第4章(4)

「明羽ちゃん! 氷呂ちゃん! 伏せて!」

 夏芽の声に明羽と氷呂は反射的に双子の上に覆い被さっていた。オアシスだった場所に地を駆けるような突風が吹き抜ける。

「なんだ!?」

「あわわわ!?」

 その煽りを標とキジは諸に食らった。キジがバランスを崩したのを標が支えてふたりでその場に蹲る。

「ああ、もう。何だってんだ?」

 キジを風下に標が余裕綽々のため息をついた。キジはそんな標を見上げて口を半開きにする。キジは自分の体躯を自覚している。それでも油断したら浮き上がりそうになる身体に戦々恐々としているのに、標はキジより背が高いとはいえキジの方が重いのは一目瞭然だった。にも拘らず標はこの強風の中どっしりと微動だにしない。

「標さん。君は……」

「ん? なんか言ったか?」

「あ、いや。なんでも」

 風は一向に止む気配を見せない。夏芽が叫ぶ。

「何なの!? 急に!」

「明羽!」

「え? 何!?」

 目が開けられなくて明羽は声だけで氷呂に答える。

「明羽! コントロールして!」

「へ!? これ私がやってるの!?」

「それ以外にないでしょう!」

「いや……ええ!?」

「何? これ明羽ちゃんがやってるの!? だったら、お願いだから、そよ風に……。私、そろそろ踏ん張ってるのも限界だからっ。ひえ」

「夏芽さん!?」

 突風は発生した時と同様に一瞬でその姿を消した。風が治まって明羽は夏芽がいた場所に目を向ける。そこに夏芽の姿がなくて真っ青になる。

「夏芽さん!?」

「ここにいるわ……」

 全身びしょ濡れで膝上まで泉に浸かった夏芽がこちらに向かって歩いてくるところだった。

「ギリギリセーフ。あと少し遅かったらどっかに飛ばされてたわね」

 夏芽の安堵の溜め息に明羽の顔は青を通り越して白くなった。

「明羽ちゃん。そよ風ちょうだい。そよ風」

「そよ風っ。そよ風だね!」

 明羽は心の中で「そよ風そよ風そよ風」と死に物狂いで呟き始める。双子に水をかける作業に戻りながら呟き続ける。すると柔らかな風が吹き始める。

「お、いい風。その調子よ。明羽ちゃん」

「ハイッ!」

「おーい。無事かー?」

 標がキジを抱えて現れた。

「急な風に何かと思ったが今の突風が良い風運んできたみたいだな。ん?」

 明羽は標の顔を見ることができず、氷呂はノーコメント、夏芽は何とも言えない顔で標を見上げていた。

「なんだ? てか、夏芽。なんでそんな濡れてる?」

「ちょっと飛ばされたのよ」

「そうか。無事で良かった」

「あんた達も平気みたいで良かったわ。詳しいことは後で話す」

「そうか。ああ、そうだ」

「ん? 何?」

「今の風で空気は当然なんだが、砂も大分ひっくり返ったぞ」

「それって……」

「溜まってた熱が全部飛んだ。それから大半砂に埋もれた。今のでここの浄化は早まったんじゃないか」

「そう」

 夏芽がチラと明羽に目を向ける。

「悪いことばかりじゃなかったわね」

 明羽が泣きそうな顔で夏芽を見つめ返した。標は首に回していたキジの腕が震えていることに気付く。

「キジさん?」

「え?」

「子供達のところまで運ぶ。いいか?」

「ああ。すまない。頼む」

 キジは標に支えて貰いながら今見ているものは自分の見間違いだと思う。疲れ目が見せる幻だと。キジは明羽の左背の肩甲骨の辺りの空気が揺らいでいるように見えていた。


   +++


 闇に星が瞬く頃、双子は揃って目を覚ます。自分達が毛布でぐるぐる巻きになっていることに気付く。のろのろと緩慢に目を動かすとすぐ側に大きな背中があって双子はその背に手を伸ばしていた。キジが驚いて振り返る。

「お前達!」

 目を覚ました双子をキジはまとめて抱き締めた。

「……キジおじさん?」

「キジおじさんだ……」

「ああ。そうだ。キジおじさんだぞ! 良かった。良かった!」

 涙を浮かべ肩を震わせるキジに双子はぼんやりとしていた意識がはっきりとしてくる。何があったかを思い出す。

「おじさん! キジおじさん!」

「お父さんとお母さんはっ」

「みんなは!?」

 キジは顔を歪め双子を抱き締める。双子はそれですべてを察した。弾けるように泣き出した双子のその叫びは真っ暗な砂漠に吸い込まれていった。泣いて泣いて泣きつくして、双子の涙が出なくなって少し落ち着きを取り戻すと、夏芽が焚火の上にぶら下げていた小さな鍋からスープをふたつのカップに丁寧によそう。

