第3章(4)

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 木々のトンネルを潜り抜けて、前回見た時と何も変わらない青い水をたたえた湖を横目に夏芽の運転で車はオアシスの中を走る。助手席には氷呂が座っている。

「さて、氷呂ちゃん、機織り機が欲しいって言ってたわよね」

「はい! 前回来た時にいいお店があって。あの時はまさか買いに戻って来るなんて思ってもいなかったですけど」

 いつもは明羽のお目付け役の印象が強い氷呂の年相応の無邪気な笑顔に夏芽も釣られて嬉しい気持ちになった。店に着くと氷呂は店員と話し合い、もとい粘り勝ちで夏芽が想定していたよりも大きく、質の良い機織り機を手に入れた。分解された機織り機を車に積みながら氷呂は笑う。

「大きいのが欲しかったんです。立派なのがあれば反物を作るのが楽になります。そうすれば一から服が縫えるし」

「それはいいわね! そしたら、ある程度好みにも合わせられるのかしら」

「もちろんですよ。でも、今回手に入れた糸だけでは高望みですね」

「そうよね~」

 値切りで残ったお金で氷呂は糸も何色か手に入れた。けれど、それは精々布切れが何枚か織れる程度の量で、氷呂と夏芽は苦笑し合う。

気持ちが浮ついていたのは否定できない、と夏芽は振り返る。

「さて、これで、当初の目的の物は手に入れたわね」

「はい!」

「そこで、氷呂ちゃん。ちょっと相談なんだけど」

「はい?」

 何が「そこで」なのか分からず氷呂は首を傾げた。

「実は私も買いたいものがあって」

 時刻は午後の書き入れ時で店舗の並ぶ大通りは人でごった返していた。とある店舗の中に氷呂と夏芽は足を踏み入れる。直射日光の入らない店の中は外とは比べものにならないぐらい涼しかった。夏芽は壁や棚に所狭しと並ぶ子供服を物色する。

「これか。いや、こっちか」

「子供達の服も継ぎはぎが目立ってきましたもんね」

「そうなのよ。騙し騙しやって来たけど。そろそろね」

「ああ。私の機織り機が宝の持ち腐れに……」

「あはは。何言ってんだか。手に入れたばっかりで」

「はい……」

 この時、氷呂が本当に宝の持ち腐れにならないようにどうしたらいいか考えていたことを夏芽は知らない。

「子供達の服はこんなものでいいかしら。さて、次は、と」

 夏芽が子供服のコーナーから移動する。この店は子供用の服だけでなく、大人用の服も取り揃えており、それどころか服だけでなく、女性向けのアクセサリ、男性向けのアクセサリ、真昼用の羽織りもの、真夜中用の防寒具まで取り揃えてあった。ここまでの品揃えは正直珍しい。

「うーんと」

 夏芽は男性服売り場に足を向けて行く。氷呂はその後を黙って付いて歩く。夏芽が物色し始めたものを見て、氷呂は合点がいった。

「そう言えば、標さん。夜中に使う外套は持ってても、昼に使う日除けのマフラーとかは持ってませんでしたね」

「ふぇ!?」

 夏芽が氷呂を振り返った。

「な、なんで標にって思ったの?」

「あれ? 違いましたか? てっきりそうだと思ったんですけど」

「そ、そうなのよ!」

 夏芽は開き直ったように大きな声を出す。

「アイツ暑いのも寒いのもダメな癖に何故か防寒用の服しか持ってなくて。昼用も日除けのマフラーぐらい持ってれば幌なしで車走らせるのに少しはマシになるんじゃないかと思って。口元まで覆えれば砂避けにもなるし」

「そうですね。じゃあ。後は色ですね。標さんといったらやっぱり黒でしょうか?」

「いいえ!」

 夏芽の声色に不穏なものを感じて、氷呂は夏芽を見る。

「こういう時は奴が絶対に選ばないような色を選ぶのよ!」

「ええー。そうですかー」

 氷呂は思わず否定と肯定を棒読みしてしまったが、夏芽は先程取り乱していたのが嘘のように悪戯好きの少年のようなキラキラとした瞳になる。

「これ!」

「え……」

 夏芽はある一色を選び取るとあっと言う間に会計を済ませてしまった。予定をすべて終えて大満足の足取りで宿探しを始めるふたりだったが、悉く当ては外れてしまう。空が赤らみ始め、さすがの夏芽も焦りだす。

