第2章・砂漠の盗賊(1)

 日が落ちて、満天の星が夜空をいろどる程に大地は深い闇に閉ざされる。そんな闇の中に対の光を浮き上がらせて一台の車が走っていた。

「またどこかで一泊できたらと思ったんだけど。こう暗くっちゃあ、もうどこ走ってるか分からないわね」

「寒い……」

 夏芽なつめがチラと見ればしなが助手席で幾枚いくまいもの毛布にくるまって丸くなっている。

「しょうがない。砂漠のど真ん中になっちゃうけど幌を張って車中泊しましょう。しな。気張りなさい。明日、夜が明けたらすぐに村に向かうから。明羽あはねちゃん氷呂ひろちゃん。手伝ってちょうだい」

「うん」

「はい」

 車を降りると夏芽なつめがフレームを組立て、車内に畳んで置いてあった幌を三人で広げる。

「そっち引っ張って」

「こう?」

「そうそう」

 手早く作業を終えていく夏芽なつめの手も借りながら明羽あはね氷呂ひろは慣れない作業を終えていく。

「後部座席を倒してしなを寝かせるわ」

「はい」

「いや、そこまでしなくても俺は大じょ……」

「よっ」

 しなを無視して夏芽なつめが後部座席の背もたれを倒すと少しせまいが寝転ねころがるぐらいはできるフラットな空間ができた。

「はい。しなこっち来て。腕を固定するから。それからこれ飲んで」

「コレってなんだよ……」

「痛み止めよ! 黙って飲みなさい!」

「うぐっ」

 無理やり口の中にふくませられた薬をしなみ込んでいる間にも夏芽なつめはテキパキとしなの腕に包帯ほうたいを巻いていく。腕に腕を固定させるようにしなの上半身がぐるぐる巻きになっていく。明羽あはね氷呂ひろは目をしばたく。夏芽なつめの早ワザと、しなの状態はそんなにも悪かったのかとふたりは少し不安になった。

「はい。出来上がり。どう?」

「出来上がりって……。物みたいに。まあ、少しは楽になった」

「後はずっと安静にしてなさい。さ、明羽あはねちゃん、氷呂ひろちゃん。私達はお茶にでもしましょうか」

「……好きにしてくれ」

 しなの言葉は夏芽なつめがさっさと閉じる幌のジッパーの向こうに消えた。

 星が降りしきる中、闇に沈む大地の上でたきぎはじける音が響く。湯気ゆげの上がるカップに何度も息を吹きかけてから明羽あはねはそっとカップに口を近付けた。

「アチッ」

「気を付けて。明羽あはね

「十分に気を付けたつもりなんだけどね」

「うふふ」

 ふたりのやり取りに夏芽なつめが笑う。かじかみそうになる指をお茶の入ったカップを包み込むことで温めながら明羽あはねは背後の車をチラと見る。

夏芽なつめさん。いつも救急セット持ち歩いてるの?」

「出掛け先でなんかあった時に手当てできるように基本、車には一式乗せてあるのよ。私が個人的に持ち歩いてる物もあるけど」

「ちゃんとそなえてあるんですね」

「もちろんよ」

しなの怪我ってそんなに酷いの?」

「私達の所為せいですよね……」

 落ち込む明羽あはね氷呂ひろ夏芽なつめは首を振る。

「あれは怪我とはちょっと違うのよ。あれはどっちかって言うと疲労が行き過ぎちゃった感じでね。十分休めばさっさと治るものだから。ふたりがそこまで気にすることないわよ」

「私、しなにお茶持ってく」

明羽あはね。私も行く」

 肩に掛けていた毛布が落ちても気にせず立ち上がった明羽あはね氷呂ひろも続いて立ち上がる。空のカップと火に掛かっているポットに無造作に手を伸ばして、明羽あはねは触れたポットの熱さに一瞬で手を引込めた。変わりに氷呂ひろ布巾ふきんを手にポットを持ち上げる。幌のジッパーを開けて車に乗り込む明羽あはね氷呂ひろの姿を見ながら夏芽なつめは茶をすすった。

