第6章(5)

 夕菜を村に迎えてからあっという間に日々は過ぎる。

「なんかすっかり」

馴染なじんだねえ」

 中央広場ではいつものように謝花が子供達に青空教室を開いていた。その中に当然のように夕菜が交ざっていて、明羽と氷呂は広場の隅に腰掛けながらその光景を眺める。広場には他に村の女衆がいて井戸端会議に花を咲かせていた。

「精霊ってすごいのねえ。なんとなくでも嵐の弱まる日が分かるんだから」

「最初はちょっと疑っちゃったけど。十中八九当たるんだものねえ」

「驚いたわよね」

「あの子のお蔭でちゃんと晴れた日に洗濯できるようになって」

「前日から準備できるようになって」

「洗濯物がカラッと乾くっていいわよねえ」

「何よりいい子だし」

「かわいいし」

「しっかりしてるわよね」

「でももうちょっとわがまま言ってもいいと思うのよ」

「そうよね。これからよ。見守っていきたいわね」

 そう言うと女衆は謝花の授業に集中している夕菜を見つめた。

「すっかりおばちゃん達のアイドルだ」

「おばちゃん達だけじゃないみたいだけどね」

 氷呂の指差す方に明羽が目を向けると授業中にも関わらず集まっている子供達の中からふたりの男の子が立ち上がっていた。片や頭から細い捻じれた角を生やし、片や頭の上で白い三角形の耳がピクピクと動く。睨み合うふたりの男の子の側には夕菜が目をぱちくりさせながら立っていた。

「え? 何? 何があった?」

「謝花が夕菜に問題を出したのよ。夕菜がすぐに答えられなくて考えてると男の子達が助け舟を出そうとしたのね。それがかぶっちゃって」

「ガキが色気付いてる」

「言い方」

 他の子供達が面白がって男の子ふたりをけしかけ始める。一部の女の子達が不快感を示したが悲しいかな少数の意見は反映されない。謝花の制止の言葉は面白いぐらい子供達に無視されていた。

「謝花を助けた方がいいかな?」

「そうだね。行こうか」

「え。私も?」

「当然でしょ」

 氷呂が明羽を立ち上がらせようとした時、夏芽が広場に入ってきた。子供達の様子に気付くと夏芽は一目散に子供達に駆け寄って行く。

「夕菜!」

 夏芽の姿に夕菜の顔が喜色に染まる。

「夏芽ちゃん!」

 夕菜が夏芽に抱き付いた。今や夕菜が一番なついているのは夏芽だった。

「夕菜を困らせてるのは誰かしら? 私が容赦しないわよ!」

 どこか楽しそうな夏芽に、その背に隠れて嬉しそうにしている夕菜に、男の子達はどこか白けたような諦めたような顔になった。

「夏芽さんを「ちゃん」付けするって夕菜も大物だよねえ」

「そうだね」

「明羽ちゃん。氷呂ちゃん」

 夕菜が夏芽を連れ立って明羽と氷呂の元に駆け寄って来る。

「明羽ー。氷呂ー」

 謝花もどこか疲れた様子で明羽と氷呂の元へやってくる。青空教室はお開きになったらしい。授業に集まっていた子供達は広場に残って遊びに転じる者と広場から歩き去る者とに分かれていた。意外なことに睨み合っていたふたりの男の子が並んで広場を後にする姿を明羽は見る。

「私には無理。夏芽姉様みたいにできないよ。無理。もう無理だよ」

 すっかり自信を失ったらしい謝花がガックリと項垂うなだれている。その肩を夏芽が叩いた。

「何言ってるのよ。謝花ちゃん。私にみたいにやる必要なんてないでしょう! 謝花ちゃんは謝花ちゃんのやり方で、謝花ちゃんに合ったやり方でやるのが一番いいに決まってるんだから。てゆうかそれでちゃんと結果が付いて来てるじゃない。子供達に好かれてないと青空教室は成立しないわよ」

 謝花がパッと顔を上げる。

「夏芽姉様!」

「謝花ちゃんの教え方、とっても分かりやすいよ」

「夕菜!」

「でも少しばっかり舐められてるのも事実だよね」

「明羽ええええええぇぇえぇ!?」

 謝花の剣幕に明羽はビックリした。涙目で睨んで来る謝花を氷呂に手伝ってもらって明羽はなだめる。まだ頬を膨らませていたが態度の軟化した謝花を明羽に渡して氷呂は夕菜に向き直る。

