第10章・世界の終わり(2)
明羽が氷呂に追い付くと村長と標が難しい顔をしていた。
「氷呂に断られるのは想定してたが」
「様子を見に行くだけ行った方がいいと思うかい?」
「確定した訳でもないのにただ何度も見に行くっていうのもおかしな話ですよね」
「……」
「……村長?」
返事がなくて標が村長に目を向けると村長は何やら考え込むように俯いていた。
「村長。何か気になることが?」
「う~ん。実はこの村には今、僕と氷呂以外に水脈の有無を確かめられる人がいるんだ」
「あ」
静かにふたりの話を聞いていた夏芽が目を見開いた。人の動く気配にジッと暑さに耐えていたアサツキは顔を上げる。明羽と氷呂と村長と標と夏芽が村の中へと歩き出していた。アサツキとリュウガには目も
「俺達のこと絶対忘れてるよな」
「それだけこの村にとって大事な話をしてるんだろう」
「それにしたってさ、なんか」
「俺達は部外者だ。
「見えるところにいろって言われたんだよな?」
「まあ。そうなんだが」
「追い掛けるか?」
「勝手に動き回っていらぬ疑いを掛けられるのも避けたいところだが」
「このままここにいたら俺達
「そう、だな……」
「アサツキがここにいるって言うなら俺はそうするけど」
「う~ん……」
アサツキは腕を組んで悩み始める。
囲炉裏端で悠々と寝転がっていた黎が不機嫌そうな声を出す。
「あ? 俺が水脈の調査?」
「君達魔獣は大地を知る者だ。地中深くにある水脈の有無を調べることも可能だ。そうだろう?」
見つめてくる村長の目を見返しながら黎は一度、二度と尻尾で敷物を打つ。
「まあ。
「ありがとう! 黎!」
村長は一瞬で姿を本来の獣の姿に戻し黎に突進した。
「やめんか!」
怒鳴られてもじゃれ付くのをやめない村長に、怒鳴りつつも村長を完全に拒否しない黎に明羽は呟く。
「仲良いんだね」
「昔は兄弟みたいに過ごしてたらしいからな」
「とにかく付き合いが長いのよね」
明羽は「標と夏芽さんみたいに?」と思いつつも口にはせず、ただ並ぶ標と夏芽を見上げて顔がニヤつくのを
「明羽」
「いや、だってさ、氷呂」
明羽の思考を読み取ってため息をつく氷呂に明羽はそれでも笑いを堪え続けた。
村の入り口
「さすがにこれ以上ここに居続けるのはまずいか」
「影なくなってきたな」
アサツキが額の汗を拭うと目の前に盆に乗せられたカップが差し出される。透明な水がたっぷりと
「先生。どうぞ」
「謝花。ありが」
「おお! 俺の分は?」
「も、もちろん! あります! どうぞ!」
謝花は腕を精一杯に伸ばしてリュウガにギリギリ届くかどうかという距離に盆を差し出す。
「この子もアサツキの教え子なんだっけ?」
「ああ。そうだ。謝花。こいつはリュウガ。俺の腐れ縁で……」
「アサツキ! この水超ウメエ!」
水を一口含んで叫んだリュウガに謝花がビクリと身体を震わせ一歩
「ありがとうな。謝花」
謝花の瞳から、恐怖心が消え去った訳ではないが確かな小さな光が
「お、おかわりいりますか?」
「いいのか! 頼む!」
リュウガの大きな声にビク付きながらも謝花は
「お前には驚かされる」
「え? 何?」
「なんでもない」
アサツキは肩を
村の入り口から去って行く謝花を見送っていたのはアサツキとリュウガだけではなかった。建物の影からアサツキとリュウガを観察していた村人達は
「謝花ちゃんが頑張ってるのに私達は隠れてるだけ!?」
「あんなに怖がりな子がひとりで人間に近付いたっていうのに!」
「すごい勇気だよね!」
「行くぞ!」
村人達は一度その場を
無事に黎の許可を得られた明羽達が村長の家を出る。
「黎を連れて行くのは標に任せていいかな?」
「もちろんです」
「帰って来たばかりだ。少し休んでから」
「いえ、急いだ方がいいでしょう。それに俺が見つけて来た候補地ですから」
標と村長が話しているのを背後に聞きながら明羽がふと目を向けると井戸から水を組み上げる謝花がいた。
「謝花? こんな時間に水汲み? にしては入れ物も持ってないか」
「明羽。氷呂。いや、えと、これは、その。アサツキ先生とそのお友達に水のおかわりを持って行くところで」
