三度目の絶望

 雲を衝く巨人……実際にはそこまででかくはないんだろうが、そんな言葉がピッタリと当てはまる巨大なナニカ。それが何処からきたのか、そもそも天候なんてなくて、いつも晴れているはずのダンジョンの空が一体いつから、どうして霧に覆われているのか? そんな疑問は幾つも思い浮かぶが、最も強い衝動に比べればそれら全ては些細なものだ。


「に、逃げ……逃げなきゃ……」


 その場の誰もが思ったことを、カイが震える声で呟く。そりゃそうだ。あんなの人間が相手にできる存在じゃない。


「で、でも、逃げるって……何処に…………?」


 それを聞いてその場の誰もが思ったことを、今度はピートが口にする。そう、逃げる場所なんてない。今まさにこのダンジョンから逃げる望みが潰えたところだ。


「はー、こりゃまいったな」


 今すぐこの場を逃げ出したい。だがどっちに向かえばいいのかわからず、その足が一歩も動かない。そんな状況のなか、ただ一人俺だけが皆とは違う気持ちを口にする。


 <底なし穴アンダーアビス>でジャッカルに襲われた時。俺は恐怖に震えて何もできなかった。怒りに頭を染め上げても、ただ無様に血に這いつくばるのが精々だった。


 <天に至る塔フロウライト>の『試練の扉』では、真の恐怖を知った。目を閉じうずくまり、死を待つだけになってもおかしくなかったのに、あの時俺はちゃんと逃げるために走り出すことができた。


 そしてこれで、絶望も三回目。何もできなかったのが、全力で逃げ出せるくらいにはなった。なら今度は――


「しゃーない。カイ、お前達は逃げとけ」


「く、クルト?」


「逃げるって、何処に!? ダンジョンの外には出られないんだよ!?」


「まあそうだけど、ここよりはマシだろ? あいつ、こっちに向かってきてるっぽいし」


 怯え戸惑うカイ達に、俺はそう言って霧の巨人に目を向ける。俺の身長の倍より高い<深淵の森ビッグ・ウータン>の木が膝より下にあるから、目算だと多分三〇とか四〇メートルくらい? そこまででかいと進路予測は相当曖昧だが、それでもこっちの方に向かってきていることくらいはわかる。


「ただ生き残るだけなら、バラバラに散開するのが一番可能性が高いか? 本道まで戻って他の探索者達と合流してから、とにかくバラバラに動けば……運が良ければ多少は生き延びられるだろ」


「……クルト達はどうするんだ?」


 色々言いたいこともあるのだろうが、その全てを飲み込むようにしてカイが問うてくる。なので俺は苦笑しながらその考えを告げる。


「いや、俺達はいかねーよ。本道とは逆側の縄張りギリギリに行く」


「は!? 何でだよ!?」


「そりゃ、あの魔物……魔物だよな? とにかくアレが出てきた原因は、マズ間違いなくローズが角笛を吹いたからだからだよ。


 角笛が吹かれた場所を目指して移動してるっていうならここから離れりゃひとまずは安心だろうけど、角笛を吹いた人物を目指してるなら、俺達が一緒にいったら無関係の奴らを巻き込んで被害を膨らませるだけになっちまうだろ?」


