第1章・緑色の瞳の少女と青色の瞳の少女(3)

 明羽あはねは嫌に重い目蓋をゆっくりと開く。一瞬視界がぼやけたがすぐに焦点しょうてんは合った。見慣れない天井に何度かまばたきを繰り返す。

「?」

「あら。目が覚めたわね。よかった」

 明羽あはねは声が聞こえた方へ首をめぐらせると、綺麗な二重ふたえ縁取ふちどられた透明感の強い薄青色の瞳と目が合った。

 明羽はハッとして身体を起こそうとする。が、

「うぐっ!」

 左の肩甲骨けんこうこつ辺りから左腕にしびれが走る。

「う……うぅ……」

「ああ。ほら。急に動いちゃダメよ。まだ完全にふさがってないんだから」

「誰!?」

 警戒心丸出しの明羽あはねの目の前でパチンと両手が打ち鳴らされる。

「ちょっとー。確かに私は何もできなかったけど。そんな態度取らなくたっていいじゃない」

「? ? ?」

 混乱する明羽あはねに女性は構わず笑う。

「先に自己紹介させてちょうだいな。私は夏芽なつめ。この村で唯一ゆいいつの医者よ。よろしくね。明羽あはねちゃん」

「な、何が……。私……私、確か狩人に見つかって、追われて……。……氷呂ひろ。そうだ。氷呂ひろは!? !!!?!???」

「ああ、もう、ほら。急に動くから」

 夏芽なつめがため息をつく。

「あなたはね。村の外、まあ、村からは大分離れてたみたいだけど。行き倒れていたところをしな、ウチの村の者がたまたま見つけて連れて帰って来たの。あの嵐の中で奇跡的なことね」

「…………」

「あなたは七日間眠ってたわ。目覚めて良かった。ホントに」

 優しい声に明羽あはねは顔を上げていた。改めて目の前にいる人物の顔を見る。明羽あはねと目が合うと夏芽なつめはニッコリと笑った。

「ありがとう、ございます」

「あら。お礼言ってくれるのね。嬉しいわ。少しは落ち着いたみたいね」

「……氷呂ひろ

「あ、あらら?」

 泣きべそをかき始めた明羽あはね夏芽なつめは少しあわてる。

「病み上がりで、しかも意識を失う前はかなりの緊張状態だったみたいだものね。精神状態が不安定だわ。ちょっと待ってて。今呼んで来るから」

「……ダレを?」

 鼻をすす明羽あはね夏芽なつめは呆れた顔になり、肩をすくめて笑った。

氷呂ひろちゃんよ。それからもうひとり、ね」

「……?」

 夏芽なつめが出て行った戸を明羽あはねしばし見つめた。ひとりになって逆に頭がえてくる。辺りを見回せば壁際に置かれた机に対の椅子。それとは別に置かれた丸椅子に、畳まれて壁際に置かれている衝立ついたて。棚の中にはラベルの付いた大小様々なガラス瓶が大半を埋め尽くし、複数のファイルも収められていた。そして、自分が寝かされている通常のものより小さな寝床ねどこ

診療所しんりょうじょ?」

 天井付近に開けられた明かり取りの窓から真っ白な光が差し込んでいた。

「昼……」

 明羽あはねはぼんやりと天井をながめる。

「あの人。えと、夏芽なつめさん。……。……村?」

明羽あはね、いいか。南東に向かえ。南門からひたすら南東に向かうんだ』

「まさか……アサツキ先生」

明羽あはね!」

 耳慣れた声に明羽あはねはハッとする。見れば、見慣れている筈なのに酷くなつかしい。この世のものとは思えない程、美しく整った顔が今にも泣き出しそうにゆがめられたかと思うと、ふっと安堵に口をほころばせる。