「アサツキ先生とリュウガ……。あ」
「忘れてたな」
標が苦い顔になる。
「おかわりっていうことは
氷呂の指摘に謝花は頷く。
「うん」
「アサツキ先生はともかくリュウガにも持って行ったの? すごいじゃん! 謝花!」
「無理してない?」
「してないよ! あの赤毛の人……リュウガさん。いい人だった」
「まあ。悪い人ではないね。確かに」
明羽は謝花に一部だけ同意した。
「じゃあこれから戻るところだね。謝花」
「うん」
「まずいわよ。外の嵐で日差しは少ないとはいえ、人間には
「俺達も謝花と一緒に戻ろう」
「急いだ方がいいね」
村長の家に黎を残して明羽と氷呂、村長と標と夏芽と謝花は駆け足で村の入り口へ向かった。
村の入り口では俯いて暑さに耐えるアサツキとリュウガに謝花に感化された村人達がそろそろと近付いていた。一定の距離を保ったところで立ち止まって手に持っていた布を広げるように投げる。
「てい!」
「わっ!?」
「なんだ!?」
「あ、涼しい」
「……本当だ」
頭から
「よし、うまくいった」
ガッツポーズをした村人達とアサツキの目が合った。
「これは……」
「こ、これはっ! そのっ!」
「人間は暑いのも寒いのも苦手だって言うじゃないか!」
「そ、そうだ! 死なれても寝覚めが悪いから!」
「なんか辛そうだったし布ぐらい恵んでやってもいいかなって」
「何やってるんだい? みんな」
背後に現れた村長に村人達が飛び上がる。
「村長っ」
「ええっとえっと……」
しどろもどろになる村人達に村長は少し
「一度警戒心を向けた手前、近付き辛いからって変な理由を付けるのはやめようね」
「ほったらかしにして申し訳なかった。アサツキさん。リュウガさん。建物の中に移動しよう」
「ロープは……もう必要ないな」
標は苦笑しながらアサツキとリュウガの腰に結び付いたままのロープを回収する。謝花から二杯目の水を貰ってアサツキは落ち込んでいる村人達に目を向ける。
「ありがとう」
被った布の向こうから細められた藍色の瞳に村人達は少し決まり悪そうに、それでいて恥ずかしそうに、それぞれに微笑んだり目を
「ありがとな! あれ!?」
前に飛び出したリュウガに対して村人達は大きく
明羽達と別れ、標に連れられてアサツキとリュウガは集会所に戻って来る。
「そろそろ真昼だな。昼飯を持ってくるから涼んでてくれ」
「ありがとう」
標が去ってアサツキとリュウガが人心地を付くか付かないかというぐらいに集会所の戸が開く。
「先生。リュウガ。お昼持ってきたよ」
「お邪魔します」
集会所の入り口に立っていたのは明羽と氷呂だった。
「明羽。氷呂。標が持ってくると思ってたが」
「俺もいる」
「私もいるわよ」
明羽と氷呂の後ろから標と夏芽が顔を覗かせる。
「お昼一緒に食べようと思って!」
明羽が掲げた籠の中には六人分の昼食が入っていた。
「いいないいな! 賑やかな食事はいつだって大歓迎だ!」
リュウガが四人を
「みんな集まってくれてありがとう。明羽達が帰ってくる際に連れていたアサツキさんとリュウガさんの
「集会をしてるんだな。これ以上俺達は聞かない方がいいだろう。夏芽。閉めてくれ」
アサツキの言葉に夏芽が頷く。
「分かったわ」
「真昼に集会か。信じられないなー」
言いながらリュウガの興味はすっかり昼食に向いている。夏芽が戸を閉める間も村長の声は響く。
「以前見つけた候補地の水脈の調査に黎が行ってくれることになった」
村人達から歓声が上がった。
「標が黎を連れて行く。それで同時進行でまた他の候補地を」
「ちょっと待った―――!!」
村長の声を掻き消したのは一部の隙も無く揃った三人分の声だった。
「トリオ?」
戸を
「今のトリオだったよな?」
「間違いないわ。どうして」
「俺達が黎さんを連れて行きます!」
「何言ってんだあいつら」
「君達には同時進行で新しい候補地の探索に向かってもらおうと思ってたんだが」
「そっちも俺達が行きます!」
「……ん? ちょっと言ってる意味が」
「村長が困惑してるじゃん」
「明羽」
標が振り返ると集会所の入り口に立ちっ放しの標と夏芽に明羽と氷呂も近付いて外に目を向ける。
