差し入れ

「あのー、騎士さーん? ちょっといいですかねー?」


「……………………」


 俺の食事を運んでくると、そのまま牢の近くに直立不動で立ち続けている騎士の人に、俺は軽い感じで呼びかける。すると騎士は一応反応してくれたようで、フルフェイスの兜をこちらに向けてくる。


「ほら、食ったら出るっていうか、ちょっと用を足したい感じなんだけど、どうすればいいですかね?」


「……………………」


 俺の問いかけに、騎士は変わらず無言を貫く。ただし兜はわずかに動き、その視線が示す先にはくすんだ茶色い壺が置かれている。


「えぇ……? いやいやいやいや、壺はねーって! した・・後ずーっと臭いが残るし、きたねーじゃん! 魔導帝国オーバードなら、もっとこう……何かあるだろ!?」


「……………………」


 言い募る俺に、しかし騎士は動かない。ならばこの手は駄目かと諦めかけたところで、不意に騎士が牢獄から離れていった。


(お、いけたか!? なら今のうちに……)


 人目がなくなったところで、俺はまず鉄格子に手をかけ、思い切り力を入れてみる。


「んぎぎぎぎ…………はぁ、流石に無理か。まあそりゃそうだよな」


 押しても引いても捻っても、しかし鉄格子はびくともしない。だが少なくとも、多少衝撃を与えた程度で警備がすっ飛んでくるわけじゃないことはわかった。


カツン、カツン、カツン……


(戻ってきたか? なら次だ)


 響く足音に、俺は鉄格子のすぐ側でしゃがみ込み、騎士の足下に小さな歯車を転がす。するとそれを踏んだ騎士がにわかによろけ……しかし転ぶことなくガシャンと足を踏み出して踏ん張る。


(クソ重い全身金属鎧で踏みとどまった!? それで、次はどうなる?)


 何食わぬ顔で平静を装いつつ、俺は心臓をドキドキさせながら起こりうる惨劇に備える。すると騎士はそのまま俺の方に近づいてきて……鉄格子の中に手を差し込んできた。


(懲罰なし!? あからさまな攻撃じゃなければ許されるのか!? って……)


「えっと、これは?」


「……………………」


 騎士が指でつまんでいたのは、深い青色をした直径三センチほどの球。それを受け取りつつもそう問うものの、騎士は相変わらず何も答えない。


「あの、これどうすれば? せめて使い方を教えて欲しいんですけど?」


「……………………」


「もしもーし?」


「……………………」


「…………はぁ。え、本当にどうすんだこれ?」


 あの流れで持ってきてくれたのだから、おそらくは用足しに関係あるものなんだろう。だがこれがどういうもので、どう使えばいいのかがまったくわからない。


「その辺に置いときゃいいのか? それとも壺に入れる? 万が一くらいの確率で、飲んだら用足しが必要なくなる薬とか……はっ、まさかこれを尻に!?


 いやいや、それは流石に……いやいやいや…………」


 もの凄く嫌な光景が浮かんでしまったので、俺はひとまず球の存在を棚上げすべくズボンのポケットにしまい込むと、代わりに今の検証でわかったことを頭の中で纏めていく。


 まずひとつ目。騎士は言葉こそ話さねーが、こっちの言うことはちゃんと伝わっているし、多少は融通も利かせてくれるらしい。特に自分一人だけの見張りなのに持ち場を離れたり、おそらく何らかの魔導具であろう球を持ってきてくれたりと、そこそこ自由に動く権限があるようだ。


 二つ目、この騎士の身体能力はかなり高い。俺程度じゃ実力を見抜くなんてのは無理だが、武器を取り返した状態であっても、正面からやりあったら勝ち目はないだろう。


 ってか、あれか? ひょっとしてこいつがフラム様の言っていた「近衛兵を蹴散らしたクリスエイドの部隊」ってことなら、そりゃ強くて当然だ。


 まあそれはそれとして、三つ目。これが最も重要なことだが……


(この騎士には、おそらく感情がない)


