第4章・運の良い男(人間)(2)

「お父さんとお母さんかあ」

 今日はもう特にやることがないので明羽と氷呂は家に帰って来ていた。明羽は寝床に寝転がる。明かり取りの窓から入る光が部屋の中に差し込み、お昼を過ぎたことを知らせる。

「あんまり気にしたことなかったけど、夏芽さんもしっかり人の子だったんだね」

「何を当然のことを。と言いたいけど、そうだね。私達にとって夏芽さんは頼りになるお姉さんで自立してる人だったから。考えたことなかったね」

「みんな、親がいるんだよね」

「明羽?」

「私達にもさ。いる筈なんだよね」

 氷呂が明羽の隣に寝転がる。

「そうだね」

「おばちゃん達、元気かなあ」

「悪い想像はしたくない」

「うん」

 明羽は一度目を閉じてから勢いよく立ち上がった。

「標はどうなんだろう?」

「標さんのご両親ってこと?」

「そう! 聞きに行ってみよう!」

「まあ、いいけどね」

 氷呂が仕方ないと起き上がり、ふたりは再び外へと駆け出した。明羽と氷呂が中央広場に差し掛かると村長が自宅の戸を押し開けて出てくる。明羽は閃いたと更に駆け出す。その背に氷呂は慌てた。

「明羽! まさか村長にも聞くつもり?」

「え、ダメ?」

「う、う~ん。いや、どうだろ?」

 氷呂が何を悩んでいるのか明羽には分からない。

「何の話?」

「おわっ」

 いつの間にか側にいた白い獣に明羽は飛び退いた。

「僕のことを何やら思いやってくれたみたいだけど?」

「えっと」

 明羽はチラと氷呂を見る。

「明羽に任せる」

 氷呂が丸投げしたので明羽は村長に問い掛ける。

「村長のご両親ってどんな人?」

 村長はポカンと目を見開き唸り出す。

「両親。親か。えーと、んーと……。なんと説明したものか」

「村長。すみません。村長のご年齢とか考えると既にご逝去されている可能性は考えたんですが、長く生きていらっしゃる村長ならいい思い出として語ってくれるかもと思ったんです」

 ハラハラする氷呂に明羽は氷呂の悩んでいた理由を知った。

「え? ああ、確かに別れてから幾久しくはなるね」

 別れてと言われて明羽はドキッとした。ふたりの様子に村長はいらぬ心配だと困ったように苦笑する。

「でも、多分。あの人はまだどこかにいると思う」

「へ?」

「うう~ん。でも、そもそも親と言っていいものか」

「え?」

「いや、まあ。生みの親であることは間違いないんだけど。なんと説明したものか」

 村長がうんうん悩むのを見て明羽と氷呂はただただ幾つもの疑問符を頭の上に飛ばした。それを中央広場に差し掛かった標が見つけて近付く。

「何やってんだ? 明羽と氷呂に、村長?」

「標」

 明羽は丁度いいとばかりに標にも同じ質問を投げかけた。

「標。標のお父さんとお母さんってどんな人?」

「ふたり共もう死んでる」

 明羽は両手で顔を覆った。

「ごめんなさい」

「あはは。なんだそりゃ。親父とお袋かあ。又聞きでよけりゃ聞くか?」

「又聞き?」

「そ、俺の両親は俺が生まれるのとほぼ同時に亡くなってるんだがお袋は死ぬ直前に生まれたばっかの俺をある人に預けたんだ。その人が俺の育ての親な訳で。俺が知ってる両親はその人が俺に語ってくれた話なんだ」

「ええー。聞きたい聞きたい!」

「明羽。落ち着いて。その方はご両親の知り合いだったってことですか?」

「いんや。俺が預けられるその瞬間までお互いに見ず知らずの人だった」

 明羽と氷呂は困惑した。困惑するふたりの顔を見て標はあっけらかんと笑って言う。

「まずは悪魔の生体を語るべきかな」

「悪魔の」

「生体、ですか?」

「伴侶となった悪魔はどちらかが死ねば間もなくもう一方も必ず絶命するって話かい?」

「そうです。さすが、村長」

 標が指を鳴らした。明羽と氷呂はもう話に付いて行くのに精一杯で余計なことは言わずに聞くことに専念する。

「だから、本来悪魔は年の近い者同士で結婚するのが暗黙の了解だったらしいんだが、年若い悪魔の娘がどういう訳か、もう寿命が尽きるのを今か今かと待つばかりの男に恋をした。らしい」

