第10章・世界の終わり(1)

 夜が明けても村の中は静まり返っていた。アサツキとリュウガは集会所の外に出て空を見上げる。今日も今日とて嵐の只中ただなかにある村の中には茶色の空から薄日うすびが差している。

「暗い。本当に朝になったのか?」

「分かるぞ。青い空に射すような太陽の光が当たり前だと思ってたからな。起きて暗いだけでこうも調子が狂うとは思わなかった」

「なー」

「朝飯持ってきたんだが。食べられそうか?」

 しなが朝食の乗ったかごをアサツキとリュウガに差し出す。

「大丈夫だ。すぐに慣れる。飯の世話まで悪いな」

「放っておくほど鬼畜きちくじゃないさ」

 アサツキとリュウガは集会所の側に置かれたままの木箱を椅子代わりに朝食に舌鼓したつづみを打つ。

「これはうまいな」

「なー!」

「パンは焼きたて。はさまれたあんは薄味だがボリュームは十分だ。それに生野菜のサラダ」

「全部村で作ってるものだ」

明羽あはねが畑を作ったとか言ってたな」

「お。明羽が話したのか?」

「標達と合流する前に色々と聞かせてもらった」

「明羽と氷呂ひろが来る前は大変だったんだぜ」

「ほう」

 標は軽く以前の村の状況を説明する。

「そう考えると、明羽と氷呂をこの村に誘導してくれたアサツキも村の恩人って言えるかもな」

「明羽と氷呂が村に辿り着けたのはあのふたりの生まれ持った強運ゆえだろう。それにしてもこのお茶もおいしいな。口当たりのいい甘みに鼻に抜けるすっきりした香りがいい」

「あ、悪い。お茶だけは外で仕入れたもんだ」

 アサツキは軽く目を見張ってから笑い出す。

「ハハハッ! そうだったか」

 笑うアサツキに釣られて標も笑う。朝食を食べ終えて調子の戻って来たアサツキとリュウガの腰に標は昨日と同様にロープを結んだ。リュウガが自分の腹に目を落とす。

「また、これか。夜は自由だったのに」

「寒すぎて俺達人間は外に出られなかったけどな。それを自由と呼べるのか」

「少なくとも部屋の中は歩き回れただろ」

「遅くまで起きてたのか?」

「いや。思ってたより疲れが溜まってたみたいでな。速攻で寝落ちした」

「朝までぐっすりだ。お蔭で元気だぜ!」

 さっきまで暗い顔をしていたリュウガが胸を張る。

「そいつは良かった。さて、村長が待ってるんだ。案内してもいいか?」

「ああ。よろしく頼む」

 歩き出してすぐにリュウガは標に詰め寄った。

「なあなあなあなあ」

「おわ。なんだ? 急にどうした」

「朝なんだよな? 間違いなく朝なんだよな? 暗くとも」

「お、おう。間違いなく日は昇ってる時間だな」

「じゃあ何でこんなに静かなんだ? みんなお寝坊さんなのか? 昨日はあんなにたくさんいたのに」

 アサツキが呆れた顔になる。

「そんな訳あるか。悪い。標。俺達の所為せいだろう」

「アサツキの言う通りだ。実を言うと少し前に狩人の襲撃を受けてな」

「え」

「まあ、事なきを得たんだが。元々人間に追い立てられたりして逃げてきた者達ばかりだからな、ここにいるのは。みんな今かなり人間に対して恐怖心をつのらせてる。まあ、そういう訳で」