 普通に考えれば、自分を転ばせようとした奴に何の反応も示さないのは寛大を通り越して異常だ。勿論フルフェイスの兜なんて視界は劣悪だろうから、俺が何かしたことに気づかなかった可能性はあるし、あるいはクリスエイドに「俺に危害を加えるな」と言われているのかも知れない。


 だがそれでも、鎧を着た状態で転びかけたというのに何の反応もしないというのは不自然すぎる。多少の苛立ちがあったり、思わず声が漏れてしまったりくらいはあって然るべきなのだ。


 だというのに、この騎士にはそれが一切ない。その反応は人間というよりも、むしろゴーレムに近いんじゃないだろうか? だとすれば、そこにはつけいる隙があるような気がする。


(ひとまずわかったのはこんなところか? 直接脱出に繋がるわけじゃねーけど、いざって時に役に立つ可能性はあるからな。


 さてじゃあ、これからどうするか……)


 如何に反応が薄いとはいえ、俺が逃げたり暴れたりすれば当然取り押さえられるだろう。というか、そもそも鉄格子をどうにかできなければここから出ることもできない。用足しでゴネれば万に一つくらいの確率でトイレに連れて行ってくれるかとも考えたが、流石にそこまでは甘くなかったしな。


 では大人しくクリスエイドがくるのを待つべきか? だがそれは、おそらく「歯車の鍵」で秘密の扉を開けろと言われる時だろう。扉の向こうに何があるのかがわかっていれば「開けてもしばらくは大丈夫」なのか「開けたら即座にヤバい」のかがわかるんだが……フラム様すら教えてくれなかったんだから、きっとクリスエイドも教えてくれないだろうし、下手に聞いて機嫌を損ねるのは寿命が縮むだけで終わりそうだ。


 なら黙って従うのか? 実のところ、それも選択肢としてなしってわけじゃない。フラム様曰く「どうしてそんなものを欲しがるのかわからない」ということだったから、何だかわからない何かをクリスエイドが手に入れたとして、それが悪い結果を生むかどうかすらわからないのだ。


 俺が命がけで抵抗した結果扉を守り切ったが、その向こうにある物をクリスエイドが手に入れたとしても、実は大した問題はなかった……何てオチもあり得るとなると、どうしても覚悟は鈍る。俺が守りたいのはゴレミやローズであって、ぶっちゃけオーバード帝国の帝位とかそういうのは、縁遠すぎてピンとこないからだ。


(最悪の場合は、ローズの身の安全と引き換えに扉を開けるって交渉も視野に入れるべき、か? 下手に出つつも主導権を握れる展開がベストではあるけど、そりゃ流石に難しいだろうしなぁ)


 扉を開けられるのが俺だけなら望みもあるが、現実には俺が扉を開けられるかはやってみないとわからない上に、正規の手段で扉を開けられる皇帝陛下がいる。


 俺が始末されていないということは、陛下の首を縦に振らせるのはまだ難しいんだろうが、現状を楽観視する要素としてはあまりに不安定過ぎる。


(チッ、もう一手……もう一手でいいから、こっちが主張できるものが欲しい。立場を盤石とは言わずとも、せめて交渉に持って行けるような何かがあれば……ん?)


 と、そこで不意に、俺はズボンのポケットから小さな振動を感じた。手を突っ込んでみると、さっき渡された謎の球がほんのわずかに震えている。


(何だこれ、震えてる?)


 え、何これ怖い。手の中で震える球とかマジで意味がわからん。というか、これと用足しがどう関連づけられるのかが本気で謎すぎる。


「…………置いとくか」


 ポケットに戻すのも何だか嫌だったので、俺はそっと床の上に震える球を置く。すると床からかすかに音というか、声のようなものが聞こえる気がした。


「……え……か。き…………か…………」


「っ!?」


 慌てて球を拾い直すと、震えてる……物に押しつけると音が聞こえる? ならどうすれば……こうか?


『聞こえますか? 私の声が聞こえますか?』


 球を額に押し当てると、俺の頭の中に謎の女性の声が響く。


『私はロッテ。フラムベルト様のメイドです。この声が誰かに届いていると信じて、情報を伝えます』

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