「夕菜。どう? 村にはすっかり慣れたみたいだけど。不自由はない?」

「うん。みんな優しくして毎日楽しいよ。時々一緒に住んでる子達が喧嘩するのに巻き込まれたりするけど。喧嘩してもすぐに仲直りしちゃうんだ」

「そっかー」

 明羽と氷呂と夏芽と謝花が夕菜を微笑ましく見つめる。

「それから、私が感じたことを感じたままに言葉にしていいんだって。西の町にいた頃は嵐がくる気がしても言っちゃいけないって言われてたから。言えるのが少し、嬉しい」

「夕菜」

 明羽が夕菜の肩を叩く。

「ここじゃ、言わない方がむしろ怒られるよ」

「そうだよ。『ゴラー! なんで教えてくれながった――!!!』って言われるよね」

 謝花の過剰なモノマネに明羽が大笑いする。

「明羽。笑い過ぎ」

 氷呂が冷静にたしなめるのを見ながら夕菜も明羽に釣られて笑っていた。そんな夕菜の頭を夏芽が撫でる。夏芽の手が優しくて夕菜は滲んだ視界から涙が零れないように笑った。


   +++


 遮るもののない空。太陽の光を跳ね返す砂漠。世界を二分する青と白の真ん中にひとつの影が立っていた。先が二つに分かれた蹄。細身だが引き締まった体躯。地を駆ける動物は盾のような二本の角の生える頭を二度ほど振った。背に乗せている主人にまだ動かないのかと催促さいそくするように。動物の背にまたがる青年は砂色の髪を風に揺らしながら目の前にそびえ立つ砂嵐の壁を見つめていた。


   +++


 形の良い白い三角形の耳がぴくりと動く。村長はおとがいを乗せていた前足から顔を上げる。囲炉裏の中の火種がほのかな明かりを放っていた。家の外から明羽と氷呂、夏芽、謝花、夕菜の笑い声が聞こえてくる。村長は立ち上がっていた。

「なんだ? 嫌な予感がする」

 次の瞬間、村長の全身の毛が逆立った。けたたましい音を立てて戸を開き、村長は家から飛び出した。

 飛び出して来た村長に広場にいた誰もが驚く。

「村長?」

「全員僕の後ろに下がれ! 他の者に伝令は……間に合わないかっ!」

 村長の鬼気迫る様相に、あまりに突然のことで誰もがすぐには動けない。


   +++


 踏み固められた地面を蹴る四肢があった。


   +++


 捻じれた細い角を生やした男の子と白い三角形の耳を持つ男の子が村の中を歩いていた。

「夕菜は本当に夏芽姉にべったりだよなあ。あれに張り合うとか俺ちょっとバカバカしい気分になってきちまったよ」

「そうかもしれない。けど! 俺は諦めない!」

「お、やる気だな。なら俺はもう応援するのみ……」

 種族の違う二人の男の子は不意に顔を上げていた。近付いてくる聞き慣れない音に顔を向ければ次の瞬間ふたりの上に影が落ちる。先程まで近づいて来ていた筈の音が今度はふたりから遠ざかっていく。振り返ってふたりは音の正体を辛うじて見る。

