第10章・世界の終わり(3)

   +++


 明羽と氷呂に噂されていることなど知るよしもない黎とトリオは補給の為に立ち寄ることを予定していた小さなオアシスの中にいた。トリオは買い入れたものを車に積み込んでいく。

「いつもより燃料の消費が激しい気がする」

「買い込み過ぎたか?」

「あれじゃないか? いつもよりひとり多いから」

「俺はそんなに重くないぞ」

 幌に覆われた後部座席の影に溶け込みながら黎が抗議した。そんな黎にトリオはなんだか嬉しそうに笑う。

「なんだ?」

「いえ。幸運だなって」

「あの標を育てた人と行動できることに今更いまさらながら実感し始めてて」

「噛み締めてるんです」

「そうか」

 黎はいつも通りの声色で返事をした。内心では標がしたわれていることに感慨深かんがいぶかく思っていたがそんなことはおくびにも出さない。そんな他愛もない話をしながら着々と準備を進めているとトリオの耳にオアシスの住人達が話している声が聞こえてくる。その不穏ふおんな内容にトリオは大いに取り乱した。

「ど、どうゆうこと?」

「今の話。本当かな?」

「まずいよな。これ本当ならまずいよなっ」

「落ち着け。周りの人間に不審ふしんがられるぞ」

 黎の小声の指摘にトリオは息を呑んで直立した。不安と動揺を隠しきれていないトリオに黎は静かに言う。

「調査は中止だ。村に戻るぞ」

 トリオはそろって頷いた。


  +++


 その日、村の上空は晴れ渡っていた。明羽は青い空を背景にするアサツキを見上げる。

「先生、本当に行っちゃうの?」

「ああ。長居しないと言ったのにすっかりくつろいでしまったからな。さすがにそろそろな」

 村の入り口に大きな荷物を背負ってすっかり旅支度の整ったアサツキとリュウガが並んで立っている。リュウガはわざとらしくため息をつく。

「村のみんなはまだ居てくれていいって言ってくれてるのにさー」

「そうゆう訳にはいかないだろう」

 言い合うアサツキとリュウガに村長と夏芽が近寄る。

「君達が村に滞在している間、村人達はみんなとても楽しそうだった。僕は君達を友人として見送りたいと思う。これからの君達の幸運を祈っているよ」

「光栄です。予定より長居させてもらったうえにこんなにたくさんのお土産をいただいて」

「食べ物ばかりになってしまったが」

「俺達人間は食べ物がないと生きていけません。これから先行き不透明な俺達の旅路にこれほど心強いものはありません」

 アサツキの言葉に村長は深く笑う。

「気を付けて」

 村長の言葉が途切れるのを待っていた夏芽が口を開く。

完治かんちおめでとう。古傷が痛むことは避けられないだろうけどそういう時は無理しないで休むのよ」

「ありがとう。夏芽。あなたの顔色も大分良さそうだ」

「あはは。心配してくれてありがとう。気を付けてね。じゃ、標。後は任せたわよ」

「おう。アサツキ、リュウガ。準備はいいか?」

 幌のしっかりと張られた車の側に立っていた標がふたりに声を掛ける。

「ああ。適当なオアシスまで頼む。そこからは自分達でなんとかする。最後まで悪いな」

「お安い御用。アサツキとリュウガを送ったら俺も仕事再開だ。しかし、寂しくなるな」

 アサツキは苦笑する。

「標までそんなこと言わないでくれ。ほら。リュウガ。行くぞ」

「ぶー」

「よし。行こう」

 全然その気じゃないリュウガをアサツキは車に押し込もうとする。

「リュウガー」

 アサツキの手にささやかに抵抗していたリュウガは聞こえてきた声にその手をすり抜けた。村の中から子供達が駆けて来ていた。その中には夕菜の姿もある。

「ガキ共!」

「リュウガー!」

「行かないで」

「寂しいよっ」

「ガキ共―――!!」

 リュウガは駆け寄って来た子供達を抱き締めた。アサツキはため息をつく。その側で標は笑っていた。

「すっかり馴染なじんじまってたもんな」

