猫とサンタ

津多 時ロウ

猫とサンタ

 吾輩は猫である、とは誰の言葉だったか。

 遠く東、端島重工はしまじゅうこうの誰かから聞いたような気がする。


 私は猫である。しかし、私には名前がある。アトランティエという名前が。


 猫である私に名前が付いたのは、つい一週間前のこと。

 あてどなく彷徨さまよっていた私は、『レアメタル天国! ヘブンズコールへようこそ!』などと書かれた朽ちかけの看板に、ここなら寝床があるだろうと確信して足を踏み入れた。

 そうして寂れた町を探検していた夜、不意に背後から抱きしめられたのだ。太く、たくましい腕に。

 不覚をとったが、危険を感じた私は腕の中で盛大に暴れ、思い切り泣き叫ぶ。


「んななごぉぉぉぅ」

「よーしよしよしよしよし、猫ちゃんいい子でちゅねー」


 な!? この男、私の必殺の咆哮が効かないですって!?


「んごごごごなぁぁぁぁ」

「あー、分かった。猫ちゃん、お腹空いてるんでしゅねー。こんなに痩せちゃって可愛そうに。すぐに食べさせてあげまちゅからねー」


 やめて! 私をどこに連れて行く気なの!?

 首を回して敵の姿を確認しようにも、両前足の肩をがっちりとロックされ、見えたのはまだら模様のシャツに包まれた厚い胸筋だけ。

 なんてセクシーなのかしらと、一瞬だけ見惚れてしまった自分が恥ずかしい。


 やがて男は『BARチャーリー』と控えめに書かれた入口をくぐり、ローテーブルの上にそっと私を置いた。

 分かってるじゃない。嫌いじゃないわ。そう思いながら初めてその男の顔を見れば、ごつごつとした厳つい顔にオールバックの長髪。


 これは、やばい。

 日課で人を殺している顔だ。

 私の本能が早く逃げろと叫ぶ。

 しかし、か弱い私は恐怖に震えるばかりで動けない。


「おう! トナ四郎! 猫か!」


 そうこうしている内に、男の仲間が寄ってきた。

 仲間は五人。お揃いの茶色の迷彩服、お揃いの太い腕、お揃いの厚い大胸筋、お揃いの凶悪な面構え。いや、二人はましな顔かな、少しは。と言ってもその二人もドレッドにアフロと、この町ではあまり見ない髪型なのだけれど。

 それにしても、私はこれからどうなってしまうのだろうか。この屈強な男たちにいったい何をされてしまうのだろうか。


「親父! 猫ちゃんにノンオイルツナ缶をあげてもいいっすか!」


 私の頭とあごをわしゃわしゃしながら、顔に傷のある長髪の男がカウンターに向かって声を掛ける。

 声の先にいるのは白い縁取りの赤いナイトキャップに赤い上下、丈夫そうなブーツ。

 その後ろ姿には見覚えがあった。あれはサンタだ。子供たちにおもちゃと夢を与えるサンタクロースだ。だが、その逆三角形ボディは目の前の男たちよりも更に大きく、サンタ服の上からでも僧帽筋をはじめとした筋肉の凹凸が分かる。実にセクシー&ヴァイオレンス。

 そのセクシーサンタは渋い声で言った。


「……好きなだけ喰わせてやれ」

「ウェーイ! ツナ缶ウェーイ!」

「ツナ缶、いっちゃってぇー! ノンノンノンノンオイルゥゥ!」


 親父と呼ばれたサンタの返事に男たちのテンションは最高潮。訳の分からぬ掛け声と狂乱が私を更なる恐怖へといざなう。

 だが、


「ツナ缶は猫ちゃんに悪い。他のにしろ」


 私のお腹をもふもふしながら、アフロが怜悧に言い放った。


「なんだと、ロクゥ!? 俺たちの大好物は猫ちゃんのお気に召さないとでも言いてえのか!? ああん!?」


 青筋立てたスキンヘッドが私の頭をもふもふしながらアフロに詰め寄るも、アフロの瞳が揺らいだ様子は私からは見えなかった。


「落ち着けよ、トナ三郎の兄貴。俺達が食べてるノンオイルツナ缶は人間用に加工されたものだ。人間の筋肉には良いが、猫ちゃんの筋肉には悪影響がでる可能性が高い。兄者たちも猫ちゃんの筋肉を駄目にしたくはないだろう?」

「なんだと、ごらぁ!? やんのか? ぉぉう? やんのかやんのかぁ?」

「あ!? ノンオイルツナ缶は猫ちゃんの筋肉に良くないんじゃあ! ボケカスがぁ!」


 私を巡って争うのはやめて!

