歯車は未だ止まらず

「食らえ、歯車スプラッシュ!」


「グギャー!」


 俺の投げた歯車がいい具合に命中し、ゴブリンが頭を押さえてひるむ。それを見た俺はすかさず間合いを詰めると、ツケで買った鉄剣にてゴブリンの喉を刺し貫いた。


 噴水のように血をしぶかせたゴブリンがやがて事切れると、鉄錆び臭い空気と小さな魔石だけを残し、その死体はいつも通りにダンジョンの霧と消える。それを確認して魔石を拾うと、俺は少しだけ気を抜いて小さく息を吐いた。


「ふぅ、これで一〇匹目か……うーん…………」


 あれから三日。俺は今日も一人で<底なし穴アンダーアビス>の第三層に潜っている。頭の切り替えが完全に出来ているとは言いがたいが、かといって借金に追われる現実は、俺が悲嘆に暮れる日々を許してはくれないのだ。


 ただ、稼ぎの方は正直いまいちだ。一度に一匹ずつしか現れないというのは安全ではあるが効率は落ちるし、何より第三層は人が多いので、ゴブリンの遭遇率そのものがあまり高くない。


 それでも平時ならば少しずつ金を貯めることもできるのだが、利息という年中無休の悪魔が背中から追い立ててくる以上、最低でもそれより早く稼がなければ未来はない。


「やっぱ三層じゃきついな……でもなぁ…………」


 俺は第四層への階段のある方を眺めながら、独りごちる。四層に降りられれば、稼ぎは数倍になる。単純に一度に遭遇する魔物の数が増えるからだ。


 だが敵が増えたところで、倒せなければ意味がない。誰かとパーティを組んで活動できればまた違うが、色々な意味で有名なジャッカルと揉めたことは「草原の狼」に所属する奴らによって吹聴されているようだし、何より借金まみれの奴とパーティを組みたがる奴なんていない。


 つまり、当分の間は俺がソロなのは確定ということだ。となればあとはもう寝る間を惜しんで三層でゴブリン狩りに勤しむしか方法がない。一度限りの大勝負ならともかく、一戦の稼ぎが三倍になる程度で死亡や大怪我のリスクが跳ね上がるんじゃ割に合わなすぎるしな。


「……あの力が、また使えりゃなぁ」


 俺は周囲に敵の気配がないことを確認してから、目を閉じて己の内側に意識を向ける。だがあの時は確かに感じられた手応えが、今は何も感じられない。流石にあの一連の出来事が全て妄想、思い込みの産物だったとは思いづらい……思いたくないが、そうだったんじゃないかと思ってしまう程の無反応っぷりだ。


「何か間違ってんのかな? それとも必死さが足りないとかか? でも必死って言われてもな」


 あの時の俺のなかでグツグツに煮えたぎっていた感情は、ちょっとやそっとで再現できるものではない。もしあれほどの気持ちがスキルの発動に必要だということなら、おそらく俺は生涯あのスキルを使うことはできないだろう。


 つまり、現状パワーアップはできないということだ。まあ仮にできたとしても、もっと小出しに……精々筋肉痛くらいのリスクじゃなきゃ普段使いなんてできねーけどな。


「はーっ……やっぱりコツコツやっていくしかねーか」


 この三日で何度も何度も同じようなことを考えたが、結局のところはそこに落ち着く。種銭のない駆け出しの底辺探索者では、命を賭けて一発勝負なんて機会すらないのだ。


「自衛の為に馬鹿を晒し上げたのが、まさかこんな結果になるとはなぁ……よし、それじゃ次のゴブリンちゃんを探しますかね」


 誰がいるわけでもないというのに、俺は頻繁に独り言を口にしながらダンジョン探索を続けていく。しかし今日はどうにも運が良くないらしく、次のゴブリンがなかなか見つからない。