「な、なんだ?」

「今の……動物ってやつじゃ……」

 ふたりは慌てて駆け出す。

「先に行け!」

 悪魔と人間の間の子の男の子が叫ぶ。友達の声を受けて聖獣と人間の間の子の男の子は地面を力一杯蹴った。


   +++


「なんか妙な気配がするなあ」

 メメは村の中を疾走しっそうしながら能天気に呟いた。迷うことなく一点を目指して動物を走らせる。その腰にぶら下げられた黒い標章が反動に踊り狂っていた。


   +++


 一定のリズムで近付いてくる音に中央広場にいた村人達がそちらに顔を向ける。

「みんな! 早く僕の後ろにっ」

 村長の切羽詰まった声に棒立ちだった村人達がやっと身体の向きを変えようとした時、近付いて来ていた音がピタリと止まる。

 額にじわりと汗をかき、軽く息を切らすメメは村人達の視線を一身に集めながら爽やかに笑った。

「こんにちは」

 まるで警戒心のない挨拶に村人達は感覚を狂わされる。異常事態であるのは分かっているのに目の前にいる青年がまるで昔からの知り合いであるかのような錯覚を起こす。

「こ、こんにちは?」

「謝花! 下がれ!」

「へ?」

 村長の声に夏芽が謝花の首根っこを掴んで引っ張った。次いで夕菜を小脇に抱えて村長の背後へと走る。

「明羽ちゃん! 氷呂ちゃん!」

 夏芽が声を掛けるが明羽と氷呂は動物の上の青年をジッと見上げていた。

「どうして狩人が」

 メメは村人達より高い目線から広場を見渡す。

「すごいな。本当に全員亜種、亜種交じりだ。でも、噂の村にしては純血が少ないな。こんなものなのか」

 メメの言葉には興奮も高揚も失望も侮辱も嫌悪もない。本当にただ感想を述べただけだった。夏芽に抱えられたまま夕菜は狩人を凝視する。

「あいつだ」

 瞬間、メメの目が夕菜に向いた。

「ああ。そんなところにいたのか。ここはどこもかしこも亜種の気配に満ちていて把握が難しかったんだ。やあ、久しぶり」

「どうしてっお前が!!」

「夕菜!」

 前に飛び出そうとする夕菜を夏芽がおさえ込む。

「お前! お前だ! お前がお父さんを! おばさん達を!」

「あはは」

 夕菜に憎しみの目を向けられてメメは笑っていた。

「面白いね」

 メメがマントの下から猟銃を抜き取ると夕菜が真っ青になる。

「さて、僕は僕の仕事をしよう」

「待って……。やめて……」

 夕菜の脳裏にかつて見た光景が蘇る。夕菜は顔を恐怖にゆがめた。状況の理解がやっと追い付いた村人達がジリッと後退あとずさると撃鉄の上がる音がする。村人達は立ち止まった。走る緊張にまるで時が止まったかのように広場が静寂に包まれる。誰がが、何かが動いた瞬間に恐ろしいことが起こると誰もが直感する。村人達が動けない中、メメだけがニッコリと笑う。

「待った」

 上がった声にメメの笑顔が引っ込む。村長の側に立つ標が片手を上げていた。メメは赤みの強い桃色のマフラーを首に巻いた紫黒の髪、闇色の瞳の青年を見つめる。

「それをぶっ放した瞬間、あんたもただじゃすまないと思えよ」

「純血の悪魔が四人か」

 メメの言葉に標が驚いて振り返る。そこには標をリスペクトして黒い服に身を包んだ三人の青年が立っていた。狩人をまっすぐ威嚇いかくする標とは違ってトリオは恐怖に震えていたがそれでも狩人から目を反らさずに立っていた。

「お前ら下がってろ」

「いいや! 僕らだって純血の悪魔だ」

「この村で即戦力って言ったら僕らだろっ」

「僕達だって村の為に闘うぞ!」

 標とトリオの会話を聞きながら明羽は目の前の狩人の声に聞き覚えがあると思った。それは考えなしに明羽ひとりで村を飛び出した時のこと。砂漠のど真ん中で出会った盗賊『西の風』と行動を共にしていた時、明羽と氷呂は直接その顔を見なかったが、お頭と話していた狩人と似た声だと明羽は思う。

 標が一度目を伏せてから狩人に向き直る。

「これでもあんたはやるのか?」

「そうだなあ。さすがに純血の悪魔四人を相手にするのはきびしいかな。僕は確実に死ぬだろう。でも、僕は僕が動けなくなるまで殺し続けるだけだ。せいぜい頑張って足掻あがいてくれ。期待してる」

 メメは銃口を村人に向けた。

「くそっ!」

「やめて!」

 標が両腕を前に伸ばし、夕菜が叫ぶ。

「やめろ!」

 広場の外から駆け込んできた声の主が動物の上の狩人に向かって飛び掛かっていた。メメは少しバランスを崩したがこともなげに飛び掛かってきた男の子を蹴り落とす。地べたに転がった男の子は恐怖に三角形の白い耳が倒れているのを自覚しながら狩人を睨み上げる。男の子を見下ろしながらメメは面白そうにその周りを半周した。

「あはは。面白い。面白いな。気配がごった煮で本当に飛び付かれるまで近付いてるのも分からなかった。直接触られたのなんて初めてだよ。貴重な体験をありがとう。感謝を込めて最初のひとりは君にしよう」

「やめて! お願いだから! やめてよ!」

「夕菜! 夕菜!」

 地面にうずくまって叫ぶ夕菜に夏芽が覆い被さるように抱き止めていた。メメはため息をつく。

「やめてやめてって。君が僕をここに案内してくれたんじゃないか」

「え?」

「どういうことだ?」

 メメは標に向き直る。

「マヌケな商人がいたんだ。金が欲しくてたまらないみたいなのに目の前の金蔓かねづるに気付かないで、ないところから金をしぼり取ろうとしてたんだ。笑っちゃうよね。だから教えてあげたんだ。ここに大金がありますよって。ただ交換条件にお願いを聞いて貰って。そういえば馬鹿だったけどちゃんと僕のお願い聞いてくれたんだよね。割といい人だったのかな」

