人の温もり

 その後、俺は気持ちを落ち着けるべく静かに過ごし……気づけばまた寝てしまっていたらしい。再びやってきた男に起こされ「これ以上寝るなら、ちゃんと宿泊手続きを」と言われて慌てて起き上がると、ギシギシいう体を強引に動かして施設内を歩き、無事にロビーへと辿り着く。


 それから振り返れば、見覚えのある景色に今まで踏み込んだことのなかった通路がある。ああ、ここってあそこに繋がってたのか……などと暢気に考えていると、受付の方から俺を呼ぶ声が聞こえてきた。


「クルトさん! こっち! こっちです!」


 カウンターから身を乗り出して俺を手招きしているのは、いつもお世話になっているリエラさんだった。俺はすぐにそちらに歩いて行くと、リエラさんが心配そうな顔で話しかけてくる。


「動けるようになったんですね。大事なくてよかったです」


「ご心配おかけして申し訳ありませんでした。ええ、この通りなんとか大丈夫です……その、俺は・・


 半ば自分に言い聞かせるように告げた言葉に、リエラさんがとても困った表情を浮かべる。だがすぐに真面目な顔になると、カウンターの下から何やら書類を取り出してきた。


「事情はあとでゆっくり聞かせていただきます……が、その前にまずはやるべき事をやっちゃいましょう! 今回の救護にかかった費用は、諸経費を含めて合計で二〇万クレドとなっております」


「二〇万……」


 言われて、俺は鞄の中に手を入れる。そこに入っているクレド貨は、銀が七枚と銅が三枚だ。


 ちなみに、クレド貨は


 一クレド石貨

 一〇〇クレド銅貨

 一〇〇〇クレド銀貨

 一万クレド金貨

 一〇〇万クレド白金貨

 一億クレド虹貨


 の六種類が存在する。だが誰だってジャラジャラ小銭を持ち歩きたくはないので、一クレド石貨は貧民街でもなければ滅多に使われない。なので必然、一般的な最小単位は一〇〇クレドとなる……閑話休題。


「やっぱり足りませんか?」


「手持ちじゃ厳しいですね。売れるようなものもありませんし」


 問うてくるリエラさんに、俺は苦笑しながら答える。今の俺には、現金どころか換金できる資産すらない。一応解毒薬はそれなりに高価な品だが、命に直結する薬品類を中古で買う馬鹿なんていないので換金は難しい。


 加えて俺を助けてくれた親切な誰かも、流石に剣までは回収してくれなかったようだ。腰の両方に佩いている鞘はどちらも空っぽで……つまり、この状況にも拘わらず、最低でも追加で剣だけは買わないといけないのだ。それを考えれば、とても治療費なんてすぐには払えない。


「わかりました。じゃあこの金額は、探索者ギルドからの正当な貸付金として扱います。利率は一ヶ月(三〇日)で一割です。高いとは思いますけど、こればっかりは私の権限でどうこうなるものでもないので……申し訳ありません」


「いやいや、リエラさんが謝ることなんてないですよ! ただ俺が……下手を打っただけですから……」


 探索者というのは、いつ死んでもおかしくない不安定な仕事だ。だが中層以降に潜るような探索者であればその分稼ぎも多いし、家や予備の武具など「死んでも残る」財産があるため、その範囲内であればむしろ借金はしやすい。


 対して俺のような駆け出しの新人は稼ぎも少ないうえに、死んでしまえば取り立てられる物もない。そんな極めて貸し倒れしやすい相手に金を貸すなら金利が高いのは当然だし、そのおかげで今俺はこうして生きているのだから、そこに怒りなどあるはずもない。むしろどれだけ感謝してもしたりないくらいだ。