「キジさん。ふたりに。飲めるといいんだけど」

「ありがとう。夏芽さん」

 明羽、氷呂、標、夏芽、キジ達は今、砂漠の上、満天の星の下。小型のトラックと後部座席を幌で覆った車の間に火を焚いてそれを囲んでいた。泉の側で双子が安定したのを確信してオアシスだった場所を後にしたのはもう日が沈むかどうかという時間だった。あの場所で夜を超すぐらいならと満場一致で砂漠で野宿することを決めたのだ。双子がキジの知り合いの子供達であることは双子が目覚める前にキジが語ってくれていた。といっても、キジはあの既に存在しないオアシスの住人達とは皆顔見知りだったという。

「飲めるかい? ふたり共」

 キジの差し出したカップにひとりは首を横に振り、ひとりは受け取った。

「あったかい……」

 受け取ったカップの中身を子供は勢いよく口へと流し込む。盛大にむせたその背中をキジが摩る。

「ゆっくり。ゆっくりな」

 子供はそれでもスープを喉に流し込みカップの中身を空にした。泣き腫らして真っ赤になった瞳に涸れた筈の涙が滲む。

「強い子ね」

 夏芽が言って、双子はそこで初めてキジ以外の顔に目を向けた。キジと一緒に焚火を囲んでいるのは色白の美しい女、闇に溶け込む紫黒の髪の青年、それに、双子より少し年上といった風情の緑を帯びた黒髪の少女と長い青色の髪の少女だった。

「誰……?」

「おじさんを助けてくれた人達だ。怖がらなくていい」

 ぐうっとお腹の鳴る音がする。音の主は膝を抱え顔を上げようとしない。スープを飲んだ方はもうひとりの分と用意されたカップを掴む。

「お前も飲め!」

「……いらないよ」

「食べなきゃ死んじまうぞ!」

「死んだ方がマシだった! お父さんもお母さんももうっ」

「お父さんとお母さんが俺達を生かそうとしてくれたんだろう! ついさっきのことも忘れちまったのかよ!」

「忘れてないよ! 忘れてない……。お父さんとお母さんが僕達を床下に隠してくれたんだ!」

「だったら!」

「そこまでにしろ、お前達!」

「キジおじさん……」

 双子が唇を噛んで俯く。キジが双子を抱き締めた。

「ねえ。何があったか、教えてもらえないかな?」

 明羽の控えめな問いに双子は胡乱な瞳を向ける。明羽は慌てて顔の前で手を振った。

「あ、いや。言いたくなかったら。その、いいので」

「……キジおじさん。この人達、助けてくれたって。本当に?」

「本当だとも。この人達は嵐で方角を見失って途方に呉れていた私を助けてくれたんだ」

「道に迷ってたの?」

「ああ」

「だから、いつもより来るのが遅かったんだ」

「そうなんだ。遅くなって、ぐすっ、ごめんな」

 また泣き始めたキジの頭を双子が撫でる。

「遅れてくれて良かったよ。じゃなきゃ、キジおじさんも殺されてた」

「何があったんだ? 盗賊か?」

 双子は口を引き結んで首を横に振る。そして、少し躊躇しながら同じ単語を口にする。

「王様だ」

「王様が僕達のオアシスを滅ぼした」

「お、う……?」

 キジは双子が言ったことをすぐには理解できなかった。理解した時、大いに混乱したように頭を抱える。

「王? 王が? 何故? ほ、本当に王がいらっしゃったのか?」

「俺ら……」

「もう嫌だ! 思い出したくない! 全部亜種が悪いんだ!」

「亜種?」

 キジがオウム返す。 

「俺ら、亜種を匿ってたんだ。絶対、バレる筈なんてなかったのに。外から来る人だって知り合いばっかりだった。なのに、なんで!」

 キジは双子の言葉を聞きながら四人に意識を向けていた。怖くて顔を見ることができないまま、双子を止めることもできないまま話を聞き続ける。

「王様は来なかった。王様の命令で来たって言う役人が狩人を何人も連れて来て、亜種はどこだって。でも、亜種を差し出したところで亜種を匿ったお前達の罪は重いって。なんか偉そうに役人が言ったんだ。そしたら狩人達がどれが亜種か分からないからとか言ってみんなに銃を向けたんだ。人を殺すのにあいつら何の迷いもなかった。となりの姉ちゃんも斜向かいのじいちゃんもみんなみんな殺された!」

