第10章・世界の終わり(6・閉幕)

「どうですか? トーリ様!」

 パンッという音が鳴ると女の額に穴が開く。女は笑顔のまま倒れ込んだ。頭から止めどなく赤い血を流す女を控えていたトーリの護衛隊が片付けていく。

 元運転手が肩をすくめた。

「あーあ。有能な人材だったでしょうに」

「暴走する部下なんていらない」

 トーリは拳銃を持った腕を降ろす。

「さて、どうしようかな」

 トーリが炎を振り返った時、空が明滅した。既に十分過ぎるほど混乱する事象が続いていたにもかかわらず、追い打ちを掛けるように理解の範疇はんちゅうを超える異変が起こる。空が明滅を繰り返しながら昼と夜とを繰り返していた。そんな有り得ない光景に叫び声が上がった。大混乱に陥りながら役人達が我先にと逃げ始め、トーリは明滅の眩しさに顔の前に手をかざす。

「何が起こってる?」

 明滅していた空は次第に太陽と月が浮かぶ昼、星のまたたく夜の左右真っ二つに割れた状態で均衡きんこうを保ち始める。が、大気は渦巻き、大地にはぽっかりと真っ黒な穴が開いた。世界そのものがゆっくりとその真っ黒な穴に呑み込まれていく。砂漠の上をめるように燃えさかっていた炎は穴に呑まれて呆気なく消えた。

「ああ、終わるのか」

 トーリは気が抜けたようにつぶやいた。

「冗談じゃねえ! こんなところで終わってたまるか!」

 元運転手の男がトーリに背を向けていびつな黒い箱からなかば飛び降りた。それを皮切りにトーリの護衛隊も箱の中にいた整備士達も役人達と同じように逃げ出して行く。トーリひとりを箱の上に残して。トーリはひとりになった歪な箱の上から空に目を移す。左右真っ二つに割れた空の中央に四対の翼を持つ天使の姿が見えた。

「四対の翼……。ああ、触れてはならないものに触れた訳か」

 トーリははるか上空の明羽を見上げながら軽く首をかしげる。

「兄上が出会ったのは五対の翼の天使だったよな。関連性はないのかな?」

「その通りだ! 関連性は分からないが俺が出会ったのは五対の翼を持つ天使だ!」

「……兄上?」

 トーリが転落防止の柵の外を覗き込むと後部座席を幌で覆った車が一台止まっていた。その側に立ってトーリを見上げていたリュウガがニッと笑う。リュウガが歪な箱の上に躊躇ためらいなく上って行くと、その後をアサツキが追って行く。

「トーリ!」

「なんで兄上がここに。逃げたのではなかったのですか?」

「トーリともう一回話そうと思って来たんだが。なんかもうそれどころじゃなさそうだな」

 リュウガとアサツキは先程トーリが見上げていた空を見上げる。そこに見えるのは四対の翼を持つ天使の姿だ。

「明羽」

「アサツキさん」

 アサツキは驚いて明羽からトーリに目を移す。

「トーリ様。私を覚えておいででしたか」

「忘れる訳がありません。あの出会いには子供心に運命的なものを感じていましたから」

「……そうですか」

「アサツキの運命は俺だ!」

「何を張り合ってるんだ。リュウガ。黙ってろ」

「ちぇっ!」

 アサツキとリュウガのやり取りを見てトーリは小さく笑う。

「相変わらずなんですね。兄上は」

「相変わらずなんです」

「なんだよー。確かに俺はあんまり変わってねえかもしれねえけど。さすがに今回のことはそれなりにこたえたぜ」

 リュウガはトーリに近付くとその身体を軽々と持ち上げた。

「ふぁっ!? 兄上!?」

「おー。いつまでもかわいい弟だと思ってたが。いつの間にかこんなに大きくなってたんだな。トーリ」

「下ろしてください! 兄上! 僕はもう子供じゃありません!」

「トーリはいつまでだって俺のかわいい弟だぞ!」

 リュウガはトーリを抱えたままこれまでずっとトーリが座ってきた椅子に座る。

「兄上。さすがに無理があると思います」

「そうかな?」

「トーリ様を抱えて座るにはトーリ様は大きくなり過ぎましたね」

「悪いことみたいに言わないでください。アサツキさん」

「失礼しました」

 アサツキは心の底から己の口から出た言葉を反省する。

「兄上。逃げてください。ここは危険です」

「逃げるつったてなあ」

 トーリを膝に乗せたままリュウガは昼と夜に分かたれた空を見上げる。

「俺は明羽に希望を見せてやることができなかったんだな」

 アサツキは怪訝けげんな顔をリュウガに向ける。

「お前、そんなこと考えてたのか?」

「ん~? 今考えた」

 アサツキは呆れて黙り込む。

「俺はこの世界を平和だと思ってたんだ。まあ、それなりに? みんなそれぞれ悩みとかあっても毎日幸せに生きてるもんだと。とんだ勘違いだったなあ」

「気付くのが遅すぎます。兄上」

「トーリが俺を責める……」

「みんなリュウガみたいな脳みそだったら間違いなく幸せだったな」

「アサツキに至っては嫌味! ふたり共、気付いてたなら教えてくれりゃ良かったのに」

「頭ごなしに説明したって理解できないだろう。お前自身が気付かなくちゃいけないことだった。気付かせてやれれば良かったんだが。力及ばず。それでも、明羽達と出会ってお前は少しずつ考え始めてた、気付き始めてた。けど、お前が今この境地に立ってるのは明羽の荒療治のお蔭だな。あのままだったらきっとまだまだ時間が掛かっただろうから」

「ちぇ」

「それとトーリ様も後押ししてくださいましたね」

「え?」

「手段はあまり褒められたものではありませんでしたが。トーリ様。何故、亜種殲滅作戦あしゅせんめつさくせんなんてものの片棒かたぼうかついだりなさったのですか?」

 アサツキの静かな瞳に見つめられてトーリは目をせる。

「何故って、兄上が……」

「俺?」

「兄上が僕を連れて行ってくれなかったから」

 アサツキとリュウガはポカンと口を半開きにした。

「そうか……。そうかー」

「申し訳ありません。そんな個人的な感情でたくさんの人の命を奪いました。ですが、そういう気持ちが根底にあって行動していたことに間違いはありません。すべての責任は僕に」

