第7章(6)

   +++


 真っ暗闇に白い光が灯り、氷呂は顔を上げる。いつも見ていたまぶしい程の輝きはない。それでも確かに灯る光に氷呂は目が離せなかった。


 氷呂は目蓋を押し開ける。視界がにじみ、瞬きを繰り返すと目尻から涙がこぼれていく。

「目が覚めた?」

「夏芽さん……」

「よしよし。落ち着いてるわね」

 氷呂の顔を覗き込んでいた夏芽の顔がホッと笑む。氷呂は診療所の診察台の上に寝かされていた。

「いい香りがします……」

「緊張をほぐしたり、気持ちを落ち着かせたりする効果のある薬草をいてるの」

「気持ちを落ち着かせる……」

 氷呂はゆっくりと瞬きを繰り返す。氷呂は自分が何故診療所に寝かされているのか考えて思い出す。

「なつっ……夏芽さん! 私……!」

「あー。落ち着いて。氷呂ちゃん。大丈夫だから」

 起き上がろうとする氷呂の肩を夏芽は押さえる。

「村長っ……村長は……」

「大丈夫よ」

「でも!」

「なーに? 私の言ってることが信じられない?」

 冗談めかして言う夏芽に氷呂はうつむいて首を横に振る。

「氷呂ちゃん。素直ないい子」

 夏芽の言葉に氷呂は再び首を横に振った。嫌に跳ねる心臓に氷呂は息苦しさを覚える。

「顔色が悪いわね。でも、これだけは教えてくれる? 明羽ちゃんのこと」

 氷呂は息を呑んで夏芽を見上げた。青い瞳が揺れ、氷呂は顔をおおった。

「ごめんなさい……。私……ごめんなさい……」

「よしよし」

 夏芽は氷呂の頭を撫で、氷呂が落ち着くのを静かに待つ。氷呂は指で目尻をぬぐい、深呼吸してから口を開く。

「明羽は生きてます」

「よかった!」

 明羽の無事を心の底から喜ぶ夏芽に氷呂は申し訳ない気持ちで一杯になる。

「ごめんなさい。夏芽さん。ごめんなさい……。私、村長に、みんなに謝らないと」

「そうね。でも今はもう少しお休みなさい。明羽ちゃんが無事だって聞けてよかった。みんなに教えてくるわ。みんな喜ぶ」

「明羽……」

「氷呂ちゃん?」

「生きてはいます。でも光が弱い。多分……」

「もう少しお休みなさい。氷呂ちゃん。今はまだ。どうしてもっていうなら意識飛ばして負けるなって明羽ちゃんのお尻蹴っ飛ばしてあげなさい」

「そうですね……」

 氷呂は困ったように小さく笑う。

「言ってやりたいことがたくさんあります」

「その意気よ」

 夏芽は焚いている薬草に新たな薬草を加え入れた。診療所の中に漂う香りが変わる。

「おやすみなさい。氷呂ちゃん」

 氷呂は落ちてくる目蓋にあらがえない。すぐに氷呂は静かな寝息を立て始める。夏芽が診療所を出ると子供達が夏芽の足元に詰め寄った。

「わっ! なになに!?」

「夏芽姉ちゃん」

「夏芽お姉ちゃん」

「氷呂ちゃん」

「氷呂ちゃん。どう?」

「元気になった?」

 不安そうな顔で見上げてくる子供達の視線に合わせる為に夏芽はしゃがみ込む。

「氷呂ちゃんは大丈夫よ。元気、とは言いがたいけど。今は眠ってるわ。だから診療所の前を通る時はそーっとね。みんなにお願い」

「分かった!」

 ひとりが大きな声を出してハッと自分の口を塞いだ。夏芽はその頭を撫でる。

「よしよし。いい子いい子」

「明羽姉のことは何か分かった?」

 夏芽は立ち上がる。

「明羽ちゃんは生きてるわ。氷呂ちゃんが教えてくれた」

「そっか」

 子供達の顔が安堵にゆるむ。

「氷呂姉の取り乱し方が尋常じんじょうじゃなかったから。どんなもんかと思ったけど」

 夏芽は笑顔を崩さない。氷呂の様子を最も気にしている筈の少女の姿がないことに夏芽は辺りを見渡した。

