試練の扉:ローザリア・スカーレット 「無能の人生」

「はぁ、はぁ、はぁ…………」


 走る、走る、ただひたすらに走る。背後から迫る恐ろしいモノから逃げたくて、妾はただ闇雲に走る。廊下を駆け抜け庭を駆け抜け、街道を駆け抜け町を駆け抜け……


「あ、あれ? ここは何処なのじゃ?」


 気づけば妾は、何処かの町の中にいた。いや、違う。何処かではないのじゃ。ここは……


「テクタスの町? え、妾はいつの間にこんなところにやってきたのじゃ?」


 帝城のある首都オーベルからテクタスの町までは、妾のような子供が一息に走れる距離ではない。一体どうして……と戸惑う妾に、今日までの記憶が心に澱む黒いもやから滲み出てくる。


「そ、そうじゃ。妾は皆に認められたくて……自分の価値を証明したくて、この町にやってきたのじゃった」


 価値や評価は、常に結果でしか得られない。じゃが妾のような子供が、世間から認められるような結果を得るのは難しい。


 妾がもっと賢ければ、政治的な手腕を発揮するという手もあったのじゃろう。


 妾がもっと美しければ、政略結婚の道具としての価値があったかも知れぬ。


 そしてもっと単純に、妾がもっと強ければ……オーバードの名に恥じぬような力があったならば、それだけで妾の価値は保証されていたのじゃろう。


 じゃが、現実の妾にはそのどれもがない。正確には力はあるようじゃが、使いこなせぬ力になぞ何の意味もない。故に妾は無能で役立たずで落ちこぼれで恥さらしで……


「じゃ、じゃがここは違う! ダンジョンでは誰もが平等に機会を与えられる! ならばここで大きな成果をあげれば、妾だってきっと認めてもらえるのじゃ!」


 ダンジョンに「今まで」はない。過去がどうであったとしても、「これから」妾が為す偉業だけが正当に評価される。誰も妾を無能だと知らぬ場所で、少しずつ努力して有能になっていけばいいだけの話なのじゃ!


 さあ、頑張るのじゃ! まずは妾と共に戦ってくれる仲間を探すのじゃ! 同じくらいの年頃の者を誘えば、きっと実力も同じくらいのはず…………





「は? 自爆魔法しか使えねーやつとパーティなんか組むわけねーだろ!」


「ごめんね、私達も生活がかかってるから、貴方の面倒を見てあげるほどの余裕はないのよ」


「遊びじゃないんだ。探索者ごっこ・・・がしたいなら他を当たれ」





「ぬぅぅ……誰も組んでくれぬのじゃ…………」


 目につく者に声をかけ、なかにはお試しでパーティを組んでくれる者もおったが、妾と正式にパーティを組んでくれる者は、予想外に誰もいなかった。


 じゃが、それも当然じゃ。妾とそう歳も変わらぬ新人であっても、ここにいる者は皆何かができる。剣、魔法、気配察知や罠解除など、妾のように何も出来ない者は一人もいない。


「ここでも……ここまできても、妾は無能なのじゃ」


 これまで妾は、心の何処かで「妾が無能なのは皇族という優れた血筋のなかでの話」じゃと思っておった。じゃが現実には、目につく全ての者が妾と違って有能であった。


 そう、妾は「皇族として無能」なのではない。単純に「無能」だったのじゃ。そこには何の誤魔化しもなく、ただひたすらに「無能」「無能」「無能」…………


「ち、違うのじゃ! 妾はまだ子供じゃから、これから成長していくのじゃ!」


 暗い気持ちに蓋をするように、妾は一人でダンジョンに潜る。そうして誰もが簡単に倒している魔物に対し、防御魔法を展開して相手の魔力が尽きるまで待つという、戦いとすら呼べぬ何かを何度も何度も繰り返す。


「これから……これからなのじゃ。妾はまだ、これから……


『これから? お前のような落ちこぼれに、これからなんてものがあると本当に思っているのか?』


 火の膜を張りひたすら魔物の攻撃を耐え続けている妾の耳に、どこか聞き覚えのある誰かの声が聞こえる。故に妾はブルブルと頭を振って、その声を否定する。


「あるに決まっておるのじゃ! 妾はまだ一二歳じゃぞ!?」


『一二歳? 何を言っている。お前はもう二〇歳だぞ?』


「……えっ?」


 その声に驚いて、妾は思わず目を見開く。すると確かに視線が高くなっておるし、目にした自分の手もモチモチすべすべではなく、ちょっと硬くなっておるようじゃった。


「え、二〇歳? 妾はいつの間にそんな歳をとったのじゃ?」


『いつの間に? 何を言っている。無能のお前が無能のままにもがき続けた結果だろう? ほら、もうお前は三〇歳になったぞ』


「なっ!?」


 そう声が聞こえた瞬間、体の奥底に重い物を感じた。無限にあると思っていた活力が一気に失われ、目に映る手にあかぎれが走る。


「お、おかしいのじゃ! そんなに早く歳を取るはずが……そもそも歳をとっておるというのに、何故妾はずっとここにいるのじゃ!?」


『それは勿論、お前が無能だからだ。言ったはずだ、お前はただ努力をしているだけで、その努力にはいかなる結果も結びつかないと。


 何年も、何十年も、お前は自分が無能であることを受け入れられず、ただ努力を続ける。だがその努力は決して実らず、お前はいかなる成長もすることなくただ同じ場所で足踏みをするだけ。