 リュウガがトーリの頭をワシワシとで回す。トーリはくしゃくしゃになった髪の隙間からリュウガがとても悲しそうに微笑んでいるのを見た。

「俺の責任だな。無知で、馬鹿で、気付けなかった。俺の責任だ」

「そうだな。気付けて良かったな」

「アサツキは本当、俺に甘いんだかきびしいんだか」

 リュウガはため息をつく。

「せめて気付きをかせる時間が欲しかったな」

 アサツキはリュウガの肩に軽く手の甲を当てた。リュウガがアサツキをあおぎ見る。

「ん?」

「ひとつだけ、謝らせてくれ」

 アサツキはチラリとトーリに目を向けた。

「お前は正しかった」

 リュウガは悪戯いたずらが成功した少年のように満面に笑った。


   +++


 明羽は翼を広げたまま中空で丸くなっていた。顔を両手で覆い、膝にうずめていた。

「うぅ……」

 指の隙間から涙が宙にひとつ、ふたつと浮いていく。風を受けて左耳の側で揺れていた涙型の緑色の石にパキンッとヒビが入った。ゆるやかに世界を呑み込む黒い穴の上に小さく風が巻き始める。


   +++


 村長は顔を上げる。

「なんだ?」

 村を取り囲んでいた砂嵐が見る見るうちに消えてなくなっていく。いつでも村を出ていけるよう、準備をすっかり整えて、毎日毎日中央広場に集まっていた村人達は見えた空にポカンと口を半開きにした。空は昼と夜に真っ二つに割れていた。

「さっきの明滅……」

 村長は息を呑むと同時にピクピクと白い三角形の耳を動かす。村長が何か言う前に村人達がささやき始める。

「歌が……」

「歌が聞こえる」

 耳の良い聖獣だけでなく、村人全員にその歌は聞こえていた。


《歌を歌いましょう


 太陽と月が共に昇り、夜の闇を吹き払う

 青い空から金の瞳と銀の瞳が見つめている

 緑に覆われた大地、白い花が咲き乱れる

 この美しい世界で私達は今、共にある

 私は願う、この世界が永久とわに続きますように


 闇が世界を覆い、幾万の星が瞬いている

 漆黒に金の瞳も銀の瞳もないけれど

 風は歌う、水は静まり、大地は眠る

 この美しい世界で私達はいつまで共にあるだろう

 私は願う、風が世界を裂くその日まで……》


 空から降り注ぐ歌声に村長は愕然がくぜんとする。

「精霊の歌声……。しかし、この声量は……」

 明らかにひとり分の声量でない歌声は、北、南、西、東に位置する四大都市、世界中に点在するオアシス、逃げまどい混乱する人間達の上に、種族など関係なくすべての者に降り注ぎ、すべての者に等しく聞こえていた。

「こんなに生き残っていたのか……」

「村長」

 村長は驚いて振り返る。

「夏芽」

 標と謝花に寄り添われて立つ夏芽は少し憔悴しょうすいしていたが、その顔色は悪くない。

「夏芽ちゃん!」

「夕菜」

 飛び付いた夕菜を夏芽はしっかりと受け止める。村長は一歩一歩夏芽に近付いた。

「夏芽。大丈夫なのか?」

「はい。村長。楽に、なりました。もう、どこも苦しくないし痛くない」

 けれど夏芽はうれいに目を伏せる。標は夏芽の肩にそっと手を置いた。

「夏芽。お前が楽になったってことは明羽と氷呂、アサツキとリュウガがうまくやったってことじゃないのか?」

「標。この空を見てそれを言うの?」

 夏芽は自嘲じちょう気味に笑う。

「村の外に出ましょう。荷物はいらないわ」

 夏芽にうながされるまま、村人達は村の外へと足を踏み出す。嵐は止んでいたが風は吹いていた。遮るもののなくなった視界の向こうに村人達は見る。世界を呑み込む竜巻の姿を。謝花の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。

「明羽……。氷呂……」

「どうしてこんなことになってるんだ……」

 標は愕然がくぜんと呟いた。村人達もしばらく呆然と立ち尽くしていたが、ひとり、またひとりと胸に手を当て、瞳を閉じていく。謝花は涙を流し続け、標、夏芽、村長の三人だけはジッと竜巻を見つめ続けた。


   +++


 メメは太陽と月が浮かぶ昼、星の瞬く夜が覆いかぶさる砂漠を走っていた。盾のような二本の角を持つ動物にまたがり、卓越した技術で最高速を保ちながら一点を目指して走っていた。空を、大地を、世界を呑み込む竜巻に向かってひた走りながらメメは笑っていた。

「メメ!」

 通り過ぎ様に掛けられた声にメメは笑顔を引っ込め、ゆっくりと減速していく。乱れた息を整えながら振り返る。

「グリフ」

 大分後方から駆け寄ってくるグリフィスを見ながらメメは一歩として自らグリフィスに近付こうとはしない。えっちらおっちら近付いてくるグリフィスからメメは辺りを見渡す。

「メメ!」

 やっと近付いて来たグリフィスにメメは人当たりの良い笑顔を顔に張り付ける。

「やあ。グリフ。どうしたの? また馬に逃げられた? 悪いけど今君に構ってる暇はないんだ。僕は行かなくちゃいけない」

「行くって? どこに行くって? お前が向かってる先にあるのはあの竜巻だぞ!?」

「そうだよ。良く分かったね」

 グリフィスはポカンとメメの笑顔を見上げた。

「ほ、本気かよ!?」

「本気だとも! グリフ。僕はずっとこの時を待ってたんだ。やっと世界が終わるんだよ。この嘘っぱちの偽物の世界が!」

「何言ってるか分かんねえよ……」

「分からなくていいよ。僕の邪魔をしないでくれればそれでいい」

「メメ!」

 グリフィスはメメを止めようと手綱たづなに手を伸ばし、メメは目にも止まらぬ速さで抜いた銃でその手を跳ねける。痛む手を握るグリフィスは自分に向けられた銃口越しにメメを見る。

「メ、メメ……」

 グリフィスはメメの非情さも天才的な銃の腕前も良く知っていた。思わず衝撃に備えて目をつむってしまうグリフィスだったが、想定した衝撃は暫く経ってもやってこない。グリフィスは恐る恐る顔を上げる。銃口はグリフィスに向けられたままだったがメメの顔からは表情が抜け落ちていた。

