第2章・砂漠の盗賊(2)

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 場所は変わる。とある酒場のカウンターでひとりの男がとぐろを巻いていた。その男の腰には一丁の拳銃と楕円形だえんけいの黒い標章ひょうしょうがぶら下がっていた。

「グリフ。その辺にしたらどうだ」

 グリフことグリフィスはマスターの言葉に顔も上げない。

「対して飲んでないだろうが……」

「飲みもしねえのにいつまでも居座ってるからいい加減にしろって言ってんだよ」

 その酒場は世界中に設けられた狩人達の駐屯所ちゅうとんじょのひとつだった。情報交換をする者もいれば酒盛りばかりしている者もいる中、奥のテーブル席から馬鹿にし切った笑い声が上がる。その者達の腰にもグリフィスの物と同じ標章ひょうしょうがぶら下がっていた。

「マスター。グリフの奴は金がねえんだよ! 大目に見てやれ! ゲラゲラ!」

「お探しの片羽四枚の天使は見つかりましたかあ? ゲラゲラ!」

「純血の聖獣もセットだったよな。そんなうまい話があるか! ゲラゲラ!」

「他の狩人を撹乱かくらんするにしてももうちっとマシな嘘つくんだったな。ああ、あんまりにももうけが悪いもんだから妄想しちまったんか? ゲラゲラ!」

「お前らは飲み過ぎだ」

 グリフィスが拳を握り締め、罵声ばせいを浴びせかけようとした時、先程まで下卑げびた笑い声を上げていた男達がそれまでが嘘のように静まり返った。グリフィスが首をかしげた時、

「やあ。グリフ」

 背後から聞こえてきた爽やかな声にグリフィスは椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がっていた。

「メ、メメ……」

 振り返ればガタイのいいグリフィスとは対照的な線の細い男が物腰柔らかく立っていた。砂色の髪に人当たりの良い笑顔を顔に張り付けている。男を前にグリフィスは一歩後退あとずさる。当たって倒れそうになった椅子をグリフィスはあわてて押さえた。笑顔に変わりはないが見下ろしてくる目には余りにも感情が無く、グリフィスはせめて目線だけでも優位に立とうと背筋を伸ばした。

「な、何か用か? メメ」

 けれど、目を合わせることはできず泳がせる。メメと呼ばれた狩人はグリフィスを見上げて、

「うん。用事という程のことでもないんだけどね」

「先生! なんとかっ、なんとかできましたよ! 先生に言われたこと、俺できました!」

 扉を勢いよく押し開けて酒場に入ってきたその声にグリフィスは聞き覚えがあった。

「……ルイン?」

「へ?」

「ルイン! お前無事だったのか!?」

 ボーガンをたくみに操る若い狩人はグリフィスの目の前で『悪魔』の力によって姿を消して以来、行方不明扱いになっていた。天使の一件以降、グリフィスの言葉を信じる者は皆無かいむだったのでただの行方不明扱いだったが。

「グリフの兄貴! はい! 俺自身死んだと思ったんですがね。あきらめかけた時、光が差したんです。そこに立っていたのは先生でした! 先生は元々俺の憧れだったんですが! 今や命の恩人ですよ!」

「元々ってお前……」

 グリフィスはルインと行動を共にしている間、メメの活躍かつやくを耳にする度ルインがメメをけなす言葉を吐くのをこれでもかと聞いてきていた。そんなグリフィスの言葉をさえぎるようにルインは声を大きくする。

「だから一生を掛けてこの恩を返すと俺は決めたんです! どこまでも付いて行きますよ! 先生!」

「と、いう訳で。引き取ってくれる?」

「……ん?」

 グリフィスの頭は大いに混乱した。ルインがメメに付いて行くと言った瞬間にメメはグリフィスにルインを引き取れと言った。グリフは混乱する。

「え、えっと……?」

「何言ってるんですか、先生! 俺は付いて行きますよー!」

 メメの無言の笑顔がグリフィスはただただ怖い。

「移動中に砂漠から何かが出っ張ってたんだよ。普段はそんなことしないのに引っ張り出したらコレだよ。コレ。コレ、君と組んでたのでしょう。引き取ってくれるよね?」

 メメの笑顔がさらに深くなってグリフィスは冷や汗を流し始めた。

「え……っと……」

 グリフィスが答えられないでいるとメメは笑顔を引っ込めて考えるように口元に手を当てた。それを見たグリフィスは顔を青くする。

「あ、の……メメ。ちょっと待……」

「君」

「はい! 先生!」

「君はとても才能あふれる若者だ」

 ルインの顔がパアッと輝いた。

「僕の馬をちゃんとつないでこれるなんて正直驚いた。一生できないと思ってたからね。君が店に入ってくることは万に一つもあり得ないと思ってた。本当に予想外だった。そんな君におつかいを頼みたい」

