第9章・逃走中(3)

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 満天の星が光り輝く下、真っ暗に落ち込んだ砂漠の上を一台の黒い車が走っていた。助手席に立っていた氷呂が目を開ける。

「大丈夫だよ。明羽。私も早く明羽に会いたい。夏芽さん。あっちです」

「はいはーい」

 夜だろうが寒かろうがへっちゃらなふたりは夜の砂漠をばく進する。


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 標はとある無人のオアシスに辿り着いていた。

「焚火の跡。まだ新しいな。今日の昼ぐらいに使った跡かな。それから足跡が三人分。形、歩幅、沈み具合から成人男性がふたりと明羽のにそっくりなのがひとり分。ほぼ間違いないだろう。よし。近付いてる近付いてる。さて、次に向かうとしたら。人間は俺達と違ってぶっ続けで長時間の運転はできないから」

 ひとり呟きながら標は肩に掛けていた何枚もの毛布をたくし上げる。車に乗り込んで地図を広げる。


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 夜が明けてまだ空気に冷たさが残っている間に明羽とアサツキとリュウガは一晩お世話になったオアシスを後にする。明羽が窓から顔を出して背後を振り返ると小さくなっていくオアシスと自分達とは反対方向へ進んで一層小さくなっていく商人のトラックが見えた。明羽は窓を閉じる。

「そういえば、先生。私達、東の町に向かってるの?」

「え?」

 進行方向を注視していたアサツキが頓狂とんきょうな声を上げた。

「昨日商人さんと話してたじゃん」

「ああ。いや、東の町には向かってない。東寄りを回って行こうとは思ってるが」

「へ? どういうこと?」

「明羽。俺達は今どういう立場にいる?」

「え? えっと?」

「俺達は逃亡者だ。良く知らない人に行き先を素直に教えられる訳ないだろう」

 明羽はハッとする。北の町がらみであんな思いをしたのに明羽自身、身に染みていない事実に驚いた。アサツキとリュウガのお蔭ですっかり毒気が抜かれてしまっていた。

「えっと、じゃあ私達はどこに向かってるの?」

「言ってなかったか? 明羽。俺はお前を送り届ける為に走ってる。明羽自身が証明してくれただろう。噂の村の存在を。俺の憶測を。だから俺は車を走らせてる。北の町から南の最果てまで。なかなかの強行軍だがまあ、何とかなるだろう」

 すでに帰途についていた事実に明羽は再び驚いた。驚いたが安堵しつつ浮かんできた疑問に明羽はアサツキを見る。

「私は帰れたとして、先生達はその後どうするの?」

「ん? 別にどうもしないさ。俺は俺の日常に戻る。リュウガはリュウガで何とかするだろ」

「私に関わってそんな簡単に戻れるものなの?」

 声の低くなった明羽にアサツキは笑う。

「心配するな。リュウガは目立つし、元々身内からはいつだって追い掛けられているような奴だ。そして俺のことを知ってる奴は少ない。明羽が心配するようなことは何もない」

「そうかなあ」

「そうだ。それより今は追手が一切掛かる気配のない方が気になる。順調すぎて逆に不気味だ」

「見つかってないってことだろー。いいことじゃねえか」

「確かにここまですごく順調だよね」

「無視かよー」

 後ろからリュウガがブーイングを飛ばしてくるが明羽とアサツキは当然のように無視した。

「俺の扱い!」

 明羽は地図を広げ、アサツキは地平線へ向かって車を走らせる。


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 明羽達と一晩を共にし、同じ頃にオアシスを出発した商人は、それからさほど時間が経っていないにも関わらず、別のオアシスに立ち寄っていた。多くの人が行き交う、そこそこ大きなオアシスで商人はまっすぐに役人の詰め所へ向かう。詰め所の前でトラックをめ、建物の中へと入った商人はそこにいた役人に笑顔を向ける。

「お役人様。情報を買ってはいただけませんか?」

 商人がもたらした情報はすぐにある男へと伝えられる。赤黒い制服に腕章を付けた隊長は口角を吊り上げた。

「よくやった! 情報提供者には金一封くれてやれ!」

 椅子から勢いよく立ち上がった隊長は整列する同じ制服を着た男達に語り掛ける。

「諸君。新たな情報が入った。我らは引き続き奴らを泳がせ、噂に聞く亜種だけで構築される村の真偽しんぎを確かめる。亜種の根城など想像するだけでなんとおぞましいことか! もし本当にそんなものがあるならば我らはこれを叩き潰さねばなるまい! これは我らの使命である! だが今ははやる気持ちをグッと堪えるのだ。付かず離れずじりじりと追い込んでやろうではないか。奴らが気付いた時にはもう遅い! これは陛下がかかげる亜種殲滅作戦の前哨戦ぜんしょうせんである! 心せよ! 我らは必ずこれを成功させ、陛下の期待に応えるのだ!」

 赤黒い制服を着た男達は一糸乱れぬ動きで踵を打ち鳴らした。ただひとり、隊長と共に明羽を北の町まで運んだ運転手だけがため息をついていた。


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 明羽は地図から顔を上げる。

「先生! あれ、あれ! 岩石地帯?」

「ああ。そうだ。大分東の町に近付いたな」

 真っ白な砂漠に忽然こつぜんと現れた異物は身のたけを優に超え、近付く者に強烈な圧迫感を与えながら立ち塞がっていた。近付くと砂漠の様子も変わっていく。砂ではなくひび割れた大地へと変わった地面からそそり立ついくつもの大岩に明羽は手元の地図に目を落とした。