「らしい……」

 聞くことに徹しようと思っていたのに明羽は思わず口をついてしまう。

「又聞きだからな。猛アタックしてくる娘を男は当然追い返す。けれど、娘は何度跳ね除けられようと決して諦めず、何度も何度も、幾度も幾度でも、男に気持ちを伝え続けた。最初こそ突っぱねることに迷いなどなかった男だがそう何度も通われ続けると、見ず知らずの娘はいつしか見ず知らずの娘じゃなくなってくる訳で」

「情も湧くってものですよね」

「正しくそんな感じだったんだと思う。娘に持ち始めた自分の感情を男は押し殺そうとしたが目ざとい娘はそれを見逃さない。あともうひと押しというところで娘はアタックするのをやめた。他愛もない話ばかりするようになった娘を強く突き放すこともできず、男の方がついに折れたらしい。自分の気持ちを認めた上で、男は娘に語ったという。自分の寿命はもう本当に残り僅かなのだと。知っている、承知していると娘は言う。だから、本当はとても焦っていたのだと。急がなければこの人はひとりで逝ってしまう。悪魔の夫婦は生死を共有する。夫婦になったふたりは残り僅かな時間を大切に過ごし始める。そしていよいよという間際に娘は男に最後の望みを語ったんだ。子供が欲しいってさ」

「ええ!? ふたり共死んじゃうのに?」

「ふたりの過ごした時間は本当に僅かだったんだろう。自分達が過ごせない時間を子供に託したかったんだと」

「勝手な……あ、いや、ごめん」

「ハハハ。いいよ。言ってやれ言ってやれ。ただ、そうして俺は生まれて来た。望まれて生まれて来た。俺が生まれて間もなく親父は死に、お袋は俺を託せる人を探して走ったんだと。まあ、生死を共にするといっても片方が死んですぐにもう片方も死ぬ訳じゃなくて少しばかり時間があるそうだから。でも、死ぬのは間違いないからお袋は必死に走ったらしい。そうしておっさん、あ、俺の育ての親な。俺はおっさんって呼んでんだ。おっさんの住処に辿り着いてお袋は力尽きた。ま、病気とかで死ぬ訳じゃねえからおっさんにそれまでのあらすじを語るだけ語って亡くなったんだとさ。お袋は満足げに笑って逝ったらしい。だから、俺は親の顔は知らずとも親の愛は知ってんだ」