「謝花ちゃんは?」

「謝花姉は村長と一緒にいるよ」

「そう。分かったわ。ありがとう。ちょっと報告に行ってくる。みんなはお家に帰んなさい」

 不服そうに唇を尖らす子供達に夏芽は自身の口の前で人差し指を立ててみせた。その動作を見た子供達はハッとして口の前で人差し指を立てる。それをお互いに見せ合って子供達はその場から抜き足差し足忍び足で去って行った。夏芽は子供達が去って行くのを見送って広場へと足を向ける。

 井戸の側、石畳の上で村長は丸くなっていた。その側に座り込んだ謝花はゆっくりと息をする村長を心配そうに見つめる。夏芽が広場に足を踏み入れると謝花が立ち上がった。

「夏芽姉様」

 夏芽を呼んだが謝花は次の言葉が出てこない。聞きたいような聞きたくないような顔をする謝花に夏芽は近付く。

「謝花ちゃん。村長と一緒にいてくれたのね。ありがとう」

「……いえ。私は、わっ!」

 夏芽は謝花の頭をこれでもかと撫でて肩を抱く。

「村長。ご報告があります。謝花ちゃんも聞いて」

 白い耳がピクピクと動き村長が顔を上げる。謝花は夏芽の服のすそを握り込む。

「氷呂ちゃんが目を覚ましました。ただ、まだ不安定だったので、また少し眠ってもらっています」

「そうか」

「夏芽姉様。……明羽。明羽は? 氷呂。何か言ってましたか?」

「明羽ちゃんは無事みたいよ。一応」

「一応とは?」

「恐らく、まだ予断を許さない状態なんじゃないかと。氷呂ちゃんの様子から一命は取り留めたというところかと」

「そうか。夏芽は引き続き氷呂を診ていてやってくれ」

「はい」

 村長はゆっくりと立ち上がる。氷呂との想定外の戦闘で消耗した村長の足取りは少しばかり心許こころもとない。謝花は震えていた。

「明羽……。氷呂……」

 夏芽はその肩を抱き寄せた。


   +++


 絢爛豪華けんらんごうか謁見えっけんの間に、これまた荘厳そうごんな椅子の上で、頭上の王冠が重いとばかりに項垂うなだれる王がいた。

「何ということだ。リュウガ。お前はまだ……」

「陛下! ご報告します!」

「捕まえたか!」

「い、いえ! それがっ。城下で一度リュウガ様のお姿を見つけ、追ったのですが見失いました! それ以後お姿を見つけることはかなわず。既に壁外へご逃亡されたのではないかと……」

「馬鹿な! 北区に面する門は全て封鎖した筈だ!」

「兄上の脱走の手練手管てれんてくだはこれまでによく見せつけられているじゃないですか」

 開かれた荘厳な扉の前にひとりの少年が立っていた。

「第二王子殿下」

 報告に来た衛兵が中央の絨毯を進んで来た少年に場所をゆずる。

「兄上は人の目をあざむくのも張った罠を掻いくぐるのもお手の物ですからね。そして、城の皆がそれを知っている。衛兵達は最初から諦めてるんですよ。兄上は捕まえられないと」

「なんという怠惰たいだ! 役人も投入し、必ず余の前に引きり出せ!」

 王が肘掛けに拳を落とすと衛兵はかかとを打ち鳴らし、逃げるようにその場を去った。

「ああ……。トーリ」

「はい。陛下」

「お前はリュウガのようになってくれるな」

「僕はあんな風にはなりませんよ」

 苦々しく吐き捨てるように言うとトーリは王に背を向け謁見の間を後にする。


   +++


 何の夢も見なかった。明羽はぼんやりと天井を見つめる。はっきりしない思考の中、見覚えのない天井をぼんやりと見つめていた。村の自宅でも、夏芽の診療所でも、まして南の町でオニャ達と一緒に住んでいた家でもない。混乱し始める頭をなんとかなだめすかして明羽は記憶をさかのぼる。

