第2章(3)

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「ああ!? 乗り込んじゃった!」

 助手席から双眼鏡を覗き込んでいた夏芽が叫ぶ。黒い車の集団が地平線の上に乗る位置に止まる車の中。標と夏芽は揃って双眼鏡を覗き込んでいた。幌を取り払いオープンになっている車の運転席で標が顎の下に流れてくる汗を拭う。

「どうする? 助けに行くか?」

「いいえ」

 以外にも夏芽は否定した。

「今回のことはあの子達が招いた結果よ。少し、様子を見ましょう」

「……無理してないか?」

「してないわ!」

 夏芽の強がりに標はそうゆうことにしておくことにする。

「あ! 動き始めたわよ。標!」

 黒い鉄の群れが大型のトラックを中心にゆっくりと動き始めていた。

「さあ! 追い掛けるわよ。付かず離れず!」

「うすっ」

 標はゆっくりとアクセルを踏み込んだ。


   +++


 コンテナの中は中央を通路に左右にふたり掛けの椅子が整然と並べられ、明羽の予想通りに老人と子供ばかりが空き椅子なく座っていた。天窓から溢れんばかりに降り注ぐ光に人々の表情が良く見える。今、明羽と氷呂は恐れと恐怖、警戒心に満ちた目に晒されていた。特に老人達からの目線が鋭い。外にいる明羽を代わる代わる覗き見てきた好奇心に満ち満ちた目とのあまりの差に明羽は目を瞬いた。

「ほら。行け」

 お頭に促され明羽と氷呂は揺れるコンテナの中、最奥に設けられたコの字型の席に座らされる。明羽と氷呂が座ると通路を塞ぐようにお頭が明羽と氷呂の前方に座った。誰も明羽と氷呂を見てはいない。けれど、意識は間違いなく明羽と氷呂に向けられていた。そこにいる誰もが明羽と氷呂を意識していた。恐怖に不安に嫌悪がコンテナの中に満ちていた。明羽はふと気付く。そういえば、自分達を人間じゃないと知った人間と真正面から対峙するのは初めてのことだと。重い沈黙に明羽と氷呂が黙っていると、ガタッと前の方で勢いよく立ち上がった老人がいた。

「お頭!」

 その老人は振り返ると唾を飛ばして叫び始める。

「お頭! 亜種を乗せるなんて正気の沙汰とは思えませんぞ!」

「俺が狂ってるって言うのかー? そう思われてたとは知らなかった。ちょっとショックだな。でもまあ、俺はそれでも構わねえが」

「い、いえっ! そんなつもりではっ」

 老人がチラリと明羽に目を向けた。明羽は老人を見ていたので必然的に目が合う。と、老人が飛び退った。

「ひいっ!」

 明羽は怪訝な顔になる。

「私、何もしてないよね?」

「ひぃえ!」

 明羽が言葉を発すると老人は更に飛び退り、転がるように席に座り直した。明羽と老人のやり取りにお頭が小さく笑う。明羽と氷呂を乗せたトラックはゆるゆると進んで行く。天窓の向こうに見える雲一つない青い空と変わっていく光の加減を眺めながら「このトラックはどこに向かっているんだろう」なんて明羽が思いにふけっているとすぐ側からため息が聞こえてきた。

