第1章(7)

「お、戻って来た」

「どう? いいの出来た?」

 明羽と氷呂が暖簾を潜ると標と夏芽が出迎える。カウンター席に座る標と夏芽はとてもリラックスした風だったがその反対側、カウンターの内側では店の若いのふたりが真剣な顔で何かを覗き込んでいた。何だろうと明羽が覗き込むとふたりが覆い被さるようにして見ていたのは標が持ってきて若旦那が査定途中の原石達だった。

「何やってんだ。お前達」

 若旦那が訝しげな声を上げる。

「若旦那の査定を手伝おうと思って」

「俺達も少しは分かるようになってきたし!」

「ほほう?」

 若旦那の目が座る。

「ところでお前ら、今日のノルマはどうした?」

「終わりやした!」

「自信あります!」

「見せてみろ」

 ふたりは同じような箱を取り出す。その中には磨かれた石といくつかの原石が並べられていた。若旦那に続いて店主が箱の中を覗き込む。

「どれどれ?」

「値段はいくらにした?」

 若いのふたりは元気よく答える。

「やり直しだ」

「やり直しじゃぞい」

 やり直しを告げられたふたりは分かりやすくショックを受けた顔になる。ふたりはすごすごと工場へ引っ込んでいった。若旦那が先程まで若いのふたりが立っていた場所に立った。

「悪かったな。未熟者の相手させちまって」

 夏芽が笑う。

「いいえ。結構面白かったわよ。まるで石に命があるみたいに話すの」

「石が光ってるように見える時があるとか言ってたな。そうゆう時はどんな形に削ればいいのか見えるんだって」

 標に同意するように夏芽は頷く。

「でも、本当にそう見えるのは偶にで今は全然見えないって唸ってたわね」

「ほう。ふたりともそう言ってたか?」

「いや。片方だけだな」

「もうひとりはそんなの見えたことないって言ってたわね」

「……そうか」

「でも、その子。この石の中ではそれが一番高いと思うって言ってたわよ」

「自信なさげなわりに譲らなかったよなあ」

 若旦那は夏芽と標が示した小さな石を見下ろした。

「そうか」

 標と夏芽は若旦那の顔を見て、その目利きが正しかったことを知る。

「もっと優しくしてやったらどうだ? 期待の新人なんだろ」

「いやいや。ここで優しくしたって意味ねえよ。偶にとか自信なさげに、じゃ商売にならねーだろ」

「まあ、そうよね」

 標と夏芽と若旦那が楽しそうに話しているのを明羽と氷呂は店の真ん中に置かれた丸テーブルに着いて聞いていた。

「標と夏芽さん、楽しそう」

「ね」

「私達だけで先に見せ合いっこしようか」

「そうだね」

「あ! 明羽ちゃん、氷呂ちゃん。ずるいわ。私にも見せて見せて」

 カウンター席を降りて夏芽が明羽と氷呂に突撃する。標もそれに続いた。

「金具の不具合とかあったら言うてくれ。すぐに直すぞい」

 誰もいなくなったカウンター席に店主が腰を下ろした。

 ひっくり返されたふたつの布袋からそれぞれにコロンと飾りが転がり出る。明羽の布袋からは、涙型の青色の石がそれぞれ細い鎖の先に揺れる対の手首飾り。氷呂の布袋からは、涙型の緑色の石が金色の鎖数本と一緒に揺れる仕様の髪飾り。机の上に置かれた石に光が透過してできた緑と青の影が浮かぶ。

「石の形が一緒だな」

「揃えたの?」

 標と夏芽の言葉に明羽と氷呂はお互いに石を見つめて目を瞬いた。決してそうしようと話し合った訳でもなければ自分達が石を削っている間は隣を見ることもなかった。明羽と氷呂は声もなく笑う。可笑しくて笑う。

「え? なあに?」

「どうした? ふたりとも」

 明羽は髪飾りごと緑色の石を持ち上げて掲げる。丁度日が傾いてきていて店内に太陽の光が差し込んできていた。差し込む太陽の光が石の中で集まり炎のようにゆらりと揺らめく。氷呂もまた青色の石のひとつを摘まむと目の前に持ち上げた。赤く染まり始めた空に月が浮いていて、その月の光が石の中できらきらチラチラと火花のように散った。

「綺麗……」

「その手首飾りね。片手でも簡単に付けられるようにおじーちゃんと相談しながら加工してもらったんだ」

「へえ」

 明羽の言葉を受けた氷呂はその場でそれを実践する。氷呂の手首で青い石が揺れる。

「うん。すごく付けやすい」

 最初の一度だけでも氷呂の手首に自らの手でその手首飾りを飾りたいと思っていた明羽は自分の失言に目頭を押さえずにはいられなかった。気を取り直して明羽は氷呂が手首飾りのもうひとつを巻いている間に緑色の石の付いた髪飾りを自身の髪に挿してみようと試みる。うまくいかなくて今一度髪飾りを観察して再度試みる。明羽は首を傾げた。