「リュウガ」

 明羽を抱えて窓から飛び降りたリュウガはどうなったのか。アサツキの顔を見たような気がしたがさすがにそれは朦朧もうろうとした脳が見せた幻だろうと明羽は思う。幻にしても何故アサツキだったのか分からなくて明羽は考える。標でも夏芽でも村長でも謝花でも夕菜でもトリオでもなく。最後の最後に明羽は氷呂の姿を思い出す。

「氷呂……」

 氷呂の気配を側に感じられないことの寂しさ悲しさが明羽の胸に込み上げる。

「怒ってるかな。怒ってるよね……。ぎゃひっ!」

 明羽は寝返りを打とうとしてやたらと重い体に、背中に走った激痛に、身をちぢこまらせた。似たような痛みに覚えがあって明羽は自嘲じちょう気味に笑う。南の町から逃げ出して、狩人に翼を射られた後、村で夏芽に手当てを受けて目が覚めた後。動く度に痛んだ背中を明羽は思い出す。

「あはは。あははは……」

「楽しそうだな。明羽。思ったより元気そうだ」

 明羽はバッと身体を起こして背中に走った激痛に息ができなくなる。

「明羽!」

 寝床から落ちそうになった明羽をアサツキが支えた。

「あ、アサツキ先生?」

 幻ではなかったのかと明羽はアサツキの顔をまじまじと見てしまう。

「ああ。そうだ。久しぶりだな。明羽」

「本当に? えっと……。私は確か北の町にいて」

「ああ。本当はすぐにでも離れるべきだったんだろうが。こんな状態のお前をそのまま動かす訳にいかなくてな。お前が目覚めたらと思って待ってたんだ。けど、正直なところまだ動かしたくはない。でも、そうゆう訳にもいかなくてな。動けるか?」

「えっと、私は大丈夫」

 アサツキの心配そうな顔に明羽は強がった。アサツキが明羽の顔を覗き込んで、明羽は思わず顔ごと目を背けていた。ひねった首に背中とは違うヒリヒリとした痛みを感じて明羽は顔をしかめた。

「イテテ……」

 心配そうだったアサツキの顔がどこか腹立たしそうな顔に変わる。寝床の側に椅子を持ってきてアサツキは座る。明羽の首に手を伸ばす。明羽は首にめられていたかせがなくなっていることに気付いた。枷の代わりに巻かれていた白い包帯をアサツキが取る。

「まったく。俺の生徒にこんな跡付けやがって」

 明羽の首には枷の跡が赤くただれて残っていた。自分の為に怒ってくれるアサツキに明羽は笑う。

「笑ってる場合じゃないぞ。明羽。薬を塗り直す。染みるぞ」

「いちっ」

 思いの外染みって明羽は歯を食いしばった。アサツキが包帯を丁寧に巻き直す。

「さて、明羽。今度は背中を見せて欲しい」

 神妙な顔で言ったアサツキに明羽は服の下に巻かれている包帯を撫でる。そしてあることに気付く。

「先生」

「うん」

「包帯が」

「うん」

「手当って……」

「俺以外にいないだろう」

「見た?」

「……背中で良かったな」

「ハッキリ」

「極力見ないように努力はした」

「……辛い!」

「悪い。明羽」

「先生は悪くない!」

 赤黒い制服を着込んだ隊長の顔を思い出して「すべてはあいつの所為せいだ」と明羽は掛布かけふに拳を落とす。瞬間背中に激痛が走った。

「明羽。頼むから無理はしないでくれ」

「はい……」

 アサツキの手を借りて明羽はアサツキに背を向ける。服を脱ぐ為に腕を動かした明羽は硬直した。腕を上げられない明羽に変わってアサツキが明羽の服を脱がす。アサツキは細心の注意を払って明羽の身体に巻かれた包帯をほどいた。包帯が解かれて明羽は掛布を抱え込む。

