第36話

「もしもし」

 どんな反応が返ってくるか、ドキドキしていた。

「せ、せんぱい?」

 かなり驚いていたけれど、声だけで私だと分かってくれたのは嬉しい。

「傘、忘れてったよーーどうする?」

 口実に使った、傘の忘れもの。

 予備があるので先輩が持っていてくださいと言われ、あっけなく用は済んでしまった。


 もう少し話したい、何か話題を……

 そう思っていたら「先輩って、傘持ってます?」と聞いてきた。

「ないんですね……」なんて呆れた声音だ。

 初めての電話は新鮮だった。声が直に響いていて、少しの変化で表情が想像できる。

「探せばどこかにある――」はずだ。

「もう――」と、更に呆れられたみたいで、「しばらく、私のを鞄に入れておいて下さいね」と優しいことを言う。

 そうかと思えば「折りたたみ方知ってます?」なんて、それはちょっとバカにしてない? こんなの簡単に……あれ、なにこれ、おかしいな。

 彼女にも伝わったらしく、クスクス笑ってる。

「私の、三つ折りですよ」とヒントを貰ってなんとか畳めた。


「先輩、もしかして不器用?」

「うるさい」

 こんなやりとりも、初めてだ。

 十数分前の私の、不安に支配され固まっていた気持ちが緩やかに解されていくーーつまり、楽しい。


「先輩」

 少し間があった後、優しく問いかけられた。早く続きを聞きたくて「なぁに?」と答えたが、またしばらく沈黙があった。

 彼女の発する『せんぱい』という言葉は心地いい。先輩、センパイ、せんぱい、先輩? 文字は一緒でもその時々にバリエーションがあって、その次に何を言われるのかが楽しみで、その言葉に反応してしまう。


「えっと、あの、そうだ! どうしたら文章の基本が身に付きますか?」

 え、そんなの私にもわからない、というか私が知りたい。

 物語の世界は、辛かった私に優しくて私を救ってくれた。私もそんな文章を書いてみたい、救うまではいかなくても、いつか誰かの心の片隅にでも届いたらいいな。そんなふうに思ってサークルには参加している。

 そういえば昔通っていた小さな本屋さん、居心地良かったなぁ。何故か最近よく思い出す。


「先輩?」

「どうした?」

「えっと、電話ありがとうございました」

「うん」

「おやすみなさい」

「ん、おやすみ」


 勇気を出して電話して良かったな。

 私らしくなかったけど、いや待ってーー私らしいって何だろう。

 常に誰かのアプローチを待っていただけだ。自分から何かを求めてもーー求めたいと思っても、いいんだよね。


 もしかしたら私、変わりはじめてるのかな。

 そして、それはきっと彼女のおかげ。

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