「なるほど。全部標のお母さんがその、おじさん? に語った話なんだね」

「そうゆうこと。脚色一切なしだと思うぞ。おっさんはその辺器用何だか不器用何だか。そうゆう人だからな」

「ふたりの結婚に周りの人は反対しなかったんですかね?」

「その辺の話は一切してなかったからおっさんも知らないんだと思う。当人達にしか分からないところだろうな」

「なんか、すごい話し聞いちゃったな」

「そうだね」

 どこかちょっと呆けてる明羽と氷呂の頭を標はちょっと乱暴に撫でる。

「何をするー」

「あわわ。標さんっ」

「あははは。なんだか懐かしい気分になった! そういやあ。おっさんにも随分会いに行ってないなー」

「会いに……偶に里帰りしてるの?」

「里帰り……。まあ。そうなんだが。んー。よし、思い立ったが吉日だな。明羽、氷呂」

「ん?」

「はい」

「おっさんに会いたくないか?」

 標がニッと笑った。明羽が目を輝かせる。

「会ってみたい!」

「明羽が行くなら私も行きます」

「よーし。そうと決まれば準備だな」

「すぐに出るんじゃないの? 思い立ったが吉日って」

「まあ、そうなんだが。準備なしには無謀が過ぎる。おっさんは常に移動してるし」

「そうなんだ。……でも、移動してる相手にどうやって会いに行くの?」

「前行った時にあの辺にいたから今ならあの辺かなってアタリを付ける」

「あの、それって殆ど勘……」

「おうよ」

 標は事も無げに言ったが明羽と氷呂は急に不安になった。

「やめるか?」

「ううん。行くって言ったからには行く。実際会ってみたいし」

「よし来た。準備に数日かかると思うが整い次第呼びに行くから。楽しみに待っててくれ」

 標が意気揚々と去って行く。その後ろ姿を明羽と氷呂が眺めていると不意に呟き声が聞こえてくる。

「いいなー」

「ん?」

 村長の呟きに明羽と氷呂が振り返る。

「あ、いや。すまない。標の育ての親とは僕も知り合いでね」

「そうなんですか?」

「実はそうなんだ。僕が村を作っていたのを知っていた彼が大きくなった標をここに連れて来たんだ」

「そうだったんだ!」

「彼に会えたらよろしく伝えておいてくれ」

「分かった!」

 明羽が頷いた後も村長は少し立ち止まっていた。明羽が首を傾げた分だけ立ち止まって、村長は尻尾を振る。

「じゃあ、僕は村の中を見回って来るよ」

「いってらっしゃい」

「お気を付けて」

 歩き去る村長の背中はどこか丸く、意気消沈しているように見えなくもない。

「村長。標さんの養父さんにそんなに会いたかったのかな?」

「氷呂もそう思った?」

 村長がそんなに会いたい相手とはどんな人だろうと明羽と氷呂は俄然興味が湧いてくる。

「なんか楽しみになってきた」

「そうだね」

 ふたりは気持ちを押さえられず夏芽も誘おうと診療所へ向かう。標と一緒に育ての親に会いに行くことを伝えると夏芽は頓狂な声を上げた。

「ふたり共、本気!? 命知らずねえ……」

 あまりの驚き様の後に心底心配そうな顔で見つめてくる夏芽に明羽と氷呂はどんな強行軍になるのかとまたも不安な気持ちになる。けれど、夏芽は次の瞬間にはあっけらかんとした顔で言う。

「あの人のところに行くならお遣い頼まれてくれない? あそこにしか育たない貴重な植物がたくさんあるのよね。ふたりが出る前までにはメモ用意しとくから。出る時になったら声掛けてちょうだい」

 明羽と氷呂は勢いに呑まれるように頷いた。


 夏芽の母が去って数日。明羽と氷呂が標から声が掛かるのを待っている中、村全体を凍り付かせる事件が起こる。それは何の前触れもなく突然に。自室で昼寝に勤しんでいた村長の形の良い白い三角形の耳がぴくりと動く。

「なんだ?」

 頭を上げ、村長は意識を集中する。立ち上がり玄関の戸を押し開ける。丁度広場を通り掛かった標が村長に気付いて声を掛ける。

「村長。どうしたんですか?」

 村長は人の姿を取っていた。

「標。みんなに私がいいと言うまで家から出ないように伝えてくれ」

「分かりました」

 理由を聞かずとも標は身を翻す。畑に出ていたところを家に帰るよう指示を受けた明羽は今、氷呂と共に自宅に帰って来ていた。

「家から出るな、なんて。何かあったのかな?」

「村長の指示らしいね」

「こんなこと初めてだって。畑に出てたみんなも不安そうだった。大丈夫かな」

 明羽は見えない外へ目を向ける。


 静まり返った村の中。村長と標は村の入り口に辿り着く。するとそこには一台の小型トラックが止まっていた。村のものではない、荷台を幌で覆ったトラックだった。

「こいつは」

 標が呟くのと運転席から男が飛び出してくるのはほぼ同時だった。

「こんにちは!」

 男は泣きそうにも嬉しそうにも見える顔で標と村長に駆け寄る。ふたりの目の前で立ち止まると男は標の手を握りしめてブンブンと振った。

「良かった! 良かった! 人がいた! ありがとう! ありがとう! あなた達がいてくれて良かった!」

 泣き出した髭面の男は標よりも背は低かったが身体の大きな男だった。手を握られたまま離さない男に標は村長に助けを求める。

「村長。助けてください」

「そんっちょーさんがいらっしゃるのですか!? どちらに!?」

 涙でぐしょぐしょの顔を上げて男は辺りを見回す。ここには男と標と村長しかいない。男は長身の青年の側の白い髪の少年に目を止めて首を傾げる。薄紫色の瞳が男をジッと見据えていた。標の手を離して男は村長の目線に合わせるように軽く腰を落とす。