「明羽の翼を見たのは二度目だったな」

 明羽の左背の肩甲骨辺りにある、肉がえぐれてできたような傷にアサツキは眉をしかめる。

「南の町で翼を広げて飛び立ったお前の姿は見事としか言いようがなかったぞ。目が離せなかった。こんなに美しいものがあるのかと思ったもんだ。あの時はさすがにリュウガの気持ちが分かったような気になった。その翼も手当てしようとしたら消えて、手当てはしやすくなったんだが血糊ちのりが酷かったのが気になっててな。あれは大丈夫だったのかと」

「大丈夫」

「そうか」

 本人が言うなら大丈夫だろうとアサツキは塗り薬を手に取った。アサツキの語りに少し恥ずかしさを覚えながらも明羽はその中に出てきた名前にハッとする。

「リュウガ! そうだ、リュウガはっ! !!??」

「明羽! 急に動くな!」

 アサツキが立ち上がるのとほぼ同時に部屋の扉が開く。

「たっだいまー。頼まれた女物の服、調達してきたぞ。アサツキー。明羽の様子はどうだ? 目、覚ましたか? お? 明羽! 目え覚め」

 背後から聞こえてきた聞き覚えのある声に明羽は喜びつつも今の自分の格好にハラハラする。

 能天気に近付いて来たリュウガにアサツキはサッと近付いた。

「リュウガ。ご苦労。だが今は部屋に入ってくるな。入れるようになったら呼んでやるから」

「え? 何? 何やってんだ? アサツキだけズルいぞ!」

「治療中だ!」

 リュウガを押し出してアサツキは扉を閉める。

「ハア。あの大馬鹿」

「気を遣っていただいて……」

「いや。悪かったな。俺だけでも嫌だろうに」

 明羽は笑う。

「先生は大丈夫でしょ」

「信頼してくれるのは嬉しいが俺も男なんだがな」

「あはは」

 明羽はリュウガが無事なことに心の底からホッとする。少々元気過ぎるのは気になったが。それと共に新たな疑問が明羽の頭に浮かんだ。

「アサツキ先生」

「んー?」

「リュウガが第一王子っていうのは知ってる、よね?」

「知ってるが。それがどうした?」

「いや。それにしては扱いが雑だなあと」

「馬鹿には気を遣うだけ損だぞ」

「ほら。遠慮ない。先生とリュウガが知り合いだって言うこと自体ビックリだし」

世間せけんせまいなあって?」

 アサツキが笑って明羽も釣られて笑う。

「そうだね」

「それを言うなら俺もビックリしたぞ。リュウガが連れて逃げてきた天使が明羽だったんだから」

「それもそうか。それにしてもやっぱり親しだよね。ハッ!」

 明羽はわざとらしく驚く。

「実は先生も王族だったり?」

「ないない。「ハッ!」って、お前……」

「えへへ。いってて……」

「ほら、動くんじゃない」

 明羽は涙目になりながらこれ以上は黙っていようかと思う。アサツキは明羽の気をまぎらわせるように話し続ける。

「俺とリュウガはただの幼馴染だ。俺は元々北の町出身で、城下町に住む一般人だ。今も昔もな。リュウガに初めて会ったのは十かそこらだったかな。見慣れない奴が同年代の集まりの中に交じってたんだ。その時は王子だなんて夢にも思ってなかった。身なりは良いがあの遠慮の無さに周りもすっかりほだされて」

「あはは! 想像できる。いてて……」

「包帯巻き直すぞ。動くな」

「あい……」

「同世代の中でリュウガは数日置きに現れる変な奴って認識されるようになって、いつの間にか溶け込んでた。それがある時ぱったり姿を現さなくなって。久しぶりに現れたと思ったらやたらとひとつのことに固執こしつするようになっててな。それがちょっとこの町で声を大きくして言うには問題のあることだったものだから」