 存在するだけで筋肉たちが争うだなんて、私ってなんて罪な猫ちゃんなのかしら。


 それにしても、こんなに口汚く罵ってたら、お店の人に怒られてしまうんじゃないかと、カウンターの中にいた真面目そうな男性を探す。すると、腰ぐらいの高さの台を持ち、顔に傷のある男の近くに置いては「頼みましたよ」と微笑んで、カウンターの中に帰っていくではないか。

 私の視線は、俄かにその台に釘付けになる。いったいあの男性は何を期待してこの何の変哲もない台を彼に託したのかと。


「お前ら!」


 スキンヘッドとアフロが一触即発の剣幕で睨み合う中、彼――顔に傷のある男はバンッと平手で、その台の上を叩いた。

 その音に、私と残る五人全員が注目した。台を運んできた男とサンタ服の男を隙間から見やれば、一瞥後、カウンターを挟んで何やら談笑している。


「お前ら!」


 もう一度、顔に傷のある男が声を出す。


「ガタガタ言ってねえで、これで決めろ!」


 最後にもう一度バンッと叩くと、スキンヘッドとアフロは睨み合ったまま歩き、上着を脱ぎ捨て台を挟む。

 右の拳をゴッゴッと二回合わせ、三回目には肘を突いて互いの右手をこれでもかと固く握りしめあった。空いた左手は壊れそうなくらいに台を掴んでいる。


 何が起こるのか視線を彷徨わせれば、他の筋肉たちは固唾を呑んでそれを見守る。

 睨み合うスキンヘッドとアフロ。

 やがて二人の気合十分と見たのか、顔に傷のある男が高らかに宣言する。


「ファイッ」


 二人は顔を真っ赤に歯を食いしばる。その右腕、頬、そして目もはち切れんばかり。

 さらには汗が吹き出し、膨張した肉体を際立たせる。


 ああ、たまらない。

 なんてセクシーな上腕二頭筋なのかしら。


 陶然としていつまでも眺めていたい筋肉の誘惑。だが、幸せな時間ほどあっという間に終わってしまうものだ。

 アフロの右腕がじりじりと外側にねじられ、ある一点を超えたところで瓦解する。

 スキンヘッドがヒャッハーと勝利の雄叫びをあげた。

 右ひじを押さえて悔しそうに顔をゆがめるアフロに、しかし、スキンヘッドは右手を差し出して言った。


「ロク、お前の言う通りだ。猫ちゃんの筋肉に悪いもんは喰わせられねえ。俺と一緒に猫ちゃん用のツナ缶を買いに行こうぜ」

「トナ三郎の兄貴……」


 二人が硬く握手をし、お互いの健闘を称えたところで、私の瞳にサンタが映る。


「おう、そんでお前ら、名前はどうすんだ?」


 そう言いながら私を持ち上げ、その丸太のように逞しい両腕で腰と背中を支えながら、指先で肉球を優しくぷにぷにする。

 サンタと同じことを考えていたのだろう。顔に傷のある男が即答した。


「親父。薄汚れている割にお上品でふてぶてしいんで、アトランティエでどうでしょう」

「ハ! 拾ってきた猫にアトランティエ嬢の名前を使うのか! トナ太郎、お前も言うようになったじゃねえか!」


 サンタがガハハと笑えば、茶色い迷彩服の筋肉たちも大きく笑い、つい先ほどまでの険悪な雰囲気はどこへやら。冷や冷やしながらも幸せな夜が過ぎていった。



――それから二週間後。


 私は秘書を連れ、巨大空中母艦[七天しちてん]の中央エントランスを歩いていた。


「お帰りなさいませ、アトランティエ様」


 最上階へ至るエレベータの前。深緑を基調としたピンストライプのスーツに、サンタのお面を被った男が、恭しく頭を下げる。


「今回のお忍びはいかがでございました?」

「そうだな。……やはり、筋肉はいい」

「……は?」

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猫とサンタ 津多 時ロウ @tsuda_jiro

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