忖度は大事

「むー……」


「何だよローズ、まだ拗ねてるのか?」


 <無限図書館ノブレス・ノーレッジ>第二層。火の玉しか飛ばしてこないブックバタフライとの戦闘を数度繰り返したところで、不貞腐れるローズに俺は苦笑しながら声をかける。するとローズはぷくっと頬を膨らませたまま俺に文句を言ってきた。


「拗ねてなどおらぬ! おらぬが……納得もしておらぬのじゃ」


「それを拗ねてるって言うんじゃねーか。ちゃんと理由は説明しただろ?」


 ローズの姉、ガーベラの忠告を受けて、俺達は即時第四層の撤退を決めた。そうして探索者ギルドに戻ると、俺はノエラさんに件の魔物のことを聞いた。





「レインボーブックバタフライ、ですか?」


「ええ、何かそういう珍しい魔物が第四層に出るらしいんですけど、知ってますか?」


「勿論です。私は賢いですからね」


 俺の問いに、ノエラさんはメガネをクイッとしながら薄く笑う。やはり最初にノエラさんに聞くという選択は正解だったようだ。


「レインボーブックバタフライは、<無限図書館ノブレス・ノーレッジ>の第四層で極めて稀に発見される魔物です。その特徴は通常種と違って単体で火、水、風、土の四属性の魔法を使い分けることと、倒したときに特別な魔石を落とすことですね」


「へー……ん? それって単に四種類の魔法が使えるってだけで、使う魔法そのものが強いとか、耐久力が高かったりでかくなってたりとかはしないってことですか?」


「そうですね。強いて言うなら通常種よりも連続して魔法を発動したりできるようですが、魔法の威力が変わったという話は聞いたことがありません。


 もっとも、普通は多種類の属性を使い分けてくるというだけで十分に強敵です。全ての属性攻撃を防げるような防御手段や、属性を無視して攻撃を通せるような遠距離攻撃を持っているなら話は別でしょうが」


「なるほど……ありがとうございました。スゲー参考になりました」


「ふふふ、このくらいは何でもありませんよ。何せ私は賢いですからね」


 頭を下げてお礼を言う俺に、ノエラさんは満足げな笑みを浮かべてメガネをクイッとしていた。





「確かに聞いたが、しかしレインボーブックバタフライは特に強くないという話じゃったぞ? 耐久力も変わらぬというのなら、クルトと妾の合わせ技で一撃で仕留められるのではないか?」


「おいおい、そりゃ流石に認識が甘すぎねーか?」


 同じ説明を聞いたのに危機意識の低いローズに、俺は軽く顔をしかめながら言う。


「そりゃ確かにレインボーブックバタフライが一匹だけで出てくるなら、俺だって倒せると思うぜ? でも第四層ってことは、最大で三匹出てくるって事だろ?」


「む? いや、レアな魔物だというのなら、三匹は出ないのではないか?」


「違う違う、そうじゃねーって。レインボーブックバタフライの他に、通常のブックバタフライが一緒に出てくる可能性だよ。しかもレインボーブックバタフライが特別枠だったりしたら、最悪の場合それプラス通常種三匹で、合計四匹と戦うことになるかも知れねーんだぞ?」


「えっ!? あー……そういうこともある、のか?」


 虚を突かれたような顔をするローズに、俺は静かに首を横に振る。


「わからん。あるかも知れねーし、ないかも知れねー。今のが最悪のケースだとすれば、逆に言えば最高のケースとして、特別だから他の魔物と一緒には出てこない……一匹だけしか出ないって可能性もあるからな。


 ただ、想定するなら最悪だ。通常種三匹でも結構な手応えなのに、それに加えてレア魔物まで一緒に出たら、いくら何でも勝ち目が薄すぎるだろ」


「それは確かに厳しいかも知れんのぅ」


 俺の言葉に事の深刻さを理解したのか、ローズが真剣な表情で考え込む。ちなみにノエラさんに「何匹で出るか」を聞かなかったのは、聞いても意味がないからだ。今まで単独でしか出現しなかったとしても、今回もそうだとは限らない。イレギュラーはいつだって起こりうるのだから、常に最悪に備えるという考え方を、俺は辞めるつもりはない。