「はい! 喜んで!」

「白い花を見つけて来て欲しい」

「白い……はな?」

 ルインの目が点になった。構わずメメは続ける。爽やかな笑顔を絶やさずに。

「そう。白い花だ。かつてこの世界のどこにでも群生していたという、今ではおとぎ話にも出てこない花。それが存在していたらしいことすら知る者は今や一部の人間だけ。けれど僕は信じてるんだ。いまだにきっと世界のどこかに存在していると。それを、探して来てくれ」

「それが、先生の欲しいものなんですね?」

「ああ、そうだ。僕の信じるものを君は信じられないかな?」

「いってきます! 必ず見つけて戻ってきます!」

「ああ。見つかるまで戻って来ないでね」

「はい!!」

「ちょ、おい……」

 グリフィスが止める間も無くルインは元気に酒場から駆け出して行く。

「さて、と」

「ちょ、ちょっと待て! メメ……」

 グリフィスの引き止める声に振り返りもせず、メメは酒場を出て行った。グリフィスは意を決してその後を追う。酒場の裏に設けられている馬房ばぼうに向かうとそこではメメがご機嫌ななめな自分の馬をなだめているところだった。メメの馬は狩人達が操る馬の中でも特段小柄な動物だった。小柄だが体格は良く、茶色の短毛、細い四本の足に二つに割れたひづめ、盾のように大きな二本の角。馬は機嫌悪く鼻息を荒くして首を振っていたが大きな角で主人に怪我をさせないよう配慮はいりょをしているのが見て分かる。それは信頼と主従がはっきりしているのが分かる光景だった。

「メメ」

 聞こえない距離ではない筈なのだがメメは振り返らない。

「メメ!」

「なに?」

 声だけが返って来る。グリフィスはメメに近付いた。

「メメ! どうするんだ。あんなこと言って。あいつ一生戻ってこないぞっ」

「そうなるように言ったんだよ。分からなかった?」

 メメが笑う。これっぽっちも笑っていない目がグリフィスを見る。

「ああいうの本当に迷惑。ちゃんと手綱たづなを引いててくれよ」

手綱たづなて……」

「ああ、君のことだからまた利用されたのかな?」

「ぐ……ぅ……」

 図星だったのでグリフィスは二の句がげない。

「悪ぶっちゃって。何度も言った気がするけど、君、狩人向いてないよ」

「狩人は俺の夢だったんだ。想像してたのとは、ちょっと、違ったが……」

 グリフィスの尻すぼみになる言葉にメメの顔から表情が消える。すでに興味を失っているようだった。

「メメ。えーと、つまり俺が何を言いたかったって……」

 グリフィス自身も良く分からなくなってきた時、グリフィスの視界がメメの馬の角で一杯になった。

「へ? ぐえっ!」

 肋骨に響く衝撃を受けてひっくり返る寸前、グリフィスはメメが目を丸くする、世にも珍しい光景を見た。

「イッテええ……」

 青い空が涙に滲む。

「ふっ……ハハハ! アハハハハ! グリフ、君。相変わらずだね! 相変わらず動物にめられてるのか!」

「……」

 響いた笑い声にグリフィスは痛む胸を押して上体を起こした。

 メメが笑っていた。

 先程までの張り付けただけの笑みとはまるで違う、心の底から可笑おかしいと笑うメメに、そのあまりに清々しい笑い声に痛む胸など、まあいいかとグリフィスは思ってしまう。鞍に顔を埋めて笑う主人に馬も満足そうだった。ひとしきり笑うとメメは颯爽さっそうと馬にまたがり、未だに地面に寝転ねころがったままのグリフィスを見下ろす。