「笑いごとじゃないんだが」

「ほら! アサツキ! ガキ共もこう言ってることだし」

 振り返ったリュウガにアサツキは腕を組む。

「分かった」

「アサツキ!」

「リュウガ。お前は残れ。俺は行く」

「ええ!?」

「標。出してくれ」

「いいのか?」

「ああ」

 ひとりで車に乗り込んだアサツキにリュウガは車と子供達を焦ったように見比べる。標は暫し様子を見てから運転席に乗り込んだ。それを見たリュウガは意を決したように立ち上がる。

「ごめんな! ガキ共、お別れだ!」

 子供達の残念そうな声にリュウガは背を向けた。運転席に座る標はバックミラー越しに後部座席に座るアサツキを見る。

「これも計算のうちか?」

「いや……。リュウガが本気なら置いて行くのもいいかと思ったんだがな。うまくすればこれで腐れ縁も切れるかと」

「本心か?」

 アサツキは少し間を開けた。

「本気で望んでいるような気もするし、そうでもないような気もするし」

 幌のジッパーを開けてリュウガがアサツキの隣に乗り込む。

「アサツキ。俺を置いて行こうなんてするなよな。俺とお前は一心同体だろ?」

アサツキはただリュウガを見返した。

肯定こうていしろよー」

 子供達と離れるのが寂しいのかアサツキに置いて行かれそうになってあせったのか、はたまたその両方か。泣きべそをかきそうなリュウガにアサツキは最終的に困ったように微笑んでいた。

 アサツキとリュウガの乗り込んだ車を明羽は見つめる。

「本当に行っちゃうんだなあ」

「寂しいね」

「今度会えるとしたらいつかな?」

「明羽は次を疑わないんだね」

「その方が楽しいじゃん」

 明羽は氷呂を振り返って寂しさを隠すように笑う。氷呂はそんな明羽に答えるように優しく微笑んだ。

「うぅ……」

 聞こえてきた嗚咽おえつに明羽と氷呂が見ると謝花が両手で顔をおおっていた。

「寂しい……」

 人間恐怖症の筈の謝花の呟きに、明羽はその肩を強く抱いた。明羽と氷呂と謝花はその気持ちを共有してお互いの肩を抱いてなぐさめ合う。明羽は不意にリュウガの言葉を思い出した。

『信じることはできても理解し合うことなんて人間同士でもできないんだから、種族が違えばより一層理解し合えないのなんて当然だろう?』

 明羽は謝花の気持ちを理解できると思う。この気持ちがただの思い込みだなんて思いたくないと明羽は強く思った。

 標が車のエンジンを掛ける。明羽と氷呂、村長、夏芽、謝花や子供達に見送られてアサツキとリュウガを乗せた車がいよいよ出発という時、

「ん?」

 標は村の外から近付いてくる黒い点に気付く。

「んんん?」

 標が目を凝らしてる時、夏芽は両耳に手を添えていた。

「このエンジン音……」

「おーい!」

「みんな大変だー!」

 晴れ渡った空の下。村に近付く見慣れた車からトリオが身を乗り出して叫ぶのを標は見る。

「あいつらどうして……。悪い。ちょっと待っててくれ」

 後部座席のふたりに断って標は車を降りる。間もなくトリオの乗る車が村に入って停車した。

「標―――!!」

「お!?」

 トリオが標に飛び付いた。

「大変なんだ。標!」

「大変なんだ。標!」

「大変なんだ。標!」

 入り口での騒ぎにそこにいなかった村人達も集まってくる。

「お前達なんで……。行って帰って来たにしちゃ早過ぎる」

「途中で引き返してきたんだ」

「補給で寄ったオアシスでとんでもないこと聞いちゃってっ」

「とりあえず落ち着け。深呼吸しろ」

 標に言われるままトリオは三人揃って深呼吸する。深呼吸したが呼吸が整っているとは言えないままトリオは言う。

「北から人間が攻めてくる!」

「……何?」

 車から黎も降りてくる。

「正確には人間やそれ以外の種族など関係なく、怪しい者は手当たり次第に捕まっているという話を聞いたんだ。まあ、つまるところ、人間は本気で俺達を駆逐くちくする為の行動に移ったらしい」

