第10章・世界の終わり(2)

 明羽が氷呂に追い付くと村長と標が難しい顔をしていた。

「氷呂に断られるのは想定してたが」

「様子を見に行くだけ行った方がいいと思うかい?」

「確定した訳でもないのにただ何度も見に行くっていうのもおかしな話ですよね」

「……」

「……村長?」

 返事がなくて標が村長に目を向けると村長は何やら考え込むように俯いていた。

「村長。何か気になることが?」

「う~ん。実はこの村には今、僕と氷呂以外に水脈の有無を確かめられる人がいるんだ」

「あ」

 静かにふたりの話を聞いていた夏芽が目を見開いた。人の動く気配にジッと暑さに耐えていたアサツキは顔を上げる。明羽と氷呂と村長と標と夏芽が村の中へと歩き出していた。アサツキとリュウガには目もれない。

「俺達のこと絶対忘れてるよな」

「それだけこの村にとって大事な話をしてるんだろう」

「それにしたってさ、なんか」

「俺達は部外者だ。蚊帳かやの外なのは仕方ないさ」

「見えるところにいろって言われたんだよな?」

「まあ。そうなんだが」

「追い掛けるか?」

「勝手に動き回っていらぬ疑いを掛けられるのも避けたいところだが」

「このままここにいたら俺達干乾ふからびるぜ」

「そう、だな……」

「アサツキがここにいるって言うなら俺はそうするけど」

「う~ん……」

 アサツキは腕を組んで悩み始める。


 囲炉裏端で悠々と寝転がっていた黎が不機嫌そうな声を出す。

「あ? 俺が水脈の調査?」

「君達魔獣は大地を知る者だ。地中深くにある水脈の有無を調べることも可能だ。そうだろう?」

 見つめてくる村長の目を見返しながら黎は一度、二度と尻尾で敷物を打つ。

「まあ。たまには頼みを聞いてやらないこともない」

「ありがとう! 黎!」

 村長は一瞬で姿を本来の獣の姿に戻し黎に突進した。

「やめんか!」

 怒鳴られてもじゃれ付くのをやめない村長に、怒鳴りつつも村長を完全に拒否しない黎に明羽は呟く。

「仲良いんだね」

「昔は兄弟みたいに過ごしてたらしいからな」

「とにかく付き合いが長いのよね」

 明羽は「標と夏芽さんみたいに?」と思いつつも口にはせず、ただ並ぶ標と夏芽を見上げて顔がニヤつくのをこらえた。

「明羽」

「いや、だってさ、氷呂」

 明羽の思考を読み取ってため息をつく氷呂に明羽はそれでも笑いを堪え続けた。


 村の入り口すみの建物の壁際にアサツキとリュウガはいまだに座っていた。あごに流れてくる汗が止めどなくなってきたアサツキの思考がにぶり始める。

「さすがにこれ以上ここに居続けるのはまずいか」

「影なくなってきたな」

 アサツキが額の汗を拭うと目の前に盆に乗せられたカップが差し出される。透明な水がたっぷりとたたえられたふたつのカップにアサツキが顔を上げると、そこには謝花が立っていた。

「先生。どうぞ」

「謝花。ありが」

「おお! 俺の分は?」

「も、もちろん! あります! どうぞ!」

 謝花は腕を精一杯に伸ばしてリュウガにギリギリ届くかどうかという距離に盆を差し出す。

「この子もアサツキの教え子なんだっけ?」

「ああ。そうだ。謝花。こいつはリュウガ。俺の腐れ縁で……」

「アサツキ! この水超ウメエ!」

 水を一口含んで叫んだリュウガに謝花がビクリと身体を震わせ一歩退しりぞいた。アサツキはリュウガを黙らせようと口を開き掛けるがその前にリュウガは謝花に向かって満面に笑む。

「ありがとうな。謝花」

 謝花の瞳から、恐怖心が消え去った訳ではないが確かな小さな光がともった。

「お、おかわりいりますか?」

「いいのか! 頼む!」

 リュウガの大きな声にビク付きながらも謝花はからになったふたつのカップを持って意気揚々いきようようと村の中へと戻って行く。軽い足取りの謝花の後ろ姿をアサツキは見送って目を伏せる。

