第9章・逃走中(3)
+++
満天の星が光り輝く下、真っ暗に落ち込んだ砂漠の上を一台の黒い車が走っていた。助手席に立っていた氷呂が目を開ける。
「大丈夫だよ。明羽。私も早く明羽に会いたい。夏芽さん。あっちです」
「はいはーい」
夜だろうが寒かろうがへっちゃらなふたりは夜の砂漠をばく進する。
+++
標はとある無人のオアシスに辿り着いていた。
「焚火の跡。まだ新しいな。今日の昼ぐらいに使った跡かな。それから足跡が三人分。形、歩幅、沈み具合から成人男性がふたりと明羽のにそっくりなのがひとり分。ほぼ間違いないだろう。よし。近付いてる近付いてる。さて、次に向かうとしたら。人間は俺達と違ってぶっ続けで長時間の運転はできないから」
ひとり呟きながら標は肩に掛けていた何枚もの毛布をたくし上げる。車に乗り込んで地図を広げる。
+++
夜が明けてまだ空気に冷たさが残っている間に明羽とアサツキとリュウガは一晩お世話になったオアシスを後にする。明羽が窓から顔を出して背後を振り返ると小さくなっていくオアシスと自分達とは反対方向へ進んで一層小さくなっていく商人のトラックが見えた。明羽は窓を閉じる。
「そういえば、先生。私達、東の町に向かってるの?」
「え?」
進行方向を注視していたアサツキが
「昨日商人さんと話してたじゃん」
「ああ。いや、東の町には向かってない。東寄りを回って行こうとは思ってるが」
「へ? どういうこと?」
「明羽。俺達は今どういう立場にいる?」
「え? えっと?」
「俺達は逃亡者だ。良く知らない人に行き先を素直に教えられる訳ないだろう」
明羽はハッとする。北の町
「えっと、じゃあ私達はどこに向かってるの?」
「言ってなかったか? 明羽。俺はお前を送り届ける為に走ってる。明羽自身が証明してくれただろう。噂の村の存在を。俺の憶測を。だから俺は車を走らせてる。北の町から南の最果てまで。なかなかの強行軍だがまあ、何とかなるだろう」
すでに帰途についていた事実に明羽は再び驚いた。驚いたが安堵しつつ浮かんできた疑問に明羽はアサツキを見る。
「私は帰れたとして、先生達はその後どうするの?」
「ん? 別にどうもしないさ。俺は俺の日常に戻る。リュウガはリュウガで何とかするだろ」
「私に関わってそんな簡単に戻れるものなの?」
声の低くなった明羽にアサツキは笑う。
「心配するな。リュウガは目立つし、元々身内からはいつだって追い掛けられているような奴だ。そして俺のことを知ってる奴は少ない。明羽が心配するようなことは何もない」
「そうかなあ」
「そうだ。それより今は追手が一切掛かる気配のない方が気になる。順調すぎて逆に不気味だ」
「見つかってないってことだろー。いいことじゃねえか」
「確かにここまですごく順調だよね」
「無視かよー」
後ろからリュウガがブーイングを飛ばしてくるが明羽とアサツキは当然のように無視した。
「俺の扱い!」
明羽は地図を広げ、アサツキは地平線へ向かって車を走らせる。
+++
明羽達と一晩を共にし、同じ頃にオアシスを出発した商人は、それからさほど時間が経っていないにも関わらず、別のオアシスに立ち寄っていた。多くの人が行き交う、そこそこ大きなオアシスで商人はまっすぐに役人の詰め所へ向かう。詰め所の前でトラックを
「お役人様。情報を買ってはいただけませんか?」
商人がもたらした情報はすぐにある男へと伝えられる。赤黒い制服に腕章を付けた隊長は口角を吊り上げた。
「よくやった! 情報提供者には金一封くれてやれ!」
椅子から勢いよく立ち上がった隊長は整列する同じ制服を着た男達に語り掛ける。
「諸君。新たな情報が入った。我らは引き続き奴らを泳がせ、噂に聞く亜種だけで構築される村の
赤黒い制服を着た男達は一糸乱れぬ動きで踵を打ち鳴らした。ただひとり、隊長と共に明羽を北の町まで運んだ運転手だけがため息をついていた。