「おっさん。ちょっと、待て……。どういう」

「捕まるだけじゃない。抵抗する奴はこ、ここここ、殺されることもあるって!」

 多くの人が集まっているにも関わらず村の入り口は静まり返る。トリオだけが自分達が発した言葉にブルブルと震えていた。明羽と氷呂と標は同じ言葉を思い出していた。もう随分と前のように感じられる。けれど実際にはそれほど古い記憶ではない。赤黒い制服を着込んだ男達が発した言葉。

 ―――『亜種殲滅作戦あしゅせんめつさくせん』。

「……その話に信憑性しんぴょうせいはあるのか?」

「しんぴょうせい?」

 標の問いにトリオがポカンと口を開けた。

「あ、あれ?」

「そういえば」

「俺達テンパっちゃって」

「お前らな……」

「俺は事実だと確信しているがな」

 強すぎる太陽の光に黒い毛並みを時々金色に変えながら黎が腹の底に響く重低音で言う。

「通りで地の底がざわついてる。標。貴様もなんだか覚えがあるようじゃないか?」

 恐ろしいものを直視する覚悟ができていないのを見透かされて、標は小さく舌打ちして目を反らした。標は目を反らした先に立っている夏芽に目を見張る。

「夏芽?」

「大丈夫よ」

 夏芽はどこかさとったように地面を見つめた。その側で村長が心配そうに夏芽を見上げる。明羽は忘れていた訳ではないと胸の内でつぶやきながら隊長に捕まっていた時のことを思い出していた。

