私とR.B.ブッコローしか知らない世界

@2321umoyukaku_2319

第1話

 信じてもらえないかもしれないが、私の体験談を投稿させていただく。

 私は深夜の有隣堂へ潜入したことがある。

 現役のスパイだった、昔の話だ。

 自分のドジが原因だった。

 〇県の某所へ侵入して万年筆に仕込んだ超小型カメラで機密文書を撮影したところまでは良かった。後は万年筆を別の人物へ渡し、そこで私の任務は終了するはずだったが、その相手が待ち合わせ場所である有隣堂地下の喫茶店に現れない。

 嫌な予感がした。

 待ち合わせをしていた人物が敵に捕らわれ、私との約束についてペラペラ喋ったとしたら、最悪だ。

 私は勘定を払って店を出た。自宅へ戻るのは危険だった。怪しい人物に尾行されていないか入念に調べ安全を確認してから隠れ家へ移動する。ほっと一息ついて、背広の内ポケットに差していた万年筆が無くなっていることに気付く。

 どこかで落としたに違いなかった。だが、どこで?

 待ち合わせ場所のカフェでコーヒー代を支払おうと、背広の内ポケットから財布を出した、あのときだ!

 私は伊勢佐木町へ戻った。既に時刻は深夜を過ぎていて、有隣堂は閉まっていた。

 私は裏口から店内に侵入した。誰もいない一階を通って地下へ通じる階段を降り、喫茶室「有隣堂パーラー」の中を懐中電灯片手に捜索する。

 機密書類をフィルムに収めた超小型カメラ内臓の万年筆は見つからなかった。

 落とし物として事務所へ届けられているかもしれないと、絶望の中でわずかに希望を見出しかけたときだった。

 機械の動く音が聞こえた。エレベーターの音だった。有隣堂名物、手動で中と外の扉を開けるエレベーターの機械音だ。私は懐中電灯を消した。誰もいないと思われた店内に何者かがいるのだ! 私はテーブルの陰に身を隠した。しかし、店の明かりを灯されたらたちまち見つかり、一巻の終わりだ。

 足音が自分に近づいてこないかと、私は耳に全神経を集中した。足音は聞こえなかった。その代わりに大きな鳥の羽音が近付いてきた。私が隠れているテーブルの上に羽音の主が着地する。私は思わず首をかがめた。

「安心して、ネズミ以外は食べないよ」

 男の声だった。私はテーブルから顔の上半分だけ出した。誰もいない。人影らしきものは何もない。ただ、テーブルの上に黒い影があった。

 その影が語り出した。

「人の目では、この暗闇だと何も見えないだろう? 手に持った懐中電灯を点けるといいよ。大丈夫、悪いようにはしないから」

 相手は私が懐中電灯を持っていると分かっているようだった。それならば、お言葉に甘えてライトを点けるとしよう。私は懐中電灯をテーブルの上に向けた。私の目の前にミミズクがいた……いや、正確にはミミズクのような縫いぐるみなのだが。

 そのミミズクっぽい縫いぐるみはR.B.ブッコローと名乗った。

「有隣堂の居候でね、宿代の代わりに店内を荒らすネズミを退治しているんだ。今夜も見回りをしていたら、驚いたよ。ネズミじゃなくて人がいた」

 驚いたのは私も同じだ。人間の言葉を話す謎の物体R.B.ブッコローと深夜の書店で遭遇して驚かない者はいない。

 放心状態の私にR.B.ブッコローは言った。

「ここにいる理由を語って欲しいな。ただし、何でもお見通しだから、嘘を言っても無駄だよ」

 何でもお見通しなら説明不要だろう……とは思ったが私は釈明した。

「信じてもらえないかもしれないが、私は泥棒じゃない。日中に店内で忘れ物をしたんだ。とても大事な品だったので、早く取り戻したくて、悪いと分かっていたが店に入らせてもらった」

「それは万年筆だね。違うかい?」

 またしても私は驚いた。R.B.ブッコローは人の心が読めるのか! 

 謎めいた縫いぐるみR.B.ブッコローは読心術だけでなく手品にも精通しているようだった。どこからともなく金の万年筆と銀の万年筆と高級品の万年筆を取り出す。

「それは、この三つのうちの、どれかな?」

 R.B.ブッコローの問いかけに、私は首を横に振って答えた

「その最高級品質の万年筆が私のだよ……と言いたいところだけど、三つとも違う。どれも私の物じゃない」

 笑いながらR.B.ブッコローが言った。

「君は正直者だね。ご褒美に三つの万年筆全部をあげるよ」

 私は苦笑した。

「お気持ちだけ頂戴するよ。私に必要なのは無くしてしまった万年筆だけさ」

「あの万年筆の内蔵カメラが撮影した機密書類は囮情報が記載されているんだけど、それでも必要かな」

「なんだって?」

「カメラのマイクロフィルムを読影したよ。すべてを見通すR.B.ブッコローの知識とは矛盾する内容だった。間違った情報なんだよ。嘘の情報を故意に漏洩させて、相手を攪乱させようという目論見だ。君は敵の罠に引っ掛かったのさ。君が万年筆を渡す予定だった人物は、別のスパイから囮の話を聞いて、姿を現さなかった。賢明な判断だったと思う。君も、このまま行方をくらました方がいいね」

「そんなことが、なぜ分かる?」

「R.B.ブッコローは世界の何もかもを知っているからさ」

 この話が真実だとしたら、私も姿を消すのが無難だった。しかし、この正体不明のR.B.ブッコローの話を、どこまで信じて良いものやら分からない。

 私は、そのことを正直に言った。世界のすべてを知ると語るR.B.ブッコローが疑問に答える。

「信じてもらえないかもしれないけど、R.B.ブッコローの言葉に嘘偽りはないよ」

 嘘偽りだらけの世界に生きる私は、R.B.ブッコローの姿がやけに眩しく感じられ、懐中電灯を消した。

「例のカメラ入り万年筆は返すよ。ご褒美もね。それじゃ」

 再び羽音が聞こえた。私は懐中電灯を再点灯した。R.B.ブッコローの姿はなかった。テーブルの上には金の万年筆と銀の万年筆と高級品の万年筆と、カメラ内蔵型の特殊な万年筆が置かれていた。

 それら四つの品を手土産に有隣堂を去った後、私はスパイの世界に別れを告げた。それからの半生も色々あったが、深夜の有隣堂に忍び込むような危険で愚かしい真似はせずに済んでいる。そういった様々な思い出を綴った回顧録を出版しようと思い立ち、資料集めをしていたらR.B.ブッコローの名がネットに出てきて、とても驚いた。同時に、R.B.ブッコローの登場する物語が募集されていることも知った。

 有隣堂のマスコットR.B.ブッコローと私しか知らない、世界の片隅で起きた小さな事件の物語を投稿するに至った経緯は、そんなところだ。R.B.ブッコローが驚くほど正直な私の話なので、信じてくれて構わない。今も私の書斎の棚には金の万年筆と銀の万年筆と高級品の万年筆とカメラ内蔵の万年筆が飾られているから、是非見に来て欲しい。R.B.ブッコローが来てくれたら、思い出話に花を咲かせたいと思っている。有隣堂で買った愛用のオリジナルガラスペンとインクのセットで原稿を書きながら、旧友の訪問を待つ。

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