最悪の相性

 乱立する木々の間に張り巡らされているのは、白い蜘蛛糸の壁。それによって形成された通路は迷路の如く入り組んでおり、挑戦者の行く手を大きく阻んでいる。


 そんな糸の壁は人が通り抜けられない程度の密度しかないため、向こう側が透けて見える。ならば攻略は簡単かと言えばそれは逆であり、透けて見えるが故に距離感が掴みづらく、ただ通路を歩いているだけでもうっかり蜘蛛糸に触れてしまう危険性がとても高そうだ。


 ならば無視する? 所詮は糸なので、やろうと思えば強引に突っ切ることもできるだろう。だがそんなことをすれば壁の二、三枚も抜いたところで全身が糸塗れになってしまうし……なによりこれは「蜘蛛の巣」なのだ。糸に振動が伝われば、獲物の位置を察したビッグスパイダーがあっという間に駆けつけてきて、逃げ場のない糸の迷宮での乱戦を強いられることになる。


 糸の壁との距離を適切に把握し、わかりづらい通路を慎重に進み、迷宮を徘徊する蜘蛛達から逃げ、あるいは撃退しながら遠くに見えるひときわ巨大なビッグスパイダーを目指す。それこそがこの縄張りのボスに挑戦するために必要な能力であり……その難易度の高さは、ただ近くからその存在を見ただけのカイ達の心を折るに十分であった。


「クルト、こりゃ無理だ。万全な状態でもここを抜けられるとは思えねーよ」


「そう、だね。僕達の実力で、この『糸の迷宮』を抜けてボスまで辿り着くのは、ちょっと現実的じゃないかな……」


「せっかく辿り着いたけど、引き返しましょ。これに挑戦するのは自殺と変わらないわよ。それならまだ最初の場所で助けを待つ方が――」


「いや、俺達は行くぜ」


 目に諦めを宿し、苦笑しながら撤退を訴えるカイ達に、しかし俺はきっぱりとそう断言する。するとカイはビックリした顔で俺を見てから、低い声で確認してくる。


「……本気か? 悪いけど、俺達は行かねーぜ? リーダーとして、勝算のない戦いには参加できない」


「ああ、いいぜ。ここは俺達だけで十分だ。なあゴレミ、ローズ?」


「余裕のよっちゃんなのデス! スルメではなく酢漬けなのデス!」


「そうじゃな。最後がこれでむしろ助かったくらいなのじゃ!」


 俺の問いかけに、ゴレミとローズが笑顔で答える。そこに何を感じ取ったのか、俺に向けて手を伸ばしかけたカイがその腕を引っ込め、その場から一歩後ずさった。


「わかった。なら好きにしてくれ。俺達はここで見てるから」


「カイ君!? いいの?」


「いいも何もねーだろ。元々別のパーティなんだし、俺達に無理に止める権利はないさ。でも……」


「……ゴレミちゃん、ローズちゃん。気をつけてね。ああ、こんな無謀なことに仲間を巻き込むバカクルトはどうでもいいけど」


「うおっと、俺だけ辛辣だな!?」


「当たり前でしょ! でも……そこまで言って仲間を巻き込むなら、ちゃんと勝ってきなさいよね」


 心配そうな表情で、なのにそっぽを向いて言うシルヴィに、俺は思わず苦笑する。


「まあ見てろって。んじゃ行くか」


「はいデス!」


「オーなのじゃ!」


 仲間達に声をかけ、俺はあらゆる命を巻き取り、吸い尽くすであろう糸の迷宮の方に足を向ける。


 ここから先に待っているのは、一方的な蹂躙。だが恐れることなどあるものか。何故なら――


「ボーナスステージの始まりだ!」


――蹂躙するのは、俺達の方だ。





「バーニン! バーニン! バーニングぅぅぅぅ……歯車、スプラーッシュ!」


「「「うわぁ……」」」


 背後から聞こえる気の抜けた声をそのままに、俺はローズと協力して燃える歯車を投げまくる。それにより難攻不落と思われた糸の迷宮は激しい炎に包まれ、その悉くが燃やし尽くされていた。


「ハッハー! どうだ! これが俺達の力だ!」


「燃やして燃やして燃やし尽くすのじゃー!」


 糸の白に埋め尽くされていたはずの視界は、既に真っ赤に染まっている。俺が歯車を投げる度にその赤は広がっていき、侵入者を撃退し自らを守るはずだった白の要塞は、今や奴らを閉じ込め焼き殺す赤い棺桶となっていた。


