閑話:黒蛇の苦悩

今回は三人称です。


――――――――


 クルト達がてんやわんやの話し合いをしてから、更に数日後。とある高級宿の一室にて、スネイルはウンザリした気分で部屋の片隅に立っていた。その理由は勿論、すぐ側で荒れている雇い主のせいだ。


「何故だ!? 何故あいつらは再度の謝罪に来ないのだ!?」


(そりゃアンタがそんなだからだろ……)


 高級なワインをカパカパ飲みながら怒りを露わにするエリオットに対し、スネイルは内心でそう毒づく。


 結局あの日の話し合いで、クルト達は「何もしないで様子を見る」ことを選択した。より正確には「現状どうにもできないので、何か起きたらその時々で対処するしかない」という結論だ。やってきたばかりの町で貴族に目をつけられたりしたら、確かにその程度が限界だろう。


「全く不敬だ! ここが我が領地……せめて我が国であれば、あんな生意気なガキ共など、即刻捕らえて死刑にしてやるというのに……おいスネイル! ……スネイル?」


「……はっ!? な、何ですかエリオット様」


「何ですかではない! 貴様の方でどうにかできんのか! 貴様の後輩であろう!」


「いやぁ、それはちょっと……」


 もう何度目かもわからない八つ当たりまがいの問いかけに、スネイルは口元が引きつるのを必死に我慢してそう答える。


 もしエリオットがもっとまともな性格をしているとか、クルト達が世間を知らない子供特有の無謀な強気を発揮しているというのであれば、スネイルも先輩として「長いものには巻かれとけ」などと諫めることもできた。


 だがあの日話してみた感じでは、クルト達は多少理不尽ではあっても、上位者に頭を下げるという行為にそれほど抵抗はないようだった。むしろそれで事が穏便に収まるなら、積極的にそうしてもいいという意思すら感じられた。


 では何故そうしないかと言えば、相手がコレ・・だからだ。理不尽を飲み込めるのはそれで問題が解決するからであって、頭を下げた結果そのまま首をはねられるとわかっていたら、下げるはずがない。だからこそスネイルには、クルトを説得する術などなかった。


(これじゃどっちが大人だかわかんねーぜ……あー、帰りたい……あ、そうだ)


「あの、エリオット様?」


「何だ!」


「もうあんな奴らのことなんて放っておいて、領地にお戻りになってはどうですか?」


「は!? 貴様この私に、やられっぱなしのままおめおめと家に帰れと命令するつもりか!?」


「ち、違いますよ! むしろ逆っていうか……あんな小物にエリオット様ほどの方が延々と拘り合っているのは、エリオット様の貴重なお時間を浪費することになるんじゃないかと……」


「それを決めるのはこの私だ! そもそも私をここに呼んだのは、貴様だろうが!」


「それはまあ、そうですけども……」


 二月ほど前に<天に至る塔フロウライト>で繰り広げられた『試練の扉』の鍵争奪戦。そこでスネイル達『黒蛇』は、五つある鍵の一つを確保することに成功した。また残る四つのうち、二つを顔見知りであるバーナルド達が確保したというのも幸運だ。


 だが、最後のパーティがマズかった。四〇層超えのパーティ「ホワイトナイツ」は、ダンジョン攻略に命を賭けるガチガチの探索者集団だ。そんな相手が『試練の扉』という可能性を譲ってくれるはずもなく、スネイルがどんな条件を持ちかけても、答えは常に「お前達の鍵をこちらによこせ」から変わることがなかった。


 故にスネイルは最後の賭けに出た。探索者ギルドで塩漬けになっていた「『試練の扉』の使用権の確保」という依頼を受け、エリオットをこの町に呼び寄せたのだ。


 如何に上位の探索者とはいえ、貴族と事を構えようと思うものは少ない。エリオットが貴族パワーでごり押してくれればバーナルド達も「ホワイトナイツ」の奴らも折れるかも知れないし、『試練の扉』は同一パーティであれば六人まで入れるため、もし貴族が一人であったならば、運が良ければ護衛という名目で五人パーティである「黒蛇」も一緒に『試練の扉』に入れるかも知れない。


 そんな淡い期待を抱いていたスネイルだったが……その目論見はどういうわけかクルト達が『試練の扉』を達成してしまったため、水泡に帰した。残ったのは期待に満ちてやってきたと思ったら、既に『試練の扉』がなくなったと聞かされ、怒り心頭になった依頼主の貴族様と、それを相手にする自分だけというオチだ。


