど、強くならなくちゃ…!


「ふうん……君、焦ってるね。それも大焦りだ。立て続けに強い人と弱い自分を見たのかな?強くならなきゃ…それしか頭に無いみたいだ。」

「そんな事は…っ!」

「あるだろ?」

「ひっ…!?」


顎を掴まれた。それだけなのに恐怖心が身体を支配する。力が入らない…!


「一旦落ち着くといい。いいかい?君は弱い。知ってるだろ?」

「…うん。」

「なぜ弱いんだろうか。考えた事はあるかい?」

「……」

「じゃあ一緒に考えていこう。」


パッと顎と腕から手が離れる。力が入らずそのまま倒れ込む。恥ずかしさや悔しさは無い。ただ…恐ろしい。


「まずはその筋力だ。同年代と比べても明らかに劣っている。ちゃんと食事を取ってるように思えない。」

「…取ってるよ、毎食。」

「うん?取ってたらこうならないはずだけど。魔力もびっくりするほど少ないんだから吸われる分もちょっとだろうし。使える魔法は?」

「……基礎だけ。」

「魔法消費を体力で肩代わりしてる訳でも無さそうだ。もう1回触るよ。」

「……っ!」


触れたとこから怖気がする。


「…目に魔力が集中してる。目がいいとかある?」

「普通。強いていうなら天命でちょっと能力が覗けるぐらい。」

「それだ。能力を覗く…いわばアナライズの対人版だ。それが使える人間は大魔法使い級か大賢者級。つまりとても高度な魔法技術なんだ。相手の魔力の流れを通して能力を判定するんだから。だから君の魔力の器は小さく、筋力といわず体が痩せてるんだな。ほとんどの栄養が目に行ってる。」

「じゃあこの右目潰したらいいんだね?」

「待った待った。それは結構なアドバンテージだ。潰すのは勿体ない。」

「邪魔してるなら要らないけどな…見れなくて困った事無いし。」

「今は、ね。深層に行くにつれて事前情報ほど必要なものは無いから。深層の魔物には相手のスキルを出来るだけ確認させるようにしてるぐらいだ。」

「…」

「良かった、強みはちゃんとある。それ故に剣術でカバーしようとしてたわけだね。」

「…まあ、近距離も戦えた方がいいというか…なんというか…」

「嘘はよくないね?何が怖かったんだい?」

「……!厄介だね、魔王は全く…」


どうせ隠しようもない。昨日の誘拐未遂について全て話した。主任が助けてくれたというのと集団は全員死んだ事は入念に伝えておいた。暴れられても困る。


「……道理で昨日は連絡がなかった訳だ。ああ、そりゃすぐに力が欲しいと思うよね。残念だよ、僕はいつでも魔力も武力も分け与えることが出来るのに、君の体が耐えられない。本当はここで心を折って君を平和な道に進めようと思ってたんだけど……」

「何気に最低だよ、その発言。」

「まあまあ。どっちにしろ無理だとは思ってた。強くなりたいの後ろに守りたい…とか、役に立ちたい…とか見え隠れしてたからね。」

「嫌いだ。大嫌い。言わなくていいじゃんか。」

「あらら、嫌われちゃった。まあいいや、もう二度と僕から君の前に現れることはないと思うから。いつか僕を説得して平和でみんなが仲良く笑顔で過ごせるようにする為にルカは頑張るんだもんね!」