「どうやって飲ませるつもりかしら?」


 流れ込んできた冷たい空気に寝転がっていたしな眉間みけんしわを寄せた。

「んん?」

しな!」

「ぬお!? なんだ!?」

「お茶持って来た」

「具合はどうですか?」

 目の前に迫って来るふたりの少女にしなは目を何度かしばたく。

「茶?」

 明羽あはねうなずく。

「お茶」

明羽あはね……気持ちはありがたいがこの腕なんだが」

「うん。だから飲ませたげる」

「いやいやいや」

しなさん。寒くないですか? もっと毛布持って来ましょうか? しなさん、暑いのも寒いのも苦手ですもんね」

氷呂ひろ……俺がっていうか種族的にな。それから気持ちはありがたいがこれ以上の毛布は積んでなかっただろう」

「私は暑いのより寒い方が平気なので良ければ私のを使ってください」

「いやいやいや」

「両手に花で浮かれてんじゃないわよ」

「浮かれてねえよ」

 幌を少しだけ開けた隙間から覗き込むように夏芽なつめが立っていた。

「恥ずかしさと情けなさで一杯だよ」

「あら、そう。まともで良かったわ」

「俺はいつだってまともだよ」

「あはは」

 夏芽なつめが笑う。しな夏芽なつめの掛け合いに明羽あはね氷呂ひろは思わず温かい気持ちになる。なごんだ空気に不意に欠伸あくびが出た。

「眠い……」

明羽あはね

「あらあら。火の後始末をして私達ももう休みましょうか。その前にちょっと変わってくれる?」

 夏芽なつめが上がって来たので明羽あはね氷呂ひろは変わるように車外へ出る。

「火の始末は私達がしておきます。後で確認お願いしますね」

氷呂ひろちゃんはしっかりしてるわね。分かったわ」

 明羽あはねは自分よりも氷呂ひろの方が俄然がぜんしっかりしていることを自覚しているので何も言わない。明羽あはね氷呂ひろが降りたのを確認して夏芽なつめはふたりが置いて行ったお茶を手に取る。

「ほら」

「マジかよ」

 夏芽なつめが口に近付けてきたカップの縁にしなは口を付ける。絶妙にかたむけられるカップからしなはひと口ふた口とお茶を飲んだ。

「悪かったわね。無理をさせたわ」

「ん?」

明羽あはねちゃんと氷呂ひろちゃんは自分達の所為せいみたいに言ってたけど実際き付けたのは私だものね」

「急にしおらしくなるな。調子狂うだろ」

「悔しいのよ。私には誰かを守る力がない。……ボーガンでも持とうかしら」

「ヤメロヤメロ。人間の使う武器なんて俺らが持つもんじゃねえよ。そもそも、俺とお前じゃ役割が違う。夏芽なつめ夏芽なつめの役割をちゃんと果たしてるだろ」

「……そうね」

 夏芽なつめしなの肩を思いっきり叩いた。

「……痛いんだが」

「腕じゃないだけいいでしょ」

「腕まで響いて痛いんだが」

「あら、そう。ごめんなさい?」

 そう言いながらまた手の平を見せる夏芽なつめしなは身構える。

「頼りにしてるわ」

 今度は叩くのではなく、拳を軽くしなの肩に当てた。

「だから調子狂うって。それに、言われなくたって分かってる」

 しなの言葉に夏芽なつめはニッと笑った。


 氷呂ひろが始末する焚火たきびの残り火を見つめながら明羽あはねは物思いにふけっていた。

「強くなりたいなあ……」

明羽あはね。思ってることがこぼれてる」

「ハッ!」

 恥ずかしさに口をもごもごさせてから明羽あはねは心を決めて氷呂ひろを見た。

「守られてばっかりじゃダメだよね。逃げてばっかりもダメだと思うんだ。強くなりたい。誰かを守れるぐらいになんて言わないから。せめて、自分の身ぐらい守れるようになりたい」

「そうだね」

 残り火もしっかりと消して、立ち上がりながら氷呂ひろは言う。

「そう言えば明羽あはね。あの時、風を呼んでたよね」

「……どの時?」

「狩人が乗る鳥につかまってた時」

 明羽あはねは目をぱちくりさせた。思い出す。狩人の乗っていた鳥の横腹に殴り付けるように吹いた突風のことを。

「私がやったの、か? あれ……」

「やっぱり意識してじゃなかったんだね。あれが狙ってできるようになればいいね。なんて」

 明羽あはねは村長の「練習もしてみるといい」という言葉も思い出す。

「頑張る」

 新たな目標ができて明羽あはねうなずいた。車から夏芽なつめが降りて来て火がちゃんと消えているのを確認すると夏芽なつめは運転席に、明羽あはね氷呂ひろは助手席に乗り込んだ。フロントガラス越しに満天の星を瞳に映し、明羽あはねは毛布をあごまでたくし上げた。


 フロントガラスから容赦ようしゃなく入って来る真っ白な光に明羽あはねは目を覚ます。

「う~ん。イテ」

 聞こえてきた声に明羽あはねが顔を向ければ夏芽なつめが伸びをする為に伸ばした腕をフレームにぶつけていた。明羽はしょぼしょぼする目をこすって欠伸あくびをする。側で身じろぎする気配に見れば氷呂ひろが顔の前に手をかざしていた。