「ふふふ、大丈夫ですよ! 最近のクルトさんの稼ぎなら…………あっ」


 とはいえ、借金は借金。俺が口元を引きつらせるのを見たリエラさんがそう言って励まそうとしてくれたが、自分の失言に気づいて「しまった!」という顔になる。


 ああ、そうだ。最近の俺は確かにいい感じに稼げていた。あのペースなら二〇万クレドの借金も、無理せず計画的に返済することができただろう。


 だが、今の俺にはもう無理だ。最近とは「過去」であり、あの稼ぎを出すために必要な相棒は、俺の隣から去ってしまったのだから。


「……ごめんなさい」


「さっきも言いましたけど、気にしないでください。あー、それより、俺を助けてくれた人って誰なんですか? その人にもお礼を言いたいんですけど」


 何故か俺より落ち込んでみせるリエラさんに、俺はずっと気になっていたことを問う。いくら第三層とはいえ、気絶した人を一人担いで移動するのは大変だ。そんな手間をかけてまで助けてくれた人には是非お礼を言いたいし、俺にできる限りの恩は返したい。


「おお、素敵な心がけですね! クルトさんを助けてくれたのは、実はちょっと有名な人なんです。悪評も結構聞くので、個人的にはあまりいい印象のなかった人なんですが……」


「へぇ、誰なんですか?」


「ジャッカルさんという方です。『草原の狼』という、非公式クランのリーダーをやってる人ですね」


「……………………は?」


 リエラさんが笑顔で口にしたその名前に、俺は頭の中が真っ白になる。ジャッカル……ジャッカル? 同じ名前の別人? いやでも、草原の狼って……


「クルトさん? どうかされたんですか?」


「うっ…………あっ…………」


「……移動しましょう。詳しい話を聞かせていただきたいと思って、個室を取ってあるんです。さ、こちらにどうぞ」


 俺のただならぬ様子を感じ取ってか、リエラさんが受付から出て俺の手を引いてくれた。そうして気づけば俺は以前にも来たことのある個室の中に辿り着いていて、リエラさんに言われるままに椅子に座ると、目の前に湯気の立つお茶が出される。


「どうぞ。ゆっくり飲んで落ち着いてください」


「ど、どうも……」


 言われてカップを手にすると、中身がチャポチャポと揺れて零れる。どうやら俺の手は、俺の意思に関係なくブルブルと震えているらしい。


「す、すみません。汚しちゃって……リエラさん?」


「大丈夫ですよ。大丈夫。何にも心配はいりません」


 謝る俺の手に、リエラさんの手が重なる。カップのぬくもりとリエラさんの手のぬくもり、両方の優しい温かさに挟まれ、程なくして俺の手から震えが抜けていった。


「落ち着きましたか? ならもう一杯入れますね」


「はい。その、すみませ――」


 再び謝罪の言葉を口にしようとする俺の唇を、リエラさんの伸ばした指がそっと押し留める。驚いて目を見開くと、そこには悪戯っぽい笑みを浮かべるリエラさんの顔があった。


「謝るのはナシです! ここには私とクルトさんしかいません。そして私はクルトさんが何をしても、何を言っても、絶対に責めません。だから安心していいんです」


「何をしてもって……俺が襲いかかったりしたらどうするんですか?」


「ふふふ、責めないとは言いましたけど、反撃しないとは言ってませんよ? 私こう見えても結構強いんですから」


 冗談めかして言う俺に、リエラさんもまた冗談っぽく返してくれる。ムンッと力こぶを作ってみせてくれる腕は女性なりの細さで、とても強いとは思えないが……


「あ、疑ってますね? ならここは一つ、年上のお姉さんの本気を見せてあげましょうか?」


「ハハハ、そんなゴレミみたいなこと…………を……………………」


 せっかく安らいでいた空気を、俺は自分の言葉で壊してしまう。静かに冷えてしまった世界でリエラさんもまた俺の正面に腰を下ろし、まっすぐに俺の目を見て言う。


「それじゃ、聞かせてください。クルトさんとゴレミちゃんに、何があったのか」


「……はい」


 その願いに、俺はさっきあった出来事の全てを、意を決して話し始めた。

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