「……メメ?」

「どうしてだろうね。グリフ。僕はどうしても君を殺したくないらしい」

「俺が知るか」

 グリフィスのつっけんどんな物言いにメメは笑う。それは先程までの張り付けていたのとはまるで違うとても自然な笑顔だった。

「どっちにしても、もうすぐ死んじゃうのにね」

「まだ分かんねーだろ!」

「この空を見てもまだそんなことを言ってるなんて。馬鹿なの? 鈍感どんかんなの? アホなの? それともただの現実逃避?」

 グリフィスはとても嫌な顔になる。それを見てメメはまた笑う。

「まあ。なんでもいいけどね。それじゃあ、グリフ。えんがあればまた会えるだろう。本当の世界で」

「や、だから何言ってるか分かんね……メメ! おい!」

 走り出したメメが振り返ることはなく、グリフィスは数メートルだけ追い掛けたがすぐに膝に手を付いた。

「くそ……」

 グリフィスは未だ腰にぶら下げたままだった黒い商標を力任せに引き千切ちぎって投げ捨てる。

「くそっ! メメ! なんで俺を殺さない! お前の腕だったら朝飯前だろうが! 初めて会った時からお前が何考えてるのか俺にはちんぷんかんぷんだ! ぶっちゃけ俺はお前にすごく文句が言いたかったんだ! 正面切って言うのが怖くて逃げ回って結局この様だ! 笑いたきゃ笑え! 全部全部お前の言った通りだったぜ! 俺は狩人に向いてなかった! 見透かした風な態度取りやがって! 俺はお前より十も年上なんだぞ! 餓鬼がきんちょが!」

 ゼエ、ハアと息を切らした途端、グリフィスの足元から地面がなくなる。グリフィスは胃のが冷え込むのを感じた。恐怖心を堪えるように歯を食い縛り、涙をこらえる。

「くそ……。本当の世界なんて本当にあるのか!?」

 グリフィスは底の見えない真っ暗闇に呑まれた。


   +++


「終わったな」

 光も闇もない空間に声が響く。先程まで足元に広がっていた世界を見晴るかす為に並べられていた、七つの椅子には他種多様な七つの影が座っていた。


   +++


 村長が目を開けると視界一杯真っ白だった。自身の姿は見えるが足元には影もない。村長は何が起こったのか分からずしばし立ちくし、少し気持ちが落ち着いてからゆっくりと辺りを見渡した。せまいのか広いのか、奥行きも高さも分からない中、村長は前足を軽く踏みしめてみる。足元には確かな感触があった。けれど歩き出す気にはなれない。視界は明るくとも一寸先には何があるか分からない空間だった。身体を動かさないと思考が回る。皆はどうしただろうと村長は思う。世界が終わる瞬間、共にいた村のみんなのことを思う。そして、何故自分だけが自分のままここにいるのか。

「久しいな。かい

 背後から掛けられた声は低いが男とも女ともつかない。滑舌かつぜつは良いが感情の見えないその声に村長は驚いて振り返る。先程まで確かに村長しかいなかった空間に人が立っていた。比べるものがなくともその高身長は疑いようがなく、にもかかわらず鮮やかな緑色の髪は引きる程に長く、金色の双眸そうぼうは見られるものを威圧する。そして、その人物は真白な空間にあってなお光り輝く五対の翼を背負っていた。

「始まりの天使!」

 村長は驚愕きょうがくし、小さくうなりながら半歩後退あとずさる。感情をあらわにする村長に対し、始まりの天使は感情にとぼしい表情のまま存在しない筈の椅子に腰掛けた。座しても高位置にある目を伏せる。

「まずは礼を。明羽が世話になった」

 村長は息を呑み、始まりの天使を睨み付ける。

「やはり! 明羽は貴方の!」

「まさかお前に面倒を見て貰うことになるとは露程つゆほどにも思わなかった。縁とは不思議なものだな」

「何故、今僕の前に姿を現した!?」

「正確には私がお前をここに引き寄せた」

「……何の為に?」

「話をしようと思ってな」

「話?」

 始まりの天使はその無感動な瞳で村長を見据みすえる。

「まず、簡単に種明かしをしよう。明羽について」

 村長は胸の内に聞きたくない気持ちが湧いてきて眉間みけんしわを寄せた。けれど始まりの天使の言葉をさえぎることはしなかった。

「明羽は、あの世界を終わらせる為に私が作った仕組みだ」

 村長は身体を小刻みに震わせる。その震えが怒りか悲しみか恐ろしさから来ているのか村長にも分からなかった。始まりの天使は体温の感じられない金色の瞳で村長を見据える。村長はゆっくりと呼吸を繰り返し、その場に尻を落ち着けた。

「さすがに私に喧嘩を売ってはこないか」

「創世の七人の一角いっかくになう者に勝てるなどと思い上がる程愚かではない」

「そうか? お前は第一世代だ。私達が直接生み出した。他の世代より私達の力を強く受けて生まれた。万が一ぐらいはあるかもしれない」

戯言ざれごとを」

 不意に村長はうつむく。

「黎が明羽について口を閉ざした理由が分かった」

「ああ。あの魔獣の子は知っていたな。偶然にも私達の会話を聞いてしまったんだ。黙っていろと言った覚えはないが、お前にも話さなかったようだな」

「黎の優しさだ。僕が知ったら今まで通りに明羽に接することはできなかっただろう」

「そうか」

「話は終わりか」

「いいや」

 この場から逃げられないことを村長はさとる。

「まだ、僕に何か話したいことがあるのか」

「ああ、そうだ」

 一拍置いて、始まりの天使は空中に視線をさ迷わせる。

「何もなくてすまない。急ごしらえで作った空間なんだ」

 また一拍置いて、始まりの天使は村長に目を戻す。

「明羽が役割を果たしたことで私達はこれより、それぞれに新たな世界をつくる」

「どういう、ことだ?」

「無から忽然こつぜんと生まれた私達は、まず、お互いのことを話し、そして世界を創ることを決めたんだ。が、その際誰かが言ったんだ」

『姿も違う。考え方も、持って生まれた力も違う。僕達は共に生きられるのだろうか?』

「精霊だったか。あれは用心深い。結果、あれの懸念けねん的中てきちゅうした。朝と夜、大気、大地、空、天気など、世界を構成するありとあらゆるものを誰が担当するか決め終わって。さあ、創り始めようとした時だった。世界の基盤きばんが出来上がった後には、人間の提案でそれぞれの力を分け与えた子らを住まわせることも決まっていたからな。精霊の言葉に私達はそれもそうだと。本命の前に実験的な世界を創ることにしたんだ」