「村、長、さんで?」

 半信半疑の男の言葉に村長はニコリと笑った。

「ええ。こんにちは」

「いやはや! お若く見えたので驚いてしまって! 気分を害されていたら申し訳ございません!」

 男が村長の姿をどのように解釈したのかは男のみぞ知る。招かれざる客を前に標と村長は警戒を崩さない。

「あなたがどうやってここまで辿り着いたのかお聞かせ願えますか?」

 その子供ならざる落ち着いた声と表情に男は納得する。この、少年に見える人物が間違いなくこの村の長なのだと。男は涙を拭い、鼻をかみ、気持ちを新たに説明し始める。

「ええっと。まず、自己紹介をさせてください。私、行商を生業としています。キジと申します。ここに辿り着く前は南の町に居りました。馴染みの商人が北区に居りましてそこでいつものように商品を買い付け、いつものように贔屓にしてくれているオアシスに営業に向かうところでございました。南の町の北門を出て数日、というのも恥ずかしながらもう正確な日にちは定かではないのです。酷い砂嵐に遭いまして。横転はしなかったものの砂の上をトラックが押し流されているのは分かりました。生きた心地がしませんでした。コンパスは壊れ、方位も分からず、少しばかり風が弱まったのを確認して私はアクセルを踏みました。車が壊れていなかったのは幸いでございました。しかし、喜んだのも束の間、行けども行けども嵐の終わりは見えず、代わりに絶望の淵が見えて来たと思ったら目の前に建物の影が見えるじゃありませんか! 幻だと思いました! 思いましたが近付いても影は消えることなくむしろハッキリしてくるではありませんか。奇跡だと思いました。ありがとう! ありがとう! あなた達がいてくれた良かった。それで、ここはどの辺りなんでしょう?」

「……村長。どう思います?」

「そうだね。つまり、あなたは偶然ここに辿り着いてしまったというんですね?」

 自分のテンションと落差のあるふたりを前にキジは自分が歓迎されていないことにやっと気が付いた。


 寝床の上に寝ころびながら明羽は欠伸をする。

「暇だなあ」

 首を回せば座卓に覆い被さるように一心不乱に布の設計図を引く氷呂がいる。

「いいなあ。家の中でできる趣味があるの」

 今度、家の中に土を持ち込んで日の光があまりなくてもすくすく育つ野菜を求めて品種改良でも初めて見ようかと明羽が考えていると人の動く気配に目を向ける。

「氷呂?」

 氷呂が壁を見つめていた。壁には何もなく、なら氷呂が意識を傾けているのは外にあるものだと明羽も壁に目を向ける。

「あっちは倉庫に、村の入り口?」

「明羽。誰か来たみたい」

「誰か、って?」

「村の入り口の方から不安な声が伝播して来てる」

「入り口……」

 明羽と氷呂の家は村の入り口のほぼ反対側に位置している。

「氷呂。今更なんだけどさ」

「うん?」

「聖獣の耳がいいのは承知してるんだけど。でも、いつでもどこでも何でもかんでも聞こえてる訳じゃないよね? そんな素振りはないもんね、その辺の加減ってどうなってるの?」

「そうだね」

 氷呂は少し考えてから人差し指を立てる。

「明羽だって耳を塞いでなくても聞き漏らしてる音はあるでしょう? 原理は一緒だよ。聞き慣れない音や声には不意に意識が向いたり、よく知った人の声は拾いやすいし、よく聞こうと意識を集中した音はよく聞こえたり」