「じゃあね。グリフ。また、どこかで」

 人当たりの良い笑みを顔に張り付けたメメが去り、グリフィスは服に付いた砂を落としながら酒場に戻る。と、その場にいた狩人達がグリフィスを見て神妙な顔付きになっていた。

「なんだよ……」

 言いながらグリフィスはカウンター席に戻る。カランという音に目を向ければマスターがグリフィスの前に氷の浮かぶ茶色い液体がなみなみと注がれたグラスを置いていた。

「世界中で、お前の荒唐無稽こうとうむけいな話が一度でも何故信じられたか、分かるか?」

「?」

 急になんの話だとグリフが疑問符を浮かべるとマスターが呆れた顔になる。

「片羽四枚の天使に純血の聖獣の話だよ」

「ああ……」

「何故信じられたかってな。あのメメが、狩人の中でも1、2を争う実力を持つあのメメが、お前の名前だけは憶えてるからだよ」

「俺の名前だけってことはねえだろ」

「気付いてねえのかよ」

 マスターににらまれてグリフィスは眉をハの字にする。

「まあ、いい。お前を知ってる奴はお前がまるで実力なんてないのを知ってるから信じやしなかったが。お前を知らない奴はあのメメが名前を憶えてる奴が言うことならってことで、まことしやかにあの話は広まったんだよ。しかも、今の馬鹿笑い。あのメメが声上げて笑うなんて……。お前は一体何者なんだよ」

「何者って、別に……。俺は……ただの同期だよ」

 グリフィスはメメと初めて出会った時の情景を思い出す。試験場に集まったのは十代の若者ばかりでメメもその例外ではなく。その場ではその時三十になったばかりのグリフィスだけがただただ浮いていた。

 現在に意識を戻して、グリフィスは深いため息をついた。


   +++


 明羽あはねは機会をうかがっていた。畑でくわを持っている時、中央広場で青空教室をしている謝花じゃはなの様子を見に行った時、村のみんなと交流する氷呂ひろを探して村の中を歩き回った時、明羽あはねは砂色の空を幾度いくども見上げた。何日も何日も機会をうかがっていた。


 明かり取りの窓を塞ぐ木戸の隙間から忍び込む朝日に明羽あはねは身体を起こして伸びをした。

「ふわあぁ~。……明るい?」

 まだ冷え込んでいるであろう外気を気にせず明羽あはねは玄関の戸を開けた。

「おお」

 パリッとした快晴には程遠かったが上空を舞う砂の量が普段に比べて明らかに少ない。

「ふむ」

明羽あはね?」

 明羽あはねは戸を閉じながら振り返る。

「おはよう。氷呂ひろ

「おはよう。明羽あはね。朝だね。ご飯の準備するね」

 寝床ねどこから降りて着替えを始める氷呂ひろならって、明羽あはね水汲みずくみ用のおけを引き寄せた。家事全般を氷呂ひろに頼っている中、唯一ゆいいつ毎朝の水汲みずくみだけは明羽あはねの仕事だ。そして、配給制だった食事は今、それぞれの家で作れるようにまでなっていた。畑で取れる量がまだまだ少ないので食材自体は配給制だったがそれでも大きな進歩に変わりはない。

「ご飯~ご飯~。今日のご飯は何かな~」

 明羽あはねがワクワクしながら広場に着くと朝の水汲みずくみの村人達で広場はごった返していた。いつもの光景だ。皆と挨拶を交わして、台所の水瓶みずがめが一杯になるまで水瓶みずがめと井戸を何度も往復する。水瓶みずがめが一杯になる頃にはご飯ができているという寸法だ。

「いいニオ~イ!」

「どうぞ召し上がれ」

 氷呂ひろ敷布しきふの上で準備万端の明羽あはねの前に朝食を置いた。今日の朝食は氷呂ひろ特製の野菜たっぷりパンだ。オニャのものとはまた違う味わいに明羽あはね舌鼓したつづみを打つ。

「お~いし~」

「パンは作り置きのを温めただけだけど。良かった」

「絶妙な温め加減だよ!」

「それはどうも」

 氷呂ひろは苦笑する。ご飯を食べ終わると氷呂ひろは使った食器類を持って広場の端に設けられている洗い場へ向かう。明羽あはねはそれを見送って畑へ向かう。ほぼ同じタイミングで畑に現れた発案者の男性に今日は休むむねを伝えて、明羽あはねは倉庫に続く道を人の目を気にしながら歩く。