「まさか……」

「お前達がいた世界は私達が共に生きられるか検証する為、実験的に創った世界だ」

「明羽……」

「ん?」

「明羽はうまくいかなかった時の後始末の為だけに生み出されたというのか? あの子は記憶を持っていなかった。あの子は何も知らなかった。何も知らない子供だった!」

「誰がそれを判断するかという話になったんだ」

「何?」

「私達が共に生きられるか、生きられないかの判断を下す者。私達には無理だ。私達は事情を知っている。私達では正しい判断ができない。何も知らず、その世界で生き、多くの者と関わり、考え、感じ、何も知らないまま結論を出す存在が必要だった。言っておくが。明羽があの世界でずっと生きていきたいと望めばあの世界を拡張していく予定だったんだ」

 天使は一度言葉を区切る。

「後始末か。うまいことを言う」

 村長の頬が引きった。

「問題なく世界が回るなら良し。そうならなかった場合、その世界をどうするかも話し合ったんだ。結果、それも判断を下す者に任せることになった。つまり、明羽だな。まあ、明羽が判断を下し、我々の誰かが世界を終わらせるのでも良かったんだが」

「ならば! 明羽にそこまで背負わせたのは何故だ!」

容易たやす過ぎたんだよ。明羽がらないと口走っただけでそれが本心から出た言葉でもそうでなくても、私達は世界を終わらせることができてしまう。故に、その役割もまた判断を下す者に任せることにしたんだ。その者が私達は共に生きられないと判断した時、世界は終わる。世界が終われば結論が出たと、はたから見ている私達にも分かりやすいと。さっきから何をそんなに怒っている?」

 村長は立ち上がっていた。

「あの子は優しい子だった! 種族など関係なく皆を愛していた! そんな子が世界を終わらせるに至ったんだ! あの瞬間、何を見たのかと気に掛けるのは当然だろう! 氷呂もいた筈なのに。何故だ……」

「氷呂か」

 始まりの天使はあごに手を置き、遠くに目を向ける。その目にはここではないどこかの光景が映っているようだった。そのまま黙り込んでしまった始まりの天使に村長は目をしばたく。けれど、村長は始まりの天使が戻って来るまで待っている道理はないので話し掛ける。

「氷呂は始まりの聖獣の子だろう」

「ああ。そうだ」

 返事が返ってこないことを想定していた村長は少しばかり冷静さを取り戻す。

「氷呂は、私が明羽を作ったその日に聖獣が突然連れて来たんだ。『友人は必要だよ。天使殿』などと言って。氷呂は、あの子はよくやってくれた。その存在は確かに明羽の支えとなった。あそこまで献身的けんしんてきである必要があったのかは疑問だが」

 始まりの天使の疑問には村長も内心同意してしまう。

「氷呂も、明羽と同じように記憶を眠らせた筈なんだが。あの子の動きは魂に刻まれているようだったな。そうなるように聖獣が仕組んだ可能性はおおいにある。アレはそういう奴だ」

 わずかに眉間に皺を寄せ、感情をにじませた始まりの天使に村長は片眉を上げる。呼吸を整え、呟く。

「……あなた方はずっと、どこにいたんだ。あの世界が実験的に創られた世界だというなら、あの日に終わっていてもおかしくなかったんじゃないのか?」

「あの日。あの炎の日か」

「そうだ。あなた方に掛かればあの炎を消すことも容易たやすかった筈だ。それなのに! 何もせず……それどころかそのあと姿を消した。何故だ!」

「魔獣と似たようなことを言うんだな」

「何?」

「何故、か。予想外だったのさ。人間の子らの寿命は我々の子らの寿命より遥かに短く、入れ替わりが激しかった。数も増え、独自の文化をきづき、徒党ととうを組み、そうして自分達が持たない力を持つ他の種族を恐れ、火を放った。何故、火を消さなかったかって? 予想外だったからだよ。実験的に創った世界だったとはいえ、あまりにも……。私達も驚きを隠せなかった。明羽はまだ幼く、魔獣は明羽の決断を待つまでもないと言う」

「それが、何故……」

「希望を見たと言ったら信じるか?」

「希望?」

「あの炎の日。お前達は反撃せずに逃げにてっしたな」

「争うことは本意ではない」

「仲間を殺されてもな」

 村長は黙り込む。

「そう、悲しい顔をするな。責めてはいないし、そのおこないが私達七人に希望を見せた。あの炎の中、他の種族を逃がす人間がいたのさ」

 村長は目を見開いた。

「そう、だったのか」

「ああ。実験的に創った世界の結論はもう出ていたように思えたし、まだ、可能性があるようにも思えた。私達には判断が付かなかった」

「だから、明羽なのか」

「そうだ。まあ、結局このような結果になってしまった訳だが」

 始まりの天使の声が弱まる。それに反して先程までぼんやりとここにない景色を見つめていた金色の瞳はハッキリと確かなものを見つめるように一点に向けられた。村長の三角形の耳が音を拾い上げる。その音は始まりの天使が目を向けている方向から聞こえてきていた。村長と始まりの天使しかいなかった空間に、子供がとぼとぼと歩いていた。緑を帯びた黒い髪、鮮やかな緑色の瞳を不安に曇らせながら、その子供は四対の翼を引きるように歩いていた。子供の姿に村長は目を見開かずにはいられなかった。子供は不意にゆっくりと村長と始まりの天使がいる方に顔を向ける。不安そうだった瞳が涙にうるみ、小さな天使は駆け出した。

「母様!」

 始まりの天使は立ち上がる。小さな天使は小さな歩幅で必死に始まりの天使に駆け寄ろうとするが途中で派手はでころんだ。始まりの天使は一歩も動かず、小さな天使は自ら立ち上がり、再び始まりの天使にけ寄った。

「母様!」

 目の前に来て両手を伸ばす小さな天使に、始まりの天使は膝を付く。その小さな身体を軽々と抱え上げて、始まりの天使は胸の上で泣きじゃくる小さな天使の背を優しくでた。まぎれもない母親の顔をする始まりの天使にも、突如現れた小さな天使にも、村長は呆気に取られる。