「なるほど」

「そんなことより、人間が来たみたい」

「……へ?」

 それはこの村に来てから一度も聞くことを想定してこなかった言葉だった。


 村長と標は村の中に向かって歩いていた。不安そうな顔の男を背後に連れながら。

「村長。あの人、人間ですよ」

「人間だね」

「どうします?」

「どうしようね」

 背後を気にしながら村長と標は小声で話す。

「とりあえず集会所にでも泊まってもらおうか」

「まじっすか」

「嵐の中に放り出す訳にもいかないだろう」

「まあ、そうですね」

「ここの正確な位置も把握できていないようだし。このまま、分からないまま出て行ってもらおう。当然、ここに住んでいる者達が何者かも知らないままに。だからくれぐれもみんなには彼に接触しないよう呼び掛けてくれ」

「分かりました」

「はあ……。やれやれだ」

「……そうですね」

「できるだけ早く出て行ってもらいたいが」

「あとは天気次第ですね」

 集会所に辿り着くと村長はキジにここを寝泊まりに提供することと許可なく外に出ないで欲しい旨を告げる。キジは深く深く感謝の意を示した。

「ありがとうございます。ありがとうございます。できるだけ早く出て行きますので」

「そう言って貰えるのはこちらとしても有り難いです。嵐の様子は逐一報告させていただきます。出られそうだったら案内しますので。それまでどうかご辛抱ください」

「はい……」

 集会所の扉が隙間なくきっちりと閉められる。薄暗くなった室内を見回してキジはため息をついた。

「ここは、一体どこなのだろう?」

 周囲を嵐に見舞われている為、日の光が十分に届かず部屋の中が薄暗いのは仕方ない。時刻も定かではないがそんなことは重要ではない。嵐の中にあるというのにこの集落の中の静けさは一体どういうことか。

「何かに化かされているのだろうか?」

 オアシスのように木が生えている訳でもなく、東西南北に位置する四大都市とも違う。とても不思議な場所。その時、キジはどこかで聞いた覚えのある噂を思い出した。

 ―――この世界のどこかには人間以外の種族だけが住む村がある。

「ははっ。いやいやいや! まさか! まさか……」

 顔を青くしてキジは俯いた。

「引き裂かれたり食べられたり嬲りものにされたりするんだろうか……。痛いのは嫌だな。苦しいのも嫌だけど。ふあ!?」

 部屋の隅に大きな影があることに気付いてビックリするが、それが組み立て式の機織り機だと分かるとキジは近付いていく。

「立派な機織り機だ。この造りは南の町近くの湖のあるオアシスのものだな。まだ新しい。けれど、とても大切に使われている。これを使っている人は布を織るのが好きなんだな」

 落ち着きを取り戻したキジは壁際の一段高くなっている場所に腰を下ろした。やることもないのでここから出られた時のことを考えることにする。

 村に人間が迷い込んだことは瞬く間に村中に広まり伝わった。聖獣の耳とは恐ろしいもので標が伝える前に知っている者が何人もいた。その情報に補うように標は人間が村から去るまで家から出ないように一軒一軒伝えて回る。村長の決定であることを強調して練り歩く。一通り回り終えて、標はキジの為の布団の調達と集会所には囲炉裏がないので夜に備えての火鉢の準備を始める。


 標から話を聞いた明羽と氷呂は大人しく自宅待機していた。

「いつまで続くんだろうね? 畑が心配だ」

「そんなに掛からないと思うけど。嵐が弱まればすぐでしょう」

「お? 賭ける?」

「賭けません」

 明羽が楽しそうに笑うと家の外に今はあってはならない筈の人の気配を感じて口元を引き締める。

「なんだろ?」

「開けてみる」

「気を付けて」

 氷呂が玄関に近付いたので明羽はその側に待機する。薄く戸を開けふたりが外を覗き込むとそこにはコソコソと家と家の影を渡り歩く子供達の姿があった。

「何やってんだ!?」

「やべっ」

「走れ!」

 怒鳴りつけた明羽に驚いた子供達が走り出す。

「家にいるように標さんが言いに来たでしょう?」

 氷呂も慌てて戸を大きく開けるが子供達は止まらない。遅れて明羽と氷呂の前に泣きそうな顔の女の子が現れる。

「明羽ちゃん。氷呂ちゃん。お願い。止めてぇ……。私が言っても聞いてくれないのぉ」

「これだから女は!」

「来たくなけりゃ付いて来なくていいって言ったのによ!」

 子供達を先導するふたりの男の子は子供達を駆り立てて尚走り続ける。明羽と氷呂は置いて行かれた女の子を一先ず家に入れて、走って行ってしまった子供達を追い掛ける為に家を出る。