「ん、まぶしい……」

「おはよう。氷呂ひろ

「おはよう。明羽あはね

「おはよう。明羽あはねちゃん。氷呂ひろちゃん。一服してから出発しましょう」

 夏芽なつめに挨拶を返して明羽あはね氷呂ひろは車から降りた。夜の残したヒヤリと冷たい空気に目が覚める。澄んだ青い空に向かって明羽あはねは思い切り伸びをした。氷呂ひろ夏芽なつめがお茶の準備を終えると夏芽なつめが幌のジッパーを開けて車の中へ入る。

しな! 朝よ! ほら薬!」

「飲む! 飲むって!」

 外まで聞こえてくる声を聞きながら明羽あはねは「今日もいい天気だなあ」なんて思った。

 幌を張ったままその古めかしい黒い車は走り始める。後方に砂の帯を引きながら明るくなった砂漠の上をまっすぐに走っていく。村を取り巻く嵐は出て来た時とほぼ変わらないやる気の無さで夏芽なつねの運転する車は難無なんなく村に辿たどり着く。

 夏芽なつめは車から降りるとボンネットに手を付いた。

「着いた……。着いたわ……。疲れた……。長時間の運転とか……。しな、あんたいつも……すごいわ……」

「そりゃ、どうも……」

 素直に夏芽なつめが褒めるのはとても珍しいのだがしなもいっぱいいっぱいでその一言を返すのが精一杯だった。昼間だろうが静まり返っている倉庫街。そこに人程の大きさの白い獣が足音静かに現れる。

「おかえり。明羽あはね氷呂ひろしな夏芽なつめ

「村長。ただいま!」

「ただいま帰りました」

「村長……。ただいまです……」

「村長ぅ……。ただいまぁ」

 普段村長に対しては常に敬語を使っているしな夏芽なつめだったが今はその余力もない。

しな夏芽なつめ随分ずいぶん疲れているね。何か……。しな。君、力を使ったのか?」

「あー。ええ。まあ……」

「狩人に見つかっちゃって!」

 億劫おっくうそうなしなに変わって明羽あはねあわてて答える。氷呂ひろもフォローしながら村長に伝えていく。オアシスに狩人がいたこと。その狩人が南の町で明羽あはね氷呂ひろを捕まえようとした狩人だったこと。しな夏芽なつめに助けられたこと。

「そうだったのか。大変だったね。ふたりは改めて見つかってしまった訳だけど、また狩人に目を付けられたかな?」

「それは、大丈夫だと思います。ドンパチしたのはオアシスから離れてからでしたし。しなが思いっきり脅したので」

「そうか。ともかくみんな無事でよかった。車は僕が車庫に戻しておくから。しな夏芽なつめも休みなさい」

 瞬間、夏芽なつめ疲弊ひへいしていたのが嘘のように目をカッ開く。

「ありがとうございます! 村長! 助かります。ほら! しな、診療所行くわよ」

「ぉおう……」

 ふたりの後ろ姿がどんどん小さくなっていく。

「僕は休めと言ったんだが。まあ、しながアレじゃあしょうがないか。治療を優先しない夏芽なつめなんて夏芽なつめじゃないものね」

「村長……」

「うん?」

 村長が振り返ると明羽あはねが少し落ちこんでいる。

夏芽なつめさんは大丈夫って言ってたけどしなの腕は本当に大丈夫なのかな?」

夏芽なつめがそう言ったのなら大丈夫だよ。うたがう必要はない」

「いや……。うたがったんじゃなくって……」

 小さく手を振って否定する明羽あはねに村長は小さく笑う。

しなのことは夏芽なつめに任せて大丈夫だよ。ともかく君達が無事でよかった。久しぶりの遠出で疲れただろう。明羽あはね氷呂ひろも少しお休み」

 見上げてくる薄紫色の瞳が優しくて明羽あはねはうっかり熱くなった目頭めがしらんだ。

「うん。ありがとう。村長」

「ありがとうございます。村長」

 明羽あはね氷呂ひろは見送ってくれる白い獣に手を振った。小道をしばらく行って明羽あはねはふと疑問に思ったことを口にする。

「村長、車庫に車戻しておくって言ってたけどどうやって戻すんだろう?」

「どうって……人型になってでしょう」

 氷呂ひろの呆れた声に明羽あはねはまじまじと氷呂ひろの顔を見つめてしまう。

「……そうか。そうだよね。村長も聖獣だもんね。人の姿も持ってるんだ」

 明羽あはねはつい振り返るが白い獣の姿は建物の影に隠れてすでに見えない。

「えー。どんな姿だろう。いつか見れるかなあ」

 いまだ知らないその姿を見れる日に思いをせながら明羽あはねは空に向かって伸びをした。


   +++


 その日もまた、太陽と月が共に天頂を目指している時間にも関わらず、村の上空は砂色に染められていた。明羽あはねは手に持ったもののしわを伸ばすように勢いよく払う。今日は村総出でまった洗濯物を洗い尽くすと皆であらかじめ決めていた日。中央広場には家々の間に縦横無尽に紐が張られ、そのうちの一本に明羽あはねは今しわを伸ばしたばかりの洗濯物を引っ掛ける。村の中を吹き抜ける柔らかな風が干された洗濯物をらしていく。