「誰もいない。誰もいない。よし」

明羽あはねちゃん。なにやってるのー?」

「ふおぅっ!」

 明羽あはねは振り返る。そこには白い尻尾をふりふり、明羽あはねの半分の背丈せたけしかない女の子が立っていた。

「え、ええーと……。何やってると思う?」

 我ながら酷い返答だと明羽あはねは思う。しかし、女の子は目をキラキラと輝かせた。

「クイズ!? えっとえっと……。待って、ゼッタイ当てるから!」

 楽しそうに考える女の子に痛む胸を明羽あはねは押さえる。

「分かった! かくれんぼでしょう! どう? 当たった? 明羽あはねちゃん!」

「うん! そう! 正解! すごいなあ。当てられちゃったなあ。そう! かくれんぼしてるんだ。だから私とここで会ったことは秘密にしといてね」

「わかった! がんばってね。明羽あはねちゃん!」

「うん! ありがとう!」

 去って行く女の子の姿が見えなくなるまで手を振り、明羽あはねは深く息を吐き出した。純粋無垢じゅんすいむくな子供に嘘をついてしまったことに酷く酷く胸が痛んだが明羽あはねはそれを振り切るように走り出す。倉庫の並びを抜けたその先にある村の出入り口に向かって走る。しな夏芽なつめ氷呂ひろと車に乗ってそこから村を出たのがつい昨日のことのように明羽あはねの脳裏に思い出される。それだけ、あのお出掛けは刺激的なものだった。今回は違う意味で刺激的で明羽あはねは緊張しながら建物のかげから向こう側をうかがう。しな辺りがもしかしたらいるかもしれないと思ったが少し開けたその場所には人っ子ひとりおらず、気配もない。明羽あはねは胸をで下ろす。

「よし。行くか」

 明羽あはねは翼を広げた。左側にのみ生える四枚の翼。髪の結び目に刺さっている髪飾りから伸びる涙型の緑色の石が左耳の側でれた。明羽あはね見据みすえる先には薄くけむる砂漠だけが広がっていた。


   +++


 白い三角形の耳がピクピクと動く。自室の囲炉裏端いろりばた転寝うたたねをしていた村長が顔を上げた。

明羽あはね?」


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 洗い場から戻って来た氷呂ひろは部屋の中の空気に違和感を覚えて室内をぐるりと見回した。特に変わったところはない。

明羽あはね?」

 氷呂ひろは食器類を一先ひとまずその場に置いて家を出た。


   +++


 村長は頭で戸を押し開けて広場に出る。謝花じゃはなが子供達に午前の青空授業をしているところだった。

謝花じゃはな

「はい? あ、村長。どうしました? は! 私の授業うるさかったですか!?」

「いやいや。そんなこと一度も思ったことないから」

 勝手に慌てふためく謝花じゃはなを村長はなだめる。

「邪魔してすまないね。ちょっと確認したいことがあって。明羽あはね……」

「あ、氷呂ひろちゃんだ」

 そう言葉を発した子供の目線を追って村長と謝花じゃはなが目を向ける。氷呂ひろがキョロキョロと辺りを見回しながら広場に入って来る。どこか不安そうにずっとキョロキョロしている氷呂ひろ謝花じゃはなは首をかしげた。