「不快だ! 不快だ! 全く以て不快の極みだ! 何故どいつもこいつもこの私を敬わぬのだ!」


 なので、雇い主たるエリオットが荒れている気持ちも、まあわからなくはない。そんなちょっとした罪悪感から、この町で滞在する間の護衛の依頼を別口で引き受けてしまったのだが……その結果がこれである。「ちょっとした罪悪感」程度では、これ以上耐えるのは流石に難しい。


(護衛の方は日割りだからいいけど、『試練の扉』の方の依頼は、契約解除すると違約金とかとられるのか? 成功報酬だったのは覚えてるんだが……くそっ、こんなことならもっとちゃんと依頼の内容を読んどくんだったぜ)


 どうやって辞めるかを考えながら仕事を続けるなど、不毛の極み。然れど一度そうしたいと思ってしまえば、スネイルの思考は止まらない。どうにかしてこの厄介な雇い主を領地に帰らせ、後は酒でも飲んで憂さ晴らしがしたいと考えていると、不意にエリオットが豪華なテーブルにドンと拳を打ち付けた。


「そもそも探索者ギルドもそうだ! 何故貴族である私の訴えが、あんな平民と平等に扱われるのだ!? 貴族だぞ!? 私の言葉こそが真実であり、あんな子供の反論など無視するのが当然ではないか!


 何故だスネイル!? 何故あの職員共は、私とあんな平民の言葉を、同じ重さとして扱うのだ!?」


「いやぁ、本当に何でですかねぇ。俺みたいな学のない男には、そういうのはちょっとわかりかねます。へへへ……」


「フンッ、使えぬ奴だ!」


 ヘラヘラと笑って誤魔化すスネイルに、エリオットは鼻を鳴らして顔を逸らす。それでひとまず理不尽な怒りの矛先が自分から逸れたと知り、スネイルは内心でホッと胸を撫で下ろした。


(はぁ、今は何とか乗り切ったか……でもこれ、あとどれだけ続くんだ……?)


 エリオットがここに滞在し続ける限り、この日々は終わらない。もはや護衛の日当なんて小銭より、精神の平穏の方がずっと価値があるとしか思えない。むしろエリオットが帰ってくれるなら、一〇〇万クレドくらいなら出してもいいとすら思えてくる。


(帰れー、帰れー! 腹壊すとか愛人が恋しくなったとか、何ならお気に入りの靴で馬糞を踏んで気分が悪くなったとかでもいいから、とにかく今すぐ帰りやがれー!)


 すまし顔で立ちながら、スネイルが内心でそんな念を送る。しかしそんな願いとは裏腹に、エリオットが急に声を上げ、その口元をほころばせた。


「……そうだ! ふっふっふ、これはいいことを思いついたぞ!」


(やめとけ! お前が思いつく程度のことなんて絶対失敗するから、今すぐ家に帰っとけ!)


「あれをこうしてこうすれば…………よし! スネイル、出かけるぞ!」


「えっ!? あ、お帰りになるんですか?」


「何故帰るのだ!? まずは探索者ギルドに向かう! それから……いや、いちいち貴様に説明する必要もないな。いいからさっさと馬車を回せ!」


「は、はぁ……(俺は護衛であって、小間使いじゃねーんだぞ、ったく)わかりました」


 内心の悪態を悟られぬようにしながら、スネイルは部屋を出て宿の店員に馬車を回してもらえるように告げる。程なくして黒塗りの立派な馬車がやってくると、出会った時以来の上機嫌な様子でエリオットがその馬車に乗り込む。


「ふふふ、見ていろ平民共が。貴族の力をこれでもかとわからせてくれるわ! スネイル、貴様にも働いてもらうぞ?」


「えぇ? あの、エリオット様? 何度も言ってますけど、俺はただの護衛ですから、汚れ仕事とかはしないですよ?」


「大丈夫だ。貴様には探索者として役立ってもらうからな」


「はぁ、ならいいですけど……」


(うわぁ、また面倒なことになりそうだなぁ)


 汚らしい笑みを浮かべるエリオットと、そろそろウンザリした顔を隠しきれなくなってきているスネイル。そんな二人を乗せ、運命の馬車は走り出してしまった。

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