「気持ちいいなあ。カラッと晴れてたらもっと気持ち良かっただろうに」

明羽あはね。ぼーっとしてないで手を動かして。次の持って来たよ」

「ぼーっとしてた訳じゃないよー」

 明羽あはねの側にそでをまくり上げた氷呂ひろしぼられた洗濯物で一杯のたらいを持っていた。

明羽あはね! 氷呂ひろ!」

 ふたりが振り返れると謝花じゃはなが広場に駆け込んで来るところだった。明羽あはね氷呂ひろの前まで駆けて来た謝花じゃはなは息ひとつ乱していない。氷呂ひろと言い謝花じゃはなといい「さすが聖獣」と明羽あはねは思う。

「おはよう。謝花じゃはな

「おっはよう。謝花じゃはな

「あ、うん! おはよう!」

「遅刻だよ」

 氷呂ひろにやんわりとたしなめられて謝花じゃはなは「しまった!」という顔になる。

「そうなの! ごめんね。寝坊しちゃって。今すぐ持ち場に……じゃなくって! ああ……じゃなくもないんだけど。ふたり共、外に出てる時に狩人に会ったって!!」

「ああ、うん」

 何ともなく頷いた明羽あはね謝花じゃはなは少しばかり顔を青くした。

「大丈夫? 怪我とかしてない? 元気?」

「平気平気。元気だよ。謝花じゃはな

「私達は大丈夫だから。落ち着いて」

「本当に? 本当の本当の本当に!?」

「本当の本当の本当に」

しなさんと夏芽なつめさんと一緒に行ったんだから」

 笑ってうなず明羽あはね氷呂ひろ謝花じゃはなはやっと肩の力を抜いた。

「呼んだか?」

 突如とつじょ降ってきた声に三人の少女が飛び上がる。

しな!?」

しなさん?」

しな兄様!」

「おう」

 そこには紫黒しこくの髪に闇色の瞳の長身の青年が立っていた。その表情は至って平常だったのだが両腕を上半身に巻き付けるように包帯ほうたいで固定されている様は至って異様だった。

「……なんかひどくなってない?」

夏芽なつめが大げさに巻くんだよ。良くなってるっていうのに」

 しながため息をつく。

「みんなの視線が痛い……」

「そうですよね」

「大人しく引きこもってようかな……」

「その方がいいよ」

 明羽あはね氷呂ひろうながされてしなは人目を避けるように干された洗濯物の間をうように去って行った。

「なんか私達にできることがあったら言ってね!」

「おう。頼りにしてる」

 洗濯ものの向こうから返ってきた声に明羽あはねは「本当かな?」と懐疑的かいぎてきに腕を組んでしまった。気を取り直して明羽あはねが洗濯物に手を伸ばすと真っ青な顔になってる謝花じゃはなに気付く。

謝花じゃはな?」

「どうかした?」

「……ねえ。本当に大丈夫だったの?」

 しなの腕を見て謝花じゃはなの心配性が再び顔を覗かせてしまったらしい。しかも、先程よりずっと強く出てしまったようだった。

しな兄様があんな状態だなんて聞いてない! 明羽あはね氷呂ひろ。私、もう友達と会えなくなるのは嫌なんだよおおおおおぉおぉぉぉ!」

「うん。謝花じゃはな! 本当に私達は大丈夫だから!」

「何ともないから! ね!」

 明羽あはねは先程まで心配していたのに「謝花じゃはながいない時に来て欲しかったっ!」としなに対して小さなうらみ言を内心でつぶやいてしまった。謝花じゃはなを何とかなだめすかし、持ち場に送り出して明羽あはね氷呂ひろは一息つく。