+++
明羽は地図から顔を上げる。
「先生! あれ、あれ! 岩石地帯?」
「ああ。そうだ。大分東の町に近付いたな」
真っ白な砂漠に
「分かってきた。分かってきたぞー」
「あそこで真昼をやり過ごそう」
「うん!」
元気よく返事をして明羽はいつか見た西側の岩石地帯とは比べ物にならない景観に標と氷呂の姿を思い出す。
「こんな形で来ることになるとは思いもしなかったな。氷呂と標と、それから夏芽さんとも来たかったな。謝花にお土産話一杯持って帰って……」
明羽はため息をつく。
「村の仲間達か。今はやめとくか? みんなと一緒に来る時の為に取っとくか?」
「え、いやいや。もうすぐ太陽真上だよ。今から予定を変えるのは無理があるよね。私はともかく先生達は」
「まあな」
アサツキはゆっくりと車を岩の影に入れていく。
「おお」
明羽は感嘆の声を上げずにはいられなかった。外から見れば何者の侵入も
「先生。迷うことなく奥に進んじゃってるけど大丈夫? 出る時困らない?」
「この岩石地帯は一部観光地化してるし、旅人の休憩地点にもなってるんだ。中がどうなってるかは既に予習済み」
「先生ってできる男だよね」
「お褒めに与り
「うわっ。何その
「ははは」
「俺だってできる男だぞ!」
リュウガが後部座席から身を乗り出す。
「え。どこをどう見て?」
「忘れたのか。明羽! お前を城から助けたのは俺だぞ!」
明羽が目を
「そうだった」
「本気で忘れてたのか!?」
「まっさかー」
「忘れてただろ」
「そんなこと
「そうだろう! 分かればいい!」
満足したリュウガが後部座席に戻る。「そんな感じだから忘れちゃうんだよ」と明羽は思ったが口にはしない。車がゆるゆると減速し始め、明羽がアサツキを見るとアサツキは厳しい顔になっていた。
「先生?」
「おかしい」
「何が?」
「一部観光地化してるって言っただろ。それにここは現在も稼働中の採石場なんだ。静か過ぎる」
「太陽真上だし。みんな休憩してるんじゃ?」
「それにしても静か過ぎる。人の気配がまるでないのはやっぱりおかしい」
「確かに……」
「嫌な予感がする。引き返……」
アサツキがハンドルを切ろうとした時、岩の影から明らかに
「いい車だな。兄ちゃん」
明羽達は車から引き
「イテテ」
「その子に乱暴しないでくれ。病み上がりなんだ」
「病み上がりだ?
アサツキの言葉に明羽の腕を掴んでいた男はその手を乱暴に放す。
「黙ってりゃバレませんよ。この容姿だ。高く売れますぜ」
人間ではないとバレるようなことは一切していないのにそんなことを言う盗賊に明羽は目を瞬いた。それとも分かるような動きをしただろうかと不安になる明羽の腕をアサツキが
「い、いてて。先生」
「悪い。明羽」
「ボス。こいつらろくなもん持ってないですよ」
車を物色していた盗賊が言う。
「保存食にそこそこのテント。燃料はまあまあ」
「いい車乗ってるから良いもの積んでると期待したんだが。がっかりだな。え? 売れそうなのはこの車とその嬢ちゃんぐらいか」
「お、ボス! もう一個売れそうなもんが」
そう言った盗賊の手に握られていたのは小型の猟銃だった。明羽は目を丸くする。そんなものが積まれているなど知らなかった。
「せ、先生?」
「護身用に手に入れた物だったんだがな」
「俺は
「確かに要らなかったな。結局仕舞い込んでいざという時に使えないんじゃ宝の持ち
アサツキはともかくリュウガがため息をつくのは珍しい。
「一度も使われた形跡がない。それにしても兄ちゃん達。危機感ねえな」
慣れた手付きで猟銃の性能を確認していたボスがその銃口を明羽達に向ける。三人はぐうの音も出なかった。何もないと言いながら盗賊達は車の中を漁り続ける。それを眺めながらリュウガは明羽に耳打ちする。