 ほら、言っている間に四〇歳になったぞ?』


「なあっ!?」


 暗い声が囁くと同時に、妾の体に軋むような痛みが走る。四〇歳ともなれば、ごく一部の本当に優秀な探索者でもなければ、とっくに引退している年齢だ。そんな歳まで戦い続けて、無能の妾の体が無事で済むはずがない。


「ぐっ、うぅぅ…………」


『ほう、膝をついて耐えたか。だがそれも一時しのぎだ。さあどうする? まだ努力を続けるか? 結果など出ない、評価などされない、無駄な努力あがきを重ねるのか?』


「違う、違うのじゃ。こんなの……こんなはずではなかったのじゃ! 妾が頑張っていれば、いつかは報われるはずなのじゃ! 努力が報われぬというのなら、世界中の誰も頑張らなくなってしまうのじゃ!」


『報われるのは努力ではなく、才能だ。才能のある者が努力することで報われるのであり、お前のような無能が努力したところで報われはしない。


 そも無能のお前が、努力して何になるというのだ? ゼロは何処まで行ってもゼロ。無能は時を経てなお無能以外にはなり得ないのだ』


「違う違う違う! そ、そうじゃ! 妾には仲間が……頑張る妾には、ちゃんと仲間ができるはずなのじゃ! 妾を認めて仲間にしてくれる者が、妾の前に――」


『そりゃあ俺のことか?』


 妾の耳に、とても懐かしい声が聞こえた。全てを忘れてそちらを振り向けば、そこには暗闇の中に若い男が立っておった。とても見覚えのある黒髪で、どこかしょぼくれた顔をしたその男は……しかし何故かニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて妾を見ておる。


「お、お主! お主は……」


『おいおい、勘弁してくれよ。まともに魔法も使えねー無能なんて、足手まといにしかならねーだろ。俺みたいな優秀な男が、お前みたいな雑魚を仲間にするなんてありえねーっての! ほら、帰れ帰れ! 婆さんの相手なんてしてる暇はねーんだよ!』


「あ、ああ……あぁぁ…………」


 その言葉に、妾の声が枯れる。膝と腰の痛みに床に倒れ込むと、バサバサになった白い髪が妾の視界を塞ぐように流れてくる。


 ああ、妾はいつの間にか老婆になっておったのじゃ? こんな歳になってなお、妾は何も掴めず、何の結果も出せなかった?


「嫌じゃ……違うのじゃ……妾は、妾は…………」


 節くれ立った手を必死に伸ばすが、その男の背には届かない。


 妾はただ、妾を認めて欲しかっただけなのじゃ。誰か一人でいいから、妾を必要として欲しかった。妾がいてよかったと、妾に価値を感じて欲しかった。妾はただ……


『何も出来ず何者にもなれず、倒れ伏すだけの無能が、人に好かれ求められようなど、烏滸がましいにも程がある』


『無能。役立たず。恥さらし。そのまま死ぬまで顔を伏せていろ』


『お前の人生に価値などない。いい加減その現実を受け入れるのだ』


「うぅぅぅぅぅぅぅぅ……」


 悔しくて悲しくて、妾は唇を噛みしめて呻く。それでもせめて俯くまいと必死に顔をあげれば、暗闇の中で無数の黒い影が、妾を取り囲み見下している。


「うぅぅぅぅぅぅぅぅ…………っ!」


 怖い。怖くてたまらない。にらみ返してやりたいのに、そんな気力すらもう沸かず、結局妾は俯いてしまう。その弱さが、情けなさが、自分で自分をどうしようもない無能な愚か者だと責め立ててくる。


「うっ、うっうっ…………妾は…………」


 伸ばしていた右手を胸元に引き戻し、歯を食いしばって拳を握る。すると妾の目から零れた涙が、骨と皮ばかりになった右手にポタリと垂れ落ち……その瞬間、何も掴んでいないはずの右手に、確かに誰かの手の感触が生まれる。


『ったく、何やってんだか……ほら、立てるか?』


「えっ!?」


 一瞬聞こえた、さっきと同じ……じゃがさっきとは決定的に違う声。慌てて顔を上げても、そこには誰もいない。


 ならば今のは幻聴か? 妾の願望が、こびりついた未練が見せた慰めか?


「……違うのじゃ。今のは……っ!」


カチッ


 妾の胸の奥底で、小さな歯車が音を立てて回り始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る