「疲れた……」

「そうだね……」

「……今日中に洗濯物乾くかな?」

「風があるから大丈夫だよ」

 ちょっと面倒だが自分達のことを思ってくれる友達に明羽あはね氷呂ひろは小さく微笑ほほえんだ。


「この大仰おおぎょうな腕どうにかならないか?」

「ならないわ」

 診療所の中。夏芽なつめに一刀両断されたしながため息をついた。それを見た夏芽なつめは薬の調合途中だった手を止めてしなに向き直る。

「何よ。何か文句ある? あるなら聞くけど?」

「聞いたところで……」

「ん?」

「いや、うん……」

明羽あはねちゃんと氷呂ひろちゃんには疲れが行き過ぎちゃっただけとは言ったけど。ちょっと何かが触れただけでけるような痛みが走るんでしょう? 外せる訳ないじゃない」

「いや。外してくれと言ってる訳じゃ……」

「ん?」

「ナンデモナイデス」

「過ぎたことブツブツ言わないでよ。物理的に無理だったんだから」

 それはしなが、というか悪魔が力を使う際には対象物と自身との距離が重要で、それによって後の症状のじゅうけいが変わるという話。あの時、明羽あはねを捕まえた狩人が乗りあやつる鳥がしな夏芽なつえが乗る車より早い以上、追い付くことは無理だった。だからあれ以上距離が開かない内にしなは力を使う必要があったのだ。

「とにかく安静にしてなさい。痛みが引いても完全に治るまで絶対、ソレ、外さないから」

 しなは諦めたようにうねずく。

「そうだな。しばらく引きこもるか。悪かった。時間取らせたな」

 診療所の戸が完全に閉じたのを見届けて夏芽なつめはひとり項垂うなだれる。それでも、あの時はあれが最善だったと顔を上げた。診療所を背にしてしなは一度立ち止まる。

「気にしてねえといいけど」

 つぶやいて歩き出す。


  +++


 明羽あはねは夢を見ていた。いつも見る青い光の夢ではなく草原に白い花が咲き乱れている。柔らかく温かな風が吹くと白い花弁が舞い上がり、日の光が反射してキラキラと輝く。まぶしくて目を細めた時、明羽あはねは遠くに人影を見た気がした。

明羽あはね。起きて。畑に行くんじゃなかったの?」

 明羽あはねは目を開いた。すっかり見慣れた天井が目に入る。

「おはよう。明羽あはね

「おはよう。氷呂ひろ

「どうしたの?」

「夢を見てた」

「夢?」

「すごく綺麗な夢だった。でも……」

 明羽あはねはその情景をうまく思い出すことができなかった。

「起こさないほうが良かった?」

 氷呂ひろが本気で後悔し始めそうな顔になったので明羽あはねあわてて起き上がった。

「そうだ! 私、畑に行かないといけないんだった!」

明羽あはね。また後でね」

「うん!」


 駆け足で畑に辿たどり着いた明羽あはねは収穫予定だった野菜を無事に収穫してにんまりと笑う。それを見た畑発案者の男性が手を止めてる。

「嬉しそうだね。明羽あはねちゃん」

「そりゃあね。これとこれが収穫できたらアレを作ろうって話になってたから。という訳で、私はちょっくら行ってきます!」

「いってらっしゃい。僕も頃合いを見て行くよ。広場でだったよね」

「うん!」

 明羽あはねかごいっぱいの野菜を手に畑から駆け出していく。向かう先は畑から少し行ったところ。近付く程に話し声が聞こえて来て明羽あはねは駆け込んだ。

「お待たせ! お!?」

 そこには明羽あはねが想定していたよりも大人数が集まっていた。

明羽あはね。こっち」

氷呂ひろ。なんか集まってるね」

「私達が想像してたよりずっとみんな楽しみにしてたみたい」

はねー!」

謝花じゃはな! 謝花じゃはなも来てたんだ」

「もちろんだよう。で? で? それ? それが例の?」

 明羽あはねの持っているかごの中を覗き込んで来る謝花じゃはなの瞳は期待にキラキラと輝いていて明羽あはねは苦笑する。

「そうだよ。これが、塩菜と砂糖菜です!」

 満を持して発表すると集まっていた村人達から歓声が上がった。

明羽あはねちゃん明羽あはねちゃん。さあ! それをこっちに! 他の準備は万端ばんたんなのよ!」

 調理担当の女達が明羽あはねからかごを受け取って作業台に移動する。と、その手元を覗き込んで来るギャラリーを物ともせず女達は作業を始めていく。役目を終えた明羽あはねはずっと気になっていたものに近付いた。

「これが……」

明羽あはねはまだ見てなかったっけ」

「うん。そうなんだ」

 明羽あはね氷呂ひろと並んでそれを覗き込んだり眺めたりした。それは石窯いしがまだった。建てられてまだ日の浅い、まだ試験的に数度使われただけの新しい石窯いしがま。畑から小麦が取れるようになったので「パンを焼きたい!」と村の女達に頼まれて棟梁とうりょうが造った石窯いしがまだった。

棟梁とうりょうって本当に器用だよね」

「そうだね」

「パン以外も焼けるかな?」

「うまく出来るといいね」

 氷呂ひろの言葉に明羽あはねはにんまりと笑った。

「楽しみだなあ」

「じゃ、私も手伝ってくるから」

 女達とすでにその中にいた謝花じゃはな氷呂ひろが交じっていく。どったんばったんと作業の進む光景を明羽あはねしばらく眺めていたが、まだまだ出来上がりには時間が掛かりそうだったので一足先に広場に向かう。