「人間以外の種族に好意的だった?」

「知ってるか?」

「ちょっと聞きかじった」

「そうか」

「五対の翼の天使を見たことがあるって」

「そうだ。あいつは五対の翼を持つ天使を見たと好奇に満ちた目で誰彼構わず語りまくってた。王のお膝元、他の種族を根絶することを望む人間ばかりの町でだ。あんなに仲良かったってのにみんなリュウガから離れていった。仕舞いには通報されて役人に連れて行かれる始末」

「でも王子様でしょ? お咎めあったのかな?」

「一般人と同じような罪には問われなかったらしい。ただ、王の逆鱗げきりんに触れて、むしろ一般人より重く罰せられたみたいだな。なんか光が一切差し込まない拷問室? みたいなところに暫く入れられてたらしい」

「ええ……」

「リュウガの恐ろしいところは頭がおかしくなったり狂ったりしないどころか全く反省しなかったところだな」

「強いね……」

「そう。そして俺はそれを本人から聞いた訳だが。あの時声を掛けたのが間違いだったな」

「あの時?」

「役人に連れてかれて見なくなったと思った奴がひょっこり城下町を歩いてるのに出くわしたんだ。思わず声を掛けてた。その時、王に対して悪態を突きまくりながら「あのくそ親父!」とリュウガが叫んだことで俺はリュウガが王子であることを知った」

「リュウガは自分からバラしていくタイプだよね」

「そもそも隠すつもりがない」

「ああ。そうかも」

「それ以降あいつは俺の元を訪ねてくるようになったんだ。みんながリュウガを避ける中、俺だけが声を掛けたもんだからリュウガの中で俺はなんかそういう立ち位置になったらしい。話を聞いてくれる奴なら誰でも良かったんだろうに。それ以来リュウガとは腐れ縁だ。あの時、声を掛けていなければ……。リュウガは場所を考えず、声をひそめることもなく喋るもんだから何度か引っ越さざるを得なくなったんだったな」

「うわっ。でも、それでもまだ付き合い続いてるんだ」

 アサツキは渋い顔になる。それからため息をついた。

「アイツが追いかけて来るんだからしょうがない。今もずっと巻き込まれてるんだ。でも、そのお陰で俺の考えも随分と変わった。場所を作ればあいつも気兼ねなく話せたし、俺も心置きなく聞き流せた。ここもそんな隠れ家のひとつだ」

「そうなんだ! いてて……」

「明羽」

「はい。すみません。てっきりアサツキ先生の家かと思ってて」

「自分の家がこんなに散らかってるのは嫌だな」

 明羽はあまり見ていなかった部屋の中を見回す。寝床の周りを見渡せば確かに足の踏み場もない。人形なのか機械なのか大きかったり小さかったり、筒なのか棒なのか紐なのか縄なのか雑多に詰め込まれた箱もたくさん見える。導火線のようなものが伸びる玉もいくつか転がっていた。明羽は勝手に寝床から降りるのはやめておこうと心に決める。