氷呂ひろ……」

明羽あはね!」

 飛び付かれて、

「い……イッタタたたたたたたたたっ!!!」

 明羽あはね悶絶もんぜつすることになった。

氷呂ひろっ。ギブ……ギブッ!!」

氷呂ひろ! 氷呂ひろ! 嬉しいのは分かるけどさすがにその辺で!」

 明羽あはねから離れようとしない氷呂ひろを止めに入った声に、明羽は酷くなつかしいと思う。

 氷呂ひろ明羽あはねから離れ、にじんだ涙をぬぐう。

「ええ。そうね。謝花じゃはな

「……謝花じゃはな

「久しぶりだね。明羽あはね

 ふわふわとした黄色い髪の少女が嬉しそうに笑う。

「ああ、それにしても……本当に、良かったよおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!」

謝花じゃはな!?」

謝花じゃはなっ!」

 笑顔から急にわんわん泣き始めた謝花じゃはな明羽あはね氷呂ひろは文字通りビックリする。

「もう、ホントに、ホントにもう二度と会うことはないと思ってたふたりがなんでって……しかも片方は死に掛けてるしいいぃぃぃぃぃ!!!」

「うん、うんっ。ごめん。謝花じゃはな。なんかごめんね!」

「私達にも色々あって。話す。ちゃんと話すからっ」

「本当だよ!!」

 泣いてたと思ったら急に怒り出した謝花じゃはな明羽あはね氷呂ひろはまたもそろってビックリする。

「絶対の絶対の絶対だよ!」

「うん! 絶対の絶対の」

「絶対だね!」

 三人は頷き合って、次の瞬間には笑い出していた。

「ハハハ」

「ふふふ」

「アハハ……い……イタタたったたったたたた!!!」

明羽あはね!」

明羽あはね!」

さわがしい子達ねえ」

 再会を喜び合う三人を夏芽なつめはたからながめていると、響くノック音。開かれた戸から顔をのぞかせたのは紫黒しこくの髪の青年だった。

「お。にぎやかな訳だ。目え覚めたんだな」

「誰が入って来ていいって言った?」

 診療所しんりょうじょに足をみ入れようとしていた青年の動きが止まった。

「やり直し」

「……」

 夏芽なつめの物言いに青年は何か物言いたげな顔をしたが、言われた通りに戸を閉める。と、響くノック音。

「えー。こちらしな。なんかにぎやかな声が聞こえたなー。入ってもいいか?」

 大根役者もびっくりの棒読みだった。明羽あはねは思わず事の成り行きを見守ってしまう。

「……」

 微動だにしない夏芽なつめ

「返事ぃ!!」

「あ~ら、御免ごめんあそばせ」

 戸を乱暴に開けた青年に夏芽なつめ飄々ひょうひょうと笑った。

「これは一体……」

「いつものことだよー」

 状況のみ込めない明羽あはねに対し、氷呂ひろ謝花じゃはなは笑っている。

「つまり、仲がいいってこと?」

「その一言で片付けられると少し複雑だなあ。改めて、俺はしな。初めまして。よろしくな。明羽あはね

「え、あ、は、ハジメマシテ」

 差し出された手を明羽あはねは反射的ににぎり返した。

「イテッ……」

「と、悪い。大丈夫か?」

「大丈夫。ちょと背中が引きっただけ」

「やっぱりまだ動かさない方がいいか。本当に目覚めたばっかりみたいだしな」

 明羽あはねは首をかしげた。

明羽あはねちゃんが目を覚ましたら氷呂ひろちゃんとふたり、話を聞きたいって言ってたものね。村長」

「そうなんだが。さすがに早計そうけいだったか。少しでも体力戻ってからの方がいいよな」

「そう思うわ。しなから村長に伝えておいて。私からも後で」