「そうだったのか」

「明羽はそこまで話してなかったか?」

「楽しい話ばかり聞かせてくれた」

「明羽らしいっちゃ、らしいな」

「悪い時に邪魔したな。できるだけ早く出て行く」

「ま、そうくなよ。せっかくここまで来たんだ。とにかく今は村長のところに案内する」

「ああ」

 標の案内でアサツキとリュウガは村の中央広場に差し掛かる。丁度別の道から広場に差し掛かった明羽と氷呂と夏芽なつめが標とアサツキとリュウガの姿に気付いた。

「標とアサツキ先生とリュウガだ。なんか、標が楽しそう」

「そうだね。いつものみんなの頼れる兄貴分って感じの標さんと比べて、少しくだけた感じがする」

「ついに標にも友達がっ!」

 大仰おおぎょうに目頭を押さえた夏芽に明羽と氷呂は笑った。

 明羽と氷呂と夏芽の姿にリュウガも気付く。

「明羽!」

 駆け出したリュウガの腹に結ばれたロープが食い込んだ。

「ぐえっ!」

 石畳の上でもんどり打つリュウガを標とアサツキが見下ろした。

「馬鹿だなあ。リュウガ」

「ああ。馬鹿なんだ」

「……ちくしょう」

 リュウガが腹を押さえながら立ち上がると側の家の木戸が開く。

「朝から人の家の前で騒がしい」

れい。君の家じゃないだろう。おはよう。みんな」

 つややかな黒い毛並みの黎と白い髪を揺らす人型の村長が家の中から現れた。

「おはよう。村長。黎ちゃん」

「おはようございます。村長。おじ様」

「おはようございます」

「おはようございます」

「おはようございます。昨夕さくゆうは急に訪れてしまったのに、温かい歓待かんたい、感謝します。お陰で良く休めました」

「おっはよー。こんな子供が村長なのか? ていうか昨日この黒いのと一緒にいた白いのはいないのか?」

「その白いのがこの人だよ」

「へえ!?」

 明羽の説明にリュウガはけ反った。アサツキがため息をつく。

「悪い。リュウガは本当に天使以外のことには興味がないんだ。多分、聖獣がふたつの姿を持つことも知らないと思う」

「ふたつ……? なんの話?」

「ご覧の通りで」

難儀なんぎだな」

 黎がアサツキに同情した。村長は意にかいした風もなく柔らかく微笑む。

「お茶の準備をしてたんだ」

「まあ。そんなの言ってくれれば私がやりますよ」

 夏芽が村長の家の中へと駆け込んで行く。

「さ。みんなも中へ」

「うん」

「はい」

「ほれ、アサツキとリュウガも」

 明羽と氷呂に続いて標にうながされたアサツキとリュウガも村長の家へ足を踏み入れた。

 囲炉裏を囲んで八人が敷物の上へと腰を下ろしていく。村長が綺麗に正座してそこにいる者の顔を順繰じゅんぐりに見回した。

「改めて。明羽。氷呂。標。夏芽。よく無事に帰って来てくれた。僕は四人の元気な姿が見れて心からホッとしているよ。アサツキさんとリュウガさんには改めて挨拶を。僕は一応、この村を任されている者で、種族は聖獣です。そして、こちらが僕の旧知きゅうちの友で魔獣の黎」

 紹介された黎はふんっと鼻を鳴らしただけだった。

 アサツキが居住いずまいを正す。

「俺はアサツキと言います。こっちは」

「リュウガだ。人間だ。よろしくな」

「その赤い髪はもしや噂の馬鹿王子か?」

「確かに俺は王子だが……ここでもバカ呼ばわりかよ!」

 寝そべる黎にリュウガは叫んでいた。

「黎」

「ふん」

「友が申し訳ない」

「いえ。こちらも失礼を」

 村長とアサツキが謝り合う。

「さて、どうしてアサツキさんとリュウガさんを連れて帰って来ることになったのか聞かせてほしい」

 明羽が少し身を乗り出す。

「村長。あのね。ふたりは私を助けてくれたんだ。捕まった私を逃がしてくれて、北の町を出てからもずっと私と一緒に行動してくれて」

「明羽。まずアサツキ先生のことを伝えた方がいいかも」

「あ、そっか」

「アサツキ先生は私達が南の町にいた時の学校の先生で、とても良くしてもらいました」

 明羽に代わって説明を足した氷呂に村長が目を見張る。

「南の町で教師を? 明羽。氷呂。もしや君達が南の町を逃げ出す際に村の方角を示したという」

「そう! それがアサツキ先生!」

「そうか。あなたが」

 村長はアサツキに向き直る。

「まさか相見あいまみえる日がくるとは思わなかった。改めて感謝を。ありがとう。二度も明羽を助けてくれるとは」

「前は知らんが今回明羽を助けたのは俺もだぞ!」

「もちろん。リュウガさんにも感謝を。ありがとう」

「うむ!」

「リュウガ、自重じちょうしろ」

 調子に乗るリュウガをたしなめてアサツキは軽く目をせる。

「たまたま、そう、縁があったんでしょう。いや、リュウガが天使を追っている以上、どこかで再会するような気もしていました。なんにせよ。リュウガが城から明羽を助け出した。俺はその後を手助けしただけです」