「朝にも言いましたが! 標は帰って来たばかりで疲れてます!」
「俺達だって標の変わりができるように、なる!」
「つまり、ひとりかふたりが黎を連れて水脈調査に向かって残りが候補地探索に向かうということかな?」
「いえ、俺達は三人で一人前なので。別行動はしないです」
トリオの言葉に村長の声が途切れた。
「トリオ……」
「村長……」
標と夏芽が
「ちょっと俺行って……」
「優先順位は水脈の調査ですよね!」
「俺達は少しでも標や夏芽や明羽さんや氷呂さんに休んでもらえたらと思って」
「候補地探しは時間差でっ。俺達の帰りがあんまり遅かったら標に行ってもらう……とか……」
自分達の言ってることの情けなさにトリオは言葉を濁し始める。
「分かった。そこまで言うなら」
「村長!」
トリオの声が明るくなった。
「君達のやる気を尊重しよう。働き
歓声が上がり、村人達がトリオを応援したり労ったりする声が聞こえてくる。明羽は標と夏芽を見上げる。
「だって。標。夏芽さん」
「休暇……」
「休暇かあ……」
「
村長の声は続く。
「では水脈の調査に出発する日取りを決めたいが」
「すぐにでも出られますよ!」
「そうだよね」
村の入り口にはトリオが準備した車が今もそのままになっている。
「う~ん。黎には急なお願いだったから。黎が言いと言ったら出発にしようか」
「村長。その黎さんですが既に車に乗り込んでるみたいです」
「え」
村人の指摘に村長が白い形の良い三角形の耳をピコピコと動かす。と、当時に氷呂も耳を澄ました。
「本当だ」
「先生。リュウガ。ちょっと行ってくる」
「分かった。気を付けて」
「ええ~。昼飯」
「すぐ戻るから」
「絶対だからな!」
明羽と氷呂と標と夏芽は集会所を後にした。広場からは村長を先頭に村人達が移動し始める。
村の入り口に置きっぱなしだった車の側に一本の緑濃い木が立っていた。明羽がかつて見た巨木ほどの大きさはないが、車に影を落とす、今まで村になかった筈の木の存在に村人達は目を見張る。薄い木漏れ日の落ちる
「何の騒ぎだ!」
標が開けてできた幌のジッパーの隙間に村長が顔を突っ込む。
「黎。君こそ何故もう車に?」
「俺が行くことはもう決まっていただろう。それに、家の前で集会なんぞ始めおってからに。うるさくて眠れんかったから移動したんだ!」
「裏口からか」
「黎ちゃん。大丈夫?」
「大丈夫だ」
覗き込んで来た明羽に黎は低い声で言う。
「でも、耳は垂れてるし尻尾は巻いてるよ?」
黎が仏頂面になった。村長が尻尾を一振りする。
「黎。君の都合を聞こうと思ったんだ。黎と一緒に行くのはトリオになった」
「あの純血悪魔三人組か」
「トリオはすぐにも出れると言っているんだが」
「すぐに出るぞ! トリオを呼べ!」
黎の叫び声に慌ててトリオが車に乗り込み、間もなく四人を乗せた車は村を出発する。黎が村から離れたからなのか、黎が意図的にそうしたからなのか分からないが、村の入り口に
既に村の外の嵐に影も形も見えなくなった車に明羽は呟く。
「気を付けて」
「大丈夫よ。おじ様が一緒なんだから」
「夏芽さん」
「標さんはどうしたんですか?」
氷呂の言葉に明羽が辺りを見渡した。
「本当だ。いない。いつの間に?」
「おじ様の弱弱しい姿がショックだったみたいでどっか行っちゃったわ。まあ、標にとっておじ様は理想だったから。でもすぐに切り替えるわよ」
「そっか。私は震えてる黎ちゃん可愛かったけどな」
「あはは。それ、おじ様が帰ってきたら言ってみなさいよ」
「やだよー。雷落ちるよ」
「あはは」
「もう、明羽も夏芽さんも」
「呆れないでよ。氷呂ちゃん」
夏芽は
+++
黎とトリオが村を出てから数日が経つ。
「平和だ」
「平和だね」
「楽しい? 氷呂」
「うん。明羽も側にいるしね。集中できてる。楽しいよ」
「良かった」
「明羽は畑の方、どう?」
「うん。もう全部いちいち私が確認する必要とかないからね。綿花の栽培に集中させてもらってる。移動する前に種を増やしておきたいと思ったんだけど、植物は
「明羽も楽しそう」
「まあね」
明羽と氷呂はとても