「待って待って待って! ふがっ」

 急に叫んだ為に背中に走った激痛に明羽あはねうめく。

「なんだなんだ」

「どうしたの?」

 しな夏芽なつめ明羽あはねを見た。痛みはまだ引き切ってはいなかったが明羽あはねはめげずに顔を上げる。

「い、今……村長って言った?」

「……言ったが」

「とゆうことは、つまり、やっぱりここって!」

「そうだよ。明羽あはね

 見れば氷呂ひろが少し涙ぐんでいる。

「……先生は、知ってたのかな?」

「分からない。けど、先生の助言があったから今の私達があるのは確かだね」

 明羽あはね氷呂ひろは互いの手を握り合う。

「先生には助けてもらってばっかりだったな」

「そうだね」

「あー。感動してるところ悪いが。先生って、誰だ?」

 しなの声がわずかばかり強張こわばっていた。謝花じゃはなあわてて前に出る。

「あ、あ、あの! 先生っていうのは多分アサツキ先生のことでっ。南の町にいた頃私達が通っていた学校で先生をしていた人でっ」

謝花じゃはなも知ってる人物ってことか。単刀直入たんとうちょくにゅうに聞く。そいつは人間か?」

「へ? 人間、だと思いますよ? ね。明羽あはね氷呂ひろ

「え? うん。そう思ってたけど……」

氷呂ひろは?」

 しな詰問きつもん氷呂ひろは少し逡巡しゅんじゅんしてから答える。

「……アサツキ先生は人間です」

夏芽なつめ明羽あはね氷呂ひろを村長のところに連れて行く」

「医者としては止めたいところだけど、。仕方ないわね」

明羽あはねは俺が運ぶ。触るぞ。明羽あはね

「へ? え? は……何? なに!?」

「人間に村の場所が把握はあくされているとなると由々ゆゆしき事態なんでな。くわしい話を聞かせてくれ」

「ちょちょちょちょっと待って! アサツキ先生は多分この場所のことを明確に知ってる訳じゃないと追うよ? 南門から南東に向かえって言われただけだもんっっっ!」

「多分じゃあな。とにかくその辺りをくわしく聞かせてくれってことだ。よっ」

「うひゃ……お?」

 抱え上げられたものの明羽あはねは背中にまるで痛みを感じず、しなが余程気をつかって抱えてくれたことが分かった。

「……しな。いい身体してるなあ!」

 明羽あはねしなの肩と言わず背中と言わずバシバシと叩く。

「女の子が大声で言うセリフじゃないな。つーか呼び捨てかよ!」

「あはは」

「いいなあ……」

 見れば謝花じゃはなが羨ましそうに明羽あはねを見上げていた。その隣で氷呂ひろが何とも言えない顔で明羽あはねを見上げている。

氷呂ひろ?」

「いや、別に……。私だって男に生まれてればそれぐらい……」

 氷呂ひろが目をらしながらつぶやいた言葉に明羽あはねは苦笑した。

「じゃ、行きましょうか」

「う……」

 夏芽なつめの号令に明羽あはねが身じろぎしようとするがしながそれを許さない。

「う……ううー……」

「観念しろ。無理すんな。背中痛いんだろ」

「……」

 明羽あはねは泣く泣く全身から力を抜いた。

明羽あはね

氷呂ひろ~……。行きたくないよー……」

「私も一緒だから」

「でも~……」

「何想像してるんだか知らないけど。悪いようにはしないわよ」

 戸に手を掛ける夏芽なつめが笑った。その背で白い物が右に左に揺れているのを明羽あはねは見る。明羽あはねはそれが何かすぐに理解することができなかった。それが何か理解できた時、明羽あはねは叫んでいた。

