試練の扉:クルト 「謎の板」

「うん? ここは……?」


 ダンジョンに現れた『試練の扉』をくぐった先は、他に表現しようがないくらい真白な場所だった。見渡す限りが全て白で、距離感も何もあったもんじゃない。


 ただまあ、少なくとも床はしっかりあるようだ。足の下に硬い感触がなかったら、今自分がどっちを向いているのかすらわからなかっただろうからな。


「ゴレミ! ローズ! …………はぁ、やっぱりいねーか」


 繋いでいた手の感触がなくなっている時点でわかっていたが、ここには俺だけが飛ばされてきたらしい。とはいえ、そこに焦りはない。この手の仕掛けは大体個人単位ってのがダンジョンの常識なのだ。


 だが、そうすると俺やローズはともかく、ゴレミもちゃんと試練を受けられたってことか? まああいつは見た目……いや、根本的な存在からゴーレムなんだろうけど、下手な人間より人間くさい奴だからな。要領もいいし、俺が心配するまでもなく上手くやることだろう。


「っと、他人の心配してる場合じゃねーよな。んで? 俺はここでどうすりゃいいんだ?」


 試練の詳細は非公開。つまり俺がこれから何をさせられるのかはわからないわけだが、流石にこのままノーヒントってことはねーだろう。とりあえず辺りを見回してみると、不意に俺の目の前に、青い板が浮かび上がった。


「<天啓の窓>!? あー……何だこりゃ?」


 そこに書かれていたのは「肉体の試練」「精神の試練」「技術の試練」の三つ。それぞれの文字がピカピカ光って、激しく自己主張を繰り返している。


「選べってことか? どれか一つを達成すればいい? それとも順番を選ぶだけか?」


 その疑問に答えてくれるような、親切な奴はこの場にはいないらしい。ならば自分で考えなければならないわけだが……これはなかなかに悩ましい選択だ。


「仮に全部やるにしても、順番は大事だよな。ましてや一つ選ぶってなれば……うーん、でもなぁ……」


 自分で言うのも何だが、俺には特に秀でたものというのがない。人並みに健康な肉体はしているが、同い年の奴らと比べて特別に強いかと言われたらそんんなことはねーし、トラウマになるような悲劇的な生い立ちがあるわけでもないので、心もまあ普通だろう。


「てか、この技術って何だ? 何の技術……戦闘技術? それとも俺の試練ってことなら、<歯車>スキルに関係する技術か?」


 ただ、この「技術の試練」だけは何を意図されているのかが全くわからん。となると初手でこれを選ぶのだけはナシだ。最後にやむなくならともかく、最初にこんな意味不明の試練を選ぶ理由はこれっぽっちもない。


「なら肉体か精神……精神ってのも割とフワッとしてるし、ここは無難に『肉体の試練』にしとくか」


 体を使って何かをしろというのは、この三択のなかでは最もわかりやすい。そう結論づけた俺は、青い板に浮かんだ「肉体の試練」の文字を指で触って確定させようとしたが……


スイッ


「……うん?」


 俺が指を伸ばした瞬間、青い板がひょいっとその場で移動して、俺の指から逃れた。ならばと動いた方に改めて腕を動かすと、またも板はスイッとよけるように動く。


「あぁ? おい、何のつもりだよ!」


 突く、突く、突く。目の前を行ったり来たりする青い板を向きになって指でつつこうとしてみたが、何度やっても俺の指は空を切る。ならばと両手で掴みにいったが、今度はスッと上に移動して逃げ……あろうことかこちらを煽るかのように、ヒラヒラとその体? を翻してみせる。


「ほほーぅ? そりゃあれか? 捕まえてみろってことか? 上等ぅ!」


 全力で床を蹴り、俺は青い板を捕まえるために走り出す。だがどれだけ俺が腕を振り回しても、青い板にはかすりもしない。


 しかも、それだけ速く動けるにも拘わらず、青い板は俺から一定以上に離れることはない。常にヒラヒラと目の前で舞ってみせ、「鬼さんこちら」とばかりにその体をフリフリさせる。


