閑話:とある受付嬢の日常

今回は三人称です。ご注意ください。


――――――――


「ふーっ……よし、これで午前の業務は終了かな?」


「リエラ様ー! お昼一緒しない?」


 エシュトラス王国、エーレンティアの町にある探索者ギルド。朝の受付ラッシュを乗り切り、簡単だが面倒ないくつかの書類仕事を片付け終えて一息ついたリエラに、同僚の女性がそう声をかける。


 肩口で切られたくせっ毛は外側にくるんと跳ねており、ハシバミ色の瞳をいつだって好奇心に輝かせる、何処か猫のような印象を受ける同僚。同い年で同じ時期にギルドに入社したため、以前からずっと懇意にしている女性の呼びかけに、しかしリエラはむっとした表情で答える。


「ちょっとミーシャ! まだその呼び方するわけ!?」


「にゃははー。いいじゃない、だって未来の皇女様なんだし」


「そんなわけないでしょ! まったくもう……」


 悪びれる様子もなくからかってくる同僚に、リエラが不満げに声を漏らす。


 そんないじりを受けるようになった発端は、少し前に魔導帝国オーバードから届いた書簡だ。何とそこには第一皇子……つまり皇太子の名で、リエラをオーバードに招聘したいという旨が記載されていたのである。


「勿体ないなー。アタシなら絶対引き受けたのに! 給料倍増でお城勤務、しかも皇子様との玉の輿まで狙えるとなったら、引き受けないなんてあり得ないのに!」


「あーはいはい。ならミーシャが行けばよかったでしょ? それよりお昼……六花亭でいい?」


「おっけー! ミーシャとリエラ、昼食休憩に入りまーす!」


 立ち上がったリエラを見て、ミーシャが周囲にそう声をかけてから二人連れだってギルドを後にする。そうして馴染みの定食屋にやってくると、手早く注文を済ませてから雑談を再開した。


「ねえリエラ。ジャッカルって探索者、知ってる?」


「ジャッカルさん? 草原の狼の?」


「そうそう。知ってる?」


「そりゃまあ、それなりに有名な人だから知ってるけど……あの人がどうかしたの?」


 流石に昼からお酒を飲んだりしないので、果実水の入ったカップを片付けながら問うリエラに、ミーシャもまた豪快に果実水を呷ってから話を続ける。


「あの人、最近なんか変じゃない? ちょっと前までいっつも女の匂いをプンプンさせてて、アタシのことも隙あらばベタベタ触ろうとしてきてたのに、近頃は妙に避けてくるっていうか……


 この前なんて、ちょっとアタシの手がアイツの手に触ったら、『ひっ!?』って悲鳴あげて手を引っ込めたのよ!? 酷くない!?」


「あ、あははー……そうね」


 憤るミーシャに、リエラは引きつった笑みで答える。


 ジャッカルの身に何が起きたのかを、リエラは知っていた。独自の情報網によって……というわけではなく、単にクルトから事情を聞いていただけである。ただ聞いていた内容と現状には、若干の差異があるのも事実。


(一ヶ月か二ヶ月くらいで効果が切れるって聞いてたのに、まだ効果が続いてる? それともスキルの効果が消えたあとも、体に与えた影響が消えないとか? 詳しく調べた方がいいんだろうけど…………別にいっか)


 ギルドの受付嬢としては、未知のスキルの効果は正しく把握し、記録として残したい。だが人間性も女癖も悪い探索者の下半身事情に深く踏み入りたいとは思わなかったし、別に命に関わるようなものでもない。


 なのでリエラはあっさりとジャッカルに対する興味を失い、ある意味で職務を放棄した。受付嬢とて人間。やりたくないことを給料分以上にやったりはしないのだ。


「お待たせしました。ランチAセットと、ペルエ魚の香草焼きに、付け合わせのバケットです」


 と、そこで注文していた食事がテーブルに運ばれてきた。リエラの前にはコーンスープと小さなサラダにパスタが、ミーシャの前にはカットされたバケットの入った籠と、大きな焼き魚の乗った皿が置かれる。


「待ってましたー! おっさかな! おっさかな!」


「ミーシャって、本当に魚が好きよね」


「え? そりゃお魚美味しいもん。リエラは魚嫌いなの?」


「そんなことないけど、ミーシャみたいに毎日食べるほどは好きじゃないわね」


「ふーん、変なの」


「変って貴方……」


 ご機嫌で焼き魚を食べる同僚に、リエラは何とも言えない表情を浮かべながら自分もパスタを口にする。挽肉とトマトソースがたっぷり絡んだパスタはもちもちの歯ごたえで、午後の活力がお腹の中から湧き上がってくるようだ。


「あー、やっぱりお魚は美味しい……この美味しさを理解してくれる素敵な男性はいないのかしら?」


「素敵な男性? この前言ってた人はどうなったの?」


「あー、あの人は駄目。冷め切ってぐちゃぐちゃになるのも気にせず、小骨を完璧に取り切ることに拘るような男とは、未来永劫わかり合えないから。


 というか、リエラはどうなの? いい人いないの?」


「うーん……いい人ねぇ……」


 ミーシャに問われて、リエラはパスタをクルクルとフォークに巻き付けながら考える。受付嬢という仕事柄異性の顔を見ることは多いのだが、弊害として収入や性格、人間関係なども見えてきてしまうため、なかなか食指の動く相手がいない。