「明羽。貸して」

 手首飾りを巻き終えた氷呂が笑顔で明羽に向かって手を差し伸べた。明羽は諦めて髪飾りをそっと氷呂に差し出す。氷呂は明羽の左耳の後ろにある結び目に髪飾りを挿し込んだ。氷呂の手が離れると明羽の耳元で金の飾りと緑色の石が揺れる。

「うんうん。似合うわ。ふたりとも」

「イメージぴったりだな」

「華やかさがプラスされて可愛さ倍増ね!」

「うん。かわいいかわいい」

 標と夏芽にべた褒めされて明羽と氷呂はやや畏まった。それでも嬉しかった明羽は顔を上げて笑う。一切影のない明羽の笑顔に標は連れてきて良かったと満足する。

「よし。標。査定終わったぞ」

「早かったな」

「超特急で終わらせた。今回はこんなもんだな。持ってけ」

 そう言って若旦那がカウンターの上に置いたのはドシッという効果音が似合いそうな袋だ。

「多くないか?」

「いや。妥当だろう」

 そう言ったのはカウンター席に座る店主だ。

「燃料石はいつもとまあ、変わらんが」

「原石類には珍しいのがいくつか交ざってた。それに」

「お嬢ちゃん達にモニターしてもらって問題点もいくつか見えて来た。これからやってくのにのに生かさせてもらうぞい」

「そうか。まあ、なんだ。くれるっていうのを返すのもな」

「そうそう」

「その通りだぞい」

「ありがとう。助かる」

 標が礼を言った時、工場からバタバタという足音が聞こえてきたかと思うと奥へ引っ込んだ筈の若いのふたりが暖簾を跳ね上げた。

「じー様! 若旦那! 大変だ」

「なんだ。騒がしいぞ」

「狩人が来てるらしい」

「狩人お?」

 店主が訝し気な顔になる。

「このオアシスに? 何しに? こんなところに亜種がいる訳ないだろうに」

 明羽と氷呂は無意識に標と夏芽の顔を窺っていた。標と夏芽は狩人という単語に何ひとつ変わった反応を見せない。話題が変わって丁度切りがいいと言わんばかりに立ち上がる。

「さて、用事も済んだし帰るか」

「ええ。そうね。長々とお邪魔するのも迷惑だわ。さ、明羽ちゃんと氷呂ちゃんも」

「ぅ、うん」

「はい」

「ええ? 今から帰るのか?」

「もう暗くなるぜ? 泊まってけよー」

 若いのふたりは名残惜しそうに標を引き止めるがそんなふたりに対し、標は手をヒラヒラと振る。

「そういう訳にもいかねんだわ。また来る。じゃあな」

 明羽と氷呂も店主と若旦那にお礼を言って、四人が店を出ると空は真っ赤に燃えていた。建物も行き交う人も赤く染まり、空気さえも赤く染まる。

「またおいで」

 と言ってくれた店主に少し先を歩いていた明羽は大きく手を振った。


   +++


 オアシスの中にある一軒の大衆食堂の中。人々がザワザワと思い思いにくつろいでいる店内でドンッと無粋な音が響く。広い店内の極中央に位置する丸テーブルにふたりの男が座っていた。ひとりは、体格はいいが幸の薄そうな顔の男。もうひとりは前者の男よりずっと若く、小柄な男。前者の男はテーブルに突っ伏し、空になった盃をドンドンとテーブルに叩きつける。

「畜生! 組合の奴ら。この俺を法螺吹き呼ばわりしやがって。片羽四枚の天使は本当にいたんだ! なぁ! ルイン!」

「ああ! 酷ぇよな! 俺だってグリフの兄貴と一緒に見たのにさ」

 ふたりの周りには避けるように人がいない。若く小柄な男ルインは兄貴と呼んだ男の盃になみなみと新しい酒を注ぐ。うな垂れていた男グリフことグリフィスは表面張力の働くたっぷりと満たされた盃の中身を一息で飲み干した。ふたりの男は腰に楕円形の黒い標章をぶら下げていた。その商標はこのふたりが狩人であることを明示する。

「畜生。鳥まで取り上げられて、格が下がっちまった。俺は嘘なんか言ってねえ。あれからどれだけ経ってようが言い続けてやる。畜生……あの嵐さえなけりゃ。とっ捕まえて、今頃俺は自他共に認める最高位の狩人に……」