 自室で腕を曲げたり伸ばしたり、両の手を軽く握ったり開いたりする。

「よし」

 うなずいたしなのその足元にはほどかれた包帯ほうたいの山ができていた。その足で広場に行くと頭に白い耳、背中に揺れる白い尾、片方だけにじれた細い角、はたまた見た目には何の特徴も見られない子供達がまり程の大きさのボールで遊んでいた。そのボールが子供達の手をすり抜けてしなの足元にころがって来る。

しな兄ちゃん! なーげーてー」

「おう」

 しなは足元のボールに手を伸ばした。布を巻いただけの少し歪なボールに指先が触れる。握ろうとした瞬間、指先から腕にビリッとしびれが走ってしなは動けなくなった。

しな兄ちゃん?」

 顔を見合わせる子供達にしなは内心あせる。あせるが掴めないものは掴めない。いや、無理をすれば行けるかと、カッコ悪いところは見せたくないとしなが覚悟を決めた時、

「何やってるの。しな?」

「……明羽あはね

 標の目の前に明羽あはねが立っていた。しなが来た道とは違う道から広場に来た明羽あはねが首をかしげると髪に飾られた涙型の緑色の石が揺れて光った。

「どうし……」

 明羽あはねが改めて尋ねようとした時、足元にころがるボールが目に入る。何も考えずに拾い上げると背後から子供達の声が聞こえて明羽あはねは振り返った。

明羽あはねちゃーん。なげてー」

 子供達がこちらに手を振っているのが見えて明羽あはねは腕を振りかぶる。

「いよっ」

 明羽あはねの投げたボールは綺麗な放物線をえがき子供達の中に吸い込まれていった。歓声を上げて子供達がボールを取り合う。

明羽あはねちゃーん。ありがとー!」

 明羽あはねはぎこちなく手を振り返す。そんな明羽あはねかげに隠れながらしな自嘲気味じちょうぎみに笑った。

「助かった……」

「ところで、しいな包帯ほうたい取れたの?」

 黙り込んで目を泳がせるしな明羽あはねの目が座った。

しな?」

「おう……」

しな!!!」

 明羽あはねしなが飛び上がった。広場に突如とつじょ響いた声に見れば夏芽なつめが広場に入って来たところだった。その手にはヒラヒラとなびく包帯ほうたいの束がにぎられていた。

「やべ。片付けてくんの忘れてた」

「片付け……?」

しなああぁ!!!」

 あまりの剣幕で近付いてくる夏芽なつめ明羽あはねは思わず一歩二歩と後退あとずさる。またたく間に近付いて来た夏芽なつめしなの胸倉をつかみ上げた。

「誰が外していいって言った!? 言ってみろ!」

「ダ、ダレモイッテナイデス……」

「あら本当?」

 先程の剣幕が嘘のように夏芽なつめが恐ろしい程美しい顔で微笑ほほえむ。

「じゃあ、なんで解ほどいたのかしら? いい訳があるなら聞いてあげるけど?」

「……」

「完全に治るまで外さないって言ったでしょう! 今朝だって注意したっていうのに! アンタの耳は節穴ふしあなか!? 来なさい! 二度と自分で外せないように巻き直してあげるから!」

「そ、それはちょっと勘弁……ああぁぁ……」

 しなを引きりながら夏芽なつめが広場から去って行く。

「……今朝?」

 取り残された明羽あはねが首をかしげる。と、

明羽あはねちゃん。知らないの?」

「おぉっ?」

 いつの間にそこにいたのか子供達が明羽あはねを見上げていた。

「し、知らないって、何が?」

しな兄ちゃんと夏芽なつめ姉ちゃん一緒に暮らしてんの」

 衝撃の事実に明羽あはねの思考が止まる。

「聞いてない!」

 明羽あはねが声を上げるのとほぼ同じくして多くの村人が喧騒けんそうと共に広場へと入って来る。

「みんなー。おやつだよー。ここにいない人を呼んできて」

「おやつ!?」

 明羽あはねの側にいた子供達が一斉に振り返っていた。火に近付くと危ないので今日のことを教えられていなかった子供達は現れた大人達に駆け寄っていく。

「なんか甘い匂いするよ!」

「こらあ。ここにいない人を呼んで来てって言ったでしょう?」

 謝花じゃはなに怒られて子供達が広場から散っていく。怒られたがその顔は皆一様に明るかった。和気藹々わきあいあいとした雰囲気の中、明羽あはね謝花じゃはなと隣だって歩く氷呂ひろに駆け寄っていた。