「車はくれてやるから俺達のことは見逃してくれっていうのはどうだろう?」
「え。何? それで助からないかっていう話? 聞いてくれる人達には見えないけど」
「じゃあ、情に訴える」
「情?」
「さっきアサツキが明羽を病み上がりって言ってただろ。それを利用して実はこの子はもうあまり長くないんです。残り短い生を
「黙って売っちまえ。みたいなこと言われてなかったっけ?」
「車がなくなったらその時点でもう砂漠を移動できない。
明羽とリュウガのしょうもない話をアサツキが打ち切る。
「問題はこの人数相手にどうやって逃げるかだ。何とか隙をついて車を取り返して、その足で奴らを蹴散らして逃げ、られるか?」
「アサツキがそうするっていうなら俺は全力でやるぞ」
リュウガの自信満々の顔にアサツキは一度目を反らすが他にいい案が思いつかない以上やるしかないと覚悟を決めかけた時、向こうの岩の影から新たな盗賊が駆け込んでくる。アサツキは今の状況に自分が冷静じゃないことを自覚した。ここにいるだけが盗賊の全容でない可能性をみすみす失念していた。アサツキは額を押さえる。見えない敵にアサツキの思考は
「こいつあ……」
ボスが近付いてきてアサツキは明羽を背後に
「先生」
「静かに」
明羽は
「王子とは露知らず。数々のご無礼をお許しください」
ボスが
「お? なんだ気にすんな。そういや言ってなかったもんな」
「馬鹿野郎! リュウガ!」
「へ?」
ボスがニヤリと笑う。
「間違いない。バカ王子だ。ということはこの嬢ちゃんが逃げたっていう天使だな。この人相書き、あんまり似てねえな」
覗き込んでくるボスから一層隠すようにアサツキは明羽を背後へ押し込む。
「先生」
「一応確認しろ。天使は背中に怪我してるって話だ」
「へい」
明羽は「またか!」と苦虫を噛んだような気分になる。アサツキを回り込んで来た腕が明羽を掴んだ。
「明羽!」
「おーい。仮にも女の子だぞ。男じゃなくて女で確かめろよ」
「仮にもってなんだ!」
ズレたことを言うリュウガに明羽は
「悪いな。ウチは
「明羽!」
動こうとしたアサツキを盗賊達が押さえ込む。
「先生!」
「はいはい。お嬢ちゃんはこっちですよ~」
盗賊は明羽を数歩引き
「さあて」
明羽を見下ろす盗賊の目が笑っていた。その場にいる盗賊達が興味本位の目を明羽に向ける。盗賊の手が服に伸びてきて明羽は一歩
「そうか。いないのか。じゃあ。ダメだな」
リュウガのいつもと変わらない声色だった。
「ぎゃあああああぁあああああああぁぁぁ!!!!!」
叫び声が上がったかと思うと目にも止まらぬ速さで駆け抜ける影に盗賊達が
「なんだ!? 何が起こった! バカ王子はどこいった!」
リュウガがアサツキを助け起こす。
「大丈夫か? アサツキ」
「やっぱりこうなるのか」
「俺達の
笑顔のリュウガを
「まあ、いい。こうなったら押し切るしかない。盗賊があとどれだけいるか分からない以上ここからは時間との勝負だ。一刻も早く逃げるぞ」
「おう!」
「死ねえ!」
「ん?」
突っ込んで来た盗賊にリュウガは
「お?」
「リュウガ!」
アサツキがリュウガとは対照的に叫ぶ。隙ありとばかりに速度を上げた盗賊にリュウガは弾切れの銃を投げ捨てながら拳を打ち込んでいた。盗賊がその場に倒れた。リュウガに次々と手下を倒される様をボスは悠々と眺める。
「第一王子が銃にも体術にも長けてるとは知らなかった」
雑多に乱れるリュウガと手下達からボスは目線をズラす。ボスが目を向けた先にいるのは周りの様子などお構いなしに地面の上を探る明羽の姿だった。
地面を
「明羽! 何してる! 逃げろ!」
「でも、先生!」
「こいつら全員捨てても天使さえいればお釣りがくるってもんだ」
ボスが明羽に手を伸ばし、明羽はそれを
「亜種は俺達が持たない力を持ってるとかいわれてるが、ありゃデマか? 不安そうに震えてるお嬢ちゃんにしか見えないんもんなあ? どうせ何もできないなら
