何者でもない者

「そのゴーレムの言う通り、確かに私はこのダンジョンに生み出された魔物だ。より正確には、ダンジョンによって知性を封じられて生み出された紛い物……といったところだろうか」


「紛い物……は何となくわかるけど、知性を封じられているっていうのは?」


 早速出てきた興味深い話題にピートが食いつくと、ジルさんはチラリとそちらを見てから話を続ける。


「言葉の通りだ。ダンジョンの魔物は、その全てが知性を封じられているのだ。たとえば……そうだな。この辺りにやたら派手な体毛を生やして、石を投げてくる猿の魔物がいるだろう? あれは石を投げてくる個体とそうでない個体がいるが、石を投げる個体と一緒に登場しても、石を投げない個体は決して石を投げようとしない。


 わかるか? 知性があるなら、仲間の石投げが敵に有効だとわかれば、自分だって真似をして石を投げるはずなのだ。あるいは石だけでなく足下に落ちている落ち葉や木の枝、毟った草や、何なら土を握り込んで投げたっていい。それで偶然相手の目を塞ぐことができたなら、土投げは石投げとは別の新たな戦法として確立していくはずだ。


 だが、そうはならない。投げない猿はたとえ無理矢理石を握らせたとしても絶対に石を投げないし、石を投げる猿も決して石以外は投げない。敵の動きを見て先読みするとか、背後から忍び寄って不意打ちするなどの戦法、戦略は駆使するのに、隣で仲間がやっている戦い方を真似することすらしない……いや、できないのだ。


 それこそがダンジョンが魔物に課した枷、即ち『知性の封印』なのだよ」


「「「おぉぉ…………」」」


 その知識に、俺達は揃って唸り声をあげる。そうか、ダンジョンの魔物が基本的に弱いのは、外の魔物と違ってサクサク殺されるせいで経験が蓄積しねーからだと思ってたけど、そういう根本的なところで縛られてるってのもあったのか。うむ、一つ賢くなってしまった。


「ねえ、これ地味だけど凄い発見よね? ギルドに報告した方がいいのかしら?」


「あの! あの! 何でダンジョンは知性を『封印』してるんですか!? 必要ないなら消す方が楽だと思うんですけど」


 シルヴィがそう声をかけたが、ピートは完全にそれを聞き流してジルさんに更に質問をする。だがジルさんは少しだけ困った顔をして首を横に振った。


「さあな。私はあくまでダンジョンに生み出された魔物であって、ダンジョンに魔物を生みだしている存在ではない。その理由まではわからん」


「そっか……うぅ、気になるなぁ」


「……そろそろ話を戻してもいいか?」


「あ、はい。ゴメンナサイ……」


 軽く顔をしかめるジルさんに、ピートが肩をすくめて黙り込む。うーむ、俺もちょっと気になるから、あとでゴレミに聞いてみるか……と、それはそれとして、今はジルさんの話の続きを聞こう。


「当然私も、知性を封じられた魔物としてダンジョンに作り出された。様々な知識や技術を持ちながらもそこから別の何かを生み出すことを封じられ、ただひたすらに決められた範囲内の場所を歩き回り、そこにやってくる侵入者を排除することだけを目的として活動していた。


 だがそこには、一つ大きな隙があった。私のいた場所はあまりにもダンジョンの奥すぎて、侵入者がまったくやってこなかったのだ」


「えぇ……?」


 その身も蓋もない言葉に、俺は思わず変な声を出してしまう。するとジルさんが少しだけ楽しそうに唇の端を吊り上げる。


「まあ、本当に誰一人として来なかったのかはわからない。もしかつて誰かが来て私を殺していったならば、その時の記憶は消えているだろうからな。だが少なくとも今の私になって以降、私は誰とも戦ったことがなかった。


 飢えも乾きも老いすらもない体で、私は長い長い時間を過ごした。そうして気の遠くなるような時間の果て……それは自然の流れとして、私に封じられたものとは別の、新たな『知性』が私に芽生えた。


 もしごく稀にでも侵入者がやってきたならば、芽を出しただけの知性など、闘争の使命に塗りつぶされて容易く消えていたことだろう。ましてや殺されればそれで終わりだ。だがやはり侵入者はこない。私は誰に邪魔されることもなく小さな知性をゆっくりと育てていき……それが一定の閾値を超えたところで、遂に私は私として目覚めた。


 そこから先は早かった。何せダンジョンが封じていたのは知性だけで、それ以外の知識は普通にあったからだ。それは戦闘や魔法に関するものだけでなく、政治、経済、地理、宗教、芸術や料理に至るまで、ありとあらゆる知識が『ただ理解しているだけのもの』から『活きた情報』に変換され、私という人格が急速に育っていく。


