男のセックスは、普通だった。普通によかった。特別上手くも下手でもないが、そこそこのところだった。

 香也が男から離れられないのは、セックスがいいからじゃない。それが分かって、私はなおさら絶望した。

 「香也はやるよ。」

 シャワーも浴びずにシャツを身に着けながら、男はあっけらかんと言った。

 「今日か、明日か、とにかく近いうちに、香也はやる。」

 俺はもういらないから。

 男はそう言って、布団にへたり込んだ私にキスをした。

 「あんたのこと、俺は結構好きよ。さっきも言ったけど。」

 そして、男は笑った。子供みたい、と形容してもいいような、無邪気な笑みだった。

 「だからさ、香也に飽きたら俺のとこに来なよ。」

 私はとっさに、目の前にある男の顔を殴ろうとした。男は私の手を掴んでそれをやめさせると、暴力的ね、と、また笑った。

 ぽいと私の手を離し、するすると滑らな動作でネクタイを結ぶと、男は立ち上がった。

 「じゃあね、美奈ちゃん。」

 馴れ馴れしく呼ぶな、と、言いたかったのに、声が出なかった。

 男が去って行っても、私はしばらくその場に座り込んでいた。いつもならとっととホテルを出て、次の客を拾いに行くところなのに。

 今日は寒いから、と、自分に言い訳する。

 今日は寒いから、客だってきっとつかない。もうしばらくだけ、ここで温まっていよう。とにかくシャワーを浴びよう。何なら浴槽に湯を張ってもいい。

 そう思って、のろのろと立ち上がったところで、スマホが鳴った。

 相手を確かめる気も起きない。無視して浴室へ行こうとしたのだけれど、スマホはしつこく鳴り続けた。

 ああ、香也だ。

 なぜだか、分かった。

 香也、香也、

 名前を呟きながら、赤いカバンからスマホを取り出す。

 「もしもし?」

 声は、少し喉に引っかかるみたいに変な出方をした。

 泣いていたみたいな声。

 自分でそう思って、香也にそう思われたら嫌だったので、気を引き締めて普通の声を出した。

 「香也? どうしたの?」

 電話の向こうからは、しゃっくりみたいな声だけが聞こえてくる。

 ああ、香也が泣いている。

 私はさっきの男が言っていたことを思い出した。

 今日か明日か、近いうちに香也はやる。

 仕事の早い男だ。

 ひっくひっくとしゃくり上げながら、香也は途切れ途切れに言った。

 「美奈ちゃん、俺、彼氏に振られちゃった。……行くところもない。家、追い出されちゃって。」

 そっか、と、私は答えた。いつもどおりの素っ気なさを、必死で装いながら。

 「行くとこないなら、うちにくる?」

 「え?……いいの?」

 「いいよ。」

 「……ほんとに?」

 「うん。」

 電話の向こうで、香也は泣き続けている。

 私は自分が喜んでいることに気がついて、ぐっと唇を噛む。香也の不幸を、喜びたくはなかった。


 

 

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