明羽は歯を食い
しかし、何も起こらなかった。
俯いた明羽の肩は震え、
「なんだあ? 何か見せてくれるのかと思ったのによお。期待外れもいいところだな」
ボスが明羽の腕を掴む。泣きながらも明羽は抵抗を諦めなかった。
「
「明羽!」
「先生!」
アサツキが明羽のすぐ側まで駆け寄っていた。それだけで明羽は安心してしまう。
「うるせえよ」
間近で響いた発砲音に明羽の視界が軽く歪んだ。視界が元に戻った時、明羽は見てしまう。アサツキの腹が真っ赤に染まっていた。明羽まで数歩のところで立ち止まったアサツキの身体がゆっくりと地面に倒れ込む。ボスの手には白煙の上る散弾銃が握られていた。
「せ、せんせ……」
「アサツキ?」
「おっと。同じ弾を食らいたくなけりゃ動くんじゃねーぞ。王子様。あ?」
ボスに散弾銃を向けられてもリュウガは呆然とその場に立ち尽くしていた。
「なんだなんだあ? 戦意喪失かあ? その男はよっぽど大事なお仲間だったのかあ?」
明羽を引き摺りながら倒れるアサツキに近付いてボスはその
「うっ……」
アサツキが呻き声を上げた。明羽は身体の内側から外へ向かって光が駆け抜けるのを感じて叫ぶ。
「やめろ!」
明羽を中心に空気が渦を巻いた。明羽の腕を掴んでいたボスの腕がねじり飛び、赤色が
「ひいっ! たす、助け……」
明羽の緑色の瞳が一瞬だけ金色に
「先生!」
明羽の背で真っ白な翼が
「先生! 先生、先生、先生!」
真っ赤な血が大地に染み込んで暗い染みを作っていた。
「血が……」
明羽は北の町からずっときているワンピースのスカートの
「先生……。せん、先生ぇ……」
堪えた筈の涙が明羽の頬を
「リュウガ! リュウガ!!」
明羽に叫び呼ばれても、リュウガは倒れるアサツキを呆然と見つめて立ち尽くしている。
「リュウガ!!!」
明羽が再三叫んでもリュウガは動かなかった。明羽が唇を噛むと虫の息だった筈のアサツキが真っ赤に染まる腕を
「リュウ……」
喉から空気が漏れただけのようなアサツキの声にリュウガが反応する。
「アサツキ……。アサツキ!」
「だい……ぶ……だ……」
「ああ! そうだよな! アサツキだもんな!」
「リュウガ。押さえて」
「ああ! 変わるっ。変わるぞ!」
気休めにもならなそうな血止め作業をリュウガに変わってもらって明羽は立ち上がる。ふらふらと歩いて空を
「う……うぅ……。誰か……誰かっ! 氷呂……氷呂っ……氷呂! 氷呂!」
明羽の嗚咽はいつしか叫ぶような泣き声に変わっていた。ここにいない者の名を明羽は叫び続ける。
「氷呂! 氷呂! 氷呂ぉ……」
明羽の叫びを掻き消す重低音が
「いたな」
ぼさぼさの髪によく日に焼けた肌。眼光鋭い意志の強い瞳を明羽に向けて、盗賊団『西の風』のお頭は不敵に笑った。お頭は呆然と立ち尽くす明羽に向かって何かを投げて寄こす。持ち前の運動神経で明羽は反射的にそれを受け取った。手を握り込んだ瞬間に明羽はハッとする。明羽は恐る恐る手を開いて見る。そこにあったのは涙型に削り出された緑色の石の付いた髪飾りだった。
「なん……どこ……」
「無人のオアシスに落ちてるのを見張りが見つけた。なかなか見ない石だからな。もしかしたら近くにいるのかと思って移動してたら不自然な大竜巻が見えた。いい目印だった」
「……ここ、東側だよ?」
「たまたまな」
「捕まった天使が逃げ出したって聞いて、探しに来たと素直に言えばいいのに」
「おほん!」
副団長である目付きの悪い男の言葉をお頭が
「さて、どうしてほしい?」
明羽はお頭の目が明羽の背後に向いてるのを見る。明羽は迷うことなく叫んでいた。
「助けて!」
「よし。先生を呼べ」
お頭に追従していた小型バイクの一台が走り去って行く。お頭が明羽の横を通り抜け、明羽は慌ててその後を追う。リュウガがお頭を睨み上げる。