「氷呂? 大丈夫?」

「うん。大丈夫」

 氷呂は気丈に頷いて見せたがその顔色はあまりよくない。明羽は氷呂の前髪を梳いた。氷呂が苦笑する。

「本当に大丈夫だよ」

「そう?」

「それにしても。どこに向かってるんだろう? こんな大所帯で。私達を乗せたからって行き先を変えた訳でもなさそう」

「そうだね。聞いてみようか」

「え? 明羽。聞くって」

「ねえ。お頭」

 ギョッと座ったまま何人かが振り返った。お頭は明羽に一瞥くれて小さく鼻で笑う。

「お前達にお頭と呼ばれるのは妙な気分だ」

「だって名前知らないし」

「名乗るつもりはないぞ」

「じゃあ。お頭でいいよね。それともそこのお坊ちゃんって呼んだ方がいい?」

 明羽の発言にコンテナの中がざわつく。

「亜種ごときがお頭に向かってなんて口をっ」

 先程とはまた違う老人が立ち上がり掛けるのをお頭は片手を上げて制す。

「人間の感覚で亜種の年齢は図れない。こんな見た目でももしかしたらとんでもない年月を生きてる可能性だってある。どうなんだ? そこんところ?」

 興味深そうに笑いながら聞いてくるお頭に明羽は首を傾げた。

「ちょっと、言ってる意味が分からない。正確な年齢は分からないけど私も氷呂も十五歳ぐらいだよ」

「年下じゃねえか。だったら坊ちゃん呼ばわりされる覚えはないな」

「じゃあ。やっぱりお頭でいいよね」

 明羽のあっけらかんとした態度にお頭はつまらなそうに肩を竦める。

「で、どこに向かってるの?」

「答える義理はないな」

「じゃあ、お頭は何歳なの?」

「じゃあってなんだじゃあって」

「私達より年上っていうから」

 まっすぐ見つめてくる明羽の緑色の瞳を見つめてお頭は少し考えるように顎に手をやってから答える。

「十八」

「うっそだー」

 明羽は笑った。

「お頭を嘘つき呼ばわりするつもり!?」

 またまた違う老人が立ち上がり掛けてそれをお頭が手で制す。その様子に明羽は目を丸くした。

「本当に十八歳なの!?」

「そう言ってる」

「……人間だって見た目で年齢推し量れないじゃん」

「それは暗に俺が老け顔だと言ってるな。ん?」

「明羽」

 氷呂にやんわり窘められて明羽は笑う。その時、通路をこちら側に向かって歩いてくる人影があった。

「お頭」

 目付きの悪い男がお頭の側まで来て立ち止まる。

「次期に三つ目の補給場所です」

「そうか」

 答えたお頭の表情は暗く、明羽はこそっと氷呂に話し掛ける。

「なんだろう? 何補給するか分からないけど、チャンスかな?」

「そうね。一瞬の隙も見逃さないよう気を張って行こう」

「うん」

 明羽は頷いたがお頭と目付きの悪い男に見られていることに気付いて思わず目を反らす。目付きの悪い男がお頭に何か耳打ちした。お頭が眉間に皺を寄せた。

「それは最終手段だな」

「もう大分切羽詰まっている状況だと思いますが。盗賊らしく決心する時では? 何の為にこのふたりを乗せたんです?」

「俺がまだっつったらまだなんだよ」

 目付きの悪い男が肩を竦めた。

「まあ、いいでしょう。あなたのその二面性は嫌いじゃありません」

「そりゃ、どうも」

 目付きの悪い男が歩き去って行く。コンテナと運転席に繋がる扉を開けて目付きの悪い男はその向こうに消えた。機嫌の悪そうなお頭を目の前に「何の相談をしていたのだろう」と明羽は思う。悪い想像をしてしまって明羽はそれを振り払うように首を振った。間もなく、トラックはゆっくりと停車した。

「来い」

 お頭に促されて明羽と氷呂はお頭の後を追ってコンテナを降りる。明羽は目を瞬いた。眼前に広がる光景はどこまでも広がる砂漠で鉄の群れの黒い車から降りて来る以外の人の気配などまるでない。

「どうゆうこと? 補給じゃなかったのかな?」

「明羽。見て」

 氷呂の指差す方に明羽は目を向ける。

「井戸?」

 砂漠のど真ん中に小さな井戸が出っ張っていた。その井戸の中をお頭と目付きの悪い男。それに数人の黒服達が覗き込んでは首を横に振っている。

「……氷呂。こんな砂漠のど真ん中に井戸があるってどういうことだろう?」

「掘ったんだろうね。あの人達か他の誰かが」

「もうひとつ質問いい?」

「いいよ」

「オアシスでもない砂漠のど真ん中に水ってあるの?」

「あるよ。地下深くに」

「地下深く……。じゃあ、私達の足元のずっと下に水が流れてるってこと?」

「ここにはないね」

「え?」

「昔はあったかもしれないけど少なくとも今はない」

「……そうなんだ」

 氷呂の言っていることに間違いなどないのでつまりあの井戸は枯れているということだ。だからお頭達は井戸を覗き込んで首を振っていた。明羽はそこで疑問が浮かんだ。お頭はここに着く前から浮かない顔をしていた。つまり、井戸が枯れていることを予期していたということだろう。そんなお頭達に明羽は首を傾げる。