 ルインは小さくため息をつく。正直、愚痴ばかり聞かされてルインは飽き飽きしていた。グリフィスの言葉を適当に聞き流しながら店の外に目を向けたルインはそこに見えたものに目を見張る。もうじき世界は人間には堪えがたい程の寒さに包まれる。店の外は早足に歩く人が行き交う中、他と同じように足早に歩く四人組がいた。目立つ四人組だった。黒い服に身を包んだ背の高い男。通り過ぎる度に男も女も関係なく振り返る色白の美しい女。そして、ふたりの少女。見た目はどちらも十代半ば、ひとりは青く長い髪の驚くほど整った顔立ちの美少女で、もうひとりは緑がかった黒髪を左耳の後ろでひとつに束ねた少女。ルインがこのふたりの少女の顔を忘れる訳がなかった。ルインは向かいで机に突っ伏するグリフィスに目を向ける。

「さすが……」

 グリフィスはルインの小さな呟きを聞いたのか聞こえなかったのか、ただタイミング良く顔を上げる。

「兄貴! ほら、あそこ!」

 ルインが指差した先をグリフィスは見る。店の外、そこを歩く者の姿が視界に入った時、グリフィスは自分の目を疑わずにはいられなかった。目をこすり、今一度見る。グリフィスの目に映った者達はふたりに気付く様子もなく店の前を通り過ぎて行った。

「い、い、い、今……」

「そうだよ、グリフの兄貴! 片羽四枚の天使だよ! 純血の聖獣ちゃんも一緒だったぜ!」

「生きてた……。生きてたんだ、あの嵐の中……」

「さすが亜種!」

「ああ! こうしちゃいられねえ。行くぞ! ルイン!」

「応!」

 机の上に無造作に置いていた銃を持ち、グリフィスは駆け出す。店を出ようとするグリフィスとルインに気付いて店員のひとりが声を荒げた。

「ちょっと! お勘定っ!」

「うるせぇ! 俺を誰だと思ってる!!」

 銃持ちの狩人グリフィスは振り返ることなく店を駆け出て行った。店員は暫し立ち尽くしていたが拳をぶるぶると震える程握り締めた後、堪えきれなくなって持っていた盆を思い切り床に叩きつける。

「くっそ狩人が!」

 お客達がギョッとする中、他の店員達が慌ててその店員を押さえ込む。店員は我慢ならんと言いたげにまだ何か叫ぼうとするがその口を他の店員達が塞ぐ。押さえる店員のひとりがシィッと自らの口の前に人差し指を立てた。


   +++


 場所は白髭のじー様の店に戻る。

 白髭の店主と黒髭の若旦那と若い従業員ふたりが店仕舞いの準備を始めていた。

「あーあ。標、帰っちまったな。もう日が暮れるのに」

「宿とって泊まればいいのにな。金掛かるの嫌なら泊めるのに」

 若いのふたりは手を動かしながら器用に口を動かす。

「夜の砂漠に野宿すんのかな? 信じられねぇ」

「つか、標ってどこに住んでんだ?」

「南の町じゃねぇの? 南から来てんだろ? 近場に住んでる感じじゃないし」

「妙な詮索はせんでいい」

 若いのふたりが振り返ると店主がふたりの側に立っていた。

「上客に変わりはないんだからな。お前達、もう帰っていいぞ」

「へーい」

「でも、気になるよな」

「今度来た時、根掘り葉掘り聞いてみようぜ!」

 帰り支度をしながら楽しそうにそんな相談をするふたりの側にはいつの間にやら若旦那が立っていた。ニッコリ笑う若旦那が持っている物に気付いたふたりは見る見るうちに顔を青くする。若旦那はふたつの箱を抱えていた。ぎっしりと形も色も様々な石が詰められた箱。

「これ、宿題な。明日までに正しく査定して来い」

 明日までと言われてふたりは二の句が継げない。その手に若旦那は有無を言わせず一箱ずつ抱えさせた。ずっしりと重い箱を抱えたふたりはさっきまで話していた事柄もすっかり忘れてふらふらと店を後にした。


   +++


 通りは家へ帰る為か宿に向かう為か、オアシスの中へ中へと向かう人々でごった返す。ふとした瞬間、みんなと逸れそうになった明羽は慌てて手を伸ばす。気付いた氷呂がその手を掴む。