「また盗賊か!」
「噂のバカ王子か」
「ば……」
「リュウガ! 待って。助かる! きっと先生、助かるから!」
「こいつらも盗賊だろう! 信じられるか!」
「リュウガ!」
明羽はリュウガに
「きっと大丈夫だから!」
「まあ。第一王子の
明羽はお頭を見上げて目を瞬く。
そうこうしているうちにお頭の指示を受けたバイクが一台の車を引き連れて戻ってくる。それは後部に荷物を多く乗せられるように作られた箱型の車だった。箱型の車から降りてきたのはお頭よりも頭ふたつ分背の高い、体付きもしっかりとした大男だった。黒服の集団に漏れず黒い服を着た大男はアサツキを
「これは酷い
アサツキは担架に乗せられ、箱型の車の中へと運び込まれる。まだ納得できないリュウガは箱型の車を睨み付け、アサツキを追い掛けて止められた明羽は箱型の車の側で立ち尽くす。明羽は失くしたと気付いて間もなく戻ってきた涙型の緑色の石を強く強く握り締める。明羽とリュウガの背を見つめていたお頭にひとりの黒服が駆け寄る。
「お頭」
「ん? どうした?」
黒服がお頭に耳打ちするとお頭はニヤリと笑う。
「
お頭の指示に戸惑いを見せた黒服に変わって、目付きの悪い男が言う。
「彼らの為にそこまでするんですか?」
「北の町の奴らの思い通りにことが運ぶなんて
「まあそうですが」
「なんだ? 不満か? なあ? 不満か?」
尋ねられた黒服は背筋を伸ばす。
「いいえ! お頭の決めたことに逆らう奴なんていません!」
「それはそれでな。まあ、いいか。リュリ。編成を任せる」
「分かりました。確実に叩き潰せる
「
「こちらに被害が出るなんて馬鹿らしいですから」
「まったくだ」
お頭の指示の下、岩石地帯から『西の風』の別動隊が離れていったことを明羽は知る由もない。
残党狩りと安全確保の為、武装した黒服達が岩石地帯を探索していたが、明羽とリュウガはそれどころではなく、箱型の車の側から離れられない。西の空が真っ赤に染まり上がり、東の空が群青色に変わっていく。長く伸びた影の下に停車する箱型の車の扉が開いて大男が降りてくるとお頭が大男に近付いた。
「天幕は立ててある」
「さすがです。お頭」
「先生!」
「アサツキ!」
「患者はまだ眠っています。お静かに」
箱型の車から降ろされる担架に駆け寄った明羽とリュウガを大男が止める。リュウガはブーイングを飛ばしたが明羽は近くに立てられた天幕に運び込まれるアサツキから目を放せないまま大男に
「あの、あの。先生、先生は?」
「先生というのは患者のことですね」
「あ、うん。アサツキ先生」
「強運としかいいようがありません。大量の出血で危うかったですが輸血しましたので。驚くべきは弾の殆どが急所を外れていたことです。運がいいどころの話ではない。強運、豪運としか言いようがありません」
「つまり……」
「目が覚めるまでは油断できませんが
先程までブーイングを飛ばしていたリュウガが歓声を上げた。
「巨人! ありがとう!」
「誰が巨人ですか」
「ごめんなさい。コレは後で好きなだけサンドバックにしてくれて構わないので!」
「あなたはあなたですごい言いようですね」
明羽は大男に頭を垂れる。俯いた側から大粒の涙が明羽の頬を伝い落ちる。お頭達が現れる前に流していた涙とは違う涙だった。
「ありがとう……。本当にありがとう!」
「顔をお上げください。先程も言いましたがまだ油断はできません。意識が戻るまで絶対安静です。面会は今
大男の言葉に明羽は何度も頷いた。リュウガが再び不満を漏らし始めたが明羽はその
あちらこちらで
「食べろ。持たないぞ」
香辛料は
「おいしい」
「ウチの料理人は腕がいい。パンもあるぞ」
「食べる」
お頭が差し出してきたパンはほっこり
「モチモチしてておいしい」
「ウチはパン職人も腕がいい」