「ど、どうしようかしら」

 通りの端に車を止めて、その側で氷呂と夏芽は途方に呉れる。

「あれ?」

 聞こえた声に氷呂と夏芽が顔を向けると、そこにいたのはあの受付の少女だった。

「こんにちは。以前ウチに泊まって下さった方々ですよね。今回はおふたりなんですか?」

「ええ。そうなの。今回はこの子とふたりで」

 少女が夏芽の顔をまじまじと見つめる。

「なんだか、お疲れですね? 早めに宿にお戻りになった方が……」

 瞬間、夏芽は涙目になって両手で顔を覆った。

「ど、どうしたんですか?」

「実はまだ決まってないんです。今日の宿」

 氷呂が夏芽の背を撫でながら困ったように笑う。

「あの、ウチさっき一部屋空いたんですけど」

 少女の言葉に夏芽の顔が見る見るうちに輝いた。


 案内された部屋は今度は一階の中部屋だった。

「一階は二階より少しお安めになってます。これを機に是非常連さんになってほしいです」

 少女はニコニコ笑顔で受付へ戻って行った。部屋の中は前回泊まった部屋と大差はなく。違いがあるとすれば奥の窓が天井付近に設けられた明り取りの窓に変わったぐらいだろうか。

 夏芽は荷物を置き、床に腰を下ろす。

「はあー。宿が見つからなくってどうしようかと思ったけど、よかったわー。でも、まさか前と同じ宿に泊まることになるとは」

「そうですね。面白い縁があるものですね」

「ね。これでゆっくり一泊して、明日のんびり帰りましょう」

「はい」

 と、返事をした氷呂は部屋の真ん中に突っ立ったままだった。

「氷呂ちゃん?」

「あの、夏芽さん」

 氷呂は控えめに言葉を発する。

「実は、もう一軒寄りたいお店を思い出したんです。ちょっと行って来てもいいですか?」

「言い辛そうにしてるから何かと思えば。遠慮なんかしなくていいのに」

 夏芽は明り取りの窓から入る光を見る。

「すぐ終わる?」

「はい。お店の場所は分かってますし。買いたいものも決まっているので」

「分かったわ。日が沈む前に帰って来るのよ」

「はい」

「氷呂ちゃんがいない部屋でひとりで待ってるのもなんだし、私も薬屋を覗いてみようかしら」

「戻ってきたら丁度お夕飯時ですかね」

「そうね」

 そうして、夏芽は宿の表で氷呂を見送り、自分は受付の少女に近場の薬屋の場所を聞いて出掛けた。まずまずの収穫を得て、早めに夏芽は戻って来たのだが、日が沈んでも氷呂は帰って来なかった。夏芽は何が起こったのか分からずに呆然と立ち尽くすこと数分。我に返ると夏芽は受付の少女に、もし、氷呂が戻ってきたら部屋に留まるよう伝言を残して宿を飛び出した。人の通りの少なくなった石畳を走る。今が書き入れ時の飲食店の温かな光を残像にしながら夏芽は走る。走りながら氷呂がどこの店に何を買いに行ったのか聞いてなかったことを夏芽は心底後悔した。戻って来た夏芽に受付の少女は目を丸くする。艶やかだった青灰色の髪は乱れ、美しい白い肌は今や白を通り越して青白く、自信に満ちていた薄青色の瞳は光を失い陰っていた。

「お客様! 大丈夫ですか?」

「ええ……」

 夏芽は額の汗を拭う。

「氷呂ちゃん。氷呂ちゃんは戻ってきた?」

「いえ……、まだお戻りになっていません」

 夏芽は息を吐き出す。その息は真っ白に染まり、外気温の低さを物語っていた。

「違うところを探してみるわ」

 再び外に出ようとする夏芽に少女は慌てて回り込む。

「待ってください! お客様。もう夜も遅く、視界は悪いです。それに、この寒さではお客様の身体が持ちません!」

 実際には夏芽に夜の寒さはそれ程堪えはしないのだが、少女がそれを知る訳もなく。

「お客様自身のお身体のことも考え、お連れ様を探すのは明日に致しましょう」

「約束を、約束を破るような子じゃないの」

「信頼なさっているのですね。では、もっと信用しましょう。必ず戻っていらっしゃいます」

 何を根拠にと少女自身が思う。信頼している相手が約束の時間に戻って来ないということはその人自身に何かが起こったと考えるのが自然だ。けれど今、目の前のお客様が無理をして、この人自身に何かがあったら元も子もないと少女は考える。だから、少女はまずは目の前にいるお客様のことを優先的に考える。

「ですから、明日に致しましょう」

「いいえ……いいえ! 探しに行くわ。私は平気だから」

「お客様!」

 少女は夏芽の肩を掴んで椅子に座らせる。

「あ?」

 ストンと座ってしまった夏芽が目を瞬かせた。

「身体に力が入っていませんよ。お夕食も食べていらっしゃらないでしょう」

「……」

「今、何かお持ちします」

 少女が受付の裏に声を掛けるのを聞きながら、夏芽は自身の手の平を見た。小刻みに震える手を夏芽は握り込んだ。少し前まで氷呂と話していた部屋の中で夏芽は目の前に置かれた軽食に首を横に振る。

「ごめんなさい。食欲がなくて」

「白湯だけでも」

 少女が差し出した湯気の立つカップを夏芽は手に取る。カップの中身を空にすると夏芽は急な眠気の襲われた。それに抗うことができず、夏芽は目を閉じた。お客様の部屋から出て来た娘に宿の主人である両親は心配そうな顔を見せる。