「盗賊が水不足って。割と深刻そうだし。どっかから奪うとか考えないのかな」

「私達は誰彼構わず襲ってる訳じゃないからねー」

 急に側から聞こえた声に明羽と氷呂は飛び上がる。振り返れば明羽と氷呂より少しお姉さんといったぐらいの少女が立っていた。

「だ……ん?」

 誰と言い掛けて明羽は違和感を覚えた。氷呂も同様の違和感を覚える。

「あなた……」

 少女は自分の口元に人差し指を立てて笑った。

「アンナ!」

 お頭が明羽と氷呂に近付いて来ていた。

「何やってる。自分の車に戻れ」

「はい! お頭!」

 アンナと呼ばれた少女は勢い良く手を上げていた。

「私がこのふたりを見張ります」

「はあ?」

 お頭の怪訝な声に明羽は思わず心の中で同意してしまう。

「何言ってんだ。許可できる訳ないだろ」

「そうだよ。アンナちゃん」

「危険だ」

「なんで志願なんて」

「ならば言わせていただきますが!」

 周囲の黒服達の声を遮ってアンナは続けて主張する。

「今、この瞬間このふたりを気に掛けていた人は何人いました? 水も大事だけど。ほったらかしにして。こんなんじゃ簡単に逃げられちゃいますよ」

 明羽と氷呂はこのトラックに乗り込んだ時と同様に黒い自動車に囲まれているこの状況から逃げ出すのは無理だと早々に諦めていたのだが。お頭がアンナを見つめて腕を組む。チラリと明羽と氷呂を見て、お頭はアンナに目を戻す。アンナの強い意思を秘めた瞳には陰りひとつ、揺らぎひとつない。

「……分かった」

「お頭!?」

 黒服達の抗議の目をお頭は無言で制す。お頭の決定に黒服達はまだ不安そうな顔をしていたが、皆大人しく従った。コンテナの中でもそうだったが明羽は目の前の黒マントを纏った男がこれだけ多くの人から絶大な信頼を得ていることに心の中で感嘆する。この男はどんな人間なんだろうと明羽は興味が湧いてきた。

「とりあえず、今ある水を少しずつ全員に回してくれ。少し休憩後、改めて出発する」

「お頭の決定を全員に回せ」

「応!」

 黒服達が方々へ散って行く。

「さて」

 アンナが明羽と氷呂に向き直った。

「私はアンナ。よろしくね」

 屈託のない笑顔に明羽と氷呂は目配せする。

「よろしく。アンナ。私は明羽」

「私は氷呂。よろしくね」

「明羽と氷呂! よろしくね!」

 本当に嬉しそうに笑うアンナに明羽と氷呂は問わずにはいられない。

「アンナ。あの、ひとつ聞いてもいいかな?」

「ちょっと待ってて。ふたりの分の水も貰ってくるから!」

「え……。いや、アンナ!?」

「私達は大丈夫……って行っちゃった」

 見張ると言いながら颯爽とどこかへ行ってしまったアンナに明羽と氷呂は呆気に取られながらも取り合えずその帰りを大人しく待つ。アンナは間もなく帰って来た。その足の速さに明羽と氷呂の疑念はますます増した。

「お待たせ!」

 アンナの手には小さなカップが三つ握られていた。アンナの勢いに負けて明羽と氷呂が受け取ったカップの中身には底に薄らと水が張っているだけだった。

「一口分だ」

「ごめんね。今水の補給の目途が立たなくて。切り詰めてるんだ」

 アンナが謝ることではないだろうに、その優しい少女に明羽と氷呂はカップをアンナに差し出す。

「明羽? 氷呂?」

 不安そうな顔をするアンナに明羽と氷呂は安心させるように微笑む。

「アンナ。これ、私達に渡すって言って貰って来てないでしょう」

「う……」

「アンナの分を三つに分けたの? それともウソをついた? 私達の為にそんな優しい嘘つかないで。見つかったらアンナが責められちゃう」

「私達のことは大丈夫だから」

「アンナが飲むか、もっと必要な人にあげて」

「でも……」

「アンナは知ってるでしょ。私達が人間より遥かに強い身体を持ってること」

 アンナが勢いよく顔を上げた。

「やっぱり気付いてた? 私のこと」

「まあ、なんとなく」

「やっぱりそうなんだね」

「うん」

 アンナは声を潜めて言う。

「私は聖獣と人間の間の子なの」

 アンナの言葉で疑念は確信に変わる。それにしても何故、こんな人間主義の集まりにアンナが紛れ込んでいるのか明羽は疑問に思わずにはいられない。

「お頭は知ってるよね?」

「副団長も知ってるよ。他の人達はこのこと知らないんだ。だからかな。お頭と副団長。私が明羽と氷呂の見張りに付くなんて我儘聞いてくれたのは。ここには私しかいないから。私しか人間じゃない種族はいないから。人間じゃない種族と話ができる機会はきっともうこの先ないと思うから。ふたりは私の我儘聞いてくれたんだと思う。だからね。明羽と氷呂のことも悪いようにはしないと思うよ!」

 アンナは力強く言い切った。その後、出発の号令と共に明羽と氷呂と共にコンテナに乗り込もうとしたアンナを目付きの悪い男が遮った。移動中は変わらずお頭が明羽と氷呂を見張ることを告げられた時のアンナは分かり易くショックを受ける。けれどアンナも簡単には引き下がらなかった。今後車を降りる度に明羽と氷呂の見張りには自分がつくことをお頭と目付きの悪い男に確約させてアンナは自分の車へと帰って行った。コンテナの定位置でお頭が蟀谷を押さえる。

