覆らない現実

「あ……あっ、あ…………」


 わからない。理解できない。目の前で起きたことが現実であると認めるのを、俺の心が強烈に拒絶してくる。


 だというのに、世界は俺に戸惑う時間すら与えてくれない。呆気にとられる俺の前で、かつてゴレミだった石の欠片が、霧のようにスッと消えてしまったからだ。


「あっ、き、消える……!?」


 ダンジョンで死ねば、全てが消える。それは誰もが知っている常識で……つまりはダンジョンが「ゴレミは死んだ・・・」と認識したということだ。


「ま、待て! 消えるな! 消えないでくれ!」


 俺は床に這いつくばったまま、慌ててゴレミのなれの果てをかき集めた。だがそれらもやはり、無情に消えてしまう。腕の瓦礫が消え、足の瓦礫が消え、俺達人間ならば残るはずの装備品も、ゴレミの場合はダンジョン産だからかちぎられたメイド服まで消えてしまう。


「おい、頼むよ! お前、俺とずっと一緒にいるって言ってただろうが!」


 叫んでみても、石塊は何も答えない。胸に抱きかかえても強く拳に握り込んでも、次の瞬間には消えてしまう。


 このままじゃ駄目だ。本当に何もかも消えてしまう。だが一体どうすれば……


「……っ!?」


 ほとんど全ての欠片が消え、最後に残った歯車。俺は素早く右手から歯車を生み出すと、その一つにかっちりと噛み合わせて回し始めた。


 ジャイアントセンチピードが死んでも、体に入った毒は消えない。そして俺の生みだした歯車は、俺の一部として認識されている……はずだ。ならば……


「…………ああ」


 他の全てが消えてなお、数秒経ってもその歯車は消えなかった。俺の歯車と噛み合って回るそれは、ゴレミが残してくれた唯一の形見。俺はそれを大事に大事に腰の鞄にしまい込むと、ゆらりと立ち上がって前を見る。


 そこにいるのは、軽薄な笑みを浮かべた一人の男。ゴレミをこんなにしやがった張本人。そいつは下からねめつける俺の視線を受けてなお、嘲るような顔を崩さない。


「おいおい、随分いい顔してるじゃねぇか。何か文句でもあんのか?」


 答えの代わりに、俺は右手で剣を抜く。怒りに煮沸した俺の頭の中に、もう相手が格上だとか、穏便にこの場を切り抜けるなんて思考はない。


「ジャッカルぅぅぅぅ!!!」


「ハッ! 雑魚が!」


 殺す気で振り下ろした剣を、しかしジャッカルは通常通りに持ち替えた自分の剣であっさりと受け止める。そのまま力任せに二度、三度と斬りかかったが、ジャッカルは余裕の表情でそれを受け止めている。


「よくもゴレミを!」


「自業自得だろうが! テメェが調子に乗ったから、こんなことになったんだよ!」


「どの口で言いやがる!」


「決まってんだろ? 俺様の口だ!」


 くいっとジャッカルの手首が動き、俺の剣が跳ね飛ばされる。身体能力も剣の技量も、相手の方がずっと上。


 だから何だ? 今更引けるか。そんな分水嶺はコイツがゴレミの体を砕いた時点でとっくに飛び越えちまってるんだよ!


「展開!」


 俺は左手で歯車の剣を抜くと、右手を合わせて両手持ちにし、仕掛け部分に歯車をはめて目一杯の力を込めて回す。かつてない力を注いだことで剣はすぐに変形を開始し、その刀身に青白い光を纏った。


「うぉっ、何だそりゃ!?」


「死ねぇ!」


「くっ!?」


 強く大きくなった歯車の剣を受け止め、ジャッカルが初めて表情を変える。


「まさかこりゃ、魔剣か!? ゴーレムの素体といい、お前らひょっとして金持ちの家の子供だったりするのか?」


「うるせぇ!」


 足りない足りない、力が足りない。ならどうする? 注ぎ込めばいい。俺は歯車に更なる力を込め、その回転力を上げていく。すると徐々に歯車の剣が熱を帯びていき、刀身を覆う青い光がゆっくりと赤く変わっていく。


「死ね! 死ね! 死ね! 死ねぇ!」


「ちょっ、おい、待て! うおっ!?」


 焼けた鉄棒を握っているような感覚を無視し、血よりも朱い刀身を振るう。すると過剰回転により切れ味が何倍にも増幅した歯車の剣が、遂にジャッカルの剣を切り飛ばし、その鎧に大きな傷を穿つ。


「何だと!?」


「くたばれぇ!」


 驚くジャッカルの隙を逃さず、俺はそのまま歯車の剣を奴の首目掛けて振るった。このまま振り抜けば奴の間抜け面が宙を舞う……はずだったが。


バキィン!