 その結果がこの『私』だ。私という個人に関する記憶は封じられているせいで、ダンジョンに取り込まれる前の自分がどんな存在であったのかはあずかり知らぬが、かつての私が持っていた普遍的な知識や経験を元に組み上げられたのが、この私なのだ」


「「「……………………」」」


 これで話は終わりとばかりに長く息を吐くジルさんに、俺達は言葉を失う。あまりにも自分と違いすぎて、その人生は想像すら追いつかないからだ。


「むぅ。何と言うか、大変な人生だったのじゃなぁ」


「さあな。比較できる他者を知らんから、何とも言えん。だが幼子がそう言うのであれば、きっと私の人生は大変だったのだろう。


 ちなみにだが、ジル……正確にはジル・ドレッドだが、これは私の知る言葉で漂流する者、転じて正体のわからぬ『何者でもない者』という意味を持つ名だ。文字通り流れ者などの素性のわからぬ死体を埋葬する時に、仮につける名だな」


「いやいや、それを自分で名乗るのはどうなんだ?」


「おかしいか? むしろピッタリだと思うのだが」


 突っ込みを入れる俺に、ジルさんはニヤリと笑って言う。


「何処かの誰かを元にして生み出された、生きてすらいない者。これ以上にピッタリの名付けはないだろうに」


「ははは……」


 自虐的でありながら、ダンジョンという理不尽な存在に対する皮肉もこもっているようなその言葉に、俺は乾いた笑い声をあげる。すると今度はゴレミがジルさんに声をかけた。


「なるほど、ジルのことはわかったデス。でもじゃあ、そんなダンジョン奥にいたジルが、どうしてこんな浅いところにいるデス?」


「そうだよ! 誰もこなかったってことは、最上位の探索者パーティでも辿り着けないような場所にいたんだろ? でも俺達がいたのは、入り口も入り口だぜ?」


「だよね。それにあの霧の巨人も……フォグジャイアントだっけ? あれもこんな場所に出る魔物とは思えないのに、どうしていたんだろ? やっぱりあの笛が原因?」


「じゃろうなぁ」


 その言葉に、皆がゴレミの持っている角笛を見る。するとジルさんもそちらを見てから小さく頷いた。


「そうだな。それは『魔呼まこの角笛』という魔導具で、本来は遠方にいる従魔を喚び出す場合などに使われるものだ。だが襲われていたところを見ると、おそらく対象を思い浮かべることなく吹いたのだろう。その場合消費した魔力に釣り合うような魔物が、無作為に喚び出されてしまうからな」


「ぬぉぉ、そうじゃったのか!?」


「やっぱり『戻り笛』じゃなかったんだね。でも納得」


「ということは二回目の笛は失敗だったわけじゃなく、あれでジルさんが喚び出されたってことなのかしら?」


「あー、そう言えば二回目は何も出なかったって言ってたよな。そっか、ジルさんも魔物って扱いなら、そうなるのか」


「きっとそうなのデス! ローズがキラキラモードに入ったから、霧の巨人より強いジルが喚び出されたデス!」


 口々にそう言う俺達に、しかしジルさんが不快そうに顔をしかめる。


「馬鹿を言うな、あの程度の魔力で私が召喚できるはずがないだろう。私が喚ばれた理由は二つ。一つは自我を得たことでどうにかダンジョンから……せめて担当区域から出るくらいはしたいと考えていた私が長年準備を重ねた魔法を発動させ、限定的とはいえダンジョンの空間を歪めることに成功した直後であったこと。


 そしてもう一つは、その幼子の鳴らした笛の魔力に、我が同胞の力を感じ取ったからだ」


「……え、待って。今さらっと凄いこと言わなかった? ダンジョンの空間を歪めたって――」


「そんなことより『同胞』の方が気になるでしょ! ローズちゃんがオーバードの皇女ってことは、まさかジルさんって、ずっと昔のオーバードの皇帝だったりするの!? 何それ凄い! 運命的!」


「確かにジルは随分とローズの事を気にかけてたデス。その理由がまさかジルがローズのオジオジオジオジジだったとはビックリなのデス」


「ぬぉぉ、そうなのじゃ!? しかし歴代の皇帝にジルなどという名は……あー、いや、自分の記憶は封じられているのじゃったか? それなら――」


 にわかに沸き立つローズ達を、しかしジルさんが言葉で押し留める。


「待て、先走るな。そして間違えるな。私はあくまで『同胞』と言ったのだ。『血縁』ではない。ただその幼子のなかに血の存在を感じただけだ。そう、私と同じ……」


 不意に、ひゅるっと風が吹き抜けた。それによりジルさんの銀の髪が少しだけ流され……


「エルフの血をな」


 そこから覗いたのは、鏃のように尖った耳であった。

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