「氷呂」

「離れないで。明羽」

「うん」

 明羽が氷呂の側に落ち着くと標がその後ろに立ち、夏芽が先頭を歩く。暫く四人は黙って歩いた。人の波が少し弱まった頃。

「なんだかこのオアシス、石関係を扱っているお店が多い気がします」

「あら。良く気付いたわね。氷呂ちゃん。そうよ。ここは石のオアシスなの。前に話したわよね。オアシスにはそれぞれ特色があって」

「その話はまた後でな」

 標に遮られて夏芽は少し不満そうだったが異論は唱えない。

「顔を知られていない限り見つかる可能性は低いと思うが、警戒するに超したことはないからな。のんびりはしてられないぞ」

 駐車場には歩くのに困らない程度に篝火が焚かれていた。オアシスの中に比べて人の気配のない駐車場から明羽達はすぐに出発する。砂漠に走り出した車の中から明羽は遠い東の空に星が煌めき始めるのを見る。

「村には明日着くとして、来る時に寄ったオアシスのどこかでまた一泊するぞ」

「はーい」

「はい」

 どこかホッとしたような明羽と氷呂の返事に少し笑ってから標は西に浮かぶ赤い太陽に目を細める。

「眩しい……」

「ここまで来れば大丈夫かしらね」

 助手席に座る夏芽が短パンに押し込んでいた尻尾を引っ張り出した。白い尾が自由を得てひらひらと揺れる。後部座席が空いたことで今、助手席には夏芽、後部座席に明羽と氷呂が座っていた。標がハンドルから片手を離し、その手でもう一方の腕を摩った。

「気温が下がって来たな。一回どっかで停車して幌を張りたいが」

 標の悩んでいる声に遠くから地響きのようなドドッという音が混ざった気がして夏芽は車の後方を振り返る。後方は車が進む程に巻き上がる砂で何も見えない。それでも夏芽はジッと背後を睨み続けた。

「夏芽さん。今、何か……」

 氷呂も後ろを振り向いたことで明羽は何かが起こっていることに気付く。氷呂と夏芽の目線を追って明羽も振り返るが見えるのは巻き上がる砂ばかりだった。

「標。九十度進行方向を変えて」

「へ? 何?」

「いいから! 早く!」

 標は慌てることなく夏芽の言う通り車の進行方向を九十度変える。

夏芽は目を凝らす。地平線に乗っかるように見えるオアシスの影の側に黒い点がふたつあった。驚くことにその黒い点は徐々に明羽達の乗る車に近付いて来ていた。

「狩人だわ。どうしてバレたのかしら」

 明羽、氷呂、夏芽が見ている間に狩人はどんどん距離を詰める。距離が縮んだことで動物の背に乗る狩人の顔が見える。明羽と氷呂にとってその顔は忘れられる筈のない顔だった。

「あの狩人だ」

「ん? 明羽ちゃん?」

「南の町で私達を捕まえようとしてきた狩人です」

「氷呂ちゃん。それって……」

「オアシスに来てた狩人って、あいつらだったんだ」

「あいつらは私達の顔を知っています。きっと、それで」

 明羽と氷呂は狩人が車に追い付いて来た時のことを想像してゾッとする。

「そうだったの。よりによってね。運がいいのか間が悪いのか。でも、大丈夫よ。あの狩人は空を飛ぶ動物に乗ってないから」

 至って落ち着いている夏芽に、どういうことだろうと明羽と氷呂は揃って夏芽を振り返る。

「この車はいろいろ改造してあるのよ。地を走る動物が追い付けないくらいのスピードは出るようになってるの。標、スピード上げて。少し遠回りしてでも狩人を撒いてから帰りましょう」


 長い毛が全身を覆い、垂れた長い耳の後ろに太く短い角が生えている。四つ足の動物は長い毛を振り乱し、息を上げながら砂漠の上を走っていた。その背に跨っているのは銃を持った狩人。前を走っていた車が急に方向転換をしたと思ったら、今度はスピードを上げるのを見て、グリフィスは舌打ちする。

