第一の鑑定 血の涙を流す少女の肖像 2-5
英一は言いながら、自分の腕を軽くさすった。よし香は相変わらず顔を強張らせており、雪緒もぞくぞくしっぱなしである。
ただ一人、中津川だけが落ち着き払っていた。
「うん。当時の状況は大体分かった。ではそろそろ問題の絵を実際に拝見させていただきましょうか。よし香さんの部屋にあるんでしたね?」
場違いににこやかな中津川を見て、よし香はふぅと一つ息を吐くと、ソファからゆっくり立ち上がった。
「分かりました。わたしの部屋にご案内しますわ」
みんなでぞろぞろと応接間を出た。広い廊下を、全員で横並びに進んでいく。
歩きながら、よし香が辛そうに言った。
「わたし、絵が血の涙を流して以来、あの部屋では寝ていないんです。夜は入るのが怖くて……。ちょっと物を出し入れする程度なら大丈夫だけど、長い時間は厭なの」
「じゃあ、今は別の部屋で寝ているんですか?」
隣を歩いていた雪緒が訊くと、よし香の顔はさらに暗くなった。
「あれからずっと、お梅と一緒の部屋で休んでいるわ。もう二十四歳になるというのに、わたしったらいつまでも人に迷惑ばかりかけて……」
と俯くよし香に、優しく声を掛けたのは英一だった。
「気に病むことはないぞ、よし香。こんなことになってしまったのだから仕方がない。お梅には私からも礼を言っておく。今は一刻も早く、絵を鑑定してもらおう」
英一はそのまま、よし香の肩を抱くように手を添える。
その光景はとても微笑ましく、仲がいい親子だなぁ、と雪緒は少し羨ましくなった。
「ここですわ。わたしの部屋です」
やがて辿り着いたのは二階の一番奥の部屋だった。よし香自らドアを開け、みんなを招き入れる。
全員が部屋に入ったところで、英一が壁の方を指差して言った。
「中津川くん、あれだ。
一目見て、雪緒はまずその絵の大きさに驚いた。畳一畳ほどもある絵だった。ほぼ、壁の一面を占める勢いで飾られている。
大きさもさることながら、描かれているものを認識して、雪緒は息を呑んだ。
「先生、絵の中の女の子が……!」
大きな画布には、一人のあどけない少女が描かれていた。
外国の子供のようだ。透き通るような白い肌に金色の髪をなびかせ、まっすぐに立って絵の中からこちらを見つめている。
瞳の色は青みがかった緑だった。その瞳から白い頬にかけて、鮮やかな紅い涙の跡がくっきりと残っている。
――泣いてる……。
部屋じゅうに異様な雰囲気が漂っていた。絵の中の少女はただ泣いているのではない。まさに血の涙を流しているのだ。
おぞましい絵を目の当たりにして、雪緒は足がすくんでしまった。
「ふむ。油彩か……」
震える雪緒を置き去りにして、中津川は一人、絵の方に近づいていった。
中津川の言う通り、そこにあるのは油彩画……つまり西洋の絵だ。肌も髪も陰影が細かくつけてあり、まるで本物の人間を写し取ったように見える。
平面に描かれた絵なのに、今にも動き出しそうだった。それは日本の絵の手法とはまるで違う、まさに西洋画独特の描き方と言える。
絵は木枠に張られた画布に描いてあった。画布は豪華な額縁に四辺を覆われていたが、硝子の覆いなどはついておらず、大部分は剥き出しの状態だ。
「では、拝見しましょう」
中津川は懐から白い手袋を取り出すと、それを手早く嵌めて、そっと画布に触れた。
そのすぐ後ろで雪緒が、部屋の隅で英一とよし香がそれぞれ見守る。
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