「お前には驚かされる」

「え? 何?」

「なんでもない」

 アサツキは肩をすくめ、リュウガは首をかしげる。

 村の入り口から去って行く謝花を見送っていたのはアサツキとリュウガだけではなかった。建物の影からアサツキとリュウガを観察していた村人達はにわかに騒ぎ始める。

「謝花ちゃんが頑張ってるのに私達は隠れてるだけ!?」

「あんなに怖がりな子がひとりで人間に近付いたっていうのに!」

「すごい勇気だよね!」

「行くぞ!」

 村人達は一度その場をけていく。


 無事に黎の許可を得られた明羽達が村長の家を出る。

「黎を連れて行くのは標に任せていいかな?」

「もちろんです」

「帰って来たばかりだ。少し休んでから」

「いえ、急いだ方がいいでしょう。それに俺が見つけて来た候補地ですから」

 標と村長が話しているのを背後に聞きながら明羽がふと目を向けると井戸から水を組み上げる謝花がいた。

「謝花? こんな時間に水汲み? にしては入れ物も持ってないか」

「明羽。氷呂。いや、えと、これは、その。アサツキ先生とそのお友達に水のおかわりを持って行くところで」

「アサツキ先生とリュウガ……。あ」

「忘れてたな」

 標が苦い顔になる。

「おかわりっていうことはすでに一回行ったってことだよね?」

 氷呂の指摘に謝花は頷く。

「うん」

「アサツキ先生はともかくリュウガにも持って行ったの? すごいじゃん! 謝花!」

「無理してない?」

「してないよ! あの赤毛の人……リュウガさん。いい人だった」

「まあ。悪い人ではないね。確かに」

 明羽は謝花に一部だけ同意した。

「じゃあこれから戻るところだね。謝花」

「うん」

「まずいわよ。外の嵐で日差しは少ないとはいえ、人間にはつらいんじゃない?」

「俺達も謝花と一緒に戻ろう」

「急いだ方がいいね」

 村長の家に黎を残して明羽と氷呂、村長と標と夏芽と謝花は駆け足で村の入り口へ向かった。

 村の入り口では俯いて暑さに耐えるアサツキとリュウガに謝花に感化された村人達がそろそろと近付いていた。一定の距離を保ったところで立ち止まって手に持っていた布を広げるように投げる。