「尻尾!?」

「いやぁねえ、明羽あはねちゃん。今気付いたの?」

 悪戯いたずらっぽく笑いながら夏芽なつめが戸を開く。

 真昼の真っ白な光が明羽あはねの視界をうばった。

 反射的に閉じた目蓋を明羽あはねが恐る恐る開くと、先を歩く夏芽なつめの背でふわふわの白い尾が間違いなく右に左に揺れている。見間違いなどではない。

「尻尾……尻尾? 本物?」

「そうよう。自慢の自前の尻尾よー」

 振り返らなかったが夏芽なつめのその声は可笑おかしそうで、尻尾もまた可笑おかしそうに揺れていた。

「……」

 明羽あはね唐突とうとつに実感する。

「隠さなくてもいいんだ……。本当に人間以外の種族だけの村なんだ」

「そうだよ。明羽あはね。この村に来て私、本当に怖くなくなったんだよ」

 謝花じゃはなが南の町では見せたことのない清々すがすがしい笑顔を見せていた。

「そっか……そっかー」

「ほら、私って四分の三聖獣でしょ。南の町にいた頃、私は尻尾、母さんは耳と尻尾がバレないようにいつも気を張ってた。父さんは純血の聖獣だったけど、人型に変身するのはあんまり得意じゃなかったし。完璧に変身してる氷呂ひろのことをいつも凄いねって、家族みんなで話してた。いつかバレるんじゃないかってみんなでおびえてた。でも、もう、そんなことない! 今、私も母さんも父さんもすごく身も心も軽くって……」

 謝花じゃはなはハッとする。

「良かったね。謝花じゃはな

「良かった。謝花じゃはな

 明羽あはね氷呂ひろは自分のことのように嬉しそうに笑う。そんなふたりに謝花じゃはなうつむいた。

「……ご、ごめん。明羽あはね氷呂ひろ。ふたりは狩人に追われて……」

「え? ああ、うん。まあ、そうだけど……」

「ふたりも!」

「!」

「!」

 急な謝花じゃはなの大きな声に明羽あはね氷呂ひろはビックリする。

「もう、大丈夫だからね! もう、何も怖くないよ! 一緒に楽しく暮らそうね!」

 明羽あはね氷呂ひろは顔を見合わせてから謝花じゃはなに笑顔を向けた。

「うん。謝花じゃはな

「これからよろしくね」

 明羽あはねは新たにひとつの実感を得ていた。自分達はもう南の町に帰ることはないのだと。オニャやキナ、おじさん達にはもう二度と会えないのだと。これからの帰る場所はここになるのだと。 わずかに背を丸くした明羽あはねの肩をしなが黙って優しく二度叩く。静寂せいじゃくが訪れる。あまりに静か過ぎる静寂せいじゃくだった。明羽あはねは思わず顔を上げる。

「ここっていつもこんなに静かなの?」

 でも、真昼だしこんなものかもな? と明羽あはねが思った時、明羽あはねの問いに肩を震わせた者がいた。

「しまった。そうだった……」

謝花じゃはな?」

「ひゃい!」

 謝花じゃはな明羽あはねの顔を見て、氷呂ひろの顔を見て、ばつが悪そうに目を泳がせる。

「ふふ」

 それは、しょうがないわねと言わんばかりの笑い方だった。

夏芽なつめさん?」

「ごめんなさいね。明羽あはねちゃん。実をいうとこの村は現在進行形で問題を抱えているのよ」

 夏芽なつめが落ち着いた声で説明してくれる。

「水不足?」

「は、解消されたんだけどね。多分氷呂ひろちゃんのお蔭で」

 明羽あはね氷呂ひろの顔を見るが、氷呂ひろは思い当たることがないのか首を横に振る。

「で、当面の問題は食料不足でね~。人口が増えるにつれて買い付けるだけじゃ足りなくなっちゃって。何とか畑を作れないかとこころみてはいるんだけど。その知識を持ってる人がいない上に水不足が追い打ちを掛けちゃってね。ちょっと頓挫とんざしてたんだ。でも、水が大丈夫になったでしょう? それで意気揚々いきようようと発案者がくわを持って村の外れに向かったんだけど……」