「くっそ! このっ! テメェ!」


 走る、飛びつく、掴みかかる。ひたすらに手を伸ばし……しかし俺の手は届かない。そうして一〇分ほど全力で動き続けたところで、俺は肩で息を切らせながら動くのを止めた。


「はぁ……はぁ……はぁ…………んだよそりゃ。やってられっかよ…………」


 相手の移動速度は明らかに俺より速く、どれだけ続けても捕まえられる気がしない。というか、あの青い板に実体があるのかどうかすらわかんねーんだから、そもそも手で掴んだら捕まえられるかすらわかりゃしない。ならこれ以上意地を張ったって無駄なだけだろう。


「あーくそっ! やめだやめ! はぁ、やっぱり俺にゃ早かったか……」


 その場で腰を下ろして座り込み、俺は大きく息を吐く。この「試練の扉」があったのは、<天に至る塔フロウライト>の第一四層……つまりこれを攻略するには、自力で第一四層に辿り着く実力が必要だったのだ。ズルして辿り着いた俺が試練を始めることすらできねーのは、ある意味必然だったってわけだ。


「はぁ……はぁ……はぁ…………」


 肩で息をする俺の目の前に、フラフラと青い板が飛んでくる。今なら簡単に捕まえられそうだが……ふわっ


「チッ」


 試しに腕を伸ばしてみたら、木枯らしに吹かれた枯れ葉のようにひらりと舞って逃げられた。糞が。これを作った奴は、相当に性格が悪いに違いない。


(まあ、俺の実力なんてこんなもんだよなぁ……)


 呼吸が整っていくにつれて、俺の中に諦念が生まれる。ここはもっと努力した奴が来る場所であって、俺みたいな駆け出しの底辺探索者がいていい場所じゃないんじゃないかという思いが湧き出し、俺の体を重くする。


(ゴレミとローズはどうしてっかな?)


 俺と同じように試練に振り回されているなら、気の毒と言うほかない。いや、ローズはともかく、ゴレミはそもそも一二層相当の実力があるんだから、こんなのでもどうにかなるのか? 例えば――


(そう、例えばゴレミがこいつに掴みかかってる間に、俺が背後に回って……ローズの火の膜は、こいつに対して牽制になるのか? あれで移動経路を塞げるなら……)


 気づけば、俺は自然と仲間と連携してこの青い板を捕まえる作戦を考えていた。確かにこいつはすばしっこくて、こっちの動きを読んでいるかのような嫌らしい軌道をとってくる。


 だが、俺達三人なら捕まえられる気がする。いや、そりゃまあ一人と三人じゃそもそも手数が違うんだから、できて当然って考えもあるが……


(力はともかく、ゴレミの動きは別に俺よりスゲー速いってわけじゃねーよな? ローズは俺より走るのおせーし。それ三人で行けるなら、俺一人でもやったらやれる……のか?)


 湧き上がった新たな疑問が、俺の中に広がっていた諦めの気持ちを押し流していく。ああ、そうだ。どうやっても駄目なことならスッパリ諦めることに未練はねーんだが……


「できるかも知れねーことを諦めるのは、ダセーよなぁ?」


 最後に大きく息を吐いて、俺は再び立ち上がる。所詮はただの追いかけっこ。命のやりとりをしたわけでもねーのに、そんなにずっとへたり込むほど俺の体はヤワじゃない。


「青い板……天啓の窓……あー、何かいい感じの呼び名が欲しいな……」


 勿論俺は、こんないけ好かない板野郎秒で捕まえるから? 名前なんてつけても何の意味もねーどころか、一瞬でお別れなわけだが……それでもいちいち「青い板」とか呼ぶのは、何となくしっくりこない。


 というか、あれだ。何となくなんだが、こいつは明確な意思を持って俺をおちょくってきている気がする。なら俺としても、こいつをサクッと捕まえて「ねえねえ今どんな気持ち?」と煽り返してやらなきゃ気が済まない。


「板……ボード……絶壁……まな板…………うおっ!?」


 俺が名前候補を口にしていると、何故か突然青い板が猛烈な勢いで顔目掛けて突っ込んできた。思わずよけちまったが、今のタイミングなら捕まえられたような気がする。


「何だよ、気に入らねーのか? へぇぇ…………?」


 ニヤァっと、俺は自分の口角が持ち上がるのを感じる。そうかそうか、嫌なのか……そいつぁいいな。


「よし、ならお前の名前は『ボドミ』だ! すぐ捕まえてやるから、覚悟しやがれ!」


 堂々たる俺の名付けに、青い板ことボドミは、心底嫌そうにその体を捻った。

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