とある鍛錬の一日

 底辺探索者の朝は早い。農民のように日の出と共に……とまでは言わずとも、一の鐘(午前六時)には目覚めると、まずは眠っていた体を起こすために宿の周囲を軽く走り込む。


 そうして軽く汗をかいたら、次は食事だ。たっぷりの蒸かし芋に、朝採れの野菜とカリカリに焼いたベーコンを三枚。「いざという貯金」を使ったばかりなので金銭的な余裕は少ないが、それでも食事はしっかりと取る。


 これはとても重要なことだ。食費と装備のメンテ費用、それにいざという時の備えの三つは削ろうと思えば削れるのだが、これらだけは削ってはいけない。食は体の基本であり、武器を失えば戦えなくなり、備えがなければ死にそうな時にそのまま死んでしまう。故に俺は朝からもりもりと飯を食らい、その腹を満たす。


 腹が一杯になれば、次は当然仕事だ。いつも通りに探索者ギルドの受付へと向かい、リエラさんに今日の活動予定表を提出する。


「おはようございますクルトさん、ゴレミさん。今日も第三層でのゴブリン狩りですか?」


「はい。まだまだ鍛錬が必要だと痛感したんで、しばらくは同じ感じになると思います」


「ゴレミが側で見張ってますから、おサボりもお残しもゆるしまへんでー! なのデス!」


「あはは……そうですね。経験を積んで実力を身につけるのはとても大切だと思います。では、よき探索を」


「ありがとうございます。行ってきます!」


「行ってくるデス!」


 リエラさんの素敵な笑顔に見送られ、俺達はダンジョンへと入っていく。一層二層は素通りして三層に辿り着くと、階段からやや離れた小部屋へと移動する。通路の繋がりの関係上この辺は他よりゴブリンとの遭遇率が低いのだが、今の俺にはその方が都合がいい。


「よっし、それじゃ今日も特訓始めるか! ゴレミ、周囲の警戒を頼む」


「ゴレミにお任せデス!」


 俺はゴレミにそう告げると、大きく息を吸ってから右手のひらを上にして力を使う。そうして出現した歯車を握りこむと、気合いと共に投げる。


「歯車スプラッシュ!」


 飛んで行った歯車はダンジョンの壁に当たり、そのまま消える。俺はそれを何度も何度も繰り返しながら、技に磨きをかけていく。


 コンパクトなフォームで鋭く投げる。大きく振りかぶって力強く投げる。時には狙って歯車を広範囲に飛び散らせ、次は逆に一点に集中するように投げる。意識する点はそれぞれ違い、使い道も違う。ただ漫然と投げるだけでは、歯車スプラッシュはその力を発揮できないのだ。


「マスター! ゴブリンが来てるデス!」


「了解! じゃ、実践といくか」


 時折ゴブリンが現れた時は、目標を壁からゴブリンに切り替えて同じように鍛錬する。その際、あえて剣は使わず、俺はひたすらにゴブリンに向かって歯車を投げ続けた。


「グギャッ!? グギャギャ!」


「次は……こうだっ!」


「グギャー!」


 痛いは痛いが、死ぬほどではない歯車の雨をくらい、ゴブリンは怒り狂って俺に襲いかかってくる。だがそれをきっちりとかわし、俺は更に歯車スプラッシュを繰り返す。それを何十回と繰り返し、魔力が半分ほどになったところで、俺は漸く腰の剣を抜いた。


「ふぅ、<歯車>スキルは一端ここまでだ……じゃ、次は剣で行くぜ!」


「グギャー……」


 といっても、既に大分弱っていたゴブリンを相手に苦戦するほど弱くはない。あっさりとトドメを刺すと、その後は少し移動して、積極的にゴブリンに近接戦を挑み始めた。


「ふっ!」


「ギャー!」


「マスター、頑張るデスー!」


 ゴレミの声援を受けながら、俺はここでもいきなりゴブリンを倒すのではなく、あえて受けに回ってみたり、フェイントを多様したりと色々と試していく。スキルはともかく、剣術を磨くなら町の道場に通うというのも手なのだが、あの手の場所は<剣術>やそれに類するスキルを持っているのが前提なので、俺のようなスキルなしには敷居が高い。