「てい!」

「わっ!?」

「なんだ!?」

「あ、涼しい」

「……本当だ」

 頭からかぶせられた布の縁をアサツキとリュウガがめくり上げる。

「よし、うまくいった」

 ガッツポーズをした村人達とアサツキの目が合った。

「これは……」

「こ、これはっ! そのっ!」

「人間は暑いのも寒いのも苦手だって言うじゃないか!」

「そ、そうだ! 死なれても寝覚めが悪いから!」

「なんか辛そうだったし布ぐらい恵んでやってもいいかなって」

「何やってるんだい? みんな」

 背後に現れた村長に村人達が飛び上がる。

「村長っ」

「ええっとえっと……」

 しどろもどろになる村人達に村長は少しあわれみの目を向ける。

「一度警戒心を向けた手前、近付き辛いからって変な理由を付けるのはやめようね」

 さとされてショックを受けた村人達がしょんぼりと俯いた。

「ほったらかしにして申し訳なかった。アサツキさん。リュウガさん。建物の中に移動しよう」

「ロープは……もう必要ないな」

 標は苦笑しながらアサツキとリュウガの腰に結び付いたままのロープを回収する。謝花から二杯目の水を貰ってアサツキは落ち込んでいる村人達に目を向ける。

「ありがとう」

 被った布の向こうから細められた藍色の瞳に村人達は少し決まり悪そうに、それでいて恥ずかしそうに、それぞれに微笑んだり目をらした。

「ありがとな! あれ!?」

 前に飛び出したリュウガに対して村人達は大きく退しりぞき、アサツキは黙ってリュウガの首根っこをつかんだ。

 明羽達と別れ、標に連れられてアサツキとリュウガは集会所に戻って来る。

「そろそろ真昼だな。昼飯を持ってくるから涼んでてくれ」

「ありがとう」

 標が去ってアサツキとリュウガが人心地を付くか付かないかというぐらいに集会所の戸が開く。

「先生。リュウガ。お昼持ってきたよ」

「お邪魔します」

 集会所の入り口に立っていたのは明羽と氷呂だった。

「明羽。氷呂。標が持ってくると思ってたが」

「俺もいる」

「私もいるわよ」

 明羽と氷呂の後ろから標と夏芽が顔を覗かせる。

「お昼一緒に食べようと思って!」

 明羽が掲げた籠の中には六人分の昼食が入っていた。

「いいないいな! 賑やかな食事はいつだって大歓迎だ!」

 リュウガが四人をまねき入れ、集会所の中はにわかににぎわしくなる。夏芽が集会所の戸を閉めようとすると広場の方から村長の声が集会所まで聞こえてきた。

「みんな集まってくれてありがとう。明羽達が帰ってくる際に連れていたアサツキさんとリュウガさんの処遇しょぐうについてはもう、みんなの知るところだと思う。明羽を助けてくれた人達だ。僕は彼らを信じようと思う。人間への恐怖心を払拭しろなんて言わない。怖いものを無理する必要はない。言いたいことがあれば何でも言ってくれ。一緒に解決策を考える。それから、話は変わるが村の移転の話だ……」