 握った拳を震わせて、声も震わせて、双子の片割れは喋り続ける。

「俺らはお父さんとお母さんに床下に押し込まれた。床下は狭くてお父さんとお母さんは入れなかったんだ。俺らだけこんなところに隠れてなんていたくなくて外に出ようとしたけど上に何か乗ってたのか重くて戸が開かなくて。暫く上から色んな音がうるさいぐらいに聞こえてたけど。段々遠退いていって、そしたら段々、熱くなってきて……」

 話していた片割れは急に口を押さえて前のめりになった。胃の中のものを吐き出してしまう。キジが慌ててその背を摩った。双子のもうひとりはその場からじりじりと離れて耳を塞ぎながら今にも泣きそうな顔で片割れを見つめる。胃の中のものを吐き出し切ってしまったひとりの前に新たなカップが差し出される。カップの中には透明な水がたっぷりと注がれていた。カップを差し出した氷呂の顔は悲し気に沈んでいる。標が委縮して耳を塞いだまま縮こまるもうひとりを抱え上げるとキジの腕の中へ運び直した。急なことに身動きの取れなくなった双子をキジは抱き寄せる。キジの包容力に双子の身体の緊張が少しずつ緩んでいった。

「もう……あの場所には帰れないんだ」

 双子は寄り添い合って目蓋を閉じる。すぐに小さな寝息が聞こえてきた。キジは腕の中の双子の頭をそっと撫でていた。

「キジさん。大丈夫か?」

 標の問いにキジは緩慢に頷いた。

「私は、大丈夫だ。君達は……その、大丈夫だろうか」

 明羽と氷呂と標と夏芽は顔を見合わせる。

「私達のことを心配している場合?」

「不快に思っているのではないかと思って」

「私達より今大変なのはキジさんでしょ」

「すまない」

「キジさんが謝ることじゃないわね」

 柔らかく静かな夏芽の声にキジはギュッと瞳を閉じる。

「ああ、それにしても、ああ、信じられない。でも、間違いないんだろうな。ふたりが嘘をつく筈がない。あのオアシスを焼き払ったのは王の命令を受けた役人。信じたくないがっ……」

「匿われてたっていう子はどうなったのかな?」

 明羽の呟きにキジは俯くしかない。

「……すまない」

「キジさんが謝ることじゃないですよ」

 氷呂が夏芽と同じ言葉を発した。キジは重いため息と共にぽつりと言う。

「王は、第一王子が亜種に魅せられてから、それまで以上に亜種を目の敵にするようになってしまったんだ」

 人間を統べる絶対の王にはふたりの王子がいる。

「第一王子は子供の頃五対の翼を持つ天使を見たとかなんとか言って」

「ええ!?」

「んん!?」

「……何か?」

「い、いや」

「なんでもない」

 急に声を上げた標と夏芽は揃って首を横に振る。

「それ以来、王子は王子の職務を全うせず天使を探しに行く為に度々城を抜け出していると専らの噂だ。もう何年も噂されている。王は第一王子に期待していたんだろう。期待が大きかった分だけ失望も大きかった。そのやり場のない気持ちをぶつけるのに亜種の存在は丁度良かったんだろう。あ、いや、すまない」

「まあ、いいわよ」

「気にしないでいい」

 許してくれる標と夏芽にキジは頭が上がらない。頭を上げられないまま懇願する。

「どうか、気を付けてください。北にだけは、絶対に行かないでください」

 北という言葉に明羽は夏芽の母、春華の予言を思い出す。

《北から災いがやってきます》

「夏芽さん」

「ええ……」

 標と夏芽が黙り込む。明羽が氷呂の手を握ると氷呂はその手を握り返した。


   +++


 キジはトラックの運転席で目を覚ます。フロントガラスの向こうに白み始めた空が見えた。伸びをすると天井に手がぶつかる。

「イテ」

 腕を引っ込めながら助手席に目を向ければ重ねた毛布で丸くなっている双子がいた。双子の眉間に寄る皺をキジが撫でるとその表情が柔らかくなる。キジが双子の顔を眺めていると外に標が歩く姿を見る。標は見る見る明るくなっていく空に向かって両腕を伸ばした。