「手助けなんてレベルじゃなかったけどね」

 真面目に合いの手を入れた明羽の顔をアサツキは見る。

「先生?」

 自分が満身創痍まんしんそういだった時の姿を知るよしもない明羽は首を傾げた。アサツキはすっかり良くなった明羽に微笑んでからスッと目を細める。

「村の現状は標から聞きました。標と夏芽が俺とリュウガをこの村にまで連れて来てくれたのは、四人が合流する直前、俺が命にかかわる大怪我をしたからです」

 明羽は真っ赤に染まったアサツキの姿を思い出して顔を青くする。

「明羽」

 アサツキの声に明羽はハッとする。そこには苦しみとは無縁の涼やかな顔のアサツキがいる。

「大丈夫だ」

「うん」

「お尋ね者で怪我人の俺を放り出さずに介抱かいほうしながらここまで連れて来てくれた。お蔭で俺は今動けているんです。礼を言うのは俺の方です。本当にありがとうございました」

 アサツキは両手を付いてその場にいる面々に深々と頭を下げた。リュウガが驚いたように目を見開いてから我に返ったようにアサツキ同様に両手を付いて頭を下げる。

「俺からも礼を言う! アサツキを助けてくれて、ありがとう!」 

「返せるものが何もなくてすみません。せめてできるだけ早く出て行くので」

 リュウガがバッと顔を上げた。

「えええ!? 俺はもっとのんびりしたい。折角せっかく来たんだ。村の奴らと仲良くなりたい!」

 リュウガと違って頭をゆっくりと上げたアサツキは細く長く息を吐き出した。

「しおらしさが台無しだな。リュウガ」

「それとこれとは別だからな」

「リュウガ。諦めろ」

 アサツキの低い声にリュウガは目を瞬いた。

「そうか。無理なのか」

「そうだ」

「先生」

「ダメよ」

 立ち上がろうとした明羽は半分腰を上げた体勢のまま夏芽を振り返る。腕を組み、眉間みけんしわを寄せてアサツキをにらむ夏芽がいた。

「夏芽さん?」

「アサツキさん。いいえ。アサツキ。あなた、確かに動けるようになったけど全然本調子じゃないでしょう」

 アサツキがサッと目をらした。

「そんな状態の患者を放り出すなんて私のプライドが許さないわ!」

「じゃ。アサツキさんとリュウガさんは夏芽の許しが出るまで村で療養りょうようということで。ふたりをわざわざ村に連れて来た経緯も分かったし。僕はかまわないと思う」

 村長の言葉にアサツキが観念し、リュウガは諸手もろてげた。

「ただし、申し訳ないが村の中を動く際は必ず見張りを付けさせてほしい」

「もちろんです」

「ええー」

「というか出歩くことを許してもらえることに感謝します。是非ぜひ、ロープもそのままで」

「ええ!?」

「その申し出はこちらとしては願ってもないが。いいのかい?」

先程さきほど、夏芽が言った通り。実を言えば万全ばんぜんというには程遠いんです。正直、滞在の許可を貰えたことにホッとしている自分がいます。それでですね。今の俺にリュウガを止めるのは厳しい。標には悪いが、俺の代わりにリュウガを止める役目をになって欲しい。押し付けるようで悪いんだが」