「明羽! 氷呂!」

 呼びかけに振り返れば半泣きの謝花がいた。

「謝花」

「子供達がぁ。どうしようぅ。怒られるぅぅ」

 謝花に家の中の女の子と一緒に居てくれるようにお願いして、明羽と氷呂は走り出した。

「氷呂。走ってった子供達って」

「うん。みんな一緒に住んでる子達だ」

「なんで謝花が追いかけてたんだろう?」

「分からない。あの子達と一緒に住んでるお姉さんがいた筈だけど」

 詳しい話は分からない。とにもかくにも今は子供達を止めねばと明羽と氷呂は走る。子供達が向かっているのは村の入り口のようだった。人間が来たという話を聞いて飛び出したのは間違いない。人間を恐れて隠れて暮らしている村人達ばかりだというのに怖いもの知らずなことだと明羽は思う。村の入り口に辿り着くとそこには荷台を幌で覆った一台の小型のトラックが止まっていた。軽トラックよりは大きい黒塗りのトラックを子供達が物珍しそうに見上げている。

「なーんだ。人間いないじゃん」

 どこかホッとした顔でひとりが言った。誰もいないことに気を大きくしたのか荷台に上がり込み始める子供達。

「人間が何持ってきたか見てやろーぜ」

「こらー!」

 それは明羽の声でも氷呂の声でもなかった。明羽と氷呂が驚いて振り返る。そこには置いて来た筈の謝花と女の子が立っていた。

「謝花! どうして」

「明羽と氷呂に押し付けちゃまずいと思って……」

「別に良かったのに」

 先程まで泣いていた女の子もまた、人間がいないことに安心したのかすっかり泣き止んでいて、他の子供達と同じようにトラックの荷台に上がり込もうとしていた。好奇心には勝てなかったらしい。

「こらこらこら!」

 謝花が必死に子供達をトラックから降ろそうとする。

「頑張ってるなー」

「感心してる場合じゃないよ。私達も加勢しましょう」

 そうして子供達を下ろす為にふたりが覗いた荷台の中には多くの日用品が乗せられていた。洋服、装飾品などが多い中、子供達の目を一身に集めているものがあった。そこにあったのは村にはない玩具の数々。子供達がはしゃぎ始める。

「なにこれ?」

「なにこれ!」

「明羽。見て」

 氷呂に促されて明羽が見た先には樽と瓶が積まれていた。

「あ、お酒だ」

「種類が多いよ」

「迷い込んだ人は商人みたいだね」

「明羽と氷呂まで物色し始めないで!」

「あ、ごめんごめん」


 集会所に布団と火鉢を持って行った標はキジに改めて外に出ないように忠告する。キジは大人しく頷いていたが俄かに外が騒がしくなり、標は眉間に皺を寄せた。

「そこから動かないでくれ」

 キジに言って戸を開けると標の目に飛び込んできたのは右往左往する村の大人達の姿だった。

「な、何やってんだ!?」

 面食らう標の怒鳴り声に村人達が驚いて立ち止る。

「あわわ。標」

「ごめんねー。村長の言い付けに背くつもりはなかったんだけど」

「子供達が」

 動くなと言われたので棒立ちしていたキジだったが子供という言葉が聞こえて一歩歩き出していた。それに先程まであんなに閑散としていたのに今はこんなに賑やかな声が聞こえている。静かなのも嫌いではないが基本的に賑やかな方が好きなのだと、キジは標の背後からそっと外の様子を伺った。標の背後に現れた男の顔に村人達は息を呑む。

「わっ」

「大変だ!」

「人間だ!」

 尻尾やら耳やら角やらを隠せない半数以上が間の子の村人達は慌てて物陰に隠れたり、その場から離れて行った。人影があっと言う間に捌けて再び村の中は閑散とする。標は蟀谷を押さえた。