 限界を超えた力を発揮した歯車の剣が、突如としてバラバラになる。俺の手からは獲物が消え失せ、虚しく腕を横薙ぎしただけで終わり……そんな俺の腹に、前の二回とは比較にならないほど強烈な衝撃が走った。


「ぐはっ!?」


「ったく、ビビらせやがって……糞ガキがぁ!」


 苛立ちを露わにしたジャッカルが、吹っ飛んだ俺に一瞬で肉薄して、更に連続して蹴りを入れてくる。肩、膝、腰、顔、全身あらゆる場所に的確に打ち込まれる蹴撃が、俺の目には全く捕らえられない。


「こっちが手加減してやってりゃ調子に乗りやがって! オラオラオラオラ!」


「ぐぶっ! あっ!? がっ……」


「チッ、まさかこんな雑魚にスキルを使わされるとはな」


「す、きる…………? お前、<剣術>じゃ…………?」


「アァ? 俺のスキルは<瞬脚>だ。俺が本気で動いたら、テメェみたいな雑魚じゃ反応すらできねーよ」


 蹴られて揺れる頭で、俺はジャッカルの言葉を聞く。ハハハ、そうか。俺は剣の力を借りてごり押ししなきゃ勝負にならなかったってのに、こいつはそれにスキルすらなしで対抗してたってのか……


(ゴレミ……)


 改めて、格の違いを思い知らされる。だが鞄のなかで回り続ける小さな歯車を思えば、まだ膝をつくわけにはいかない。


 頼れる相棒はもういない。逆転の可能性があった武器も失われた。なら今の俺に何が残っている?


(はぐるま……の、スキル…………)


 歯車の剣は、過剰回転させることでその力を増した。

 俺は<歯車>のスキルを持ち、手から歯車を生み出すことができる。

 そしてダンジョンは、俺が生みだした歯車を俺の一部だと認めてくれた。なら俺は――


 全身を滅多打ちにされながら、俺は自分の内側に意識を向ける。そしてそこに回っている歯車を、頭の中でイメージする。


 指の歯車。腕の歯車。脚の歯車。心臓の歯車。俺の全ては歯車であり、無数の歯車が噛み合って回ることで、きっと俺は生きている。


 なら剣と同じく、それを過剰に回転させれば、今より強い力が出るんじゃないだろうか?


(廻れ……)


 俺は頭の中で、自分の中にある一番大きな歯車に、<歯車>のスキルで生みだした小さな歯車を噛み合わせる想像を浮かべる。


(廻れ…………)


 その歯車はとてつもなく大きくて重くて、一つじゃとても速度をあげることなんてできない。


 だからありったけ、何十もの歯車を生みだし噛み合わせ、その全てを回す。


(廻れ…………っ!)


 歯車とは、伝達の力。本来ならどうしようもない大きな歯車も、小さな歯車を無数に組み合わせて回転させることで動かすことができる力。


 だから出来る。出来るはずだ。


(廻れ……俺の、命の歯車・・・・!)


 命を早回し。寿命と引き換えに力を引き出す。きっと出来ると信じ、今俺に残された全ての魔力をつぎ込むと……遂にその巨大な歯車が、少しずつ回転速度を上げ始める。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」


 途端に襲う、全身が引き裂かれるような激痛。漲り過ぎた力は一歩踏み出すだけで足が折れ、拳を振るえば肩が外れる。真っ赤に染まる視界で、俺はジャッカルに最後の一撃を――――――――?


「……………………あえ?」


「何だよ急に、気持ちわる!? もう寝とけ!」


 一の力が五や一〇になったところで、一〇〇の力を持つ相手の前には大差ない。


 新人の底辺探索者が死力を尽くしたところで、中層で活動している熟練の探索者には勝てない。


 そんな当たり前の現実を……一発逆転の大番狂わせなどあり得ないのだと告げるように、ジャッカルの蹴りが俺の意識を闇へと沈めていった。

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