「その子供は……」

「明羽だ」

 始まりの天使はことげに答えた。

「何故、明羽がここに? それに、その姿は……」

幼児退行ようじたいこうだな。押しつぶされそうな不安から自分を守る為にみすからそうしたのだろう」

「不安……」

 村長は俯く。

「余計なことだったのかもしれない」

「え?」

 聞こえたつぶやきに村長は顔を上げていた。

「世界が終わる瞬間。私は人知れず、あの瞬間に居合わせたすべての者達の命をすくい上げてしまった」

「……は?」

「世界が終わる瞬間に居合わせた者達は今、すべて私の手の中にある」

 村長は開いた口が塞がらない。

「そんな、ことが……」

「できないと思うか?」

 金色の瞳が村長を見据みすえる。

「私は無より始めに生まれ、他の誰よりも強大な力を持って生まれた存在。私に不可能はない」

 傲慢ごうまんにも聞こえるその言葉がまぎれもない事実であることを村長は知っている。始まりの天使はしゃくり上げるだけになった明羽の頬をおもむろに指でぬぐった。

「あの世界が終わったことで、私達はそれぞれに新たな世界を創ると言ったのを覚えているか」

「ああ」

「私はすくい上げた命をそれぞれの始まりに返しに行く。新たな世界で新たな生を与えられるかどうかは、これから話をしに行くので分からないが、できるだけのことはするつもりだ。多分だが、皆、割と受け入れてくれると思う」

「待て、間の子はどうなる? どのように振り分けられる?」

「それぞれの思い入れのある方に。本人達が決めるだろう」

「そうか」

 村長はホッとして座り込む。

「そこで、再びお前に明羽を預けたい。頼まれてくれ」

 ホッとしたのもつか、何が「そこで」なのか分からなくて村長はギュウッと眉間みけんしわを寄せた。そんな村長に気付いているのかいないのか、始まりの天使は続ける。

「私達七人は無より生まれ、それぞれに世界を創造するだけの力を持っている。それでも本格的に世界を創るとなるとそれなりの労力を要するんだ。ひとつの世界をひとりで創るのだから尚更なおさらだ。そうすると私達はそれぞれの世界から動くことができなくなる。気易きやすく他の世界をたずねることはできない。そこで私は、明羽に新たな役割を与えることにした。そうにらむな」

 役割と聞いて嫌悪感で顔をゆがませた村長に天使は静かに言う。

「随分、窮屈きゅうくつな思いをさせてしまった」

 天使は腕の中の明羽の頭をでる。

「翼を持っているのにあの世界では自由に飛ばせてやることができなかった。もう、追われることも逃げる必要も隠れる必要もない。本当に自由に、それこそ想像を超える広い世界を飛び回らせてやりたい」

 村長は黙って尾を一振りする。始まりの天使は続ける。

「氷呂はもちろん、明羽の同行者に。お目付け役にお前も一緒に同行してほしい。世界から世界を飛び回り、先々で見たこと、見たものをそれぞれの始まりに伝えて回ってくれ」

 村長は始まりの天使を見つめ、尾をもう一振りする。

「本題はそれだったか。僕がここに呼び寄せられた理由」

「そうだ。長々と話してしまったな」

 村長は肩から力を抜いて、息を吸い、背筋を伸ばす。

「そうゆうことなら。仕方ない」

 村長は二つ返事するのがしゃくだったので、渋々をよそおってみたが始まりの天使はそれを一切気にめない。

「ありがとう。暟。手間を掛ける」

 思わぬ謝辞しゃじに村長は面食まんくらった。始まりの天使が明羽を下ろす。泣き止んではいたが明羽は不安そうに始まりの天使を見上げた。

手間てまついでで悪いんだが、氷呂は今、聖獣と共にいる。聖獣には話を通してあるんだが、すくい上げてしまった命の件と世界の橋渡しの件、私はこの両方をこれから皆に話しに行かなければならない。後を頼む」

 すべてが事後報告であるのに、迷いもうたがいも見せない始まりの天使に村長は心の底から呆れつつうなずく。

「分かった。明羽」

 村長が呼ぶと、小さな明羽は恐る恐る村長に目を向ける。ますます不安そうな顔になる明羽に村長は魔法の言葉を掛ける。

「明羽。氷呂に会いに行こう」

 明羽の緑色の瞳が見る見る光り輝いた。明羽は始まりの天使を今一度見上げてから、一歩、二歩と村長に近付き、その白い毛を握り込んで頷く。

「うん!」

 明羽の意思を確認した村長は明羽の背に生える四対の翼を見てふと思う。

「世界を終わらせるのに四対の翼が必要だったのは分かる。だが、明羽は普段、片翼だった。あれは何故だ?」

「私ではない。炎の日以降、世界は混乱していた。明羽と氷呂を世界にたくすのは落ち着いてからにしようという話になったのだ。そうしてよくよく見極みきわめて、私達は明羽と氷呂を、当時もっとも安全だと思える場所に下ろしたんだ。人間主体になった世界で、大き過ぎる力は目立つからな。自己防衛本能だろう。明羽は自らその力の半分を隠したんだ。当然、無意識だろう。片翼は、それはそれで目立っていたし、見ていることしかできない身としては随分ずいぶんハラハラさせられた」

「そうか……」

 村長と始まりの天使が話している間、明羽はかわいた涙を服のそででごしごしとぬぐっていた。話しながらそれを見ていた村長は心配になる。

「明羽。あまりこすらない方がいい。れたら大変だ」

「う~ん」

 返事をしながらも手を下ろさない明羽のその頬を、村長は思わず舐めてしまう。明羽がキョトンと目を見開いて固まった。

「あ、すまない。明羽。つい……」

「つい?」

 肉が裂けそうな程冷え切った声が降ってきて、村長は尻尾しっぽまたの間に巻き込んだ。村長が震えながら見上げると、重く伸し掛かる声とは裏腹に、始まりの天使は金色の瞳に燃えさかる炎のきらめきを宿していた。

「明羽! 僕の背中に乗れ! 行くぞ!」

 村長はなんとか自分をふるい立たせ、明羽を背に乗せるとその場から駆け出した。

「あなたの頼み、うけたまわった!」

 振り向きざまに叫んだ村長が見たのは、離れ行く明羽の姿に「名残惜しい」と雄弁ゆうべんに語る、始まりの天使の顔だった。村長は進む先に目を戻し、小さく呟く。

うけたまわった」

 白い空間を駆け抜けると辺りは光も闇もなくなる。先程までいた白い空間と変わらない一寸先に何があるか分からない、空間と呼べるかどうかさえ怪しい空間を、村長は足元の確かな感触を頼りに恐れることなく走って行く。