 夕菜を鎖でつないで荷物と同じように運んでいた商人を「いい人」と言った狩人に明羽は小さく舌打ちする。

「ソレを運んで本当に世界一周しようとしてくれたんだから。僕はね、ちょっと期待してたんだ。商人が北の町につくまでの間に何か勘付いた他の亜種がソレを助けに動いてくれないかなって。そうして噂の人間以外の種族が住むっていう村に連れて行ってくれないかなって。うまくいったら僕はソレの気配を追って噂の村に辿り着く。結果は期待以上だったよ」

 笑うメメに夕菜の顔から表情がなくなっていく。

「私? 私の所為せい?」

「夕菜。違う。あなたの所為なんてことはひとつもない」

 夏芽がこれでもかと夕菜を抱き締めた。

「あんた。ずっと夕菜の後を付けてたのか?」

「僕そこまで暇じゃないけど?」

「あ? 言ってることが……」

 睨んでくる標をメメは面倒臭そうに見返す。

「似たようなことを何度も問われたことがある。何故、分かるのかなんて、分かるからとしか言いようがないじゃないか。僕からしてみたら亜種と人間の違いなんて一目瞭然いちもくりょうぜんだ。一度会った亜種なら世界のどこにいるかぐらい把握できるだろ。それが僕にとっての普通。みんながどうして分からないのか僕が聞きたいぐらいだ」

「……あんた本当に人間か?」

「人間だよ? 間違うことなく人間から生まれた人間だけど?」

 標とメメが睨み合う。

「私……。私……」

 メメは呆然自失におちいっている夕菜に目を向けた。

「確かに君がいなければ君のお父さんも死ななかったし、僕がここに来ることもなかったかもね」

「夕菜。ゆっくり。ゆっくり呼吸しなさい!」

 浅い呼吸を繰り返し、胸を押さえ始めた夕菜の耳を塞いで夏芽は狩人を睨み上げる。あらぬ方向からブーツが投げつけられ、メメはそれを片手で受け止めた。

「いいコントロールだね」

 明羽が振り切った腕を戻して拳を握り締める。

「ふざけんな!」

「明羽!」

 前に出ようとする明羽を氷呂が押さえる。

「お前だろ! お前が元凶だろ! 夕菜がいなければなんてお前にだけは言わせない!」

「明羽!」

 せきが切れたようにわめき散らす明羽を視界にとらえて、メメは目を見張った。

「……他のと毛色が違う」

 身じろぎしない狩人に標と村長が駆け出そうとするが誰よりも早く氷呂が明羽を背後にかばう。

「氷呂!? 氷呂! ダメだ。下がって」

「下がるのは明羽でしょ! 私より前に出ないで!」

 出るなと言われて下がっていられる訳もない明羽は氷呂を押し退けて前に出ようとするが氷呂はそれを片手で制す。明羽は諦めずに何度も前に出ようとするが氷呂がそれを許さない。

「氷呂っ」

「君もだ。君も他のと毛色が違う」

 ジッと観察するように見下ろしてくる狩人を明羽と氷呂は黙って見返した。メメは首を傾げ考えるように唇に指を当てた。隙ができたと思った標と村長が狩人に近付こうとすると発砲音と共に火花が弾け、石畳に亀裂が走る。メメが地面に向けていた銃口から薄らと煙が流れ出ていた。誰にも動くことを許さずメメはひとり動物からひらりと舞い降りる。メメは明羽と氷呂に一歩一歩近付いていく。標が歯を食い縛る。その額から一筋の汗が流れた。顔を近付け覗き込んで来る狩人の瞳を明羽と氷呂はまっすぐに見る。

「君達は本物か?」

 質問の意図が理解できずに氷呂が返答できずにいると明羽がその背後から狩人をこれでもかと睨み返す。

「何言ってるか分からないんだけど?」

「明羽っ。お願いだから黙ってて」

「ヤダ」

「明羽!」

 目の前で押し問答するふたりの少女をメメはジッと見つめた。その瞳が確信したと言うように見開かれる。

「ああ、そうだ。間違いない。きっと君達だ。ここに来てからずっと感じていた妙な気配」

「その子達に手を出さないでもらいたい」

「ちょっと黙っててくれる?」

 狩人は村長を見ずに言う。

「僕はずっと……、物心ついた頃からずっと探してるんだ。探してるものがあるんだ。見たことはなかったし存在しているのかすら分からなかった。でも、必ずあると信じていたんだ。でも、見つからなくて。ずっとこのままなのかって思い始めてた。ああ。生きておいてみるものだな」