「そういえばさ。最近夏芽さん見てないよね。それと同時に標にもあんまり会ってないような」
氷呂の手が止まる。黎とトリオを見送ったあの日を境に夏芽の姿を見なくなっていた。
「そうだね。後で
「うん」
氷呂の機織りが一段落してふたりが中央広場に近付くと、子供達の楽しそうな声が聞こえてくる。
「謝花が子供達と遊んでるのかな?」
ふたりが石畳を踏むとリュウガが片方に一本の角を生やした女の子を抱え上げる光景が明羽の目に飛び込んでくる。
「捕まえた!」
「セクハラ!」
「なんでだよ!?」
明羽とリュウガのテンポの良い
「冗談冗談」
「急に現れてとんでもねえこと言いやがって。俺の
「ご、ごめん。本当に今のは冗談で、リュウガが子供心を忘れてないだけの大人だって分かってるよ」
「よし!」
リュウガが女の子を降ろすと、女の子は楽しそうに広場の端へと駆けていく。広場の端にはリュウガに捕まったらしい子供達が集まっていて、井戸の側に向けて声援を送っていた。
「頑張れ!」
「捕まるな!」
「あと三人だ!」
リュウガと三人の子供達が井戸の側で睨み合う。
「鬼ごっこ?」
「おう! 何故か俺がずっと鬼だ」
子供にも手加減しないリュウガを容易に想像できた明羽は、逃げ手になったリュウガを永遠に捕まえられない子供達の白け顔まで想像して半笑う。
「子供に鬼やらせるなら子供達全員が鬼でリュウガひとりが逃げるんだね」
「何!? それじゃあ俺対ガキ共の構図に何も変わらないじゃねえか!」
「楽しそう!」
子供達がリュウガに駆け出していた。
「おお? やるかガキ共!」
現在のゲームはご
「プロレスごっこになった」
明羽が広場を見渡すと端にまた違う子供の集まりが目に入る。その中にいるアサツキは身体を動かすより考えることを得意とする子供達相手に組み紐遊びを教えていた。アサツキとリュウガがすっかり村に
「謝花。夕菜」
「明羽」
「氷呂ちゃん」
「そういえば、子供達の声が聞こえてきた時てっきり謝花が子供達と遊んでると思ったんだけど」
氷呂の言葉に謝花は頭を
「いやー。リュウガさんが子供達の相手し始めたら私付いて行けなくて。いつも子供達に手加減されてたことに気付かされちゃった。実はそれで今ちょっと傷心中なんだ……」
話ながら泣き笑い始めた謝花を明羽と氷呂、夕菜が慌てて
謝花が落ち着いて、一息ついた明羽は謝花に気を取られて忘れていた目的を思い出す。
「謝花は夏芽さんが今どうしてるか知ってる?」
「え」
と言ったまま次の言葉が続かない謝花に明羽は一歩詰め寄った。
「謝花?」
「そういえば最近見てないな。標ならさっき見掛けたんだが」
「標?」
明羽はアサツキを振り返る。アサツキは広場から伸びる道の一本を指差した。
「診療所の方だ」
「夏芽姉様。動けるようになったのかな?」
「謝花?」
氷呂に名を呼ばれて謝花はハッと口を押さえた。
「謝花。何か知ってるの?」
「動けるようになったってどういうこと?」
明羽と氷呂に詰め寄られて謝花は涙目になった。けれど明羽と氷呂は村の
「夏芽姉様に口止めされてたんだけど」
「口止め?」
「夏芽姉様。黎おじ様とトリオを送り出した後から体調
「そうだったんだ」
「夏芽さんの体調が悪い理由は知ってる?」
謝花は首を横に振る。
「先生。標。あっちに行ったんだよね」
「ああ」
「とりあえず標に突撃してみよう」
「私から聞いたって夏芽姉様には言わないで」
か細く言った謝花の肩を明羽は掴む。
「言わないよ。謝花だってそろそろ隠し通せないって気付いてたんでしょ? 私達がその証拠。つまり他のみんなも気付き始めてるってこと。ね。氷呂」
「うん」
「……うん」
「教えてくれてありがとう。ちょっと行ってくる」
「後で報告するから」
明羽と氷呂は謝花と夕菜とアサツキに手を振り、こちらになど見向きもせずに遊ぶリュウガと子供達を横目に広場を後にした。道すがら世間話に花を咲かせる村人達に挨拶をして明羽と氷呂は診療所の前に辿り着く。
「開いてる」
明羽が開いたままの診療所の戸から中を覗き込むと薄暗い診療所の中には見慣れた黒い服の後ろ姿があった。
「標」
「ん?」