「集会をしてるんだな。これ以上俺達は聞かない方がいいだろう。夏芽。閉めてくれ」

 アサツキの言葉に夏芽が頷く。

「分かったわ」

「真昼に集会か。信じられないなー」

 言いながらリュウガの興味はすっかり昼食に向いている。夏芽が戸を閉める間も村長の声は響く。

「以前見つけた候補地の水脈の調査に黎が行ってくれることになった」

 村人達から歓声が上がった。

「標が黎を連れて行く。それで同時進行でまた他の候補地を」

「ちょっと待った―――!!」

 村長の声を掻き消したのは一部の隙も無く揃った三人分の声だった。

「トリオ?」

 戸をなかばまで閉めていた夏芽の手が止まる。そんな夏芽の肩越しに標は広場の方に目を向けた。

「今のトリオだったよな?」

「間違いないわ。どうして」

「俺達が黎さんを連れて行きます!」

「何言ってんだあいつら」

「君達には同時進行で新しい候補地の探索に向かってもらおうと思ってたんだが」

「そっちも俺達が行きます!」

「……ん? ちょっと言ってる意味が」

「村長が困惑してるじゃん」

「明羽」

 標が振り返ると集会所の入り口に立ちっ放しの標と夏芽に明羽と氷呂も近付いて外に目を向ける。

「朝にも言いましたが! 標は帰って来たばかりで疲れてます!」

「俺達だって標の変わりができるように、なる!」

「つまり、ひとりかふたりが黎を連れて水脈調査に向かって残りが候補地探索に向かうということかな?」

「いえ、俺達は三人で一人前なので。別行動はしないです」

 トリオの言葉に村長の声が途切れた。

「トリオ……」

「村長……」

 標と夏芽が蟀谷こめかみを押さえた。

「ちょっと俺行って……」

「優先順位は水脈の調査ですよね!」

「俺達は少しでも標や夏芽や明羽さんや氷呂さんに休んでもらえたらと思って」

「候補地探しは時間差でっ。俺達の帰りがあんまり遅かったら標に行ってもらう……とか……」

 自分達の言ってることの情けなさにトリオは言葉を濁し始める。

「分かった。そこまで言うなら」

「村長!」

 トリオの声が明るくなった。

「君達のやる気を尊重しよう。働きくしの標と夏芽には少しばかり休暇を取ってもらおうか」

 歓声が上がり、村人達がトリオを応援したり労ったりする声が聞こえてくる。明羽は標と夏芽を見上げる。

「だって。標。夏芽さん」

「休暇……」

「休暇かあ……」

 唐突とうとつに与えられた休暇に標と夏芽は遠い目になった。ふたりの様子に氷呂が小さく笑う。

折角せっかくだからいいんじゃないですか」

 村長の声は続く。

「では水脈の調査に出発する日取りを決めたいが」

「すぐにでも出られますよ!」

「そうだよね」

 村の入り口にはトリオが準備した車が今もそのままになっている。

「う~ん。黎には急なお願いだったから。黎が言いと言ったら出発にしようか」

「村長。その黎さんですが既に車に乗り込んでるみたいです」

「え」

 村人の指摘に村長が白い形の良い三角形の耳をピコピコと動かす。と、当時に氷呂も耳を澄ました。

「本当だ」

「先生。リュウガ。ちょっと行ってくる」

「分かった。気を付けて」

「ええ~。昼飯」

「すぐ戻るから」

「絶対だからな!」

 明羽と氷呂と標と夏芽は集会所を後にした。広場からは村長を先頭に村人達が移動し始める。


 村の入り口に置きっぱなしだった車の側に一本の緑濃い木が立っていた。明羽がかつて見た巨木ほどの大きさはないが、車に影を落とす、今まで村になかった筈の木の存在に村人達は目を見張る。薄い木漏れ日の落ちるほろさらに中、暗い後部座席で黎は寝そべっていた。近付いてくる気配に黎は目を開ける。その気配の多さに黎は恐る恐る幌の後部に設けられたビニール窓から外を覗いた。車を取り囲んだ村人達は黎の生やした木を見上げて「すごいすごい!」とはしゃぎ声を上げる。その迫るような声の多さに黎は呆気に取られる。後から近付いて来た気配に黎は声を荒げた。

「何の騒ぎだ!」

 標が開けてできた幌のジッパーの隙間に村長が顔を突っ込む。

「黎。君こそ何故もう車に?」

「俺が行くことはもう決まっていただろう。それに、家の前で集会なんぞ始めおってからに。うるさくて眠れんかったから移動したんだ!」

「裏口からか」

「黎ちゃん。大丈夫?」

「大丈夫だ」

 覗き込んで来た明羽に黎は低い声で言う。

「でも、耳は垂れてるし尻尾は巻いてるよ?」

 黎が仏頂面になった。村長が尻尾を一振りする。

「黎。君の都合を聞こうと思ったんだ。黎と一緒に行くのはトリオになった」

「あの純血悪魔三人組か」

「トリオはすぐにも出れると言っているんだが」

「すぐに出るぞ! トリオを呼べ!」

 黎の叫び声に慌ててトリオが車に乗り込み、間もなく四人を乗せた車は村を出発する。黎が村から離れたからなのか、黎が意図的にそうしたからなのか分からないが、村の入り口に突如とおつじょ現れた木は、生えて来た時と同様に、忽然とその姿を消した。木の生えていた地面には何の痕跡こんせきもなく、村人達は落胆のため息をつく。

 既に村の外の嵐に影も形も見えなくなった車に明羽は呟く。

「気を付けて」

「大丈夫よ。おじ様が一緒なんだから」

「夏芽さん」

「標さんはどうしたんですか?」

 氷呂の言葉に明羽が辺りを見渡した。

「本当だ。いない。いつの間に?」

「おじ様の弱弱しい姿がショックだったみたいでどっか行っちゃったわ。まあ、標にとっておじ様は理想だったから。でもすぐに切り替えるわよ」

「そっか。私は震えてる黎ちゃん可愛かったけどな」

「あはは。それ、おじ様が帰ってきたら言ってみなさいよ」

「やだよー。雷落ちるよ」

「あはは」

「もう、明羽も夏芽さんも」

「呆れないでよ。氷呂ちゃん」

 夏芽はしばらく笑っていた。


   +++


 黎とトリオが村を出てから数日が経つ。

「平和だ」

「平和だね」

 経糸たていとの中をくぐる音が集会所の中に響く。通した緯糸よこいとおさで手前に打ち込むと、氷呂はペダルを踏んで経糸の上下を入れ替えた。機織はたおり機の側に座り込みながら明羽は氷呂のたてる規則正しい機織りの音を聞いていた。