 夏芽なつめがため息をつく。それだけでうまく行っていないのは明白めいはくだった。

「だからね。みんな体力温存するために極力動かないようにしてるのよ。大体家の中にいるんじゃないかしら」

「聖獣以外は、だな。水の心配がいらなくなったから」

「ああ。そうね」

「?」

 しな夏芽なつめの間だけで話を完結させないで欲しいと明羽あはねは思う。

 そんな明羽あはねに気付いて夏芽なつめが意外そうな顔になった。

明羽あはねちゃん……聖獣は水があれば大抵たいてい大丈夫でしょう?」

「え……そうなんですか?」

 そう言ったのは氷呂ひろだった。夏芽なつめが目を丸くする。

「ちょ、ちょっと。なんで氷呂ひろちゃんが知らないのよ? 氷呂ひろちゃん聖獣でしょう?」

「そうなんですけど……。人間の中で生活してたので」

「それにしたって謝花じゃはなちゃんは知ってたわよ?」

「私は父と母から聞いてて……。そういえば氷呂ひろとそういう話をしたことはなかったね」

 聖獣の血を引いているであろう三人の声を聞きながら、明羽あはねはそういえば食料不足という割には夏芽なつめ謝花じゃはなも元気そうだと思った。水不足が解消されたからと思っていいようだ。そんなことを思っていたら頬に滴が落ちて来て明羽あはねは顔を上げる。気付いたしなと目が合った。

「と、悪い。汗が落ちたか」

 そう言ったしなひたいと言わず頬と言わず滝のような汗を流していた。

「どうしたのしな!?」

「暑いんだよ」

 当然と言わんばかりの口振りだった。

「こんな晴れの日は滅多にないからな。油断した」

「?」

「この村はね」

 夏芽なつめ明羽あはねの疑問に答えてくれる。

「基本的に嵐に見舞われているのがつねなのよ。その嵐を人間達からの目暗ましにしている訳だけど。だから、こんなに村の上空が晴れ渡るのはむずらしいことなの。実際、しながあなた達を拾って来た日から昨日まで酷い嵐だったわ。あれはあれでちょっと珍しいぐらいの嵐だったけど。それが今日、急にパアッと晴れてねえ。不思議なこともあるものね」

「そう、なんだ?」

 ずっと嵐に見舞われているというのがピンと来なくて、明羽は曖昧あいまいな返事をしてしまう。

 明羽あはねはとりあえず、自身のそでで、しなあごに流れてきていた汗をぬぐう。

「おい。そで汚れるぞ」

けないでよ。私に落ちてくるのを回避するためなんだからイッテ!」

「ああ、悪い悪い」

 明羽あはねの手をけていた身体をしなが元に戻した。そのお陰で明羽あはねは一生懸命腕を伸ばさなくて済むようになって背中が楽になる。

「それにしてもしなだけなんでこんなに……」

「そう言えばそうだな」

 しな明羽あはねをまじまじと見下みおろした。明羽あはねしなの闇色の瞳の奥に赤色を見る。

明羽あはねも平気そうだな」

「うん。暑いのも寒いのも我慢できないことはないよ」

「そりゃ。うらやましい限りだな」

 それは本当にうらやましそな声だった。ため息をつくしな明羽あはねは見つめる。このメンバーの中でしなだけが明らかに違っていた。しなだけが明羽あはねの知らない出会ったことのない種族なのだと気付いて、明羽あはねは気持ちが高まるのを押さえられない。

しなって何なの?」

「聞き方!」

「あはは。しなの種族は?」

「後で角でも見せてもらうといいわよ」

「角!?」

 明羽あはねは思わず夏芽なつめを振り返っていた。

「ちなみに明羽あはねちゃん、私のことも聖獣だと思ってるみたいだけど。うふふふ」

 それはあまりに意味深な笑いだった。

「え!? 違うの? 夏芽なつめさん!?」

「おほほほ。教えてあげようかしらどうしようかしら」

謝花じゃはな? 謝花じゃはなは知ってるの?」

「え? そりゃあ、この村じゃ有名……」

「じゃ、は、な、ちゃん」

「はひ!」

 謝花じゃはなは背筋を伸ばすと明羽あはねに向かって申し訳なさそうに両手を合わせる。

「ええ~? 氷呂ひろ氷呂ひろ見当けんとう付く?」

「私も夏芽なつめさんは聖獣だと思ってたからなあ。ええっと、この世界に存在している種族は七種族でしょう。動物、聖獣、悪魔、精霊、魔獣、天使、そして人間。夏芽なつめさんの言い方だと人間との混血ではないみたいだね」