「これって思うような人がいないわけじゃないんだけど、そういう人に限って既に恋人がいたり、結婚してたりするのよね」


「まあ真理よね。なら青麦買い? 有望そうな新人に目をつけておくとか……そう言えば、ちょっと前にリエラが随分入れ込んでた子はどうしたの? ほら、あの何かすごーく珍しいスキルをもらった子」


「クルトさん?」


「いや、名前は知らないけど。てか、そう言われてスッと名前が出てくるって、ひょっとして……?」


「ないない! そりゃつい面倒をみたくなるような子だったし、将来性はあるかも知れないけど……でも七つも年下だし、恋人はないわよ」


 ニヤリと口元を歪ませて問うミーシャに、リエラは笑いながらそう否定する。リエラにとってのクルトは手の掛かる弟くらいの位置づけであり、気にはしていても恋愛対象として見たことはなかった。


 だがそんなリエラの態度に、ミーシャは笑みを崩さない。


「ふーん? ま、今はそれでもいいんじゃない? でもアタシ達ももうすぐ二三歳。まだ二、三年くらいは平気だけど、逆に言えば猶予はそのくらいよ? 三〇歳が近くなって焦り始めたリエラさんが、若くて勢いのある男の子を意識せずにいられるかしらー?」


「何よその言い方! っていうか、三年経っても二六歳なんだから、三〇歳じゃないわよ!」


「馬鹿ねぇリエラ。年下の男の子からすれば、二六歳なんて三〇歳と同じよ? どっちも等しくおばさんなんだから」


「おばっ……!? そ、それはミーシャだって同じでしょ!?」


「そうだけど、でもアタシはちゃーんとその前に、アタシだけの王子様を捕まえるから平気なの。だからリエラも頑張らないとね」


「ぐぬぬぬぬ…………」


 特に負けている要素はないのに、何故か自信たっぷりに上から目線で語るミーシャに、リエラは謎の敗北感を噛みしめながらパスタをクルクルと巻き続ける。


 その後は二人共手早く食事を済ませ、食堂を出た帰り道。リエラの一歩後ろを歩くミーシャが、徐にリエラに声をかける。


「……ねえ、リエラ。オーバードの話、本当に断ってよかったの?」


「ミーシャ? だからそれは――」


 振り向いた友人の顔に浮かんでいたのは、いつものからかいの笑顔ではなく、真剣に心配するものだった。


 大国の皇太子からの招聘要請を、一介の受付嬢ごとき・・・が断ることなどできるはずがない。そんな友人の気遣いに、リエラは小さく息を吐いて微笑む。


「……ええ、平気よ。本当に平気なの。相手方もきちんと納得してくれたし……何と言うかあれは、ちょっとした誤解なのよ」


「誤解?」


「そ。もし本当に私を必要としてくれてるんだったら、受けたかも知れないけどね」


 首を傾げるミーシャに、リエラは苦笑しながら言う。


 帝国の提示した条件は、本当に破格だった。給料は三倍以上に上がるし、望めば帝城勤務にしてもらえたり、もし有用な成果があがるなら貴族として取り立ててもいいという、あまりにも過分な待遇。


 しかしそれでも、リエラはその招聘を受けることができなかった。何故なら……


(「歯車投擲術」って何ですか!? 私にできることなんて、えいやって投げるだけですよ!? それを他国の皇族に教えてくれって頼まれるって、クルトさん、貴方一体何をしたんですか!?)


「……リエラ? どうしたの?」


「ううん、何でもない。はー……やっぱり私、年下の男の子はないと思うの。手が掛かるばっかりだもの」


「そ、そう? まあリエラがそう思うなら、それは好きにすればいいと思うけど」


「何だか仕事する気がなくなっちゃったなぁ……ねえミーシャ、このまま何処かに飲みにいかない?」


「そんなの駄目に決まってるでしょ!? リエラ、アンタ普段は真面目なのに、どうしてそう変なところで思い切りがいいわけ!?」


「そういう性分なのよ。人生真面目なだけじゃつまんないでしょ?」


 勿論、本気で仕事をさぼるつもりなどない。だがあまりにも青い空の下でなら、このくらいの愚痴は言ってもいいはずだ。そう思って笑うリエラに、今度はミーシャが苦笑する。


「まったくアンタは……あ、あの雲魚に似てる」


「魚ぁ? どう見たって目玉焼きでしょ?」


「そっちこそ! 空は青い! 青いのは海! ならそこに泳いでるのは魚に決まってるじゃない!」


「はいはい……あ、確かにあの雲は魚っぽいかも?」


「え、あれは駄目よ。もっとこう……活きがいい感じじゃないと」


「何よその拘り……ふふっ」


 抜けるような青空の下、同僚と共に益体もないことを言いながら歩く。探索者達の活躍を陰で支える受付嬢の英気八は、こうしてさりげない日常により養われるのであった。

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