「……本当に? ……始まったってこと?」

 明羽が急に膨らみ始めた不安に震え始めた自分を抱き締めていると、氷呂が明羽を抱き寄せた。その温かさに明羽の震えは嘘のように治まる。

 村人達が不安の声をさざ波のように広げていく。村人達のささやき声を聞きながら標はうなる。

「本当にここまで来るのか? 北からこんな南の果てまで?」

「奴らは執念しゅうねん深い。来るだろうな」

 黎の声色はいつもとあまり変わらない。トリオは自信なさげなまま続けて言う。

「人間の王様はこの作戦にかなり力を入れてるらしくて、殲滅隊にはかなりの規模を投入してるって」

「北の役人を中心に世界中から役人を集めて、それだけじゃなくて狩人も投入してるって」

「でも全体の指揮を執ってるのは人間の王様じゃなくて第二王子だとか」

「嘘だ!」

 外のただならぬ様子に車から降りていたリュウガが肩をいからせていた。アサツキがリュウガの肩を掴む。

「リュウガ」

「止めるな。アサツキ。これだけはゆずれねえ。トーリは絶対そんなことしない! あいつは凄く優しい奴で頭もいいんだ。そんなことする訳ない!」

 力説するリュウガを黎が見据みすえる。

「だが事実だ」

「亜種嫌いの親父ならいざ知らず……そうだ。全部親父の策略だ! トーリが指揮取ってるって嘘の噂流してるんだ」

「なんの為に?」

「なんの為……?」

 リュウガは首を傾げる。

「なんの為?」

 リュウガは腕を組んで熟考じゅっこうし始める。黎はため息をついた。

「話にならんな」

「ため息つくな! 今考えてるだろっ」

「俺もトーリ様が率先してそんな作戦に加担しているとは思えない」

「先生」

 明羽はアサツキを見上げる。

「リュウガには悪いが可能性があるとしたら王が何か吹き込んだんじゃないだろうか」

「それだ!」

「リュウガ。人を指差すな」

「悪い! でも、それなら納得がいく。トーリは優しいから親父に言われて逆らえなかったんだ。きっとそうだ」

 リュウガはひとりでうんうん頷いた。

「そのなんとか作戦が始まってんのは間違いないんだよな」

「間違いないだろうな」

「その指揮をってるのがトーリなんだよな!」

「そうだ」

「なら。俺がトーリに話を付けてくる。トーリを説得できれば作戦自体を止められるってことだろ」

「まあ。眼前の危機は取り払えるかもな」

「よっしゃ! 行ってくる! 亜種は怖いもんじゃないって俺がトーリに教えてやる!」

「大した自信だな。勢い余って村のことまで話すなよ」

「そこは俺が目を光らせておきます」

 黎とリュウガの会話にアサツキが割って入った。

「標。悪いんだが。車を一台貸してほしい。狙われているのは君達だ。君達を危険にさらす只中ただなかに、連れて行ってくれなんてとても言えない。だが、俺達には足がない。必ず戻ってくる。だから、どうか」

「アサツキ―――!!!」

 嘆願たんがんさえぎられてアサツキは眉間にしわを寄せる。

「うるさいぞ。リュウガ」

「一緒に来てくれるんだな。アサツキ」

「お前は運転できないだろ」

「運転はできるぞ」

「一生目的地には辿り着けないけどな」

「お前達が人間を止めてくれるって言うなら俺達にとっては願ってもないことだが」

「必ず止めてくる」

 アサツキの決心を固めた瞳に標は頭を掻く。

「リュウガじゃなくてアサツキが言うんだな」

「俺だってちゃんと止めるつもりだぞ!」

「うん。そうだよな」

 標は目線を落とす。

「駄目だなんて俺達が言える訳がないんだ。お前達の成功に俺達の命運も掛かってる。そうなんだよな……。よし。できれば返してほしいと言いたいところだが気にするな。持っていけ」

