閑話:矛盾する歴史

今回は三人称です。


――――――――




「ふぅ、漸く戻ってこられたか」


 クルト達と別れたあと、ジルは特に何事もなく元いた場所へと戻ることができていた。もっとも先のような例外を除けば魔物が魔物を襲うことは基本的にないし、仮に襲われたとしてもジルの実力なら一方的に倒すこともできる。


 またダンジョンに生じていた異変も「戻ることができない」であって奥に進むことはできたし、何よりその原因となったのは自分の使った魔法だ。ならばこそあっさりと帰り着いたジルは、目の前にある粗末な小屋の存在にホッと胸を撫で下ろす。


「どうやらここは無事だったようだな」


 そう、小屋だ。それはダンジョンが気を利かせた住居というわけではなく、ジルが幾つもの魔法を組み合わせて作り上げた住居……というか、研究室。形状の維持には魔力が必要なため、理論上は自分が離れても一日くらいは大丈夫だとわかっていたが、それでも無事だったことはジルにとってこの上ない僥倖だった。


「にしても……クックッ、ここから出るためにあれだけ準備をして失敗したというのに、そこに自ら戻って『やっと戻れた』と安堵することになるとは……人生とはわからんものだな」


 自虐的な笑みを浮かべつつ、ジルは小屋の中へと入っていく。そうして研究机に着くと、まずは手に持っていた角笛を近くの棚に置き、代わりにそこに備蓄されている紙束を取り出した。


 それは研究成果を書き留めるもののため、ダンジョンに生えている草を加工して作った紙だ。ゴワゴワとして黄色がかった質の悪いものだが、代わりにこれはジルが死のうが消えることはない。


 ただ一応ダンジョンの物質ではあるので、外に持ち出せるかは微妙なところだが、そんな懸念はまだまだ先の話。ということで、ジルは右手人差し指の爪を魔法で細く伸ばすと、机の上のインク壺……これも草の汁を搾って加工したものだ……に突っ込む。


「さあ、では忘れぬうちに今日の成果を書き留めておかねば」


 サラサラと爪を動かし、今日の実験の検証と結果を書き連ねる。最初の頃は質の悪い紙に質の悪いインクもどきが滲んだり、力を入れすぎて紙が破れてしまったりしていたが、今となっては慣れたものである。


「まずはここから脱出するために、空間を歪ませる魔法……あれは失敗だ。おそらくは出力が足りなかったのだろうが、あれ以上に込める魔力を増やすには、どうしても補助の魔導具が必要になる。まずは必要な金属の入手法から考えなければならん」


 言葉にすることで思考を整理しながら、ジルは次々と気づいたこと、思いついたことを書き留めていく。そうして一通り纏め終わると、次に意識を向けたのは棚に置いた角笛だ。


「ダンジョン産の魔導具による召喚なら、ダンジョンの性質を一時的に無視できるのか? 魔物である私にも発動できる? なら自分で自分を召喚することで、この行動制限を解除できたりしないだろうか? あるいは発動場所を入力する変数に干渉して、擬似的な転移装置として使えないか?


 そう、たとえば角笛本体はどこか安全な場所に保管し、外部から遠隔で魔力を……いやいっそ本体を入れるところに魔力を貯蔵する魔導具を接続し、外部から信号となる微少の魔力を送るだけで、任意の座標に自分を『強制召喚』することができれば……」


 次々と発想が湧き出し、紙束に文字が刻まれていく。食事も睡眠も必要としないジルは、ただ思考のみに没頭して手を動かし続ける。


「…………こんなところか」


 そうして十分にあったはずの紙束の厚さが半分ほどになったところで、漸くジルはその手を止めた。知性を……自我を得たせいか精神的な疲労は感じるようになっていたので、気分転換にと立ち上がってそのまま小屋の外に出る。


「……あの幼子達は、無事に帰れただろうか?」


 代わり映えのしない青空を見上げ、ジルはふとそんなことを考える。入り口の間近まで送ったのだから外に出られないはずがないのだが、その後どうなったかまでは知りようがない。