「なんか探してるのかな?」

氷呂ひろ!」

 村長が呼ぶと氷呂ひろが村長と謝花じゃはなに駆け寄った。

「こんにちは。村長。謝花じゃはな。あの、明羽あはねを見ませんでしたか?」

明羽あはね?」

「……」

 謝花じゃはなはキョトンとし、村長は少し目を丸くしてから眉間みけんしわを寄せた。

「やはり……」

明羽あはねちゃんならかくれんぼしてたよ」

 授業に参加していた女の子が三人を見上げていた。

「かくれんぼ?」

 氷呂ひろが問い返す。

「うん! 村の入り口の方で見掛けたんだー」

「誰……誰とかくれんぼしてたか分かる?」

 氷呂ひろの言葉が少し震えていた。

「ダレと……。あれ~。そういえば。明羽あはねちゃん、ダレと遊んでたんだろう?」

「あ、あれ? 氷呂ひろ!? 氷呂ひろー!?」

 突然駆け出した氷呂ひろの背に謝花じゃはなは呼び掛けることしかできない。

謝花じゃはな。すまないがしな夏芽なつめを呼んできてくれ」

「え?」

「すぐに!」

「は、はい!」

 謝花じゃはなは駆け出し、村長は氷呂ひろが走って行った方へ走り出す。突然いなくなった大人達に広場にはポカンとした顔の子供達が取り残された。


   +++


氷呂ひろ! 待ちなさい!」

 村長は叫ぶが氷呂ひろは止まらない。少しずつ距離が離されている事実に村長はひっとちる。

「年には勝てないか……」

 氷呂ひろはあっと言う間に村から駆け出して行ってしまった。村の外へ出られない村長は立ち止まる。

氷呂ひろ……」

 つぶやいて中央広場へと取って返す。広場には村長の指示で謝花じゃはなに呼び出されたしな夏芽なつめが待っていた。何が起きたのか村長から聞いた謝花じゃはなは顔を青くし、しな夏芽なつめは目を丸くする。

「何考えてんのあの子達は!?」

「すぐに追い掛けます」

「頼んだ」

 まもなく村から一台の黒い車がうなるエンジン音を響かせながら飛び出した。


   +++


 明羽あはねは砂吹きすさぶ中、ほとんど目を閉じた状態で上へ上へ向かって飛んでいた。時々吹く突風にあおられながらも飛び続ける。いきなり視界が開けて明羽あはねは上へ向かって飛ぶのをやめた。その場に留まって目を見開く。目に飛び込んできたものにまばたきを忘れる。

 真っ青な空に太陽と月が浮かんでいた。いつもよりずっと近くに感じる太陽と月に明羽あはねは来た道を振り返る。茶色い大気がうずを巻いていた。

「すごい……」

 やわらかな風が吹いた。ふうっと息を吹き掛けられるようなやわらかな風だった。ひんやりと冷たいその風は軽く熱を帯びた肌には心地良く、明羽あはねしばらくその辺りをくるくると舞う。静かだった。ここには明羽あはね明羽あはねを見つめる太陽と月しかなく、不意に覚えた寂しさと不安感に明羽あはえは舞うのを止め、横に飛び始める。渦巻く茶色い大気を眼下にまっすぐに飛ぶ。地平線が見えてきて、嵐の終わりに明羽は少しばかり高度を下げて飛び続ける。下方に見える景色が起伏のほとんど無い砂漠に変わり、空の青と砂漠の白に二分する視界の中を明羽はなおもまっすぐに飛び続ける。すると、白の上に転々と緑色が浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。

「オアシスだ」

 明羽あはねは過ぎていく景色をながめながら飛び続ける。明羽あはねは飛びながら大きく手を広げた。空気抵抗に少しばかり速度が落ちる。明羽あはねはあることを意識し始めていた。

「私、本当に今、自由に飛んでるんだ。自由に、飛んでもいいんだ」

 きっかけは数日前の村の皆で焼き菓子をつついたあの日。何故なぜか子供達にせがまれて子供達を代わる代わる抱えて飛ぶ羽目になったあの日。翼があるのに飛ぶことを考えなかった日々を思う。それでも不自由はなかった。不自由がなかったから自分が飛ぶことを考えていないことにも気付いていなかった。それに気付かされたあの日。村の中ではせますぎる。そうなったらもう外へ行くしかない。氷呂ひろは絶対反対するだろう。だから明羽あはねは機会をうかがった。だから明羽あはねはひとりで村の外へ出た。どうしても、気付いてしまってからというもの、向上心なのか好奇心なのか正直良く分からないが、そういう気持ちがふくれ上がって押さえることができなかった。そうして、明羽あはねは今にいたる。

 明羽あはねは飛び続ける。


   +++


 青と白が二分する景色の中を走る一台の黒い車があった。後方に茶色い帯を引きながら走る車を運転するのは紫黒しこくの髪、闇色の瞳の青年。助手席に座るのは青灰色の髪に透明感の強い薄青色の瞳の美しい女。