「あら、するどい」

 夏芽なつめは本当に驚いたように目を丸くする。

「そうだわ。私の種族うんぬんより先に説明しておいた方が良いかしら」

「?」

「?」

 少し声のトーンの落ちた夏芽なつめ明羽あはね氷呂ひろは見る。

明羽あはねちゃん。氷呂ひろちゃん。よく聞いてね。もしかしたら少しショックを受けるかもしれない。この村はね。人間以外の種族が住む村なんて噂されているけど。ここにいる人達の殆どは混血。それも人間との混血がほとんどなの。九割は混血だと思っていいわ。そして、その殆どが聖獣、次いで悪魔。そして、言葉を持たない動物はおらず、魔獣もいないわ。天使もいなかったんだけど、明羽ちゃんが来てくれたわね」

 夏芽なつめは笑う。

「実はここにいる五人と村長以外にはまだ伝えていないの。みんな知ったらきっとビックリするわ。それだけ私達は数を減らしているということなんだけど。まあ、今ここにいる私達はこうして生きている。それが全てかしら。今までも、これからも」

「つまり、夏芽なつめさんは聖獣と精霊のあいの子ってことですか?」

 夏芽なつめだけでなく謝花じゃはなまでもが目を真ん丸にして氷呂ひろを見る。

「え、え~? 今のでそこに辿り着く?」

「消去法で」

 氷呂ひろはあっけらかんと言った。

「すごい! すごいよ、氷呂ひろ! 大正解だよ!」

 謝花じゃはな氷呂ひろの手を両手でつかんでブンブンと振った。

「ありがとう。謝花じゃはな

「もう、人がちょっぴり深刻な話してたっていうのに。そんな物とは無縁な子達ね」

「私達にはどうしようもできないことですから。夏芽なつめさんだってそうでしょう? だから、今までも、これからも」

「まあ、ね」

 夏芽なつめは肩をすくめて見せた。

「え!? じゃあ、本当に夏芽なつめさん、聖獣と精霊のあいの子なの!?」

「こっちはこっちでズレてる子いるし」

 しなに抱えられている明羽あはねを見て、夏芽なつめはふふっと笑う。

「そうよ。私は世にも珍しい人間以外の種族と種族が交わって生まれた、聖獣と精霊のあいの子。世界中どこを見ても他にはいないんじゃないかしら。人間ばかりが他の種族と交配していること自体とても不思議だけどね。本当、不思議よね。恐れ、排斥はいせきしようとしている他の種族との間に子供を作りながら、武器を持って追ってくるんだから。人間は分からないわ。まあ、ともあれ。そのうち村のみんなを紹介、する必要はないかしら。ここにいればその内、顔合わせるでしょう。小さな村だから。さて、そろそろ目的地よ」

 四角い土造りの建物が並んでできた道の先がひらけていた。砂が踏み固められてできた道から石畳の敷き詰められた広場へと明羽あはね達は足を踏み入れる。中心にある井戸の周りで白い尾や白い耳、見た目には何の特徴も見えない子供体が、割と派手に水遊びをしていた。楽しそうな笑い声が広場に響く。できた水溜みずたまりに、水飛沫みずしぶきに、太陽の光が反射してキラキラときらめいていた。