「分かってきた。分かってきたぞー」

「あそこで真昼をやり過ごそう」

「うん!」

 元気よく返事をして明羽はいつか見た西側の岩石地帯とは比べ物にならない景観に標と氷呂の姿を思い出す。

「こんな形で来ることになるとは思いもしなかったな。氷呂と標と、それから夏芽さんとも来たかったな。謝花にお土産話一杯持って帰って……」

 明羽はため息をつく。

「村の仲間達か。今はやめとくか? みんなと一緒に来る時の為に取っとくか?」

「え、いやいや。もうすぐ太陽真上だよ。今から予定を変えるのは無理があるよね。私はともかく先生達は」

「まあな」

 アサツキはゆっくりと車を岩の影に入れていく。

「おお」

 明羽は感嘆の声を上げずにはいられなかった。外から見れば何者の侵入もこばむ絶壁の盾だったのが中に入ってしまえば太陽の光から中にいる者を守る、さながら自然の要塞ようさいのようだった。岩壁が折りかさなり、先の見えない道中をアサツキはスイスイ進んで行く。

「先生。迷うことなく奥に進んじゃってるけど大丈夫? 出る時困らない?」

「この岩石地帯は一部観光地化してるし、旅人の休憩地点にもなってるんだ。中がどうなってるかは既に予習済み」

「先生ってできる男だよね」

「お褒めに与り恐悦至極きょうえつしごく

「うわっ。何そのかしこまった言い方!」

「ははは」

「俺だってできる男だぞ!」

 リュウガが後部座席から身を乗り出す。

「え。どこをどう見て?」

「忘れたのか。明羽! お前を城から助けたのは俺だぞ!」

 明羽が目をしばたく。

「そうだった」

「本気で忘れてたのか!?」

「まっさかー」

「忘れてただろ」

「そんなこと御座ございませんよ。リュウガ様。今日の私があるのはあなた様のおかげ。忘れる訳ないじゃないですか」

「そうだろう! 分かればいい!」

 満足したリュウガが後部座席に戻る。「そんな感じだから忘れちゃうんだよ」と明羽は思ったが口にはしない。車がゆるゆると減速し始め、明羽がアサツキを見るとアサツキは厳しい顔になっていた。

「先生?」

「おかしい」

「何が?」

「一部観光地化してるって言っただろ。それにここは現在も稼働中の採石場なんだ。静か過ぎる」

「太陽真上だし。みんな休憩してるんじゃ?」

「それにしても静か過ぎる。人の気配がまるでないのはやっぱりおかしい」

「確かに……」

「嫌な予感がする。引き返……」

 アサツキがハンドルを切ろうとした時、岩の影から明らかに堅気かたぎでない雰囲気の男達が現れた。窓越しに品格のひとつもない顔が車の中を覗き込む。

「いい車だな。兄ちゃん」

 明羽達は車から引きり下ろされた。気を付けていた筈の盗賊にまんまと出くわしていた。

「イテテ」

「その子に乱暴しないでくれ。病み上がりなんだ」

「病み上がりだ? やまい持ちは面倒だな」

 アサツキの言葉に明羽の腕を掴んでいた男はその手を乱暴に放す。

「黙ってりゃバレませんよ。この容姿だ。高く売れますぜ」

 人間ではないとバレるようなことは一切していないのにそんなことを言う盗賊に明羽は目を瞬いた。それとも分かるような動きをしただろうかと不安になる明羽の腕をアサツキがつかんで引き寄せる。

「い、いてて。先生」

「悪い。明羽」

「ボス。こいつらろくなもん持ってないですよ」

 車を物色していた盗賊が言う。

「保存食にそこそこのテント。燃料はまあまあ」

「いい車乗ってるから良いもの積んでると期待したんだが。がっかりだな。え? 売れそうなのはこの車とその嬢ちゃんぐらいか」

「お、ボス! もう一個売れそうなもんが」

 そう言った盗賊の手に握られていたのは小型の猟銃だった。明羽は目を丸くする。そんなものが積まれているなど知らなかった。

「せ、先生?」

「護身用に手に入れた物だったんだがな」

「俺はらねーって言ったんだぜ? 今まで触ったことのない物をさー」

「確かに要らなかったな。結局仕舞い込んでいざという時に使えないんじゃ宝の持ちぐされもいいところだった」

 アサツキはともかくリュウガがため息をつくのは珍しい。

「一度も使われた形跡がない。それにしても兄ちゃん達。危機感ねえな」

 慣れた手付きで猟銃の性能を確認していたボスがその銃口を明羽達に向ける。三人はぐうの音も出なかった。何もないと言いながら盗賊達は車の中を漁り続ける。それを眺めながらリュウガは明羽に耳打ちする。

「車はくれてやるから俺達のことは見逃してくれっていうのはどうだろう?」

「え。何? それで助からないかっていう話? 聞いてくれる人達には見えないけど」

「じゃあ、情に訴える」

「情?」

「さっきアサツキが明羽を病み上がりって言ってただろ。それを利用して実はこの子はもうあまり長くないんです。残り短い生を謳歌おうかさせてやってくださいって言う」

「黙って売っちまえ。みたいなこと言われてなかったっけ?」

「車がなくなったらその時点でもう砂漠を移動できない。野垂のたれ死にだ。最低でも車だけは死守して逃げないと」

 明羽とリュウガのしょうもない話をアサツキが打ち切る。

「問題はこの人数相手にどうやって逃げるかだ。何とか隙をついて車を取り返して、その足で奴らを蹴散らして逃げ、られるか?」

「アサツキがそうするっていうなら俺は全力でやるぞ」

 リュウガの自信満々の顔にアサツキは一度目を反らすが他にいい案が思いつかない以上やるしかないと覚悟を決めかけた時、向こうの岩の影から新たな盗賊が駆け込んでくる。アサツキは今の状況に自分が冷静じゃないことを自覚した。ここにいるだけが盗賊の全容でない可能性をみすみす失念していた。アサツキは額を押さえる。見えない敵にアサツキの思考はにぶっていく。駆け込んできた盗賊はその手に紙切れを持っていた。その紙切れを見たボスは獰猛どうもうに笑った。