「っかしーな。こんなに出会わないことなんてあるのか? おいゴレミ、そっちは――」


 無意識にそう呼びながら、俺はその場で振り返る。だがその視線の先には誰もいるはずがなく、俺の心に激しいざわめきが生じる。


 慌てるな。落ち着け。もう大丈夫だ。乗り越えたはずだ。まずは大きく息を吸って、吐いて……


「ふぅぅぅぅ…………よし」


 パンと頬を両手で叩いて気合いを入れ直せば、俺の心は元通りだ。一五年の人生のなかでたった一ヶ月ちょい一緒にいた奴がいなくなった程度で、これ以上落ち込んでいるわけにはいかない。


 とは言え、モチベーションの低下は予期せぬアクシデントを招く可能性もある。焦りはあるもののやる気がなくなってしまったのは致し方ないので、俺は今日の狩りを切り上げ、ダンジョンを出るべく移動を開始した。階段を上がって二層に辿り着くと、通路の角から間抜けな声が聞こえてくる。


「グギャ?」


「おっ、ナイスタイミング! 食らえ、歯車スプラッシュ!」


「グギャー!?」


 こちらに気づいていなかったゴブリンに、俺はここぞとばかりに歯車の雨をご馳走してやる。その大歓迎っぷりにひるんだゴブリンに勝ち筋などあるはずもなく、俺の八つ当たり気味の一撃はあっさりとゴブリンの命脈を切り裂いた。


「へっへっへ、帰りがけの駄賃ってところか。人生悪いことばっかりじゃないってな」


 ゴブリンの死体と入れ替わりに現れた魔石を拾うべく、俺は腰をかがめる。するとすぐ側の床のうえで、カチャンという小さな音が響いた。


「ん? 何か落ちたか?」


 しかし、見てもそこには俺が先ほどぶん投げまくった歯車しかない。軽く首を傾げたものの、まあ消せば同じかと全ての歯車を消そうとしたその時。俺の視界の片隅に、噛み合いながらクルクルと回る二つ一組の歯車が映り込んだ。


 あれ? 俺歯車バイトなんて使ってないよな? ならこれは――っ!?


「っぶな!?」


 本気で焦った声をあげながら、俺は慌てて歯車を消すのをやめる。そうしてそれが消えていないことにホッと胸を撫で下ろしつつ拾うために近づくと、ついうっかり回り続ける歯車を蹴っ飛ばしてしまった。その衝撃を受け、俺とゴレミの歯車はダンジョンの床をコロコロと転がっていく。


「あっ、やべっ!? ちょっ、ま、待て!」


 回し続けているせいで、俺達の歯車は結構な速度で床の上を移動していく。回転を止めればすぐに止まるだろうが、その場合ゴレミの歯車が消えてしまう可能性があるので、そんなことはできない。


「待て待て待て待て! 逃げんなって! 何もしねーから! 大事にしまっとくだけだから!」


 ならばこそ、俺は周囲への警戒もそこそこに、転がる歯車を追いかけていく。すると幸いにも歯車はすぐにダンジョンの壁に当たって止まり、俺は魔物に襲われる事も歯車を見失うこともなく、サクッとそれを拾い上げることに成功した。


「ったく、焦らせるなよ……」


 所詮は感傷であり、無駄な魔力消費。だがそれでも俺は、ゴレミの歯車を大事に拾い上げて鞄に入れる。だがその過程で腰を曲げた時、俺の目はふとダンジョンの壁に開いた小さな穴を見つけた。


「……あ、な? え、穴?」


 その穴に、俺はどこか見覚えがあった。俺は急いで鞄からダンジョンの地図を取り出すと、現在位置を確認する。


「嘘だろ……そんなことって、あり得るのか!?」


 そこは一ヶ月と少し前、俺の相棒を見つけた場所。俺は手のひらから小さな歯車を生み出すと、震える指でそこにはめ込む。それからピッタリフィットした歯車に「回れ」と念じて気合いを入れると……


ギギギギギ……ガチン!


 何かががちっと噛み合った感触。それと同時に目の前の壁が消え、そこには本来のダンジョンの構造からはあり得ない通路が奥へ奥へと続いている。


「限定、通路…………」


 それは間違いなく、<歯車>のスキルでのみ開く、限定通路であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る