「ここは今リュウガが研究室に使っているらしい。正直こんなに散らかってるとは思わなかった。こんなところで手当てすることになって本当に申し訳ない」

「いやいやいやいや」

 明羽は言葉だけで否定する。

「今こうして先生と話せるだけ回復してる訳だし」

「明羽の驚異的な回復力の賜物たまものだと思うが。正直ここまで早く傷が塞がるとは思わなかった。辛うじて塞がっただけだが。目を覚ますのも想定より早かったし」

「私、どれぐらい寝てた?」

「三日ってところか」

「そう……」

 そのぐらいしか経っていないのかと明羽は思う。リュウガに抱えられて城から逃げた時が随分昔のことのように感じられていた。

「ありがとう。先生」

 包帯の取り換えが終わると明羽はアサツキの手を借りて服を着る。今更だが服は袖も丈もぶかぶかなことに気付く。

「明羽。ひとつ確認したいんだが」

「え?」

 明羽は身体をひねろうとして背中が引きり、気付いたアサツキが手伝いながら明羽は身体の向きを変える。アサツキが救急箱の蓋を閉じた。

「それでな。氷呂のことなんだが」

 明羽は顔を強張こわばらせた。

「一緒じゃなかったのか?」

「えーと……」

 歯切れの悪い明羽にアサツキは眉をひそめる。

「氷呂はどこにいる? 氷呂も明羽と一緒に捕まったのか?」

 思わぬ言葉に明羽は目を丸くした。

「いやいやいや。私じゃないんだから。氷呂はいない。ここにはいないよ。氷呂は私と違ってちゃんと考える。ちゃんと考えて危なくない行動を取る。捕まるなんてへまはしないよ。私は考えなしで、氷呂を裏切るような行動をして、ひとりでこんなところに来ちゃったんだ。氷呂。きっとすごく怒ってる。謝って許してくれるといいけど」

「俺も一緒に謝るって約束したからな、強気で行け」

「ん?」

 明羽は拳を握ったアサツキを見上げる。

「ん? ん? 約束?」

「明羽の意識が混濁こんだくしてる時に「氷呂が泣いてる」「置いて来た」「見放されたらどうしよう」だのうわ言を言ってる時に約束したんだ」

「私そんなこと言った!?」

 アサツキは頷く。

「恥ずかしい!」

「まあ、ともかく氷呂がここにはいないことが分かってよかった。明羽の口からちゃんと聞けば間違いないからな。もし、氷呂が捕まってたとしたら……」

「先生?」

 暗い顔で俯いたアサツキに明羽は眉尻を下げる。

「もしかして置いて行くつもりだった?」

「城にいたリュウガが明羽を連れて逃げ出してきたのとは訳が違ってくる。外から城に侵入するのはまず不可能だ。だが、いないような気もしてたんだ。片羽四枚の天使が捕まった噂は聞こえてきてはいたが純血の聖獣が捕まったって話は一切聞かなかったからな。それに明羽は謝ってばっかりで必死さを感じなかったし」

「必死さ?」

「俺の知ってる明羽と氷呂はいつだって一心同体だからな。どちらかが窮地においいってるならそりゃ必死になるだろ。重症の自分を後回しにしても」

「そうだね」

 明羽が答えてアサツキは苦笑する。

「それを聞いて安心した。お前達は今も大親友だな」

「それももうすぐ終わるかもしれないけど」

「マイナス思考だなあ。でも、ま。安心したよ。明羽が氷呂を裏切るなんて南の町を出てから何があったのかと色々勘繰かんぐった。お前達のことだ。丸く治まるさ。絶対」

「絶対?」

「絶対」

 言い切るアサツキになんとなく恥ずかしさを覚えて明羽は両手で顔を覆った。気を取り直す為に軽く頬を叩く。

「先生はっ」

「ん?」

「北の町にいるってことは私達が南の町から逃げた後、先生も南の町を出たってことだよね」

「ああ」

 アサツキは立ち上がると扉近くに歩いていく。扉の側には台があり明羽にとっては見慣れない機械に透明なポットが設置されていた。なんだか黒い液体の入ったポットを手に取るとアサツキはその液体をふたつのカップに注ぐ。

「俺が南の町にいたのはそもそもリュウガがらみだったんだが」

「え。そうなの?」

「城がら逃げ出すのはお手の物だったが町から出るのはさすがのリュウガにも難しいからな。あいつ王子だし。でもリュウガはいつか必ず天使を探しに出るって言い続けてた。あいつは有言実行の男だからな。いつかは実現させるだろうがその日がくるまでは代わりに俺が外に偵察ていさつに行ってたんだ。時々戻って来ては「早くしないと先に俺が見つけちまうぞ」なんて発破はっぱ掛けながら。本当に俺が先に見つけるとは思ってなかったが。明羽。コーヒー飲めるか?」