「こいつあ……」

 ボスが近付いてきてアサツキは明羽を背後にかばう。

「先生」

「静かに」

 明羽はうつむく。風を呼べればこんな状況は明羽にとってピンチですらない。それができなくてアサツキやリュウガに守られている自分に明羽はいきどおりを覚えて唇を噛む。

「王子とは露知らず。数々のご無礼をお許しください」

 ボスがこうべを垂れるのを見て、明羽とアサツキは息を呑んだ。当のリュウガはそんなボスを見てにんまりと笑う。

「お? なんだ気にすんな。そういや言ってなかったもんな」

「馬鹿野郎! リュウガ!」

「へ?」

 ボスがニヤリと笑う。

「間違いない。バカ王子だ。ということはこの嬢ちゃんが逃げたっていう天使だな。この人相書き、あんまり似てねえな」

 覗き込んでくるボスから一層隠すようにアサツキは明羽を背後へ押し込む。

「先生」

「一応確認しろ。天使は背中に怪我してるって話だ」

「へい」

 明羽は「またか!」と苦虫を噛んだような気分になる。アサツキを回り込んで来た腕が明羽を掴んだ。

「明羽!」

「おーい。仮にも女の子だぞ。男じゃなくて女で確かめろよ」

「仮にもってなんだ!」

 ズレたことを言うリュウガに明羽は怒鳴どなっていた。

「悪いな。ウチは男所帯おとこじょたいなんだ。女はいねえ」

「明羽!」

 動こうとしたアサツキを盗賊達が押さえ込む。

「先生!」

「はいはい。お嬢ちゃんはこっちですよ~」

 盗賊は明羽を数歩引きって立ち止まった。

「さあて」

 明羽を見下ろす盗賊の目が笑っていた。その場にいる盗賊達が興味本位の目を明羽に向ける。盗賊の手が服に伸びてきて明羽は一歩後退あとずさっていた。

「そうか。いないのか。じゃあ。ダメだな」

 リュウガのいつもと変わらない声色だった。

「ぎゃあああああぁあああああああぁぁぁ!!!!!」

 叫び声が上がったかと思うと目にも止まらぬ速さで駆け抜ける影に盗賊達が翻弄ほんろうされていく。

「なんだ!? 何が起こった! バカ王子はどこいった!」

 撃鉄げきてつが上がる音と発砲音が繰り返し岩に反響して鳴り響く。リュウガは手に持った銃が弾切れになると銃を持っている盗賊から奪い、撃ち続けていく。最初こそ戸惑っていた盗賊達も次第に冷静さを取り戻し、応戦し始める。弾の飛び交う只中にいた明羽は逃げようと一歩踏み出して派手にすっ転んだ。泣きたくなった気持ちを奮い立たせようとして明羽は胸に手を当て、そこに隠していた筈の髪飾りがなくなっていることに気付く。

 リュウガがアサツキを助け起こす。

「大丈夫か? アサツキ」

「やっぱりこうなるのか」

「俺達の十八番おはこだな!」

 笑顔のリュウガを一睨ひとにらみしてからアサツキは諦めのため息をついた。

「まあ、いい。こうなったら押し切るしかない。盗賊があとどれだけいるか分からない以上ここからは時間との勝負だ。一刻も早く逃げるぞ」

「おう!」

「死ねえ!」

「ん?」

 突っ込んで来た盗賊にリュウガはあせる様子もなく銃を向ける。リュウガが引き金を引くもカチンと乾いた音が鳴っただけだった。

「お?」

「リュウガ!」

 アサツキがリュウガとは対照的に叫ぶ。隙ありとばかりに速度を上げた盗賊にリュウガは弾切れの銃を投げ捨てながら拳を打ち込んでいた。盗賊がその場に倒れた。リュウガに次々と手下を倒される様をボスは悠々と眺める。

「第一王子が銃にも体術にも長けてるとは知らなかった」

 雑多に乱れるリュウガと手下達からボスは目線をズラす。ボスが目を向けた先にいるのは周りの様子などお構いなしに地面の上を探る明羽の姿だった。

 地面をつくばる明羽に近付いているボスの姿にアサツキは気付く。

「明羽! 何してる! 逃げろ!」

「でも、先生!」

「こいつら全員捨てても天使さえいればお釣りがくるってもんだ」

 ボスが明羽に手を伸ばし、明羽はそれをけて立ち上がる。けれどボスへの注意力は明らかにがれていて、明羽の意識は未だに地面に向けられていた。そんな明羽にボスは笑う。

「亜種は俺達が持たない力を持ってるとかいわれてるが、ありゃデマか? 不安そうに震えてるお嬢ちゃんにしか見えないんもんなあ? どうせ何もできないなら雑魚ざこに手をわずらわされる程腹立たしいことはない。大人しく捕まれよ! 天使!」

