高すぎる対価

「カハッ!?」


(何――痛――衝――熱――っ!?)


 かなりの勢いで壁に叩きつけられ、同時に腹部に猛烈な痛みが走る。激しく混乱する思考は、ジャッカルと名乗る奴からいきなり腹を蹴っ飛ばされたのだと理解するまでに数秒を要した。


「マスター!? お前、いきなり何をするデスか!?」


「あーん? 今言っただろうが。しつけだよしつけ。『草原の狼』の奴に手を出してこられちゃ、頭の俺が動かねぇわけにはいかねぇだろ?」


「草原の狼デス?」


「そうよ! この俺の活躍に憧れたガキ共が、この俺を讃えるために集まってる集団さ! ま、その実態はわざわざ俺の庭に集まってくれた無知なガキを、オレが食い荒らすためのもんだがな。ガッハッハ!」


「うわぁ、そう言うことを公然と口にしちゃう奴なのデスか……」


「隠しても仕方ねぇだろ? わかってる奴はわかってるし、それがわかってても俺のところに来るガキは多い。それに俺だって自分が気持ちよくなる代わりに金の稼ぎ方を教えてやったり、たまにはこうしてガキの尻拭いもしてやってるからな。ま、持ちつ持たれつって奴さ」


「嫌な互助関係デス」


 楽しげに語るジャッカルに、ゴレミが呆れた声で答える。そうして時間を稼いでくれたおかげで、体の痛みがいくらか収まり、俺のなかに冷静さが戻ってきた。


「なら……これで十分だろ……? 俺はアンタに……楯突く気なんてねーぜ……?」


「マスター! 大丈夫デスか!?」


 俺が声を出したことで、ゴレミが慌ててこっちを振り向く。俺はそんなゴレミに小さく頷いてから、改めてジャッカルに話しかけた。


「アンタ……ジャッカルさんだったか。俺はあくまでも、ゴレミを奪おうとする奴から身を守っただけだ。それを――」


「あー、違う違う! ダドリー達が負けたことはどうでもいいんだよ。雑魚が雑魚に負けたのなんざ、俺には何の関係もねぇからな。だが……」


 立ち上がりながら言う俺に、しかしジャッカルが獲物を甚振る獣のような目をしてニヤリと笑う。


「それでお前が平然と生活してるのは駄目だろ。襲われたなら襲われたらしく、もうちょっとビクビクしてりゃいいものを、ダドリー達を晒し者にした挙げ句、今日も楽しくダンジョン探索ってか? んな舐めた態度取られたら、こっちとしても黙っちゃいられねぇんだわ」


「そんな無茶苦茶な!?」


「うるせぇな、テメェの同意なんて求めてねぇんだよ。てわけだから、いい感じに痛めつけられとけや」


 一方的にそう言うなり、ジャッカルが再び俺に向かって蹴りを放とうとする。だが俺とジャッカルの間にはゴレミがいて……ゴレミが俺への攻撃を黙って見過ごすはずもない。


「ゴレミガード! マスターには指一本触れさせないデス!」


「おぉ、固ぇ! 流石はゴーレムだな」


 ガンッという固い音がして、ゴレミのまな板ボディにジャッカルの足が弾かれる。立派なブーツはつま先をしっかりと金属が覆っているからか、ぷらぷらと足を振ってみせているのに、ジャッカルは全く痛そうではない。


「なら、これで……どうだっ!」


「ムムッ!?」


 ひょいと一歩後ずさると、ジャッカルが懐から茶色くて小さい小壺のようなものを俺に……というか、俺の正面に立つゴレミに向かって投げてきた。ゴレミはそれを腕を振るって弾き飛ばそうとしたようだが、腕に触れた瞬間パリンという軽快な音を立てて壺が割れ、中身がゴレミに降り注ぐ。


「うぇぇ!? 何デスかこの白くて粘つく液体は!? こういうのをゴレミにぶっかけていいのは、マスターだけなの……あ、あれ?」


 ジタバタと嫌そうに体を動かしていたゴレミだったが、その動きが目に見えて悪くなる。


「おぉ、やっぱり効くよな? ダドリーの奴、これで何で負けたんだよ……マジで意味わからん」


「お前、ゴレミに何をしたデスか!?」


「ん? ああ、そいつは石工用の接着剤さ。ほれほれ、追加行くぜ」


「あっ!? ちょっ!?」


「ゴレミ!」


 俺はゴレミをかばおうとするも、流石にこの距離ではゴレミの前に出るよりジャッカルが壺を投げる方が早い。たちまちゴレミは粘液塗れにされ、その体がガチガチに固められてしまった。


「う、動けないデス。固いというより、関節が詰まっちゃった感じデス……」


「じゃ、ジャッカルさん! 詫びが必要なら謝る! 何ならダンジョンの入り口で土下座したっていい! だからこのくらいで勘弁してもらえませんか?」


 最大戦力であるゴレミが無力化されたところで、俺は即座に胸の内にあるあれやこれやを飲み込み、ジャッカルに下手に出ることにした。だがそんな俺の腹に、再びジャッカルの蹴りが命中する。


「ぐぼっ!? う、おぇぇ……」


「うわ、きったねぇな! てかそういうことじゃねぇってさっきから言ってんだろ? 俺が力尽くでお前を謝らせるのなんて簡単で、だからこそそんなのに意味なんてねぇんだよ!