 俺の言葉に、ローズがビクッと体を震わせる。するとすぐにシルヴィが目を吊り上げて俺を怒鳴りつけた。


「ちょっと、クルト! そんな言い方ないじゃない! それじゃまるで――」


「ははは、よいのじゃシルヴィ殿。確かに状況から考えて、あの魔物を呼び寄せてしまったのは妾なのじゃ。ならば妾が責任をとるのは当然なのじゃ。じゃからクルト達も……」


 悲しげな、だが覚悟の決まった顔つきで言うローズ。だが俺はローズの言葉を最後まで言わせず、あえて軽い口調で割り込んでいく。


「おいおい、そりゃ違うだろ。笛を吹いてくれって頼んだのは俺なんだから、責任があるのは俺も同じさ。だから悪いなローズ。俺と……俺達と最後まで付き合ってもらうぜ?」


「そうなのデス! ゴレミ達はいつだって一緒なのデス!」


「クルト……ゴレミ…………っ。妾は……」


「あー、そんな顔すんなって! それに俺は自殺するつもりはねーぜ? 俺達全員が力を合わせれば、まだ生き残れる目があると思ってる」


「えっ、そうなの!? あんなの相手に、どうやって!?」


 この期に及んでもまだ、興味があることには食いつかずにいられないらしい。身を乗り出して問うてくるピートに、俺は笑いながら作戦を告げる。


「なに、簡単さ。今度はもっと強く……本気でローズに笛を吹いてもらう」


「笛を? そんなことしたら、新しい魔物が増えるだけじゃないの?」


「だろうな。でもほら、獲物はローズだけなのに、それを狙う魔物が二体現れたら……獲物を独占するために、魔物同士が潰し合ってくれたりするんじゃねーか?」


 ニヤリと笑って言う俺に、カイ達があきれ顔をする。


「クルト君、それは流石に都合のいい妄想過ぎると思うよ?」


「そうだぜクルト。それにもし魔物達が協力して襲ってきたらどうすんだ?」


「そうよ! ダンジョンの魔物って基本的に争わないし、むしろそっちの方が可能性は高いでしょ?」


「ハッ、その時はその時さ。上手いこと潰し合ってくれりゃ、その漁夫の利をいただく。手を取り合って仲良く攻めてくるなら、両方纏めてぶっ飛ばす。どうだ、わかりやすくていい作戦だろ?」


「作戦って、お前なぁ……」


「フッ、ハッハッハ!」


 困り果てた顔をするカイをそのままに、不意にローズが楽しげな笑い声をあげる。


「確かに、実にわかりやすい作戦なのじゃ! よしクルトよ、妾はそれに乗ったぞ!」


「ゴレミはいつだってマスターにノリノリなのデス! あんなモクモクフワフワしてる奴に、マスターへの愛がギュウギュウ詰めになってるゴレミのラブボディが砕けるわけないのデス!」


「おう、頼りにしてるぜ!」


 肩を震わせ、目の端にキラリと光る物を浮かべるローズと、いつも通りの笑顔でやる気を見せるゴレミ。二人がそうしてくれるなら、俺に不安なんてない。


 そうして絶体絶命の状況のはずなのに楽しげに相談する俺達を見て、今度はカイが大きくため息を吐いた。


「はぁぁ…………わかった。なら俺達も一緒にいていいか?」


「は? おい、いいのか? さっきも言ったけど、普通に本道に避難した方が、生き残れる可能性は高いぜ?」


「普通に考えりゃそうなんだけどさ……でもなんか、俺の直感が『ここに残った方が生き残れる』って言ってんだよ。まあピートとシルが逃げたいって言えば、そっちを優先するけど……どうする?」


「ふふっ、カイ君がそう言うなら、僕も残るよ。シルちゃんはどうする?」


「この流れで一人だけ逃げるわけないでしょ! それに普段はどれだけ抜けてても、こういうときの判断を間違えないからこそカイがリーダーなんだし。


 あ、でも、残るって言うなら、ちゃんと私とピートの事を……ううん、みんなのことを守りなさいよね!」


「おう、任しとけ! ってことだクルト。俺達もお前の作戦に一口乗らせてもらうぜ」


 そう言って、カイが拳を握った右腕をまっすぐ俺に伸ばしてくる。なので俺もまた右手の拳をそこにコツンと打ち付ける。


「お互いいい仲間をもったな」


「ああ、自慢の幼馴染みだぜ!」


「なら、全員で……」


「きっちり生き残らねーとな!」


 状況は何も変わっていない。それどころか刻一刻と近づいてくる霧の巨人の存在は、俺達の命のカウントダウンをしているように足音を響かせ続けている。


 だが少し前まで場に満ちていた絶望感は、もう何処にもない。負けて元々、勝ったら大儲け。さあ、大博打の始まりだ。

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