   +++


 長い睫毛が縁取るのは晴れ渡った早朝のように澄んだ青い瞳。ハーフアップにした腰まであるなめらかな髪もまた青く。すれ違えば誰もが振り返る相貌そうぼうに少しのうれいをにじませて、氷呂は光も闇もない空間の一点を見つめていた。その足元には村長よりも一回り身体の小さな白い獣が寝そべっている。

「氷呂。君は何も悪くないよ」

「でも、お父様。明羽に与えられた役目であったとはいえ、明羽ひとりに背負わせてしまったことが申し訳なくて」

「君が気に病むことじゃないね。決めたのは僕達だ。それより僕は君が君に与えられた役割を見事に果たしたことをほこってほしいな。僕はほこらしいよ」

 氷呂は始まりの聖獣を一瞥いちべつもしない。

「無ー視ー。そんなに責めて欲しいなら反省点を洗い出してあげるよ。まず、あの南の町近くの湖のあるオアシスで、明羽のことを忘れた時はどうしたものかと思ったよ」

 氷呂の肩がピクリと動く。

「それから明羽がひとりで北の町に向かったのに対して、ショックを受けたのは分かるけど、その後、行動に移るのに随分ずいぶん時間が掛かったね。明羽を放置するなんて!」

「反省してますぅ!」

 氷呂は足元に寝そべる始まりの聖獣に涙目を向けた。始まりの聖獣はニコリと笑う。

「でも、君はまっとうした。僕は満足だ」

「お父様が満足しても……」

「んん? まだこの問答もんどうを続けるかい? いいよいいよ。喜んで!」

「いい加減にして」

「アハハ」

 氷呂はため息をつき、先程まで見つめていた方へと顔を向け直す。

「明羽……。お父様。待っていれば本当に明羽は来るの?」

「来るよ。今、大事な話をしている最中さいちゅうだからさ。終われば来るよ。どーんと構えて待ってなよ。余裕を見せようぜ!」

「お父様。虚勢きょうせいを張ってるのが見え見え。相変わらず、おば様一筋なんだね。ちょっと安心したけど明羽と一緒に来る筈の村長に八つ当たりするのだけはヤメテね」

 始まりの聖獣は微笑む。見た者を威圧いあつする、て付くような笑顔を顔に張り付ける。

「嫌だなあ。氷呂。僕がそんな大人気おとなげないことする訳ないだろう。僕が天使殿一筋なのは認めるけど」

 氷呂はその青い瞳を半眼にして始まりの聖獣を見下ろした。

「お父様。これはあくまで私の推測すいそくなんだけど」

「う~ん? 何? 聞いてあげないこともない」

「お父様が私を作った本当の理由。おば様が明羽を作ると決めた時、お父様は危機感を覚えたんじゃないかと思って。おば様の興味が明羽にばかり向いたら自分は見向きもされなくなるとか考えなかった? 明羽もおば様に傾倒けいとうするようになったらそこに自分が入る隙はなくなる。だからお父様は私を作ったの。おば様が明羽を愛しても、明羽が他を愛するならそこに自分が入る隙ができるという打算ださんの元、お父様は私を作ったんじゃないかと思って」

「考え過ぎだよ」

 始まりの聖獣はつまらなそうに言う。

「まあ。そうでもそうじゃなくても本当はどうでもいいんだけど」

「じゃあ、なんでわざわざ言葉にしたのさー」

「お礼が言いたくて」

「お礼?」

「そう。たとえどんな理由だろうと私を生み出してくれたことにお礼が言いたくて。お父様。私を明羽と出会わせてくれてありがとう」

「そうなるように作った身としては、そんなまっすぐお礼を言われると罪悪感が湧くなあ」

「作った? いいえ。お父様。これは私のまぎれもない本心。お父様がなんと言おうとそれだけは絶対にゆずらないから」

 力強く言った氷呂に始まりの聖獣は尾を一振りして無い地面を打つ。

「なんだか自分を見ているようだ」

「お父様が自分の性格を自覚していたなんて意外だよ」

「失礼だなあ。でも、それでこそ僕の娘、僕の分身!」

「明羽。まだかなあ」

「わあ。もう僕との会話に興味ないよ。この子」

 氷呂と始まりの聖獣は同時に顔を上げた。ふたりは光も闇もない空間の一点を見つめる。近付いてくる白い点を視界にとらえて氷呂は息を吸い、顔をほころばせた。

「明羽!」

 氷呂の声に白い獣の背に乗っていた小さな影がその背から飛び降りる。氷呂に駆け寄る小さな明羽の姿は瞬きの間に氷呂と同い年の見慣れた姿へと変わった。

「氷呂!」

 明羽と氷呂はお互いの存在を確かめ合うように、強く強く抱き締め合う。

「氷呂! 氷呂! 氷呂だ!」

「そうだよ。明羽。また、会えたね」

 明羽の後から来た村長は抱き合う明羽と氷呂に目を細める。そんな村長に始まりの聖獣が近付く。

「やあ。かい。久しぶり」

「始まりの聖獣。お久しぶりです」

 丁寧に返事を返す村長に、始まりの聖獣はニッコリと笑って元気よく言う。

「君が天使殿とふたりきりで話しているところを想像するだけで炎にあぶられている気分だった僕だよ!」

「お父様」

「冗談はさておき」

 氷呂がため息をつき、始まりの聖獣はけらけらと笑う。村長は絶対に冗談じゃないと思いながらも言葉にはしなかった。

「君が明羽を連れてここに来たということは、天使殿はみんなのところに戻ったということかな?」

「ええ。そうおっしゃっていたので、もう向かったかと」

「ということは君は了承したんだね。明羽と氷呂と共に行くことを」

「創世の七人の一角をになう者の頼みを断れる訳がないでしょう」

「あれ? 嫌々だった?」

「そんなことは言ってません」

「冗談が通じないなあ。相変わらず君は真面目まじめだねえ」

 村長は嫌そうな顔になる。

「冗談を言うならもっと分かりやすい冗談を言ってください。今のは冗談の部類には入りませんよ」

「そうかな? じゃあ分かりやすい冗談って?」

「お父様!」

「むぐぐ!」

 始まりの聖獣の口を両手でつかんだ氷呂に村長はギョッとする。

「父がすみません。村長」

「うん! いや! うんっ! 大丈夫だから!」

 ハラハラする村長を尻目に氷呂は始まりの聖獣から手を放し、始まり聖獣は前足で自由になった鼻先を気にする。

「乱暴だなあ。氷呂は」

「お父様みたいに意地が悪くないだけマシでしょ」

「仲いいねえ」

 明羽の感想に村長はドッと気が抜けた。ひとりで気をんでいることに村長が少しばかり馬鹿馬鹿しい気分になっていると、始まりの聖獣が顔を上げる。

「そうだ。多分だけどね。同行者増えると思うんだよね」

「え」

「多分だけどね」

「多分?」

 始まりの聖獣は笑う。

「だって世界を外から眺めていたのは僕と天使殿だけじゃないんだから。みんなでずっと世界を眺めながら明羽と氷呂の動向を追ってた。天使殿から話を聞いたら自分達の子もって言い始めるのは必然でしょ」