「んー。今日もいい天気だ」

「標さん」

「お、キジさん。おはよう。早いな」

「おはよう。君だって早いじゃないか」

「双子の様子は?」

「夜中に何度か悪夢を見たようで目を覚ましたが今は落ち着いている」

「そっか。良かった。これからどうするんだ?」

「あのオアシスに起きたことを近くのオアシスに伝えて回る。注意喚起と情報の共有をしなくては。それから他にも同じ被害を被っているオアシスがないか情報を集めてみるよ。自分に何ができるか分からないがやれるだけのことはやってみる。南の町にもオアシスがひとつなくなったことを報告しに行かなくては」

「双子はずっと連れて行くのか?」

「……分からない。私は旅の行商人だ。家というものを持っていない」

「キジさんはどうしたいんだ?」

「私? 私は……。あの子達の意見を聞かないと」

「俺は、キジさんは? て聞いたんだけどな。ま、いいか。まだ自覚してないみたいだけど内心決まってるみたいだし。それに当人達の意見が大切なのも確かだ」

 標の言葉にキジは首を傾げる。

「南の町に行くの?」

「ほあ!?」

 背後からの声にキジは飛び上がった。振り返れば明羽が立っていた。

「き、君か」

「おはよう」

「おはよう」

 黙り込んだ明羽をキジは黙って見下ろす。それほど待たずに明羽は次の言葉を発する。

「南の町に行くならさ」

「うん」

「南区の南門側の商店街に寄るつもりない?」

「南門側の商店街?」

「明羽」

 標の呼び掛けに明羽は眉をハの字にする。

「やっぱり未練がましいかな?」

「……いいや」

「あの。理由を聞かせて貰っても?」

 明羽は語る。自分が天使であることと氷呂が純血の聖獣であることは隠して、村に辿り着く前の自分達の生活を語る。

「君達にそんな生い立ちがあったとは」

「私達が南の町を逃げ出してからおばちゃん達がどうなったか、まるで分からないんだ。それをあなたに確かめてもらうのもおかしな話だとは思う。どうやったって私達がおばちゃん達の今を知ることはできないのに。おかしいよね」

 自嘲気味に笑う明羽にキジは目を伏せる。トラックの助手席でまだ眠っている双子を思う。多くの大切な人の命は失われたが、双子が無事であった時の喜びと安堵を思い出す。

「承った。南の町の南門側の商店街だね。君達に代わって私が見て来るよ。良い状況だったらどうにか知らせたいと思うが」

「いいえ」

「氷呂」

 明羽が振り返れば氷呂が立っている。キジは気付いていたのか食い下がる。

「しかし、無事ならやっぱり知りたいだろう?」

 氷呂は首を横に振る。

「私達はどうやったっておばさん達にはもう会えないんです。会ってはいけないんです。あの人達が無事だと分かったらきっと会いたくなってしまう。だから、いいんです。意味の分からないお願いをしてしまって、ごめんなさい」

「いいや。……いいや。お店の詳しい場所を教えてもらってもいいだろうか」

 明羽と氷呂は砂の上に描いた絵も交えながらキジに、向かい合う八百屋と呉服屋の場所を伝えた。日が昇り、気温が急激に上昇してくる。七人での最後の朝食を終え、キジはエンジンのかかったトラックから四人に手を振った。太陽が地平線から遠ざかって行く下を荷台を幌で覆った小型のトラックが走っていく。後方に長い砂煙を上げながら走っていく。色んなオアシスを何日も掛けて回って、見てきたことを伝えていく。幸いあのオアシスに起こったようなことがあったオアシスは今のところないようだった。出会った行商仲間達にも情報を共有し、次に向かう場所で伝えてもらえるよう掛け合って、そうしてキジは南の町へと向かった。南の町の北門から入ってまずは役所へと向かう。事の次第を伝え終えてキジは馴染みの商人の店に向かう。馴染みの商人は何日も前に見送った筈の友人が現れて大いに驚いた。前に見た時と明らかに様相が違うことにも驚いていた。

