試練の扉:クルト 「手の届く幻影」
「さーて、本腰入れて捕まえるってことなら、まず最初に確認しとかねーとな」
言って、俺は<歯車>のスキルを発動させ、右手に小さな歯車を大量に生み出す。ふむ、どうやらこんな訳のわかんねー場所でも、スキルは正常に発動するようだ。
「なら次は……食らえ、歯車スプラッシュ!」
最近の成長により、以前より二回りほど小さく作れるようになった歯車を、俺は思いきりボドミに向けて投げつける。降り注ぐ歯車の雨に対し、ボドミは……何もしない。小雨のように降り注ぐ歯車をその身に受け、しかし小さな歯車はボドミに何の痛痒も与えることはなく、ただパラパラと床の上に落ちていった。
「なるほどそうか。よーくわかったぜ」
その全てを観察して、俺はニヤリと笑いながらわかったことを頭の中で纏める。
まず、スキルは通常通りに発動する。次に、ボドミの優先順位は、上から順に「俺に捕まらない」「俺から離れすぎない」「攻撃を回避する」だと推測できた。もし回避が距離感より優先されるなら、むざむざ歯車を食らわずとも左右や上に逃げればいいだけだったからだ。
勿論ノーダメージだと見切ってあえて受けたという可能性もあるが、こんな板っきれにそこまで高度な知能が…………ありそうな気もちょっとするが、まあそれはそれだ。俺程度が相手を完全に看破しようなんてのは無理なんだから、失敗したらその都度修正すりゃいいだけの話だしな。
で、最後。これが一番肝心なんだが……
「ボドミ、お前……
通常の<天啓の窓>は、幻影みたいなもんだ。触れれば反応するが、指はそのまますり抜ける。
だがボドミに投げた歯車はボドミをすり抜けることなく、当たって床に落ちた。つまりボドミには、物理的な干渉が有効だってことだ。
「これだけわかりゃ十分だ。じゃあボドミ……第二ラウンドと行こうぜ?」
まるで愛しい人を招き寄せるように、俺は両腕を開いて前に伸ばす。だが上に向けられた手のひらに生み出されるのは、五角形に組み合わされた歯車の塊。
「吹っ飛べ、歯車ボンバー!」
あえてボドミの左右の空間に、俺はそれぞれの歯車ボンバーを投げる。これで逃げ道は上と下だけだが、上はおそらく俺から離れすぎるから逃げられない。なら必然、その向かう先は下方向だけ!
「もらった! あぁぁぁぁ? あふんっ」
ヒューン
下方向に狙いを定め、前傾姿勢で飛び込む俺の前で、ボドミが奥に逃げていく。あー……うん。そうだよな。俺と距離を維持するってことは、俺が突っ込んだらその分ボドミは奥に行けるわけで……相手から逃げるなら、遠ざかるように動くのは当たり前だよな。
クネクネクネッ!
狙いがはずれ、無様に床にヘッドスライディングをかました俺に対し、上空のボドミが板きれの体をクネクネねじ曲げて感情表現をする。
「テメェ……テメェだけは許さねー! 絶対に捕まえてへし折ってやるからな!」
その絶妙なくねり具合に、俺は怒りで震える拳を突きつけ……こうして俺達の追いかけっこは再開された。
「ハァ、ハァ、ハァ…………どっちだ?」
白い壁を背に、俺は呼吸を整えながら周囲を窺う。曲がり角からそっと顔を出して覗いてみたが、目標の姿は見つけられない。
「くっそ、隠れてやがるのか? 調子に乗りやがって……」
悪態をつきつつも、意識だけは冷静に。ここで興奮したら相手の思うつぼだと、必死に心を落ち着ける。
あの後、俺は散々苦労して追いかけ回した結果、遂にボドミを捕まえることに成功した。だがその瞬間激しい振動と共に世界が変化し、白くて平坦だった周囲に壁やら床やら段差やらが床からニョッキリ生えてきたのだ。
加えて、今度はボドミがこっちを攻撃し始めた。飛ばされてくる青い光の球は、当たるととても痛い。怪我とかは一切しねーし、痛みだってすぐに消えるんだが、それでも痛いことには違いない。
つまり、食らいたくない。ならばこっちが先に相手の姿を見つけ、攻撃される前に捕まえなければならない。それはわかっちゃいるんだが、それを実行できるかは別の話となる。
「てか、縦一五センチ横三〇センチの板とか、小さすぎんだろ。その辺の段差の裏とかに張り付かれてたら、背後にでも回り込まなきゃ絶対見つからねーぞ?」
追いかけっこの次はかくれんぼ……ただしこっちは人間様の大きさなのに対し、相手は小さな板きれな上に、自由に空まで飛びやがる。一応俺との距離制限は残っているらしく、おそらくは俺から一〇メートルくらいまでしか離れられないと思われるが、それでもこれだけ死角のある場所でボドミを見つけ出すのはかなり困難だ。
(せめて床を歩いて移動してくれりゃ、歯車をばらまいて気配を察知できるんだが……)
空を飛ぶ相手は、床の歯車を踏んだりしない。そして俺の歯車は、空中に固定したりはできない。俺と<歯車>スキルと小さな体で空を飛ぶボドミとの相性が、決定的に悪い。
(<索敵>なんて贅沢は言わねーから、せめて気配察知とか殺気を感じるとか、そういうスキルがありゃなぁ。確か<剣術>スキルにそんなのあったよな?)