「~~っ!!」


本心をポロポロ勝手に零されて顔が赤くなる。楽して過ごしたいし、高給取りでありたいのは事実だ。まあそれは建前であって本当は…ってなわけだけど。


「早く帰れ!」

「もうかわいいなルカは!そうだ、君が最下層の管理人になったら考えてもいいね。なれたら、だけど!」

「絶対なる!今よりずっと強くなって思い切り殴ってやる!」

「応援してるよ、みんなの笑顔の為に!」

「やっぱり魔王だけ死ね!」

「あはは!ちょっと調子戻ってきたみたいでなによりだ!それじゃ戻ろうか。」

「……」

「ははは、ムカつく相手に力を借りないと帰れなくてご不満かい?」

「もう心の中を読むなぁ!!」


――――


「よっと。到着だ。…おっと。」

「大丈夫、フラついただけ…」

「無理しないでくれよ?強くなるまで道のりは長いんだから。」

「大丈夫だって言ってるでしょ…」

「でもまあ助かったよ、自分の弱さと原因も分かったし、無駄な努力もしなくて済む。」

「人の心の中を語るなって言ってるの!」

「ああいい反応だよ全く!ふふふっ」

「もういいから帰れっての!」

「分かった分かった。それじゃあ最後に、これを。」


ゴソゴソとコートの中を漁って何かを差し出してくる魔王。


「…これは?」

「魔法を高速で発射する代物さ。溜めておくことも出来る。ここを押せば発射されるんだ。」

「いくら高速だとしても、僕の魔法じゃな……」

「そう思うなら後で試すといい。魔法を唱えて、狙いをつけて押す。君にも扱えるはすだ。」

「…………………ありがと。」

「随分嫌そうだね。僕は楽しかったけどね。また報告楽しみにしてるよ。それじゃ。」

「…!?」


目を離してないはずなのに消えた。やはり魔王は魔王だと改めて感じる。そして貰った魔道具を腰につけ、どっかりと屋根に体を下ろす。


「……結局、弄ばれただけか…」


笑うしかない。出会うだけで竦むような奴に絡まれるなんて生きた心地がしない。からかってるつもりなんだろうが、こっちとしては恐怖の対象でしかない。


「しかもわざわざ接触してきたのはこれが目的なんだろうな…」


貰った魔道具をみる。構造はちっとも理解できないが、こんな片手に収まる程度の大きさで何が出来るのだろうか。


「ルカー、ルカー?」

「っと、戻らなきゃ…」


焦っても仕方ない。無理やり筋力で補うことも出来ない。そうなれば最低限の動きで最大の力を発揮しなきゃならない。


「はいはい、どしたのー?」

「あ、いた。呼んでるのに全然返事しないから心配したよ…」

「ごめんごめん、つい夜空が綺麗でさ。」

「ん、ほんとだ…あの頃みたいだね。」

「あそこはもっと綺麗に見えたよね…」


飛び乗ってきた窓枠に手をついて誤魔化す。ニアは外を見て、一瞬目を輝かすと隣で夜空を見始めた。

甘い匂いがする。ニアの匂いはどこか安心する。


「それで、僕に何か伝えたい事があったんじゃないの?」

「あ、そうだった。湯浴み空いたからルカの番だよ。」

「了解。…気分は乗らないけど。」

「まあ怒られた後だしね…でも入った方がいいと思う。」

「なんで?」

「汗の匂いするもん。」


朝から働いて遊んできた後だ。何よりの原因は先程の一幕に違いないが。


「それもそうかも。入るよ。」

「うん。あ、ちゃんと髪乾かしてよ?」

「まあ気が向いたらね。 」

「後でチェックするから。」

「…執拗なまでに髪を乾かす事を強要するのはなんでなんだ…」


別にいいでしょ人の髪なんてどうでも。ばっさり切りたいぐらいなんだけど。ニアが大慌てで止めに来るが。

サッと用意してサッと入る。パッと洗ってパッと浸かる。身体が暖まったら上がる。汗さえ流れたら充分だ。


「うう…さむ」


早く水気を切らなければ。布で拭いてさっさと戻ろう。着替えて2階へと戻る。


「……ちょっと待ちな。」


途中でセリナさんに呼び止められる。まだ不機嫌そうだ。…ううむ。


「…何か言う事があるんじゃないのかい?」

「湯浴みありがとうございました。汗は流せました。」

「心にもない感謝を口に出さなくていい。」

「そんな、ちゃんと思ってますよ?」

「そうじゃなくて…アンタ、明日から剣の稽古付けてもらうんだって?」


…まだ誰にも話してないはずだ。


「見てたんですか?」

「見送りにしてはやけに遅いから少し周辺を見て回ってたんだ。」

「んーっと、まあ……はい。付けてもらうことになりました。」

「はあ…ちゃんと伝えたらどうだい…?勝手にいなくなられても困るんだよ、こっちは。同じ場所で住んでるんだから。 」

「あ、はい…すみません。」


そういえば伝えていなかった。その感覚さえ無かったともいえる。


「まあ決まった事だろうしこれ以上は何も言わないけど。…で、せっかくだから、これ。」

「これ…って…」

「さあね。詳しい事は分からないけど、何年も前に客が忘れていった代物さ。取りに来ないからもう処分しようか迷ってたとこでね。」


二の腕まで覆うほど長い手袋。手の甲辺りは鉄製の作りでかろうじて防具である事が分かる。


「…いや、アンバランスすぎませんか?というか女の人の装備って感じで落ち着かない…」

「似合ってるよ。いいじゃないか、剣を持てばそれっぽいと思うよ?」

「……いや、いいです。別に…」

「駄目だ。手の甲にヒビでも入れば練習も経験も全部無駄になるよ。」


いきなり真剣に語るセリナさん。料理人にも似通う点があるのだろうか。


「そ、そうなんですか…でもそれなら手甲だけでいいというか」

「いいからいいから。手甲といえどまあまあ重いんだからね。アンタはそのぐらい軽いのがお似合いよ。」

「非力で悪かったですね。…まあ人の物だと思うと気が引けますけど、使ってみます。」

「ああ。くれぐれも怪我すんじゃないよ。それじゃおやすみ。」

「あ、はい。おやすみなさい。」


寝室とは真逆の脱衣室に向かうセリナさん。素直じゃない人。僕も人の事は言えないが。

不器用な優しさを不器用に解釈してありがたく寝かせてもらう事にしよう。どうせ明日は大変だ。


実際のところ、大変なんて一言で表せるものじゃなかったのだが。

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