「どうした? キジ。何かあったのか?」

「ああ。色々あったんだ」

 真剣に心配してくれる友人にキジはここを出てから起こったこと見てきたことを話す。もちろん明羽、氷呂、標、夏芽、村のことは話さずに語る。

「大変だったな」

 友人がキジの肩を叩いた。

「あの子達がそのオアシスの生き残りか」

「ああ。ここだけの話で頼む。あの子達が亜種を匿ったオアシスの生き残りだと知れたらどんな目に合わされるか」

 双子は店の外に停められたトラックの助手席から店の中のキジをそっと窺っていた。

「そうだな。で、どうするんだ?」

「どうするって?」

「子供達だよ。里親を探すのか? 探すならツテを当たるぞ。その為にウチに寄ったんじゃないのか?」

「……」

「キジ?」

 キジはあの朝の標との問答を思い出す。時間が経って既に自覚していた。標の代わりに目の前の友人の目をまっすぐに見て宣言する。

「あの子達は私が育てようと思う」

「そうか」

 友人はあっけらかんと茶を啜った。

「ん? まるで分かっていたかのような口振り」

「お前の顔みりゃ分かるよ。もう、決めてたじゃねえか」

「……私はそんなに分かりやすいのか? というか分かってたのならなんで里親の話なんてするんだ」

「ははは」

「笑ってるし」

 キジはドッと気が抜けて、ここで一時ふて寝してやろうかと思ったが思い直す。これからまだ行かなくてはいけないところがあるからだ。

「もう行くのか?」

「約束があるんだ」

 友人から新たな商品も買い入れて荷台に積み込み、キジは出発する。目指すのは南区、南門側の商店街。キジはトラックを走らせ続けた。南区に入って何度も道を折れ曲がる。時刻は太陽が天頂を過ぎて人間が出歩くにはまだ少し早い時間帯。

「キジおじさん」

「キジおじさん。暑い……」

「そうだな。さっきの店でもうちょっと休憩しとけば良かったか」

 真夜中の極寒の時間帯は宿を取るにしても、太陽が頂点に達する灼熱の時間帯はそこの住人じゃない人達の為に町や規模の大きなオアシスには至る所に休憩所のような場所が設けられている。キジ達も先程までその休憩所のひとつで日が傾くのを待っていたのだが、

「ちょっと急ぎ過ぎたか」

 ふと頭を過ぎるのは村で倒れた時のことだ。

「私はまるで学習していないな」

 反省しても遅い。キジは双子に小まめに水分補給をさせ、双子がキジに水を飲むように促さしながら三人を乗せたトラックは進む。何度目かの曲がり角を曲がった時、視界が大きく開けた。まだ人っ子ひとりいない時間帯だからというだけではないだろう。その大通りはキジが予想していたより遥かに広く長く伸びていた。そして、緩やかにカーブした道の先に見えてくる。

「おお」

 並ぶ建物より遥かに高い砂避けの壁。華やかな北門に比べて質素だが圧倒的重厚感を備えた南門が威風堂々建っていた。

「南町の南門。世界で最も使われない門だなんて揶揄されているが、立派な門じゃないか。それに、こんな大きな商店街があるなんて知らなかった」

 南門に近付く程にその圧迫感を更に感じながらキジは向かい合って建つ八百屋と呉服屋を探す。南門が更に眼前に迫ってくる。そして、キジは車を止めた。八百屋の看板と呉服屋の看板がキジの目に映っていた。

「キジおじさん?」

「着いたの?」

 助手席でお互いの顔を団扇で仰ぎ合っている双子の顔は数日前よりずっと血色がいい。

「ああ。ここで間違いない筈だ。ちょっと待っててくれ」

 八百屋の前に車を移動し、車を降りる。キジはまだ固く閉じている戸を叩いた。店の中で絶賛準備中だったのか中からすぐに人の声が返ってくる。

「誰だい? まだ、開店時間じゃないよ」

 人がいることにキジは緊張を隠せない。明羽と氷呂から南の町から逃げ出した時の話を聞いたからにはここにはもう誰もいないことも想定していた。内側から戸を開けて出て来た女はキジの顔を見て怪訝な顔になる。

「誰だい?」

 知り合いでもない者が時間外に戸を叩けばそういう反応にもなるだろう。キジは暑さだけが原因でなく吹き出してきた汗を拭う。回りくどい話はなしだと本題に入る。

「ええっと。明羽と氷呂という名前に聞き覚えは」

 ありませんか? とキジが言い終わる前に女はキジを店の中に引っ張り込んでいた。およそ女性の力とは思えない腕力にキジは委縮する。

「え、えっと……?」

「あんた誰だい!? 割と自由にさせてもらっているとはいえ、こちとらずっと役人の監視が付いてる。滅多なこと言われちゃたまったもんじゃないね。どこで聞き付けたんだか知らないが、明羽と氷呂のことを私達から教えてやることなんて何もないよ!」