俺が取得できるスキル候補の一つだった<剣術>スキルには、「後の先」と呼ばれるカウンター系の技能があった。敵の動きを見てから反応するにも拘わらず、敵より速く動いてその攻撃を潰すとかいうイカサマ臭い技能だ。
勿論、俺は<剣術>スキルを取っていないので、そんな技能は身につけていない。だが技能に限らず、スキルってのは「いきなり凄いことができるようになる」であって、「できないことができるようになる」わけじゃない。理論上はローズが俺のように歯車を出すことだってできるし、俺が火魔法を使うことも可能なはずなのだ。
ではなぜそれができないかと言われると、「どうやってるかわからない」からだ。俺が歯車を出すときは、ただ「出ろ」と念じるだけで、厳密はどうやって魔力を歯車に物質化してるのかなんてわからない。魔法も同じで、使えるようになるといきなり頭に使い方が浮かんでくるらしく……つまり「どうやったら魔法が使えるのか」を説明できる奴はいない。
人が人を造れないのと同じだ。二本足で立ち、一〇本の指先を自在に動かし、飯を食ってエネルギーを補給し、呼吸し、思考し、男女で交われば新たな人間を作ることだってできる。
だが何千年、何万年経っても、その間に何十億、何百億って人間がいたはずなのに、誰一人としてその仕組みを完全に理解し、再現できた奴はいない。自分自身のことですらわからないほど、世界は謎に満ちているのだ。
(つっても、<剣術>はそこまでじゃねーだろ? 俺だって村を出るまでの三年は真面目に鍛錬したし、実戦経験もこの一年でそこそこ積んだ。ならスキルで得られる技能の真似事くらいなら……)
このままじゃ埒が明かねーし、失敗しても痛い目を見るだけ。そのうえで成功すりゃ大儲けなんだから……と自分に言い聞かせ、俺はこの試練で初めて腰の剣を抜いて、その柄を握る。
(<剣術>ってんだから、剣に集中すりゃいいのか? それとも剣を持ってる状態で周囲に意識を巡らせる? それ剣を持ってる意味あるのか? くっそ、全然わかんねー)
スキルを持たない俺に、誰も答えを教えてはくれない。自分で答えにたどり着けなければ、この行為はただ無防備な姿を晒すだけの愚行。
何処に、どんな風に集中すればいい? それとも集中せずに意識を拡散させるのか? わからない。何もわからない。真っ白な世界で、真っ暗な意識のなか、俺の思考はフラフラと頼りなく行ったり来たりを繰り返し……
(…………ん?)
ふと、俺は自分の隣に気配を感じた。だというのに俺はそちらに目を向けるのではなく、何故かぎゅっと目を閉じてしまった。
暗闇の中、俺とよく似た背格好の男が隣に立つ。青いシルエットを纏うそいつは立て膝の姿勢でしゃがみ込み、鞘に収めたままの剣の柄に手をかけている。そんな男に青い光が飛来すると……
スパッ!
(おぉぉ!)
抜き放った剣が、飛来した青い光を切り飛ばす。確かこいつは「居合い切り」とかいう技だ。俺が内心で感嘆の声をあげると、そいつは得意げな顔でニヤリと笑い、そのまま暗闇に消えていった。
「…………何だ今の? あー……こんな感じ、か?」
何であんな幻を見たのかはわからねーが、俺と同じ背格好の奴が使える技なら、俺にもできる可能性がある。俺は構えていた剣を鞘に戻すと、あいつと同じく立て膝の姿勢になる。そうしてしばらく待つと、不意に角から現れたボドミが俺に向かって青い光の球を発射してきて――
「フッ……ぎゃぁぁぁぁ!?」
鞘から抜いた剣の速度はアホほど遅く、光の球は俺の顔面に直撃した。
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