「お客様の様子は?」

「うん。睡眠薬が効いてよく眠ってる」

「しかし、お客様に薬を盛るなんて……」

「緊急事態だもの。それに、薬でも飲ませないと寝てなんていられなかったと思うし。とりあえずは落ち着いてもらわなくちゃいけなかったし」

「まあ。ウチに泊まったお客がふたり共行方不明なんて、困っちゃうもんな」

「もう。気にするのは外聞だけ?」

「だって客商売だし」

「分かるけど!」

 両親が去り、少女は一度だけ部屋の扉を振り返ってからその場を後にする。


 部屋の中に差し込む光で夏芽は目を覚ました。見慣れない天井に一瞬眉をひそめるが昨日のことを思い出し布団を蹴っ飛ばす。部屋の扉を勢いよく開けると、そこには受付の少女が立っていた。突然開いた扉に少女は目を丸くする。夏芽もまた驚いてすぐに言葉が出なかった。

「おはようございます」

 少女がニコリと笑った。

「お、はよう」

「朝ご飯です。食べてください」

 少女の手には丸盆が、その上には揚げ物と色とりどりの野菜が挟まれたパンと透き通ったスープが乗っていた。

「食べてくださいね!」

 少女は部屋の中にまで押し入り、夏芽に盆を推し勧めた。少女の勢いに負けた夏芽はその場でパンを頬張る。頬張ってからパンに挟まれている揚げ物が何か気になった。

「あの、これって」

「白身魚の揚げ物です」

 期せずして食してしまったことに夏芽はガックリと肩を落とすがその味に咀嚼は止まらない。

「おいしいですか?」

「……はい」

 本当においしくて夏芽は涙を零す。それは喜びの涙か悲しみの涙か。

「良かった」

 笑った少女の目元にはクマが浮いている。

「あなた、寝てないの?」

「申し訳ありません。こんな顔でお客様の前に出るなんて無作法だとは思ったのですが。お連れ様が帰っていらっしゃるかもしれないと思って待ってたんです」

「帰って来なかったのね」

「はい」

 夏芽はスープを一気に飲み干した。透き通った黄金色のスープは立ち上る香りも味も一級品だった。

「うん。ありがとう。あなたのお蔭で随分頭が冷えたわ」

「探しに行かれるんですね」

「ええ。昨日行けなかったところへ行ってみるわ」

 宿の表まで見送りに出て来てくれた少女とオーナー夫婦を夏芽は振り返る。

「そう言えば昨日、私に一服盛ったわね」

 家族三人が揃ってギョッとする。同じ顔をする三人に夏芽は苦笑した。

「ありがとう。あなた達のお蔭で私は今日も元気に動き回れるわ。悪いんだけど、氷呂ちゃんが見つかるまで」

「部屋はご継続ですね。お代もできるだけ勉強させていただきます」

「助かるわ」

「行ってらっしゃいませ。お帰りをお待ちしております」

 夏芽は車を発進させる。車で移動して、降りて、探して、車で移動して、降りて、探してを繰り返す。

「どうして見つからないのかしら」

 あの目立つ容姿の目撃情報も皆無なのはどう考えてもおかしい。焦りそうになる気持ちを抑え込んで考える。歩いて細い路地を抜けた先、そこにはゆったりとした時間の流れる小さな広場があった。

「ここって……」

「あ―――――――――――!!」

 静かな空気をぶち壊す声に夏芽は顔を向けた。そこにいたのは夏芽に向かって無遠慮に指を差す眼鏡をかけた小柄な男だった。

「やっぱり、楽器屋!」

「お姉様! ここで会ったが百年目でございます!」

「へ?」

 楽器屋は店の奥へ引っ込んだかと思うとその手にある物を持って戻って来る。それは明羽と氷呂がここで演奏して歌った時に使用した弦楽器だった。夏芽は嫌な予感がした。

「これを持って行っていただきたい!」

「いやいやいや。前も言ったけどそれを買うほどの余裕はないんだってば」

「お題は結構でございます! これをあなた様方に渡さなかったことをあの日からずっと後悔しておりました。あの時商売っ気を出さず素直に差し上げていれば良かったと! 理由が必要ですか? ならば、お礼でございます! あの後、馴染みの調律師と話し合い、復帰してもらえることになりました。すべてあなた様方のお蔭でございます!」

 捲し立てながら押し付けられた楽器を夏芽は受け取ってしまう。満足そうな楽器屋の顔に夏芽は諦めた。ふと視線を感じて店の奥に目を向けると、そこには白髪を立派に蓄えた、とても堅気とは思えない眼光鋭い老人が立っていた。

「もちろん。これも既に彼の手で調律済みでございます」

「そう」

 夏芽は手の中の楽器に目を落とす。

「はい! これで緑色の瞳の妹様は練習し放題! 青い瞳の妹様の歌声に更なる輝きが加わることでしょう。そういえば今日は他のご兄妹はいらっしゃらないんですか? 今日はおひとりで?」