「あーあー。あんなに水浸みずびだしにしちゃって」

 呆れながらも夏芽なつめのその声はそれを許容きょようしていた。

「あ、謝花じゃはなちゃんだ!」

 子供のひとりが明羽あはね達に気付く。

謝花じゃはなちゃーん! あーそーぼ!」

 ひとりが言うと他の子供達も謝花じゃはなを呼び始める。

なつかれてるね。謝花じゃはな

「えへへ」

 氷呂ひろに言われて謝花じゃはなが照れたように笑う。

「あの、私……」

「いってらっしゃいな。謝花じゃはなちゃん」

謝花じゃはなちゃーん!」

「呼ばれてるね」

 夏芽なつめ明羽あはねにも言われて謝花じゃはなは笑う。

「えへへ。いってきます。明羽あはね氷呂ひろ。また後でね」

 謝花じゃはなが走り去って行く。合流した謝花じゃはなに子供達が何かたずねているのが見えた。と、子供達がこちらに向かって大きく手を振ってくる。主に氷呂ひろに向かって。

「きっと井戸のお礼よ」

 夏芽なつめに言われて氷呂ひろは少し戸惑とまどいながら手を振り返した。

「さ、私達は村長の家に向かいましょう。もうすぐそこよ」

 村長の家は広場に面したうちの一軒だった。他の建物に比べて一層年季の入っているように見える小さな家だった。夏芽なつめが戸を叩く。

 明羽あはねは思わずつぶやく。

「なんか緊張してきた」

「村長。明羽あはねちゃんが目を覚ましたので、氷呂ひろちゃんと連れて来ました。急だとは思ったんですが、ちょっと気になることがあって……」

 言葉の途中だったが夏芽なつめは口を閉じる。

夏芽なつめ?」

「反応があまりにもなさすぎる」

 中の様子を探るように夏芽なつめが戸に耳をつけた。

「中には居るみたいね」

 夏芽なつめの真似をしてしなも戸に耳を付けたが、

「……何にも聞こえねえ」

息遣いきづかいが聞こえる。村長。入ります」

 夏芽なつめがそっと戸を開く。四人で中を覗くと、高い位置にある明かり取りの窓から差し込む光が部屋の中を照らし出していた。一間しかない部屋の中央には火種のくすぶ囲炉裏いろりがあり、その側に横たわっているのは大きな白い獣。おとがいを前足に乗せ、両の目蓋を固く閉じ、深い呼吸に合わせてゆっくりと腹が上下していた。明羽は驚いた。獣のその白い毛はわずかな光を透かして幾色いくしょくにも光り輝き、にしきの衣をまとっている様だった。その美しさに思わずため息がこぼれる。すぐ側から同じように息がこぼれるのが聞こえて、明羽あはね氷呂ひろはお互いの顔を見合ってしまった。

「どうしましょ」

 夏芽なつめが悩ましげな声を上げる。しなは言う。

「疲れてるんだろうなあ」

「無理に起こすのもね」

「だなあ」

「ん……」

 身じろいだ白い獣にしな夏芽なつめが反射的に身構えていた。釣られて明羽あはね氷呂ひろも身構えてしまう。

 獣の目蓋が震え、その瞳が静かに開かれた。何ものをも見透かす薄紫色の瞳が四人をとらえる。

「む?」

 村長は何度か瞬きを繰り返す。明羽あはね氷呂ひろの姿をハッキリとらえて目を見開いた。

「君達は……」

「村長。すみません。起こしてしまって」

 そう言われて村長は夏芽なつめを見る。

「……ああ。そうか、例のふたりが目を覚ましたんだね。すまない。すっかり寝入ってしまって」

「いえっ。村長。私達が急に押し掛けてしまって」

「むしろ、お休みのところをすみません」

 夏芽なつめしなが頭を下げているのを見て、明羽あはねはこの人が本当に村長なのだと、この村で一番偉い人なのだと居心地の悪い気分になってきた。チラと氷呂ひろを見ると氷呂ひろもどこか落ち着かない様子で、明羽あはねは少し安心する。

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