 鬼の形相の女にキジは涙目になった。

「おじさん!?」

「おじさん! 大丈夫?」

「大丈夫だとも!」

 姿の見えなくなったキジを心配した双子が車を降りて店の中に駆け込んできていた。キジは先程まで震えていたのが嘘のように立ち上がれている自分に自分で一番驚いた。

「で、あんたは誰だ?」

 子供が駆け込んだことで冷静さを取り戻した女が先程よりずっと落ち着いた声で同じ質問を繰り返す。

「申し遅れました。私、行商を生業としています。キジと言います。明羽さんと氷呂さんには旅の途中で出会いまして。色々と助けてもらったのです。大恩人なのです。そのふたりにこちらと向かいの呉服屋のことを聞いてきました」

「あんた、あの子達に会ったのかい?」

 オニャの顔がくしゃりと崩れ、その瞳に涙が浮かぶ。キジは頷く。

「はい」

「本当に? 本当に? 嘘じゃないだろうね?」

 オニャは目を見開きキジに詰め寄っていく。

「嘘じゃないです! 誓って!」

 キジのまっすぐな瞳にオニャはやっと身体から力を抜いた。

「あの子は、あの子は元気だったかい? 怪我とかしていないだろうか? 苦しんでいたり、悲しんでいたり、辛そうじゃなかったかい? 泣いてなかったかい? 氷呂、氷呂の名前も出るってことはあのふたりは今もちゃんとふたりでいるんだね? あの子達は……笑っていたかい?」

 オニャの必死さにキジは目の前の女性がどれほど明羽のことを案じ、大切にしていたかを感じ取る。キジは意識せずとも浮かんで来た記憶を遡る。村での氷呂と明羽の姿が浮かんでくる。大声を上げて喧嘩したことまで思い出して、それは記憶の深みへ仕舞っておく。

「明羽さんも氷呂さんも元気でしたよ。ふたりはいつも一緒にいて楽しそうでした」

 オニャの唇が震えた。二階へ続く階段に向かって何か叫んだかと思うと店を飛び出して大通りを横断する。向かいの呉服屋へ駆け行って閉じられた戸を叩く。キジが八百屋の戸を叩いた時と同じように向こうの戸も開くのが早かった。

「キナ! キナ!」

 大きな声がこちらにまで聞こえてくる。呉服屋から出て来た女とオニャがいくつかの言葉を交わすとふたりは強く強くお互いのことを抱き締め合った。オニャがキナを連れて戻ってくる。間もなく女の後を追って男も八百屋にやって来た。八百屋では二階からどこかのんびりとした男が降りて来ていて、八百屋の店内には総勢七人が集うこととなった。八百屋の女将オニャとその夫リト、呉服屋の女将キナとその夫ウェル。旅の行商人キジと、キジの連れる双子の七人だ。天井付近に開けられている明り取りの窓から薄く光が差し込む室内でキジは明羽と氷呂に出会った経緯を話す。村のこと、亜種のことは四人の顔色を窺いながら恐る恐る話していく。話しながらキジは改めてこの四人は明羽と氷呂の育ての親なのだと確信する。亜種がどうのということを目の前の男女は一切気にしていなかった。ただただ明羽と氷呂のことを思っている。キジの話を聞きながらオニャとキナは時にホッとしたり、ハラハラしたり、涙ぐんだり、忙しなくその表情を変えていく。そして、キジは双子のことも語った。焼かれたオアシスの話には旦那衆が厳しい顔になった。

「王が……」

「明羽と氷呂は大丈夫かな?」

「大丈夫さ」

「あの子達は強い子だもの」

 暗い顔になる男達を女達が励ます。

「さて、キジさんとやら」

「はい」

「あんたには礼をしなくちゃいけないね」

「はい?」

「いい話を聞かせてもらった。ウチのとびっきり出来のいいのを持って行きな」

「私からは是非あなたの子供達の為に服を仕立てさせてくださいな」

「へ?」

 既に決定事項なのか女達はテキパキと動き出す。その瞳は生き生きとキラキラと輝いていた。それを見て、キジは良かったと思う。明羽と氷呂のことを伝えられて良かったと。悲しいのはこの事実を明羽と氷呂に伝える術がやっぱりないことだった。キジがため息の出そうになるのをグッと堪えていると、オニャの夫リトがキジに近付く。

「ありがとう。キジさん」

 柔和な笑顔にまっすぐな礼。その後ろでは無口で不愛想にも見えるキナの夫ウェルが小さく頷いた。キジは涙ぐむのを必死に堪えて笑う。

「こちらこそ。ありがとう」

 呉服屋でキナが双子に生地を選んでいるとオニャが籠いっぱいの野菜を持ってやって来る。破格の値段で野菜を売りつけるとオニャはもう未練はないと言わんばかりに間もなく開店時間を迎える自分の店へと戻って行った。双子の服はすぐに出来上がる筈もなく、キジは腰を据えて逗留することを決め、キナに一番近くの宿の場所を尋ねる。そうこうしているうちに店の外が騒がしくなり始め、キナの夫ウェルが戸を外していくと先程まであんなに静かだった通りが多くの人で賑わい始めていた。