「そうゆうことなら。俺で良ければ構わないぜ」

「心強い」

「俺は無害な男だぞ!」

 リュウガの発言は全員に無視された。アサツキとリュウガの残留ざんりゅうが決まって明羽はホッと胸をで下ろす。

「安心してる場合か? 明羽。次は貴様の番だぞ」

 黎の低い声に明羽は背筋を伸ばした。

「標と夏芽がむかえに行ったんだ。既に俺達のことは聞いてるな。それを踏まえて、俺達に聞きたいことがあるんじゃないか?」

 黎の黒い尾が敷物を叩くのを見ながら明羽は息苦しさを覚え始める。

「えっと……。私……」

 うまく喋れない明羽の手を氷呂が握った。明羽はその手を握り返して顔を上げる。

「村長。黎ちゃん。私……」

「俺の話を聞けー!」

「わあっ!」

 急に叫んだリュウガに緊張していた明羽は大いにビックリした。

「急に大きな声出さないでよ。リュウガ」

「お前らが俺のことを無視するのが悪い! ようし、俺がどれだけ無害な男かを懇切こんせつ丁寧に説明してやる!」

「いや、いい。今から大事な話しするからリュウガはちょっと黙ってて」

 明羽に冷たくされてリュウガは撃沈した。静かになって、明羽は改めて黎に向き直る。

「黎ちゃん。黎ちゃんは本当に知ってるの?」

「過去など知ってどうする。知らなくても生きて行けようが」

 突き放されて明羽は目をしばたいた。

「れ、黎ちゃん? あれ? 教えてくれる流れじゃなかった?」

「過去、何があったか、俺達が見て来たものを教えてやることはできる。だが、知ったところで貴様はどうする? 何がしたい?」

「それは……」

「ただの興味か? そんなことで自身の身を危険にさらし、皆に心労を掛け、手をわずらわせた訳か。はた迷惑な話だな」

「私はっ! 伝承に疑問を持つ人達に会って……。もし、人間達が信じてるあの伝承が嘘で、もっと違う真実があるならそれを知れば何か変わるんじゃないかって! ……思ったんだ」

「ふん。真実がもっと残酷なものである可能性は想像もできなかったか」

「え」

「そんなに知りたいなら聞かせてやる」

「黎」

 村長が心配そうに黎を見る。

「貴様も覚悟を決めろ。人間達が語りいできた伝承にあるその瞬間に、本当は何があったのか、俺の記憶にある限り語ってやる。ここから先は人間が聞いても面白くない話になると思うが貴様達も聞いていくか?」

 アサツキは頷く。

「是非、聞かせてください」

「みんなして伝承伝承って。そんな重要なもんだったっけ?」

 リュウガのやや怪訝けげんな声にアサツキは仏頂面になった。

「ふむ。過去にとらわれない考え方は嫌いではないが。バカ王子は何も考えていないのが残念なところだな」

「またバカ呼ばわりした!」

「さて、どこから話したものかな」

「無視かよ!」

 黎はぽつりぽつりと語り出す。村長が捕捉しながら、ふたりの記憶にしか残っていないはるか遠い昔の話が語られていく。話を聞き終わってアサツキは愕然がくぜんとする。

「人間が……。それは間違いのない真実なんですか?」

「俺達の記憶にある限りはな。見ろ。明羽」

「え? あ、え? 何? 黎ちゃん?」

 アサツキ以上に村長と黎の話を受け入れ切れない明羽が黎を見る。

「これが真実を知った人間の姿だ」

「何? 黎ちゃんは何が言いたいの?」

「自分達にとって都合が悪いことは真実だろうと信じることができないのが人間という生き物だということだ。一方的に淘汰とうたしようとしたのではなく、仕方なかったのだと。くわえて大変な犠牲ぎせいを払って正義をしたと言えば、同情も引けるというものだ。伝承の嘘をあばいて真実を人間達に語り聞かせたところで、何も変わらないということだ」