「……なるほど。つまり?」

「あの世界で明羽と氷呂の面倒をよく見てくれていたのは誰? まあ。予想だけどね。さて、じゃあ、後のことは暟に任せるとして僕はそろそろ天使殿のところに戻るとするよ。明羽、氷呂」

 明羽と氷呂が始まりの聖獣を見る。

「またね」

 駆け出した始まりの聖獣の背に明羽は叫ぶ。

「おじさーん! 母様かあさまによろしく言っといて。それから、ありがとうって!」

 始まりの聖獣はチラと振り返ってニコッと笑った。そして、その白い姿はあっと言う間に三人の視界から消える。始まりの聖獣が消えた方をジッと見つめる明羽の頭に氷呂は手を伸ばした。明羽は左耳の後ろにある髪の結び目に氷呂が触れたことでそこにあった筈の髪飾りがもうないことを思い出す。

「石、割れちゃったんだ。ごめん。氷呂」

「そうみたいだね」

「氷呂?」

 氷呂は手首飾りのひとつを外すと明羽の髪の結び目に巻き付けた。そして、残った片方の手首飾りは紐を長くし、自身の首に掛ける。明羽の髪の結び目では涙型の青い石が光り、氷呂の胸元では涙型の青い石が揺れる。

「お揃いだね」

 少し照れくさそうに笑う氷呂に明羽も照れくさそうに笑った。

「行こうか。明羽。氷呂」

 村長の穏やかな声に明羽と氷呂は頷いた。


   +++


 始まりの聖獣は息をはずませながら、光も闇もない空間を切り裂くように駆け抜ける。進む先に目的の人影を見つけて始まりの聖獣は一層息を弾ませた。

「天使殿!」

「聖獣か」

 始まりの聖獣は駆けて行き、始まりの天使に身体を摺り寄せる。そのまま始まりの天使の身体を一周し頭が始まりの天使の腹の位置にくると始まりの聖獣は立ち止まった。柔らかな白い体毛でおおわれた首を始まりの天使がでる。

「明羽と氷呂は」

「暟と共に旅ったよ」

「そうか」

「ところで天使殿。みんなはもう行ってしまったのかな?」

「ああ」

「そっかー」

 始まりの聖獣は残念そうな声を出す。

「挨拶しそびれちゃったな。天使殿の話にみんなはどんな顔してた? 受け入れてくれた?」

 少し前に見た光景を見つめるように始まりの天使は遠くへ目を向ける。

「魔獣に笑われてしまったよ。随分情深い天使になったものだと」

「魔獣殿の言いそうなことだ。まあ。そう言いたくなるのも分からないでもないが。何もないこの場所に生まれた時、僕らは人間ほど豊かな感情を持っていなかった。僕達は随分変わったと思う」

「そうかな。本質は何も変わらないだろう」

「まあ。変わったというよりは身に付いたと言った方がしっくりくるかもしれないね」

「皆、受け入れてくれたよ」

「そうか! それは良かった!」

「明羽と氷呂の話をしたら、私があの世界からすくい上げて皆に返した命の中から、悪魔と精霊がそれぞれひとりずつを差し出してきた」

「やっぱり!」

「やっぱり?」

「そうなる気がしてたんだ。その子達、彼らだろ? あの世界で明羽と氷呂をよく連れて回ってくれた」

「ああ。それと魔獣は魔獣で、別口でひとり飛び回らせると。どこかで見掛けたら声を掛けてやってくれと……何故、私に言うのか」

 最後はただの愚痴になっている始まりの天使に始まりの聖獣は笑う。

「なんにせよ。朗報だ。暟が喜ぶ。で、人間殿と動物殿は?」

 始まりの天使は目を伏せた。

「人間はずっと泣いていたよ。私達と私達の子供達に謝りながら。動物はずっとその側に寄り添っていた」

「そうか。僕らが何を言ってもあの子はずっと自身を責め続けるんだろうね」

「私達にはどうすることもできなかった。「もう迷惑は掛けないから」と言い残して、動物と共にって行ったよ」

「そうか」

 少しトーンを落とした始まりの聖獣だったがはたと気付く。

「動物殿と共に? みんなそれぞれに世界をつくるんだろう? 一緒に発ったところで」

「動物が人間を説得したようだ。人間と動物は共にひとつの世界を創る」

「そうか。いや。でも、少しホッとした。今の人間殿を独りにするのは心配だったが動物殿が一緒なら安心だ。友が側にいてくれるというのはそれだけで心強く、落ち着くものだ」