 メメは自分が笑っていることを自覚する。その安堵したような顔に明羽は怪訝けげんな顔になった。

「その子達に手を出すな!」

 駆け出した村長にそれでもメメは目を向けなかった。けれど銃口はまっすぐに村長に向けられ、響く発砲音。

「せっかちだな。僕はまだどうするとも言ってないのに。それにしても早いね。さすが純血の聖獣だ。長く生きてもいるようだし。この距離で外すなんて、僕初めてじゃないかな?」

 反射的に飛び退すさった先で村長は荒い呼吸を繰り返す。村長の白い毛の一部が赤色に染まり始めていた。

「村長!」

「大丈夫。かすっただけだ」

 村長に駆け寄った標に、にじむ赤色に村人達に動揺が走る。

 明羽は呟く。

「まずい。パニックになる」

「明羽」

「ねえ! あんたはどうしたら帰ってくれるんだ! 何の為……何て質問するだけ馬鹿らしいね。あんたは狩人だ。なら、きっと私達を皆殺しにする為に来たんだろう。でも! もし、ただ殺すだけが目的じゃなくてお金とか名誉とかそういうものが欲しいっていうなら私ひとりを連れて行けばいい!」

 氷呂が驚いて振り返る。

「明羽!?」

「だから、村のみんなは」

「明羽! なんてこと言うの!」

「だって、氷呂」

「君を? 僕が?」

 明羽は翼を広げる。左側にのみ生える四枚の翼。

「ああ。噂の天使。君だったのか」

「私はあんた達にとってなんか価値があるらしいじゃないか。だから」

「明羽! それ以上喋ったら私許さないから!」

「氷呂!」

「氷呂ちゃんの言う通りよ!」

「夏芽さん……」

「あなたひとり犠牲にして存続する村なんて私は認めないわ!」

 明羽がふと視線に気付いて周りを見渡せばいつの間にか氷呂だけではない、夏芽だけではない、その場にいた村人達が狩人に向けていた恐怖心を明羽へのいきどおりへと変えていた。

「みんな。けど、じゃあ、どうすれば……」

「みんな。せっかちだなあ」

 狩人が場違いに緊張感のない声を出した。そして、そうするのが当然というかのように猟銃をマントの下に戻す。降りた時と同じようにメメはひらりと動物にまたがった。

「帰る」

 広場を後にする為、手綱たづなを引いて動物を歩かせ始めた狩人に村人達が戸惑う。

「ちょ、ちょっと待、あ、いや待たなくていいんだけど。どこに行くんだ!」

「明羽!」

 氷呂が止める声を無視して明羽は狩人を追い掛けて走り出す。メメはゆっくりと動物を歩かせながら追い付いて来た明羽を見ずに答える。

「どこって、僕は帰るんだよ。まあ、帰るって言っても明確にどこっていうのはないけど」

「ど、どうゆうこと?」

「何それ? 質問? 僕がどこに帰るか知りたいの? そんな訳ないよね。僕に分からないとか言っときながら君も大概じゃないか」

「それはあんたがあ……」

 明羽は額に立てた青筋を一度深呼吸して落ち着かせる。

「ああ。僕がこの場所のことを言いふらさないか心配してるんだ。それなら心配しなくていいよ。僕はここのことを誰かに話すつもりはないから。一生、誰にもね。信じなくていい。それでも僕が言わないことに変わりはないから」

 明羽がメメの真意を計り兼ねている間もメメは続ける。

「ああ、でも、僕は黙ってるけど君達がほったらかしていったあの商人。君達のことを触れ回ってるよ。あれは片翼の天使なんかじゃないって騒いでる貴族もいるみたいだし。消えた筈の噂にまた火が点き始めて、る……」

 メメは自分の意に反して脳裏に浮かんだ人物の姿に言葉を止めていた。

「ああ。そういえば最初に片羽四枚の天使の話を持ち出したのはグリフだったっけ」

 小さく呟いてメメは明羽に向き直る。

「世界中が君を探し始めるだろう。気を付けてね。お願いだから」

「なんで、そんな忠告してくれるんだ?」

「君に死なれちゃ僕が困るからだよ」

 明羽は大いに混乱する。

「君達は本当にまるで抵抗というものをしないからね。違う種族同士でこんなに仲良く暮らしちゃってさあ。仲良くできないのは人間だけだよ。ホント」

「人間だけ」

 明羽の脳裏に急に、本当に急に焼き払われたオアシスの情景がフラッシュバックする。そして、緑深い森の中に舞い落ちるたくさんの白い羽根。かつて住んでいた南の町で毎日のように聞いていた女教師の声。