「おお」

「これからまだ増えるぞ」

「なんと」

 言うだけ言って店の奥へ消えるウェルをキジは見送った。

「こんにちは」

 早くも客が来たとキジが目を向けるとそこにいたのは白い帽子に白い制服、白い鞘の刀を腰に差した役人だった。キジは役人が現れたことにギョッとしたがその身長にも目を瞬く。標も長身だったが目の前の役人は標よりも背が高かった。オニャが、監視が付いていると言っていたことをキジは思い出す。

「まあまあ。スズシロさん。今日も一番に来ていただいて」

「調子はどうですか?」

「まあまあですね」

 キナと役人の穏やかなやり取りはとても監視対象者と役人の会話ではなかった。巡回に来た役人と町人の会話にしか聞こえず、役人がキナだけでなくキジにも会釈をして出て行ったのを確認してキジはオニャに思わず確認していた。

「監視、されてるんですよね?」

「ええ。氷呂と明羽がここを出て行ってからずっと。お客が減ったり、ちょっと嫌がらせされたりした時にとても親身になってくれて」

「それは、監視ではないですね」

「うふふ」

 キナは双子の採寸に戻る。キジが外に目を向けると向かいの八百屋で先程の役人がオニャに蹴られているのが見えた。とても仲の良さそうな光景にキジは思わず口元を緩めてしまう。が、長身の役人以外にもうひとり役人がいるのに気付いてキジは口元を引き締めた。役人は二人一組で行動するのが決まりだ。存在を消していたもうひとりはキジを無感動に見つめて、キジは緊張する。自分は何か目を付けられるようなヘマをしただろうかと。不安になっていると役人は不意にキジから目を反らす。

「テン! 戻るぞ」

「また、そんなに買って」

「おいしいんだからしょうがない。それにいつもより安くしてくれたぞ。今日のオニャさんはなんだか機嫌が良いみたいだ」

「あっそ」

 役人達が歩き去って行く。キジはほっと胸を撫で下ろし、キナと楽しそうにどんな服が欲しいか相談する双子を振り返った。


   +++


 時間は少し遡る。キジのトラックを見送った後。村へ帰るだけの道中、幌を取っ払った車の中、四人は言葉を交わすこともなく風を切る音とエンジン音だけが響いていた。運転する標の首では赤の濃い桃色の昼用のマフラーが風を受けてはためく。夏芽の白い尾は太陽の光を受けてますます真っ白に輝き、氷呂は手首を飾る涙型の青色の石をいじっていた。明羽は後方に流れて行く砂紋をじっと眺める。その左耳の側で髪の結び目から伸びている涙型の緑色の石が車の振動に合わせて揺れる。氷呂の手首を飾る石とよく似た形、風合いの石。明羽の宝物。その石に明羽は無意識に触れた。暫くそのツルリとした表面を指で撫でてから明羽は空に向かって両腕を伸ばす。

「キジさん。いい人だったね」

「うん」

「オアシスは怖かった」

「うん」

 明羽が氷呂の手を握る。

「明羽」

「怖かったね」

「うん」

「なんで、あんなことができるんだろう」

 人間の恐ろしさは知っているつもりだった。正直南の町にいた頃は何も知らなかったと明羽は思う。狩人に追われる経験をして、盗賊が人から略奪するのを見て……その後助けていたが。あれは特殊な現場だったことは明羽でも分かる。人間が人間以外の種族を嫌悪する様を知る。けれど、感じたどの恐怖心も嫌悪もあのオアシスで見た程の苛烈な感情ではなかったと明羽は思う。狩人に追われた時でさえ、あそこまでの悪意は向けられなかった。しかも、オアシスの住人は人間だった。人間じゃない種族を匿っていたとはいえ、同じ種族に何故、あんなことができるのか。何を思えばできるのか。

