第32話

 あの子も驚いたみたいで、スマホを忘れたと言ったきり、固まっている。

 部屋には二人きり、しばらく見つめ合っていた。

 まさか私が、今の今まで自分のことを考えていたなんて知る由もないだろうけど、なんだかバツが悪い。何か喋らなきゃと思うのに、普段話さないから何を言えばいいのかわからない。

 あ、そうだ! スマホを探そう。


「番号」

「え?」

 あぁ、コミュニケーション能力のなさよ。

「電話番号言って」

 どうしてこう、ぶっきらぼうになってしまうのか。人見知りといえど言葉が足りなさすぎる。こういうところが冷たいと思われるんだって、姉にも散々言われている。


「あぁーー」

 ようやく理解してくれたようで番号を教えてくれた。

 私のスマホに打ち込んで通話ボタンを押す。



「あ、ありました、ありがとうございます」

 あの子がスマホを見つけ、ほっとしたような笑顔で振り向いた瞬間、私の体が動いた。

 あろうことか、何も言わずにキスをしてしまったのだ。


 後から冷静に考えれば、大変なことをしたと思う。

 ただ、その時は思ってしまったのだ。

 この子が欲しいと、あの笑顔を私に向けて欲しいと、切実に。

 自分から何かを欲しいと思ったことが今までになかったから、どうすれば良いかわからなくて、いろんな過程や言葉をすっ飛ばしてしまった。

 そして、触れた瞬間にまた、思ってしまったーーもっと欲しいと。


 一緒に部屋を出て、一緒に歩き、一緒のバスに乗る。

 もちろん嫌がる素振りがあれば無理強いはしないつもりでいたのに、「来て」と、腕を掴んでいた。

 ハッとして、すぐに離した。


 自分の心がこんなふうに動くなんて知らなくて戸惑っていた。

 それでも今を逃したくなくて、この子を離したくなくて。


 私の部屋へ入った瞬間抱きしめた。

 やっぱりだーー思った通り。

「あったかい」

 体というよりも、もっと奥の芯の方がジワジワと温められる感覚ーーなんだか懐かしい。

 苦手な言葉を重ねなくても、この子ならわかってくれる、そう思ったから。


 私は初めて、怖がらずに人に手を伸ばすことが出来、そして手に入れたとーー勝手にそう思っていた。


 身体を重ねるという行為、そのせいで天寧が悩むことになるとも知らずに。

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