 というか、おそらく本当に基礎的なことだけを教えて、あとはやんわりと追い出されるんじゃないだろうか? スキル持ちが一ヶ月で出来ることが、スキルなしだと何年もかかることだってある。長く通っているのに弱い探索者は道場の名声や実績に傷がつく存在なので、歓迎されないのだから仕方がないのだ。


「フッ! ハッ! こいつで……どうだっ!」


「グボギャ!?」


 グッと腕に力を込め、ゴブリンの首を跳ね飛ばす。上手いこと首の骨の関節を刃が通り抜けたからだろうが、なかなかのクリティカルヒットだ。腕の調子はもう問題ないが……とは言え魔力も体力も消費したので、そろそろ次の課題に移る頃合いだろう。


「ふぅ、ひとまず剣もここまでだ。それじゃゴレミ、さっきの場所に戻って瞑想やるから、手伝いを頼む」


「了解デス!」


 俺達は来た道を戻り、今度は小部屋の中で腰を下ろして座り込む。こうなると即座の戦闘は無理だが、ここからは全部ゴレミに任せているので問題ない。


「それじゃ、いつもの頼む」


「はーいデス」


 座禅を組み、両腕をゆったり大きく左右に広げて止める。その状態で右手から歯車を生みだしていくと、それを拾ったゴレミの手により、俺の腕や足、頭の上など、全身の幾つもの箇所に歯車が乗せられていく。


「全部乗せたデスよ」


「サンキュー。じゃ、瞑想を始めるから、守ってくれ」


「任せるデス! スーパーグレートゴーレムキーパーのゴレミにかかれば、部屋ペナルティーエリアの外からやってくるゴブリンなんて通さないのデス!」


「肩書き長ぇな……まあいいけど」


 いつものゴレミ節に苦笑しつつ、俺は体に並べられた歯車に意識を向ける。普通に考えれば安定など皆無の人体に歯車など乗せてもすぐに落ちてしまうが、これは俺が<歯車>のスキルで生みだした歯車……つまりは俺の一部だ。


 集中していれば落ちない。逆に言えば、集中が切れれば落ちる。最初の頃はこの姿勢を維持するだけでもきつかったが、今は違う。


(廻れ)


 声に出すことなく、ただ心で念じる。すると俺の体の上で、歯車がクルクルと廻り始める。まずは等速で、慣れてきたら速く遅くと緩急をつけ、そして最後は精密に回転速度を調整することで歯車の角度すら変え、まるで俺の体の上で踊るように動かしていく。


 だが、まだだ。まだ足りない。俺は目を閉じ、意識を歯車に……己の内に眠る<歯車>のスキルに沈めていく。


 人は繋がり、人は廻る。ならば人とは<歯車>であり、その限界がこんなところにあるはずがない。見せてくれ、お前の、俺の、<歯車の>可能性を。


 さあ、お前は何処に行きたい? お前は何処まで輝ける? 廻れ、廻れ、我が魂の歯車よ。廻して巡って、その先にある未来を……っ!?


「っ!?」


 その時、ふと左手に感じた違和感に、俺は思わずビクッと体を震わせてしまった。だがここで心を乱れさせては、芽生え始めたそれ・・が消えてしまう。静かに落ち着いて、だが熱意と希望を込めて、俺はひたすら歯車を廻す。


(来い、来い、来い、来い!)


 無意識のうちに、俺は大きく開いていた両の腕を近づけていた。ゆっくりとした動作で伸ばしたままの腕が閉じ、仰向けにした右手と左手の手のひらが触れたその瞬間。


「来たっ!」


 カッと目を見開き、俺は左手に力を込める。すると左の手のひらから光が溢れ……


「……フッ、遂にやり遂げたぜ」


 第三層で特訓を始めてから、一ヶ月。遂に至ったそこには、俺の新たな可能性が出現していた。

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