『かつて世界は混沌としていた。人間以外の種族は長い長い、それは長い間争い続けていた』

「……ねえ。伝承に付いて何か知ってる?」

「伝承?」

 明羽の質問にメメは立ち止まり口を大きく開けて笑い出す。

「あはは! あははははははは!」

 顔に張り付けていた笑顔とはまるで違う。心の底からおかしいという笑い声だった。

「君、あれ、信じてるの? あんなの全部嘘っぱちだよ」

「何か知ってるの?」

「知らないよ。知らないけど分かるでしょ。僕は狩人だ。仮にもね。どれだけの亜種と関わってきたと思う?」

 明羽の顔に嫌悪が浮かぶ。反してメメは笑う。

「逃げられないと睨み付けられ罵声ばせいを浴びせられたことはあっても反撃されたことなんて一度もない。混ざりものでさえもだよ! 伝承が真実で、長い年月を掛けて君達の中の考え方が変わった可能性もゼロではないだろうけど。でもだよ。これだけ淘汰とうたされ続けておいてかつて持っていたかもしれない闘争心を思い出さないなんてあり得ると思う? そう、あり得ないんだよ。そういう感情は血に刻まれてる。一度忘れられたとしても必ずまた思い出すものだ。それがないというのなら答えはひとつしかない。君達は最初からそんなものは持っていなかった。だから僕は知らないけど言い切れる。あんなものは嘘っぱちだ! なんで、そんな顔をするのかな?」

「え?」

「とても不安そうだ。亜種って本当、そういうものだよね」

 明羽は返す言葉を見つけられなくて黙り込む。

「ああ、そうだ。忘れてた」

 明羽の鼻先に狩人に投げつけたブーツがぶら下げられる。

「返すよ。君と出会った証拠に持って帰っても良かったんだけど」

 メメは明羽の足元にちらと目を向ける。

「そのままだと怪我をしそうだ」

 ブーツを受け取るには受け取ったがすごく不服そうな顔をする明羽にメメは笑う。

「くっくっくっ。それにしても天使? 君が? そんなものじゃないだろう?」

 メメはニッコリと笑う。

「僕は君が決断するのを楽しみに待つことにするよ」

 メメが動物の腹を蹴る。と、動物は待っていましたと言わんばかりにいさんで駆け出した。遠ざかって迷うことなく嵐の中に飛び込んでいくメメに明羽は独り呟く。

「決断?」

「明羽」

「氷呂」

 明羽の側にはいつの間にか氷呂が立っていた。いつから明羽と狩人の話を聞いていたのか、きっと最初からだろうと明羽は氷呂に身を寄せる。氷呂は何も言わずに明羽を抱き締めた。


   +++


 天まで覆う砂嵐を一息に駆け抜け、メメは砂避けの為に顔に巻き付けていた布を下ろす。

「くっ。ふふ……くっくく! ふはっ! ははっははははは! あはははははははははは!!」

 真っ青な空、どこまでも続く平らな砂漠、世界を二分する地平線にメメの笑い声が響いた。


   +++


「明羽」

 氷呂に抱き締められたままの明羽が耳元でささやかれた声に目蓋を開ける。

「明羽。勝手にどっか行ったりしないでね」

「私が? 氷呂を置いて?」

 明羽は身体を起こす。明羽は氷呂に笑い掛けるが氷呂は不安そうに明羽を見返す。

「大丈夫だよ。氷呂。広場に戻ろう。みんなのことが心配だし。狩人は出て行ったって、ちゃんと教えてあげよう」

「うん。そうだね」

 広場に戻ると石畳に座り込む村長の側に標がひざまずいていた。石畳にうずくまり微動だにしない夕菜の側では夏芽が一生懸命何か声を掛けている。村人達がどうすればいいのか分からないとふたりの側で立ち尽くしていた。明羽は夕菜に向かって歩き出す。近付くと聞こえてくる夕菜の呟きを明羽は聞く。

「私……私の所為で……。お父さんが……。みんなが……。私がいたから……。私、私の所為で……死……。私が……いなければ……」

「明羽ちゃん……」

 夏芽が明羽にすがりつくような目を向けた。夏芽のこんな覇気のない姿は見たことがないと明羽は思う。

「夕菜!」

 村中に響く大きな声だった。怒りさえ滲むその声に夏芽が目を丸くし、夕菜の肩がビクリと震える。ゆっくりと顔を上げた夕菜の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。

「あはね、ちゃ」

「夕菜!」

 夕菜の肩がまたビクリと震える。その肩を明羽はつかんだ。

「本当に自分がいなければよかったって思う? 夕菜と一緒にいたお父さんを良く思い出して。夕菜はお父さんといて毎日どうだった? 夕菜といてお父さんは幸せじゃなかったと思う?」