 標が笑い、アサツキがホッとしたように微笑む。

「期待しててくれ」

「任せた」

 標とアサツキが拳を軽くぶつけ合う。アサツキはさっきまで標が乗っていた運転席に乗り込んだ。それを見ながら標は腕を組んだまま少し肩をすくめて独りちる。

「任せるとは言ったが少し心苦しいな。でも、今回ばっかりは人間じゃない俺達が行っても相手を逆撫さかなでするだけだろうし」

 明羽は身体の奥底がざわりと動くのを感じた。酷く落ち着かない気分になって車に駆け寄る。

「先生。私も連れて行ってほしい」

「明羽!?」

 標が頓狂とんきょうな声を上げた。助手席からリュウガが身を乗り出す。

「お! 一緒に行くか。明羽」

「リュウガ」

 能天気に笑って言ったリュウガをアサツキは座席に押し戻す。標が運転席と明羽の間に立ち塞がった。

「何言ってるんだ!?」

「標。ごめん。自分でも分からない。なんだか行かなくちゃいけない気がするんだ」

「明確な理由があっても許可なんてできないのにそんな曖昧あいまいな言い分で俺を説得できるなんて思うなよ!?」

「ううぅ……」

「明羽がその気なら俺は明羽も連れて行きたい!」

「リュウガ!?」

「実物がいた方がどれだけ天使が美しい生き物か説明しやすい。視覚的に訴えられる」

「そんな危険は犯せない」

 アサツキは標に同意を示す。

「明羽。氷呂のところに戻れ」

「氷呂……」

 明羽はハッと氷呂を振り返る。氷呂は明羽の側に静かに立っていた。

「氷呂。ごめん。私、また……。でも」

「明羽。私は止めないよ」

「氷呂!?」

「氷呂!?」

 標とアサツキがそろって驚きの声を上げた。氷呂は明羽の両手を握る。

「でも、どうしても行くって言うなら今度こそちゃんと私も連れて行って」

「氷呂」

 明羽はギュッと目をつむって氷呂の手を握り返す。

「うん。一緒に行こう」

「いやいやいやいやっ。夏芽! 夏芽からもなんか言ってくれ」

 標が夏芽を振り返ると夏芽の身体が前傾ぜんけいに倒れ込んだ。ドサリと重い音が響き、それを目撃した村人達が動揺する。

「夏芽!」

 村長は瞬きの内に少年に姿を変え、夏芽に手を伸ばす。けれど村長のその細腕では夏芽の身体を起こすことができず、寄り添うことしかできない。標が駆け寄って砂の上に横たわる夏芽の身体を軽々と抱き起こした。

「夏芽!」

 夏芽は浅い呼吸を繰り返す。白い肌はさらに青白くなり、額には大粒の汗が浮かぶ。

「大丈夫……大丈夫よ……。波が……少し、大きな波が来ただけ……」

 息をするのも辛そうに胸を押さえる夏芽の様子に明羽は似たようなことが前にもあったと思い出す。

「夏芽さん。まさか……最近体調崩してたのって……」

「病気じゃないもの……。大丈夫よ……」

「夏芽さん……」

 あの時見た、真っ黒にすすけたオアシスの光景を思い出して明羽の顔が青ざめる。

「先生!」

 大きな音に運転席から降りかけていたアサツキに明羽はすがりつく。

「先生! すぐに、すぐに行かなきゃ!」

「ちょっと待て。落ち着け、明羽。夏芽がこんな状態なのに」

「だからだよ! だから行かなくちゃいけないんだ!」

 何が起きてるのか分からないアサツキは目をしばたく。黎は標に身体を預ける夏芽に一歩二歩と近寄った。黎が村長の側に立ち止まると地面から芽吹いた小さな芽が瞬く間に一本の木へと成長する。落ちる木洩こもれ日に夏芽はうっすらと目を開く。