「楽しい? 氷呂」

「うん。明羽も側にいるしね。集中できてる。楽しいよ」

「良かった」

「明羽は畑の方、どう?」

「うん。もう全部いちいち私が確認する必要とかないからね。綿花の栽培に集中させてもらってる。移動する前に種を増やしておきたいと思ったんだけど、植物は一朝一夕いっちょういっせきでできないからさ。どうにか苗を持って行けないかと畑のみんなと相談中」

「明羽も楽しそう」

「まあね」

 明羽と氷呂はとてもおだやかな日々を堪能していた。明羽と氷呂だけではない。村はとても久しぶりに穏やかな雰囲気に包まれていた。一寸先も見えなかった暗闇に一筋の光が差したような。今、村はかつてない程前向きになっていた。そんな穏やかな気持ちのまま明羽は天井を見つめ、ふとここ数日気になっていたことを口にする。

「そういえばさ。最近夏芽さん見てないよね。それと同時に標にもあんまり会ってないような」

 氷呂の手が止まる。黎とトリオを見送ったあの日を境に夏芽の姿を見なくなっていた。

「そうだね。後でたずねてみよう。一段落するまでちょっと待って」

「うん」

 が経糸の中を飛ぶ音が再び集会所の中に響き始めた。


 氷呂の機織りが一段落してふたりが中央広場に近付くと、子供達の楽しそうな声が聞こえてくる。

「謝花が子供達と遊んでるのかな?」

 ふたりが石畳を踏むとリュウガが片方に一本の角を生やした女の子を抱え上げる光景が明羽の目に飛び込んでくる。

「捕まえた!」

「セクハラ!」

「なんでだよ!?」

 明羽とリュウガのテンポの良いり取りに広場に笑い声が上がった。

「冗談冗談」

「急に現れてとんでもねえこと言いやがって。俺の名誉めいよの為に断じて! 俺はロリコンじゃないことを主張する! そう思い込まれてるのだけは我慢ならねえ。考えを正してくれ!」

「ご、ごめん。本当に今のは冗談で、リュウガが子供心を忘れてないだけの大人だって分かってるよ」

「よし!」

 リュウガが女の子を降ろすと、女の子は楽しそうに広場の端へと駆けていく。広場の端にはリュウガに捕まったらしい子供達が集まっていて、井戸の側に向けて声援を送っていた。

「頑張れ!」

「捕まるな!」

「あと三人だ!」

 リュウガと三人の子供達が井戸の側で睨み合う。

「鬼ごっこ?」

「おう! 何故か俺がずっと鬼だ」

 子供にも手加減しないリュウガを容易に想像できた明羽は、逃げ手になったリュウガを永遠に捕まえられない子供達の白け顔まで想像して半笑う。

「子供に鬼やらせるなら子供達全員が鬼でリュウガひとりが逃げるんだね」

「何!? それじゃあ俺対ガキ共の構図に何も変わらないじゃねえか!」

「楽しそう!」

 子供達がリュウガに駆け出していた。

「おお? やるかガキ共!」

 現在のゲームはご破算はさんになったのか飛び付いてきた子供達を背に腕に腹に腰に乗せたままリュウガはくるくると回り始める。

「プロレスごっこになった」

 明羽が広場を見渡すと端にまた違う子供の集まりが目に入る。その中にいるアサツキは身体を動かすより考えることを得意とする子供達相手に組み紐遊びを教えていた。アサツキとリュウガがすっかり村に馴染なじんでいる光景に明羽はにんまり笑う。楽しそうな声を上げる子供達とリュウガを邪魔しないように明羽と氷呂はアサツキの方へ向かった。近付いて、明羽はアサツキの周りに集まる子供達の中に謝花と夕菜ゆながいることに気付く。