 夏芽は楽器を持つ手に力を込める。

「そうよ。私、その子を探してるの。あんたの入れ込んでるあの子。見なかった?」

「妹様方と逸れてしまわれたので?」

「あ、いや。探しているのは青い瞳の子だけなんだけど」

 夏芽は意外に思う。言動からてっきり氷呂にだけ入れ込んでいるのかと思ったら楽器屋は明羽にも入れ込んでいたらしい。

「なんと! あの声はこの世の宝にございますよ。早く探し出さなければ。いつからいらっしゃらないので?」

「昨日の夕方から」

「き、のう?」

 予想以上に時間が経っていることに楽器屋はショックを受けたようだった。真剣な顔で夏芽に迫る。

「お姉様。それは、あまりよろしくない状況かと思われます。実を言うとここ数日の間に若い女性ばかり行方不明になっているのです」

「え?」

「どうも、今このオアシスには人買いが跋扈しているようなのです」

「ひ、人買い?」

「役人の見回りも空しく効果なく、行方不明者の人数も嵩んできております。もし、妹様も捕まったのだとしたら急いだ方が良いかもしれません。移動されたらもう……」

 夏芽は真っ青になった。楽器屋を後にして宿屋に駆け込む。

「ねえ! 氷呂ちゃん、氷呂ちゃん戻って来てない? お願い、戻ってるって言って!」

「お客様! 落ち着いてください」

「落ち着いてなんていられないわ!」

「お連れ様らしき人が見つかったんです!」

「人買いが…………え?」

 夏芽は受付の少女を見つめてしまう。

「勝手なことだとは思ったのですが知り合い何人かに声を掛けて探してもらったんです。お客様の言う通り、最近このオアシスでは行方不明が続いていますし」

「見つかった……?」

「似ている人がいた。という話です。ですが、あれだけの容姿の方は珍しいので間違いはないと思うのですが。とにもかくにもお客様の目で確かめていただこうと思って」

 夏芽は緩慢に頷く。もし、人買いに攫われていたりしたら取り返しがつかないことになるかもしれないと思っていたので、見つかったと言われて気が抜けてしまった。しかし、まだこの目で確認していない以上気を緩めるのはまだ早いと夏芽は気を引き締め直す。

「それでですね。知り合いがお連れ様らしき人を見たというのがですね、反対側なんです」

「反対側?」

「このオアシスが湖を中心に輪っか状にできているのはご存知ですよね」

「ええ。分かるわ」

「こことは真反対に当たる場所は言ってしまえば高級街です。高級し好のお客様、ないし、そうゆうお客様を相手にしている商人が買い付けに行くことが殆どの場所で一般庶民はあまり近寄らない場所です。そんな場所に何故お連れ様の姿があるのか不思議ではあるのですが。これから知り合いがお連れします。よろしいでしょうか」

「ええ。すぐに行くわ」

 夏芽の言葉に少女は頷く。

「お気を付けていってらっしゃいませ」

 本日二度目の少女の見送りに夏芽は思わず笑ってしまった。

 少女の、というより宿屋の家族と知り合いという男の車に乗せてもらって、夏芽はオアシスをぐるりと回る。反対側まで辿り着いて車を降りると男が話し出す。男は一見厳つく不愛想に見えたが話し出して見ればその声は存外柔らかく、人の良さが滲み出る。

「扱ってる品質も狙う客層もまるで違うから俺達はあまりこっちには来ないんだが、こっちの知り合いが情報くれてな。ああ」

 男が手を上げると向こうから近付いてくる人影があった。男の知り合いという男は厳つい顔の男とは対照的に顔も身体も丸くニコニコと笑顔を絶やさないような男だった。丸い顔の男は夏芽を見て目を丸くする。

「こりゃまたえらい別嬪さんだな。あの女の子見た時も驚いたが」

「ど、どんな子でしたか!?」

 夏芽の剣幕に丸い男はたじろぎながら答える。

「ええっと。腰まである青い長い髪をハーフアップにした、朝の空みたいに澄んだ青い瞳が綺麗な女の子だったよ。今はまだ少女だけどあれは将来お姉さんにも負けないとんでもない美人に……あ、ほら、あの子だ」