「黎ちゃん……」

「俺はそんなつもりじゃっ」

「アサツキを侮辱ぶじょくするな。撤回てっかいしろ」

 急に真面目な顔になったリュウガを黎は鼻で笑う。

「ほう。王子様。急に上に立つ者の自覚でも出て来たか」

「上に立つ者の自覚とか知らん。俺は友達をけなされて怒ってるんだ。撤回しろ」

「いい。リュウガ。取り乱したのは俺だ」

「よくなーい! アサツキが良くても俺は良くない!」

「俺が今の話を信じがたいのは事実だ。ちょっと時間をくれ」

「う~ん……。ん」

 リュウガは納得していない顔のままうなずいた。

「そういう貴様はどうなんだ。王子様。俺の話を聞いて何を思う」

 リュウガは腕を組んで少し考えるようにななめ上に目を向けた。

「別に」

「別に? 別に、とは?」

「昔の話だろう。今、関係なくね?」

 黎は呆れてため息をついた。

「話にならんな」

「なんだよー。信じることはできても理解し合うことなんて人間同士でもできないんだから。種族が違えばより一層理解し合えないのなんて当然だろう?」

 皆が驚いてリュウガに目を向けた。

「リュウガ?」

「どした? アサツキ。俺、また変なこと言ったか?」

 リュウガが少し不安そうな顔になる。

「いや。まさかリュウガの口かそんな言葉が出るとは思ってもみなかったから」

「俺、今、何言ったっけ?」

「俺達は理解し合えない」

「ああ。でも、そうだろう?」

 リュウガはあっけらかんと言った。何故、皆が驚いた顔をしているのか分からないとリュウガは首をかしげる。

「俺は誰かを信じたことはあっても理解できたなんて思ったことないけどな。みんなは違うのか?」

「いや、そうだな」

 アサツキが敷物を見つめる。

「俺達が理解し合える日は来ないだろう」

「そうハッキリ言われると、なんか寂しいな」

「お前が言ったんだ」

「まあ、そうなんだけど。う~ん……」

 リュウガは頭をく。

「なんかものすごくマイナスなイメージ植え付けちゃったみたいだけど。そうじゃなくってさ。それでも俺はアサツキのことが好きだし、明羽のことが好きだし、ここにいるみんなのことも好きだ! みんなもそうだろってこと!」

 リュウガは両手を広げ、明羽はそんなリュウガを見る。

「みんな、リュウガみたいな頭だったら良かったのにね。バカばっかりになっちゃうけど」

「え!? 違うのか? っていうかとうとう明羽まで俺のことをバカ呼ばわりっ」

「思ってたけど今まで言わなかっただけだよ」

「ガーン。どうせどうせ……」

「似ている」

「え? 何?」

 ふてくされて寝転がろうとしていたリュウガが黎に顔を向ける。

「いや。聞き流せ。遠い昔に見かけたことのある御仁ごじんに貴様の姿が重なっただけだ。その楽観的な物言い。それに赤い髪……」

「髪?」

「こちらの話だ」

「えー。気になる気になる。聞かせろよー」

 リュウガが前のめりになるが黎は口を開かない。

「ちぇっ」

 リュウガは口をとがらしてそっぽを向き、明羽は軽く息を吐き出した。

「ずっと聞かされてきた伝承は嘘っぱちで、本当のことを知っても結局何も変わってないし、何も解決してないけど。リュウガを見てると気が抜ける」

「それはめ言葉か?」

「誉め言葉」

「そうか!」

「これからどうしようかな」

一先ひとまず、目下もっか僕らにはやらなくちゃいけないことがあるね」

 村長がそう言うとにわかに外がさわがしくなる。近付いて来たかと思ったにぎやかさはあっと言う間に村長の家の前を通り過ぎて行った。

「なんだろう?」

「村の入り口の方へ向かいましたね。ちょっと見てきます」

 夏芽が立ち上がる。

「リュウガ。座れ」

 夏芽と一緒に立ち上がろうとしていたリュウガの動きが止まった。

「アサツキも行こうぜ。今の、この村の奴らだろ?」

 ワクワクが押さえきれないと言わんばかりにリュウガは両腕を振るが、アサツキは黙ってリュウガをめ付ける。答えないアサツキに、めずらしく強行突破しようとしたリュウガは、腰に巻かれたロープのお蔭で玄関戸の前で派手に寝転ねころぶこととなった。アサツキがため息をつく。

「悪いんだが。標。俺達も一緒に連れて行ってもらってもいいか?」

「ん? おう。俺も見に行きたかったから丁度いい。一緒に行こう。それにしてもアサツキは厳しいようで甘いよな」

「え」

 アサツキが目を見開き、標を凝視ぎょうしする。それがおかしくて標は笑った。

「私も行く」

「私も行きます」

「よし。明羽ちゃんと氷呂ちゃんと標とアサツキとリュウガは一緒に行くと。村長は?」

「もちろん行くよ」

「おじ様は?」

「俺は留守番だ」

「では、行ってまいります」

「あ、ちょっと待て。夏芽。こっちは三人つながってんだ」

 村長の家から夏芽が駆け出して行き、それに明羽と氷呂と村長が続く。最後に男三人がもたもたと出て行って、玄関の戸は少し乱暴に閉められた。

「ふん」

 静かになった部屋の中で寝転がったままの黎はひとり静かに目を閉じた。


 村の入り口に人集ひとだかりができていた。

「気を付けて」

「頑張って」

 なんて声が聞こえてくる。

「何ごと?」

 明羽がつぶやくと、集まっていた村人達が振り返った。村人達の向こうに後部座席を幌で覆った車が止まっているのを明羽は見る。その車の側には標をリスペクトして黒い服に身を包んだトリオが今まさに車に乗り込もうとしているところだった。