黒服達によって岩石地帯の安全確保が済むと戦闘員の人数が減り、代わりに料理人などの非戦闘員が数人、岩石地帯に入って来ていた。
「すごいね。料理人なんて前からいたっけ?」
「前より人数増えたからな」
「すごいなあ。相変わらず来るもの
「ああ。トラックは当然として、車も入り切らないからな」
「つまりアンナも外にいるんだね」
「あの竜巻は尋常じゃなかったからな。アンナは来たがったんだが心配性の旦那がアンナを引き止めた」
「へえ。旦那さんが……ふぁっ!?」
「安全確認も済んだし。明日の朝にはアンナが押し切ってくるんじゃねえかな」
「アンナ結婚したの!?」
「そんなに驚くことか?」
明羽が黙り込むと近くで
「あのバカ王子。半日前まで俺達に敵意
「リュウガの良いところで悪いところ。先生も助けてもらったし。一気に警戒心なくなったみたいだね。にしても……アンナが結婚? 年上だとは思ってたけど、私達と大して変わらないと思ってたのに」
明羽はひとしきりうんうん
「お頭。本当にありがとう。先生を助けてくれて。この恩は絶対返すから。私にできることがあったら言ってね」
意気込んで言った明羽にお頭は呆れる。
「明羽。俺は盗賊でお前は天使だ。分かってるのか?」
「分かってるよ?」
「いいや。分かってない。俺が身売りしろって言ったらするのか?」
「お頭はそんなこと言わないでしょう」
明羽がお頭をまっすぐに見つめ、お頭は口を閉じた。
「そうゆうことを要求されることを踏まえろと俺は言ってるんだ。危機感を持て」
懐かしいセリフに明羽は笑っていた。
「何を笑ってやがる。とにかく俺はお前達に借りを返しただけだ。それにまた恩を着せられたんじゃ本末転倒なんだ。だから気にするな」
「それ、お昼も言ってたけど。私、お頭に貸しを作った覚えがないんだけど」
「本気で言ってんのかよ。お前達ふたりにあの時俺達は救われた。あの水源のお蔭で俺達がどれだけ助かったか」
「なら、お頭達を助けたのは氷呂だ」
「お前があの青い髪の少女、氷呂を連れて来たんだろう。お前がいなけりゃああはならなかった」
「そうかな?」
「そうだ。そういえば捕まった噂は天使のものしか聞かなかったが。もうひとりはどうした?」
「……訳あって別行動中」
「そうか。そういや初めて会った時もお前はひとりだったな。後から青い髪の少女が現れて。また後から現れそうだ」
お頭の能天気な声に明羽は膝を抱えて深く深くため息をつく。きっと怒っている氷呂に明羽は会いたいけれど会いたくないという複雑な思いを消化できずにいた。
「なんかあったな」
「なんもな、くはないけど……。多分怒ってるから」
「あはは」
「笑っ!? もういい。私の気が納まらないからお礼は押し付けることにする!」
「なんだそりゃ」
明羽は翼を広げた。左側にのみ生える四枚の翼。どよめき声が上がって明羽はハッとした。戦闘員の黒服達が銃を向けるまではしなかったが身構えていた。黒服達が明羽に不安とも恐怖とも
「天使の羽根は幸運のお守りなんだって」
「……そうか」
お頭は手を伸ばすも一度
「折角だ。貰っておく」
自分の顔より大きな白い羽根を篝火に透かすお頭の顔はどこか少年めいていた。明羽はホッと胸を
「お前は第一王子を笑えないな」
お頭の言葉に翼を広げたままニコニコしていた明羽は頭の上に疑問符を浮かべた。
「お頭」
目付きの悪い男がお頭に近寄って耳打ちする。お頭は明羽をチラと見てから立ち上がる。
「ま、いいところで休んでくれ」
「うん」
お頭が離れると明羽は
「明羽!」
空気など読まないリュウガが喜色満面で近付いて来て明羽は翼を消した。リュウガが分かりやすくがっかりする。そんな明羽とリュウガのやり取りを横目に見ながらお頭は目付きの悪い男の報告を聞く。
「逃げられたそうです」
「そうか。深追いはしてないだろうな」
「全員戻って来ています。こちらに被害はありません」