 丸い男が示した道中に夏芽は見る。見間違える筈もない、青い髪を揺らしながらこちらに向かって歩いてくる少女の姿に夏芽は駆け出していた。

「氷呂ちゃん!」

 目の前に立ち塞がった夏芽を少女は目を丸くして見上げた。夏芽は違和感を覚える。

「氷呂ちゃん?」

 少女は青い瞳を細めてニコッと笑う。

「人違いをされていますよ。失礼します」

 少女は呆然と立ち尽くす夏芽を一度も振り返ることなく歩き去って行った。

「あれれ。違う子だったか」

 夏芽の側に厳つい男と丸い男が近寄って来ていた。

「ななな、なんで!?」

「人違いだったんじゃないのか?」

「まあ、世界には似た顔が三人はいるっていうし」

 ふたりの言い分に夏芽はこれっぽっちも納得できない。あることを思い出して夏芽は自分の手首を指差す。

「石! 今の子、手首に石付けてなかった!?」

「石? どうだったかなあ?」

「付いてたぞ。青い石だろう。涙型の」

「そう! 涙型の青い石! 明羽ちゃん手作りの世界にたったひとつしかない手首飾り! それこそ氷呂ちゃんだっていう証でしょう! なのに、どうなってんの!?」

「別嬪さん、落ち着いて」

「あの女の子があんたの連れであることは間違いないんだろう。なら、今度はどういう状況になってるのか情報を集めるんだな」

「そ、そうね! ありがとう。やってみるわ」

「ちょっと待て」

 歩き出そうとした夏芽を厳つい男が引き止める。

「あんた。どうやって情報を集めるつもりか聞いてもいいか?」

「……手あたり次第?」

 夏芽の答えに厳つい男は大きなため息をつき、丸い男は腹を抱えて笑った。

「ひとりで、手当たり次第か?」

「何日掛かることやら。別嬪さん、落ち着いてって」

「混乱してるあんたにひとつ、知恵をやる」

「それで、少しは落ち着いてよね」

「まずはあの子の跡をつけろ。そうすればあの子が今どこで生活しているかが分かるだろう。そしたら、その周辺でそれとなく話を振って聞き出してみろ、と言いたいが……」

 厳つい男に厳しい顔で見つめられて夏芽は少し委縮する。

「……あの?」

「あんたの顔じゃ目立ち過ぎるな」

「だねー」

「情報収集なんざ目立たない奴がやるもんだ。目立たない顔、どこにでもいそうな顔、印象に残らない顔」

「顔なんか覚えられた日にゃ、たまったもんじゃないよね」

「人数も少しはいた方がいい。集められるか?」

「そんなのすぐだよ」

 勝手に進む話に夏芽はものの見事に置いてけぼりを食らう。

「今、このオアシスで行方不明者が出てるのは知ってるか」

「え? ええ」

「役人に任せてても埒が明きそうにないんでな。自警団も本格的に動き始めることにしたんだ。こっちの情報集めるついでにあんたの方の情報も集める」

「あ、りがとうございます?」

「集まった情報は宿に届ける。だから、あんたは宿で待機しててくれ。送る」

 そして、夏芽の頭の中の整理が終わらないうちに宿まで送られ、宿に着いて冷静になった夏芽は受付に頬杖を付く。

「なんだか申し訳ないわ」

 言葉とは裏腹にどこか不満そうな夏芽に受付の少女は笑う。

「お姉さんのことも心配してくれてるんだと思いますよ。行方不明になってるの、女の子ばっかりですから。私もあまり外に出ないように言われてるんです」

「なるほどねえ。でも、私は攫われるには若くないわよ」

「お姉さんは自分の容姿をもっと自覚した方がいいと思います」

 夏芽は頭の上に疑問符を浮かべた。

「……お茶のおかわりいかがですか?」

「ありがとう。貰うわ」

 少女の淹れてくれた、気持ちを落ち着かせる効能があるお茶を夏芽は自分の為に飲む。夏芽が意識的にゆっくりゆっくりお茶を飲んでいると厳つい男が宿の入り口に現れる。男は黙って夏芽に一枚の紙を差し出した。

「すまないな」

「え? え? あ、待って! お礼をっ」

 立ち去ろうとする男を夏芽が呼び止めるが男は振り返らずに言う。

「礼なんぞいらん。あまり、役には立てなかった」

 それだけ言って厳つい男は去って行ってしまった。雰囲気に負けて取り残された夏芽は手の中の小さな紙を開く。そこに書かれていることを見て、夏芽は大きく目を見開いた。


   +++


 時刻は現在に戻る。

「夏芽? おーい。夏芽?」

 標が黙り込んでしまった夏芽の顔の前で指を鳴らした。夏芽はその手を無言で叩き落とした。

「ともかく情報収集を手伝ってくれる人がいて。それで、得た情報がコレ」

「小さいな」

 明羽が横から伸ばしてくる手を押さえ込みながら標は紙の内容に目を通す。

「んん~? 本人記憶喪失だっていうのになんで身元がはっきりしてるんだ」

「そこが不可解なのよ」

「見せて!」

「あ」

 明羽が標の手から紙を奪い取った。

『青い髪の少女の名はルナ。数日前から高級街にある一軒の被服屋に身を寄せる。少女とその店の女主人との間柄は叔母と姪であり、女主人は姉夫婦が社会勉強をさせる為に姪っ子を預けていると周囲に説明している。しかし、少女は預かって間もなく踏み台から足を滑らせ転倒、頭を打ったのか記憶を失うに至ったらしい。少女の記憶喪失を知る隣人は少なく、不幸な事故だったと口にする者は一部に留まっている』

 明羽は疑問符を幾つも頭上に浮かべた。

「氷呂ちゃんなのは間違いないのに」

「まあ、途方に呉れた理由は分かった」

「分かってもらえて良かったわ。何の解決にもならないけど」

「しっかし、確かにこれじゃ手詰まりだな。氷呂、今はルナちゃんか? 本人が疑ってない様子だもんな。無闇に近付いたら俺達の方が不審者だ。だからって置いて帰る訳にもいかねえし……」

「あ!」

「おい! 明羽!?」

 突然走り出した明羽を標は止めようとするも間に合わない。標の手をすり抜けて明羽が向かった先には青い髪の少女が行った道を戻って来ていた。

「どうするつもりかしら? 明羽ちゃん」

「ジッとしてられないんだな」

 標と夏芽はとりあえず成り行きを見守ることにする。明羽は少女の前に立つ。何か喋ろうとして何も言葉にならず俯く。そんな明羽に少女は困ったように微笑んだ。

「ごめんなさい。お遣いの途中なの」

 そう言うと少女は明羽の横を通り過ぎた。目の前から少女がいなくなって明羽は真っ白な砂になって崩れ落ちるような心持ちになった。何とかふらふらしながらも標と夏芽がいるテーブルに戻った途端、明羽は卓上に崩れ落ちた。夏芽が黙って明羽の背をポンポンと叩く。

「うぅうう~~~」

 明羽は突っ伏したまま唸り声を上げる。標と夏芽は収まるまで黙ってその呻き声を聞いていた。明羽が静かになって標は口を開く。

「さて、今日の宿はどうすっかな。あんまり考えてなかったんだよな。そういや夏芽、お前宿はどうしてたんだ?」

「前、あんた達と一緒に来た時に泊まった宿があったでしょ。そこで何泊かさせてもらったんだけど持ってるお金は有限だし、そもそもあれは村のお金で私のお金じゃないし。受付の女の子は随分安くしてくれて、引き止めてもくれたけどさすがに限界だと思ってね。引き払ったのよ。ここ数日は車で寝泊まりしてたわ」

「危ねえなあ」

 標は腕を組んでつと、周囲を気にし始める。昼を過ぎた通りは身なりのいい人でが行き交っている。

「ずっと気になってたんだが。夏芽、お前付けられてないか?」

「あら、よく気付いたわね」

 重要事項ではないといわんばかりの夏芽に標は眉根を寄せる。

「いつからだよ?」

「氷呂ちゃんを探している間はそれどころじゃなかったから分からないけど。そうね。気付いたのは氷呂ちゃん(ルナちゃん)を見つけて間もなくかしら」

 瞬間、標は夏芽の眼前で猫騙しをかました。夏芽は目を瞬かせる。

「ちょっと! 何よ、ビックリするじゃない!」

「目、覚めてんのかと思ってな! お前、そんな中、車中泊してたのかよ!」

 標が大きな声を出すのは珍しい。

「今のは夏芽さんが悪いよ」

 明羽にもくぐもった声で責められて夏芽は目線を落とす。

「……ごめんなさい」

 三人の間に沈黙が落ちた。明羽が不意に立ち上がる。

「明羽?」

「ちょっとひとりになりたい」

 そう言って歩き出した明羽を追い掛けようと夏芽は立ち上がるが先程受けたダメージが残っているのか自信なさげにチラと標を見る。

「追いかけましょう。別行動はしない方がいいわ。私、今このオアシスで女の子の行方不明が続いてるって言ったっけ?」

「言ってねえ……」

 標はイライラと頭を掻いた。店員に勘定を支払い、ふたりで明羽を追い掛ける。ひとりになりたいと言った明羽の言葉を尊重し、標と夏芽は明羽を見失わない距離を取ってその後を追った。明羽は道を一本抜ける。先程の通りに比べれば人通りが少ない道を少し歩くと道端に設置されたベンチを見つけて腰掛ける。明羽は暫くぼんやりと座っていた。標と夏芽は明羽の視界に入らない位置で明羽を見守っていると、明羽に近付く人影があった。

「こんにちは」

 明羽の顔を覗き込むように現れた青い瞳の少女に明羽は目を見開く。あまりに突然のことに二の句が継げない明羽に構わず青い髪の少女はニコッと笑った。

「隣いいですか?」

「え、あ、は、はい!」

 明羽は何故か立ち上がり、少女が座るのに合わせて座り直す。少女に話し掛けようと思いながらもなんと話し掛ければ良いか明羽は悩んだ。今隣に座っているのは氷呂であって氷呂ではない。明羽の緊張が少し離れたところでふたりを見守る標と夏芽にも伝わってくる。

「もどかしいな」

「頑張って、明羽ちゃん! 氷呂ちゃんから近付いて来てくれるなんてこんなチャンスきっともうないわよ!」

 ふたりに応援されているなんて露程にも思わない明羽はとにかく何か話さないとと思うのだが、頭の中は何ひとつ定かにならない。助けを求めるように隣に座る少女に目を向けてしまう。そこにいるのは氷呂ではないのに。瞬間、明羽は考えるのを止めた。