「……おじ様」

「そうだったな。貴様は聖獣と精霊の間の子だったな」

「はい」

「間の子でこれ程の力を受け継いでいるのは珍しい」

「私自身、知ったのは最近のことです。今まで白い尾が生えていることと少し耳がいいだけだったのに。内に眠っていたのか急に母の力が発現して」

「そうか」

「ありがとうございます。おじ様。普段はまったく平気なのに、今の私には太陽の光が酷くまぶしかったから……」

 夏芽は小さく息を吐くと全身から力を抜いた。その身体を標が支え直す。夏芽の口からゆっくりとした呼吸が繰り返される。

「落ち着いたか」

「そのようです」

 夏芽を抱えて立ち上がった標は明羽と氷呂とアサツキを振り返る。その表情が苦悶くもんゆがむ。

「明羽……」

「標。行ってくる」

 標は苦悶の表情のまま小さく頷いた。

「ちょっと待ってくれ。標。なんで急に明羽が行くことを許可するんだ。夏芽のこともある。明羽は残るべき……」

「だからだよ。先生。夏芽さんがああなってるから私達は行かなくちゃいけないんだ」

「ちゃんと説明してくれ」

 アサツキはいきどおりを隠せない。

「精霊は他のどの種族よりも世界と繋がっている」

 黎の静かな声にアサツキは顔を上げた。黎の言葉に村長が続く。

「だから、世界のどこかで何かが起こると大なり小なり常に感じ取っているんだ。嵐の有無うむ、大勢の人の死など」

「……死?」

「本来、精霊は愛しい者には情深く、関わりのない者には無情。故に世界でどれ程悲惨なことが起こり、それを痛みとして感じ取っていようとどこ吹く風なのだが」

「夏芽は半分聖獣だから。純血の精霊なら受け流すことも容易い世界の変動の波をうまくいなすことができないみたいだ」

 黎と村長の説明を聞いてもアサツキには理解できない。

「私達はもう先生達を呑気のんきに待っていられない。私達は私達の目で何が起こっているのか確かめに行かなくちゃいけない」

「その代表に明羽が行くって言うのか?」

「そうゆう、ことになるね」

 何故、自分なのかと明羽自身が一瞬不思議な気持ちになるが覚悟はすぐに決まる。

「行こう。先生」

「俺は納得してない」

「いつまでうだうだ言ってるんだよ。アサツキ。俺は一刻も早くトーリのところに行きたい。明羽はなんか良く分からんが自分の意思で行くって言ってるんだ。なら連れてってやろうぜ。俺はトーリを説得する材料が増えて万々歳ばんばんざいだし。反対してるのアサツキだけだぞ」

 リュウガが窓から身を乗り出すが、それでもアサツキは安易あんいに頷きはしなかった。

「先生……」

「アサツキ先生」

 氷呂のりんとした声に明羽は落とし掛けた目線を上げる。

「先生。回りくどい話ばかりでごめんなさい。ハッキリ言います。夏芽さんがあれだけ苦しそうにしているということは、一度にたくさんの人が亡くなったということです。人間もそれ以外の種族も関係なく。今、この瞬間に」

 アサツキはポカンと口を開ける。

「ちょっと、待て。ちょっと待ってくれ。黎さんとトリオの話じゃ抵抗した者が殺されてるかもしれないって話だっただろう。夏芽も死を感じ取ってるという話だったが。そんな、そんな……」

 アサツキは氷呂の静かな瞳に見つめられて口を押さえた。

「本当に?」

 いつの間に車を降りたのかアサツキの側に来ていたリュウガがその肩を軽く殴った。

「痛い……」

「あれ? 軽く殴っただけのつもりだったんだけど。ま、とにかく行こうぜ。アサツキ。とにかく行こう。俺達で止めに行くんだよ」

 分かっているのかいないのか、いつも通りのリュウガにアサツキは気持ちを落ち着ける。

「ああ。そうだな」

「よし! 乗れ。明羽。氷呂。運転は任せたぞ。アサツキ」

 リュウガが助手席に戻って行く。

「アサツキ」

 力ない呼び声にアサツキは振り返る。

「標」

「勝手を言う。明羽と氷呂を頼む」

 アサツキは目を伏せた。

「ああ。任せてくれ」

「明羽。氷呂」

 後部座席に乗り込もうとしていた明羽と氷呂に獣の姿の村長が近付く。

「気を付けて。君達ふたりに任せてしまう僕を許してほしい」

 明羽と氷呂は村長の白い体毛に覆われた身体を順番に抱き締めた。

「いってきます」

 アサツキの運転で明羽と氷呂とリュウガを乗せた車が村から走り去る。小さくなっていく車から足元に目を落として村長は友に話し掛ける。

「黎」

「ん?」

「僕の身勝手なお願いを聞いてくれないだろうか」

「俺の足は貴様の足に到底及ばないんだがな」

 黎が地面すれすれで尾を振ると軽く砂が舞う。

過度かどな期待はするなよ。俺にできることなどたかが知れている。まあ、見届けるぐらいはできるだろうが」

「黎」

 一、二歩と歩み出て、黎は振り返る。

「貴様は村人達にいざとなったらすぐに逃げ出せるよう準備させておけ」

 村長の返事も聞かずに黎は消えた車の影を追って駆け出した。

「ありがとう。黎」

 村の守りのかなめであり、村人がいる以上この場から動けない村長は空を見上げ、これ程静かで澄んだ空を見るのはいつ振りだろうと思った。


   +++


 地平線よりわずかに手前で黒煙こくえんが上がる光景をトーリは無感動に見つめていた。いびつな黒い金属製の箱。短期間にもかかわらず改良に改良を重ねて実用にまでこぎ付けた新兵器。その上に設置された椅子にトーリは座っている。黒煙を上げているのはトーリの命令によって焼き払われたオアシスだ。ここまで聞こえはしないが、そこでは両の手の指では足りない数の人間が泣き叫び、逃げまどい、死んでいる。それを分かった上でトーリは頬杖を付きながら青と白のコントラストに黒が立ち上る光景をながめていた。