「ちっ。スピード上げやがった」

 遠ざかっていく車に悪態を吐く。

「くそっ! またこれか! あの車改造してやがる。この『馬』じゃ追いつけねぇ!」

 余談だが狩人は移動手段に使っている動物を二種に分けて呼ぶ。空を飛ぶものを『鳥』、地を駆けるものは『馬』と。

「組合の奴等を見返せると思ったのによっ。くそっ、くそっ」

 グリフィスが既に諦めモードに入る中、似たような動物だが毛の短い種に跨っていたルインは呟く。

「『鳥』じゃないと追い付けないか」

 背後から突然響いた高い笛の音に前を走っていたグリフィスは驚いて振り返る。バサリとどこから現れたのか人より遥かに大きな鳥が頭上を飛んでいた。

「は?」

 グリフィスは間の抜けた声を上げた。頭上すれすれまで降りて来た鳥にルインは四つ足の動物の背に器用に立ち上がると易々と鳥に乗り移る。

「はえ……?」

 バサリと翼が空気を打つ。その光景をグリフィスはただただ見上げることしかできない。

「悪いね、グリフ。あの天使と聖獣は俺が貰うよ」

 グリフィスは豹変した相棒の態度に頭が追い付かない。

「お前……どうして……鳥に乗ってる?」

「俺には実績があるから」

「……は?」

「俺、今年で二十一だけど、狩人暦は十年近いんだよね」

「…………は?」

 ルインは大仰に両手を広げる。

「兄貴は本当にすごいよ。そもそも持ってる運の質が他人と違う。組合で初めて見かけた時は驚いたよ。こんな人間いるのかって」

 その言葉に嘘はないようにグリフィスには見えた。

「でもさ。あんた、技術がないんだよ。折角レアな亜種に相見えたとしても、それを狩るだけの技術がない。宝の持ち腐れって言うんだよ、そういうの。ああ、勿体無いっ。勿体無い! だったら俺が使ってやろうって思ったんだ」

 無邪気な笑顔を向けられてもグリフィスは口を開けたままルインを見上げることしかできない。何度か口を開閉して唾をごくりと飲み込んでやっと出た声はみっともなく掠れていた。

「なんで……。だって、お前。初めて会った時、新人だからって俺に付いてきて……」

「あはは。何言ってんの? 狩人はそもそも基本、単独行動だろう? どいつもこいつも利己的で、同じ狩人だからって協力できる訳がない。近付くのは利用する為だけだよ。年下だからって油断して、たかだか三年ぽっちの経歴しかないくせに」

 ルインは首を横に振った。

「兄貴。お別れだ! 目の前にはかつてないレア度MAXどころか振り切れてる大物! あんたはもう用済みだ!」

 翼を羽撃かせてルインは鳥の高度を上げて行く。四肢で砂を蹴る動物と翼で風を捕まえる鳥との距離が次第に、確実に、開いていく。

「ま、待てっ! 俺の獲物だぞ!」

 かつて兄貴と呼ばれていた狩人グリフィスは自分の乗る動物の足を速めようとするがそのスピードは一向に上がらない。

「くそ! くそっ! なんでだよ!」

 グリフィスは涙目になっていた。バカにされた悔しさと苦楽を共にしてきた筈の相棒に裏切られた空しさとから溢れてきたものだった。


 少し時間は遡る。ずっと後方の様子を見ていた夏芽が異変に気付く。

「何?」

 甲高い笛の音が聞こえたと思ったら、上空から翼を持つ動物が一羽降りてきた。

「嘘でしょう……」

 徐々に開いていた距離が再び縮まってくる。

「まずいな」

 標はそれをサイドミラーで確認した。

「どうしましょう」

「いざとなったら明羽と氷呂だけでも逃がすか」

 その呟きを聞いた時、明羽と氷呂の脳裏が真っ白になった。

「何、言ってんの? 標!?」

「そんな事、私達しませんよ!」

 標はふたりの言い分を聞いた上でそれを聞き流す。

「夏芽。お前の足じゃ、逃げ切れないよな」

「ええ。無理」

 きっぱりと夏芽は答える。そして、付け加える。

「でも、氷呂ちゃんなら逃げ切れるでしょうね」

 その呟きに氷呂は目を丸くして首を大きく横に振った。あまりに必死に振るので夏芽は笑ってしまう。

「氷呂ちゃん。聖獣の足はとても速いのよ。今まで本気で走った事がないのね。知らないだけよ。きっと、自分でびっくりするわ」

 夏芽の言葉に氷呂は何とも言えない顔をしていたが明羽は納得できた。氷呂は走っても走っても息を切らすことがない。きっと、そういう事なのだろうと。

「天使はどれぐらいの速さで飛べるんだろうな?」

「どうかしらね」

 夏芽が明羽の顔をジッと見る。

「片翼だしねえ……」

「明羽は南の町を出る時、狩人を振り切る勢いで飛んでました」

「え!?」

 氷呂の言葉に何故か明羽が勢い良く氷呂に顔を向けていた。

「そっか。明羽。あの時、必死で飛んでたから」

「それ、鳥に乗った狩人?」

 夏芽に聞かれて明羽と氷呂は頷いた。

「あら、すごいじゃない。なら、いざという時は大丈夫ね」

 明羽と氷呂は笑顔の夏芽を見て不安に駆られる。まさか本当に標と夏芽は自分達だけを逃がすつもりなんだろうかと。標は背後の会話を聞きながらサイドミラーの奥で針を刺すように何かが光るのを見て咄嗟に叫ぶ。