「待ちなさい。何をしてるんだ?」

「村長」

 トリオは村長を振り返って力強く言う。

「何って新しい候補地探しですよ!」

「明羽ちゃんも氷呂ちゃんも標も夏芽も無事に帰って来たんだ」

「張り切っていってきます!」

「いやいやいや。ちょっと待って」

 村長はトリオに近付いていく。

「それに関して今から標達と相談しようとしてたところなんだ。先走らないでくれ」

「標達は帰って来たばかりで疲れてると思います」

「俺達は元気いっぱいです」

「それに何だかジッとしていられなくて」

「新しい候補地? この村移動するのか?」

 トリオと村人達がリュウガに気付いて硬直した。アサツキはリュウガの首根っこを掴んで標の背後に下がる。先程までの和気わきあいあいとした雰囲気は一瞬でなくなり、村人達は不安そうにひそひそとささやき合う。村人達の様子に明羽はうつむいた。

「明羽」

 氷呂が明羽の手を握る。明羽はその手を黙って握り返した。

「大体集まってるか。丁度いい、みんな聞いてくれ。ここにいない者にも伝えて回ってほしい。改めて時間を取って僕からも説明するけどひとまずは」

 村長は集まっている村人達にアサツキとリュウガが明羽を助けたこと、しばらく村で療養することを伝える。村人達は目を丸くしてお互いの顔を見つめ合う。村長の指示に頷いた村人達とトリオはアサツキとリュウガを気にしながら村の中へと戻って行く。

「明羽。氷呂」

「あれ? 先生。ロープ」

 明羽と氷呂に、標と一緒にいた筈のアサツキとリュウガが近付いていた。アサツキの手には自身とリュウガの腰からぶら下がるロープのはしが握られている。

「村長さんと標と夏芽で大事な話をするらしくてな。俺達は離れてることなった」

「そうなんだ。晴れて自由?」

「俺は罪人じゃないぞ!」

「いや。見える範囲には居るように言われてるから。端に居ようと思う」

「そっか」

「それにしても標はこの村の中心人物なんだな。リュウガのおりを頼むには無理があった」

 自身の持つロープの端を見つめてアサツキは言った。

「標は頼りになるんだ」

 何故か胸を張る明羽にアサツキは小さく微笑む。

「みたいだな。リュウガ。行くぞ」

「なんの話してるか気になる」

「邪魔なんかしたら本当にどこかに閉じ込められるぞ」

「それは困る。俺は遊びたい」

「じゃあ。俺と一緒に大人しくしてるんだな」

「まあ。アサツキと一緒なら」

 明羽と氷呂の横を通ってアサツキとリュウガは建物の土壁に向かう。薄くとも影になっている中に無造作に置かれた木箱にアサツキは腰を下ろした。リュウガはその木箱の側の地べたに座り込む。気付いたアサツキが木箱の半分を開けるがリュウガは首を横に振った。

「地面と土壁にくっついてる方がすずしい」

「確かに、直射日光はないとはいえ、気温は上がって来たな」

 あごに落ちて来た汗をアサツキはぬぐう。アサツキはじりじりと気温の上がってきた空気の中、立ち話を続ける村長と標と夏芽の姿を見る。夏芽はどこまでも涼しい顔をしているし、人型の村長は汗をにじませつつも苦にする様子はなく、ただ、標の着る黒い服には汗染みができ始めていた。

「本当に種族が違うんだな」

 明羽は標や村長達を見つめるアサツキを見ていた。明羽は小走りに駆け寄るとアサツキの座る木箱の空いているスペースに特に断りを入れることもなく腰を下ろす。アサツキはチラと明羽を見てから村長や標達に目を戻す。

「明羽は話に加わらなくていいのか?」

「村の新しい候補地探しに私が手伝えることなんてないから」

「先生。すみません。もう少し詰めてもらっていいですか?」

 氷呂も入ると木箱の上には三人が無理やり座ってすし詰め状態となる。そんな状態を気にすることなく明羽は話を続ける。

「そもそも私の所為せいで計画がとん挫してたんだよね。みんなに迷惑かけて。はあ。どんな顔してあの輪に入ればいいんだが」

「私の所為?」

 アサツキの疑問に明羽はわざと捕まったことに関しては口を滑らせたがそこに至る経緯をアサツキに話していなかったことに思い至る。話すべきかと考えて明羽はそっと氷呂をうかがい見た。

