死ぬにはいい場所だ

朝の光がぼんやりと照らす細い道を、私はあてもなく歩いた。

 普段、観音通りと家の往復しかしていないから、どの景色も見慣れない。

 小さな看板を出した小料理屋、石灯籠のある広い庭の一軒家、レトロな車の停まった駐車場。

 なにもかもが、私を弾き出すようによそよそしく寒々しかった。

 一人だ、と思った。のろのろと歩きながら、きつくそれだけを念じていたと言ってもいい。

 私は一人だ。家に帰っても、もう香也はいない。大きな男も、もう私を買いには来ないだろう。

 香也と、大きな男。その、大して親しいわけでもない、たった二人の男が私の人生のオールキャストだと思うと、情けなかった。

 さみしい、と、思う。

 一人はさみしい。

 香也と、大きな男が私に残していった教訓だった。

 これまでは当たり前に一人だから大丈夫だったけれど、多分今日からもう私は、一人ではやっていけない。

 ふらふらと歩き回っていると、ふと水の匂いがした。それは、この街には似つかわしくない、きれいな水の匂いだった。

 私はそれでようやく、自分が橋の上に立っていることに気がついた。

 下を覗き込んでみると、十分な高さの下に、それはもう、死ぬにはもってこいの岩場が広がっていた。その真中を、ちろちろと澄んだ小川が流れている。

 ここから飛び降りたら、岩に頭からぶつかって即死だろう。

 私は一種陶然とした気持ちになって、自分の死体を想像した。

 岩にぶつかって、砕けた頭と溢れ出す血液。小川がその赤を次第に洗い流していく。

 夜がすっかり明けて、誰かに発見される頃には、私の体内を占める血液の殆どは流れ出してしまい、皮膚の色は透き通るような蒼白に染まっているだろう。

 その死に様は、悪くなかった。素敵だとすら、思った。

 それはもう、自殺というよりは自然死だろう。孤独な人間が、ごく自然に引き寄せられて岩にぶつかった。それだけの話だ。

 そう思うと、気持ちが急に晴れた。頭の中に薄っすらと巣食っていた霧が晴れたみたいな心地だった。

 もう、生きなくても良い。自殺未遂の未遂を、繰り返さなくていい。なにも考えず、なにも感じない。そういう場所にたどり着ける。それを人は天国というのではないだろうか。

死ぬには良い場所だ。

私はうっとりしたまま、橋の欄干に手をかけた。

 

 

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