「あの子達どこ行ったのかしら」

「見当もつかないな」

氷呂ひろちゃんは明羽あはねちゃんがどこにいるのかとか分かってるのかしら」

「どうだろうな。ただ、何故かふたりは間違いなく一緒にいる気がするんだよな」

「同感。そこだけは私も自信あるわ。自分でも謎だけど」

「まったくだな」

「ん?」

「どうした。夏芽なつめ?」

 夏芽なつめは目を細める。真っ白な太陽の光を受けて何かが光ったような気がした。

「んん?」

 また光ったそれはひらひらと宙に舞っているようだった。ひるがえる度に太陽の光を反射してひらめく何かを夏芽なつめは指差す。

しな。あっちに近付いてちょうだい」

「近付く?」

「あっちで何かが光ってるのよ」

「何か、な。了解。お前の勘を俺は信じるぜ」

「いいから早く」

「へいへい」

 しながハンドルを切る。夏芽なつめはその正体を見る。

「……羽根だわ」

「羽根? って、まさか明羽あはねのか!?」

「分からない。でも、不自然過ぎる。あの白さ、天使の羽根に間違いないと思うけど。なんか、ひらひらと……ずっとあのあたりをひらひらと……。不自然だわ。もっと近付いて」

おおせのままに」

「もうちょっと……。ん?」

 その羽根はある程度近付くとふわりと離れて行った。近付くとまたふわり。

「何かしら。さそわれてる?」

「どうする? 夏芽なつめ

 夏芽なつめは熟考した。

「いいわ。追い掛けてやろうじゃない。しな、あの羽根を追うわよ」

「根拠は?」

「勘よ!」

「上等!」

 しなはニッと笑って、ひらりふわりと車の前方を行く羽根の後を追ってアクセルを踏んだ。


   +++


 明羽あはねしびれているのに熱く感じる背中を心地よく感じながらよろよろと砂の上に着地した。

「ふう。はあ。これ以上は無理。限界」

 額の汗をぬぐい。満足そうに伸びをする。

「うう~ん。よし。帰るか!」

 元気よく言って明羽あはねは数秒前に自分が発した言葉との矛盾むじゅんに気が付いて両手と両膝を地に着いた。

「飛べないのにどうやって帰るんだよ……」

 調子に乗っていたと明羽あはねは反省する。反省しながら顔を上げて、この反省が次に生きる時は来るのだろうかと目の前に広がる砂漠を見て思う。カラッと乾いた暑い風が吹いた。砂が少しばかり舞う。

干乾ひからびるかな。へ、へへへ……」

 自嘲じちょうして笑い、自分のおろかさを呪う。考えなしであったことを呪う。心の内で一通り自分に悪態をついて明羽あはねは顔を上げた。

「オアシスを探そう」

 明羽あはねの計画はこうだ。木陰で休憩して体力の回復を図って帰る。水があればなおよし。水という単語から氷呂ひろの顔が思い浮かぶ。

「……」

 明羽あはねは気持ちがしずみそうになるのを頭を振って振り払った。

「は、初めのいーっ歩!」

 カラ元気を振りしぼって明羽あはねは一歩を踏み出した。翼が霧散むさんして消える。途端、明羽あはねの耳が音をとらえた。音というよりは振動だった。お腹というか肺というかに響いた気がしたそれは、最初こそ気の所為せいかと思う程小さかったが次第に大きくなり、はっきりと振動と共に近付いてくる。

 明羽あはねは見る。

 地平線に浮かんだかと思うとあれよあれよという間に近付いて来たそれを、目の前で止まったそれを、明羽あはねはただただ見上げることしかできなかった。

 トラックだった。

 それもかなり大きなトラックだ。人ひとりとかふたりとそんなレベルの大きさではない。ドッドッドッドッという規則的な重低音が空気を震わせ、明羽あはねの内臓までをも震わせる。そして、そのトラックは大小の車を何台も引き連れていた。明羽あはねの目の前で止まったトラックにならうように数多あまたの自動車が明羽あはねを取り囲む形で止まっていく。明羽あはねの額から冷や汗が流れた。運が悪いのか間が悪いのか。とにもかくにもひとりの少女が委縮いしゅくするには十分な威圧感を目の前のトラックと鉄の群れは放っていた。バコンッという音が聞こえて明羽あはねは飛び上がる。見ればトラックが引くコンテナの側面に設けられた扉が開いていた。まず足が見え、扉の下に備えられていた小さな梯子はしごを降りて来た男は目付きの酷く悪い男だった。眼鏡を押し上げ不躾ぶしつけ明羽あはねを観察してくる。黒い服に身を包んだ目付きの悪い男に明羽あはねしなを連想してしまう。見た目の年齢が近い所為せいもあっただろう。だからなのか明羽あはねはジロジロと見られたがあまり嫌な気分にはならなかった。明羽あはねが見返していると、