「アンナの奴……」

「突っぱねちゃえばいいのに」

「お前が言うのか」

 アンナに甘いお頭と目付きの悪い男に明羽は笑う。エンジンが唸り、トラックが再びゆっくりと動き始めた。


   +++


 夏芽は今の今まで覗き込んでいた双眼鏡を下ろす。

「う~ん。さすがにあんなに囲まれた状態から逃げて来い! なんていうのは酷よね」

「自殺行為だな」

「それにしてもなんか親しげに見えたわね。あの女の子と」

「明羽だからなあ。すぐに誰とでも友達になりそうだが」

「まあ、そうなのよね。でも、氷呂ちゃんが警戒してるように見えなかったのはなんでかしら」

「ま、とりあえず。また動き始めたし。俺達も行くぞ。シートベルト締めろ」

「分かったわ」

 夏芽が座席に座るのを確認して標はアクセルを踏む。


   +++


 ガタガタユラユラとコンテナは揺れる。その心地良い揺れに明羽はうつらうつらし始める。

「うぅ……」

「明羽。寝ていいよ。ほら、寄り掛かって」

「でも……」

「いいから」

 氷呂が明羽を抱き寄せる。頭が氷呂の肩に乗って明羽は一瞬だけ眠気と戦ったが反抗虚しく重い目蓋を下ろした。明羽はすぐに小さな寝息を立て始める。あんな長距離を飛んだのは初めての筈だから疲れて当然だと氷呂は明羽の前髪を梳いた。氷呂は氷呂で不意に出そうになった欠伸を堪える。

「仲がいいんだな」

 お頭が頬杖をついて明羽と氷呂を見ていた。氷呂は答えるべきかどうか少し迷ってから答える。

「ええ、まあ。明羽と私はずっと一緒でしたから」

「幼馴染って奴か。にしては種族が違うようだが」

 氷呂は慎重に言葉を選ぶ。

「そう見えますか?」

 はぐらかすように答えた氷呂にお頭は不敵に笑う。

「勘だがな」

「そうですか」

 これで話は終わりと言わんばかりに氷呂はそっぽを向く。明羽に起きる気配はない。氷呂は明羽の左耳の後ろで結ばれた髪を時々愛おしそうに撫でた。結び目に刺さる髪飾りに付いた涙型の緑色の石が揺れる。似たような形に削り出された青色の石が氷呂の手首で揺れるのをお頭は見た。

「幼馴染というだけには距離が近すぎないか?」

 お頭の言葉に氷呂は笑う。

「なんだ?」

「なかなか鋭いことを仰るんだなと思いまして。明羽は私にとって特別なんです。何物にも代えられないかけがえのないもの」

「それは、友人以上の感情を持ってるということか?」

「そんなんじゃありません。もっと……そう、もっと根源的な話。明羽がいるから私はある。存在している。明羽には大切な役割があって、私はそれを全うできるように支える役割を負っている」