 夕菜は既に存在しない過去を思い出す。思い出して首を横に振る。

「お父さんはお母さんと出会って、私といて、し、幸せだったと思う」

「夕菜は? 夕菜は幸せじゃなかった?」

 夕菜は首を横に振る。

「ううん! 毎日、楽しかったよ!」

「私達も夕菜に出会えて幸せだよ」

「明羽ちゃん!」

 抱き付いてきた夕菜を明羽はぎゅうっと抱き締める。夕菜の泣き声が広場中に響いた。

「ありがとう。明羽ちゃん」

 心の底からホッとした顔で礼を言う夏芽に明羽は夕菜をたくす。

「私は自分がいなければ良かったなんて思わない。思ってなんてやらない」

 それはオニャの思いをないがしろにすることだと明羽は知っていた。だから明羽は決意も新たに顔を上げる。

「村長! 村長。大丈夫?」

 明羽が振り返ると村長の側には標の他にいつの間にか謝花もいた。

「謝花」

「明羽も氷呂も手伝って!」

「手伝うことなんてなさそうだけど」

 謝花はテキパキと村長の赤く染まった毛を刈り取り手際よく手当てをしていた。謝花の手際の良さに不安そうだった村人達の顔が明らかに安堵のそれに変わっている。標も例外ではなくどこか気の抜けたような顔で片膝を付いていた。明羽は村長が神妙な顔をしていることに気付く。

「村長」

「明羽。氷呂。無事に戻ってくれて良かった。狩人は出て行ったようだな」

「うん。村長。本当に大丈夫?」

 村長は少しうつむく。

「傷は本当に掠り傷だとも」

「傷、は?」

 村長は言い辛そうに口をもごもごさせてから言う。

「腰が……」

「腰?」

「腰が抜けたんだ」

「それで座り込んでるんだ」

「年は取りたくないものだな。ドッと疲れたよ」

「滅多なことに血圧も上がっちゃったみたいですしね」

 手当てを終えて謝花が額に浮いた汗をぬぐう。

「謝花はいつの間にかそんなに頼もしくなっちゃって」

「だって、夏芽姉様があんな状態だし」

 謝花が目を向けた方に明羽も目を向ければ夕菜を抱えて立ち尽くす夏芽がいる。

「ふ、うっ」

 謝花の瞳から大粒の涙がこぼれ出した。

「怖かった。怖かったよ。明羽……」

「うん」

 明羽が頷き、氷呂が謝花の肩を抱く。細く息が吐き出されるのが聞こえて明羽が目を向けると標が髪をかき上げていた。膝を打って立ち上がる。

「村長は休んでいてください。俺が事態の収拾に回ります」

「そうゆう訳にはいかないさ。これからのことをみんなと相談しないといけないし」

 村長は立ち上がろうとするがうまくいかない。

「ぬう……」

「そうだ。村長。あの狩人が言ってたんだけどさ、ここのことは誰にも話さないって」

「狩人が?」

「それからなんか忠告もしてくれた。私のことが世界中でまた噂になり始めてるって。夕菜を捕まえてた商人が言い触らしてるって。それからこっちは良く分かんないけどどっかの貴族がその天使は片翼なんかじゃないとか騒いでるとかなんとか」

 標の顔色が変わる。

「俺に覚えがあります」

「へ? 標、心当たりあるの?」

 心の底から不思議そうにする明羽に標は呆れた顔になった。

「おっさんのところで襲われただろう」

 明羽は口をひん曲げる。

「確かにちょっと暴走気味になっちゃったけど……。私が片翼なことに変わりはないでしょう?」

 標は黙り込む。明羽には自覚がないらしいがあの時、右の背に見えた空気のたわみを確かに標とれいは確認している。氷呂が止めに入った瞬間、明羽の力はすぐに収束してしまった。氷呂は見ていただろうかと標が氷呂をチラと見る。標の目線に気付いた氷呂はふっと目線を落とした。それは意図的に反らされたのか本当に分からなかったからなのか標には判断が付かない。

「標に覚えがあるなら噂の方は信憑性しんぴょうせいがあると思っていいだろう。だが、この村の場所を黙っているというのはとても信じがたい」

 村長が考え込んで黙り込む。村長の考えがまとまるのを待つ標から明羽は視線を周りへ向けた。夏芽と夕菜に近付くふたりの男の子の姿を明羽は見つける。狩人に蹴り飛ばされた白い三角形の耳を持つ男の子に細い捻じれた角を生やす男の子が肩を貸して歩いていた。男の子達に夏芽が気付き、夕菜を下ろす。夕菜はゆっくりと男の子達に近付き、蹴り飛ばれた男の子の手をギュッと握った。友人が大変な時にその場にいられなかったもうひとりの男の子は酷く静かな顔をしていた。村長が息を吐き出す。