「伏せろ!」

 標が勢いよくハンドルを切ったことで助手席に膝立ちをして後部座席に体を向けていた夏芽はバランスを崩した。けれど、ドアの縁を掴むことで何とか夏芽が堪え凌いだ次の瞬間、砂漠が爆発した。

「ななな、何!?」

 宙に吹き飛ばされた砂がバラバラと地に落ちる光景が後方に遠ざかって行くのを明羽は見る。標が再びハンドルを切った。遠心力に勝てず、明羽は隣の氷呂に倒れ込む。

「ごめん。氷呂」

「大丈夫」

 幾度と砂漠は爆発を繰り返し、砂が巻き上がった。


 鳥に跨るルインは足のみで器用にバランスを取り、両腕で大振りのボーガンを構えていた。

「どれ、もう一発」

 そう言うと鳥に括り付けられていたたくさんの筒の中から、矢の先に爆薬が付けられた太めの一本を取り出す。砂漠の上で蛇行運転を繰り返す黒い車の側に再度狙いを定める。


 標がすぐ側で噴水の様に噴きあがる砂に舌打ちする。

「野郎、当てる気は無いな。こっちのスピードを落とすのが目的か」

 標がハンドルをもう一度激しく切った時、ふっと車全体に影が落ちる。それは一瞬の出来事だった。

「う、わっ!」

「明羽!」

 明羽は上へ引き上げられるような突然の感覚に目を瞑っていた。氷呂の切羽詰った叫びが下方に聞こえ、奇妙な浮遊感に明羽は混乱する。恐る恐る目を開けると半分群青色濃く、半分真っ赤に染まった空が見えた。何らかの力によって宙に放り出されたのだと分かった時、明羽は肩甲骨に力を入れていた。

「ダメよ! 明羽ちゃん!」

 強い力に体全体が持っていかれ、翼の付け根に激しい痛みが走り、背中の肉が引きつる感覚に明羽の口から呻き声が漏れた。バサリという自分のものとは違う羽音に明羽は首を捻ってその正体を見る。

「わざわざ掴みやすくしてくれて、ありがとう」

 明羽の翼を人より大きな鳥の太い足が掴んでいた。その上で若い狩人が楽しそうに笑う。


 標は急ブレーキを踏み、激しくハンドルを叩く。

「くそっ!」

 止まった車から狩人がどんどんと遠ざかって行く。

「追いかけ……」

 夏芽が言葉を発するのとガチャリとドアが開く音がしたのは同時だった。氷呂が砂を踏み締め走り出す。それを見た夏芽の顔から血の気が引いていく。

「ちょ、ちょっと……。氷呂ちゃん! 標、早く追いかけて!」

「分かってる!」

 標はアクセルを踏み込んだ。


「さて、本当は聖獣ちゃんも欲しかったんだけど。天使は捕まえたから。まぁ、良しとするか」

 明羽は頭上から降ってくるルインの声を聞きながら拘束から逃れようと手足をバタバタしたり翼を動かそうとするが鳥の太い足は明羽の翼をがっちりと掴んでびくともしない。明羽は暴れるのに疲れて手足から力を抜いた。文字通り、宙ぶらりんの状態になる。

「明羽っ」

 真下から聞こえてきた切羽詰まった声に明羽は目を丸くした。宙ぶらりんの明羽の真下を氷呂が走っていた。明羽は自分の見ているものが信じられない。

「氷呂……。来ちゃだめだ」

「あれ? 聖獣ちゃん追いかけて来てるじゃないか。いいね。さすが純血の聖獣。その足の強さと速さには感服するよ。このまま聖獣ちゃんにも付いて来てもらおう」

 ルインの笑い声に明羽は必死に脳をフル回転させる。どうやったら氷呂に追いかけるのをやめさせられるだろうかと。


 車で明羽と氷呂を追いかける標と夏芽は無情にも狩人から距離が開いていく現実に嫌でも向き合わされる。

「……ダメだ。追いつけねぇ」

「標! 運転変わって!」

「はあ!? お前が運転したって変わんないぞ」

「分かってるわよ! あんたはあの鳥、撃ち落として!」

 ヒステリックに叫ぶ夏芽に標は信じられないものを見る目を向ける。

「正気か!?」

「こんな時に冗談なんて言わないわよ!」

 そう夏芽は言うが標は夏芽が正常な判断ができているとは思えなかった。

「明羽がくっついてるんだぞ?」

「何よ、その目は。分かってるわよ。無茶なことを言ってることぐらい。でも、隙ができるかもしれない。だから、構えるぐらいしなさいよ!」

 ふたりは暫しお互いの目の色を見つめ合う。

「分かった」

 標と夏芽は車のスピードを落とさないようにしながらお互いの場所を入れ替えた。

「はぁ。大分遠いな」

 前方に点の様に飛ぶ鳥との距離を見て標はため息をつく。

「こりゃ。かなり圧縮しないと届かないぞ」

「できないの?」

「やりますよ」

 標は深く息を吐き出し、吐き出し切ってから今度はゆっくりと息を吸い込む。靴を脱いで座席の上に立ち、両腕をまっすぐ前へ突き出す。指の間から狩人の乗る鳥を見据える。いつの間にか標の頭には捩れた細い二本の角が生えていた。