「よくやった。後で
「いいですね。士気が上がります」
「お頭! 副団長!」
外から慌てて駆け寄って来た黒服にお頭は警戒する。
「どうした?」
「車が一台、前で止まりました」
「追い返せ。今ここは俺達が
「俺達もそう言ったんですが。どうしてもここに用があるの一点張りで。銃を向けてもまるで
「ふ~ん?」
お頭が
「よし。連れて来い。どんな
「ハイ!」
黒服が走り去って行く。
「相変わらずですね。
「そん時はそん時。敵地の真ん中に入る勇気を
「そうして油断させて叩き潰すんですよね」
「へっへっへっ」
「ハアァ―――……」
間もなく黒服に銃を突き付けられたひとりの青年が連れて来られる。一見黒服達と似たような黒い服を着た青年は夜用の羽織を着た上に昼用の赤みの強いピンク色のマフラーを巻いていた。
明羽は立ち上がっていた。立ち上がった明羽に紫黒の髪、闇色の瞳の青年も気付く。
「よう。明羽。思ったより元気そうだな」
「標!!」
明羽は駆け出していた。飛び込んできた明羽を標は正面から抱き止める。
「ごめんなさい! ごめんなさい! 標! ごめんなさい!」
「おー。よしよし。色々言いたいことはあるが。とにかく無事で良かったよ」
明羽が泣き疲れて眠ってしまうまで、標はずっと明羽の頭を
「酷え顔」
「失礼だなあ」
泣き
「お前が標かあ」
「そういうあんたは第一王子だな」
「お? 知ってるか?」
「あんたはなんで俺のこと知ってるんだ?」
「道中明羽が話してくれたんだよ。噂の村のこと。そこで出会った人達のこと。色々」
「明羽は随分あんたのことを信用してるんだな」
「そうとも! 聞いて驚け。俺が明羽を助けたんだぞ!」
「そうか。やっぱりそうなのか。礼を言う。ありがとう。
改まって深々と頭を下げた標にリュウガが
「お、おお……」
「もうひとりいたと聞いてるんだが。あんたひとりか?」
リュウガの顔色が変わる。
「アサツキは……」
標はリュウガの目線を追った。その先には箱型の黒い車が一台と、ひとつの天幕が立っていた。
「何かあったのか? 正直あんな風に明羽が俺に駆け寄って来たことに驚いたんだ。何か、
近付いてくる足音に標は言葉を切ってそちらに目を向ける。お頭と目付きの悪い男が標に近付いていた。
「毛布だ」
お頭が言い、目付きの悪い男が標に厚手の毛布を差し出す。
「ああ。ありがたい。明羽達と違って俺は寒いのも暑いのも
「そうなのか。というかやっぱりお前も亜種」
「俺のは!?」
「ありますよ」
お頭の言葉を
「お前の種族はなんだ?」
「俺は悪魔だ。純血の悪魔。標だ。よろしく」
お頭と目付きの悪い男が目を見張った。
「こいつは驚いた。袋叩きになんてしてたら返り討ちにされてたな」
「危なかったですね」
「待て待て。悪魔にどんなイメージ持ってんだよ。つーか袋叩きって……」
「強い種族だと聞いてるからな」
「まあ、間違っちゃいないが」
「そんな簡単に正体を明かしてしまって良かったのですか?」
目付きの悪い男の質問に標は貰った毛布を広げながら答える。
「正直外にいるあんた達の仲間を見た時は驚いた。前に明羽と氷呂が世話になっただろう。またお前達かと」
「ちょっと待て。確かに俺達は明羽と氷呂と以前に会ってる。だが、それをなんで知ってる?」
「あの時、俺は明羽と氷呂を連れて移動してるあんた達の後を、付かず離れず追い掛けてたからな」
「……気付きませんでした。申し訳ありません」
「まあ、あの時の俺達にはあんまり余裕がなかったからな。仕方ない」
今更になって知った事実に目付きの悪い男が悔しそうに歯ぎしりする。その肩をお頭が軽く叩いた。
「悪魔の力を
「まあ、あの時はあの時の事情があってな。今回は明羽を見つけ次第、暴れてでも逃げ出すつもりだったんだが。
「俺達が明羽を洗脳したとか考えないのか」