「謝花。夕菜」

「明羽」

「氷呂ちゃん」

「そういえば、子供達の声が聞こえてきた時てっきり謝花が子供達と遊んでると思ったんだけど」

 氷呂の言葉に謝花は頭をく。

「いやー。リュウガさんが子供達の相手し始めたら私付いて行けなくて。いつも子供達に手加減されてたことに気付かされちゃった。実はそれで今ちょっと傷心中なんだ……」

 話ながら泣き笑い始めた謝花を明羽と氷呂、夕菜が慌ててはげます。

 謝花が落ち着いて、一息ついた明羽は謝花に気を取られて忘れていた目的を思い出す。

「謝花は夏芽さんが今どうしてるか知ってる?」

「え」

 と言ったまま次の言葉が続かない謝花に明羽は一歩詰め寄った。

「謝花?」

「そういえば最近見てないな。標ならさっき見掛けたんだが」

「標?」

 明羽はアサツキを振り返る。アサツキは広場から伸びる道の一本を指差した。

「診療所の方だ」

「夏芽姉様。動けるようになったのかな?」

「謝花?」

 氷呂に名を呼ばれて謝花はハッと口を押さえた。

「謝花。何か知ってるの?」

「動けるようになったってどういうこと?」

 明羽と氷呂に詰め寄られて謝花は涙目になった。けれど明羽と氷呂は村の支柱しちゅうたる人物の不在に引き下がる訳にもいかず、謝花を見つめ続ける。謝花も粘るが、粘り負けて観念する。

「夏芽姉様に口止めされてたんだけど」

「口止め?」

「夏芽姉様。黎おじ様とトリオを送り出した後から体調くずし始めて。医者が倒れるなんてしめしがつかないからって黙ってるようにお願いされて。村のみんなが怪我したり、具合悪い時に診療所に行って夏芽姉様がいなかったら私のところに来るのがいつの間にか当たり前になってたから。ここまで何とかなってたけど……。さすがにもう厳しいよね」

「そうだったんだ」

「夏芽さんの体調が悪い理由は知ってる?」

 謝花は首を横に振る。

「先生。標。あっちに行ったんだよね」

「ああ」

「とりあえず標に突撃してみよう」

「私から聞いたって夏芽姉様には言わないで」

 か細く言った謝花の肩を明羽は掴む。

「言わないよ。謝花だってそろそろ隠し通せないって気付いてたんでしょ? 私達がその証拠。つまり他のみんなも気付き始めてるってこと。ね。氷呂」

「うん」

「……うん」

「教えてくれてありがとう。ちょっと行ってくる」

「後で報告するから」

 明羽と氷呂は謝花と夕菜とアサツキに手を振り、こちらになど見向きもせずに遊ぶリュウガと子供達を横目に広場を後にした。道すがら世間話に花を咲かせる村人達に挨拶をして明羽と氷呂は診療所の前に辿り着く。

「開いてる」

 明羽が開いたままの診療所の戸から中を覗き込むと薄暗い診療所の中には見慣れた黒い服の後ろ姿があった。

「標」

「ん?」

 薬棚を物色していた標が振り返る。

「明羽と氷呂か」

「夏芽さんがいない診療所で何やってるの?」

「あー、うん、まあ」

 標は歯切れの悪い返事をして、今一度薬棚に目を向けると、幾つかの瓶を手に取って診療所の外へと向かう。

「お前達はなんで診療所に? 怪我したようにも見えないが」

 足を止めない標を明羽と氷呂は追い掛ける。

「怪我してないよ。超元気」

「そうか。そいつは良かった。アサツキとリュウガはどんな様子だ?」

「先生とリュウガ?」

 標の問い掛けに違和感を覚えながらも明羽は広場での光景を思い出す。

「すっかり村に馴染んで。子供達に囲まれてたよ」

「ハハ。アサツキは長居しないって言ってたが、すっかり村の一員だよな」

「本当だよね!」

「標さんは元気そうですね」

 標と明羽の会話をさえぎって氷呂がニッコリと笑う。明羽はそこで標が意図的に夏芽の話題を避けようとしたことに気が付いた。

「標。夏芽さん、どうしてる?」

 標は観念したようにため息をついた。

「さすがにこれだけ姿が見えないと気付き始めるか。他に誰か不審がってる人はいるか?」

「気にし始めてる人はいると思う。私達がそうだから。けど表立って言ってる人は今のところまだいないかな」

「そうか。夏芽に口止めされてるんだけどな」

「そんなに夏芽さんの具合悪いの?」

「そうだな……。よし。明羽。氷呂。あの意地っ張りの顔、拝みに来てやってくれ」

 

 標に連れられて明羽と氷呂は標と夏芽が一緒に暮らす家にやってくる。

「夏芽。戻ったぞ」

「んー。おかえりー」

「入るぞ」

「いいわよ」

 部屋の一角を仕切るカーテンを標はめくり上げる。そこにはだるそうに机に突っ伏する夏芽の姿があった。

「寝るならとこで寝ろよ。言われた薬取ってきたぞ。間違ってない筈」

「ありがとー。この体勢の方が楽な気がするのよ。見せて。確認す……」

 夏芽の目が標の背後にいる明羽と氷呂をとらえて止まった。夏芽はそのまま標に目を向ける。

「そんな睨むなよ」

「なんで明羽ちゃんと氷呂ちゃんがいるのよ」

「俺が連れて来たからだよ」

「なんで連れて来たのよ」

「夏芽の姿が見えないことに心配し始める村人が出て来たってことだよ」

「ぐう……」

 言葉の詰まった夏芽に明羽と氷呂は前に出る。

「夏芽さん。調子が悪いなら言ってくれればいいのに」

「そうですよ。私達じゃ頼りないかもしれないですけど」

「そんなことないわよっ!?」

 夏芽が頓狂とんきょうな声を上げた。

「具合悪くならない人なんていないんだからさ」

「だって、格好つかないじゃない」

「夏芽さんの意地っ張り。カッコつけ」

「明羽。一応病人だからな。程々ほどほどにしてやってくれ」

 氷呂より先に標が明羽を注意した。

「ごめんなさい」

 調子に乗り過ぎたと明羽は反省する。

「だって謝花も心配してたし」

「謝花ちゃん?」

 夏芽の声色が変わって明羽は口をつぐむ。

「夏芽さんの姿が見えなくて心配してました」

 氷呂がフォローしつつ明羽の脇腹を小突く。それを明羽は甘んじて受け入れた。夏芽は明羽と氷呂の顔を交互に見てから息を吐き出した。

「そうね。さすがにこれ以上は隠れていられないかしら。分かったわ。大分回復したし。少ししたら広場に顔を出しに行くわ。ふたりは先に戻ってて」

 明羽と氷呂の顔がパッと輝く。

「しんどかったら無理しないでね」

「はいはい」

 明羽と氷呂は標と夏芽の家を後にする。明羽と氷呂を見送って標は夏芽を見下ろした。

「本当に大丈夫か?」

「大分良くなったのは本当。でも、いまだに身体の中というかお腹の底にビリビリするようなヒリヒリするようなものが響いてる。良くなったというか、慣れてきたって言った方が正しいかしら」

「そうか」

「そんな心配そうな顔しないでよ。別に病気じゃないんだから」

「お前の身体に変調をきたしてることは間違いないだろ」

「そうだけど」

 言葉を区切って夏芽は遠くへ目を向ける。それは北の方角だった。

「理由は言わなくて良かったのか?」

「言える訳ないじゃない。どこかで多くの命が失われているかもしれないなんて」

 夏芽は重いため息をつく。

「何か大きく変わろうとしているのかもしれない」


 氷呂と並んで広場に向かって歩きながら明羽は空を見上げる。村の上空は相も変わらず砂嵐で茶色くくすんでいたが、明羽の心はそれなりに晴れやかだった。

「夏芽さん回復してるって」

「よかったね」

「黎ちゃんとトリオ。早く戻って来ないかな?」

「さすがにまだ戻って来ないよ」

 明羽と氷呂は小さく笑い合いながら軽い足取りで村の中を歩いていく。

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