「夏芽さんは大丈夫?」

「え?」

 突然名を呼ばれて夏芽が振り返った。

「もう苦しくありませんか?」

「私の心配してる場合? ふたりだって今回のは堪えたでしょう。付いて来なけりゃ良かったって後悔してない?」

「後悔はしてない。良かったとも思ってないけど。行こうと決めたのは私だし」

「そう。そっか」

 夏芽が神妙に目を伏せる。

「氷呂は私が誘ったから、もしかしたら後悔してるかも」

「してないよ。誘われたのは確かだけど、そこから行くことを決めたのは私。私自身」

「うん。ああ、そうだ。それで、さっき夏芽さんに大丈夫かって聞いたのは」

「夏芽さん。村を出る前に苦しそうにしてたじゃないですか。その後キジさんに付いて行くって急に」

「ああ」

 明羽と氷呂の問い掛けの意図を理解して夏芽は小さく笑う。

「ええ、もう大丈夫よ。あれ以降苦しくなってないわ。あの時は取り乱しちゃってごめんね。なんせそれなりに生きてきたつもりだけど初めてのことだったから」

「あの時、夏芽さんに何が起こってたの?」

「そうね。なんて説明すればいいかしら。簡単に言うと……。そう、死を、感じ取ったの」

「シ、って、あの死?」

「あの時も言っていましたね」

「そうだったわね。初めてのことだったけど、本能ね。あの苦しみが何か分かったのは。それにしても不思議。私は聖獣と精霊の間の子だけど。間の子の私は聖獣としても精霊としてもその能力は低い。これは全ての間の子に言えることだけど。私はお母さんのように自然に近くはないから天気を読んだりできないし、氷呂ちゃんのように水を操ることもできない。耳はいいけど。なのに、急に……。小さい頃。まだお母さんと旅をしていた頃。お母さんが時々胸を押さえることがあった。でも、すぐにいつものお母さんで。今なら分かる。あれは死を感じ取っていたのね。お母さんは純血の精霊だからどんな小さな死も感じ取っていた筈。はあ、自分の無知が辛いわ。今になってその苦しみを知るなんて。知っていたらもっとお母さんを労わってあげられたのに。それにしても本当になんで私、急に感じ取ったのかしら」

「今回のは一度にあまりに多くの命が失われた。あまりに多かったから夏芽にも感じられたんじゃないか。夏芽が何か変わった訳じゃないと俺は思う」

「なるほど」

 標の言葉に夏芽が頷く。

「お母さんは大丈夫かしら? 私に感じ取れた程なんだから、お母さんはもっと苦しかったんじゃ……」

 夏芽が真っ青になる。

「ど、どうしましょう。お母さんに何かあったら」

 震え出した夏芽に明羽と氷呂が焦る。

「大丈夫。大丈夫だよ!」

「夏芽さんのお母さんなんですから!」

「何の根拠にもなってない!」

 ごもっともだと明羽と氷呂は口を閉じた。

「春華さんは純血の精霊だぞ。大丈夫に決まってんだろ」

 どこか乱暴な物言いに夏芽は標を睨む。

「純血の精霊だからこそ私より苦しかったりするんじゃないかって言ってんのよ!」

 標は先日村を訪れた春華の姿を思い出す。標にとって春華の印象が精霊という種族の印象だった。標の知る精霊という種族は愛情深くありながら、非情。夏芽の言うように死を感じ取って苦しかったとしても、その苦しみが過ぎてしまえば春華はそれをただあった事柄として受け入れてしまうだろう。夏芽の父親のこと然り。そう思うからこそ、標は断言する。あの人なら大丈夫だと。

「自分の母親を信じろよ」

「信じてるわよ! あんたに言われなくても!」

 夏芽に叩かれながら平然と運転する標という平和な光景を見ながら明羽は呟く。

「何か変わって来てるのかな?」

「何かって?」

 氷呂も明羽と同じように標と夏芽を見ていた。

「世界が変わって来てるのかなって」

「例え世界が変わってきているとしても私達のやることは変わらないよ」

 氷呂の言葉に明羽は少し考える。考えて頷く。

「そうだね」

 変わらないと頷きながらも明羽は知っている。ずっと続くと、変わらないと思っていたことも自分の意志に反して変わってしまうことがあることを。

「何があったか村長や村のみんなに伝えないとな」

「村のみんなに話したらキジさんのお蔭で薄れた人間に対する恐怖心が復活しちゃいそうだわ。それどころか酷くなりそう」

「でも話さない訳にはいかないよな。キジさんを見送りに来てた人達は夏芽の取り乱しっぷりを見てる訳だし」

「くっ……。とにかく、もう早く帰りましょう」

 夏芽に明羽は心の中で同意する。氷呂の手を握りながら思うのだ。なんだかとても、早く安心できる場所に帰りたいと。

                                  了

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