「こーひー?」

 戻ってきたアサツキが明羽にカップを差し出す。明羽はカップの中の黒い液体に顔を近付ける。

「温かいのはいいけど。なんか苦い香りがするんだけど」

「そうゆう飲み物だからな」

 アサツキが当たり前のようにコーヒーを飲むのを見て明羽はカップに口を付けた。眉間と鼻の頭に皺を寄せた明羽にアサツキは笑った。

「リュウガの探し物が見つかったんで、明羽達が去ってすぐ俺も南の町を離れて北の町に戻ってきたんだ。そうして今に至る。片方に四枚の翼を持つ天使の噂はここまで届いてきてたぞ。なんか知らんが度々聞こえてきて取り合えず生き延びたんだなと、こんなしょっちゅう聞こえてくるってことは元気なんだろうと思ってた。それがこんな風に再会するとは本当に夢にも思ってなかった」

「それは、なんかごめんなさい」

「あんまり無茶するな」

「はい……。あれ? でもアサツキ先生がリュウガに私のこと教えてたにしては噂以上のことは知らなそうだったけど。私がアサツキ先生と知り合いだってことも多分リュウガ知らないよね?」

 アサツキの目が座った。近くの棚の中のガラクタを少し動かしてできた隙間にカップを置くとアサツキは部屋の扉に近付く。扉が開くとそこにはアサツキに締め出されたリュウガが立っていた。締め出されてから大人しく待っていたリュウガはアサツキの許しが出て嬉しそうに部屋に入る。

「明羽! 目が覚めてよかった! このまんま目覚めなかったらって思ったら怖くて。後は全部アサツキに任せたんだ!」

 リュウガに重症人を押し付けられたアサツキに明羽は心の底から同情する。

「明羽!」

「ひえっ」

 初めて会った時と変わらない勢いで近付いてくるリュウガに明羽は身をすくませた。背中の怪我を考えるとリュウガのあの勢いは明羽にとって脅威以外の何ものでもなかった。

「リュウガ。止まれ」

 明羽に向かって両手を広げていたリュウガの動きがピタリと止まる。リュウガがお預けを食らった子供のような顔でアサツキを振り返る。

「明羽の傷にさわる。お前は当分明羽の半径1m以内に近付くな」

「腕がもう少しで届くんじゃないかっていう絶妙な距離! せっかく会えた天使なのに……」

 アサツキがいてくれて良かったと明羽は心の底から安堵した。そしてアサツキは言われた通りの距離を保って立つリュウガに見せつけるように寝床に腰を下ろす。リュウガは酷く羨ましそうな顔になる。

「明羽、聞いて驚け。こいつはこう見えて俺よりふたつ年上なんだ」

「そうなんだ?」

 そもそもアサツキはいくつなのだろうと明羽は思う。

「俺がお前の情報を持って帰ってきた時」

「え? あ、うん」

「リュウガが恋焦がれてきた天使の情報だ。俺なりにどう切り出すべきか色々考えてたんだよ。絶対驚くだろう。驚き過ぎて変な行動を起こすかもしれないからそうなった時の対処法を帰りの道中ずっと考えてたんだ」

 明羽は大人しくアサツキの話に耳を傾ける。

「乗り合いバスを何度も乗り継いで、路線外はヒッチハイクして、やっとこさ北の町に帰って来て俺はひとまず幾つかある隠れ家を順繰じゅんぐりに回ろうと思った。使ってる形跡のある隠れ家で待っていればその内リュウガの方からやって来るだろうと思ってな。そしたら」

「そしたら?」

 アサツキのげんなりした顔に明羽は先を促す。

「一番最初に寄った隠れ家は随分と使ってる形跡がなかった。ここじゃないと思いつつさすがに長旅で疲れたから一休みしようと荷物を下ろしたところにこいつが玄関から飛び込んで来たんだ。神出鬼没はいつものことだが、こちらの行動をどうやって把握しているのか。さすがに怖くなった」