「村を捨てる」

「村長っ」

 村長の決定にその場にいた村人達が息を呑む。

「キジさんが迷い込んだ時点で考えてはいたんだ。今回、狩人がやって来たことで本格的にここにはとどまれないと判断する。みんなの安全が何より優先だ。ただ、移動を考えるにしても明羽のことがある以上今すぐに大きく動くのは得策ではない。そもそも移動先が決まらなければ動きたくても動けない。早急に新天地を探さなくてはならない。すまんが、標。頼まれてくれるか。それから外に出慣れているトリオ」

 名指しされて標は頷きトリオは身構えてからこくりと頷いた。

「頼んだ。それからこの場に居ない者達に伝えて回ってくれ。近く、集まってこれからの諸々もろもろを話し合うと。日取りは決まり次第改めて連絡すると。既にその耳を以って聞いている者もいるかもしれないが、みんなに伝えて回ってくれ」

 明羽は村長の言葉を聞きながら俯いた。自分の存在がみんなの足枷あしかせになっていないか? 明羽はきつく目をつむる。明羽は自分の所為で何て思わない。されど、なんだか酷く悲しい気分だった。何故、世界はこうなのだろう。何故、こんな世界なのだろう。

 ―――こんな世界……。

 標と夏芽と村長が顔を上げる。肌に触れる空気にしびれが走っているように感じた三人が明羽を見つめる。

「明羽」

 肩に氷呂の手が触れて明羽はハッとする。

「へ?」

 見れば標と村長、いつの間にか夏芽まで明羽の顔を覗き込んでいる。

「な、なに?」

「氷呂」

「はい。村長。明羽のことは私が見ています」

 通じ合っている氷呂と村長に明羽は黙り込んだ。標と夏芽は回復した村長と共に歩き出す。村人達も帰途につく。夕菜はふたりの男の子に連れられて家に帰っていく。明羽と氷呂と謝花もそれぞれに帰途につく。村長の決定は村人達の口伝くちづてにあっと言う間に村中に広まった。今回のことで大きなショックを受けた謝花が寝込んだことを明羽と氷呂は間もなく知る。

「後でお見舞いに行こう」

「そうだね」

 一度家に帰ったが明羽と氷呂は村の中を歩いていた。

「氷呂。そんなにくっついて歩かなくても」

「なんだか不安で」

「私はどこにも行かないよ」

 氷呂は明羽をチラと見たが離れなかった。明羽は頭を掻く。明羽と氷呂はいつの間にか村の外れにある畑に差し掛かっていた。畑の中には畑発案者の男性がいて明羽と氷呂に気付いて手を振る。

「明羽ちゃん。氷呂ちゃん。こんにちは」

「こんにちは」

「広場では大変だったみたいだね。みんなが無事でよかったよ。本当に。ぐすっ」

 氷呂がハンカチを差し出すが発案者の男性はそれを丁寧に断った。

「汚しちゃ悪いからね」

「気にしなくていいんですよ」

「いやいや」

「もう知ってるんだね」

 初案者の男性が明羽に頷く。

「うん。伝えに来てくれた人がいるんだ。僕にも聖獣の血は流れてるけど能力的にはからっきしだから。本当に聞いた時は驚いたよ。村を捨てることになったんだってね」

「うん」

「何暗い顔してるのさ。新しい場所でも僕は畑を作るよ」

 明羽は顔を上げた。発案者の男性は笑う。

「折角、明羽ちゃんに教わって身に着けた生きる術だ。これからもずっと役立てていくよ。明羽ちゃんだってそうだろう? それで、まずは」

 発案者の男性は畑のうねにしゃがみ込む。

「麦を増やそうと思うんだ。保存食用に。それにイモも干せば長持ちするよね。野菜類の加工は料理長に頼もうかな。移動は長くなるかもしれない。ね、明羽ちゃん」

「うん」

 明羽はぐるりと畑を見渡した。隙間なく緑にあふれ、色付いている。畝にヘタレる葉っぱも砂地ばかり見える畑もその上でため息をつく村人ももういない。発案者の男性は土をいじりながら額に流れてきた汗を拭う。その顔はとても楽しそうだった。

「明羽ちゃん。そんなところに突っ立ってないで手伝ってよ」

「うん」

「私も手伝います」

 明羽は頷き氷呂が腕をまくった。気が付けば三人は日が暮れるまで畑仕事に没頭していた。

                                  了

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