氷呂ひろ! しな夏芽なつめさん一緒に暮らしてるんだって!」

「知らなかったの?」

「知ってたの!?」

 目を向ければ謝花じゃはなも当然知っていたようで、自分だけ知らなかった事実に明羽あはねは天をあおいだ。

「え? なに? どういうこと?」

「別に不思議な事なんてないでしょう。村ではみんなシェアハウスしてるんだから」

「それで納得しちゃっていいもんなのか……」

「何もないなんてことはないと思うよ! 私は!」

 謝花じゃはなの目が嬉々と輝く。

「あのふたりがくっついたらビッグカップルだよね!」

「どうだろうね?」

「ノーコメント!」

 明羽あはね氷呂ひろははぐらかした。

 そうこうしているうちに広場にぞくぞくと村人達が集まって来る。敷物を敷いてその上でくつろぎ始めるみんなに配られたのは、ひと口大の大きさに成形されてサクッと焼き上げられた焼き菓子だ。いくつか少し焦げが見えるのはご愛嬌あいきょう。まだ焼き上がったばかりの焼き菓子からは湯気ゆげと共に香ばしい香りが立ち上る。

「お、おいしそう……」

 想像以上のものが出て来て明羽あはねはゴクリとつばを飲み込んでいた。

「すごい、すごいね。食べていいかな?」

「どうぞどうぞ」

 氷呂ひろが言いながらお茶まで出してくれる。至れり尽くせりだった。明羽あはねが手に取った焼き菓子はとても軽い。小麦粉を練った生地に砂糖菜と少々の塩菜が混ぜ込まれている為その見た目はほんのり緑色。明羽はそれをパクッと口に含む。サクッと噛むとほろっとほどけて口の中いっぱいに甘い香りが広がった。

「お、おいしい!」

 あちらこちらからも感嘆の声が聞こえてくる。滅多にない甘味に村人達のテンションは高い。会話も弾むようで色々な声が聞こえくる。

「畑の収穫量が安定して来て調味料系の野菜も育て始めたとは聞いてたが」

「こんなものまで食べられるようになるとは思わなかったわあ」

「これから少しずつたくわえもできるようになる予定だよ」

「それはすごい!」

 聞こえてきた畑発案者の男性と村人達の会話に氷呂ひろがどこか楽しそうに明羽あはねを見た。

「そうなの?」

「うん!」

 明羽あはねは自慢げに自信に満ちた顔でうなずいた。

「おいしいものはみんなと一緒に」

「素晴らしい考えだわ」

「また機会を見てやりたいわねえ」

「やりましょうよ!」

 村の女集の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。

「初めて作った石窯いしがまで勝手が分からなかったが取り合えず形になって良かった。これからもっと研究して、改良していくつもりだ」

 棟梁とうりょうの意気込みも聞こえてくる。

 みんなが楽しそうで明羽あはねもまた上機嫌で焼き菓子の食感と味を堪能しながら氷呂ひろれてくれたお茶をすする。

「キャアアァ――――――――――!」

 突然の悲鳴に明羽あはねはお茶を吹き出していた。

「なにごと!?」

 口をぬぐいながら振り返る。小さな子がわんわんと泣いていた。その前では泣いている子より少し年上の子がふてくされた顔で立っていた。

「あら。大変」

 氷呂ひろ明羽あはねの吹き出したお茶が掛からないように持ち上げていた菓子皿を置いた。家族と一緒に過ごしていた謝花じゃはなと連れ立って子供達の元へ。

「どうしたの?」

「兄ちゃんがっ。兄ちゃんがボクのとったあああぁぁ!!」

「こうゆうのは早い者順なんだよ! 遅いお前が悪い!」

 どうやらお菓子をめぐって争っていたようだ。兄と呼んでいたがふたりの子供は見るからに種族が違う。泣いている方は白い尾を垂らし、もうひとりの頭には片方だけの角が生えている。けれど謝花じゃはなも言う。

「もう、お兄ちゃんなんだから。ゆずってあげなさい」

「兄ちゃんだから兄ちゃんだからって、なんで俺ばっかり我慢しなきゃいけないんだよう!」

 男の子まで泣き始めてしまう。先程までのなごやかな雰囲気はどこへやら。他の村人達も子供達の元へ集まるが子供達は泣き止む気配を一向に見せない。それどころか泣き声でも勝負しているかのように片方の声が大きくなればもう片方もさらに大きく泣き叫ぶ。