「動かないでくれって言ったよな」

「ご、ごめんよ。けど、何かあったんじゃないのか?」

「何が起こった?」

 辺りを見回しながら白い髪の少年が集会所に近付いて来る。

「村長。すみません。実は子供達が言いつけを無視して外に出てしまったみたいで」

「それを知った大人達も慌てて外に出てしまったと」

「そのようです」

 村長が息を吐き出した。

「人をまとめるのは難しいね」

「すみません」

「標が謝ることじゃないよ。さて、子供達を探さなくちゃ。どこにいると思う?」

「キジさんが来たことを知って外に出たのなら、入り口の方じゃないかと」

「同感だ」

 キジは自分が「さん」付けされていることに驚いた。目の前の青年は自分に敬意を払ってくれている。それに警戒はしているが寝る場所も布団も火鉢も用意してくれた。敬意には敬意を返さなければ。それに逃げられてしまったがここの住人は皆子供達のことを心配している。それだけでキジはこの村が良い村だと判断できた。

「あの、入り口というのは私が入って来たところですよね。あそこには私のトラックがあります。荷台には色々積んでいまして。あの、良かったら泊めて頂くお礼に何かお返ししたいのですが」

「え?」

 眉を顰める標にキジは慌てて両腕を振る。

「決して! 子供達に危害を加えるようなことは致しません。誓って!」

「いや、うん……」

 標は村長を見る。標と村長は同じことを危惧していた。危害を加えられそうになったら全力で止めればいい。問題なのはここが人間以外の種族だけが住む村だとキジに知られることなのだ。子供達の中にだって当然、尻尾や耳、角の生えている子が多くいる。もちろん見た目には人間と何ひとつ変わらない子もいるが。悩む村長と標にキジはなんとなく言う。

「仕入れた物の中には玩具もあるんですよ」

 標と村長がキジの顔を見た。なんとなく言った言葉に食い付いたふたりにキジは微笑んでしまった。キジを伴って村長と標が村の入り口に着くとふたりのめの前で明羽がトラックの荷台から飛び降りた。目の前で起きたことが信じられない標と、標と目が合った明羽はお互いに顔を引きつらせる。

「げ」

「明羽! なんでお前がいる!?」

「待ってください! 標さん!」

「違うんです! 標兄様!」

 聞こえてきた標の怒鳴り声に氷呂と謝花が慌てて荷台から降りて来る。現れたふたりに標は文字通り言葉を失くした。動けない標の背後でキジは現れた少女に目を奪われた。

「美しい……」

 陶器のように滑らかな肌。風に揺れる柔らかに煌めく青い髪。朝の澄んだ空を閉じ込めた青色の瞳。

「何て美しい……。あなたのような美しい人に私は今まで出会ったことがない!」

 氷呂に近付いて来た男に何かを察した明羽は反射的に氷呂の前に飛び出していた。

「誰だ!? おっさん!」

 標は目の前で起こったことを整理するように蟀谷を人差し指で叩く。標の様子に村長は口を噤むことを決めた。トラックの影から恐る恐るこちらの様子を窺っている子供達。何故かいる明羽と氷呂と謝花。子供に危害は加えないと言いながら氷呂に迫っているキジ。

「俺は、言い付けを守らないで外に出たっていう子供達を探しに来たんだが?」

 標の冷え込んだ声に明羽の背筋が凍った。明羽だけではない。その場にいた誰もが顔を青くした。村長も例外ではなく、微笑みを崩してはいなかったがどこか困ったように弱弱しい。標がトラックの影に隠れてこちらを窺っている子供達に向かって無言で手招きした。子供達は粛々と標の前に並ぶ。その頭に標は順番に拳を落としていった。

「次はお前らだ」

 明羽、氷呂、謝花、そしてキジの頭にも標の鉄拳が落ちる。

「俺と村長が注意喚起したのは何の為だと思ってる? よく考えろ! 何がいけなかった反省しろ! 分かんなかったら後で聞きに来い! 懇切丁寧に説明してやる! 分かったか!」