「第二王子殿下!」

 箱の側面にもうけられた梯子はしごを上った役人は、トーリから数歩離れたところで立ち止まる。斥候せっこうのひとりである役人は震えながらもはっきりと言う。

「恐れながら進言します! このっ、この侵攻は本当に意味のあるものなのでしょうか!」

「何が言いたい?」

「罪のない者が死に過ぎています!」

 役人の顔は青ざめていた。ずっと小刻みに身体を震わせている男がおかしくてトーリは笑う。

「くっくっくっくっ。罪のない者。罪のない者? 奴らは亜種をかくまっていた。それが重罪なのは知っているだろう」

「存じております! しかし! 疑いがあっただけで確認は取れていませんでした! まともな調査もせずに焼き討ちなどっ。それに、各地で暴れ回っている狩人共のおこないは目にあまります!」

遊撃ゆうげき部隊に任命された血気けっきさかんな狩人共が大義名分をて暴れ回っているのは知っている。勝手が目に付くがそれでもさすが亜種を探し出すプロだ。かつてない程の亜種があぶり出されている」

「論点をずらすな! それと同時に多くの民の命が奪われている! 何故分からない! 亜種を根絶やしにする為の作戦に何故罪なき一般市民まで殺さなければいけないんだ!」

「口のき方には気を付けろ」

 トーリの十代とは思えない威圧感と暗い瞳を向けられて役人は一歩後退あとずさる。

「これは我が父、お前達の王の悲願を叶える作戦である。王の願いは民の願い。全てが終われば平和がおとずれる。そのいしずえになれるんだ。喜ばれこそすれ敵意を向けられるいわれはないな」

「そんな……馬鹿な……」

「お前は何故王に背くようなことを言い始めたのか」

「は、え?」

「亜種共の内通者だ。連れて行け」

「ち、違う! 俺は違う!!」

 トーリの背後にひかえていた鮮やかな赤色の制服に身を包んだ者達が役人を引きり下ろす。新設されたトーリの護衛隊の中にはかつて明羽を北の町まで運んだ元隊長と運転手の姿もあった。

「陛下一筋ひとすじだったお人が、まさか親衛隊長の座をしてまでトーリ様の護衛に就くとは思いませんでしたよ。聞きましたよ。立候補したとか。どういう心境の変化です? 隊長、いや元隊長殿」

「口をつつしめ。俺としては貴様が選出されていることに驚きだよ。陛下は一体何をお考えになっているのか」

「疑問は残りますが陛下愛は変わらずですね。ちょっと安心しました」

 ふたりがそんな言葉を交わしている間も聞こえていた役人の叫び声はいつしか遠退とおのき聞こえなくなる。トーリは立ち上がり、黒い箱の上から辺りを見渡した。箱を取り囲むように集められた白い制服の役人達が隊列を組んでいる。急な編成でまとまりには今ひとつ欠けるが、それでもトーリは作戦の成功を確信する。それを裏付けるように、鮮やかな赤色の制服を着た女が抑揚よくように欠けた声でトーリに告げる。

「兵器の整備が終わりました。いつでも照射可能です。ですが、次弾充填じゅうてんまでの時間はおよそ百二十秒。エネルギーにも限りがございますので使用の際は十分に使いどころを見極みきわめてご使用ください」

「分かってる」

 トーリは空をあおぐ。どこまでも澄み切った青い空が広がっていた。目を閉じれば離れているにも拘らず苦い香りが鼻腔びこうを刺激する。目を開き、トーリは改めて肺に空気を送った。