 なに、安心しろ。お前がちゃあんと怯えて暮らせるように、恐怖ってのをその体に叩き込んでやるか……らっ!」


「げはっ!?」


 追加で一発、更に俺の腹に蹴りが入る。耐え難い腹の痛みに、俺はその場で体を丸めてうつ伏せになってしまった。


「辞めるデスこのヤリチン仮面! お前と違ってマスターにはそっちの趣味はないのデス!」


「俺にだってねぇよ! ったく、口の減らねぇ女だ……どれ、お前の方にもちゃんとしつけをしとかねぇとな」


 動けない俺の前で、ジャッカルが遂に腰の剣を抜く。だがクルリと剣を逆さまに持つと、その柄をゴレミの肩に打ち付け……


ガゴンッ!


「なっ!?」


「うわーっ!? ゴレミの肩が粉砕、玉砕、大喝采デスーっ!?」


 ジャッカルの一撃は、あっさりとゴレミの肩を砕いた。重い音を立てて床に落ちたゴレミの腕を足で遠くにやりつつ、ジャッカルが怪訝な表情をゴレミに向ける。


「んー? この精度で操れるなら、感覚も共有してるんだと思ったんだが、違うのか? ならもっと徹底的にぶっ壊さねぇと駄目か」


 そう言うと、ジャッカルは再び剣を振るって、ゴレミの右足の膝を砕く。それにより自立できなくなったゴレミは床に転がってしまい、ジャッカルはその体を思い切り踏みつける。


「ああ、面倒くせぇ……」


「ああっ、駄目デス! リョナは駄目デス! 可哀想なのは抜けないのデス!」


「うるせぇよガラクタが! オラ! オラ! オラ! オラ!」


 それはもはや攻撃ですらなく、ジャッカルが作業的にゴレミの体を砕き続ける。足が砕け、腕が粉々になり、胴体にヒビが入り、遂にその顔面に剣の柄が振り下ろされる。


「ふぎゃっ!?」


「ゴレミ!?」


「ダ、イ、ジョーブ……デス、よ。マス、ター……ゴレ、ミはゴーレ、ム、デスから……」


「おうおう、健気だねぇ。でも、これで終わりだ」


 ジャッカルの足が踏み下ろされると、ゴレミの顔が完全に砕け散った。飛び散る石片は、もう何も喋らない。


「へへへ、いくら痛みを感じなくたって、自分の顔面を叩き潰されりゃ流石に怯えるだろ。んじゃ、こっちも仕上げといこうか」


「もう十分だろ! 辞めてくれよ!」


 ボロボロの石塊となったゴレミを前に、俺は痛みを堪えて血反吐を吐きながらジャッカルに向かって叫ぶ。だがジャッカルは俺を一顧だにせずゴレミの纏っていた胡散臭いメイド服を引きちぎり、その体に剣を振り下ろしていく。


 その衝撃にゴレミの体は割れ、砕け、最後には人がはらわたをぶちまけるが如く周囲に歯車をまき散らし……さらには片手で掴めるくらいの大きさの、青く輝く美しい石が床の上に転がった。


「歯車? ゴーレムの体のなかって、こんななのか? まあいいけど……っと、これだこれだ」


「まさか、それは……!?」


「お、知ってるか? そうよ、これが魔導核だ……多分な。本当にただの石像を操ってるんだったらどうしようかと思ったが、あってよかったぜ。ハッハッハ」


 楽しげに笑うジャッカルの言葉が、俺の頭には入ってこない。


 魔導核……それはゴーレムの心臓部にして、全てだ。体が壊れたとしても、魔導核さえ無事ならゴーレムは作り直せる。だが逆に言えば、魔導核が失われてしまえば、そのゴーレムは完全に死んでしまう。


「おい、待てよ。アンタまさか……」


 声を震わせる俺の前で、ジャッカルが俺から距離を取ってから魔導核を持つ手を大きく振り上げる。いやいや、嘘だろ。やめろヤメロ辞めろ……


「さあ、これで……」


「待ってくれ! 頼む! 何でもする! 今すぐ町を出て二度とここには戻ってこない! 落とし前だって言うなら腕でも足でもくれてやる! だから――」


「終わりだ!」


「ゴレミぃぃぃぃぃぃ!!!」


 無理矢理体を起こし、俺は床を這いずって手を伸ばす。だがジャッカルは容赦なく手にしたそれを床に向かって叩きつけ……


パリィィィィィィン……


 俺の指先をわずかにかすったゴレミの魔導核たましいは、高く澄んだ音を立てて粉々に砕け散った。

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