「ごめんなさああああぁぁいいいぃ!」

 子供達がわんわんと泣き出した。泣きながら抱き付いてくる子供達を標は何人も軽々と抱え上げる。泣き続ける子供達を抱えたまま標は明羽と氷呂、謝花をすうっと見下ろした。

「で? お前らは何でいる?」

 詰問に謝花がふらふらしながら説明し始める。曰く、子供達の世話と面倒を見る為に一緒に住んでいるお姉さんは標が連絡をしに来た時点で子供達が何か企んでいることには気付いていたらしい。が、いざ止められず。家には残っている子供達もいたので追い掛けることもできず。子供達と特に仲の良い年上ということでお姉さんは謝花に助けを求めたらしい。けれど謝花は謝花で期待に応えられないまま明羽と氷呂と合流。そして、今に至る。

「ごめんなさい」

「すみません」

「もうしません」

「なるほど」

 話を聞いて標は冷静さを取り戻す。普段怒らない人が怒るとこんなに恐ろしいのかと明羽は今後標を怒らせないことを心に誓うのだった。標の抱えている子供達も落ち着いてきて、標はキジに向き直る。

「キジさん」

「はい。申し訳ございません。すみませんすみませんすみません」

「うん。俺も手加減しなくて悪かった。で、話は変わるんだが」

「はい?」

「宿を貸す代わりにお礼してくれるって言ってただろ? まだその気持ちはあるか? あるなら子供達を元気付けてくれるようなものをくれないか? ちゃんと金は払う」

「とんでもない! 礼には礼を返します。お代などいりません!」

 急に元気になったキジに標は微笑む。

「ありがたい。男に二言はないな。なら、子供達に危害を加えないってのも忘れてないよな?」

 キジは真っ青になったがチラと氷呂を見て、

「い、一定の距離を保ちます……」

 譲歩を求めるその物言いに商人の気質を垣間見せた。

「しょうがねえな」

「ええええええええぇぇえぇぇぇ!?」

 譲歩を認めた標に明羽は全身全霊で反対する。

「絶対に嫌あぁ!」

「分かってる。だから、お前が常に氷呂の側に居ろ。お前が氷呂を守れ」

 標の言葉に明羽は直立し自身の胸を拳で叩いていた。キジの嫌そうな顔が目の端に映ったが気にしない。

「仰せのままに!」

「大袈裟だよ」

 氷呂は呆れたように笑っていたがその言葉の節々にはどこか嬉しさが滲んでいた。まだキジは未練がましそうだったが気を取り直してトラックの荷台から玩具を下ろしてくる。それを見た子供達はまだ涙に瞳を潤ませていたがその表情は見るからに明るくなった。そわそわし始めた子供達にキジは玩具を差し出す。

「好きなの持って行っていいよ」

 子供達が歓声を上げた。標の腕から子供達が飛び降りる。空っぽになった腕を、肩を、標は伸ばしたり回したりした。

「ありがとう! おっちゃん!」

「大人の言うことは聞かないとダメだよ」

「うん!」

 自分だけのおもちゃを手に入れた子供達が走り去って行く。

「標兄ちゃんもありがとう!」

 通り過ぎて行く子供達に標は手を振り返して見送った。玩具をすぐに決められず、置いていかれてしまった子供がひとり。友達がいなくなってしまったことに焦ったような顔をするその男の子にキジは優しく笑った。

「ゆっくりでいいよ」

「あ、ありがとう……」

 落ち着いたその子の頭には捻じれた一本の角が生えていた。標と村長が緊張する。目の前にいるキジがそれに気付かない訳もなく。

「君、それ……」

「え?」

「カッコイイ髪飾りだね」

 男の子がキョトンとした。

「本当に、そう思う?」

「ああ」

 キジは迷いなく肯定した。その光景を前に標は腕を組んだ。

「村長。どう思います? あの人気付いててそういう振りをしているのか、天然なのか」

「何とも言えないね」

「村長さん。標さん。お酒もあるんですがいかがですか?」

 最後の子供を見送ったキジが立ち上がりながら言った。食い付いたのは標だった。

「え? 何? くれんの?」

「こちらは別料金になります」

「お、そうくるか」

「ははは」

 何気に打ち解け始めたふたりに村長は明羽と氷呂と謝花に目配せする。三人は家に帰る為に歩き出し、村長は交渉を続ける標とキジに近付いた。村を出ることのできない村長も外から来たものに少なからず興味を引かれていた。

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