「同志達よ! 友人、知人、家族、弱者を守る為に立ち上がった同志達よ。亜種におびえて暮らすのはもう終わりだ。今多くの犠牲を払おうとも、我々の手で必ず亜種共を根絶やしにする! うれいを失くし、子々孫々の繁栄の為、人間だけの平和な世界を手に入れる。我々の手で必ず手に入れるのだ!」

 まだ若く、幼さの残る声だったが、障害物のない砂漠に良く通ったその声に役人達から雄叫おたけびが上がった。


   +++


 無人の小さなオアシスに後部座席を幌で覆った車が一台停車していた。木漏こもれ日の落ちるボンネットの上に広げた地図上をアサツキが指差す。

「トーリ様率いる亜種殲滅作戦実行本部隊は今、丁度世界地図上のど真ん中に差し掛かっているらしい」

「正しく世界の中心だね」

「ああ……」

「アサツキ先生?」

 地図を覗き込んでいた明羽がアサツキを仰ぎ見る。

「どうかした?」

「いや。それにしても世界の中心かと思ってな」

「何かまずいんですか?」

 氷呂もアサツキを見上げる。

「いや。まずいことなんて何もない、と思う」

「ハッキリしねえなあ」

「なんでリュウガがそっち側から茶々を入れるんだ。まあ、いい。世界の中心。ここはずっと不可侵領域だったんだ。それが暗黙の了解だったというか。別に誰かが決めた訳じゃない。ただ、四大都市は東西南北にあり、点在するオアシスも町を中心に発展してきた。車が開発されて移動が楽になっても世界を横断縦断するような考えを持つ者はいなかった。移動するにしたって人のいる町から町、その周辺のオアシスを移動していくのが最も安全で確実だからだ。世界の中心に誰かが辿たどり着いたと聞いたこともなければ噂もない。だから、世界の中心に何があるのか俺は知らないし、きっと誰も知らない」

「そうなんだ。じゃあ、この情報デマなのかな?」

「そんなことはないと思うが」

「それにしても俺達の指名手配、なんかもう無いも同然だったな。なんだよ。その目は」

 明羽は目を閉じて軽く息を吐く。

「リュウガ。急に話題変えないでよ。今大事な話ししてるのに」

「そんな大事な話ししてたか?」

「亜種殲滅作戦の影響で皆さんそれどころではないようでしたね」

 この無人のオアシスに来る前に明羽達は補給の為に人のいるオアシスに立ち寄っていた。そこでは、第二王子の命令で焼き払われたオアシスと、あちらこちらで暴れ回っている狩人達の話題で持ちきりだった。大いに混乱するオアシスの人々の声を車から降りずに聞いて、明羽達はトーリの現在位置を知り得たのだった。万が一を考えて買い物にはアサツキと氷呂のふたりで出たが、あの混乱状態では明羽とリュウガが出歩いても誰も気付かなかっただろう。

「まあ、とにもかくにもそこにトーリ様がいるのはほぼ間違いない。向こうは虱潰しらみつぶしに亜種を探し回っているからか動きもにぶい。想定より早くぶつかれそうだ。急ごう」

 アサツキが地図を丁寧に畳む。

「先生。それは、そうなんだけどさ。急がなくちゃいけないのは分かってるんだけど」

 少し言いよどむ明羽をかすことなくアサツキは次の言葉を待つ。

「先生。飛ばし過ぎじゃない? 大丈夫? 休憩する頻度ひんども時間も短い気がするんだけど」

「大丈夫だ。緊張している所為せいかあまり疲れを感じない」

「それ大丈夫って言わない」

「後から一気に付けが回って来るかもしれないが今はこれでいい。全部終わってから倒れる分には何も問題ない。心配してくれてありがとう。明羽」

「う~ん……」

 無理をしなくてはいけない今、無理をしないでとも言えなくて明羽は歯切れ悪く黙り込む。

「よし。出発しよう」

 四人を乗せた車は突き進む。一点を目指して。

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