「役割、ねえ。それはどんな役割なんだ?」

 お頭の問いに氷呂は目を見張った。

「なんだ?」

「い、いえ……」

 俯く氷呂にお頭は眉を顰める。

「まさか、あんなハッキリ言っといて分からないとかいうんじゃないだろうな」

 目を泳がせ急に不安そうな表情を見せる氷呂にお頭は頭を掻いた。

「分からない。思い出せない……。でも、確かに、大事な……」

「なんだなんだ寝惚けてんのか?」

「そうかもしれません……」

 氷呂が明羽の手をそっと握った。ゆらりとコンテナが揺れた。ゆっくりと落ちる速度にお頭が顔を上げる。

「なんだ?」

 お頭が立ち上がり通路を振り返るのと目付きの悪い男が運転席側から扉を開けた。

「何があった?」

「お頭。狩人です」

 コンテナの中が俄かに騒がしくなる。氷呂は明羽を抱き寄せた。明羽の目蓋が震える。

「氷呂?」

「明羽。ごめん。起こしちゃったね」

「んにゃ。大丈夫。何かあった?」

 明羽が目蓋を擦りながら身体を起こすとお頭と目付きの悪い男の声が聞こえる。

「狩人? どの狩人だ?」

「厄介な奴です」

「厄介? 飛んでるのか?」

「飛んでないのに厄介な奴です」

 お頭が苦虫を噛み潰したような顔になった。明羽は氷呂の顔を見る。

「狩人?」

「そうみたい」

 お頭が通路を歩く。

「会いますか?」

「わざわざ俺達を止めたんだ。用事があるんだろうよ」

 お頭の纏う空気が張り詰めた。その威圧に周囲の人々が委縮する。その圧の中、ひとりの老人が自分を奮い立たせて立ち上がった。

「お頭!」

「なんだ?」

 不機嫌そのもののお頭の声に老人は一瞬怯んだが引き下がらない。

「お頭! ちょうどいいじゃないですか。亜種を渡しちまいましょう!」

「却下だ」

「なんでっ!」

「貴族やら商人に売るならまだしも狩人に渡しても金にならないからだ」

 お頭の言葉に老人は落胆したように座席に沈み込んだ。お頭が明羽と氷呂を振り返る。

「お前らはそこから一歩も動くなよ。何なら身じろぎひとつするな。今このトラックの近くにいる狩人は姿を見ただけで人間と亜種の区別が付く」

 明羽と氷呂の返事を聞く前にお頭は目付きの悪い男がタイミングよく開けた扉から外に身を乗り出した。けれどコンテナから降りることはなく、そこにいた狩人と同じ場所に立ちたくないと言わんばかりにお頭はギロリと外を見下ろした。

「何の用だ?」

 お頭の見下ろす先に居たのは小柄で細身だが体格は良く、茶色の短毛、細い四本の足に二つに割れた蹄、盾のように大きな二本の角を持つ動物に跨ったひとりの青年だった。柔らかな砂色の髪を風に揺らしながら人当たりの良い笑顔を顔に張り付ける。

「やあ。お頭さん。元気そうで何より」

「お前も元気そうで残念だよ」

「そんなに目くじら立てなくてもいいじゃないか。僕は君達に危害を加えるつもりなんてこれっぽっちもないんだから」

「何の用だ?」

 お頭は同じ質問を繰り返した。

「せっかちだなあ」

 狩人は笑みを深くする。

「どうにも、気配がね」

「気配~?」

 お頭はわざとらしく胡乱な声を上げた。けれど狩人は全く意に返さない。

「亜種。乗せてない?」

 あまりに確信的な質問だった。けれどお頭もまた一切の動揺を見せない。

「ハッ。なんで俺が亜種なんざを俺と同じ空気を吸える場所に置いとかなきゃならないんだよ」

「ふ~ん?」

 狩人は笑顔を絶やさない。コンテナ側面を狩人は視線でなぞる。一番奥に差し掛かったところで一度止め、今度は周囲に侍る車の群れ中を泳ぎ、また一点で止まる。

「まあ、いいけどね。今回の目的は君達じゃないし。見逃してあげるよ」

「見逃すだ? いちゃもん付ける気満々だな。おい」

「見逃してあげるって言ってるのに。そんなに言うなら調べさせてもらおうかな?」

「……今回の目的だって?」

「話をすり替えたね。でも、いいよ。その質問には答えてあげる。これが面白い噂でさ」

「噂?」

「僕の話を遮る?」

 お頭は頬を引き攣らせながら口を閉じた。

「懸命だね。聞いてよ! 西の町に精霊と人間の間の子がいるんだって!」

 お頭は眉を顰めた。

「……精霊?」

「そう。精霊。笑っちゃうよね。精霊なんて天使の次に伝説級だ。しかも、人間との間の子なんて。もう、笑い話だよ」

「その笑い話を聞いて、お前は西の町に行くって言うのか? 滑稽だな」

「ああ、お頭さんは精霊どうのこうのより僕が西の町に近付くのを懸念してるのか。お頭さん達は西側を拠点にしてるんだもんね。ああ、そうだ、そのお頭さん達がなんでこんな南くんだりまで下りて来てるのかそれも気になって止めたんだった。何かあった?」

 お頭が黙っていると狩人は深く深く笑う。

「聞かないでおいてあげるよ。ま、とにかく、予感がするんだよね。腹の底がざわつくような。だから、確かめに行くんだ」

「……引っ搔き回すなよ」

「善処するよ」

 まるで重みのない言葉を残し、狩人は振り返ることなく走り去って行った。そのスピードは速い。あっと言う間に小さくなったその背中にお頭は舌打ちする。

「しゅっぱ……」

「明羽! 氷呂!」

 号令を出そうとしたお頭を押し退けて乗り込んできたのはアンナだった。

「大丈夫だった? 今、狩人がいたとか……んぎゅ!」

「出発だ! アンナ、持ち場に戻れ!」

 お頭はアンナを乱暴に見える手捌きでコンテナから追いやった。コンテナの外に投げ飛ばされたアンナはしかし、

「お頭のケチッ!」

 とコンテナの奥にまで響く元気な捨て台詞を吐いて去って行った。暫しの後、明羽と氷呂は笑う。明羽と氷呂だけではなくコンテナの中に柔らかな笑い声が零れた。

「アンナを見てると謝花を思い出すよ」

「私も」

 和やかなコンテナの中、明羽はふと視線を感じ見渡すとこちらを背もたれ越しに覗く小さな瞳と目が合った。子供は明羽と目が合うと慌てたように引っ込んだ。明羽は首を傾げる。