「女の子だ」

 ななめ上から声が降ってくる。見れば開きっ放しだったコンテナの扉からこちらをのぞき見る子供がひとりいた。子供の言葉にコンテナの中がにわかにざわつく。そのざわめきの多さに明羽あはねは目を丸くした。コンテナに乗せられているのは大勢の人のようだった。この集まりは一体どういう集まりなのか。なんて明羽あはねが思っていると扉の向こうから顔が代わる代わる外をのぞき見ては引っ込んでいく。その顔ぶれは子供と老人ばかりで、成人した若者はこのトラックには乗っていないようだった。目付きの悪い男の顔がしぶいものに変わる。

「いい加減にしろ。出て来るな。中で大人しくしていろ」

「副団が怒った~」

 丁度こちらをのぞき込んでいた子供が笑いながら扉の奥へ引っ込む。目付きの悪い男がため息をつき、改めて明羽あはね見据みすえる。

「亜種だな」

 明羽あはねは目を丸くした。何を持って目の前の男はそう断言したのだろう。分からなくて思わず明羽あはねは半歩下がってしまう。

「その態度は肯定こうていと受け取るが?」

 にぶる思考を明羽あはねは必死に回す。疲労困憊ひろうこんぱいの翼では到底飛んで逃げることなど不可能で、打開策を見つけられないまま立ち尽くしているとギシッというきしむ音。見ればいまだ開きっ放しだったコンテナの扉に今度はひとりの男が立っていた。ぼさぼさの髪によく日に焼けた肌。目付きの悪い男よりも背は高いがその顔には幼さが残る。けれど、眼光するどい意志の強そうな瞳、何よりまとっている雰囲気が目付きの悪い男とは明らかに違っていた。よく日に焼けた背の高い男は梯子はしごを使わず目付きの悪い男の側に飛び降りる。羽織はおっていた黒いマントがひるがえった。

「亜種か」

「間違いないでしょう。こんなところに独り。周囲には移動用の乗り物どころか人の気配もない。置いて行かれたにしては落ち着き過ぎている。自らの足でここまで来たのでしょう」

 足じゃないけどね。と明羽あはねは腹の中でツッコミを入れる。

「外見だけではどの種族かまでは分かりませんが」

「ふむ」

 意志の強そうな目が近付いてきて、明羽あはねはその瞳を間近で見返す羽目になる。

「どうしますか? お頭」

 目付きの悪い男の発した言葉から明羽あはねは、今正に明羽あはねの顔を興味と好奇心の見え隠れする瞳で覗き込んでいるこの男がこの集団のリーダーであることを知る。目付きの悪い男の言葉遣いが丁寧なものに変わっていることには気付いていたが明羽あはねは若いボスだなと能天気に思った。

「そうだな」

 お頭が背筋を伸ばした。その瞳から解放されて明羽あはねはちょっと胸をで下ろす。

「いくらで売れっかな?」

「種族が分からないことには何とも」

「そうだよな」

 胸をで下ろしたのもつか明羽あはねはこの瞬間になって初めてこの異様な集団が盗賊である可能性に気付いたのだった。さっきまでの能天気はどこかへ消えた。明羽あはねは再び頭をフル回転させる。なんなら目付きの悪い男に人間ではないと言い当てられた瞬間よりずっと必死に脳を回す。

明羽あはね!」

 明羽あはねは空耳だと思った。あせる頭が響かせた幻聴げんちょうだと。

明羽あはね!」

 先程よりも近くにはっきりと聞こえた声に明羽あはねは息をむ。振り返るとそこには膝に手を付き肩で息をする氷呂ひろの姿があった。

「ひ、氷呂ひろ……?」

 聖獣である氷呂ひろが息を切らせている光景に明羽あはねは開いた口が塞がらない。

「おいおいおい」

「どこから……」

 突然目の前に現れた青い髪の少女にお頭と目付きの悪い男が目を見張る。

明羽あはね!」

「はいっ!」

 にらみ付けられて明羽あはねは背筋を伸ばした。氷呂ひろの呼吸はまだ少しかすれていたがそれでももうほとんど落ち着き始めていて。こんな状況だったが明羽あはねは「さすが氷呂ひろ!」なんて思いを胸中に走らせていた。