 青い髪の少女が明羽を見る。

「そんな顔しないで」

 そんな顔ってどんな顔だろう、と明羽は思う。

「とても悲しそう」

 明羽は返事ができない。

「人を探しているんですよね。その人が私に似ているんですね」

 明羽は少女の美しく整った顔を見つめる。少女は無意識なのか意識的なのか分からないが手首にある青い石を触っていた。

「……氷呂」

 明羽の呟きに少女は申し訳なさそうに微笑む。

「ごめんなさい。私はあなたの探し人ではないの。私はルナ。向こうにある被服屋の姪なの」

「……ルナ」

「うん。あなたの名前は?」

「……明羽」

「明羽さん」

 氷呂に満面の笑顔でさん付けされて明羽は大いに落ち込んだ。

「……お店。楽しいですか?」

「ええ!」

 ルナは笑みを深くする。

「お店の奥に立派な機織り機があって布を織らせてもらってるの。すごく遣り甲斐のある仕事。叔母さまは厳しいけどいい人よ。叔父様は優しくしてくれるし」

 明羽は酷く複雑な気持ちになる。氷呂には好きなことを好きなだけ、思う存分して欲しかったができれば自分の目の届く範囲でして欲しかったと明羽は切に思う。

「実を言うと私、ここに来る以前の記憶がないの。叔母様が聞かせてくれた話によると。ここに来て間もなく高いところにあるものを取ろうとして踏み台から落ちたらしいの。その時、頭を強く打ったらしくって」

 明羽は少女の話を聞きながら唾を飲み込んだ。

「それ、本当?」

「目が覚めてから暫く後頭部のたんこぶが痛くて大変だった。それに、記憶を失くしてもこの手は布の織り方を覚えてる。これってそうゆうことでしょう?」

 屈託なくルナは笑う。

「そう……」

「ああ、いけない。もう行かなくちゃ。お遣いの途中なの。と行っても帰る途中なんだけど。予定より早く済んで帰り道を歩いてたら酷く落ち込んでるあなたを見掛けて。何故かしら、放って置けなくて声を掛けてしまったの。ごめんなさい」

「ううん。声を掛けてくれてありがとう」

「それじゃあ。私はこれで。明羽さんの探し人が早く見つかりますように」

「……うん」

 明羽は複雑な気持ちで頷いた。歩くに合わせて揺れる青い髪が遠ざかって行くのを明羽は見えなくなるまで見送った。いつの間にか影は長く伸び始め、太陽は随分と低い位置にまで下りて来ていた。明羽は地面を見下ろして息を吐き出す。

「大丈夫か?」

 明羽が顔を上げれば標と夏芽が立っている。

「うん」

「さて、車に戻りましょう。どこかで宿を取って……」

「いや。車でいいだろう。今日からは三人になるからな」

「……はい」

 夏芽は控えめに頷いた。日が沈むとあっと言う間に人の姿は消え、通りは静まり返った。道端に車を停め、幌を張り、荷物満載の車を見張るように停めたもう一台に三人は乗り込んだ。明羽は窓の外を眺める。

「静かだね。向こうはまだこの時間なら明かりもあるし、ご飯屋さんとか賑わってるのに」

 後部座席から夏芽が助手席に身を乗り出す。

「そうなのよ。だから私、向こうにいたのよ。氷呂ちゃんのこと心配だったけどできるだけ人の多いところにね」

「ひとりは危険だっていう考えはあった訳だな」

「しつこい!」

 ふてくされた夏芽は頭まで毛布を巻き上げて早々に寝入る態勢に入る。肩を竦める標を見て明羽は苦笑した。


   +++


 少女は夢を見る。真っ暗な空間に自分ひとりだけが立っていた。言い知れない不安が青い髪の少女を襲う。何か、とても大事なことを忘れているような気がする、少女は心の中で思う。 足元も定かでなく大きくなる不安に少女は目の端に光を見て縋るように振り返った。闇の一点に真っ白な光が輝き始めていた。小さかった光は次第に大きくなり、その眩しさに少女は顔の前に手を翳す。指の隙間から見える光に影が浮かび上がる。


―――いけないよ。


 少年のように高く澄んだ、それでいて深みのある不思議と抗い難い声だった。その声に少女は懐かしささえ覚える。

「誰?」


 ―――君は今、忘れてはいけないことを忘れている。早く、思い出さないといけないよ。


 柔らかな声。けれど明確な叱責に少女は目を凝らす。真っ白な光の中に浮かび上がるシルエット。それは三角形の耳にすらりとした鼻筋、ふさふさの長い尾。逆光であるにも拘らず少女はその獣の全身を覆う体毛が全ての光を反射する、突き抜けるような美しい白色であることを確信する。

「お……」

 少女の口から言葉が零れかけた時、光は一層強く輝き、闇を一瞬にして吹き払った。


   +++


 明羽はごく自然に目を覚ます。首を回すと標と夏芽はまだ眠っていた。明羽はふたりを起こさないようにそっと車の外へ出た。明羽は白み始めた空に向かって伸びをする。朝のまっさらな冷たい空気を肺一杯に吸い込む。