「それは、怖いね」

 明羽は真剣に頷いた。

「そして俺の顔を見たこいつは……」

「なあ」

 黙っていたリュウガ急に割り込んで来る。

「なんか、初対面にしてはなんかお前達仲良しだな?」

「こいつは開口一番なんて言ったと思う?」

「え? えっと、おかえり?」

 リュウガを完全に無視したアサツキがフッと笑う。

「明羽は優しいな。変わってなくて嬉しいぞ。でも、いいか。明羽。こいつにそんな優しさはない。他人を思いやるなんてこいつの脳にはない。断じてない」

 アサツキの強くなっていく語気に明羽は頷くことしかできない。

「俺の顔を見てこいつは開口一番興奮しながら『アサツキ! 南の町で天使が見つかったらしい!』って言ったのさ。噂っていうのは広まるのが早いよな」

 アサツキが遠い目になる。

「ともかく俺の心配と心構えは杞憂きゆうした訳だ。それでも一応その噂の中心に自分も少しばかり関わっていることぐらい伝えようと思ったんだがな。こいつときたら『片羽四枚の天使だってよ! 信じられるか? どの文献にもない。狩人が見つけたらしいが逃げたらしい。ならきっとまだ生きてる! 探しに行きてえなあ。男かな? 女かな? ああ―――――!! 生で見たい!!!』……俺が口を挟む隙はなかった。フッ」

 アサツキは鼻で笑う。それは諦めの笑いだった。

「まだまだ興奮治まらないリュウガに俺は「そうか」の一言をくれてやってその後の言葉はすべて忘却の彼方に追いやってやった。その反動なのか最初の文言だけはっきり記憶に残ってしまったんだ」

 明羽はアサツキの肩に手を置いていた。

「お疲れ。先生」

「ありがとう。明羽」

 アサツキは目頭を押さえていた。

「大変だったね」

「学校で子供達の相手をするのに比べれば楽、と言いたいところだが言葉が通じるだけ子供達の方が楽だったかもなんて思ったよ」

「そ、そんなに……」

「そういや南の町で教師のバイトしてたって……」

 呟いたリュウガに明羽はアサツキを見る。

「それだけは話したんだ?」

「明羽と出会う前。南の町に着いた時に連絡したからな」

「なるほど」

 リュウガがハッとする。

「先生って。ええ!? お前ら知り合いだったのか!? 聞いてない聞いてない! なんで言ってくれなかったんだよ。アサツキ!」

「理由なら今言った」

 そっぽを向いてそれ以上何も言わないアサツキにリュウガは食い下がる。食い下がるリュウガにアサツキは尚もそっぽを向き続けた。けれどリュウガもまた諦める素振りを見せず。繰り返される光景に、それが許される信頼関係を前に、明羽は氷呂のことを思い出す。

「氷呂に会いたいなあ」

 部屋の中が暗くなってきていた。見れば明り取りの窓から入ってくる光が細くなっている。

「先生」

「ああ。もうこんな時間か。逃げる段取りの話は何もできなかったな。話の続きは明日にしよう。明羽。起きたばかりで疲れただろう。何かあったら呼んでくれ。上にいるから」

 明羽は思考が鈍くなっていることに気付く。明羽が横になるのにアサツキが手を貸した。

「おやすみ。明羽」

「おやすみ。先生」

「明羽! 俺もいるぞ!」

「はいはい。リュウガもおやすみ」

「おやすみ!」

 窓という窓が閉められ暗くなった部屋の中。睡魔が明羽に忍び寄る。

「氷呂……」

 ここから出る為に明日のアサツキの話は心して聞かなくてはと明羽は目蓋を閉じた。


 明羽は見る。たゆたう柔らかな青い光。静か過ぎる、感情の見えない光に明羽は少しの不安を覚える。キュッと気を引き締め直す。

「必ず帰るから。氷呂」

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