「あんた達が明羽に
お頭は目を丸くし、前髪を掻きむしって肩を
「何があったか知る限り聞かせてくれないか」
「じゃあ、俺からだな」
リュウガが手を上げていた。リュウガは明羽と出会った
お頭はかつて明羽と氷呂に受けた借りの話をした後、行動範囲が西側の自分達が何故この東側にいるのかを、目付きの悪い男に茶々を入れられながら語った。明羽と再会してからの数時間を標に話して聞かせた。
「そうか。そうだったのか。あんた達も明羽の恩人なんだな」
「俺は借りを返しただけだ」
「明羽の恩人を助けてくれたんだ。十分恩人だろう」
お頭が嫌そうな顔になる。
「ありがとう。この恩には必ず
「だから! 俺は! 借りを返しに来たんであって恩を売りに来たんじゃねえ! この話は仕舞いだ!」
肩を
「なんであんなに怒ってるんだ?」
「明羽と既にし終えた話だからですよ」
目付きの悪い男が小さく笑っていた。
「恩を返すというお話なら既に、そこの天使がお頭に押し付けましたのでお気になさらず」
「そうだったか」
「どうしてもというならあちらでまだ眠っている方にお返しを」
目付きの悪い男が手で示した箱型の車と天幕に、標は神妙な顔になる。
「そうだな」
「なあなあ。悪魔って何ができるんだ?」
「は?」
目付きの悪い男が驚きの声を上げていた。リュウガに信じられないものを見る目を向ける。
「あなたは本気で言ってるんですか?」
「俺はいつだって本気だ!」
目付きの悪い男の目付きがさらに悪くなる。
「なるほど。これが第一王子ですか。バカ王子といわれる訳だ」
「またそれかよ。どいつもこいつも。俺のどこがバカだってんだ!」
「人間が何故これ程に亜種を
「親父の考えてることなんて知らねえ。人間の亜種嫌いは昔っからだろ?」
「話になりませんね」
「なにおう!」
「標さん。ご自身の車でお休みになられますか? 必要とあれば予備のテントをお貸ししますが」
「え? え~と……」
「アサツキ先生……」
眉間に
「テントを借りていいか。そのアサツキとやらが目を覚ましたらすぐに駆け付けられるように。近くにいた方がいいと思う」
「分かりました。すぐに用意します」
「俺も一緒に寝る! いいよな。標!」
「え? あ、うん」
「まあ、いいでしょう。大き目のを
「ありがとう」
「ご苦労!」
目付きの悪い男はリュウガを睨む。
「ハッ」
「鼻で笑ったぞ!」
去っていった目付きの悪い男はすぐに戻ってくる。目付きの悪い男から受け取った組み立て式のテントをリュウガは
「それはこっちです」
「へ?」
「だからこう来て」
「おお!」
目付きの悪い男が口を出すとあっと言う間にテントは立ち上がった。
「いつもはアサツキが立ててくれるからな。こんなに大変だとは知らなかったぜ。ありがとな!」
まるで邪気のない顔で礼を言うリュウガに目付きの悪い男は片眉を上げた。標が笑っていることに目付きの悪い男は気付く。
「なんですか?」
「いやあ。苦労性なんだなあって思って」
「なんですかそれは」
「縁の下の力持ちというか。誰かを支えずにはいられない
「……おやすみなさい」
「おやすみ。ありがとな」
目付きの悪い男は標に軽く手を振って歩き去った。
「よっしゃ! 標。寝ようぜ!」
「ああ」
標は明羽を抱え上げてテントに入った。テントは三人が余裕で
「おお。テント。いいな」
「俺真ん中でいいか?」
「いや。悪い。俺は明羽の横で寝させてくれ」
「そうか。じゃあ、標が真ん中な!」
「え。あ。おう」
「おやすみ!」
「おやすみ……」
リュウガは毛布に
「アサツキ……」
「先生……」
ふたりの呟きに挟まれて標は寝返りを打つことを諦めた。そして、標はアサツキという名前に聞き覚えがあるような気がして
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます