第一の鑑定  血の涙を流す少女の肖像 2-4

 雪緒はソファに座ったままの中津川を指差した。

 初対面の人と接する時、中津川は挨拶から始まる一連の流れを面倒臭がる傾向があり、いつも雪緒がこうやって代わりに紹介をする。

 一通り対面が済むと、英一とよし香は中津川の向かい側のソファに並んで腰を下ろした。雪緒も中津川の隣に身体を押し込む。

 その頃合いでお茶が運ばれてきた。運んでくれたのは、先ほど玄関から応接間まで案内をしてくれたあの女中だ。

 全員にお茶が行き渡り、女中が再び引っ込んだところでいよいよ本題に入る。

「早速ですが、問題の絵についてお聞きしましょう。血の涙を流すそうですね」

 中津川が切りだすと、英一は顔を顰めて頷いた。

「こんな奇妙な話、こちらとしても認めたくはないが、その通りだ。まさかあんな不気味なことが起こるなんてな……」

「ふむ。不気味なことですか……。もう少し具体的に知りたいなぁ。一番初めに絵の異変を見つけたのはどなたでしょう」

「……わたしです」

 手を上げたのは娘のよし香だった。

「その時のことを詳しく話してください」

 中津川は眼鏡を押し上げて姿勢を正し、よし香に向き直った。その顔は、既に好奇心でみなぎっている。

 こうなると雪緒の出る幕はあまりない。しばらく黙って話を聞くことにする。

「問題の絵は、亡き祖父が仕事で海外に赴いた時、お土産に買ってきてくれたものなのです。もらってからずっとわたしの部屋に飾ってあります。最近まで、特に変わった様子はありませんでした。でも、五日ほど前の晩、あの絵は確かに血の涙を流したのです……」

 よし香の手はきちんと膝に置かれていたが、微かに震えていた。

 きっととても怖かったのだろう。雪緒だって、話を聞いているだけで背筋がゾーっとしてくる。

「丑三つ時くらいだったと思います。わたし、そんな時間に目が覚めてしまって。それでふと、部屋に掛けてある絵を見てみたら……絵の中の少女が、血の涙を……」

「何故目が覚めてしまったのでしょう。絵の中から声がしたとか、何かの気配がしたとか、そういうことですか?」

 震えるよし香に構うことなく、中津川は淡々と質問を続ける。多分あのぼさぼさ頭の中は、曰く付きの絵のことだけでいっぱいなのだろう。

「いいえ。絵の異変と、目が覚めてしまったことは関係ないと思います。わたし、もともと眠りが少し浅くて……。普段はお医者さまからいただいた眠り薬を飲んでいるのですが、あの晩は飲み忘れてしまったのです。途中で起きてしまったのはそのせいかと」

「ふむ、なるほど。では絵の他に変わったことはありませんでしたか? 絵を見た時に抱いた気持ちなど、何でも結構ですよ」

「絵を見た時の気持ち……。なら、あの時わたしは、血の涙を流す絵を見て……何だかとても、胸が苦しくなりました」

 そこまで言うと、よし香は突然胸のあたりに手を当てて苦しそうに顔を歪めた。もともと色白な顔が、みるみる真っ青になっていく。

「大丈夫ですか? よし香さん!」

 雪緒は思わず身を乗り出して、よし香に手を伸ばした。

「ああ、よし香、無理をしない方がいい。お前は繊細なんだ」

 よし香の隣に座っていた英一も、心配そうに娘の顔を覗き込んでいる。

「みなさん御免なさい、心配かけて。あの時のことを思い出しただけだけなのです。絵を見てこんなに苦しくなったのは初めてだったの。普段は平気だったのに、あの日はなぜか動けなくなりそうなほど苦しかった……。それでもわたし、何とか立ち上がってお父さまの部屋に駆け込んだんです」

 その言葉で、中津川の目が英一の方を向いた。英一はこくりと頷いて、話の続きを引き取る。

「よし香が青い顔で私の部屋にやってきた時は驚いた。とりあえず部屋の椅子に座らせて、すぐおうめを呼びにいったんだ」

「お梅さんと言うのはどなたでしょう」

「さっき茶を運んできた女中だ。うちは女中を三人雇っているが、そのうちお梅だけはこの屋敷に住み込んでいる。私はお梅と一緒に、よし香の部屋に行った」

「そこで、問題の絵を見たんですね?」

「うむ……。私とお梅は、一緒に絵を確かめた。絵の中では、確かに少女が赤い涙を流していたよ……」

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