 明羽は眼下を走る氷呂に向かって叫ぶ。

「氷呂! 来ちゃダメだ!」

「イヤだ! 追いかけて欲しくなかったら早く降りてきて!」

「そんな……。できたらやってるよ……」

 明羽は氷呂の無茶振りに悩むも、走りながら明羽を見上げる氷呂の瞳は真剣そのものだった。明羽はその瞳をじっと見つめて頷く。

「がんばる」

 明羽は鳥の足に手が届かないかと試みるが変な風に自分の翼が捩れ、痛みを伴ったので断念する。明羽が変な動きをしたのを感じたルインが明羽を見下ろす。そこで初めて明羽の髪に緑色の石が飾られていることに気付く。

「あれ? そんな髪飾り付けてたっけ? 付けてなかったよね。でも、うん、悪くない。女の子は飾り付けると値段が跳ね上がるから」

 ルインの言葉に明羽はカチンときた。腹の底から湧き上がってくるとても熱いものに突き動かされるように明羽は叫ぶ。

「これは、そんなものの為に付けてるんじゃない!」

 突風が吹いた。ルインが跨る鳥の横腹を殴り付けるように強く吹く。バランスを崩した鳥は態勢を立て直す為に幾度も翼を羽撃かせた。ルインが手綱を引き主導権を取り戻すと明羽を拘束していた鳥の足から力が抜けた。明羽はゆっくりと下降し始める。


「今!」

 夏芽が叫ぶと標は伸ばした腕の先に集中する。真っ黒いものが四方へ噴き出したかと思うと一瞬で収縮する。軽く握り込める大きさになった黒い球体が狩人へ向かって目にも止まらぬ速さで撃ち出された。撃ち出された一瞬だけ標と夏芽の周りから音が消える。


 ルインは言い知れぬ圧力を感じて振り返る。

「なっ……」

 ルインが肩越しに黒い球体を見た瞬間に明羽と氷呂の前からルインは消えていた。確かに今の今までそこにいた筈なのに忽然と姿を消した狩人に明羽は宙に静止したままポカンと狩人がいた筈の場所を見つめる。明羽は瞬きを繰り返し今見た筈の事柄を頭の中で振り返る。黒い球体が狩人に触れた瞬間、闇が狩人を呑み込んだ。狩人を呑み込むと役目は果たしたと言わんばかりに闇も共に消えたのだ。

「い……たた」

 氷呂が両耳を押さえて眉間に皺を寄せているのを見て明羽は慌てて側に着地する。

「氷呂。大丈夫?」

「うん、大丈夫」

 氷呂の眉間から皺が消え、明羽がホッと胸を撫で下ろすと左背にのみ生える四枚の翼が霧散して消えた。


「大丈夫か?」

 そう標に聞かれて夏芽は目を開けた。両耳から手を放す。

「ええ。大丈夫」

 標が助手席からハンドルに手を添えていた。驚く事に夏芽はハンドルから両手を離しているというのにアクセルは踏みっぱなしだった。その現状に標はやや恐怖を感じたが感心もする。夏芽はそれだけ明羽と氷呂を案じている。

「大丈夫よ。明羽ちゃんと氷呂ちゃんを迎えに行きましょう」

 夏芽がハンドルを握ったのを確かめて標は添えていた手を離した。


 明羽と氷呂は群青色の占める割合が多くなった空を見上げる。

「何が起こったんだと思う?」

「分からない」

 太陽は地平線に半分姿を隠していた。エンジン音が近付いてきて明羽と氷呂は音のする方へ顔を向ける。ふたりの目の前に停車したのは年季の入った一台の黒い車。

「お待たせ。明羽ちゃん、氷呂ちゃん」

 夏芽の顔を見て明羽と氷呂ホッとする。助手席では標が座席に身を沈め、ぐったりとしていた。

「角だ!」

「本当だ」

 明羽が大きい声を出し、氷呂も目を瞬く。

「ああ、うん」

 標がそう言うとその頭に生えていた二本の角がふっと掻き消える。

「すごい……」

「ということは、さっきのは標さんがやったんですか?」

「察しがいいわね。その通りよ。さ、ふたり共乗って乗って。さっさとここから離れましょう」

 明羽と氷呂が乗り込んだのを確認し、夏芽は車を発進させようとする。

「なんだ、今のは!?」

 荒っぽい声に四人が声のした方に顔を向けると毛の長い四つ足の動物に跨った狩人だった。グリフィスは肩で息をし、だくだくと汗をかく。髪が額に張り付いたその見た目はみすぼらしい。動物もぐったりとしていて首を垂れ、口でゼエゼエと息をしていた。