「あとはまあ……正直こっちがメインの理由なんだが、ローズの姉ちゃんが関わるなって言ってたろ? だからだよ」


「なっ!? クルトお主、姉様に忖度したというのか!?」


「そりゃするだろ。皇女様だぞ?」


 驚愕の表情を浮かべるローズに、俺は何を今更と告げる。皇族というのは白いものを黒にするどころか、何もないところに黒いものを創り出すことすらできる権力者だ。その厄介さはジャッカルなんて比較に出すのも烏滸がましいレベルであり、そんなのと揉める可能性は万に一つだろうと許容できない。


「それを言うなら、妾だって皇女じゃぞ!」


「そうなんだろうけど、でも向こうの方が権力は上なんだろ? 護衛もついてるっぽいし。ならローズと姉ちゃん……ガーベラ……じゃない、ガルベリア皇女殿下か? その二人が正反対の主張をしたら、こっちが一方的に負けるんじゃねーか?」


「ぐぬぬ……内容にもよると思うが…………強くは否定できぬ」


「だろ? 俺だってローズの手柄を立てたいって気持ちを否定はしねーし、俺達に出来る範囲なら手伝いたいとも思うけど、流石に他の皇女様と揉めてまでは無理だって。俺達はただの一般人だし」


「まあ、そうじゃな……すまぬ、無理を言っていたのは妾だったようじゃ」


 しょんぼりと肩を落とすローズに、俺はあえて笑顔で声をかける。


「いいって。俺だって戦ってみたいって気持ちはあるけど、流石に四匹こられたら逃げるのも難しいしなぁ」


 空を飛ぶブックバタフライは、倒すよりも逃げる方が難しい。上空からバンバン撃たれる魔法をかわしながら走って逃げるくらいなら、普通に迎撃した方が余程楽なのだ。


 だがそんな俺の言葉に、ローズが不思議そうに首を傾げる。


「む、何故なのじゃ? 逃げるだけなら簡単であろう?」


「え? 何でだよ?」


「何故って、ゴレミを囮にすればよいではないか。ゴレミの耐久力であれば、妾達が逃げる間くらいは十分に魔物を引きつけられると思うのじゃが」


「そうデスね。ゴレミなら……」


「…………は?」


 その言葉の意味が、俺には一瞬理解できなかった。だがその意図が思考に繋がった瞬間、得意げに胸を張るゴレミの言葉を遮って、俺はローズを睨み付ける。


「おいローズ、お前本気で言ってんのか? 俺に仲間を見捨てて……犠牲にして逃げろってのか!?」


「ちょっ、マスター! 落ち着くデス!」


「な、何を急にそんなに怒っておるのじゃ!? ゴレミはゴーレムなんじゃぞ!?」


「ふざけろ! ゴーレムだからって――」


「操っておる者は、安全な他の場所にいるのじゃろう!? ならゴーレムの素体が壊れても、買い直せばよいだけではないか!」


「あっ…………」


「ゴーレムの素体が安いものでないことは妾とて知っておる。じゃが命には代えられぬのじゃ! 勿論その時は妾とて自分の取り分から出すつもりじゃし……どうかしたのか?」


「……いや」


 吹き出しそうだった怒りが、一瞬にして鎮火した。ああ、そうだ。俺はローズにゴレミの真実を伝えていない。ならばジャッカルの時と同じで、ローズにとってゴレミは「高価だが代わりのある人形」でしかないのだ。


「……なんじゃ? ひょっとして妾は、何かお主達の気に障ることを言ってしまったのか?」


「いえ、ゴレミは大丈夫デス。マスター?」


「あ、ああ、そうだな。今のは俺が悪かった。ただ……そうだな。やっぱり全部は説明できねーんだが、ゴレミが操るには、この体がどうしても必要なんだ。基本的には代えが利くもんじゃねーってことは覚えておいてくれ」


「そ、そうか……それは悪いことを言ったのじゃ。すまなかった」


「だからいいって。ちゃんと言っておかなかった俺達が悪いんだしな」


「そうデス! マスターはいつだって、大事なところがちょっとだけ抜けているのデス!」


「お前、それは言い過ぎじゃねーか?」


「へぇ? じゃあマスターの<歯車>スキルも、ゴレミのこの格好も、マスターの望み通りなわけデスね?」


「……………………」


 ニヤリと笑うゴレミに、俺は何も言い返せない。人生はいつだって、過ちの連続なのだ。


「うむん? よくわからぬが、お互い失敗したというのなら、それをきっちり反省して次に生かせばよいのじゃ!」


「そうだな。まったくその通りだ……ハハハ」


 一二歳の女の子に人生を諭され、俺は何ともしょぼくれた顔で苦笑するのだった。

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