   +++


「危なかったわね……」

「狩人はこっちに来てないな。大丈夫そうだ」

 夏芽と標が双眼鏡を覗き込んだまま会話する。

「ああ、もう。なんでこんなハラハラしなくちゃいけないのよ!」

「助けに行くか?」

「ま、まだ! まだよ!」

「そうかい」

 今にも発狂しそうな夏芽を尻目に標は遠ざかって行く狩人に双眼鏡を向ける。その狩人と双眼鏡越しに目が合って標はギョッとした。狩人が不敵に笑うのを見て標は思わず双眼鏡を下ろした。

「……偶然だよな」

 標は双眼鏡を覗いていたから狩人を視認できていた。裸眼の狩人が視認できる距離に標達はいない。

「偶然……」

「標! ほら、行くわよ! 動き出した!」

「お、おう」

 標は双眼鏡を手放してハンドルを握った。


   +++


 狩人は去ったが不機嫌を隠そうともしないお頭を目の前に明羽はまるで臆さない。

「狩人と仲いいの?」

「お前の目は節穴か」

「ごめんなさい」

 お頭のあまりに低い声に明羽は思わず謝っていた。けれど、黙っていられずに口を開く。

「狩人に渡さないでくれてありがとう」

 お頭が呆れた顔になった。

「お前。話が聞こえてなかった訳じゃないだろう。目だけじゃなくて耳まで節穴なのか?」

 明羽は首を傾げる。

「明羽。お頭はお金にならないから私達を狩人には渡さないって言ってたでしょう」

「ああ」

 氷呂のフォローに明羽は頷く。すっかり緊張感のなくなっている明羽にお頭は思わず口走る。

「もっと緊張感を持て」

「緊張感」

「そうだ。緊張感だ。後、危機感もだな」

「頑張る……」

 明羽の返事にお頭は蟀谷を押さえた。そんな明羽とお頭のやり取りを背もたれ越しに警戒心ではなく溢れる好奇心から聞き耳を立てている者達がいた。

「なんか。聞かされて来た話より全然怖くないね」

「青い子かわいい」

「アンナ姉ちゃんがすごくフレンドリーだったし」

 子供達は頷き合う。それから子供達は三人揃ってそっと背もたれ越しにコンテナの奥を窺う。コンテナの側面に備え付けられた扉の極近くに座る子供達は明羽がコンテナに乗せられる前、目付きの悪い男に吟味されている時に代わる代わる顔を出した面々だった。揺れるコンテナの中、暫く経って氷呂は明羽に小声で耳打ちする。

「明羽。そろそろ本気で逃げ出すことを考えなきゃ」

「そうだね。十分休めたし。氷呂はどう?」

「私ももう大丈夫。後はタイミングだね」

「うん。気張らなくちゃ」

 とは言ったものの明羽はすっかり緊張感も危機感も薄れてしまっていて、なんかもうお頭に直接帰る旨を伝えてしまおうかなんて気分になっていた。そんな明羽の感情を察した氷呂は明羽の耳を引っ張る。

「イテテテ」

「明羽。言いたくないけどお頭の忠告に私も賛成だわ。緊張感を持って」

「はい……」

 涙目になりながら明羽は痛む耳を押さえた。そんなことをしていたら再びトラックが減速を始め、ゆっくりと完全に停車する。

「なんだろう?」

「チャンスかな?」

 明羽と氷呂は呟く。

「今度はどうした?」

 お頭が通路を振り返る。近付いてくる目付きの悪い男の手には梯子と望遠鏡が握られていた。

「お頭。こちらへ」

 目付きの悪い男は通路の中央辺りまで戻ると梯子で天窓のひとつを押し開ける。

「あの窓開くんだ」

 なんて明羽は氷呂と共にその光景を注意深く眺める。目付きの悪い男が開いた窓の縁に梯子を立て掛けると、お頭が望遠鏡を持ってそれを上る。

「十一時の方角です」

「う~ん?」

 上半身だけを窓の外に出したお頭が唸る。望遠鏡を覗き込んで何かを見ているらしいことは明羽にも察しはついた。が、

「なんだあ?」

「どうも、商隊が盗賊に襲われてるようです」

「ふーん。……燃料は後どのぐらい残ってたか?」

「そうですね。補給しても良い頃合いかと。食料も備蓄が増えると嬉しいですね。水なんて持ってたら儲けものかと」

「だよな~」

 お頭の声が明らかに楽しそうなものに変わった。梯子を下りながら目付きの悪い男へ望遠鏡を返しつつお頭は指示を出していく。

「少数精鋭。人選はお前に任せる。実働班から選んでくれ。残りは非戦闘員の護衛。周囲への警戒も怠るな。俺のバイクの用意も忘れるなよ」

「やっぱりあなたも行くんですね」

「当ー然!」

 お頭は楽しそうに笑う。目付きの悪い男はため息をついた。お頭と入れ替わりで目付きの悪い男は梯子を上る。

「伝令!」

 良く通る声がお頭の意向を外の黒服達へ伝えていく。トラックに追従していた中の軽トラックの荷台に掛けられていた布が外され、乗せられていた複数台の小型バイクが手際よく降ろされていく。その中にはひと際目立つ大きな一台があった。それに目付きの悪い男が跨る。

「どうぞ」

 振り返りもせずに言った目付きの悪い男にお頭もまた返事をせずにその後ろにひらりと立ち乗った。お頭が黒服達を見回す。

「遠慮はいらない。奪えるものは奪い取れ! 邪魔するものは殺せ! 行くぞ!」

 車と同様黒塗り一色の大型バイクを中心に複数台の小型バイクと二台の車を殿にお頭達は走り出す。その場に残される者達がその背にエールを送った。何故か明羽と氷呂もトラックから降ろされ、その光景を眺める。

「明羽。氷呂」

「アンナ」

「やっぱり外に出して貰えたね。見送る時は必ず全員でって暗黙のルールなんだ」

「部外者も入ってていいのそれ?」

 明羽の疑問にアンナは笑う。

「実働隊が出てる間、非戦闘員の私達はお勤め中のみんなの無事を祈りながら、帰って来た時にすぐおいしいもの食べられるようにご飯の準備したり、怪我した仲間が出た時の為に手当てや薬の準備したり、それから寝床の用意とかしておくんだ」

「そうなんだ」

「後は基本的には自由時間。心配してばっかりも身体に悪いからね」

「なるほど」

 アンナの話を聞きながら明羽は視線を感じていた。アンナが明るく話しかけてくれる所為か最初こそ嫌悪感に満ち満ちた目を向けられていたが今となってはそれも薄まり、根強くこちらを睨んでいるのは明羽達と同じコンテナに乗っていた老人ばかり。けれど、今向けられているのはその老人達からの鋭い視線ではなかった。明羽はそちらに目を向ける。明羽と目が合うと小さな影が明羽の目線から逃げるように隠れた。明羽の様子に氷呂は気付く。

「明羽? どうかした?」

「うん。ちょっと。ちっこいのに見られてるみたいで」

「ちっこいの」

「ちっこいの」

 氷呂の復唱に明羽は頷く。

「さすが子供達。出会ったことのない種族に恐怖心より好奇心の方が勝ってるんだ。呼んで来るね」

「へ?」

「アンナ。そんな無理遣りみたいなのは……」

 アンナの姿は既にない。

「早い……」

「早いね……」

 数秒の内にアンナは三人の子供達を連れて戻って来た。

「ほらほら、みんな。こんな機会滅多にないよ。何なら二度とないよ!」

 アンナに促されるままに付いて来た子供達はアンナの後ろに隠れて明羽と氷呂の様子を窺う。子供達の目に明羽と氷呂もまたその様子を窺った。勇気を振り絞ったひとりが前に出る。

「ほ、本当に亜種なの!?」

「えーと」

「そうだよー」

 明羽が何と答えるべきかと考えている間に氷呂が答えた。子供達が小さな歓声を上げた。敷居が下がったのか他の子供達も前へ出てくる。

「なんの種族なの?」

「私は」

「明羽」

 天使とうっかり言い掛けた明羽を氷呂が制する。なんて無垢な誘導尋問だと明羽はスッと口を閉じた。

「さて、なんだと思う?」

 氷呂のクイズ形式に子供達の目がキラキラと輝いた。

「えっと、えっと」

「世界には七つの種族がいるから」

「人間と動物と……後なんだっけ!?」

 七分の一の確率で正解引いちゃうじゃん。とか明羽は思ったのだが、子供達が相談している声を聞きながらそんな警戒しなくてもよさそうだと気を抜いてしまう。

「天使!」

 まさかの正解を叫ばれて明羽は硬直した。それを氷呂がはぐらかす。

「さあて、どうかな」

「ええ? 違うの? 当たってるの?」

「どっちい?」

「さーて、どうかな。試しに他の種族の名前も言ってごらん?」

 子供達が一生懸命種族名を上げていく。なかなか七種族出て来なくて、やっとこさすべての種族の名が出ると、

「みんな賢いね」

 なんて氷呂が子供達を褒めた。すると子供達が得意な顔になる。見事に主旨をすり替える氷呂の手腕に明羽はぐうの音も出ない。

「氷呂。うまいね」

 アンナまで感嘆していた。


   +++


 明羽と氷呂が、というか主に氷呂が子供達と交流を深めている間、目付きの悪い男が運転し、お頭が後ろで立ち乗りする大型バイクは略奪が繰り返される光景に正面から突っ込んでいた。