「ああ、もう。どうしよう……」

「どうにか他のものに気を反らせないか?」

「残ってる菓子を集めてみるかい?」

 聞こえてきた提案に声を掛け合って村人達は子供達の前に残っている菓子を集めてみる。

「ほら。残ってるのやるから。お前ら泣き止め」

「いらない!」

「あっ!」

 はじかれた菓子が石畳の上に散らばった。

「こら……」

「コラアアアアァァアァァァ――――――!!!」

 誰かが怒るよりも先に少し離れたところから様子をうかがっていた明羽あはねさけんでいた。

「食べ物を粗末そまつにするとはなにごとか! どんな理由があろうと食べ物を粗末そまつにしていい理由にはならないからなあ!! 生産者にあやまれ! というか私にあやまれ!」

 男の子は驚きのあまり口をパクパクさせることしかできない。周りにいるどの村人も同じような状態だったが。

あやまらんかい!」

 明羽あはねは翼を広げていた。左側にのみ生える四枚の翼。石畳を蹴って男の子の襟首えりくびつかむと明羽あはねは広場の上空へと飛び立つ。

「うっ……重い」

 やや正気に戻り掛けたがもう後戻りはできないので明羽あはねは行けるところまで行って空中で静止する。

「反省したか?」

「た、高い……」

「反省した!?」

「し、した! 反省した!」

「復唱! 二度と食べ物を粗末そまつにしたりしません!」

「に、二度と食べ物を……そ? そまつ? にしたりしません!!」

「よし!」

 確約させて明羽あはねは半泣きの男の子共々ゆっくりと降下を始める。

「兄ちゃん……。いいなあ」

 聞こえてきた声に明羽あはねが見れば先程までわんわん泣いていた子がキラキラした目でこちらを見上げていた。

「あはねちゃん! あはねちゃん! つぎボクも!」

「じゃあ、その次、ワタシい!」

「!?」

 わらわらと集まってくる子供達に明羽あはねは降りるのを躊躇ちゅうちょしてしまった。が、今持ち上げている男の子がもう限界なのでゆっくりと降下する。駆け寄って来る子供達に四方からぎゅうぎゅう押されて明羽あはねは助けを求めて氷呂ひろの姿を探す。見つけた氷呂ひろ謝花じゃはなと共に血のつながりのない兄弟に改めて言い含めているところだった。氷呂ひろ明羽あはねの視線に気付くと口パクで何か告げてくる。その口はこう言っていた。

『もう少し頑張って』

「……」

「あはねちゃん! あはねちゃん!」

「分かった、分かったからっ! ひとりずつね!」

 明羽あはねは代わる代わる子供達をかかえては上空へ。二、三人も持ち上げればもう背中の筋肉が感覚を失くし始めていた。毎日の畑仕事で、なんなら町にいた頃より体力がついていると思っていたが明羽あはねは飛ぶことに関していちじるしく体力がないことを自覚する。今までずっと飛ばない、飛べない生活をしていた。その為そもそも意識になかった。明羽あはねはじんわりとかいてきた汗に子供達のあつかいに慣れている氷呂ひろ謝花じゃはなはまだかと見れば、いつの間にかふたりの側には白い獣が。今までどこにいたのか、みんなが団らんしている間、村長も広場のどこかにはいた筈なのだが何にせよ。先程まで静観していた村長の言葉に真剣に耳を傾けている兄弟の姿が目に入る。何を話しているかはこちらからでは聞こえないし分からない。それでも、兄弟がお互いの手を握り合って村長の話をきいているのを見て、万事ばんじ丸く治まったことだけは明羽あはねにも分かった。そろそろか? まだか!? と明羽あはねがヒイヒイ言いながら再び上昇しようとした時、今更広場に入って来る人影があった。他の村人達も気付いて、広場はにわかにざわついた。子供達は静まり返る。広場に入って来たのはしな夏芽なつめだった。腕を組みふんぞり返るような夏芽なつめに対し、上半身が一回り大きく見える程に包帯ほうたいぐるぐる巻きのしな哀愁あいしゅうさえただよわせる。見るに見かねて明羽あはねが目を反らすと謝花じゃはなの姿が目に入る。謝花じゃはなは何故か微妙に嫌そうな顔をしていた。いつもの謝花じゃはなだったらあんな状態のしなを目にしたら心配を爆発させていただろうに、どうしたのだろうと明羽あはねは思う。お茶会がお開きになってから明羽あはね謝花じゃはなに聞いてみた。

しな兄様を引き合いに子供達に言い聞かせてるところだったんだ。しな兄様はひとめしたりしないし、分けへだてない。嘘もつかない。みんなで幸せになる方法をいつだって考えてる、と思うって。だからみんなに信頼されるし頼りにされてるって。だからあんなにカッコいいんだぞって。なのに……」

 確かにあの包帯ぐるぐる巻きの姿はどう見たって格好良くはなかった。謝花じゃはなの重いため息に明羽あはね氷呂ひろ謝花じゃはなの肩を叩いた。そして、それ以降、しな包帯ほうたいが取れるまで村の皆からあわれみの目で見られこととなった。

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