薬棚を物色していた標が振り返る。
「明羽と氷呂か」
「夏芽さんがいない診療所で何やってるの?」
「あー、うん、まあ」
標は歯切れの悪い返事をして、今一度薬棚に目を向けると、幾つかの瓶を手に取って診療所の外へと向かう。
「お前達はなんで診療所に? 怪我したようにも見えないが」
足を止めない標を明羽と氷呂は追い掛ける。
「怪我してないよ。超元気」
「そうか。そいつは良かった。アサツキとリュウガはどんな様子だ?」
「先生とリュウガ?」
標の問い掛けに違和感を覚えながらも明羽は広場での光景を思い出す。
「すっかり村に馴染んで。子供達に囲まれてたよ」
「ハハ。アサツキは長居しないって言ってたが、すっかり村の一員だよな」
「本当だよね!」
「標さんは元気そうですね」
標と明羽の会話を
「標。夏芽さん、どうしてる?」
標は観念したようにため息をついた。
「さすがにこれだけ姿が見えないと気付き始めるか。他に誰か不審がってる人はいるか?」
「気にし始めてる人はいると思う。私達がそうだから。けど表立って言ってる人は今のところまだいないかな」
「そうか。夏芽に口止めされてるんだけどな」
「そんなに夏芽さんの具合悪いの?」
「そうだな……。よし。明羽。氷呂。あの意地っ張りの顔、拝みに来てやってくれ」
標に連れられて明羽と氷呂は標と夏芽が一緒に暮らす家にやってくる。
「夏芽。戻ったぞ」
「んー。おかえりー」
「入るぞ」
「いいわよ」
部屋の一角を仕切るカーテンを標はめくり上げる。そこには
「寝るなら
「ありがとー。この体勢の方が楽な気がするのよ。見せて。確認す……」
夏芽の目が標の背後にいる明羽と氷呂を
「そんな睨むなよ」
「なんで明羽ちゃんと氷呂ちゃんがいるのよ」
「俺が連れて来たからだよ」
「なんで連れて来たのよ」
「夏芽の姿が見えないことに心配し始める村人が出て来たってことだよ」
「ぐう……」
言葉の詰まった夏芽に明羽と氷呂は前に出る。
「夏芽さん。調子が悪いなら言ってくれればいいのに」
「そうですよ。私達じゃ頼りないかもしれないですけど」
「そんなことないわよっ!?」
夏芽が
「具合悪くならない人なんていないんだからさ」
「だって、格好つかないじゃない」
「夏芽さんの意地っ張り。カッコつけ」
「明羽。一応病人だからな。
氷呂より先に標が明羽を注意した。
「ごめんなさい」
調子に乗り過ぎたと明羽は反省する。
「だって謝花も心配してたし」
「謝花ちゃん?」
夏芽の声色が変わって明羽は口を
「夏芽さんの姿が見えなくて心配してました」
氷呂がフォローしつつ明羽の脇腹を小突く。それを明羽は甘んじて受け入れた。夏芽は明羽と氷呂の顔を交互に見てから息を吐き出した。
「そうね。さすがにこれ以上は隠れていられないかしら。分かったわ。大分回復したし。少ししたら広場に顔を出しに行くわ。ふたりは先に戻ってて」
明羽と氷呂の顔がパッと輝く。
「しんどかったら無理しないでね」
「はいはい」
明羽と氷呂は標と夏芽の家を後にする。明羽と氷呂を見送って標は夏芽を見下ろした。
「本当に大丈夫か?」
「大分良くなったのは本当。でも、
「そうか」
「そんな心配そうな顔しないでよ。別に病気じゃないんだから」
「お前の身体に変調をきたしてることは間違いないだろ」
「そうだけど」
言葉を区切って夏芽は遠くへ目を向ける。それは北の方角だった。
「理由は言わなくて良かったのか?」
「言える訳ないじゃない。どこかで多くの命が失われているかもしれないなんて」
夏芽は重いため息をつく。
「何か大きく変わろうとしているのかもしれない」
氷呂と並んで広場に向かって歩きながら明羽は空を見上げる。村の上空は相も変わらず砂嵐で茶色くくすんでいたが、明羽の心はそれなりに晴れやかだった。
「夏芽さん回復してるって」
「よかったね」
「黎ちゃんとトリオ。早く戻って来ないかな?」
「さすがにまだ戻って来ないよ」
明羽と氷呂は小さく笑い合いながら軽い足取りで村の中を歩いていく。
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