「ああ。そうしたら悪魔と魔獣もふたりでひとつの世界を創ると」

「あー。悪魔殿は魔獣殿にべた惚れだったものな。魔獣殿もまんざらではなかったようだし」

「ああ。魔獣から声を掛けて悪魔が大喜びしていた」

「魔獣殿から!? それは意外。あの人の本心はついついまで見えなかったなー」

「いつも飄々ひょうひょうと」

「そうそうのらりくらりと」

「こんな話をしていると、いつも、いつの間にか後ろに立っていた」

 始まりの天使と始まりの聖獣は揃って背後を確認してしまう。けれどそこには光も闇もない空間がどこまでも続いているだけだった。

「だが、あのリーダーシップはなくてはならないものだった」

「だよねー。魔獣殿がいなかったら絶対に話しまとまらなかったよね。実験的に創った世界だったとはいえ、ちゃんと世界の形になったのは魔獣殿がいたからだ」

「まったくだな」

 始まりの聖獣はゆっくりと息を吸う。

「あの世界は僕達の夢の箱だった」

「ああ」

「壊れてしまって、とても残念だ」

「そうだな」

「そういえば精霊殿は?」

「うん?」

「人間殿と動物殿。悪魔殿と魔獣殿。精霊殿は? 誰かと共に行くと? 悪魔殿とは相性が悪いから一緒に行くことはまずないと思うけど」

「精霊は自分の為の楽園を創ると意気揚々いきようようとひとり発って行ったよ」

「では、天使殿は?」

「私? 私は……」

 始まりの聖獣がジッと始まりの天使の顔を見つめる。始まりの天使は一度遠くへ目を向けてから一度、二度と瞬きを繰り返し、始まりの聖獣へと目を落とす。

「共に来るか?」

「もちろんだとも!」

 張りのある声を上げると始まりの聖獣は瞬きの間に獣の姿から人の姿へと変化する。

「天使殿。手をつなごう」

 薄い青色のハイライトの差す柔らかな白い髪を揺らして微笑んだ少年に、始まりの天使は少しばかり目をらしてからうなずいた。

 始まりの聖獣が差し出していた手に始まりの天使がそっと手を乗せる。始まりの聖獣は始まりの天使の手を握って意地悪いじわるく笑った。

「照れちゃって」

「照れてなどいない」

「またまた」

 不自然に声を低くした始まりの天使を笑って、始まりの聖獣は歩き出す。始まりの天使はその自分と比べて小さな歩幅ほはばに合わせて歩き出す。

「天使殿。何故なぜ、僕が人化するようになったか言ってなかったよね」

「理由があるのか?」

 始まりの聖獣は無邪気むじゃきに笑う。

「こうして、天使殿と手をつないで歩きたかったからだよ。まさか子供達にまで伝播でんぱするとは思わなかったけどね~」

 隣を歩く聖獣の言葉を聞きながら、始まりの天使は暫く黙っていた。


   +++


 光も闇もない空間を明羽と氷呂と村長はゆっくりと歩く。

「村長は良かったの? 母様に頼まれたとはいえ、私達に付いて来ちゃって」

「うん、まあ。確かに断れなかったというのはあるけど。それを踏まえても僕は今とてもワクワクしているんだ」

「へえ?」

「明羽。氷呂。僕はあの世界でずっと村を守っていた。覚えてる?」

「もちろん!」

「もちろんです」

 明羽と氷呂は力強く頷く。

「僕はずっとずっと長いこと村から出ることができなかった。不満はなかったよ。でも、今、僕は自由で、戸惑うぐらい自由で、どこにでも行ける。これを謳歌おうかしなくてどうするというんだろう。それに村のみんなのことが気に掛かってるんだ。僕達はこれから世界から世界を飛び回るんだろう? みんなにも会えるかと思ってね。安否を確かめて安心したい」

 村長が白い尾を一振りする。明羽と氷呂は顔を見合わせた。

「村長は今でも村長なんだね」

 明羽と氷呂は笑う。それを見て村長は少し恥ずかしそうに微笑んだ。

「そういえばもう村はなくて、僕も村長ではないんだったね」

「でも、村長は村長だった。私はこれからも村長を村長って呼びたい」

「ええ? 村を持たないのに村長かい?」

「ダメかなあ?」

「状況としてはおかしいですけど。私も村長のことは村長と呼びたいです」

「氷呂もか。まあ、僕も呼ばれ慣れてるし。ふたりがそうしたいというなら。いいか」

 村長は気を引き締め直し、胸を張る。

「それはそうと僕は僕のことより君の事の方が気掛かりだ」

「私?」

 明羽は自分を指差した。

「明羽は良かったのかい? また勝手に役割を負わされたんじゃないかと思ってね」

 明羽を見上げる村長の薄紫色の瞳に明羽は少し困ったように笑う。

「まあ、確かに。何にも知らないまま私はあの世界で生きてたけど。村長。私は幸せだったよ。幸せだったんだ。それに、今回は前とは違うよ。母様は願ってくれた。私が自由に飛ぶことを。だから私は飛ぶんだ。母様が願ってくれたままに。自由に。どこまでも」

「そうか」

「それに村長が村のみんなに会いたいように私もみんなに会いたい。その他にもね、あの後どうなったか気になる人達がいるんだ。だから、母様が新たにくれたこの役割は私にとって願ったり叶ったりなんだよ」

 うれいなく笑う明羽に村長は安堵あんどする。

「そうか」

「うん!」

「明羽」

「ん? どうかした? 氷呂」

 氷呂が指差す方を見て明羽は顔を輝かせる。三人が向かう先にはふたつの人影が立っていた。片や紫黒しこくの髪に闇色の瞳の長身の青年。片や青灰あおはい色の髪に薄青色の瞳の色白の美しい女性。

「標ー! 夏芽さーん!」

「明羽ちゃん! 氷呂ちゃん!」

 夏芽が駆け寄って来た明羽と氷呂を抱き締める。

「こんな形で再会できるなんて思わなかったわ!」

「私も思ってなかったよ!」

「思ってなかったです」

「思ってなかったよなあ」

 標が夏芽の腕の中の明羽と氷呂の頭を撫でる。

「標、夏芽」

「村長」

 夏芽は明羽と氷呂を離すと変わって村長を抱き締める。

「ご無事で何よりです」

「無事というかなんというか。始まりの天使様様といったところかな」

「始まりの天使様ですか」

「俺達は気付いたらここにいたからなあ。何が何やら」

「ただ漠然ばくぜんと待ってればいいんだなって、標と意見が一致して」

「ここで待っていたという訳か」

「そうなんです」

「母様がごめんなさい」

 明羽が謝って標と夏芽は首を傾げた。村長は、明羽と氷呂と、始まりの天使と始まりの聖獣の関係を述べる。と、標と夏芽は絶句した。そして、標と夏芽が何故ここで待たされていたのかを村長が説明すると、標と夏芽は目を見開いた。

「私達も明羽ちゃんと氷呂ちゃんと一緒に」

「世界から世界を渡り歩く。ですか」

「い、嫌かな?」

 明羽の不安そうな顔に標と夏芽は苦笑した。

「そんなこという訳ないでしょう」

「喜んで。同行させてくれ」

 明羽は満面に笑った。


   +++


 緑を帯びた黒髪を左耳の後ろでたばねた少女は、いまだ見るものの少ない新たな大地を踏みしめる。その隣には青く長い髪をハーフアップにした少女が寄り添い。ふたりの側には紫黒の髪の長身の青年と、青灰色の髪の色白の美しい女性。そして、太陽の光に白い体毛をにしきに変える獣が立っていた。

 風が吹く。

 青い髪の少女の胸元で涙型の青い石が揺れる。同じものが緑を帯びた黒髪の少女の耳元でキラリと光を放った。

                                  了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る