 無論、そうはさせまいと近寄ってくるビッグスパイダーも稀にはいる。だが周囲の温度が高すぎるせいか上手く糸が出せないらしく、であればそんなものゴレミの敵ではない。


「これから毎日家を焼くのデス! 幻聴ではなく現実なのデス!」


 相変わらず訳のわからん台詞を言いながら振るわれるゴレミの拳が、息も絶え絶えながら何とかこっちに辿り着いたビッグスパイダー達に次々ととどめを刺していく。


 これぞまさに独壇場。炎の歯車使いである俺達に燃えやすい糸で砦を作るなんて愚行を犯したビッグスパイダー達に対する答えなのだ。


「このままどんどん燃やしていくぞ! 外周から中央に向かって、一本残らず燃やし尽くす!」


「わかったのじゃ!」


「ガードはゴレミにお任せデス!」


 ゆっくりと円を描くように移動しながら、俺達は蜘蛛の巣を燃やしていく。そうして一時間ほどかけて、俺達は遂に全ての蜘蛛の糸を焼き払うことに成功した。


「ふーっ、作業完了! てか、あっちーな。スゲー汗かいちまったぜ」


「お疲れ様なのじゃ。にしても、これだけ燃やしても本当に火事にはならぬのじゃなぁ。不思議なのじゃ」


「蜘蛛糸はすぐに燃え尽きちゃうから、火種にはならないのデス。とはいえ流石に普通の森だったら余熱から発火して大火事になってると思うデスが」


「だな。この森がダンジョン仕様でよかったぜ」


「お、おいクルト……?」


 一息つく俺に、ずっと背後からついてきていたカイがおずおずと話しかけてくる。


「おう、カイ。どうだ、やれただろ?」


「あ、ああ。そうだな。スゲー凄かったな、うん」


「あはは……身も蓋もないって、きっとこういう状況のことを言うんだろうね」


「そう褒めるなって。それにここまで一方的にやれたのは、相性がよかったからって面がでかいしな。シルヴィのスキルが<火魔法>だったら、カイ達だってこのくらいやれただろ?」


「え、それは……」


「できるわけないじゃない!」


 眉根を寄せて考えこんだカイを横に、肩を怒らせたシルヴィが大声でそう突っ込んでくる。


「そりゃ蜘蛛の糸は燃えるでしょうけど、あんな勢いで燃やそうと思ったらそれなりに強い魔法じゃないと無理よ! しかもそれで、見渡す限りに広がっていた蜘蛛の巣を全部燃やし尽くす!? 一体魔法士何十人分の魔力があったらそんなことができるわけ!?」


「あー、それは……」


「魔法を前に飛ばせぬ未熟者ではあるが、魔力の量だけは誰にも負けない、妾の自慢なのじゃ!」


「誰にも負けないって、限度ってものがあるでしょ! まったく……」


 エッヘンと胸を張るローズに、シルヴィが泣き顔とあきれ顔の混じったような表情を浮かべる。まあ、うん。確かにスゲー広かったしなぁ。魔法なんて使えない俺でも、これだけの広さを焼き尽くすのにアホみたいな魔力が必要だってことくらいはわかる。


「ほらほら、マスター! シルヴィ達も、まだ終わったわけじゃないのに気を抜きすぎデスよ!」


「っと、そうだったな。最後の詰めがまだ残ってたか」


 腰に手を当て子供に注意するような感じで忠告してくるゴレミに、俺はゆるみかけていた意識を引き締め直して、縄張りの中央に視線を向け直す。そこには猿共と戦った時のように木のない平原が存在しており、その中央には全身に大やけどを負って満足に動けないであろう巨大な……通常種より二回りは大きいボススパイダーの姿があった。


「ギチ、ギチギチギチ…………」


「安心しろ、魔物だろうと嬲って楽しむような趣味はねーよ。お前の巣は力業で攻略しちまったから、お前自身はちゃんと全力で送ってやる」


 最後の力を振り絞るように、ガチガチと牙を鳴らして威嚇するボススパイダーに対し、俺は手の中に歯車を生みだしていく。ただ幾ら弱っているとはいえ、俺の歯車ちからだけではボス魔物にとどめを刺すほどの威力は出ない。


「ローズ、頼む。バースト歯車ボンバーだ」


「む、よいのじゃ?」


「ああ、今の俺なら大丈夫だ」


 投擲技術があがったことで、今なら安全な距離まで投げることができる。故に俺はカイ達と共に広場の縁ギリギリくらいまで下がってから、ローズの火球を中央に封じた回らぬ歯車の箱を作り出す。


「全員、爆発に注意しろよ! さあ、これで本当に終わりだ……バースト歯車ボンバー!」


 全力で踏み込み、全力で振り切り、俺達の未来を乗せた歯車が緩やかな放物線を描いてボススパイダーのところに飛んでいく。そして……


「回れ!」


ギュゥゥゥゥン…………ドカーン!


 耳をつんざく大爆音と体に響く衝撃と共に、ただの一度も直接剣を交えることのなかったボススパイダーの巨体が、紅蓮の炎に巻かれて消し飛んだ。

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