「そういえば、珍しくふたり組みの狩人だったわね」

 夏芽が何事もなかったかの様に呟く。

「何をしたんだ、テメエら! 消えたぞ、あいつ!」

「……うるせえな」

 酷く不機嫌な声だった。全員の視線が向けられた先で標がのそっと体を起こす。

「俺があいつを闇に落とした」

「や、闇……?」

「ああ、闇だ。その先にあるものが生か死か。自分の目で確かめに行ってみるか? 今すぐ同じ場所に落としてやるよ」

 標が手をゆっくり上げるとグリフィスは動物の手綱を引っ張り一歩二歩と後ずさった。

「お、覚えてろよ!」

 そんなありきたりな捨て台詞を吐いてグリフィスは動物を方向転換させる。動物はノシッノシッと重そうに歩き出す。

「走れ!」

 グリフィスが命令してやっと動物はゆっくりと走り出した。走り出すが足元はおぼつかず。とても最高速には達していない。狩人が遠退いて行くのを見ながら夏芽はアクセルを踏み込んだ。狩人が去ったのとは逆の方へ走り出す。夏芽は隣を見ずにため息をつく。

「もう、体力残ってないでしょうに」

「……腕が痛え」

「でしょうね!」

 暗闇に沈もうとする砂漠に夏芽はライトのスイッチを入れる。腕を抱え標は再び助手席に埋没する。明羽は助手席を覗き込み埋没する標に何か言おうとして、今聞くべきことか悩んで口を閉ざす。

「どうした?」

 標の声は狩人に向けられたものとは打って変わって優しかった。

「えっと。標は結局、何の種族なの?」

「あら!? まだ、言ってなかったかしら?」

 夏芽が頓狂な声を上げた。

「標はね、悪魔よ。しかも、数少ない純血の」

「悪魔! へえ」

「じゃあ、あの角が」

 氷呂も興味があるのか前のめり気味になる。

「そうね。悪魔の特徴と言えるわね。それから、存在する物なんでも呑み込んじゃう闇の塊みたいなものを作り出せるんだけど。空気も吸収しちゃうから一瞬音も聞こえなくなっちゃうのよね。音が急に消えると耳の奥が痛んじゃってねー」

 明羽は狩人が姿を消した時、氷呂が耳を押さえていたのを思い出す。夏芽が色々説明してくれていたがその間、標はただただ助手席に黙って埋まっていた。

「闇に落としたって言ってたけど……。殺しちゃったの?」

 もう身体を動かす気力もないのか標は瞳だけを明羽に向けた。

「いや、死んではいない筈だ。どこに行ったかは分かんねえんだけどな」

「分かんないの? だって、さっき……」

「そう。分からないんだ。さっきのは脅し。はったりだ。だが、生きてはいる筈。昔、俺がまだ力加減できなかった頃。うっかり知り合いを落としちまったことがあったんだが」

「え」

「俺が二週間探し回っても見つけられなくて。絶望し掛けて呆然としているところにその人は帰ってきた。ボロボロになってな」

「良かったね!」

 明羽が声を明るくしたのに反して標の声は低くなる。

「良かったと、言えるのか……。その後すっげぇ怒られたんだ。血走った目で『闇を見たぞ……』とか重低音で言われてみろ。普段口数少なくて威厳という言葉の塊みたいな人が本気で怒ってた。縮み上がったぜ」

 その時の事を思い出したのか標が身体を震わせた。どれ程その人が恐ろしいかを標は語って聞かせたがその言葉の端々に信頼と尊敬が見え隠れするので明羽は思わず笑ってしまう。

「……明羽。なんで笑う」

「うん。ごめん」

「たく。お前、知らねぇから……」

 標はブツブツまだ何か言っていたが明羽は静かに後部座席に戻る。氷呂も明羽の隣に戻って来てその手を握った。明羽はその手を握り返すと気が抜けたのか大きな欠伸が出た。

「さ。後はもう帰るだけよー」

「うん」

 夏芽の声に明羽は眠気に半分負けながら答えた。気温が急速に下がってきていた。ひんやりとした風が吹き抜ける。空には既に多くの星が瞬いていた。

                                  了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る