明羽あはね! どういうつもり? 私に何も言わずこんなところまで!」

 飛んできた詰問きつもん明羽あはねは先程伸ばした背筋をちぢこまらせた。

「ご、ごめんなさい……。反対されると思って……」

「反対? 私が? 明羽あはねの決めたことを? 見くびられたものだね。私はいつだって明羽あはね肯定こうていするの。私はいつだって明羽あはねの味方なの。分かった?」

「それはそれで、ちょっと……」

「分かった?」

 すごまれて明羽あはねはキリッとうなずく。

「はい!」

「まあ。あんまり危ないことをするようなら全力で止めさせてもらうけどね」

「……」

「とにかく。黙ってどっか行っちゃうのだけはヤメテ。せめて一言ちょうだい。そうしないと賛成も反対もできないんだから」

 良く見れば氷呂ひろの握り締められた手が震えている。明羽あはねうつむいた。

「ごめん。氷呂ひろ。私、本当に考えなしで……」

「分かればよろしい。さあ、帰ろう」

 氷呂ひろ明羽あはねの手をつかんで来た道を戻ろうとすると、いつからいたのか周囲の車から下りて来たらしい、そろいもそろって黒い服に身を包んだ者達がふたりの行き先を塞いだ。目付きの悪い男といい、これがこの集団の制服なのか。立ち止まった明羽あはね氷呂ひろの背後からパンパンパンと手を打ち鳴らす音が聞こえてきた。振り返るとふたりと目の合ったお頭がニッコリと笑う。

「いや~。驚いた。だが、まあ。品が増えたととらえよう」

 品という言葉に明羽あはねは眉間にしわを寄せる。自分の所為せい氷呂ひろまで危険な目に合わせてしまっている事実に明羽あはね氷呂ひろの手を引いた。

氷呂ひろ氷呂ひろ。走れる? 走れるようなら氷呂ひろだけでも逃げ」

 氷呂ひろ明羽あはねの頬を思い切りまんだ。

「いひゃい」

「冗談言わないで。明羽あはねを置いて私が帰る訳ないでしょう。何の為に私が来たと思ってるの」

「……ごめんなひゃい」

 解放された頬を明羽あはねさする。氷呂ひろがお頭へと向き直った。

「あなたがリーダーですね。明羽あはねと私は帰ります。おさわがせして申し訳ありませんでした。あの方達に道を開けてもらえるよう言って貰えないでしょうか」

「その言い分が本当に通ると思ってるのか? 本気で思ってるなら大した脳みそだな」

 明羽あはねはムッとする。氷呂ひろ侮辱ぶじょくされて黙っていられる筈もなく、明羽あはねが口を開き掛けたところを当の氷呂ひろ明羽あはねの前に出ることでさえぎった。氷呂ひろとお頭がにらみ合う。先に口火を切ったのはお頭だ。

「ふたりをコンテナに乗せろ」

「お頭」

「そう目くじら立てるなって。俺が直々に見張るってだけだ」

「その必要性を……」

「俺の決定が不服か?」

 笑いながら言うお頭に目付きの悪い男がため息をつく。

「どうなっても知ったこっちゃありませんからね」

「俺が間違えたことあるか?」

「たくさんありますねえ」

 お頭は苦笑する。

「でも、最後には全部丸く収めて来ただろ」

 目付きの悪い男が今度はあきらめのため息をついた。

「ふたりを乗せて出発する!」

 黒服達がにわかにざわついたが最終的にはお頭と目付きの悪い男の決定に声をそろえて応じた。明羽あはね氷呂ひろの手を引く。

氷呂ひろ。とりあえず今は従おう。そんで。すきを見て逃げよう」

 明羽あはねを見返した氷呂ひろは唇を噛み締めていたが肩から力を抜いた。疲労困憊ひろうこんぱい明羽あはねと同様にここまで駆けて来た氷ひろもまた、傍目はためには回復したように見えてももう体力の限界だった。明羽あはね氷呂ひろはお頭にうながされるままコンテナの小さな梯子はしごに足を掛けた。

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