 明羽は歯を食いしばってボスを睨み付ける。必死になって集中しようとする。「風よ。風よ」と心の中で唱えながら両の手の拳を握りしめる。明羽の様子にボスが怪訝けげんそうに片眉を上げた。

 しかし、何も起こらなかった。

 俯いた明羽の肩は震え、こぼれた涙が乾いた地面にひとつふたつと染みを作っては消えていく。

「なんだあ? 何か見せてくれるのかと思ったのによお。期待外れもいいところだな」

 ボスが明羽の腕を掴む。泣きながらも明羽は抵抗を諦めなかった。

往生際おうじょうぎわが悪いな。無意味な抵抗してんじゃねーよ。弱い癖に腹が立つって言ったよなあ!」

「明羽!」

「先生!」

 アサツキが明羽のすぐ側まで駆け寄っていた。それだけで明羽は安心してしまう。

「うるせえよ」

 間近で響いた発砲音に明羽の視界が軽く歪んだ。視界が元に戻った時、明羽は見てしまう。アサツキの腹が真っ赤に染まっていた。明羽まで数歩のところで立ち止まったアサツキの身体がゆっくりと地面に倒れ込む。ボスの手には白煙の上る散弾銃が握られていた。

「せ、せんせ……」

「アサツキ?」

「おっと。同じ弾を食らいたくなけりゃ動くんじゃねーぞ。王子様。あ?」

 ボスに散弾銃を向けられてもリュウガは呆然とその場に立ち尽くしていた。

「なんだなんだあ? 戦意喪失かあ? その男はよっぽど大事なお仲間だったのかあ?」

 明羽を引き摺りながら倒れるアサツキに近付いてボスはその肢体したいを蹴り上げた。

「うっ……」

 アサツキが呻き声を上げた。明羽は身体の内側から外へ向かって光が駆け抜けるのを感じて叫ぶ。

「やめろ!」

 明羽を中心に空気が渦を巻いた。明羽の腕を掴んでいたボスの腕がねじり飛び、赤色がはじける。ボスは叫び声を上げ、明羽は翼を広げていた。左側にのみ生える四枚の翼。明羽を中心に起こった風は威力を増していき、天を突く大竜巻へと姿を変える。腕の先から大量の血を流しながらボスは後退る。明羽はその姿から目を放さない。

「ひいっ! たす、助け……」

 明羽の緑色の瞳が一瞬だけ金色にひらめいた。明羽の作り出した竜巻は明羽とアサツキとリュウガの三人をのぞいたその場にいた生き物を岩石地帯から弾き飛ばした。竜巻が消え、明羽は荒い呼吸を繰り返す。一度大きく息を吸い込むと明羽は顔を上げた。

「先生!」

 明羽の背で真っ白な翼が霧散むさんする。

「先生! 先生、先生、先生!」

 真っ赤な血が大地に染み込んで暗い染みを作っていた。

「血が……」

 明羽は北の町からずっときているワンピースのスカートのすそを裂き、アサツキの傷口に押し当てる。スカートだった布切れは瞬く間に真っ赤に染まった。明羽はにじんできた涙を堪えて顔をゆがめた。

「先生……。せん、先生ぇ……」

 堪えた筈の涙が明羽の頬をすべり落ちていく。アサツキは今にも消えてしまいそうな浅い呼吸を繰り返していた。

「リュウガ! リュウガ!!」

 明羽に叫び呼ばれても、リュウガは倒れるアサツキを呆然と見つめて立ち尽くしている。

「リュウガ!!!」

 明羽が再三叫んでもリュウガは動かなかった。明羽が唇を噛むと虫の息だった筈のアサツキが真っ赤に染まる腕をわずかばかり上げた。

「リュウ……」

 喉から空気が漏れただけのようなアサツキの声にリュウガが反応する。

「アサツキ……。アサツキ!」

「だい……ぶ……だ……」

「ああ! そうだよな! アサツキだもんな!」

「リュウガ。押さえて」

「ああ! 変わるっ。変わるぞ!」

 気休めにもならなそうな血止め作業をリュウガに変わってもらって明羽は立ち上がる。ふらふらと歩いて空をあおぎ見る。落ちてきそうな程、濃密な青い空にわずかばかり傾いた太陽が浮かんでいた。いつだって太陽に寄り添っていた月の姿は見えない。明羽の喉から嗚咽おえつが漏れる。

「う……うぅ……。誰か……誰かっ! 氷呂……氷呂っ……氷呂! 氷呂!」

 明羽の嗚咽はいつしか叫ぶような泣き声に変わっていた。ここにいない者の名を明羽は叫び続ける。

「氷呂! 氷呂! 氷呂ぉ……」

 明羽の叫びを掻き消す重低音が突如とつじょ、岩に反響し始め、明羽は驚いて喉を閉じた。空気を震わせながら明羽の前に現れたのは、真っ黒な大型のバイクが一台とそれに追従ついじゅうする複数の小型のバイクと数台の車だった。大型バイクの後ろに立ち乗りしていた男が黒いマントをひるがえしてひび割れた大地に降り立つ。

「いたな」

 ぼさぼさの髪によく日に焼けた肌。眼光鋭い意志の強い瞳を明羽に向けて、盗賊団『西の風』のお頭は不敵に笑った。お頭は呆然と立ち尽くす明羽に向かって何かを投げて寄こす。持ち前の運動神経で明羽は反射的にそれを受け取った。手を握り込んだ瞬間に明羽はハッとする。明羽は恐る恐る手を開いて見る。そこにあったのは涙型に削り出された緑色の石の付いた髪飾りだった。

「なん……どこ……」

「無人のオアシスに落ちてるのを見張りが見つけた。なかなか見ない石だからな。もしかしたら近くにいるのかと思って移動してたら不自然な大竜巻が見えた。いい目印だった」

「……ここ、東側だよ?」

「たまたまな」

「捕まった天使が逃げ出したって聞いて、探しに来たと素直に言えばいいのに」

「おほん!」

 副団長である目付きの悪い男の言葉をお頭がさえぎった。

「さて、どうしてほしい?」

 明羽はお頭の目が明羽の背後に向いてるのを見る。明羽は迷うことなく叫んでいた。

「助けて!」

「よし。先生を呼べ」

 お頭に追従していた小型バイクの一台が走り去って行く。お頭が明羽の横を通り抜け、明羽は慌ててその後を追う。リュウガがお頭を睨み上げる。

「また盗賊か!」

「噂のバカ王子か」

「ば……」

「リュウガ! 待って。助かる! きっと先生、助かるから!」

「こいつらも盗賊だろう! 信じられるか!」

「リュウガ!」

 明羽はリュウガにすがりついていた。

「きっと大丈夫だから!」

「まあ。第一王子の意向いこうなんざ関係ねえから安心しろ。俺は、俺達はお前達に借りを返すだけだ」

 明羽はお頭を見上げて目を瞬く。

 そうこうしているうちにお頭の指示を受けたバイクが一台の車を引き連れて戻ってくる。それは後部に荷物を多く乗せられるように作られた箱型の車だった。箱型の車から降りてきたのはお頭よりも頭ふたつ分背の高い、体付きもしっかりとした大男だった。黒服の集団に漏れず黒い服を着た大男はアサツキをて野太い声で静かに言う。

「これは酷い有様ありようですね。天幕を張ってる暇はないな。すぐに処置に入ります」

 アサツキは担架に乗せられ、箱型の車の中へと運び込まれる。まだ納得できないリュウガは箱型の車を睨み付け、アサツキを追い掛けて止められた明羽は箱型の車の側で立ち尽くす。明羽は失くしたと気付いて間もなく戻ってきた涙型の緑色の石を強く強く握り締める。明羽とリュウガの背を見つめていたお頭にひとりの黒服が駆け寄る。

「お頭」

「ん? どうした?」

 黒服がお頭に耳打ちするとお頭はニヤリと笑う。

つぶせ」

 お頭の指示に戸惑いを見せた黒服に変わって、目付きの悪い男が言う。

「彼らの為にそこまでするんですか?」

「北の町の奴らの思い通りにことが運ぶなんてしゃくじゃねえか」

「まあそうですが」

「なんだ? 不満か? なあ? 不満か?」

 尋ねられた黒服は背筋を伸ばす。

「いいえ! お頭の決めたことに逆らう奴なんていません!」

「それはそれでな。まあ、いいか。リュリ。編成を任せる」

「分かりました。確実に叩き潰せる精鋭せいえいを向かわせます」

容赦ようしゃねえなあ」

「こちらに被害が出るなんて馬鹿らしいですから」

「まったくだ」

 お頭の指示の下、岩石地帯から『西の風』の別動隊が離れていったことを明羽は知る由もない。

 残党狩りと安全確保の為、武装した黒服達が岩石地帯を探索していたが、明羽とリュウガはそれどころではなく、箱型の車の側から離れられない。西の空が真っ赤に染まり上がり、東の空が群青色に変わっていく。長く伸びた影の下に停車する箱型の車の扉が開いて大男が降りてくるとお頭が大男に近付いた。

「天幕は立ててある」

「さすがです。お頭」

「先生!」

「アサツキ!」

「患者はまだ眠っています。お静かに」

 箱型の車から降ろされる担架に駆け寄った明羽とリュウガを大男が止める。リュウガはブーイングを飛ばしたが明羽は近くに立てられた天幕に運び込まれるアサツキから目を放せないまま大男にたずねる。

「あの、あの。先生、先生は?」

「先生というのは患者のことですね」

「あ、うん。アサツキ先生」

「強運としかいいようがありません。大量の出血で危うかったですが輸血しましたので。驚くべきは弾の殆どが急所を外れていたことです。運がいいどころの話ではない。強運、豪運としか言いようがありません」

「つまり……」

「目が覚めるまでは油断できませんが一先ひとまずは大丈夫ですよ」

 先程までブーイングを飛ばしていたリュウガが歓声を上げた。

「巨人! ありがとう!」

「誰が巨人ですか」

「ごめんなさい。コレは後で好きなだけサンドバックにしてくれて構わないので!」

「あなたはあなたですごい言いようですね」

 明羽は大男に頭を垂れる。俯いた側から大粒の涙が明羽の頬を伝い落ちる。お頭達が現れる前に流していた涙とは違う涙だった。

「ありがとう……。本当にありがとう!」

「顔をお上げください。先程も言いましたがまだ油断はできません。意識が戻るまで絶対安静です。面会は今しばらくお待ちを」

 大男の言葉に明羽は何度も頷いた。リュウガが再び不満を漏らし始めたが明羽はそのすねを蹴り上げて黙らせた。


 あちらこちらで煌々こうこうと火がかれ、そそり立つ岩壁にユラユラといくつもの影が揺れ動く。明羽は小さな岩に腰掛けて、ぼんやりと涙型の緑色の石をいじっていた。お頭が明羽の側に腰を下ろして湯気の立つ皿を差し出す。

「食べろ。持たないぞ」

 香辛料はひかえめの優しい香りの立つ、豆と野菜の具材たっぷりスープを明羽は口にふくむ。

「おいしい」

「ウチの料理人は腕がいい。パンもあるぞ」

「食べる」

 お頭が差し出してきたパンはほっこり湯気ゆげが立っていて焼き立てだった。

「モチモチしてておいしい」

「ウチはパン職人も腕がいい」

 黒服達によって岩石地帯の安全確保が済むと戦闘員の人数が減り、代わりに料理人などの非戦闘員が数人、岩石地帯に入って来ていた。

「すごいね。料理人なんて前からいたっけ?」

「前より人数増えたからな」

「すごいなあ。相変わらず来るものこばまずなんだね。ここにいない人達は岩石地帯の外にいるんだ」

「ああ。トラックは当然として、車も入り切らないからな」

「つまりアンナも外にいるんだね」

「あの竜巻は尋常じゃなかったからな。アンナは来たがったんだが心配性の旦那がアンナを引き止めた」

「へえ。旦那さんが……ふぁっ!?」

「安全確認も済んだし。明日の朝にはアンナが押し切ってくるんじゃねえかな」

「アンナ結婚したの!?」

「そんなに驚くことか?」

 明羽が黙り込むと近くでにぎやかな声が上がる。明羽とお頭がそちらに顔を向けると、そこではリュウガが食事中の黒服達に交ざってスープを口に掻っ込んでは「うまいうまい」と何度も料理人におかわりをせがんでいた。

「あのバカ王子。半日前まで俺達に敵意き出しにしてたよな?」

「リュウガの良いところで悪いところ。先生も助けてもらったし。一気に警戒心なくなったみたいだね。にしても……アンナが結婚? 年上だとは思ってたけど、私達と大して変わらないと思ってたのに」

 明羽はひとしきりうんうんうなる。篝火かがりびから火の粉が上がった。明羽が空を見上げると、地上の橙色の光とは一線をかくした億万の光が夜空をいろどっている。明羽は考えるのをやめてお頭を見る。

「お頭。本当にありがとう。先生を助けてくれて。この恩は絶対返すから。私にできることがあったら言ってね」

 意気込んで言った明羽にお頭は呆れる。

「明羽。俺は盗賊でお前は天使だ。分かってるのか?」

「分かってるよ?」

「いいや。分かってない。俺が身売りしろって言ったらするのか?」

「お頭はそんなこと言わないでしょう」

 明羽がお頭をまっすぐに見つめ、お頭は口を閉じた。

「そうゆうことを要求されることを踏まえろと俺は言ってるんだ。危機感を持て」

 懐かしいセリフに明羽は笑っていた。

「何を笑ってやがる。とにかく俺はお前達に借りを返しただけだ。それにまた恩を着せられたんじゃ本末転倒なんだ。だから気にするな」

「それ、お昼も言ってたけど。私、お頭に貸しを作った覚えがないんだけど」

「本気で言ってんのかよ。お前達ふたりにあの時俺達は救われた。あの水源のお蔭で俺達がどれだけ助かったか」

「なら、お頭達を助けたのは氷呂だ」

「お前があの青い髪の少女、氷呂を連れて来たんだろう。お前がいなけりゃああはならなかった」

「そうかな?」

「そうだ。そういえば捕まった噂は天使のものしか聞かなかったが。もうひとりはどうした?」

「……訳あって別行動中」

「そうか。そういや初めて会った時もお前はひとりだったな。後から青い髪の少女が現れて。また後から現れそうだ」

 お頭の能天気な声に明羽は膝を抱えて深く深くため息をつく。きっと怒っている氷呂に明羽は会いたいけれど会いたくないという複雑な思いを消化できずにいた。

「なんかあったな」

「なんもな、くはないけど……。多分怒ってるから」

「あはは」

「笑っ!? もういい。私の気が納まらないからお礼は押し付けることにする!」

「なんだそりゃ」

 明羽は翼を広げた。左側にのみ生える四枚の翼。どよめき声が上がって明羽はハッとした。戦闘員の黒服達が銃を向けるまではしなかったが身構えていた。黒服達が明羽に不安とも恐怖とも畏怖いふとも取れる目を向けていた。明羽は今さら翼を引っ込める訳にもいかずサッと羽根を一枚引っこ抜いてそれをお頭に差し出す。

「天使の羽根は幸運のお守りなんだって」

「……そうか」

 お頭は手を伸ばすも一度躊躇ちゅうちょしてから白い羽根を明羽から受け取った。お頭の様子に明羽はしまったと思う。人間以外の種族にとっては幸運のお守りでも人間にとってはそうではない可能性に明羽は少し焦る。

「折角だ。貰っておく」

 自分の顔より大きな白い羽根を篝火に透かすお頭の顔はどこか少年めいていた。明羽はホッと胸をで下ろす。

「お前は第一王子を笑えないな」

 お頭の言葉に翼を広げたままニコニコしていた明羽は頭の上に疑問符を浮かべた。

「お頭」

 目付きの悪い男がお頭に近寄って耳打ちする。お頭は明羽をチラと見てから立ち上がる。

「ま、いいところで休んでくれ」

「うん」

 お頭が離れると明羽はいまだ自分に向けられている視線に少し居心地が悪くなる。

「明羽!」

 空気など読まないリュウガが喜色満面で近付いて来て明羽は翼を消した。リュウガが分かりやすくがっかりする。そんな明羽とリュウガのやり取りを横目に見ながらお頭は目付きの悪い男の報告を聞く。

「逃げられたそうです」

「そうか。深追いはしてないだろうな」

「全員戻って来ています。こちらに被害はありません」

「よくやった。後でねぎらってやらねえとな」

「いいですね。士気が上がります」

「お頭! 副団長!」

 外から慌てて駆け寄って来た黒服にお頭は警戒する。

「どうした?」

「車が一台、前で止まりました」

「追い返せ。今ここは俺達が占拠せんきょしてる」

「俺達もそう言ったんですが。どうしてもここに用があるの一点張りで。銃を向けてもまるでひるまなくて」

「ふ~ん?」

 お頭があごに手を置いて数秒思考する。

「よし。連れて来い。どんな豪傑ごうけつかこの目で確かめる」

「ハイ!」

 黒服が走り去って行く。

「相変わらずですね。諜報員ちょうほういんだったらどうするんです」

「そん時はそん時。敵地の真ん中に入る勇気をたたえてやろう」

「そうして油断させて叩き潰すんですよね」

「へっへっへっ」

「ハアァ―――……」

 間もなく黒服に銃を突き付けられたひとりの青年が連れて来られる。一見黒服達と似たような黒い服を着た青年は夜用の羽織を着た上に昼用の赤みの強いピンク色のマフラーを巻いていた。

明羽は立ち上がっていた。立ち上がった明羽に紫黒の髪、闇色の瞳の青年も気付く。

「よう。明羽。思ったより元気そうだな」

「標!!」

 明羽は駆け出していた。飛び込んできた明羽を標は正面から抱き止める。

「ごめんなさい! ごめんなさい! 標! ごめんなさい!」

「おー。よしよし。色々言いたいことはあるが。とにかく無事で良かったよ」

 たがが外れたように泣き叫ぶ明羽とそれを受け止める標の姿に、亜種に嫌悪感を持っていた筈の黒服達が涙ぐむ。

 明羽が泣き疲れて眠ってしまうまで、標はずっと明羽の頭をでていた。夜もけて冷え込みがいよいよ厳しくなる時間帯になると、殆どの黒服はそれぞれの寝床に帰り、岩石地帯の中は人がまばらになる。篝火にくべられたたきぎが弾けた。岩壁を背に座る標の膝を枕にして寝る明羽の顔をリュウガが覗き込む。

「酷え顔」

「失礼だなあ」

 泣きらして真っ赤になっている明羽の顔を標が手で覆い隠す。リュウガは標の顔を見てニッと笑う。

「お前が標かあ」

「そういうあんたは第一王子だな」

「お? 知ってるか?」

「あんたはなんで俺のこと知ってるんだ?」

「道中明羽が話してくれたんだよ。噂の村のこと。そこで出会った人達のこと。色々」

「明羽は随分あんたのことを信用してるんだな」

「そうとも! 聞いて驚け。俺が明羽を助けたんだぞ!」

「そうか。やっぱりそうなのか。礼を言う。ありがとう。義妹いもうとが世話になった。本当にありがとう」

 改まって深々と頭を下げた標にリュウガが身構みがまえる。

「お、おお……」

「もうひとりいたと聞いてるんだが。あんたひとりか?」

 リュウガの顔色が変わる。

「アサツキは……」

 標はリュウガの目線を追った。その先には箱型の黒い車が一台と、ひとつの天幕が立っていた。

「何かあったのか? 正直あんな風に明羽が俺に駆け寄って来たことに驚いたんだ。何か、余程よほど怖い思いを……」

 近付いてくる足音に標は言葉を切ってそちらに目を向ける。お頭と目付きの悪い男が標に近付いていた。

「毛布だ」

 お頭が言い、目付きの悪い男が標に厚手の毛布を差し出す。

「ああ。ありがたい。明羽達と違って俺は寒いのも暑いのもこたえるから」

「そうなのか。というかやっぱりお前も亜種」

「俺のは!?」

「ありますよ」

 お頭の言葉をさえぎったリュウガに目付きの悪い男が顔色ひとつ変えずに毛布を差し出す。お頭は気を取り直して標に向き直る。

「お前の種族はなんだ?」

「俺は悪魔だ。純血の悪魔。標だ。よろしく」

 お頭と目付きの悪い男が目を見張った。

「こいつは驚いた。袋叩きになんてしてたら返り討ちにされてたな」

「危なかったですね」

「待て待て。悪魔にどんなイメージ持ってんだよ。つーか袋叩きって……」

「強い種族だと聞いてるからな」

「まあ、間違っちゃいないが」

「そんな簡単に正体を明かしてしまって良かったのですか?」

 目付きの悪い男の質問に標は貰った毛布を広げながら答える。

「正直外にいるあんた達の仲間を見た時は驚いた。前に明羽と氷呂が世話になっただろう。またお前達かと」

「ちょっと待て。確かに俺達は明羽と氷呂と以前に会ってる。だが、それをなんで知ってる?」

「あの時、俺は明羽と氷呂を連れて移動してるあんた達の後を、付かず離れず追い掛けてたからな」

「……気付きませんでした。申し訳ありません」

「まあ、あの時の俺達にはあんまり余裕がなかったからな。仕方ない」

 今更になって知った事実に目付きの悪い男が悔しそうに歯ぎしりする。その肩をお頭が軽く叩いた。

「悪魔の力をってすれば明羽と氷呂を助けることもできたんじゃ、と聞きたいところだが今その話はいいか」

「まあ、あの時はあの時の事情があってな。今回は明羽を見つけ次第、暴れてでも逃げ出すつもりだったんだが。肝心かんじんの明羽は拘束こうそくされてる訳でもなく、落ち着いた様子で、正直拍子抜ひょうしぬけした。俺に抱き付いて来はしたが助けを求めてはいなかった。だから俺はあんた達は敵じゃないと判断する」

