大きな男の眼差しは、手の上からでも分かるくらいまっすぐに強く、私に注がれていた。

 私はそれが耐え難く、ぎゅっと目をつぶった。

 「……あんたになにもかも渡したら、私は一人で立っていられなくなる。あんたの全部を欲しがるようになる。」

 私がそう呻いても、男は平然と返してきた。

 「それのなにが悪い? 俺の全部くらい、あんたにやるよ。」

 私は首を左右に振った。ぎしぎしと音がするくらい、強く振った。

 「それは、依存だよ。……私もあんたも、一人で歩けなくなる。」

 それのなにが悪い。

 大きな男はそう繰り返した。

 「それは、あんたが欲しがってる愛と同じものじゃないの? 同じじゃないにしても、似ているものじゃないの?」

 私はまた首を振った。

 うまく言葉に出来ないけれど、違う。違うのだ。私が欲しがっている愛は、そんないびつな二人三脚みたいな形はしていない。

 「なにが違うの? あんたには俺が必要で、俺にはあんたが必要。それって、孤独じゃなくなるってことだろ?」

 「違うわ。」

 「なにが?」

 「何もかもよ。……ここで、あんたと私でいくら話してみたところで、愛なんてわかんないのよ。せいぜい共依存するだけ。だって、これまで誰にも愛されたことなんかないんだから。」

 絶望的な台詞の自覚はあった。残酷に男を傷つけるかも知れないとも思った。でも、それが事実なのだ。これまで見たこともないものの外観を、二人でああだこうだと話し合ってみたところで、まともな結論なんて出るはずはない。

 「ふうん……。香也は? あんた、香也となら愛が何かとか分かると思ったの?」

 男の声からは、痛みや傷は感じ取れなかった。ただ、単純な疑問を口に出してみただけ、というふうに、いつものように彼は飄々としていた。私は、そのことに自分勝手に安堵した。

 「……思ったわ。」

 結局私は、香也からも逃げ出したのだけれど、でも、もしかしたら、と思ったのは事実だった。

 もしかしたら、この暖かくて優しい人とだったら、愛か、それに近いものを築けるのかもしれないと。あの二人暮らしを続ける先に、それがもしかしたらあるのかもしれないと。

 「……そっか。」

 大きな男が、こちらに背を向ける気配がした。

 私は目を開き、顔を覆っていた両手を剥がした。

 大きな男は、私に背中を向け、どこかに歩み去ろうとしていた。

 待って、と、言いかけた。

 さみしい私が、大きな男を引き留めようとした。

 けれど私の理性はまだきちんと働いてくれて、私の口をふさいだ。

 私は黙ったまま、大きな男の大きな背中を見送った。

 いつの間にか、観音通りに朝の光が射しはじめていた。 

 どうか、あの男の背中に射す朝日が暖かくありますように、と、私は生まれて初めて神に祈った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る