「何?」

「いや……」

「明羽は話したい?」

「話……」

 口籠くちごもる明羽と氷呂の様子にアサツキは自分から突っ込んで聞くのはやめておこうと口を閉ざす。

「えーと……。今回も氷呂は呼ばれるんじゃないの? 水はどうしたって必要だし」

「呼ばれたとしても私は行かないよ。私はもう決めたの。もう二度と明羽の側を離れないって」

「そんな……。氷呂の中で私に対する信頼が地に落ちちゃったのは悲しいし分かるけど。それを取り戻すチャンスもくれないの?」

「私は今でも明羽のことを信頼してるし大好きだよ。明羽の側にいることは私の義務なの。それを思い出しただけ」

「思い出したって……。氷呂……」

 アサツキは隣でり広げられる会話に少し不穏ふおんな気配を感じながらも黙って聞いていた。

「ねえ。先生。先生からも何か言って」

 急に話し掛けられたアサツキは咄嗟とっさに浮かんだ言葉を口走る。

「でも明羽はまんざらでもないんだろ?」

「そうだけど! そうじゃなくって! 私は真面目まじめに!」

 怒る明羽にアサツキは咄嗟だったとはいえ浅はかな返答しかできなかったことを反省する。反省しながらアサツキは明羽と氷呂と何気なく言葉を交わしている自分に、あの頃に戻ったような酷くなつかしい気持ちになった。遠い景色に思いをせていたアサツキに明羽は不満を表すように軽く肩をぶつけた。氷呂の座るスペースを作る為に木箱の縁ギリギリに座っていたアサツキは、見事に木箱の上からころげ落ちた。

「先生!?」

「アサツキ先生!」

 明羽と氷呂があわてて立ち上がる。

 ふたりがアサツキを立ち上がらせる為に手を貸す光景を、村長の指示でその場を離れた筈の村人数人が建物の影からこっそりとうかがっていた。

「明羽ちゃんと氷呂ちゃん。すごくあの人間になついてるよね」

「村に来る前からの知り合いだって?」

「明羽ちゃんなんて二回も助けられたって」

「なんか警戒するの馬鹿らしくなってきた」

 村人達はささやき合う。

「氷呂! ちょっといいか?」

 標が氷呂を呼んだ。

「ほら。お呼びだ」

「茶化さないで。明羽。いい? 第一候補はまだ、あの時、私達で向かおうとした西側みたい。前にできなかった水脈の調査にまた向かうんだって。それとは別にまだ他にも候補地になりそうなところがないか改めて探しに行くことも決まったみたいだけど」

「聞いてたんだ」

 明羽と話をしながら標と夏芽と村長の話もその耳で聞いていた氷呂を明羽は器用だと思う。

「一応ね。さっきも言ったけど、明羽。私は行かないから」

 氷呂が、待っている標と夏芽と村長に向かって歩き出す。明羽はその背中を見送った。

「先生。ごめんね。はじき出しちゃって」

「少し腰を打ったが大丈夫だ」

「先生。なんだか、氷呂が少し変なんだ」

「変?」

 服に付いた砂をはらいながらアサツキは明羽を見る。明羽は氷呂の後ろ姿を見つめながら眉をハの字にする。

「氷呂はいつだって私のことを一番に考えてくれてる。でも、自分のやりたいことがある時は自分の時間を持ってたんだ。でも、今はなんだかずっと私のことばっかりで」

「あんなに大きな怪我をして明羽が大変な時に側にいられなかったんだ。その反動じゃないのか?」

「そうかもしれないけど。見張られてるっていうか」

「見張る?」

「いや、見届ける? それもなんか違うような」

 うまく言い表す言葉が見つからなくて明羽はうなる。

「なんにせよ。明羽は氷呂を信じていればいいんじゃないか?」

「うん。それは」

 即答した明羽にアサツキは小さく笑って肩をすくめた。木箱に戻ろうとアサツキが振り返ると、そこには先程まで地べたに座っていた筈のリュウガが座っていた。端に座っていたリュウガはいているスペースを両手で示す。

「さあ! 座れ!」

「明羽。氷呂と一緒にいた方がいいんじゃないか?」

「そうだね。行ってくる」

「あれ!?」

 明羽は去り、アサツキはリュウガに背を向けて木箱の空いているスペースに座った。その背にリュウガは遠慮なく寄り掛かる。

「楽しそうだったからぜてもらおうと思ったのに」

「子供みたいなこと言ってるなよ。暑いから離れろ」

 けれどリュウガは離れない。暫くふたりはそうしていたが、暑さに我慢の限界がきて、リュウガはアサツキから離れた。

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