「なんだ!?」

「何者だ!」

 予想外の乱入者に盗賊達が驚いた。

「気にするな! お前達に名乗るような名前は持っていない!」

 小気味いいお頭の啖呵を皮切りに追従していた黒服達が銃とナイフを持って盗賊達を蹂躙していく。そこには容赦も慈悲も躊躇もなかった。あまりにも一方的な殺戮が繰り広げられる。

「なんだこいつら!?」

「狂ってやがる!」

「逃げろ!」

 盗賊達が奪った荷物も投げ捨てて次々と逃げ出していく。

「見逃しますか?」

「いや。例外はない」

「三時の方向!」

 目付きの悪い男の指示に近場にいた数人が小型バイクを走らせた。

「あちらは大丈夫でしょう」

「そうだな。残党に注意しつつ使えそうなものを頂戴していくぞ」

 残った黒服達が応じて散って行く。お頭もゆっくりと現場を練り歩く。逃げ場のない砂漠で盗賊に襲われた商隊の有様は酷いものだった。商人達が乗って来たであろうトラックはひとつ残らず火が放たれ使い物にならなくなっている。タイヤの燃える嫌な臭いが周囲に立ち込めていた。離れたところの一台が今まさに爆発炎上する。

「長居はできないな」

「お頭」

「うん?」

 呼ばれて振り返ると目付きの悪い男がお頭にこちらへ来るように促した。お頭が付いて行くとそこには青い顔で座り込む男がいた。

「生き残りがいたのか」

「この商隊を率いていた者のようです」

「盗賊のダブルブッキングとか……。なんか、もう、むしろツイてるような気がしてきた……」

 半泣きで自嘲気味に笑っていた商人がガバッと地面に突っ伏する。

「やっと、やっと! 目途が立ったのに! やっと、これからは故郷を拠点に、他と取引繰り返しながら地盤固めて流通広げて、少しでもみんなの暮らしが楽になるようにって! まだ、始まってもいないのに……。終わった……。ここまで成るのにだって随分な時間が掛かっちまったのに……」

「お頭!」

「うん?」

 背後からの黒服の声にお頭が振り返る。

「お師匠様ー!」

 お頭の側を小柄な影が勢いよく駆け抜けた。お頭はその影を目で追い掛ける。商人に抱き付いた青年がひとりオイオイと泣いていた。

「お師匠様! 良かった! 生きてた! 生きてた!」

 絶望の淵にいた商人の瞳にゆっくりと光が戻ってくる。

「お、お前……」

「ずっと隠れてました……。ごめんなさい! ごめんなさい!」

「い、いいよ! 全然! 無事でよかった……。お前だけでも」

「他にもいますよ! でも、怪我してる奴もいて……」

 お頭が振り返る。青年を連れて来た黒服が頷く。

「命に別状はなさそうですが出血が少し酷い者が何人か」

「そうか」

「お師匠様! まだ、まだですよ! 行きましょう!」

 青年が涙でボロボロの顔で勢いよく立ち上がる。

「と、盗賊がなんぼのもんじゃい! い、一度は逃げたが二度目は逃げないぞ! 俺達は行くんだ! 西の町に!」

 青年の言葉に商人がその瞳に涙を浮かべて頷いた。

「そうだな。行こう。まだ、諦められないよな!」

「……西の町?」

「ひゃあ!」

 お頭の呟きに青年は立ち上がり掛けた商人に飛び付いた。商人は再び地面に突っ伏する羽目になった。

「お前達の目的地は、故郷は西の町なのか?」

「だ、だったらなんだー!」

「お頭。怪我人を本隊の方に連れて行きます」

「ああ。先生に診てもらえ」

 黒服が応じると駆け去って行く。商人と青年が目を丸くして困惑したように固まった。そんなふたりの目線に合わせるようにお頭はしゃがみ込む。

「さて、おふたりさん。相談なんだが」

「そ、相談?」

 お頭がニッと笑い、商人と青年はお頭の話を聞きながら始終ポカンと口を開けていた。

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