 オアシスが少しずつ目を覚まし始める、朝の書き入れ時にはまだ早い時間。仕事に行く前の人々をターゲットに開店する軽食屋に明羽と標と夏芽の三人も肖らせてもらう。

「さて、どうやって記憶のない氷呂を連れ帰るかだが」

「てゆうか氷呂ちゃんが氷呂ちゃんであるのは間違いないのになんで被服屋の女主人の姪なんてことになってるのかってことよ。記憶がないのは分かったけど姪だってことがそもそも嘘でしょう。つまり女主人だって姪じゃないのは分かってる筈なのに。なんで氷呂ちゃんに姪だって信じ込ませたのかしら」

「さあ」

「氷呂ちゃん、もといルナちゃんが言ってたことを信じるなら踏み台から落ちて頭を打って記憶喪失? そもそもなんでこっち側にいるのかってのも疑問なのよね。高級街になんて来る用もないのに……。ダメだわ。疑問が疑問を呼ぶ」

「うーん。その被服屋に行ってみるか? 女主人にカマを掛けてみるか」

「なんてカマかけるのよ?」

「しらばっくれられたらどうする?」

 明羽と夏芽に責められて標は少し考える。

「例え女主人から何か聞けたとして、氷呂ちゃんに真実を話してくれたとして、記憶のない氷呂ちゃんは私達を信じて付いて来てくれるのかしら?」

「……じゃなけりゃ強行手段で氷呂を誘拐するか」

「そんなことしたら氷呂に嫌われる!」

 断固反対と明羽が顔を引き攣らせた。

「氷呂に一生恨まれる人生とか無理!」

「冗談だ。他の手を考えよう」

 標が明羽の頭を撫でる。頭を撫でられながら明羽は唸る。

「他の手……。氷呂の記憶が戻ればすべて解決するのに……」

 三人は揃って大きなため息をついた。そうこうしているうちにオアシスは午前の書き入れ時を迎える。

「あ」

 明羽は人の流れの増えた通りに青い髪の少女の姿を見つける。その手には風呂敷包みが抱えられていた。

「朝のお遣いかな」

 明羽は立ち上がろうとして浮かした腰を椅子に戻した。青い髪の少女は明羽の視線に気付く気配もなく歩き去って行った。明羽は少女の歩き去って行った方をその姿が見えなくなっても見つめ続けた。明羽が黙り込んで動かなくなってしまったので標と夏芽は明羽の気が済むまで軽食屋で時間を潰すことを決める。あまり注文せずに長居する客に店員の目が痛くなって来た頃、青い髪の少女が戻って来る。明羽が飛び出し、標と夏芽もその後を追い掛けた。行き交う多くの人に明羽は少女の姿を見失う。明羽は必死に目を凝らして少女の姿を探す。右へ左へ視線をさ迷わせた末、遠くに揺れる青い色を捉えるが、この距離では走って向かってもまた見失うのが落ちだろう。明羽は意を決して叫ぶ。

「っルナ!」

 良く通る声に近くにいた人々が振り返る。そして、青い髪の少女が振り返った。明羽と目が合うと少女が嬉しそうに笑った。

「呼び捨て!」

 少女は持ち前の脚力で明羽の元まで駆け戻る。

「私も呼び捨てにしていい?」

 願ってもないことだったので明羽は大きく頷いた。許可を得られた少女はまた嬉しそうに笑う。

「おはよう。明羽」

「おはよう。ひ……んごっほふん。……ルナ」

 明羽と少女が無事に合流したのを見届けて、標と夏芽は再び一定の距離を保って見守る。少女に誘われるまま明羽は道端のベンチに腰を下ろす。

「今日の朝ね。不思議な夢を見たの」

 少女の話に明羽は黙って耳を傾ける。

「その夢の所為で寝坊しちゃって。朝から叔母様に怒られちゃった。でも、昨日織り上げた布は凄く褒めてもらえたんだよ。早速届けて来たところなんだ」

 楽しそうに話す少女の横顔を明羽はただただ見つめる。

「あ、ごめんなさい。私ばっかり喋っちゃって」

「平気だよ」

 受け入れる明羽の言葉に少女は少し恥ずかしそうに俯いた。

「不思議だわ。なんだかあなたにはなんでも話せる気がする。昨日会ったばかりなのに。周囲にいるのは大人ばかりで同年代の子がいないからかな。明羽が私の初めての友達だね」

 少女の言葉に明羽の胸がチクリと痛んだ。

「……ルナは記憶がないことに不安はないの?」

「不安なんてないわ。叔母様達のことを信じているもの。また、その顔」

「え?」

「とても、悲しそう」

 少女が目を伏せる。

「ごめんなさい。一方的に。私は明羽の探し人に似てるだけなのに」

「え……」

「私が明羽の探し人だったら良かったのに」

「ひ……」

「私、帰らなくちゃ。叔母様達が待ってる。じゃあね。明羽」

 走り去る少女の足に明羽が追い付ける筈もなく。「またね」ではなく「じゃあね」と別れを告げた少女に明羽の頭は真っ白になった。

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