 加えてダンジョンには昼夜の概念がなく、魔物であるジルには生理現象もない。故にジルからは時間の感覚が遙か昔に失われており、つい先ほど別れたばかりのような気もすれば、一〇〇年一〇〇〇年前の出来事のようにも感じられる。


「あの幼子の血の量……一滴にすら満たないほどの量であったことからすると、親となったエルフから、おそらくは二〇世代ほどは後の子のはずだ。人間が子を成すのはおおよそ二〇歳から三〇歳。三〇歳だと過程して、二〇世代ならば六〇〇年ほど昔のことになるだろうが……」


 ジルの頭に数式がよぎり、疑問が頭をもたげていく。


「たった六〇〇年だと? 六〇〇年ごときで、エルフが架空の存在と成り果てるのか?」


 クルト達との会話において、エルフの存在は空想の産物という扱いだった。だが六〇〇〇年ならともかく、たった六〇〇年で文明を持ち国を興していた種族の存在がそこまで忘れ去られるというのは、いくら何でもあり得ない。


 仮に今すぐ人間が滅んだとしても、六〇〇年後ならその痕跡は世界中の至る所に残っていることだろう。それにそもそも、エルフは人間と交流があったのだ。人間が普通に生きているのに、エルフの存在だけがごっそりと消されているというのは不自然極まる。


「意図的に存在を消された? あるいはエルフ自身が存在を消して、何処かに隠れ潜んでいる……? だとしたら誰が? 何の為に?」


 ジルの思考が高速で回転していく。ダンジョンの魔物になる前、普通のエルフであったころの知識、記憶、経験を総動員し……しかし答えは出ない。何かがありそうなところはジルではない元のエルフの個人的な記憶、知性に繋がっており、ダンジョンによって封印されているからだ。


「チッ、やはりこの封印が邪魔だな。この身が生体であるなら、まだ手段があるのだが……」


 生身であれば、脳に直接干渉することで封じられた記憶を閲覧できるのでは? とジルは考えている。実際ダンジョンが「体全てを精密に再現している」のであれば、その可能性はあるだろう。


 だが現在のジルの体は、物理的な肉体のように見えても、その実は魔力によって構成された模倣体だ。脳の構造は再現されているが、そこに魔法的な干渉をした場合、脳そのものが変質してしまう恐れがある。


 無論それで死ねば「次の自分」になるのだろうが、せっかく手に入れた知性は当然消えてしまう。流石にそのリスクを冒すのは、本当にどうしようもなくなった最後の手段とジルは考えていた。


「あるいは…………」


 空を見ていたジルの視線が、ダンジョンの奥へと向かう。


「ダンジョンの最奥には、全ての情報の大本があるはずだ。そこに辿り着きシステムを掌握できれば、もう一人の私を作ってからそちらの脳に干渉し、記憶を引き出すこともできるはず……やはりそちらの方が現実的だな」


 「自分自身を実験台にする」という狂気の発想をさらりと口にしてから、ジルは小屋の中へと戻っていく。今の思考、発想もまた、書き留めておく価値のあるものだと考えたからだ。


――『私』の記憶に、ダンジョンなどという非常識なものは存在しない。故にジルはこの世界にダンジョンが出現した時に、自分が取り込まれたのだと考えていた。


 だが外の世界でエルフの存在が消えていることと、ローズの体に流れる一滴の血の存在が、その仮説に歪みを生じさせた。


(どちらか一方ならば、それほど長い時間を過ごしてしまったのか、あるいは思ったよりも時間が経過していなかったのかで成り立つ。だが両立はない。その矛盾には何らかの意味があるはずだ。


 必ず解き明かす。だがそのために私が向かうべきは……)


 その目が映すのはダンジョンの外みらいか、あるいは最奥かこか。何者でもない者ジル・ドレッドは静かに顔を伏せ、己の運命と向き合うべく静かに小屋の中へと戻っていった。

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