「俺達が明羽を洗脳したとか考えないのか」

「あんた達が明羽にほだされた可能性なら考えるかな」

 お頭は目を丸くし、前髪を掻きむしって肩をすくめる。そんなお頭を見て標は笑った。一拍置いて笑顔を引っ込めた標は真剣な目を面々に向ける。

「何があったか知る限り聞かせてくれないか」

「じゃあ、俺からだな」

 リュウガが手を上げていた。リュウガは明羽と出会った経緯けいい、逃げ出した経緯を淡々と話す。北の町を逃げ出してからの道中を語る。そして、ここで何が起こったのかを話す。

 お頭はかつて明羽と氷呂に受けた借りの話をした後、行動範囲が西側の自分達が何故この東側にいるのかを、目付きの悪い男に茶々を入れられながら語った。明羽と再会してからの数時間を標に話して聞かせた。

「そうか。そうだったのか。あんた達も明羽の恩人なんだな」

「俺は借りを返しただけだ」

「明羽の恩人を助けてくれたんだ。十分恩人だろう」

 お頭が嫌そうな顔になる。

「ありがとう。この恩には必ずむくいたい」

「だから! 俺は! 借りを返しに来たんであって恩を売りに来たんじゃねえ! この話は仕舞いだ!」

 肩をいからせながらお頭が歩き去る。標は目を瞬いた。

「なんであんなに怒ってるんだ?」

「明羽と既にし終えた話だからですよ」

 目付きの悪い男が小さく笑っていた。

「恩を返すというお話なら既に、そこの天使がお頭に押し付けましたのでお気になさらず」

「そうだったか」

「どうしてもというならあちらでまだ眠っている方にお返しを」

 目付きの悪い男が手で示した箱型の車と天幕に、標は神妙な顔になる。

「そうだな」

「なあなあ。悪魔って何ができるんだ?」

「は?」

 目付きの悪い男が驚きの声を上げていた。リュウガに信じられないものを見る目を向ける。

「あなたは本気で言ってるんですか?」

「俺はいつだって本気だ!」

 目付きの悪い男の目付きがさらに悪くなる。

「なるほど。これが第一王子ですか。バカ王子といわれる訳だ」

「またそれかよ。どいつもこいつも。俺のどこがバカだってんだ!」

「人間が何故これ程に亜種を排斥はいせきしようとする理由を考えたことは? それを先導している父王の考えを追ったことは?」

「親父の考えてることなんて知らねえ。人間の亜種嫌いは昔っからだろ?」

「話になりませんね」

「なにおう!」

「標さん。ご自身の車でお休みになられますか? 必要とあれば予備のテントをお貸ししますが」

「え? え~と……」

「アサツキ先生……」

 眉間にしわを寄せて、小さくうめいた明羽に、標はその頭を撫でる。

「テントを借りていいか。そのアサツキとやらが目を覚ましたらすぐに駆け付けられるように。近くにいた方がいいと思う」

「分かりました。すぐに用意します」

「俺も一緒に寝る! いいよな。標!」

「え? あ、うん」

「まあ、いいでしょう。大き目のを見繕みつくろってきます」

「ありがとう」

「ご苦労!」

 目付きの悪い男はリュウガを睨む。

「ハッ」

「鼻で笑ったぞ!」

 去っていった目付きの悪い男はすぐに戻ってくる。目付きの悪い男から受け取った組み立て式のテントをリュウガはいさんで立てようとする。が、一向に立たないテントを前に、目付きの悪い男が再びリュウガを鼻で笑う。笑われたリュウガは不機嫌になりながらも決して諦めはしなかった。次第にただ無表情にリュウガの作業を見ていた目付きの悪い男がため息をつく。

「それはこっちです」

「へ?」

「だからこう来て」

「おお!」

 目付きの悪い男が口を出すとあっと言う間にテントは立ち上がった。

「いつもはアサツキが立ててくれるからな。こんなに大変だとは知らなかったぜ。ありがとな!」

 まるで邪気のない顔で礼を言うリュウガに目付きの悪い男は片眉を上げた。標が笑っていることに目付きの悪い男は気付く。

「なんですか?」

「いやあ。苦労性なんだなあって思って」

「なんですかそれは」

「縁の下の力持ちというか。誰かを支えずにはいられないたちなんだろうなと思ってな」

「……おやすみなさい」

「おやすみ。ありがとな」

 目付きの悪い男は標に軽く手を振って歩き去った。

「よっしゃ! 標。寝ようぜ!」

「ああ」

 標は明羽を抱え上げてテントに入った。テントは三人が余裕で寝転ねおろがれる広さだった。

「おお。テント。いいな」

「俺真ん中でいいか?」

「いや。悪い。俺は明羽の横で寝させてくれ」

「そうか。じゃあ、標が真ん中な!」

「え。あ。おう」

「おやすみ!」

「おやすみ……」

 リュウガは毛布にくるまり、さっさと丸くなる。標は明羽を降ろし、それを守るように横になる。寝ている筈の明羽がすがるように標に近寄ってきて、標はその頭を撫でた。背中に何かが当たって標が首をひねると、頭まで毛布をかぶったリュウガの背が標に触れていた。

「アサツキ……」

「先生……」

 ふたりの呟きに挟まれて標は寝返りを打つことを諦めた。そして、標はアサツキという名前に聞き覚えがあるような気がしてしばし考えたが思い出すことができず、そのまま眠りに落ちていった。

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